盲論=秦郁彦『慰安婦と戦場の性』の嘘と矛盾を暴く
1、これは「講釈師のただの講釈」本じゃないのか?
個人的な感情と体験からくる価値観
秦郁彦氏の著作物『慰安婦と戦場の性』の特徴はやたらと個人的な感情や個人的な体験による人生観・価値観が混入している事だ。この著作物は「慰安婦問題」についての歴史学的研究と言うよりも、「慰安婦問題に関わってきた秦氏のエッセイ+自叙伝」ないしは「思想書」という傾向が強い作品である。
秦氏自身は「執筆にあたっては一切の情緒論や政策論を排した」「個人的な感慨や提言も加えなかった」「事実と虚心に向き合う」と”あとがき”に書いており、自分の著作が客観的な事実を取り扱っているような主張しているのだが、にもかかわらずこの著作の導入部のP12ですぐに”お里が”知れている。「やるもんだなーと感嘆した」「トリックとしかいいようがない」と個人的感慨・感想を記述しており、これでどうして「情緒論や政策論を排した」「個人的な感慨を加えなかった」と言えるのか?我々凡人には到底理解しがたい話である。
この著作の中で秦氏はいくつか自分の個人的な体験を書いている。
例えばP229では、「戦争犯罪がマスコミで取り上げられると、必ずと言ってよいくらい元日本兵の「ザンゲ屋」ないし「詐欺師」が登場する」と書いて、その例として南京事件でも「この種の人が登場した」と書きニューヨークで同宿した際にホテルで秦氏をパシリとして使い「カン・ビール買ってこい」と命じ、「もろ肌脱ぎになって」「強姦した姑娘(クーニャン)の味が忘れられんな」と舌なめずりしたんだそうだ。
これが本当の話なら、その人は相当に邪悪なお人柄の人らしいが、なんせ個人的な体験なので確かめる手段はない。実名で、何年、何月の話か、ちゃんと教えていただきたいものである。
この話は秦氏の造り話の可能性もある。後で出てくる事だが、この『慰安婦と戦場の性』には秦氏の”創作”としか言えないものが様々に存在しているからである。
それはともかくとして、そういうわけで自分が「詐欺師に」「疑い深くなっている」のだと秦氏は書いている。これは明らかに個人的な体験からまるで思想書のように価値観を提示しているのであり、史料から客観的事実を明るみに出そうとする現代の歴史学の著作物とはまるで異なる手法であることが分かるであろう。
P177でも”女郎の身の上話は信用できない”として「当の私自身も若い頃に似たような苦い思いをかみしめたことがある」と個人的体験談から、元慰安婦の話を「信用できない話」としている。
こう書いている。
というのだが、つまり自分が昔そのように他人から聞いたので「元慰安婦の話は信用できないよ」と繋げているわけで極めて個人的体験に根差している考え方である。これで、「個人的な感慨は加えない」と言いたいのだろうか?
この話はよっぽど強調したいらしく、もう一度繰り返し、P274でも同じ事を書いている。
のだそうだ。個人的な人生観をお披露目している訳だが、よっぽど世間知らずで純情な人だったんだなぁというしかない。そして、こんな事を書いてたんじゃ歴史学者としてもお笑い草だ。
ついでだから解説しておこう。
「女郎の身の上話」という言葉は昔の遊郭の言葉である。
昔から金儲け主義の遊郭では、狡猾な楼主たちが1から10まで偽ることの入れ知恵をしていた。彼らは「なんでもお客を欺くことを考えなくちゃ駄目ですよ。お客なんてオイランが上手く騙せば何でも言う事を聞くもの」だと教え(『吉原花魁日記』、『遊女・からゆき・慰安婦の系譜』P137)、石井良助も「客にお金がありそうと見れば翌朝、当の女郎に客をたぶらかす策略を授け、金を引き出す駆け引きを教えるのだった」(石井良助『吉原』)と書いている。
こうして、江戸時代の遊郭では、『遊女大学教草』という本まで造られており、たえず『嘘』の教育を伝授したので、「傾城のまこととは嘘の皮」なる言葉さえ生まれたのだと金一勉はいう(『遊女・からゆき・慰安婦の系譜』P37)。
つまり「女郎の身の上話」という言葉は遊郭楼主の強欲から生まれた言葉であると言える。これは、「売上を上げる」事を目的としており、すでに軍慰安所から開放されて50年以上も経ている元慰安婦の方々にどんな関係があるというのだろうか?
彼女たちが戦地にいた時に、業者たちが慰安婦たちに兵士を騙すように教えたという話がどこかにあるのか?
そんな話さえどこにもないにも関わらず、この「女郎の身の上話」という言葉を元慰安婦の体験談に適用するのは、明らかにコジツケであり、彼女達の人格への冒涜である。
「元慰安婦たちの主張を否定したい」という感情と個人的な人生観を源に、こうした関連のないものをコジつけて論理を展開しているのがこの本『慰安婦と戦場の性』の一つの特徴であり、これに関しては後にまた取り上げる事にしよう。
推量語の多発 「事実と虚心に向き合う」というよくわからない主張について
日本語は主語を省略する事が可能な言語である。しかし「・・・だろう」という言葉が英語に翻訳すると I think; I suppose; I recko・などになる事は知っておくべきだろう。「私はそう思う」「私はそうみなす」なのである。こういう言葉が歴史書に書かれていても、ある程度は仕方がないとは思う。どんな論文も「私の推量」がいくらかは入るものだ。とりわけ、秦氏自身が昔書いていたように、日本は敗戦直後に犯罪とされることを恐れ、戦争中の資料を多く灰塵に帰した。ゆえに近現代専門の歴史学者たちは、資料収集に苦労する事になる。
だから、資料が少なければある程度、想像で補ったとしても仕方が無い話であろう。
しかしそれを「執筆にあたっては一切の情緒論や政策論を排した」「個人的な感慨や提言も加えなかった」「事実と虚心に向き合う」 などと書いてまるで客観的な事実だけを自分は書いたのだと言わんばかりに正統化し、権威つけてしまうのは問題である。
この著作物はむしろ、情緒論や政策論、個人的な感慨の連続であり、事実を自分の感情によって捻じ曲げている。
すでに述べた「「やるもんだなーと感嘆した」「トリックとしかいいようがない」と個人的感慨・感想の他にも12ページには、1992年1月11日の記事について「・・・劇的な演出だったらしい事が読み取れる」と書いている。読みとったのはもちろん秦氏本人である。P13には「・・・屈してしまったと言えそうだ」最初の章からこの調子であり、「・・・期待していたようである。」(P22)「・・・良かったと思われる」(P24)
「・・・判断したのであろうか」「・・・回答したようだ」「・・・油断したのであろう」(P25)・・・など第一章だけでも、主語を省く事ができる日本語の特性を生かしての推量と推測、個人的感慨のオンパレードである。要するに資料から導き出される結論ではなく、自分の感想を述べながら官僚の答弁のように、物事を曖昧にしているのである。だから「・・・だろう」などの表現が多くなる。P136には「神埼清は400人近い慰安婦の内生還したのは70人と書いているが、やや過大だろう」と書いているが、この文章の前後には、この数字を「過大」とする理由がまったく見当たらない。理由は無いがとにかく「過大だ」と言いたいらしい。これが本当に歴史書なのか、と実に不信に思う。「過大だ」と思うならぜひその根拠をちゃんと書いていただきたいものである。
一次史料を無視という点ではP147もかなり酷い有様である。米国の婦人部隊やナースがまるで娼婦の役割をしていたような事が、何の裏付け資料を提示しないまま書かれていたり、サザーランドがその専属秘書と男女の関係にあった事がほのめかされているが基礎的な一次史料が存在していない。
あげくに戦争恋愛ものの映画『南太平洋』までもが、「戦場の性」の中に納められており、売春話や豪州兵の妻の浮気話の間に混入させられてい。P147とP164では「・・・ニューギニア戦線の夫は気が気でなかったという」などと書いているが、出典としているらしい『リンドバーク第二次大戦日記』(新潮、P499)には、日本軍が宣伝ビラを蒔いた事は書かれていても、兵士たちが気が気でない様子など書かれていない。当然こんな事を書く以上は、元豪兵の自伝なり戦記なりに「自分の妻が休暇中の米軍兵士に誘惑されているのではないかと気が気でなかった」と述べているような出典があるのだと信じたいが、おそらくそんなものはなく、ただ想像で書いたというところだろう。
このようにして「事実と虚心に向き合う」 としながら、自分の推量と推測、体験と個人的感慨によって価値観を賦与しながらミスリードしているのが、この『慰安婦と戦場の性』である。
歴史学が科学的な学問として信頼されるためには、「自分はこう思う」「こう思いたい」ではなく客観的な根拠が必要である。歴史学者が実証的であるためには、一次史料の提示と資料批判がどうしても必要であり、自分の推量と推測、個人的感慨を中心に書いて根拠を示さないとすればなら、それは現代の実証的な歴史学研究ではなく、ただのエッセイか講談、あるいは自伝の類であろう。
資料の虚偽記載
秦氏自身はこの作品を「慰安婦百科全書のような性格の作品」(あとがき)と書いているが、P56で1938年の内務省警保局の課長が局長に出した伺い書が、内務省から各地方庁への「指示」に変えられ、さらに5府県に依頼した慰安婦の人数も間違っていて、資料では合計が400人のはずが秦氏は650人にしており、次に述べる虚偽記載から考えても到底”百科全書”とさえ言えず、歴史学者の仕事とは思えないズサンな内容になっている。
史料を使って正確な歴史を描きだそうとする”歴史書”や”百科全書”などではなく、”講釈師の講釈にすぎない”と私は思うが諸兄はいかがであろうか?
2、恣意的な資料の使用と虚偽記載
金学順さんが慰安婦にされる前から職業的売春婦であったいう
根拠のない説を書く秦郁彦
秦郁彦氏は、「元慰安婦の金学順さんが、慰安所に行く前から元々売春婦であった」という説を主張している。
『慰安婦と戦場の性』 P208では
と書いている。
トゥミナは、インドネシアで最初に名乗り出た女性であり、元々売春をしていたが、日本軍により狩りだされて慰安婦にされている。彼女は「多くの少女たちが私と同じように連れて来られたが、わたしを除いて、彼女たちは男を知らない無垢な乙女でした」と述べている。(後藤乾一『近代日本と東南アジア』岩波)
そのトゥミナが「職業的売春婦の出身だという点で、韓国の第一号と似ている」というのである。
韓国の第一号とは金学順さんの事だ。
つまり、秦郁彦氏は、「金学順さんは職業的売春婦の出身だった」というのだが、どこにそんな証拠があるのだろうか?金学順さんは、14歳から3年間、キーセンの学校に行ったが営業はできなかったので中国に渡り、そこで慰安婦にさせられたと言われている。どこにも、売春した経歴は語られていない。こういう本人の口から語られる経歴が100%信用できないにしても、だからと言って「職業的売春婦の出身」だと秦氏は如何なる理由によって決め付ける事ができたのか?
決め付けられる訳がない。実際に同書P179には、秦氏自身が金学順さんの経歴をまとめているが、そこには一言も、「売春をしていた」などとは書いていないのだ。つまり秦郁彦氏は、金学順さんが職業的売春婦ではなかった事を承知していながら、どさくさにまぎれて「職業的売春婦である」ような誘導をしている。実に不誠実である。
右翼論壇によると秦郁彦氏は実証史家だそうだ。
実証史家であるなら、ぜひ「金学順さんは職業的売春婦だった」という実証的証拠を示していただきたいものである。もし実証できなかったら、秦郁彦氏の書くものは、信用ができないというレッテルを貼られてもしょうがないだろう。
林博史氏による指摘
恣意的な資料の使用や虚偽記載については、すでに林博史氏により指摘されている部分をまず取り上げてみよう。
(『秦郁彦「慰安婦と戦場の性」批判週刊金曜日290号http://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper44.htmより抜粋)
林博史氏によれば以下のような「写真や図表の無断盗用、資料の書換え・誤読・引用ミス、資料の混同、意味を捻じ曲げる恣意的な引用・抜粋など」があるという。
① 無断盗用は「前田朗氏の『週刊金曜日』の論文から「国連の人権機構」図(三二二頁)が無断盗用され」、しかも内容を秦が改ざんした箇所を指摘されている(『マスコミ市民』一〇月号)。
② 吉見義明氏は「言ってもいない事を書かれて」おり(P12)、
③ 上杉聡氏はおこなってもいない記者会見を書かれてしまっている(P242)。
秦氏の主張を否定するような資料は内容が大幅に削られており、
④ 「シンガポールにおいて、軍が慰安婦を募集すると「次々と応募し」「トラックで慰安所へ輸送される時にも、行き交う日本兵に車上から華やかに手を振って愛嬌を振りまいていた」という元少尉(小隊長)の回想録を引用しているが(P383)、原文ではこの文のすぐ後に「ところが慰安所に着いてみると、彼女らが想像もしていなかった大変な激務が待ちうけていた」と続き、さらに部下の衛生兵の話として、「悲鳴をあげて」拒否しようとした慰安婦の「手足を寝台に縛りつけ」、続けさせたと話が続く」にも関わらず「秦氏はこれをカットしている」と指摘を受けている。
検証してみよう。
とのみ秦氏は書いている。
しかしこの話には続きがあり
この部分を秦氏は削除してしまっている。
してみると、「慰安婦の「手足を寝台に縛り」つけ、続けさせた」という話は”慰安婦への強制”を示しているので、秦氏には都合が悪いと見える。手足を寝台に縛りつけられながら、慰安を強要されているこの情景は、日本軍の慰安所があからさまな強制であり、決して”ただの商売”ではなかった事を示しているからである。
⑤ 同様に都合の悪いらしい西野瑠美子氏がした下関の元警察官に聞き取りも、「しかし管轄が違うから何とも言えませんがね」という部分を省略し、「『いやあ、ないね。聞いたことはないですよ』との証言を引き出した」(P242)とのみ書いている。こうして秦氏は後半をカットすることによって自分の望む結論に導こうとしているのである。
慰安婦問題のみならず歴史に関する問題で「資料の中で都合のよい一部分だけを引用する」「細部で嘘、改竄する」など後の右派論壇に蔓延する歴史修正のやり方がこの時すでに歴史学者と名のつく者の手によって採用されスタンダードとなってしまった事を残念に思う。
文献捏造疑惑
ネットの中でも、秦氏の『慰安婦と戦場の性』には捏造疑惑が出ている。
中でも[stiffmuscleの日記]氏による次のような指摘が重要である。
[stiffmuscleの日記]氏によると『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)のP380、P381に掲載されている 「リー・パクドら三人の朝鮮人による陳述」の引用文献(Composite Report on three Korean Navy Civilians List No. 78, dated 28 March 1945, "Special Questions on Koreans" (U.S. National Archives).はどこにも原文が見当たらないという。
秦氏の『慰安婦と戦場の性』 P380、P381では次のように書いている。
というのだが、引用文献とされているComposite Report on three Korean Navy Civilians List No. 78, dated 28 March 1945, "Special Questions on Koreans" (U.S. National Archives).自体がNARAに問い合わせても「存在しない」という返事が来た。ネットの中にも見当たらないので、[stiffmuscleの日記]氏は引用文献の提示を要求している。 http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070817/p1
(つづく)
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初歩的な記述ミスやら、資料改竄やら、次々と発覚してしまう。
こんな著作が「第一人者の著作」ですかね。