2019-07-14

日本統治下の朝鮮 - 統計と実証研究は何を語るか (中公新書) 新書 – 2018/4/18 木村 光彦 (著)





日本統治下の朝鮮 - 統計と実証研究は何を語るか (中公新書) 新書 – 2018/4/18
木村 光彦 (著)

5つ星のうち 4.2 16件のカスタマーレビュー




文庫 「日本の朝鮮統治」を検証する1910-1945 (草思社文庫)

ジョージ アキタ
5つ星のうち 4.6 5
商品の説明

内容紹介

1910年から1945年まで、帝国日本の植民地となった朝鮮。その統治は、政治的には弾圧、経済的には搾取・貧困化という言葉で語られてきた。日本による統治に多くの問題があったことは確かである。だがそれは果たして「収奪」一色だったのか。その後の韓国の発展、北朝鮮の社会主義による国家建設と繋がりはないのか――。本書は、論点を経済に絞り、実証主義に徹し、日本統治時代の朝鮮の実態と変容を描く。
内容(「BOOK」データベースより)

1910年から1945年まで、帝国日本の植民地となった朝鮮。その統治は、政治的には弾圧、経済的には搾取・貧困化という言葉で語られてきた。日本による統治に多くの問題があったことは確かである。だが、それは果たして「収奪」一色だったのか。その後の韓国の発展、北朝鮮の社会主義による国家建設と繋がりはないのか―。本書は、論点を経済に絞り、実証主義に徹し、日本統治時代の朝鮮の実態と変容を描く。商品の説明をすべて表示する


登録情報

新書: 224ページ
出版社: 中央公論新社 (2018/4/18)
言語: 日本語
ISBN-10: 4121024826

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目次



序章 韓国併合時―一九一〇年代初期の状態とは
第1章 日本の統治政策―財政の視点から
第2章 近代産業の発展―非農業への急速な移行
第3章 「貧困化」説の検証
第4章 戦時経済の急展開―日中戦争から帝国崩壊まで
第5章 北朝鮮・韓国への継承―帝国の遺産
終章 朝鮮統治から日本は何を得たのか

5つ星のうち4.2

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トップレビュー

すすむA

5つ星のうち3.0「統治コスト」は戦後に高くついた?2019年2月21日
形式: 新書
本書のデータを駆使した実証的な解析は、類書には欠ける説得力がある、と感じられるが、残念なことは35年に及ぶ植民地支配の中で、1937~45年の日中戦争・太平洋戦争期のデータが乏しいことだ。戦時期の正確な記録が入手し難いこともあろうが、それ以上に、総力戦時期と平時期の「違いを考慮せず一括りで語られるが、これは不適切である」との作者の思惑が入っていると思われる。しかし朝鮮民族にとってはこの全てが被支配体験であり、彼らの「怨念」はこの期間全体に及んでいるのだから、支配者であった日本人学者が恣意的な時代仕分けをしてみても受け入れられ難いのではないかと思う。

本書の内容をきわめて大雑把に要約すれば次のようになる。
1)植民地以前の朝鮮では、農業は稚拙で生産性も低く、商工業も家内事業の域を脱していなかった。支配層は儒教思想に支配され、産業の自発的発達に無関心であった。
2)日露戦争後、総監府時代を経て1910年に総督府が設立され、内地人(日本人のこと)官吏が続々と朝鮮半島に入った。その構成は(本書の統計は1937年が初出)、内地人4.1万人、朝鮮人2.4万人である(地方官僚を入れれば更に多いだろう。ちなみに1928年の朝鮮人人口は1900万人)。英国のインド間接統治とは異なり、朝鮮支配は直接統治だった。
3)総督府が1930年代末までに行った主な事業は、①農業生産性の向上;1912~39年の平均成長率1.9%(内地1.0%)、これにより朝鮮人の食生活は大幅に改善された。換金植物の代表では綿花生産量が6倍。②鉱工業の未発達状態からの離脱。1910~40年の年平均成長率;鉱業12%、工業9%、1930年代ではそれぞれ20%、10%(内地大企業の進出による。朝鮮人主体の産業は籾摺・脱穀精米業の統合と製糸・紡績業くらい。東南アジアに多い華人の参入は少なかった)。③半島は内地に乏しい鉱物資源の宝庫であり、大河を利用した超巨大水力発電所をはじめ、それに依拠する大規模工場群が出現した。著者はこの驚異的発達の裏には、欧米の植民地統治では見られない、支配側・被支配側「双方の力の結合があった」とするが、具体例は示されない。
4)戦時体制に入ると記述が一変する。4章で(誇らしげに)羅列されるのは内地大企業の凄まじいばかりの朝鮮進出の様相である。特に主要資源が偏在する北朝鮮にはありとあらゆる重化学工業独占企業体が進出して、想像を絶するスピードで工場を建設し操業を始める。時には空襲を避けるために岩盤を掘っての洞窟工場建設までが進められた。その規模は「1944年までに朝鮮は、帝国日本の基礎資材生産で重要な位置を占め、総力戦の遂行に不可欠な領域となった」。しかしこれら危険な作業を担った朝鮮人労働力や動員による人員不足が巻き起こしたはずの一次産業の疲弊などは言及されない。

朝鮮植民地経済史で興味が惹かれるのは日本の朝鮮「経営」の収支決算であるが、終章でその簡単な統計が示される。表6-3に示される1939年時の「朝鮮の対外投資収益支払額の内地(国民)所得」との比率は0.42%(農業を除く「財産所得」に対しても1.16%)と極端に低く、表6-4の「朝鮮統治のための日本政府の財政負担」比率も1935-39年で一般会計歳出総額の0.4%に過ぎない。朝鮮植民化政策は「比較的低コストに」成功したともいえる数値で、にわかには信じがたい。昨今政府統計の虚偽性が問題になり、改めて「戦前戦中の嘘の統計に騙されてあの悲惨な戦争を進めてしまった」という統計学者の悔恨も聞かれる。統計を妄信してはいけないのだ。

さらにこれは著者の言う「平時」であり、4章で述べられた凄まじいばかりの鉱工業投資は含まれない。「総力戦時」はこんなものではなかったろう。朝鮮統治のコストはむしろ戦後になってから高くついたといいたそうだが、土地の強制収容とか朝鮮人の強制労働などはどのようにコスト化されたのだろうか。朝鮮側から観た収支計算はどうなのだろうかということも気になる。

最後に従来の日本統治下朝鮮「研究は通常、この時点で議論を終える。しかし本書は、これに満足しない」と、その後の簡単な見取図を示す。曰く

1)日本資産の多くは北朝鮮側に残された。1945年の北朝鮮の発電量は南朝鮮の6倍、一人当たりでは11倍。食料生産能力も一人当たりの北が南を凌駕していた。
2)主要工業資材の一部はソ連に持ち去られたが、敗戦国ドイツと比較すればそれほどではなかった。
3)北朝鮮支配者の思想も戦時日本の「統制経済思想」を受け継ぐものであり、統治機能は、軍国主義→民主主義に切り替わった南朝鮮の断属性と比較すれば継続していた。
4.圧倒的に成長に有利な条件を備えていたはずの北朝鮮が、あれほどまでに韓国に遅れをとったのは共産主義的圧制のせいである。

そのラフスケッチなるものが、著者が忌み嫌う「主義的」で「結論ありき」の体のものになっているのが残念である。

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負旧太郎

5つ星のうち5.0秀作2018年12月3日
形式: 新書
朝鮮併合は我が国の外交政策における失敗の一つであり今の日韓関係を拗らせている一因。かと言って、韓国人が思っているほど最悪な時期だったのかと言えばそうとも言えない。学校教育の徹底による識字率の向上、衛生状況の改善、社会インフラの整備によるある意味今の朝鮮・韓国の基礎作り期間とも言える。
私は朝鮮人が日本人へ感謝しろとは全く思わないが、日帝時代を再考すべきだと思う。

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革命人士

5つ星のうち4.0戦前は北朝鮮の方が重工業が進んでいた2018年7月12日
形式: 新書
同タイトルで43年前に出され、反日的主張の結論ありきだった「日本統治下の朝鮮 (岩波新書)」へのアンサー的に書かれた本。統計資料から「暗黒の暴政支配」ではない、日本の朝鮮支配像を描いている。朝鮮支配の検証には、どうしてもイデオロギーが入りがちだが、統計をベースで実証的に論じることで、極力客観性を維持している。

植民地支配以前の朝鮮は人口の8割が農業に携わり、全土で生産高は1200万石。これが25年後に2700万石になった。1910~40年の鉱工業成長率は毎年10%程度で、工場の数は27年間で20倍以上になり、農業から鉱工業主体の経済への転換を果たした。日本と違い、籾摺りを農家がしなかったことから、籾摺・精米産業が勃興した。1935年には全土で3万人が従事していた。また、北朝鮮には高品質炭やレアメタルの鉱山が多数あり、水力発電に適した水源も多かった。そのため、電気をバカ食いする肥料製造や金属精錬などが盛んで、北朝鮮の方が工業化は進んでいた。

植民地支配の間、種痘や女子教育も行われた。豊かさの客観的指標とされる平均身長も、支配中に顕著な変化はみられない。少なくとも「収奪による貧困化」は統計からは見えない。なぜ、日本統治の印象は悪いのか。韓国での教育もあるが、戦時中に進んだ統制経済にあるのではないか。軍需企業への経営介入はもちろん、土地も総督府が「地主が怠惰」と判断すれば取り上げられる。朝鮮人にもある程度認められていた経済活動の自由がほとんど失われてしまった。総力戦体制の悪いイメージが残されてしまった感は否めない。

戦時中、北朝鮮の工業都市に兵器や金属精錬、重化学の軍需工場が続々建設された。工場は金属やレアメタル、火薬などの増産を期していたが、多くは完工せず終戦を迎えた。資料が少ないにもかかわらず、丁寧に調べて一つ一つ経緯を表にまとめている。日本が開発した埋蔵資源、残置工場が今の北朝鮮経済の形成に関与した、という指摘も興味深い。

統計が多く、本としての面白みには欠ける。だが、大著になりがちな植民地朝鮮経済の全体像の分析を、新書サイズのコンパクトさで読めるのはいい。

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いぼぢ日記

5つ星のうち5.0キム王朝と大正デモクラシー2018年5月31日
形式: 新書Amazonで購入
アメリカから押し付けられ徳富蘇峰が「あんな瘦犬の骨」と嘆いた朝鮮。コリアンは「最悪の植民地統治」というが、日本人は「持ち出し」だったとの印象をもっている。
戦前の統計は内地でさえ不備な中で、著者は苦労して実証的数値的に検証し(いちおうの)結論としてこう述べる。
---「総合的にみれば、日本は朝鮮を、比較的低コストで巧みに統治したといえよう。巧みに、というのは、治安の維持に成功するとともに経済成長(近代化と言い換えてもよい)を促進したからである。」(202p)---
もちろんあの戦争中には、いろいろなことがあった。中でも
---「戦争末期、日満財政政策研究会は独自の国家改革案を構想し、一部軍人の賛同を得た。それは農業集団化を含み、共産主義とほとんど異ならなかった。反共的国家主義は、過激になるほど共産主義との類似性を増したのである。 帝国崩壊後の北朝鮮では、大きな混乱なしに政治体制の転換が進んだ。その要因のひとつがここにある。体制転換は、統治の理念あるいは精神の根本的変革を必要としなかったのである。」(197p)---
すでに本欄recluse氏ご指摘の如くそこはさらに「精緻な検証」を要する観点であるとしても、興味深い。大正デモクラシーは「大正コミュニズム」だったと看破されたのが小堀桂一郎先生、するとキム王朝は「大正デモクラシーのひ孫」になる(笑)

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ユダネリ

ベスト1000レビュアー
5つ星のうち5.0オススメします2018年5月1日
形式: 新書Amazonで購入
歴史学者ではなく、開発経済研究者であると言う著者が、日
本統治時代の朝鮮について、論点を経済に絞って分析して行
きます。

まず序章では、併合当時の朝鮮の経済状態や自然条件を提示
します。
農業依存社会でありながら、低い農業生産性であるなど、未
発達な社会であったことが印象付けられます。

第1章では、朝鮮総督府の財政を検討することで、日本の統
治政策に迫ります。
総督府の機構と人員、歳入と歳出、朝鮮と台湾と内地の租税
負担率といったものの経年推移を示し、解説して行きます。

第2章では、産業構造の変化を取り上げます。
農業中心であり、農業生産は増加しているにも関わらず、
その比率が低下して行くことが語られます。
鉱工業の発展についての解説は、膨大な史料の開示のような
第4章の、前振りになっているとも言えます。

第3章では、これまで常識のように語られて来た、日本統治
下朝鮮住民の貧困化説に、反証を示して行きます。
身長データから生活水準を探るというのが、実に新鮮でした。

第4章では、戦時体制から総力戦体制における、朝鮮の統制
経済と軍事工業化に迫ります。
膨大な資料を纏めた労作です。
総督府の膨張を歳入と歳出の推移で示し、農業に簡単に触
れた後で、工業統制と軍需工場化の膨大な実例を挙げて行
きます。
鉱物や化学物質別、軍事関連分野別に説明して行きますが、
こぼれた部分は一覧表にて追加説明するという、念の入れよ
うです。
ここに著者の、エビデンス足らんとする強い意思を感じまし
た。

第5章では、帝国日本解体後の北朝鮮・韓国への資産の継承
が語られます。
帝国日本と同様に統制体制である「北」に連続性を見出し、
非統制志向の「南」に非連続の混乱を見出すという、視点の
転換ぶりが鮮やかでした。
対照的な南北の戦後の歩みの解説を含めて、見事な一つの流
れになっています。

終章では、日本の朝鮮統治を総括します。
比較的低コストで治安の維持に成功するとともに、経済成長
を促進したが、総力戦体制による無理が、現在の歴史問題に
直結しているという著者の見解には、全くもって納得した次
第です。

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Nocturne

5つ星のうち4.0経済的観点からの植民地支配の実態2018年8月29日
形式: 新書
統計、経済を通して見た日本の植民地支配の実態。客観性に徹しているのがよい。日本の支配が戦後朝鮮半島に生まれた二つの国の経済にどのように影響を及ぼしているか、という章が終わりの方ににあるが、この通りなのか、と、少し疑問があったので、この分析についてはもう少し記述があってもよかったように思う。この本の性質上当たり前であるのだが、人の感情についての記述はない。それは「収奪」だけだったか ー、という帯の言葉は一面ではその通りであると納得できるのだが、挑戦的で、少し配慮に欠けるような気もした。

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