2017-12-20

盧武鉉反日演説の波紋|Doronpaの独り言

盧武鉉反日演説の波紋|Doronpaの独り言

盧武鉉反日演説の波紋

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今年もまた韓国の反日記念日である3.1独立運動記念日がやってきました。やれ未来志向だ、もう過去の事は問わないとついこの間まで言っていた隣の国の反日大統領は記憶障害を患っているのか、自分の言葉を完全に忘却の彼方へと追いやり、低迷する支持率(2006年3月1日現在支持率18%)の回復を狙って相も変わらずの反日妄言をヒートアップさせているようです。

韓国の政治家が国民の人気取りに反日を利用することは既に皆さんもご存知の通りですが、一国の大統領がこうした下劣そして何より隣国との摩擦を引き起こすことを前提とした手法をとり続ける事は、極めて異常な事態であるといえます。そして、こうした大統領が存在することを許容する、否、むしろ積極的にこうした発言を歓迎し反日という麻薬にどっぷり使ってしまった自浄作用を全く期待できない、民度が存在するかどうかさえ怪しい獣じみた韓国社会の異常性が問題なのです。
そしてまた
隣国の敵対行為とも言える言動に毅然とした態度で臨まず、異常国家韓国の有り様を野放しにし厳しく躾をしてこなかった日本にも責任があると言えるでしょう。

この演説原稿を読む限り、とてもではありませんがかの国との友好など為しようが無く、またその責任の大半が彼らに存在することが理解出来るものです。
しかし悪いことだけではなく、こうした韓国の異常性にようやく日本政府の中枢も反応をし始め、3月1日付けの各新聞メディアの記事では、盧の演説より「法を変えて軍備を強化するのではなく、まず人類の良心と道理に合うように行動をし国際社会の信頼を確保するすることが適切な道であるでしょう。」という部分に対し、
小泉総理・安倍官房長官らが極めて強い不快感を表し盧の演説を「内政干渉」だと指摘しています。一般社会の意識と政界のそれは常にずれがあり、今すぐに変わるものではないでしょうが、こうした積み重ねが何時か必ず韓国という国家への認識を改めるきっかけとなり、最終的に反日国家群との決着をつける動きにつながってくれることを期待します。

一人でも多くの方に韓国の異常性、粘着性、狂気の反日の姿を現実のままに見てもらい、そしてこうした国とどのように日本は向き合っていくべきなのかを考えてもらうことを何より望みます。

日本のメディアでも一部抜粋の形で盧の発言を載せていますが、東亜細亜問題研究会 の幹事を務める小池修氏より盧武鉉演説全文の邦訳文が送られてきましたので、今回この記事の最後に全文邦訳を掲載します。


◆盧武鉉大統領記念辞全文(三月一日)

尊敬する国民の皆さん、独立遺功者と内外貴賓の皆さん、八十七回目の3.1節を大変意義深く迎えます。
己未年(1919年)の今日、我々の祖母・祖父達は国を取り戻す為に素手で立ち上がりました。自主独立と民族自尊という大義の前に命をかけて銃と刀に立ち向かいました。
三千里、坊坊曲曲(津々浦々)を揺るがした大韓独立万歳の声はどのような圧制にも屈しない我々の独立意思を世界万邦へ轟かせ、抑圧されていた民族魂を再び目覚めさせました。独立を渇求する世界の諸弱小民族に希望の燈火を点すこともしました。
このような
3.1運動の偉大な精神は上海臨時政府樹立に引き継がれ、国内外の独立闘争をより熱く燃やしました。そしてついに我々は国を取り戻しました。祖国光復の為に献身された愛国先烈の諸氏に頭を垂れ敬意を表すとともに、遺家族と独立遺功者の皆さんに深い尊敬と感謝を申し上げます。(会場拍手)

国民の皆さん、昨年の3.1節に私は「韓日両国が真実と誠意で過去史のおりを取り払い真正の和解と協力の道を進もう」と強調しました。誤った歴史認識と感情を整理しなければ、韓日関係はもちろん東北アジアの未来を期約することが難しいためです。
しかし去る1年の間神社参拝と歴史教科書歪曲、そして独島問題まで大きく変わることがありません。指導層の神社参拝は続いており、侵略戦争で独島を強占した日を記念にまでしています。

事情がこうであるので、我々国民達の立場ではいまだに日本が侵略と支配の歴史を正当化し、またまた覇権の道に乗り出すかも知れないという疑懼心をを持つのも当然のことでしょう。
神社参拝は戦争反対の決意を誓う為のもので、個人の問題であり他国が干渉する問題ではないと言っています。しかし国家的指導者が行う発言や行動の意味は当事者自らの解明ではなく、その行為が持つ客観的性格に依って評価されるしかありません。国家指導者の行為は人類普遍の良心と歴史の経験に照らしてやはり適当なことなのかを基準に評価する他ありません。

日本は既に謝罪しました。我々は重ねて謝罪を要求しはしません。
謝罪に合当する実践を要求するだけです。謝罪を覆す行動に反対するのです。「周辺国が持っている疑惑は根拠がない」と言うだけではなく疑心を買う憂慮がある行動を自制することが正しいのです。既にドイツのように世界各国が実践している先例がその基準になることが出来ると考えます。日本が「普通国家」、ひいては「世界の指導的国家」になろうとするならば法を変えて軍備を強化するのではなく、まず人類の良心と道理に合うように行動をし国際社会の信頼を確保するすることが適切な道であるでしょう。
私は大多数の日本国民の意思もこれと異ならないと思います。我々は日本国民の良心と歴史の大義を信じて根気強く説得しまた要求していくつもりです

国民の皆さん、我々の歴史問題も整理していかなければなりません。容赦と和解の前提として真実を明らかにし、過去史を始めとする分裂を解消し、信頼と統合の新しい社会をつくる為に我々は現在過去史整理をしています。
ところがこれら過去史はそれ自体がまさに歴史です。過去史整理過程を見ると我々の歴史にはいまだに明らかになっていない、或いは誤って記録されている歴史が相当にあるという推測ができます。

隣の国に対して間違って書かれた歴史を正し、堂々と言うためには我々の歴史も間違って書かれたところがあれば正し、埋もれていることがあれば発掘しなければならないのです。現在進行中の過去史整理過程はこのような歴史的観点から理解されなければならず、またこのような観点を顧慮し進行されなければならないのです。

国民の皆さん、3.1運動当時全同胞が共に叫んだその日の喊声と、その日の1つになった我々民族の魂を記憶しましょう。(拍手)そのようにひとつになった力で先進韓国の夢を必ず成し遂げましょう。我々の後孫達が誇るに足る栄光ある大韓民国の歴史を作っていきましょう。

ありがとうございました。(拍手)

邦訳:小池修(東亜細亜問題研究会幹事)

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