2019-09-05

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욱일기
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 일본 제국 해군의 해군기 (1889–1945). 비율: 2:3.

 해상자위대의 해군기 (1954–현재). 비율: 2:3.

 일본 제국 육군의 군기(1870–1945)

 자위대와 육상자위대의 기 (1954–현재)

욱일기(일본어: 旭日旗, きょくじつき 교쿠지쓰키[*]),(영어:The Rising Sun Flag )는 빨간색 원 주위에 욱광(旭光)을 그린 깃발이다. 메이지 유신(明治維新) 이후 일본 제국 시대에 사용했었던 일본군의 군기(軍旗)이자 현재의 일본 자위대(自衛隊)의 기(旗)이기도 하다. 대한민국에서는 흔히 욱일승천기(旭日昇天旗)라고도 부르지만 이는 잘못된 명칭이다.[1]


목차
1개요
1.1일본 제국 시대
1.2제2차 세계 대전 종전 이후
2욱일기에 대한 인식
2.1대한민국
3비슷한 기치
4같이 보기
5각주
개요[편집]

욱일기를 내거는 니콜라옙스크 주둔 일본 제국 해군 육전대
일본 제국 시대[편집]

1870년(메이지 3년) 16줄 욱일기가 일본 제국 육군기로 사용되었으며[2] 이와 유사한 기가 1889년 일본 제국 해군 군함기로도 사용되면서 모든 일본군에서 욱일기를 사용하게 되었다. 이어서 일본 제국 해군의 각종 장군기(將軍旗)도 8줄 욱일기를 응용하여 사용하였다.
제2차 세계 대전 종전 이후[편집]

1945년 8월 15일 일본의 무조건 항복으로 제2차 세계 대전이 종료되자 일본제국도 패망했다. 그러나 일본국 헌법에 따라 자위(自衛) 목적으로 창설된 해상자위대가 1952년부터 약간 변형된 16줄 욱일기를 다시 군기로 사용하였고, 육상자위대 또한 변형한 8줄 욱일기를 군기로 사용하였다.
욱일기에 대한 인식[편집]

아사히 신문사 깃발

욱일기는 일본제국주의의 상징으로써 침략, 수탈의 주체인 일본 군부를 상징했기 때문에, 대한민국조선민주주의인민공화국중화민국중화인민공화국을 비롯한 러시아와 미국, 동남아시아 등의 일본제국주의 및 태평양 전쟁 피해 국가에서 일본제국주의의 상징으로서 매우 부정적으로 인식하고 있다.[3][4][5][6] 단순히 후광이나 햇살을 표현한 디자인 또는 대게 그림 등 욱일기와 관련이 있지만 유사한 디자인 등에 대해 반감이 표출되는 경우도 있는데, 이는 일본에 대한 민족주의적 콤플렉스로 평가되기도 한다.[7]

반대로 유럽과 미국에서는 욱일기에 대한 적대감과 증오감이 덜한 편으로 이들 국가의 국민들 사이에서는 욱일기에 대해서 증오하기보다는 일본의 전통적 무늬라거나 햇살이 비춰지는 무늬라는 등의 인식이 많은 편이다. 과거 영국과 프랑스 등의 지배를 받은 아프리카 국가들도 욱일기에 대해서 모르는 경우가 많으며 같은 아시아라도 인도나 중동 및 서아시아 등의 아랍권 국가들조차도 욱일기에 대해서는 모르는 인식이 많다. 인도를 비롯한 서아시아 국가들은 역사적으로 한국, 중국의 동아시아나 동남아시아와는 다르게 일본 제국군의 직접적인 침략이나 가해를 당한 적이 없기 때문이다. 일본 제국군이 침략을 하였던 지역은 대한민국, 중화인민공화국, 대만과 동남아시아 및 미얀마까지이며 인도나 중동 등의 서아시아까지는 침략하지 않았다.

한편 일본의 우익단체가 극우 시위에서 하켄크로이츠와 함께 욱일기를 내세우기도 한다.[8]

일본에서는 욱일 문양은 간혹 스포츠 경기나 캔맥주 등의 같은 상품 라벨[9], 일본의 좌파 신문사 아사히 신문의 회사기, 어부들이 다는 타이료키(大漁旗) 등 문제의식 없이 사용되는 경우가 많다. 이로 인해 일각에서는 욱일기를 민간영역에서 사용하므로 문제가 없다고 주장한다. 하지만 욱일기는 군기(軍旗)로 최초로 사용되었으며 이후 민간에서도 사용된 경우이다.

중국 난징시에서는 욱일기 사용이 법적으로 금지되었다.[10]
대한민국[편집]

대한민국에서는 헌법상으로도 북한의 인공기와는 달리 욱일기에 대해서는 별도의 금지법이나 제한령을 두지는 않고있으나 사회정서상으로는 과거 일제 침략의 상징이라는 점 때문에 반감이 큰 편이다. 특히 일부에서 욱일기에 대한 사용행적 등이 알려지면 미디어에서 대서특필을 하는 영향으로 구설수에 오르거나 논란의 대상에 오르기도 한다. 유명인사로 소녀시대 출신의 가수 티파니가 욱일기 사용 논란으로 구설수에 오르기도 하였다.[11]

버거킹이 출시한 붉은대게버거도 햄버거 자체나 미각상으로는 문제가 없지만 붉은대게로 된 포장 디자인이 마치 욱일기를 연상한다는 이유로 논란이 되었다. 버거킹측은 대게 디자인은 대게의 모양을 본딴 것으로 욱일기와는 전혀 관련이 없다고 해명하였다.[12]

한국 유니클로에서도 어린이 모델이 욱일기를 연상하는 무늬의 비행기를 가졌던 문제로 인해서 맘카페 등으로부터 불매운동 대상이 되기도 하였다.[13]



旭日旗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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中立的な観点に基づく疑問が提出されています。(2018年7月)

独自研究が含まれているおそれがあります。(2018年7月)

日本・韓国その他の東アジア中心に書かれており、世界的観点からの説明がされていないおそれがあります。(2018年7月)



一般的な十六条の旭日旗の意匠

旭日旗の小旗を持つ迪宮裕仁親王(幼少期の昭和天皇)、1902年(明治35年)

旭日旗(きょくじつき)は、太陽および太陽光(旭光)を意匠化した。光線(光条)が22.5で開く16条のもの(十六条旭日旗)がよく知られている。


目次
1概要
2日本軍の軍旗・軍艦旗としての旭日旗
2.1国旗としての日章旗
2.2軍旗・軍艦旗としての旭日旗
2.3陸軍臨時航空隊の国籍標識
2.4アメリカ合衆国における描写など
2.4.1戦時のプロパガンダ映画における描写
2.4.2戦後のポップカルチャーにおける描写
3浮世絵・錦絵
3.1戦前
4自衛隊旗・自衛艦旗としての旭日旗
5民間・商業・スポーツなどにおける利用
5.1サッカー
6ギャラリー
6.1旧陸軍
6.2陸自
6.3旧海軍
6.4海自
6.5一般利用
7韓国からの反応
7.1韓国の「旭日旗」認定対象の拡大・反対運動
7.2韓国の反発に反論する反応
7.3韓国の反発に親和的な反応
8旭日旗に類似する意匠
8.1アメリカ合衆国
8.1.1アメリカ軍による使用
8.2中華人民共和国
8.3北マケドニア共和国
8.4ウクライナ
8.5ベラルーシ
8.6ベネズエラ
8.7カレン民族解放軍
8.8チベット亡命政府
8.9ソビエト連邦
8.10統一教会
9脚注
9.1注釈
9.2出典
10参考文献
11関連項目
12外部リンク
概要

『福神江の嶋もうて』(芳幾、1869年)。恵比寿大黒が千両箱を背負った馬をつれて江の島を訪れる。周りには小判、江の島後景からは旭日が昇る「目出度さ」を表す構図。

八つ日足紋

1894年日清戦争における牙山の戦いの戦勝凱旋の祝典を描いた錦絵『日本帝国陸軍牙山全勝凱旋之図』(楊斎延一画)。中央上部に「旭日旗」たる「軍旗」を配し、「戦勝」という慶事であるため、古くからハレの日の飲料であった日本酒が振舞われ、酒樽には「万国一」の祝い文句とともに「旭日」が描かれている。また、将校を除く兵士達は白の軍服に、束ねた赤の毛布をかけ「紅白」とすることで作者はハレを強調している[注 1]

「旭日」の意匠自体は比較的古くから広く親しまれており、一部は「日足(ひあし)」と呼称され武家の家紋として用されていた(「日足紋」)[1][2]。特に九州地方の武家に好んで使用され、例として、肥前龍造寺氏筑後草野氏の「十二日足紋」、肥後菊池氏の「八つ日足紋」等がある。九州地方に多いのは肥前・肥後が「日(ヒ)の国」と呼称されていたことと関係があるという説がある[3][注 2]。旭日には古来からいくつもの種類があり、光線が四方八方に雲なく広がる意匠はハレを表現し、慶事などの際にめでたさ・景気の良さを強調するために用いられていた意匠でもあった[4][5]。また、紅白の組み合わせも同じく日本において古くよりハレを意味し、縁起物として多用されていたものであった。その旭日と紅白を意匠とし、日章旗#国旗としての日章旗)を基に白地に太陽光を表す赤系の光線(旭光)を用いたものが「旭日旗」であり、1870年に大日本帝国陸軍の旗章たる「陸軍御国旗(軍旗)」として考案・採用、法令上初めて制定されたものが旭日旗の起源である(#軍旗・軍艦旗としての旭日旗)。遅れて1889年には、大日本帝国海軍においても軍艦旗として旭日旗を採用。第一次世界大戦時には陸軍の戦闘機国籍標識に旭日の意匠が一時的に採用された。第二次世界大戦後においては、1954年の自衛隊の発足に伴い陸上自衛隊において「自衛隊旗」、海上自衛隊において「自衛艦旗」として旭日旗が採用されている。

この陸軍御国旗として考案された旭日旗は光線が16条(十六条旭日旗)であるが、いわゆる旭日旗全体では他にも4条・8条・12条・24条など光線の本数が多彩に渡るものが存在しており、これらも統一して旭日旗と称される。

軍旗に関わらず、明治時代以前から旭日の意匠が表現する「ハレ」・めでたさ・景気の良さにあやかり、民間においても祭、祝事、復興など祈願や企業・商品のロゴ、大漁旗、スポーツの応援に使用されている[6][7][8][9][10][11]

1870年から各藩の軍隊を統合した日本軍の表彰として用いられるようになり、1889年大日本帝国海軍軍艦旗としても採用された。現在は、陸上自衛隊で自衛隊旗、海上自衛隊で自衛艦旗として使用されている。このような沿革から、戦前・戦中(日本軍)から戦後(自衛隊)までを通じた、日本の軍事のみを象徴すると見なして使用を禁止させようという主張が韓国、又は中国にある[12][13][14][15]

また、日本では、旭日旗と同様・類似の意匠は、戦前からを含め、現在に至るまで、商工業、商品デザイン、広告、スポーツ応援、その他の軍と無関係な民間・民生の分野においても広く普及しており、また、政府機関・公的機関においても、勲章や警察章などでも使用されている。
日章」、「旭日章」、「旭日章 (警察章)」、および「旭日大綬章」も参照



1922年(大正11年)、来日したイギリス王太子エドワード8世(のち国王)とその随行員が参加した祝賀会とその余興。会場の背景には旭日旗が掲げられていた



同左



同左



同左



日本軍の軍旗・軍艦旗としての旭日旗
国旗としての日章旗
詳細は「日本の国旗」を参照

江戸時代1854年(安政元年)に日本船の船印として幕府に採用された「日章(日の丸)」の幟は、1859年(安政6年)に「日章」の旗(「日章旗」)になり、また事実上の日本の国旗(御国総標)となった。

開国以降、この日章旗は維新政府のもと1870年2月27日(明治3年1月27日)の「明治3年太政官布告第57号」で「御国旗(御國旗)」(=商船旗軍艦旗)とされ、改めて日本の国旗として扱われるようになった。もともと「白地に赤丸(日章)」の意匠は平安時代末期から使用され、また縁起物として江戸時代当時には広く普及していたものであり、日章旗の意匠自体はこれに由来する。
軍旗・軍艦旗としての旭日旗

1894年(明治27年)、日清戦争における平壌の戦いを描いた浮世絵、『平壌攻撃我軍敵塁ヲ抜ク』(水野年方画)に描かれた帝国陸軍の軍旗

1870年4月17日、明治天皇が東京駒場野において薩摩藩長州藩など各藩兵の調練を視察することとなったが、日本の軍隊を表象し兵士の意気を顕揚するためとして陸軍初の聯隊旗が用いられた。この際に用いられたのが16条の光線を描いた旭日旗である[16]曾我祐準中将の回想によれば、日光の端が尖っている形で提出したところ、「金平糖の看板のようだ」と良い反応が得られなかったため、日光部を拡大して提示したところ好反応が得られたという[16]。この旗は当日のみの使用であったが、6月13日(明治3年5月15日)の「明治3年太政官布告第355号」で「陸軍御国旗(陸軍御國旗)」として同じ意匠の旗が採用された。この陸軍御国旗は、日章位置が日章旗と同じく中央に位置し、さらに皇室の紋章である菊花紋章と同じ16条の光線(十六条旭日旗、紅白を合わせれば十六八重表菊と同じ三二条)を放つ図案であり、兵部省陸軍省の前身)において考案された。これは日章旗を幕府陸軍が軍旗として採用したため、それと敵対した新政府軍の系譜たる陸軍に新たな象徴たる軍旗(=旭日旗)が必要とされたことによる。

新生日本の各統合陸軍のシンボルであるこの陸軍御国旗は、近代陸軍編制の基幹部隊である連隊に対し授与されるもので、廃藩置県が終わり本格的に陸軍が発足したのちの1874年(明治7年)1月23日、大元帥である天皇明治天皇)から近衛師団隷下の近衛歩兵第1連隊近衛歩兵第2連隊に親授されている。なお、この軍旗授与式において明治天皇は「近衛歩兵第一連隊編制成ルヲ告ク 仍テ今軍旗一旒ヲ授ク 汝軍人等協力同心シテ益々武威ヲ発揚シ以テ国家ヲ保護セヨ」の勅語を軍旗と共に連隊に賜っており、当時から「陸軍御国旗」を指して「軍旗」と称す事は極めて一般的であった。

1944年(昭和19年)当時の歩兵連隊軍旗と連隊旗手

1879年(明治12年)12月2日、「明治12年太政官布告第130号」によって、従来の陸軍御国旗は旭日の意匠と竿頭の菊花紋章はそのままに、縦横の寸法を1m以下にし四方に房を付けたものにされ、正式名称を一般呼称であった「軍旗」と変え改めて制定し直された。この軍旗は歩兵連隊および騎兵連隊に授与されたことから、俗称として「連隊旗(聯隊旗)」とも呼称されている。

その陸軍に遅れること19年後の1889年(明治22年)、「明治22年勅令第111号」で従来の日章旗から変更されるかたちで、海軍は陸軍の軍旗の意匠(旭日旗)を流用し、日章位置が旗竿側に寄る旭日旗を「軍艦旗」として制定している。
日本陸軍のものは、軍旗#大日本帝国陸軍を参照。
日本海軍のものは、軍艦旗#日本の軍艦旗・自衛艦旗大日本帝国海軍の旗章を参照。

明治時代後半においては「平和鎮静ヲ国是トシ然カモ武勇ニシテ外辱ヲ受ケス一旦緩急アルニ当テハ武勇ヲ以テ国威ヲ世界ノ上ニ輝カセ」と解釈されており、1930年代には、海軍省は軍艦旗について、「其の光線は御稜威を四海に輝かせといふ意義を有するものと考へられる」と説明している[16]
陸軍臨時航空隊の国籍標識

第一次世界大戦時に編成された日本軍初の実戦航空部隊(飛行部隊)たる、帝国陸軍の臨時航空隊飛行中隊の装備機(モーリス・ファルマン MF.7ニューポール NG)の垂直尾翼には、「日本の機体」という国籍を明示するための「国籍標識」相当として「16条の旭日」が描かれており、これらは青島の戦いに投入されドイツ帝国陸海軍と交戦している[17]。後に日本軍航空部隊の国籍標識は「日章のラウンデル(日の丸)」となり、自衛隊航空部隊にもこれは継承され主翼や機体側面に描かれているが、最初期はこの様に「旭日」模様が用いられていた。

アメリカ合衆国における描写など

ウィキペディアはオンライン百科事典ですが、独自の考えを発表する場ではありません改善ノートページでの議論にご協力ください。(2018年7月)

戦時のプロパガンダ映画における描写

ウォルト・ディズニー・プロダクション(現:ウォルト・ディズニー・カンパニー)は、第二次大戦の時期に複数、ドナルドダックを主人公とする戦争プロパガンダ映画を制作しているが、その内、ドナルドダック・シリーズに含まれる『総統の顔』、『ドナルドの襲撃部隊』の2作品、および、財務省からの依頼で制作されたためにシリーズに含まれない『新しい精神』、『43年の精神』の2作品では、敵国として日本軍を象徴する旗として旭日旗が登場し、同様にドイツ軍を象徴する旗としてハーケンクロイツが登場するのと対置して描写されている[注 3]
戦後のポップカルチャーにおける描写

アメリカが旭日旗に反感も持っていないことは、さまざまな事例から確認ができる。在日米空軍三沢基地佐世保の米海軍基地など米国の国軍では公式のエンブレムに旭日旗が描かれており、1986年の米国映画トップガンには主人公の同僚パイロットが旭日旗の描かれたヘルメットを着用して登場している[18]。1980年ごろには米国で旭日旗のデザインは定着し、1984年の米国映画ベスト・キッドでは主人公が旭日旗柄の鉢巻き(Rising Sun Headband)を締めており、1985年にビルボード誌アルバム・チャートの74位を記録したラウドネスのアルバム「THUNDER IN THE EAST」のジャケットは旭日旗をモチーフにしている。



浮世絵・錦絵
戦前

1877年(明治10年)3月、西南戦争における田原坂の戦いを描いた錦絵浮世絵)、『鹿児島新報田原坂激戦之図』(鮮斎永濯画)に描かれる「陸軍御国旗」(軍旗)たる旭日旗

1877年(明治10年)9月、西南戦争における城山の戦いを描いた錦絵、『鹿児島城山戦争之図』に描かれる「陸軍御国旗」(軍旗)たる旭日旗

「帝国陸軍の軍旗・旭日旗」は、上掲・後述の戦争画(浮世絵)や軍歌敵は幾万』(歌詞第2番冒頭「風に閃く連隊旗 記紋は昇る朝日子よ」)などで散見されるように、明治時代初期当時から既に有名な存在であった(例として、1877年(明治10年)2月15日開戦の西南戦争を題材とし、同年3月ないし4月の早々に描画・出版された一連の戦争画(錦絵・浮世絵)の内、『田原坂激戦之図』小林永濯、『九州植木口激戦図』『鹿児島征討記肥後国二重嶺戦争之図』早川松山、『鹿児島征討記之内 高瀬口河通之戦争』『鹿児島記聞之内 副将村田討死之図』大蘇芳年、『鹿児島戦記』楊洲周延、『鹿児島紀聞 吉次越激戦篠原討死之像』『城山攻撃戦図』山崎年信[19]他多数においては、官軍(帝国陸軍)の象徴として「陸軍御国旗(軍旗)」が描かれている)。

昭和2年に描かれた錦絵「帝都丸之内東京駅の偉観」では、東京駅の正面に日章旗と旭日旗が並んで掲げられている様子が描かれている[20]

自衛隊旗・自衛艦旗としての旭日旗

自衛隊旗自衛艦旗の制定(1954年6月)。中央左は初代防衛庁長官の木村篤太郎。足元には「防衛庁」「防衛大学校」の看板。

『箱館大戦争之図』(永島孟斎画)に描かれた、官軍(新政府軍)によって使用される「八条旭日旗」

第二次世界大戦敗戦に伴い、日本の陸海軍は解体され軍旗としての旭日旗の歴史が一旦途切れるも、1954年(昭和29年)に発足した陸上自衛隊では旧陸軍時代の軍旗を元に考案された八条旭日旗の「自衛隊旗(連隊旗)」が、同じく同年発足の海上自衛隊では旧海軍時代の軍艦旗と同じ意匠の「自衛艦旗」が採用され、旭日旗の使用が復活した。この自衛隊旗と自衛艦旗の選定にあたり、保安庁の両幕僚監部は専門家に意見を伺うなどをしている[21]

しかし専門家の間でも旧海軍旗を押す声は強かった。東京芸術大学は「旧海軍の軍艦旗は最上のものであった」と意見し、歴史画家の米内穂豊は「静動ともに毅然たる美しさがあり、かつ色彩的には、青い海にも白い雲にも実にぴったりする。実に素晴らしいもので、これ以上の図案は考えようがありません」と意見を述べている[21]。選定の庁議では艦旗が旧軍艦旗と同一であったことに懸念の声もあったが、保安庁次長増原惠吉は「(両旗は)旭光を中心とした点で保安庁としての思想は一致している」としてそのままでの決定となった[22]吉田茂首相は承認の際に「世界中で、この旗を知らない国はない。どこの海に在っても日本の艦であることが一目瞭然で誠に結構だ。旧海軍の良い伝統を受け継いで、海国日本の護りをしっかりやってもらいたい」としている[21]
陸上自衛隊のものは、軍旗#陸上自衛隊自衛隊の旗#陸上自衛隊の旗を参照。
海上自衛隊のものは、軍艦旗#日本の軍艦旗・自衛艦旗自衛隊の旗#海上自衛隊の旗を参照。

なお、陸上自衛隊が自衛隊旗として採用している八条旭日旗の意匠自体も十六条旭日旗と同時代の古くより存在しており、例として1880年(明治13年)に永島孟斎により描かれた箱館戦争を描いた浮世絵、『箱館大戦争之図』や『時明治元戊辰ノ夏旧幕ノ勇臣等東台ノ戦争破レ奥州ヘ脱走ナシ夫ヨリ函館ヘ押渡再松前城ニ於テ合戦ノ図』[23]では、官軍(新政府軍)が自衛隊旗の意匠とほぼ同じ八条旭日旗を掲げ、旧幕府軍と戦闘を行っている場面が描画されている。

民間・商業・スポーツなどにおける利用
軍旗#軍旗の意匠」も参照

旭日の意匠は、「僥倖」(ぎょうこう)を意味し、ハレの祝辞に掲げられていたことにもちなみ、「軍旗・軍艦旗」の枠を超えて民間においても広く普及し、現代においても祝賀のイベントや「天晴れ」の象徴としても多く利用されており、漁師大漁旗としても好んで使われ、また、「めでたい(時に脳天気という意味も含めて)」ことや「景気が良い」ことを表す漫画的表現などにも組み込まれることが多いデザインであり、或いは、以下のように民間において企業ブランドや商品デザインの一部などにも用いられている。
朝日新聞社社旗等のブランドに使われている。1879年朝日新聞は、旭日の意匠を用いたデザイン(水平線上に半体をあらわして光を放つ赤い旭日の中に『朝』の字を白抜きにした図柄)を考案し、これを事件現場で取材する際の目印として大阪府庁に提出した。旭日章に似た目印である。この目印が書かれた提灯を持って火事の現場へ出入りしたという。1889年、この目印を左右二つに分ける形で二種類の社旗を作った。一般的な旭日旗の一部分を成すようなデザインとなっている[注 4]。又、この目印から、白抜きの朝の字を取り旭光の数を減らしたものが社章となっている[24]。これら社旗・社章のデザインは新聞販売所の看板等に見られる[4][5]。さらに、社旗のデザインは同社所有の飛行機・ヘリにも使われている[25]。1937年より使用した神風号・朝風号では、機体の両側面と両翼の端に旭日の社旗のデザインが取り入れられている[26]。1952年より使用した朝風号(二代目)・若風号[27][28]から近年の「はやて」「あすか」(2002年より使用中)[29][30][31]に至るまで同様に旭日の社旗を配置したデザインを踏襲している[27]ただし、両翼部分については、戦前の二機は白抜きの朝の字が無く、戦後のものは白抜きの朝の字が入っている。また、戦後のものは左翼側の旭日意匠が翼の上に配置されている。朝日新聞社が主催する全国高校野球選手権大会においては、開幕試合の始球式は朝日新聞社のヘリコプターからボールを旭日の大阪本社社旗と供に投下する[29][32]。地方大会の始球式でも同様に投下が行われる[25]。なお、朝日新聞社ソウル支局においては、社旗を掲示していないと夕刊フジの取材に回答している[33]
アサヒビールの名前由来の一つとして、「日出づる国に生まれたビールへの誇りと、昇る朝日(旭日昇天)のごとき将来性、発展性を願ったもの」と言われる[34]。1958年に発売された日本発の缶ビールであるアサヒゴールドには旭日の意匠をつかったデザインを使用。レイモンド・ローウィによるデザインである。復刻版として2009年に発売された[35]。同じく2011年発売の復刻版である初号アサヒビール復刻版にも旭日の意匠が使われている。1892年当時の中井芳滝によるデザインをそのまま使用した。これらのデザインは1世紀に渡り「アサヒブランド」の象徴となっている[36]
アサヒシューズの履物ブランドのロゴに使われている。同社とブリヂストンの前身である「志まや」は1914年、「志まや足袋」から「アサヒ足袋」へと商品ブランドを変更する際に、「波にアサヒ」という旭日の意匠を使ったマークを採用した。当時の経営者石橋正二郎の祖父の代から続く古風な「志まや」から「アサヒ」へと商品イメージを一新する狙いがあった。大正から昭和にかけゴム靴の生産を始め、「アサヒ靴」というブランドにおいても同様の旭日のマークが使われており同社の代表的商標となった[37][38]
あけぼののブランドマークとして缶詰[6]や冷凍食品[7]などの商品に使われている。
1911年、イギリスに遊学していた園田武彦ハンドレページと共同で作った「園田式飛行機」には、尾翼に旭日が描かれていた。同飛行機のエンジンは園田が日本に持ち帰り、民間航空の発展に繋がった[39]
日本オーシャンレーシングクラブ(NORC、後に日本外洋帆走協会、現日本セーリング連盟)は、1954年1月の発足にあたり旧軍艦旗デザインの旭日旗をヨット国籍旗(エンサイン)として採用した。発足時のNORC副会長であるイギリス人の手によりロイズのヨット年鑑に公示登録がなされた。しかし、NORC国籍旗は同年7月の自衛隊発足後に自衛艦旗との「重複」が判明する。海自側から求められて旗のデザインは防衛庁に譲渡されることとなった[40][41][42]。NORCは新たに青地の左上(カントン)に八条旭日旗(旧大将旗)を配置した旗をエンサインとした[43][44]
室山まゆみ原作のアニメ「あさりちゃん」ではオープニング冒頭のタイトルバックにおいて、藍色の空と黄色の暁光によって、地平線から昇る旭日が表現されている。



旭日デザインの大漁旗



明治・大正期の輸出用日本茶(緑茶)の木箱ラベル (Fujiyama Tea Co.)。このようなラベルは蘭字と呼ばれた。



旭日の意匠がデザインされたアサヒビール(復刻版)



朝日新聞社社旗



第92回夏の甲子園始球式。朝日新聞社ヘリから、ボールが旭日の大阪本社社旗と供に投下。(2010年8月7日)



1928年アムステルダムオリンピック 人見絹枝選手
サッカー

キリンチャレンジカップ2008、ボスニア・ヘルツェゴビナ戦で旭日旗を振って応援するサッカー日本代表サポーター。(2008年1月30日、国立競技場にて)

前述の様に勝利の祈願の旗として、サッカー日本代表戦でサポーターが応援旗として振ることがある[45]。日本代表のサポーターの中には、赤色をチームカラーの青色に変更した旭日旗を応援旗にする者もいる。また浦和レッズサンフレッチェ広島セレッソ大阪FC東京大分トリニータ北海道コンサドーレ札幌等の他のチームのサポーターも赤色をチームカラーに変更したり、ガンバ大阪名古屋グランパス川崎フロンターレの様に横断幕の一種として掲げたり、コレオグラフィーとして表現するチームもある[46][47]。これは、国際サッカー連盟 (FIFA) が、そのスタジアム安全警備規定第60条第2項[48]で「試合主催者は、地元の警察当局と連携しながら、スタジアムやその近辺で、サポーターが挑発や攻撃的行為を行わないようにしなければならない。例えば、選手や審判、相手チームのサポーターが許容できないレベルの挑発や攻撃的なヤジや差別行為、さらには攻撃的、挑発的な内容を含んだ横断幕や旗などもこれに含まれる」と定めていることを根拠としている[注 5]

また、日本サッカー協会 (JFA) も「試合運営管理規定」に「第4条(禁止行為)施設に入場しようとし、または入場した者は、運営・安全責任者が特に必要と認めた場合を除き、いかなる施設においても次の各号に掲げる行為をしてはならない」として同様の規定を有し、その中で「政治・思想・宗教・軍事・差別的な主義、主張、観念を表示、若しくは連想させるような掲示板、立て看板、横断幕、懸垂幕、のぼり、旗、プラカード、ゼッケン、文書、図面、印刷物等を持ち込み、又は設置、掲揚、着用、散布、貼付すること。」を禁止しており[49]、この内、「軍事(的な主義、主張、観念を表示、若しくは連想させるような)」という部分は、2010年2月から改訂・追記された規定である[50]2008年、在中国の日本大使館は、2008年北京オリンピックにおいて中国を訪れる日本人に対し、「旭日旗を振るとトラブルを起こす可能性がある」「政治・民族・宗教的な旗の掲揚禁止」として、旭日旗を掲げることを避けるように呼び掛け[51]、また、川崎フロンターレは、2010年4月28日に中国・北京で開催されたアウェイ試合、AFCチャンピオンズリーグ2010北京国安 vs 川崎フロンターレ北京工人体育場)に際し、公式サイト内の観戦ガイドにおいて、「持ち込み禁止物」の中に、公安からの指示として「政治的に敏感な内容、ホームサポーター及び中国人を刺激すると判断される内容を記したものは禁止」「旭日旗、日の丸も禁止」と明記している[52]

アジアサッカー連盟 (AFC) は、2017年4月25日に開催されたAFCチャンピオンズリーグ2017水原三星ブルーウィングス vs 川崎フロンターレ水原ワールドカップ競技場)において、川崎サポーターが旭日旗を掲げた行為を「他国を差別・挑発する行為」に該当すると判断してクラブ(川崎フロンターレ)を処分した[53]のに対し、川崎は、このAFCによる「政治的、差別的」との判断に対し、当初のみならず判断が確定した後も公式サイトなどで不満・反論を示しつつも、処分が覆る可能性が低いとの見通しを明らかにした上でスポーツ仲裁裁判所(CAS)への提訴を断念し[54]、それに伴い、以降のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)における試合に際しては、ホームかアウェイかを問わず、また相手チームがオーストラリアのクラブ(メルボルン)であるケース[55]や日本国内のクラブ(浦和)であるケース[56][57]も含め、「対戦相手や会場に関わらず、同様の混乱が予想される可能性のあるバナー類(旭日旗等)の掲出については自粛を」と公式サイトで観戦者に呼び掛けている[58][59][60][61]



ギャラリー

元帥たる陸海軍大将が佩用した1891年(明治24年)制定の元帥徽章。日本軍(陸海軍)の象徴として、軍旗(右)と軍艦旗(左)、また中央上部に菊花紋章桐花紋章の意匠を配す
旧陸軍



軍旗(陸軍御国旗・連隊旗)。縦横比 約1:1.36



歩兵連隊軍旗。縦横比 約1:1.36



騎兵連隊軍旗。縦横比 1:1



歩兵第321連隊の軍旗(現存する実物)



満州事変にて軍旗を掲げ進軍する歩兵連隊
陸自



自衛隊旗。縦横比約1:1.19



手前より第10特科連隊第35普通科連隊第33普通科連隊第14普通科連隊第49普通科連隊の自衛隊旗



普通科教導連隊の自衛隊旗



自衛隊旗



陸上自衛隊宇都宮駐屯地記念行事。自衛隊旗。



第46普通科連隊の自衛隊旗。同連隊長とともに
旧海軍



軍艦旗。縦横比 2:3



海軍の大将旗



海軍の中将旗



海軍の少将旗



海軍の代将旗



海軍の司令旗



海軍の先任旗 (代将旗の紅白を反転)



空母翔鶴」の軍艦旗
海自



自衛艦旗



護衛艦こんごう」の自衛艦旗



海上自衛隊・自衛艦旗



SM-3を発射した、きりしま (護衛艦)



ひゅうが (護衛艦)
一般利用



大阪の100の名所を描いた『浪花百景』の一つ『三大橋』(国員、1854~1860年)。浪華三大橋の後ろから朝日が昇る構図。



『福神魚入船』(作者不明、19世紀江戸時代)。漁から戻ってきた船から、恵比寿は鯛を、大黒は蛸を引き揚げる。後景には旭日が描かれる。



『末広東京名所』より『江戸橋駅逓局』(国利、1882年)。旭日の扇子(末広)が描かれている。



『善悪児手柏』より『清盛入道』(安達吟光、1885年)



日清戦争・威海衛の戦いの戦勝を祝賀する慶應義塾によるカンテラ行列[62]を描いた絵。旭日旗および旭日を描いた看板を、日章旗や日章を描いた提灯等とともに掲げている



『各国旗尽十六むさし』(国利、1897年)。盤外右下部に見える日章旗と旭日旗を交差させたデザイン。右の表紙にも。



『山形電話開始紀念』葉書(山形郵便局、1907年)。明治40年11月26日に山形で電話交換サービスが開始された。



コクヨの最初期の商標。1917年に商標を「国誉」とし、その文字に朝日と桜をあしらったデザインとなった。



結核予防のハガキ『恐るべきは結核 努むべきは予防』(結核予防宣伝各団体、1925年)



第1回函館港まつりのポスター(Tomoh, 東京築地ジーチーサン商会、1935年)。開港時に通商条約を結んだ外国国旗と日章旗・旭日旗をあしらった提灯が描かれている。



日清戦争落合芳幾(1895年)



入営者(徴集召集で軍隊に入隊する者)を祝う場において、民家の軒先に掲げられた旭日旗と日章旗、1939年(昭和14年)



入営旗(軍隊に入隊する者を祝う旗)に描かれた旭日旗と日章旗



出征旗(出征する者を祝う旗。画像は軍犬)に描かれた旭日旗と日章旗



和歌山県串本町のトルコ記念館(1974年建設)の看板。救命ブイの中に旭日旗とトルコ国旗が描かれたマーク。近くにある慰霊碑にも同じマークがある。



野球場に掲出された、アサヒ靴の広告。左に旭日をあしらったロゴマーク。



朝日新聞(大阪本社)の社旗



宿泊客の見送り(礼文島)、2010年(平成22年)



大漁旗(洲本市)、2011年(平成23年)



日章旗と旭日旗を林立させてデモ行進する在日特権を許さない市民の会のデモ隊、外国人参政権反対デモにて、2010年1月



大日本麦酒時代のアサヒビールポスター上部。ビンのラベルに旭日のロゴ(2013年、東大阪市の居酒屋にて)。



日本生シルクパックステッカー(フランス語と日本語、1880年)
韓国からの反応
卑日」も参照

金大中大統領時代の1998年と盧武鉉大統領時代の2008年の韓国開催の国際観艦式に自衛隊が旭日旗デザインの自衛艦旗軍艦旗)で参加した際には韓国政府やマスコミ、国内世論は特段反応はしていない。自衛隊はどちらの時もそのまま韓国に寄港して、予定を終えた後に日本に帰還している[63][64][65]

2011年以前は国内の芸能人などが赤い丸から赤い放射線デザインを含む旭日旗を想起させる衣装などを着用した際に、それらを問題視する一部の韓国や中国のネチズンのインターネット上の賛否の反応を俯瞰的に紹介する韓国や中国語メディアによる記事が見られた。2001年に、中国メディアは一部の中国ネチズンからの衣装が旭日旗に似ているとのインターネット上での批判を「物議が起きた」として、俯瞰的に報道をした。その際に、衣装を提供した中国のファッション編集部は「何も言うことはない。それだけだ。」と返答したと報じた。[66][67][68][69]。韓国国立図書館で「戦犯旗(=韓国内で旭日旗を指す)」に関する論文はなく、韓国メディアにおける扱いも2012年以降とされる[70]

しかし、2011年1月25日、サッカーアジア杯準決勝の日韓戦で日本人に対する侮蔑を意図したとされる「猿の真似」パフォーマンスを行った韓国代表の奇誠庸が、日本人への人種差別にあたるという批判に対し、「観客席にあった旭日旗[注 6]への報復のために行った」と主張したことを契機に「旭日旗そのものに問題があり、国際社会から追放するべき」とする主張が大きく伝えられるようになった。[72][73][74][74]産経新聞によると、自社と朝日新聞の記事データベースを調査した際にこの事件以前で旭日旗を問題視する韓国人の記事は出てこなかったとし、韓国・中国の反日は日本国内の左派・メディアの日本政府批判と共に展開されてきた経緯があるが、アンチ旭日旗キャンペーンは開始が2011年で歴史が浅いと分析した[70]
奇誠庸#猿真似パフォーマンス騒動」も参照

2011年以降には韓国国内や国外などで、旭日旗や旭日旗の意匠を使った物品・影像等の撤去・除去を求める韓国人団体が出現した。彼らの主張を受けた側の反応は様々であり「謝罪した」「撤去(除去)した」とメディアが伝えるケースもある[75][76][77][78][79]。IOC、ニューヨーク近代美術館はこれら韓国側の主張を退けている[80][81]。また、韓国メディアが主張が通ったと伝えるものの実際にはデザインが使われ続けるケースもある[82][83]

2012年8月10日の韓国大統領李明博による竹島(韓国名:独島)上陸の直後に開催されたロンドンオリンピックサッカー3位決定戦において、朴鍾佑が「独島はわれわれの領土」と書かれたプラカードを競技場で高く掲げるという行為を行い、日本側は抗議し、国際オリンピック委員会(IOC)も政治的表現を問題視したが、その一方で韓国では内村航平などが着用していた放射状のユニホームが標的となり[84]、「IOCが日本の旭日旗ユニフォームは黙認して、''独島セレモニー"の韓国サッカー選手について制裁を議論するは差別」と慰安婦がIOCに抗議文を送る騒ぎになった[85][86][87][88]。9月3日には、朝鮮日報が旭日旗について『「軍国主義の亡霊」旭日旗、日本では一般的』という記事の中で「朝日新聞の社旗にも旭日旗の模様があしらわれている」「アサヒビールが1892年発売のビールを再現した限定商品には旭日旗が描かれていた」「(コシノヒロコ氏はロンドン五輪女子体操代表のユニホームで)日の丸を配置して太陽が躍動する力強い美しさを表現した(と述べた)」などと紹介した[89]

ロンドンオリンピックの直後に韓国は国際オリンピック委員会(IOC)に旭日旗に問題があると訴え、説明をしたが、IOC関係者は、そのような問題意識は初めて聞く内容であったとし[90]、またIOCのジャック・ロゲ委員長も朴鍾佑選手の竹島プラカード問題は政治的表現禁止規定違反だが、日本の旭日デザインは違反とはならないという判断を示した[80]。また、韓国は第二次大戦中に日本の植民地となった国々にも協調を呼びかけたが、理解は得られず(中国は韓国の問題意識は理解しつつも、国家間で決めることであり、スポーツの場で訴える内容のものではないと述べている)、韓国の新聞社は旭日旗を見ると韓国人は怒りがこみ上げるが、国際社会では何も問題とされておらず、「もう一つの国旗」程度と認識されていることを伝え、「政治家が外交的に先に解決すべき問題」と主張している[90]

2013年、総合格闘家のジョルジュ・サンピエールニック・ディアスとの試合において旭日旗が描かれた道着を着用した[91]。これに対して韓国人格闘家のジョン・チャンソンは自身のフェイスブックに「旭日旗はアジア人にとってハーケンクロイツと同様の戦争犯罪の象徴であり、日本軍はナチスのように「軍国主義」の名の下にこの旗を掲げ残虐行為をした[91]。日本政府の謝罪は十分ではなく、今も被害に苦しんでいる人がいる。」と抗議した。その抗議に対しサンピエールと道着をデザインしたHayabusaは「意図したものではなく、傷ついた人たちに謝りたい」と謝罪した[91]

2013年7月28日の東アジア杯の日韓戦で韓国サポーターが安重根などの巨大な幕を掲げたが、これをJFAの抗議により前半終了後に韓国サッカー協会が強制撤去したことについて、韓国の安敏碩国会議員が同協会に謝罪を要求。その際に、安議員は「日本のサポーターが日本軍国主義を象徴する『旭日昇天旗』を持って入場した。国際サッカー連盟に訴えるべきだ」と要求した[92]。また韓国外務省も、東アジアカップサッカー日韓戦後の2013年8月1日の定例会見で「(旭日旗が)韓国国民と、過去に日本帝国主義の被害を受けた人々にどのような意味を持つものか日本はよく分かっているのではないか」と表明した(抗議が始まったのは2011年[72][93]

2013年9月、韓国の公共の場で旭日旗を掲げた場合、1年以下の懲役または300万ウォン(約28万円)以下の罰金を科す刑法改正案を韓国の国会議員が提出した[94]。これを受け菅義偉官房長官は「旭日旗が軍国主義の象徴という指摘は当たらない。大きな誤解がある」と批判。韓国政府に適切に対応するよう申し入れると述べた[94][95]。法案に関わる議員関係者によれば、2014年春に成立する可能性があると2013年に報じられて以降、法案成立の報道は無い[96]

なお韓国国内でも、1998年、2008年時点でもほとんどの国民が無関心だったのに一貫性がないとの意見はあり[97]、2016年にも韓国海軍は「韓国が他国に行った時、艦艇の前方に海軍旗、後方に太極旗をつけるように、日本も海軍旗として使用する旭日旗と日本旗をつける」と説明した [98][99]

2018年10月10日-14日から韓国の海軍基地で開催された国際観艦式に14ヶ国21隻の軍艦と45ヶ国の代表団が参加する予定であることに国民誓願にて約1600人の韓国人が反対した。韓国海軍側は自衛隊は韓国で過去に開催された1998年と2008年の国際観艦式に海上自衛隊旗(旭日旗)を掲げて参加してきたことを指摘し、「日本の自衛隊が軍艦旗として旭日旗を使用していることから 韓国側で使用しないように強制的にすることはできない。」との立場を表明している[63][100]。しかし韓国海軍は各国海軍に対し、軍艦旗の掲揚を行わず、所属国の国旗と韓国国旗のみを掲げるよう要請した[65]。これは自衛隊艦旗を念頭においた措置であり、最終的日本はこの要請を拒絶し、観艦式に参加しなかった[65][101][63][100]

中国もTHAAD問題などで艦艇の派遣を取り消し14カ国19隻の参加が予定されたが、マレーシアの不参加通知とフィリピン艦艇の12日のみの参加により、10カ国15隻となった[102]。韓国は艦艇上に自国国旗と韓国国旗のみを掲げる異例の要請をしていたが、軍艦旗と国旗が同じアメリカを除き、オーストラリア、タイ、シンガポール、カナダなどは国連海洋法条約上の国際常識に従い、軍艦旗で参加した。日本を意識した要請であり、韓国側は軍艦旗で参加した国に抗議表明はしなかった[103]

韓国国内でも韓国がここ数年で突然大きく騒ぐようになった事実から、「その時は大丈夫で、今回はダメだという客観的理由を果たして説明することができるだろうか。」と、この論争で韓国が得る実益はあるのかと感情より事実に基づくべきとの声が僅かにある[104]。週刊新潮で韓国人の日本への態度を卑日と呼び、『日本を卑しめたい』との衝動からだとしている[105]。韓国メディアも韓国が今までの観艦式で受け入れていた旭日旗に2018年10月の済州観艦式で反発するようになったために観艦式を海上自衛隊が欠席した以降も中国政府は旭日旗をつけた海上自衛隊を観艦式に招待して寄港をさせていることについて、実際の国益を強調する中国としている[106][107]。中国政府の旭日旗への対応報道を受けて、韓国国内で中国対応批判の一方で、「旭日旗で騒ぐ国は世界で韓国だけ」「旭日旗はもともと、国際的に認められた日本海上自衛隊の旗」と指摘する声もある[107]。韓国の外交筋は中国政府の旭日旗対応について、THAAD配備以後に報復を行った中国が日本艦艇の旭日旗を韓国艦艇の横に置くことで、「韓国に恥をかかせるのつもり」との分析をしている[107][106]
韓国の「旭日旗」認定対象の拡大・反対運動

2008年時点では多くの韓国人は旭日旗そのものに無関心だったが[64]、2011年以降の奇誠庸の発言と報道から、韓国人または韓国系団体は赤色以外でも丸いモノから放射状に線が複数伸びているデザインなどを見ると世界中で撤去や販売中止を求める活動をするように抗議対象が拡大している[108]。韓国国内ではカニエビバーガーの包装紙[109]や日の丸弁当[110]、黄色の丸から青い放射状の線が出ているTシャツ[111]、白い放射状の線のデザインされた青いユニフォーム[108]、赤いバラを持った女性と花の部分から赤い放射線状の線が出ているTシャツ[108]など批判対象は拡大している[108]。2012年には2009年に設計されて造られた京畿道高陽市花井駅の駅前広場の噴水を中心に放射状に線が広がる模様が入っているデザインが、上空から見るとそうだと猛批判されるようになった。デザイン者は「高陽市は井戸があった場所なので、生命の源泉としての井戸、そして歩行の中心となる中心線を強調したデザインにした」と旭日旗と広場のデザインは関係ないと反論した。共同設計者も「 花井広場のデザインは、花と水が一緒になる姿を表現している」「設計には多くのスタッフと協力メーカー、4度の住民公聴会などが開かれたが、誰も問題視しなかった。冷静にみてほしい」と過熱する批判に反論した[112]

2014年にアメリカのペンシルベニア大学に留学していた韓国人が芸術文化研究ホール(ARCH)の食堂のステンドグラスが旭日旗[113]をモチーフしていると認定し、韓国系学生会と共に学校に対して撤去しろと抗議活動したことが校内新聞で明らかになると、非韓国系の在校生から非難の声が上がった。韓国系のロビー団体まで連れてきたが270余年の歴史を持つ伝統校の建物だったため、学校側に却下された[114]。2017年にはズワイガニが載ったデザインや絵が旭日旗に見えるとして韓国では頻繁に叩かれるようになっている。ズワイガニの入ったハンバーガーの包み紙や過去にも韓国人漫画家の漫画のキャラクターの背後のズワイガニが叩かれたことなどから中央日報はズワイガニは外見のために不要な誤解を受けるようにされた「失敗したデザイン生物」という汚名を得たと報道した [115]。産経新聞は中央日報を引用する形で、民族主義に傾倒する常軌を逸した反日・過度な反日は韓国のイメージを低下させるだけとの声が存在していることを紹介している[116]

2015年7月、オンライン海戦ゲームWorld of Warshipsを提供するWargaming.netは、旭日旗を巡る議論が炎上したことにより「旭日旗及びその他歴史的な表記物に関するガイドライン」を定め、旭日旗を全世界のサーバーから排除することで問題解決を図った。イタリアやロシア、イギリスの艦船などは国旗ではなく正規の海軍旗が掲揚されるが、日本艦船には旭日旗の代わりに国旗が使用される[117][118][119][120]。このガイドラインが発表されてから、旭日旗の復活を求めて署名サイトで12000人以上の同意が集まったが[121][122]、2019年現在旭日旗は禁止されたままである。

2018年12月、アメリカの女優のエバ・ガードナーの壁画に放射状の背景があり、韓国系市民団体による抗議でいったん撤去方針が決まったが、アーティストなどから表現の自由に抵触するという批判が殺到し、一時中止となった[123]。暗殺事件の跡地に建てられた学校であるためにケネディ一家も壁画除去計画に反対を表明し、ロサンゼルス統一学区と学校側に「父と伯父(ケネディ元大統領)は検閲を嫌悪した」「父と伯父は政治的アジェンダのために芸術作品を破壊した人々を最悪の悪党だと考える」「非理性的で非難されて当然という部分があまりに多く、ばかげた欠点を列挙する論文がかけるほど」との文書を提出して反対を訴えた。 さらに壁画家のシェパード・フェアリーは当該の壁画を消去するなら自身が校内に描いたロバート・ケネディ議員の肖像画も消去させると反対を表明した[124][125]

2019年7月には韓国マクドナルドのハッピーセットのパラシュートのオモチャが上から見ると旭日旗だとして、ソウル新聞は子供らの幼い心まで見境無く襲う日本の卑劣な戦略だと報道した[126]
韓国の反発に反論する反応

産経新聞では韓国の旭日旗に対する姿勢を批判し、第二次大戦中に日本の敵国であった米国でさえ、旭日旗に対してなんの抗議もしていないし、それどころか友軍の旗として自然に敬意を表してくれている、と主張している[127][注 7]産経新聞出版社長の皆川豪志は、自身が編集長を務めるオピニオンサイト「iRONNA」(産経デジタル)でまとめた記事の中で、韓国人が創刊時から旭日旗である朝日新聞社の社旗・社章(上述参照)を何ら問題にした事がない、と主張している[129][注 8]

1980年代に時事通信ソウル特派員を務めた評論家の室谷克実は大韓民国では旭日旗は近年まで批判の対象とされていなかった[72]と述べ[73]、また、近現代史研究家の水間政憲によれば、かつては「朝鮮独立を認めさせた“象徴旗”として称えられていた」と主張している[131]

SBIサーチナ如月隼人記者は、旭日旗をナチスドイツにおけるハーケンクロイツ旗と同じであるとする韓国内の一部の主張に対し、旭日旗の起源は「太陽信仰」であり「めでたさ」や「勢いのよさ」を表すのに対し、ハーケンクロイツ旗は成立の当初から「アーリア民族の優位性」をシンボル化したもの(「赤は社会理念」、「白は国家主義理念」、「ハーケンクロイツは、アーリア人種の勝利のために戦う使命」を表す)であって、両者の持つ背景は異なる、また、ドイツでは、第二次世界大戦中に使われていた軍旗「黒十字」の意匠が戦後もドイツ連邦軍国籍標識に使用されており、軍旗が政治性をともなうとは限らない。さらに、もし韓国が「(日本が過去において)周辺国を侵略する際に使った国家的なシンボルは、すべて使うべきではない」と主張するならば、英国国旗やフランス軍旗など欧州列強が伝統的に用いてきた旗に対してすべて異議を唱えなければならず、さらには32万5900人の兵力をベトナムに送り込んだ韓国は、ベトナムが韓国軍旗に対して「わが国侵略のシンボルだった。使用は好ましくない」と主張した場合に自らの主義主張に基づき韓国の国旗や軍旗を排除するのか、と主張している[132]

2019年8月19日、米国のモデルで歌手のシャーロット・ケンプ・ミュールが旭日旗デザインのTシャツを着た写真をインスタグラムにアップすると韓国人ネットユーザーから「ナチスと同じ意味だ」などと批判のコメントが数多く付いた。しかしミュールは「旭日昇天旗は明治時代に日本軍が初めて使用したもので、日本植民地時代より前から存在しているためナチスの精神的理念とは本質的に異なる」「私は複数の協会から発行された関連研究を知っているため偏ったものではない」とした上で「米国、英国、フランスも国旗が存在している間に植民地支配をしたのだから、それらの国旗も禁止しなければならないの?非常に退屈で虚しい論争」と反論。さらにジョン・レノンの息子でミュールの恋人でもあるショーン・レノンも「すべての人間は、それぞれが象徴的なものを使用することに自由でなければならない」と韓国人ネットユーザーに反論をした[133][134]

フリーライターの崔碩栄は、朝日新聞社の社旗やヒラリー・クリントンの大統領選挙のポスターが問題視されない点について、旭日旗デザインは「形」が問題ではなく、それを使った「主体」が問題であり、韓国の左派と繋がっているか、友好的な関係にある人、団体は攻撃されていないと主張している[135]
韓国の反発に親和的な反応

フリーライターで、レイシストをしばき隊メンバーだった清義明[136]、スポーツの分野、特にサッカーにおいてはFIFAやAFCが中国や韓国など東アジア地域のクラブ・チームや代表チームと日本のチームとの対戦における旭日旗の掲出を「他国を差別・挑発する行為」と見なしているケースがあること(前述)を受け、ACL2017水原vs川崎戦を受けたAFCによる処分[137]2018 FIFAワールドカップ・グループH 日本vsセネガル戦で掲げられた旭日旗に韓国メディアが反応したことに触れ[15]、「(太平洋戦争で日本が掲げた目標である)大東亜共栄圏が日本人の選民思想だととられても仕方ないことを日本はしてきた」と述べ、旭日旗が東アジア諸国に対して「差別的な存在」であるとして、韓国のチームとの対戦に限定せず、あらゆる国際試合で旭日旗を掲げるべきでない、と主張している[138]
旭日旗に類似する意匠

国際的にも、太陽の光線が出ている類似した意匠は国旗・軍旗として頻繁に使用されている[139]。中華人民共和国やソ連を中心に東側諸国においても、マルクス・レーニン主義や社会主義的農村主義のシンボルとしてポスターなどに良く使われた。
アメリカ合衆国



アリゾナ州の州旗

1917年に州旗として制定[139]
アメリカ軍による使用



佐世保基地の紋章



第94戦闘攻撃飛行隊 (アメリカ海軍)英語版)の紋章



在日米陸軍航空大隊の紋章



第192戦闘攻撃飛行隊 (アメリカ海軍)英語版)の紋章



三沢基地の壁画



第14戦闘飛行隊 (アメリカ空軍)英語版)のヘルメットに用いられた意匠
中華人民共和国

毛沢東を中心とした旭日模様のプロパガンダポスターが多数製作されて、国中に掲載・宣伝された。これは毛沢東が旭日模様をとても気に入ってたからとの指摘がある。中華人民共和国では旭日模様のデザインが中国共産党の下で積極的に好んで利用されてきた歴史があるため、一部の中国ネチズンは騒いでも中国政府が旭日旗をほとんど言及しない理由となっている[140]。中国の観艦式でも日本の艦艇が旭日旗を掲げたが、問題なく参加し中国政府も歓待した。韓国日報は日本に対して、実益を追求して対応する中国は韓国と対照的だったと報道している[141]
北マケドニア共和国

北マケドニア共和国の国旗は旭日旗に似た意匠となっている。もともと、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国から独立した当初はヴェルギナの星と呼ばれる意匠を国旗に使っていたが、この意匠を自領のマケドニア地域の旗に使っていたギリシャとの間の論争に発展し、1995年(平成7年)に現在の国旗に変更した[139]



北マケドニア共和国の現国旗(1995~)。



マケドニア共和国の旧国旗(1991-1995)。



ギリシャ領マケドニアの旗。
ウクライナ

ドネツィク州の州旗が旭日旗に類似した日の出の意匠である。



ドネツィク州の州旗



ベラルーシ



空軍の軍旗は旭日模様である[142]
ベネズエラ



ベネズエラ・ララ州の州旗

1901年に制定され[139]た。
カレン民族解放軍

ミャンマービルマ)に1949年に成立したカレン民族解放軍は、軍旗に旭日旗に類似した意匠を用いている。



カレン民族解放軍(KNLA) の旗



カレン民族同盟 (KNU) の旗
チベット亡命政府
詳細は「チベットの旗」を参照

チベットの政府であるガンデンポタン1912年(明治45年/大正元年)に国旗として制定したチベット国旗は、旭日の意匠を持っている。これは、意匠の考案に日本人研究者で僧侶であった青木文教が関与していたこともあり、間接的に「帝国陸軍の軍旗たる旭日旗」の影響を受けたとされている(「日本の軍旗の半分を冩し取つた樣な旭日を置き」「此新軍旗は時々風に飜る調子で日本の軍旗の様に見えるので、更に改定する筈であつた」[143])。1949年の中華人民共和国のチベット侵攻の後に中国はガンデンポタンをチベットの地方政府として位置づけ、ガンデンポタンはこの旗をチベットの旗として使い続けた。さらに1959年、ダライ・ラマ14世に率いられたガンデンポタンはチベットを脱出し、インドにおいてチベット亡命政府として再編された。チベット亡命政府は現在にいたるまで、この旗を自国の国旗として使用している。



チベット国旗
ソビエト連邦

ソビエト連邦時代の1917年12月20日に創設されたソ連空軍の軍旗、ソビエト連邦構成共和国時代の1921年設立したグルジア共和国の国旗など、旧東側諸国共産主義国家)でも旭日に相当ないし擬似する意匠は使用されていた。



ソ連空軍の軍旗



ロシア空軍の軍旗。ソ連空軍時代の軍旗をベースに意匠を変更



グルジア共和国の国旗。ソ連邦からの独立後は全く別の意匠の国旗に変更(グルジアの国旗
統一教会

大韓民国の新宗教団体の世界平和統一家庭連合(旧:統一教会)は、1954年の設立以来団体のマークに旭日を取り入れていた。マークの意味は中央の円を、「神様、真理、生命、光の4つの要素を象徴」としている。そこから12方向への放射状の線を「人間12タイプを表す」「全天宙に神の真理と生命と光が到達する様子」としている。中間にある四角形を「事物の展開と調和の原則である四位基台を象徴」とし、外側の円を「地上界と霊界の原理である授受作用による調和を象徴」としている。1997年4月10日に、世界平和統一家庭連合への改称と共に別のマークに変更されている[144][145]



最初の統一教会の紋章(1954年-1997年4月10日)
脚注
注釈

^ 中央上部の軍旗は描画にあたってややデフォルメされている。
^ 現代においては単なる文様としても用いられており、例としてゆりかもめ日の出駅の駅文様に採用されている。
^ 『総統の顔』や『ドナルドの襲撃部隊』と同時期に前後して制作された、同じくドナルドダックを主人公とする戦争プロパガンダ映画で、かつ、同じくドナルドダック・シリーズに含まれる、『ドナルドの入隊』、『ドナルドの透明人間』、『ドナルドのパイロット』、『ドナルドの軍隊行進』、『ドナルドの新兵さん』は、日本を含む世界で販売されているのに対し、先述の4作品は、日本においては、(『ドナルドの襲撃部隊』のみ過去に販売されていたことがあるが、その後に絶版になったため、)販売されていない。
^ 朝日新聞社の社旗は二十四条旭日旗を4等分した意匠で、まず上半分で日の出(朝日)を表し、さらに左半分(大阪本社)と右半分(東京本社)の2種類の社旗がある。日章部分に「朝」の文字が入るのは共通。
^ アジアサッカー連盟(AFC)を含むFIFA傘下の各大陸連盟も、同様の規定を有している。
^ 実際に観客席に旭日旗が掲げられていたというソースは発見されていない[71]
^ 但し、その意味では、そもそも韓国軍も韓国政府も、軍や政府として公式に旭日旗に対して抗議・批判・非難をしたことがないのであり、2016年に日本の自衛艦が韓国の鎮海済州島一帯で行われた「西太平洋潜水艦脱出および救助訓練」に参加するために旭日旗を掲げて鎮海港に入港した際にも、それに対して特に韓国軍や韓国政府が抵抗した形跡もないまま無事に入港できており、事後的に韓国系と見られる世論が賛否両論を示したのみである[128]から、米軍や米国政府の態度を引き合いに出すのは、韓国軍や韓国政府の態度と同じであると言える一方で、第二次大戦に従軍した米軍の退役軍人の間では、旭日旗を日本の軍国主義の象徴であると見做す見方も存在する[12][13][14]ので、その意味では、軍や政府による公式な見解・態度と、退役軍人を含む民間の人々の受け止めとの間には、米国内でも韓国内でも、一定の乖離があると言える。[独自研究?]
^ 朝日新聞記者の武田肇はTwitterで、朝日新聞の社旗は旭日の意匠を用いたデザインであるものの、旭日旗とは意匠や歴史はまったく異なり、朝日新聞社が軍旗をまねたという説は事実でないと述べている[130]



Rising Sun Flag
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 The Japanese naval ensign, which is flown by ships of the Japan Maritime Self-Defense Force(established in 1954). It uses a 2:3 ratio.

 The flag of the Japan Self-Defense Forces and the Japan Ground Self-Defense Force (established in 1954)

The Rising Sun Flag (旭日 Kyokujitsu-ki) was originally used by feudal warlords in Japan during the Edo period (1603–1868 CE).[1] On May 15, 1870, as a policy of the Meiji government, it was adopted as the war flag of the Imperial Japanese Army, and on October 7, 1889, it was adopted as the naval ensign of the Imperial Japanese Navy.[2]It is still used in Japan as a symbol of tradition and good fortune, and is incorporated into commercial products and advertisements. The flag is currently flown by the Japan Maritime Self-Defense Forceand a modified version is flown by the Japan Self-Defense Forces and the Japan Ground Self-Defense Force.


Contents
1History and design
2Present day use
3Contentiousness
4Examples of the Rising Sun design in use
4.1Art
4.2Products
4.3Sports
4.4Japan Self-Defense Forces
4.5United States military
5See also
6References
7External links
History and design

 War flag of the Imperial Japanese Army (1870–1945)

 Naval ensign, flown by ships of the Imperial Japanese Navy (1889–1945). Flag ratio: 2:3.

The flag of Japan and the rising sun had symbolic meaning since the early 7th century in the Asuka period (538–710 CE). The Japanese archipelagois east of the Asian mainland, and is thus where the sun "rises". In 607 CE, an official correspondence that began with "from the Emperor of the rising sun" was sent to Chinese Emperor Yang of Sui.[3] Japan is often referred to as "the land of the rising sun".[4] In the 12th-century work, The Tale of the Heike, it was written that different samurai carried drawings of the sun on their fans.[5]

A well-known variant of the flag of Japan sun disc design is the sun disc with 16 red rays in a Siemens star formation. The Rising Sun Flag (旭日Kyokujitsu-ki) has been used as a traditional national symbol of Japan since the Edo period(1603 CE).[1] It is featured in antique artwork such as ukiyo-e prints through history. Such as the "Lucky Gods' visit to Enoshima", ukiyo-e print by Utagawa Yoshiiku in 1869 and "One Hundred Views of Osaka, Three Great Bridges", ukiyo-e print by Utagawa Kunikazu in 1854. The Fujiyama Tea Co. used it as a wooden box label of Japanese tea (green tea) for export in the Meiji period / Taisho period (1880s).[6]

The Japanese word for Japan is 日本, which is pronounced Nihon or Nippon and literally means "the origin of the sun". The character nichi (日) means "sun" or "day"; hon (本)means "base" or "origin".[7] The compound therefore means "origin of the sun" and is the source of the popular Western epithet "Land of the Rising Sun".[8] The red disc symbolizes the sun and the red lines are light rays shining from the rising sun.

It was historically used by the daimyō (大名) and Japan's military, particularly the Imperial Japanese Army and the Imperial Japanese Navy. The ensign, known in Japanese as the Jyūrokujō-Kyokujitsu-ki (十六条旭日旗), was first adopted as the war flag on May 15, 1870, and was used until the end of World War II in 1945. It was re-adopted on June 30, 1954, and is now used by the Japan Maritime Self-Defense Force (JMSDF). The Japan Self-Defense Forces (JSDF) and Japan Ground Self-Defense Force (JGSDF) use a variation of the Rising Sun Flag with red, white and gold colors.[9]

The Rising Sun Flag has been used as a traditional national symbol of Japansince at least the Edo period (1603 CE).[1] It has been used in many ukiyo-e prints through history. For example the "Lucky Gods' visit to Enoshima", ukiyo-e print by Utagawa Yoshiiku in 1869 and "One Hundred Views of Osaka, Three Great Bridges", ukiyo-e print by Utagawa Kunikazu in 1854. The Fujiyama Tea Co. used it as a wooden box label of Japanese tea (green tea) for export in the Meiji period / Taisho period (1880s).[6]

The design is similar to the flag of Japan, which has a red circle in the center signifying the sun. The difference compared to the flag of Japan is that the Rising Sun Flag has extra sun rays (16 for the ensign) exemplifying the name of Japan as "The Land of the Rising Sun". The Imperial Japanese Army first adopted the Rising Sun Flag in 1870.[10] The Imperial Japanese Armyand the Imperial Japanese Navy both had a version of the flag; the naval ensign was off-set, with the red sun closer to the lanyard side, while the army's version (which was part of the regimental colors) was centered. The flag was used until Japan's surrender in World War II during August 1945. After the establishment of the Japan Self-Defense Forces in 1954, the flag was re-adopted and approved by the GHQ/SCAP. The flag with 16 rays is today the ensign of the Maritime Self-Defense Forcewhile the Ground Self-Defense Force uses an 8-ray version.[11]
Present day use

Commercially the Rising Sun Flag is used on many products, designs, clothing, posters, beer cans (Asahi Breweries), newspapers (Asahi Shimbun), bands, mangacomics (e.g., Fantastic Four/Iron Man: Big in Japan, June 2006), animemoviesvideo games (e.g., E. Honda's stage of Street Fighter II), etc.[12] The Rising Sun Flag appears on commercial product labels, such as on the cans of one variety of Asahi Breweries lager beer.[12] The design is also incorporated into the logo of the Japanese newspaper Asahi Shimbun. Among fishermen, the tairyō-ki (大漁旗, "Good Catch Flag") represents their hope for a good catch of fish. Today it is used as a decorative flag on vessels as well as for festivalsand events. The Rising Sun Flag is used at sporting events by the supporters of Japanese teams and individual athletes as well as by non-Japanese.[13]

The Rising Sun Flag is the war flag and naval ensign of the Japan Maritime Self-Defense Force (JMSDF) since June 30, 1954. JSDF Chief of Staff Katsutoshi Kawano said the Rising Sun Flag is the Maritime Self-Defense Force sailors' "pride".[14] The Japan Self-Defense Forces (JSDF) and the Japan Ground Self-Defense Force use the Rising Sun Flag with eight red rays extending outward, called Hachijō-Kyokujitsuki (八条旭日旗). A gold border lies partially around the edge.[9]

The flag is also used by non-Japanese, for example, in the emblems of some U.S. military units based in Japan, and by the American blues rock band Hot Tuna, on the cover of its album Live in Japan. It is used as an emblem of the United States Fleet Activities Sasebo, as a patch of the Strike Fighter Squadron 94, a mural at Misawa Air Base, the former insignia of Strike Fighter Squadron 192 and Joint Helmet Mounted Cueing System with patches of the 14th Fighter Squadron. Some extreme right-wing groupsdisplay it at political protests.[15]
Contentiousness

Due to the flag being used by the Imperial Japanese military and Japan's actions during World War II, it is offensive in East Asia, particularly in South Korea,[16][17][18] which was formerly ruled under Japan, and China.[19][20] Some World War II veteran groups in the United States have also campaigned against its use.[21] The symbol is associated with Japanese imperialism in the early 20th century[16][17][18][19][22][23][24] because of its use by Japan's military forces during that period.

South Korea hosted a navy fleet review at Jeju Island on October 10 to 14, 2018. South Korea requested all participating countries to display only their national flags and the South Korean flag on their vessels. Japan balked at the demand, with the then-Defense Minister Itsunori Onodera, since replaced, claiming the display of the Rising Sun Flag should be mandatory under Japanese law. South Korean Foreign Minister Kang Kyung-wha urged Japan to be more considerate about Japan's former rule of the Korean Peninsula and stated that her ministry will review "possible and appropriate options" before deciding to take stronger international actions when asked whether South Korea could raise the issue with the United Nations.[25]Japan announced on October 5, 2018, that it will be withdrawing from the fleet review because it could not accept Seoul's request to remove the Rising Sun Flag. Defense Minister notified the South Korean government of its decision. Both nations reiterated the need for continued defense cooperation.[26] When the Japanese Maritime Self-Defense Force (JMSDF) was established in 1954, it adopted the Rising Sun Flag (Kyokujitsu-ki) as its ensign to show the nationality of its ships. It was approved by GHQ/SCAP. On 28 September 2018 an official of Japan's Ministry of Defense said that the South Korean navy's request lacks common sense and that they would not partake in a fleet review, since no country would follow such a request.[27] On October 6, 2018, JSDF Chief of Staff Katsutoshi Kawano said the Rising Sun Flag is the Maritime Self-Defense Force sailors' "pride" and that the JMSDF would absolutely not go if they had to remove the flag.[14][28]

South Korea did not object to Japan's adoption of the Rising Sun Flag for the Japan Maritime Self-Defense Force in 1952, nor to the entry into South Korean ports Japanese warships flying the flag on a warship at the 1998 and 2008 navy fleet review held in South Korea.[29] Negative South Korean campaigning against the Rising Sun Flag began in 2011 when a South Korean footballer Ki Sung-yueng was accused of making a racist gesture, which he defended claiming he was annoyed at having seen a Rising Sun Flag in the stadium.[30] In 2012, South Koreans who disapproved of the flag began to refer to it as a "war crime flag".[31][32] An analysis indicates that South Korean reactions to the Rising Sun Flag stem from a complicated mixture of emotional, excessive nationalism, and a nationalistic complex towards Japan.[33]

The Sankei Shimbun criticized South Korea's attitude toward the Rising Sun Flag, since even the South Korean ally the United States, who was Japan's opponent during World War II, has not protested formally against the Rising Sun Flag.[34][35] The president of Sankei Shimbun Minagawa Hoshi said the corporate logo flag of the Rising Sun Flag design of the Asahi Shimbun, which is praised for being conscientious in South Korea,[36]never had any such issues.[37]

In response to some allegations in South Korea that the Rising Sun Flag is the same as the Nazi flag of Germany, the reporter Kisaragi Hayato of Searchina explained the origin of the Rising Sun Flag is the Sun and thus different. Furthermore, if South Korea insists that national symbols that Japan used to invade neighboring countries (in the past) should not be used at all, then South Korea should also send objections to the use of for example the British flag and the tricolor French flag (Drapeau français), because these were traditionally used by the European countries during European colonialism, the first wave of European colonization (1415 to 1830 CE) and New Imperialism (late 19th and early 20th centuries).[38][39]

A South Korean newspaper, the Maeil Business Newspaper, accused South Koreans of being hypocritical in finding the Rising Sun Flag offensive, but not the flags of China and North Korea, whose regimes were opponents of South Korea in the Korean War, where they killed hundreds of thousands of South Koreans.[40]
Examples of the Rising Sun design in use
Art



Lucky Gods' visit to Enoshimaukiyo-e print by Utagawa Yoshiiku, 1869



One Hundred Views of Osaka, Three Great Bridges, ukiyo-e print by Utagawa Kunikazu, 1854. The composition of the morning sun rising behind the Nanhwa Three Bridge.



From "Good and evil child's hand", " Kiyomori entrance" (Adachi Ginbo, 1885)



"Fugitoshi Fish Entering" (author unknown, 19th-century Edo period)



The postcard of anti Tuberculosis groups in Japan (27 June 1925)



Suehiro Tokyo sights - the Edobashi office of Communications and Transportation (1882)
Products



Tairyō-ki is a traditional Japanese fisherman's flag. Today it is used as a decorative flag on vessels and for festivals and events.



Flag of the Asahi Shimbun Company since 1889



Asahi Gold Beer



Asahi Beer poster. The Asahi logo is on the bottle label (in 2013, at a pub in Higashiosaka city).



Wooden box label (Fujiyama Tea Co.) of Japanese tea (green tea) for export in the Meiji / Taisho period. Such a label was called orchid.



"Yamagata phone launch anniversary" postcard (Yamagata post office, 1907). Telephone exchange service began in Yamagata on November 26, 1868.



Japan raw silk pack sticker (in French and Japanese) (1880)
Sports



Japanese footballing fans wave a Rising Sun Flag during a Japan vs. Bosnia and Herzegovina match in January 2008.



Japanese athlete Kinue Hitomi at the 1928 Summer Olympics
Japan Self-Defense Forces



Japan Self-Defense Forces flag



Viewing march by JGSDF regiment vehicle troops with the flag of the Japan Self-Defense Forces



Ground Self-Defense Force Utsunomiya gemstone site commemorative event with the Self-Defense Forces flag



Japan Maritime Self-Defense Force members of the crew of JDS Kongō



An SM-3 (Block 1A) missile is launched from the Japan Maritime Self-Defense Force destroyer JS Kirishima.



JS Hyūga



Self-Defense Forces flag of the JGSDF 46th Infantry Regiment
United States military



Emblem of United States Fleet Activities Sasebo



Patch of Strike Fighter Squadron 94



Emblem of U.S. Army Aviation Battalion Japan



The mural painted on a wall at Misawa Air Base, Japan



Former insignia of Strike Fighter Squadron 192



Joint Helmet Mounted Cueing System with patches of the 14th Fighter Squadron
See also

Japan portal
Flag of Japan
List of Japanese flags
List of Japanese municipal flags
National symbols of Japan
Imperial Seal of Japan
Tairyō-bata
References

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^ "[특파원 칼럼] 대일외교, '감정'보다 '사실' 앞세워야" [Foreign diplomacy, Put forward "fact" rather than "emotion"]. Korea Economic Daily. October 12, 2018.
^ "「旭日旗」問題の契機はサッカー・アジア杯 奥薗静岡県立大准教授" [Rising Sun Flag controversy began at an Asian Cup Football match - Associate Professor of the University of Shizuoka Okuzono]. Sankei Shimbun. October 5, 2018. Archived from the original on October 6, 2018.
^ "[Why] 욱일기 때문에 불참통보한 일본군함, 우린 왜 지금 더 분노하나" [[Why] The Japanese warship conveyed an absence. Why are we angry now?]. The Chosun Ilbo. October 6, 2018. Archived from the original on October 6, 2018.
^ "[팩트체크] 욱일기는 전범기? '전범기'는 없다" [[Fact check] Rising Sun Flag is war crime flag? There is no "war crime flag"]. News True or Fake. October 6, 2018. In the picture above, the word "war crime flag" was first used in Korea in August 2012.
^ "햄버거 포장도 '욱일기 딱지'…도 넘는 반일정서" [Hamburger wrap "Rising sun flag" ... excessive anti-Japan sentiment]. Korea Economic Daily. June 6, 2017. 툭하면 터지는 욱일기 논란은 과도한 민족주의와 민족주의적 콤플렉스라는 복잡한 정서가 출발점이다 ... 늘 그렇듯 욱일기 논란도 일본에 대해 갖고 있는 일종의 콤플렉스 기제의 작동
^ 韓国の反日から旭日旗の名誉を守れ (第三段 国際社会は受け入れ) 産経新聞 2013年8月3日
^ "日本の艦艇、旭日旗を掲げて韓国に入港し物議=韓国ネット「...|". レコードチャイナ. Retrieved 2018-07-17.
^ "日우파기자가 밝힌 우파들의 본심" [Real intention of the rightist revealed by a Japanese rightist reporter]. The Chosun Ilbo.
^ 皆川豪志. "なぜ韓国人は、朝日の社旗に怒らないのか,繰り返されるマッチポンプ". iRONNA. 産経デジタル. Retrieved 2018-05-18.
^ 韓国世論「旭日旗とナチス党旗を同一視」の大いなる誤解 サーチナ 2013年4月16日
^ Compare: Louis, William Roger (2006). "32: Robinson and Gallagher and Their Critics". Ends of British Imperialism: The Scramble for Empire, Suez, and Decolonization. London: I.B.Tauris. p. 910. ISBN 9781845113476. Retrieved 2017-08-10. [...] the concept of the 'new imperialism' espoused by such diverse writers as John A. Hobson, V. I. Lenin, Leonard Woolf, Parker T, Moon, Robert L. Schuyler, and William L. Langer. Those students of imperialism, whatever their purpose in writing, all saw a fundamental difference between the imperialist impulses of the mid- and late-Victorian eras. Langer perhaps best summarized the importance of making the distinction of late-nineteenth-century imperialism when he wrote in 1935: '[...] this period will stand out as the crucial epoch during which the nations of the western world extended their political, economic and cultural influence over Africa and over large parts of Asia ... in the larger sense the story is more than the story of rivalry between European imperialisms; it is the story of European aggression and advance in the non-European parts of the world.'
^ "[기고] '욱일기=전범기' 논란의 그늘" [[Contribution] The shadows of controversy,]. Maeil Business Newspaper. October 9, 2018. Retrieved 9 October 2018.

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