2021-01-09

中村哲医師、〈いのち〉のことば――100の診療所より1本の用水路。 | ゴム報知新聞NEXT | ゴム業界の専門紙

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連載「つたえること・つたわるもの」(80)

中村哲医師、〈いのち〉のことば――100の診療所より1本の用水路。

 連載 2019-12-24

出版ジャーナリスト 原山建郎

 去る12月4日、パキスタン北西部と国境を接するアフガニスタン東部のナンガラハル州を車で移動中、何者かに銃撃されて死亡した日本人医師、ペシャワール会現地代表でPMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス)総院長を務めていた中村哲さん(73歳)のニュースが一斉に報じられた。

 1984年、パキスタン北西部のペシャワール・ミッション病院に赴任した中村さんは、自らハンセン病棟の担当を申し出る。州都ペシャワールにはたくさんの内科や外科の医師がいたが、ハンセン病担当医はわずか3名のみ。のちにペシャワール会(中村医師のパキスタンでの医療活動を支援する目的で結成された国際NGO・NPO団体)の「誰も行きたがらない所へ行け。誰もやりたがらないことを為せ」という合言葉(基本方針)となる行動の第一歩だった。当時、パキスタン全土に約2万人のハンセン病患者がいて、16床しかないこの病棟にも2400人の患者が押し寄せた。翌1985年、四畳ほどの手術室を造ったが、停電することが多く、懐中電灯を頼りに診療を行った。医療器具の消毒・洗浄だけでなく、患者の搬送も自分の背中に担いで行った。あまりの激務を見かねて自発的に手伝いを申し出たのは、ハンセン病の患者たちだったという。

 1986年からは、医師がいないアフガニスタン東部の山岳地帯で、パキスタンだけでなくアフガニスタンの人たちへの医療支援活動を開始した。ところが、2000年にアフガニスタン全土を襲った大旱魃、2001年に起こったNY同時多発テロに対するアメリカと有志連合が行ったアフガニスタン報復攻撃、それらによって引き起こされた深刻な食糧難と水不足、極度に悪化した衛生状態……。診療所には長蛇の列。診察の順番を待つ間に亡くなる人もいる。そこで、中村さんは白衣を脱ぎ、ツルハシを手にして、ブルドーザーの操縦桿も握る、大地の医者となった。

 16年前、『週刊現代』の取材に答えて、その後の活動を次のように述べている。(※)は筆者注。

 ソ連軍が撤退した1989年以降、欧米諸国からの支援が爆発的に増え、NGOが大挙してアフガンにやってきました。しかし、その多くが失敗に終わりました。彼らは現地の事情を理解せず、ただカネと食糧をばらまいていくだけ。せっかく集めた寄付も彼らの組織維持(※NGO職員の給与、事務所経費、パブリシティ費用などの必要経費)のために消えていく。そんな光景を数多く見てきました。結果、現地には何も根付かない。偽善以外の何物でもありません。

 タリバン政権(※1996年~2001年11月ごろまで、イスラム主義組織のタリバンがアフガニスタン国土の大部分を実効支配していた)が崩壊した直後、200万人いた難民は一時、30万人にまで減りました。ところが今年(※2003年)の2月に発表された数字では、再び180万人にまで増えている。一度パキスタンから帰郷した難民が生活できず、難民キャンプに戻ってきてしまったんです。

 故郷に帰っても、畑は干ばつで枯れてしまっている。それどころか、その日の飲み水にも事欠く状態です。仕方なく泥水を飲む。それが原因で病気にかかり、死んでいくのです。難民問題が一向に解決しない現実を前に、私たちは考えました。病気を治すのも大切だが、なによりもまず、水の確保こそが重要だと。医療活動に加えて、利水事業が始まったのです。

 井戸を掘り、地下水路を整備する。砂漠化が進んでいた土地が、半年足らずで緑の大地に蘇るのです。故郷を捨てた難民たちが再び帰ってきました。井戸掘りの活動を始めてから3年がたち、完成した井戸は1000ヵ所を越えました。救った集落の数は60を超えています。今は用水路の建設に取り組んでいます。長さ16km、幅5mと大規模なもので、これが完成すれば十数万人が自給自足の生活を送れるだけの耕地が蘇ります。この工事の予算は2億円。現地の人間を使い、土地に伝わる伝統的な工法を行う。日本のODAに比べて10分の1、100分の1の金額でやれるんです。

(『週刊現代』2003年9月6日号)



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2001年には、アフガニスタン各地で米軍による大規模な9・11(NY同時多発テロ)報復爆撃が頻繁にあり、用水路建設のために岩盤を工業用ダイナマイトで爆破する音が米軍ヘリへの攻撃とみなされ、上空の戦闘機から機銃掃射を受けたこともあったという。なぜ、そこまでしてパキスタンやアフガニスタンの人たちのために、日本人医師である中村さんが自らの身命を賭して、日々の診療活動の枠内にとどまることなく、用水路建設を手がけることを決意したのか。

 中村さんの死を報じた新聞記事の中から、いくつか選んだ〈いのち〉のことば、を紹介する。

 ☆みんなが泣いたり困ったりしているのを見れば、誰だって「どうしたんですか」って言いたくなる。そういう人情に近いもんです。

 ☆ちょっと悪いことをした人がいても、それを罰しては駄目。それを見逃して、信じる、罰する以外の解決方法があると考え抜いて、諦めないことが大切。決めつけない「素直な心」を持とう。

 ☆道路も通信網も、学校も女性の権利拡大も、大切な支援でしょう。でもその前に、まずは食うことです。彼らの唯一にして最大の望みは「故郷で家族と毎日、三度のメシを食べる」ことです。(※アフガニスタンでは)国民の8割が農民です。農業が復活すれば外国軍や武装勢力に兵士として雇われる必要もなく、平和が戻る。「衣食足りて礼節を知る」です。

 ☆自分のしていることは平和運動ではない。農業ができて家族が食べていければ、結果として平和になる……。平和は(目的ではなく)結果でしかない。

 中村さんの訃報が届いた翌12月5日、講談社の漫画配信アプリウェブサービス『コミックDAYS』で、『アフガニスタンで起こったこと~不屈の医師 中村哲物語~ 前編』(作者は三枝義浩、2003年)が公開されていた。https://comic-days.com/blog/entry/2019/12/05/175700にアクセスすると、誰でも63ページにおよぶ、かなり詳しいストーリーが描かれた「中村哲物語」を無料で閲覧することができる。

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これまで、中村さんはアフガニスタンでの用水路建設の合間を縫って、アフガニスタン支援を伝えるため、日本に度々里帰りしている。ことし9月には、沖縄県那覇市にある沖縄キリスト教平和総合研究所の開設10周年記念講演会で「アフガンに命の水を」と題する講演を行い、「薬では渇きや飢えは癒せない。必要なのは清潔な水だ。100の診療所より1本の用水路を!」と訴え、現地の人たちとともに1600本の井戸を掘り、全長約27kmの農業用水路と9ヶ所の取水堰の建設を成し遂げたことを報告している。中村さんは中学時代に浸礼(バプテスマ)を受けたキリスト教徒(プロテスタント)だが、イスラム教国であるアフガニスタンでは「カカ・ムラド(ナカムラのおじさん)」と親しまれ、尊敬されていた。ご遺体が日本に帰国する日、同国のガニ大統領が先頭に立って、アフガニスタン国旗がかけられた棺を担ぐ姿がテレビで放映された。

 中村さんは座右の銘である「照一隅(※一隅を照らす)」を著書にサインした。これは、比叡山を開いた天台宗の伝教大師・最澄が『天台法華三家学生式(てんだいほっけさんげがくしょうしき)』に書いた「国宝とは何物ぞ。宝とは道心(仏道を求める心)なり。道心ある人を名付けて国宝と為す。故に古人言ふ、径寸(金銀財宝)十枚、是れ国宝に非ず。一隅(ほんの片隅)を照らす、此れ則ち国宝なり」にある言葉である。

 アフガニスタンという地球の「一隅」で、現地の人びとと手を携えて、1600本の井戸を掘り、全長約27kmの用水路を通し、9本の灌漑用の取水堰を設置し、砂漠化しつつあった1万6500ヘクタールの土地を潤し、その農地を耕して日々の食料を確保することを通じて、人びとの「いのち」を守り・育ててきた中村さんの30数年にわたる地道な活動を思うとき、日本とアフガニスタンの国境という垣根を越え、キリスト教とイスラム教という宗教の違いを超え、日本的仏教の素養も兼ね備えたひとりの日本人を、私たちは誇りに思う。

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たとえば、国連WFP(食糧計画)は、アフリカの飢餓を救うために航空機による援助物資(食糧)の空中投下を行っている。これには地上でのアクセス(食糧輸送)が困難という理由もある。しかし、これはあくまでもひとつの譬えだが、食糧が投下された所にひとつの村ができ、その食糧を食べつくすころに、次の食糧投下地点に村ごと移動する。そして……という際限のない繰り返しからは、本質的なレベルでの「飢餓からの救済」は見えてこない。アフリカの人びとが自らの手で農地を耕し、家族の〈いのち〉をつなぐ日々の食糧を得るためには、中村さんがアフガニスタンの人びととともに汗を流して井戸を掘り、灌漑用の用水路を建設することを通じて、人々の〈いのち〉を支援する「一隅を照らす」ような支援が求められている。

 また、たとえばユニセフ(国連児童基金)のホームページには、「あなたのご支援でできること」として、寄付金の金額別支援内容が示されている。

 ☆3000円のご支援が重度の栄養不良に陥った子どもを回復させる治療ミルク236杯に変わります。/☆5000円のご支援が、3つの感染症(破傷風、百日咳、ジフテリア)の混合ワクチン448回分に変わります。(中略)/☆50000円のご支援で、予防接種や母乳育児の大切さなど、命の守り方を広める地域保健員50人を養成できます。

 もちろん、このようなユニセフの支援活動による、世界の飢餓に苦しむ子どもたちへの寄付は重要な活動である。しかし、2008年の国会(外交防衛委員会)に参考人として招致された中村さん(ペシャワール会現地代表)の発言は、もっと深い〈いのち〉のことば、である。

 ○参考人(中村哲君) 衣食足って礼節を知るといいますけれども、まずみんなが食えることが大切だということで、私たちはこのことを、水それから食物の自給こそアフガニスタンの生命を握る問題だということで、過去、ペシャワール会は干ばつ対策に全力取り組んできました。私たちは医療団体ではありますけれども、医療をしていてこれは非常にむなしい。水と清潔な飲料水と十分な食べ物さえあれば恐らく八割、九割の人は命を落とさずに済んだという苦い体験から、医療団体でありながら干ばつ対策に取り組んでおります。
(参議院会議録情報 第170回国会 外交防衛委員会第4号)

 キリスト教(プロテスタント)作家の三浦綾子さんが残した、〈いのち〉のことば。

 ほんとうに人を愛するということは、
 その人が一人でいても、生きていけるようにしてあげることだ。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう) 
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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