2017-12-17

南京大虐殺が歴史の教科書に載ってました。この南京大虐殺は嘘ですよね... - Yahoo!知恵袋



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南京大虐殺が歴史の教科書に載ってました。この南京大虐殺は嘘ですよね理由がわか...



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kenpro2gemさん

2012/5/2500:01:58


南京大虐殺が歴史の教科書に載ってました。この南京大虐殺は嘘ですよね理由がわかる方いらっしゃいましたら教えてください反論も結構です。



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red_spi99さん

編集あり2012/5/2518:49:04


南京事件は単なる歴史的事実なので、教科書に載るのは当然です。
南京において虐殺が行われたのはウソなどというのは、単なる空想の世界の話しでしかありません。

もちろん、中国側が主張する30万という虐殺規模を肯定する日本側の研究者はいませんが、虐殺自体はあったというのは、学術的な定説であり、これに反する論文が提出されたこともありません。学術の世界では論文が提出されない説は無いのと同じですから、「南京において虐殺が無かった」などとする説そのものが、学術的には存在しません。

教科書にはもっとも確からしい説を載せますので、学術分野で論文が提出され、一定の評価を受けている説が掲載されているわけです。

もちろん日本政府だって正式に認めています(規模はともかくとして)。
外務省歴史問題FAQ
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/08.html

また、自民党時代に町村外務大臣の主導で始まった日中歴史共同研究においても、南京において虐殺、掠奪、暴行、強姦などが行われたことは認められています。

外務省日中歴史共同研究
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/rekishi_kk.html
日本語論文PDFから引用
「「軍紀風紀を特に厳粛にし」という厳格な規制策(「南京攻略要領」)を通達していた。しかし、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では20 万人以上(松井司令官に対する判決文では10 万人以上)、1947 年の南京戦犯裁判軍事法廷では30 万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究では20 万人を上限として、4 万人、2 万人など様々な推計がなされている。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している」

これが現実です。
政府が公式に認めていることなのだから、教科書に載るのは当然でしかありません。

ついでにいうなら、陸軍OB会である偕行社も、独自の調査を行った上で南京事件を認めています。虐殺規模は畝本説3000~6000、板倉説13000(幅を持たせて1~2万)を紹介した上で、「まことに惨いことであった」と謝罪しました。

政府が認め、当事者である陸軍OB会まで認めているわけです。
ちなみに、この偕行社の調査では会員からの情報提供に加え、大量の一次史料が発掘されており、これが南京事件の検証に大きな役割を果たしました。逆に言うなら、こうした一次史料を発掘してしまったがゆえに、認めざるを得なくなってしまったのですが。

上記の畝本氏はもともと否定側の立場に調査に当たっており、会員から寄せられた「証言」についても、確証が得られないと排除する姿勢を取っていました。ところが証言を裏付ける一次史料を自分たちの手で発掘してしまい、とてもではないが否定することができなくなってしまった。

偕行社の高橋登志郎氏は、このときの畝本氏の様子について「「困った、困った」と苦渋に満ちた顔は忘れられない。」と語っています。
誠実な人物なのでしょうね。

南京事件否定派の東中野のように、ウソをついたり、ムリヤリな解釈で話しをねじ曲げたり、あるいは田中のように一次史料を改竄してまで「無かった」ことにしようとしたり、そういう恥知らずなことが出来れば楽だったでしょうに。

ちなみに、松井司令官は確かに風紀を守ろうとしましたが、部下の師団長がまるっきり命令を聞こうとしなかったのですね。
当時の日本軍は下克上的な空気が蔓延していて、成果さえ出せば命令無視は問題になりませんでしたから。そもそも松井大将自身が、その下克上に乗っかって、第十軍が無断で始めた南京攻略戦を、参謀本部にムリヤリ事後承諾させているのですから、どうにもなりません。

>歩66第1大隊の捕虜処断最大約8百人の一例のみというのが階行の最終結論です

なぜ、こういう嘘を平然とつくのでしょうかね?
証言による南京戦史の総括文を読んだことが無いのでしょうか。
畝本氏は「虐殺の可能性がるものは三千及至六千内外ではあるまいか」
板倉氏は捕虜の不法殺害を八千、民間人を五千と算定。

この両論を紹介した上で、「これを併記して本論の結論とする」と明記している。どちらも「虐殺」「不法殺害」と明記されています。適当な作り話で事実をねじ曲げてはいけません。
また、外務省の論文は国内研究をまとめたものであって、中国が怖い云々は関係ありません。


ーーーーーー

ベストアンサー以外の回答

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kusuo1さん

2012/5/2921:37:24


南京大虐殺なんか全くの中国のデッチ上げですよね
南京にはこの後汪兆銘の親日政権の首都になり
南京の住民も極めて親日だったと記録されています
南京大虐殺なんか事実なら南京の住民が親日なわけありませんよね

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shpfiveさん

2012/5/2521:44:57


「南京事件」が歴史の教科書にのるのは、それが「歴史的事実」だからです。

日中共同研究において座長をつとめる北岡伸一氏の見解。
http://www.geocities.jp/yu77799/giseisha.html#kitaoka

まず「南京事件」の内容について知る必要があります。
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/shoho.html

幕府山事件について
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/saigen5.html
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/saigen6.html

20万人に対する30万人虐殺については
http://www.geocities.jp/yu77799/jinkou.html

南京の人口は増えたのか、については
http://www.geocities.jp/yu77799/jinkou2.html

を、ご参照ください。

当時行われた唯一の公式調査である「スマイス調査」にも民間人被害者の数字は出ています。

http://www.geocities.jp/yu77799/smythe3.html

死者、行方不明者の全てが日本軍によるものではなく、複数の専門家による見解では5000~12000人程度の日本側による不法殺害があったと考えられています。
それ以上か、それ以下なのかは何とも言えませんが、検証なしには無かったと断定出来ないとは申し上げておきます。

実際問題として「南京事件」については歴史学者の間でも「存在した」事を前提として

犠牲者数30万人はあり得ない(政府公式見解は2~20万人)
中国側の行動にも問題があった

等の議論がされているのが現状です。
「南京事件」の定義、規模、内容についての論争なら存在します。
しかし「なかった」と言ったら、それは明らかに「嘘」です。
ちなみに大虐殺派と言われる笠原十九司氏ですら、中国側の主張を肯定しているわけではありません。

各研究者の方の見解です。
(偕行社畝本氏の見解もちゃんとあります。嘘つきは誰でしょうか?)
http://www.geocities.jp/yu77799/giseisha.html

そもそも「南京事件」というのは、例えば数万人なり数十万人なりを一箇所に集めて、まとめて機関銃なり銃剣なりで殺した、という種類の事件ではありません。

具体的には日本軍による

捕虜、投降兵の処刑
一般人に対する虐殺
その他、占領時に発生した不適切な行為(アリソン事件など)

などがあげられます。

このうち捕虜、投降兵の虐殺に関しては国際法から考えてやむを得ないとの見解が存在します。

ただし、当時の日本軍にはきちんとした法務官がいたにもかかわらず、裁判をやらないまま捕虜の大量処刑を行っている、という事実もあります。
具体的には、誰が便衣兵なのか?という判定はなされず、しかもその中には誤認連行された民間人が含まれていた事も否定する事はできません。
また「捕虜は殺さない」と投降勧告をしながら全員殺してしまった事例も存在します。

ハーグ陸戦条約第23条
「兵器を捨て、又は自衛の手段尽きて降を乞へる敵を殺傷する事」は禁止されています。
少なくとも、これは守られていません。

ただし、これに関しては様々な議論が存在します。
詳細は

http://mwkp.fresheye.com/mb/m.php/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99...

をご参照ください。

なお、この件に関して東中野修道氏と吉田裕氏による論争があります。

http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/saigen8.html
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/saigen9.html

東中野氏は「便衣兵の処刑には裁判が必要」としています。

「南京事件」に対する我が国の「公式見解」は2~20万人の虐殺は存在した、というものです。
実は存在しないなどという説はもとより、数百人説などという学術的に根拠のないものは採用されておりません。
「仮にこれを覆すというなら学会での検証に耐えうるだけの仮説を用意する必要があります。」
口からでまかせの発言なら誰でもできますが、そんなものは相手にされません。

この事件を含む日中間の戦争による問題は、本来国際条約により決着済みでした。

それを蒸し返し、中国による外交カードにさせてしまったのは朝日新聞と社会党である、との指摘があるのは、昭和40年代後半に朝日新聞が大々的にキャンペーンを行い、当時の社会党がいわゆる「南京大虐殺記念館」を「中国側が気乗りでないのに関わらず」3000万円を出資して建設させた、という事によるもので、これらの人達の間違った正義感は、後世の私達を苦しめています。
(なお、実際にかかった費用は870万円と言われています。残りはどこへ消えたのでしょうか?)
それによって生じた「日本罪悪史観」と、その反動による「歴史修正主義」により、「南京事件」に限らず、歴史に対する正しい議論ができない事こそが最大の問題ではないでしょうか?

事件についての詳細は、ゆうさんの下記サイトをご参照いただければと思います。

南京事件-日中戦争 小さな資料集
http://www.geocities.jp/yu77799/

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zfjb1179さん

編集あり2012/5/2522:56:05


戦後GHQがWGIP洗脳した効果がいまだにマスコミ、教育、多数の日本人の中に無意識に脈々と生き続けています。マスコミの現状はこれまでの事実が示してますし、日本の歴史教科書を特亜に干渉させるようにした日本の政治家の責任は非常に重い。
当時の支那国民党・共産党、各軍の行なった事実、さらに戦後の中国がどれほど自国民や他国を虐殺侵略したかの事実等々を知れば、いずれが正解か自ずとわかる筈です。下記は大虐殺?真っ最中の国内外新聞報道等です。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/nankingmj.htm
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi05.htm
http://www.youtube.com/watch?v=gtysyW5dhM0&feature=related

GHQだけでなく、下記(於1972年時点)も必死で工作活動続けており、政・財・官・民・各界に広がっています。国は未だに無為無策?いったい何やってるんでしょうか?もちろんこの知恵袋内にも多数いるでしょう。政治家の無知や「公」の欠如が国にとっての最たる弊害ですが・・・。
http://www1.r3.rosenet.jp/nb3hoshu/TainichiKousaku.html

●東京裁判「南京地方法院検察処敵人罪行調査報告」
戦後、日本の「戦争犯罪」を裁くため連合国が開廷した「東京裁判」に備え中国国民政府は1945年11月7日「南京敵人罪行調査委員会」を設置し、中国人に南京における日本軍の犯罪を申告するよう呼びかけ。だが日本軍の残虐行為の申告者が「甚だ少なき」のみか聞き取り調査を行うと唖然として「口を噤みて語らざる者」や虐殺を「否認する者」まで。やむなく中国政府は暫定的な報告を1946年1月20日、東京裁判に提出したが、「日本軍による大量虐殺」証拠は埋葬記録を除き魯甦なる人物の「目撃証言」ただ一件

●当時南京で頻繁に起こった「漢奸狩り」
当時文盲の一般市民に中国側は絵で漢奸狩りを警告した。
『戦争初期日本発行『画報躍進之日本』内で、陥落前の南京における「漢奸狩り」報告、『東京朝日』『読売』『東京日日』『ニューヨーク・タイムズ』も「漢奸狩り」を報道。戦争開始後漢奸の名目で銃殺される者は南京では連日 80 人に及びその後数は減るものの1937年11月まで約 2,000 名に達し、多くは日本留学生。
『中国では日中戦争が本格化すると漢奸狩りと称して日本軍と通じる者や日本軍に便宜を与える者と判断された自国民を銃殺や斬首により公開処刑が日常化。戒厳令下で裁判は必要とされず宣告を受けた者は直ちに処刑、首は警察官により親日へ警告のため晒しものに。』
スマイス報告の死者数の大半は、この「漢奸狩り」の被害者?
南京市民にとり守ってくれたのは中国軍か?それとも日本軍か?

●梶村 止少尉は、南京戦参加後、上海方面に移動。1938(昭和13)年1月15日の彼の日記、上海付近に駐屯していたとき、近くの村人が中国兵に襲われ、梶村少尉の隊に救いを求めたが村人に案内され、梶村少尉一行30余名が現場に急行した時、敵の40~50名が逃走した後。「自国の兵隊の悪事を、自国民の敵軍に報告。討伐を願うという矛盾が、とりも直さず支那軍隊がいかなるものであるか、この一事で判断できる」。梶村少尉らが村を立ち去る時、村人らは「非常に名残を惜しんでくれた」。

●米のティルマン・ダーディン記者は、南京で日本軍を迎え撃つ中国軍の様子を書いた。「中国軍による焼払いの狂宴(12月7日以降)…南京へ向け15マイルにわたる農村地区ではほぼ全ての建物に火が。村ぐるみ焼き払われた。中山陵園内の兵舎・邸宅や、近代化学戦学校、農業研究実験室、警察学校、その他多数の施設が灰塵に。…この中国軍による焼払いによる物質的損害を計算すれば、優に2000万ドルから3000万ドルに。これは南京攻略に先立って何ヶ月間も行われた日本軍の空襲による損害よりも大」(NYタイムズ)

●南京の米領事館の副領事ジェームズ・エスピーが行なった報告。南京陥落時の中国兵の行動につき。「中国兵自身も略奪と無縁ではなかった。……日本軍入城前の最後の数日間には、疑いもなく彼ら自身の手によって、市民と財産に対する侵犯が行われた。気も狂わんばかりになった中国兵が、軍服を脱ぎ棄て市民の着物に着替えようとした際には、事件もたくさん起こし、市民の服欲しさに、殺人まで」(エスピー報告)

●福岡日日新聞の三苫幹之介記者は、南京に入った後、安全区にいる中国人夫妻にインタビュー。
「記者 日本軍がやって来たとき、君たちはどこに何を。
黄 私たち夫婦は、国際委員会で設定された南京城内西北の山西路からズッと入った難民区にいました。……中央軍の支那兵が銃創を持って夜となく昼となく代わる代わるやって来て難民を検察し、食糧や物品を強奪し、お金と見れば一銭でも二銭でも巻き上げていった。最も恐がられたのは拉夫、拉婦(拉致されること)で、独身の男は労役に使うため盛んに拉致され夜は姑娘が拉致されていった。中央軍の支那兵の横暴は全く眼に余るものが」

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the402nd_infantryさん

2012/5/2511:43:48


教科書に載る理由はズバリ、日教組が最大の原因。左翼思想であり日本のしてきたことを全て悪とする論法なので掲載される。
当時の南京市民が10万人を下回り、実際に8万人にすら満たなかったとの見解もあります(事前非難したりして)。その中で日本軍が進攻してくるわけですが、南京市占領が目的ではなくさらに進攻しなくてはならなかったので(作戦上)市民を片っ端から虐殺している暇も時間も実際無かった。ただし進攻時に一般市民が巻き込まれ亡くなっているのは事実です。それを二桁も三桁も偽って大虐殺だと騒いでるだけです。まあオリンピックで口パクしたり高速列車事故の車両を埋めたりする中国ですから当たり前の虚言なんです。さすが中国4千年のウソ歴史!!です。

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yannon8691さん

編集あり2012/5/2521:56:48


南京大虐殺なんて法螺話が教科書に載るなんて世も末ですね、このままでは日本は本当に溶けて無くなるような気がします。

確たる証拠もなく自らの祖先を虐殺者呼ばわりするなどもっての外です、恥を知るべきです。

よく元兵士の証言と言うが、その証言が嘘だと判明した事例が余りに多く、そもそも証言イコール事実となるなら無かったと証言する実際南京戦に参加した元兵士も多数居ることを以て無かった事になりますよね・・。
http://www.youtube.com/watch?v=9jWIHnks7uo

何時、何処で、誰が、どのような方法で、何人程度、殺害し、それに符合する場所で符合する数の死体が出たというならこんな問題はとっくに解決しているはずです。

ましてや嘘の証言ばかり繰り返す中帰連や、撫順の戦犯管理所等で書かされた兵士の手記や供述書を証拠に採用するなど論外です。


あと松井石根は非常に軍規に厳しい人で「一部の」兵士による軍規違反の暴行事件等の報を聞いて落胆したものであり、組織的な虐殺の類ではありませんよ。
このような事件はどこの国の軍隊でも必ず起こす兵士の個別な犯罪であり、無論中国兵でも多数起こしていますし、平和な今日ですら毎日この手の事件が起こってるのを見ても況や戦場において・・・です。

又、あの悪評高い東京裁判ですら松井石根は55項目の訴因に対して1~54までは全て不要及び無罪となっているのです、最後の訴因55だけが有罪となり極刑となっている。
第54(残虐行為の遂行命令・援護・許可)が無罪となっている以上、それは上に述べたどこの戦場でも起きる事件であり、組織的、計画的な命令によるものではないと判決しているものです。

その上で訴因55、条約遵守の「責任無視」の不作為があったとするものですが、これに対してパール判事は非常に細かく具体的に無罪の根拠を明らかにしています、書ききれませんが、本件に関し松井被告が法的責任を故意かつ不法に無視したとみなす事は出来ない、と締めています。

後にパール博士は公演で、「欧米諸国は、日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の十七年間の経緯を、罪悪と烙印することが目的であったに違いない・・・・・・・・・・私は一九二八年から四十五年までの十七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。この中には恐らく日本人の知らない問題もある。それを私は判決文の中に綴った。この私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかる筈だ。それなのにあなた方は、自分等の子弟に「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」と教えている。満州事変から大東亜戦争に至る真実の歴史をどうか私の判決文を通じて充分研究して頂きたい。日本人の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流れて行くのを、私は平然と見過ごすわけにはいかない。あやまられた彼等の宣伝の欺瞞を払拭せよ。あやまられた歴史は書き改めねばならない。」 といっています。

追記
不法殺害の可能性があるのは歩66第1大隊の捕虜処断最大約8百人の一例のみというのが階行の最終結論です、この当時捕虜を処断する事と民間人も含めた大虐殺とやらは全くの別物です。
また中国が怖くて仕方ない外務省の見解など数も分からないのにあった事だけは認めるという馬鹿丸出しの見解で、この手の役人達が嘘をついたりいい加減な事を言うのは珍しくもないのは日本国民の衆知の通りです。

まあ、仮にあったとしても何の問題もないと言うのが私見ですが、確たる証拠もなく「有った」事だけ断定する人間のいい加減さには呆れます。
古今東西、全く兵士以外に犠牲者を出さずに戦争を遂行できた国も軍隊も存在しません、相手の兵士や投降兵を殺害したことや民間人に犠牲が出た事が虐殺なら、虐殺をしなかった国は存在しませんので語る意味もない、ただ戦争をしていたというだけの事です。

〇南京戦に参加した畝本正己の集計では当初(1985)、不法処理の疑いがあるのは3千~6千人、全て便衣兵を含む兵士であり虐殺と断定できないとし、その後畝本正己は、資料・証言を更に詳細に整理・検討し、1988年に発行した『南京戦史』(偕行社)で撃滅・処断推定約1万6千人、『うち不法殺害の【可能性があるのは】歩66第1大隊の捕虜処断最大約8百人の一例のみ』と結論している。

殺人事件で数は不明だが殺した事は間違いないなどと言う低レベルな研究論文など学術とは言わない、馬鹿がいくら期間をかけて研究しても無意味なのと同じ。
それと最近は秦氏支持は言わなくなったね、彼のいい加減さを指摘されて分が悪いのでやめたのかな?
彼やその支持者に東中野氏や田中氏の事を言う資格はないよ(笑

ナイス 5

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