2018-12-06

Fear, Anti-Semitism in Poland after Auschwitz Masahiko Nishi

Uneasinesses in plural
10 hrs ·


[VI-032]Wednesday
ヤン・グロス(1947- )の『アウシュヴィッツ後の反ユダヤ主義』Fear, Anti-Semitism in Poland after Auschwitz(2006:染谷徹訳、白水社、2008)

について何回か触れてきた。ともかく、あちこちで身につまされることの多い本なのだが、いま、この日本にあって、とても他人事とは言い切れないのが、「庶民の起こした無反省な行動」を前にして《エリート知識人層が示した反応の激しさ》についての指摘である。1946年7月の「キェルツェのポグロム」に直面して、《社会の分析について極めて洞察に富み、明敏で、情報を熟知していたはずの知識人層がポーランドの反ユダヤ主義の暴発を予期することができず、完全に不意を突かれた》(p. 275)――このショックを同じく知識人としてのグロスは、どうにかして受け止めなければならないのである。
ポーランドでよく言われる話のひとつに「ご主人(pan)と賤民(cham)」という封建制時代の階級間分離の話がある。社会主義の導入以降、国民のだれもが「主人」になり、互いを「ご主人(pan)」「奥方(pani)」の敬称で呼びならわすようになったのだが、社会主義以前は、「知識人」は「賤民」を見下しつつ、しかしそうした民衆を率い、啓蒙することを自分たちの使命だとみなしていた。そして、「キェルツェのポグロム」は、そんな「つまずき」の経験として、知識人層に冷や水を浴びせたのだった。

思えば、関東大震災後の朝鮮人虐殺に震撼させられた文人・知識人は、萩原朔太郎(1886-1942)であれ、佐藤春夫(1892-1964)であれ、決して少なくない。彼らは完全に「虚を突かれた」のだ。생각하면 관동대 지진 후 조선인 학살에 뒤흔들 수 있었던 문인 지식인은 하기와라 사쿠타로 (1886-1942)이든 사토 하루오 (1892-1964)으로도 결코 적지 않다. 그들은 완전히 "허를 찔 렸다"것이다.

知識人がふりかざす理想主義傾向は、むしろ大衆操作に秀でた「独裁者(dictator)」の流儀によって裏をかかれる。日本の軍国主義化やアジア蔑視は、ドイツにおけるナチズムや反ユダヤ主義の台頭がそうであったように「スローガン政治」dictatorship(教師が生徒に書き取り=ディクテを課すようにイデオロギーの要諦を授ける)における知識人の敗北だった。すべての「スローガン政治」に抗するのが「知性」なのだと背伸びをすればするだけ、「知性主義者」は「反知性主義」との闘いにおいて敗北を喫する危険性に晒される。
それこそ第二次世界大戦期のポーランドは、クロード・ランズマン(1925-2018)の『ショア』(1985)に出てきたポーランド人で言えば、良心派のヤン・カルスキ(1914-2000)と、トレブリンカ周辺の農夫たちやヘウムノ近郊の老婆たちに完全に分断されていた。その亀裂を埋めることは、社会主義にとってさえ難しかったのだ。
20歳過ぎまでを戦後のポーランドで過ごしたグロスは、次のように語る――《第二次世界大戦の劫火で焼かれたポーランドの悲劇的運命は、この国のインテリゲンチャを歴史の主役に仕立て上げた。最終公演の舞台への出番を与えられたインテリゲンチャは、英雄を演じ(愛国主義の体現者と対独抵抗運動の組織者)、犠牲者を演じ(ソ連とナチスの占領軍はエリート層を特に激しく迫害した)、進行中の事件の語り手を演じ(前例を見ないほど活発に発行された地下刊行物の書き手)、最終的には戦争経験の解説者、記録者、歴史家の役割を演じたのである。》
そして、もう少し引こう――《それだけではない。この戦争ドラマには歴史的に象徴的な意味を持つ多くの事件が背景として重なっていた。つまり、十九世紀のポーランド国家消滅の悲劇、国を分割支配した侵略者に対する一連の民族蜂起、そしてポーランドが過去の集団的トラウマを通じて近代的民族主義を形成する際に極めて効果的な役割を果たした偉大なロマン主義的文学の伝統などである。結果として、戦争、抵抗、犠牲に関する精神世界は幸福な少数者である知識人たちの聖域となった。「ろくでなし」には、この聖域に入ることも、いかなる貢献をすることも認められなかった。》(pp. 301-2)
要するに、「賤民」、そして「ろくでなし」を締め出してしまった知識人層は、そうした彼らの反乱に「虚を突かれた」のだといってもよい。
ここ20年の日本で、知識人層がうろたえないではおれないのが、そうした「非知性」的な人びとの高圧的なふるまいである。しかし、それはまさに上から目線の「知性主義」という名の「理想主義」に対するしっぺ返しなのだ。
ポーランドは、社会主義の44年間を経て、狭義の社会主義を卒業したことになってはいるが、「知性主義」という「聖域」が委縮しつつあるのは、日本と同じだろう。
かりに「すべての「スローガン政治」dictatorshipに抗するのが「知性」なのだ」としても、それは「知性」を金科玉条のようにふりかざし、「知性」が「知性」に酔っていたのでは、その「知性」はつねに「虚を突かれ」つづけるだろう。
「知性」を「幸福な少数者である知識人たちの聖域」におしこめてはならない。いかにして隅々まで分配可能な「知性」を(「独裁者」dictatorたちの策動に抗して)「創造」できるのか――私が日々考えるのはそれであり、それがゴンブローヴィチ(1904-69)によって目を開かれた自分の務めだと思っている。
そして、正直のところ、グロスの本のなかで、最も胸をかき乱されたのは、「社会的距離が判断力を奪う」と題された「第五章」だった。
번역 보기

No comments:

Post a Comment

Note: Only a member of this blog may post a comment.