司馬遼太郎の歴史観―その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う 単行本 – 2009/8/1
中塚 明 (著)
5つ星のうち 3.8 11件のカスタマーレビュー
内容(「BOOK」データベースより)
「栄光」の日清・日露戦争を描いた『坂の上の雲』。だがその戦場となった近代朝鮮を司馬遼太郎はついに描かなかった。朝鮮史研究の第一人者が、司馬の「朝鮮観」を通してその歴史観を洗い出す。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
中塚/明
1929(昭和4)年、大阪に生まれる。日本近代史専攻。近代の日朝関係の歴史を主に研究。1963年より奈良女子大学文学部に勤務、93年、定年退職。この間、朝鮮史研究会幹事、歴史科学協議会代表委員、日本学術会議会員などをつとめる。奈良女子大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
単行本: 222ページ
出版社: 高文研 (2009/8/1)
言語: 日本語
ISBN-10: 4874984266
ISBN-13: 978-4874984260
発売日: 2009/8/1
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目次
なぜ、いま、司馬遼太郎の歴史観を問うのか(「明治百年記念事業」と『坂の上の雲』
「韓国併合百年」にぶつけて、なぜ「坂の上の雲」なのか)
1 司馬遼太郎は近代日本の歴史をどう見ていたのか(日本の近代史を見る眼
敗戦前の昭和は日本史上「非連続の時代」という説
日露戦争後におかしくなった日本―という説)
2 司馬遼太郎の「朝鮮観」(司馬遼太郎は朝鮮問題によく通じていたのか
「古代の朝鮮」を語って「近代の朝鮮」を語らない
『坂の上の雲』の時代―日本の勃興・朝鮮の没落
『坂の上の雲』にみる朝鮮論―三つの論点)
3 「近代の朝鮮」を書かないで「明治の日本」を語れるか(日露戦争後に日本陸軍は変質したという司馬の説
司馬遼太郎の主張は成り立つか―日清戦争をふりかえって検証する
日露戦争下の朝鮮の軍事占領
戦史の偽造―真実は書かない公刊戦史)
4 歴史になにを学ぶのか(一韓国知識人の問いかけ
明治初期の「征韓論批判」とロシアの朝鮮観
事実を知る、認める―その勇気を持ちたい
歴史研究と国家権力
歴史が語ること)
11件のカスタマーレビュー
5つ星のうち3.8
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トップレビュー
Teiryu
5つ星のうち5.0teiryu2017年10月7日
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朝鮮の民族主権を奪いとって、それを栄光というのは歴史の偽造!
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林田力
5つ星のうち4.0明治から昭和の戦前の狂気は始まっていた2015年10月17日
形式: 単行本
中塚明『司馬遼太郎の歴史観―その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う』(高文研、2009年)は『坂の上の雲』に見られる司馬遼太郎の歴史観、韓国観を批判した書籍である。本書の前半は司馬遼太郎の歴史観を丁寧に説明している。本書の読者は、元々、司馬史観に批判的な立場が多いと予想されるが、そのような人々にとっては分かりきっている記述も多く、じれったく感じるかもしれない。
著者の主張は明快である。明治は輝いていたが、昭和の戦前は狂っていたという歴史観を批判する。明治から昭和の戦前の狂気は始まっていたと指摘する。日清日露戦争は太平洋戦争と比べて綺麗な戦争ではなく、東学党弾圧や旅順虐殺など日本が韓国や中国の人民にしたことを忘れてはならない。
歴史学者が大衆文学作家の歴史観を必死に否定することに滑稽さもあるが、問題は司馬遼太郎の歴史観が普及していることである。特に問題は左翼進歩派の側にも司馬遼太郎の歴史観に沿っている人が少なくないことである。それは左翼進歩派の底の浅さを示している。左翼進歩派と言っても権威主義という点では体制派と変わらない体制内批判派との反発を抱かせる。司馬遼太郎の歴史観への反発が司馬遼太郎が否定した戦前の肯定という形で出てくる。戦前の肯定的な再評価がカウンターカルチャーになっている現実がある。故に本書のような批判は価値がある。
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アマゾン次郎
5つ星のうち5.0テレビで流される”英雄伝説”そのネタは司馬遼太郎”坂の上の雲”。いかに嘘かわかる。2013年9月16日
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明治維新は素晴らしい。封建の世を、下級武士が新しい時代を察知し、世界に伍するために、”革命”を起こした。
その成功が、日本は植民地にもならず、統一国家として、欧米列強に伍するまでの民族国家になった。
そのリーダたちの苦労を讃える。
一方、日韓併合以降、日本はおかしくなった。アジア諸国を侵略する”非道国家”となった。そこには、天皇を利用した陸軍の暴走があった。これは、本来の日本ではない。
”非道国家”日本は、負けるべくしてっ負けた。その結果、自由と民主主義の解放者アメリカによって、平和国家へ生まれ変わった。
二度と”軍部独走”は許してはならない。
というのが、司馬遼太郎の歴史観、”明治維新賛美”が基本思想である。
この本は、その”嘘”。つまり”明治維新から非道国家”だった日本を立証している。つまり、封建社会江戸幕府から生まれだしたときから、帝国主義国家を目指いした”非道国家”だったと言うこと。
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雄一
5つ星のうち4.0「司馬遼太郎の歴史観」の成果2009年10月28日
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司馬遼太郎といえば「龍馬がゆく」など歴史小説の著名人である。「坂の上の雲」も多数の人々に少なからぬ影響を与えているが、朝鮮半島に関する歴史観については一部に疑問を持たれていた。日清・日露戦争の名称に反して、最大の犠牲者は清国・ロシアではなく、朝鮮民族であった。なぜか、その犠牲は日本の明治の近代化の影に隠されていたが、その理由は「坂の上の雲」に拠るところが大きいと思う。本著「司馬遼太郎の歴史観」は、司馬の朝鮮半島の歴史に関する錯誤、誤認、調査不足の疑問を正面から批判した力作だと思う。NHKが「坂之上の雲」を今年末から2年・11回に渡りドラマ化する情勢の下、朝鮮半島歴史の真実を知り、今日に生かす教材に相当すると思う。
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レット・イット・ブリード
5つ星のうち5.0「坂の上の雲」の真実。司馬遼太郎不在のNHK大河ドラマに「一考」を2009年9月21日
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著者は、真摯な歴史学者である。著者の試みは、常に「歴史から何を学ぶ」か、に集約されよう。
それは、著者の経歴を振り返れば、明らかである、が、それは著者にとっては、「もどかしく苦難の道」ではなかったか。
その苦難は現在進行形である。歴史学者故に「真実」にどうしても向き合ってしまう著者の苦悩が晴れる日は果たして来るのだろうか。私はいつか必ず来ると信じたい。日本の知性の可能性は閉じられてない筈だからだ。
著者の立場は、自虐史観でも何でもない。ただ、学者として「史料を発掘し、発表」するだけのだ。
自然科学では、ごく当たり前の「事実」が、歴史学では「通用しない」というのは、どうしてなのか。
一体いつまで「そんなこと」を続けていくのか。
そこに未来はあるのか。司馬遼太郎は、自覚か無自覚は知らないが、朝鮮を知らずに、「坂の上の雲」を書いたのだ。その、朝鮮を知らずに朝鮮を描いた(あるいは無視した)、朝鮮にかかわる「坂の上の雲」が、国民的なベストセラーになった。史料の正確な検証なく明治と昭和が不連続であるとした「坂の上の雲」が、圧倒的な支持を受けているのだ。
それは、何故か。それは、おそらく日本人の願望を「坂の上の雲」が具体化しているからではないか。
しかし、そうであっても司馬遼太郎は、生前、「坂の上の雲」の映像化は許可しなかった。
国民的ベストセラーの映像化を許さなかった原作者の遺志は、決して小さくない筈である。
それでも、NHKは、遺族を説得し、映像化にこぎつけたわけである。
韓国併合から100年の「その時」に放映するために。そこに司馬遼太郎の「遺志」を超えるNHKの「意思」が見え隠れしよう。
歴史学は、「感情」を超えれるのか。「見たくないものは見ない」という感情を超えられるのか。
「責任は自分にあらず、他者である」という感情を超えられるのか。
超えられるという「勇気=知性」のある方は是非本書を読まれたい。
そして、「未来を拓く責任ある、本当の日本の姿、決して責任から逃げない本当に美しい日本人の姿」を著者と一緒に考えられたらどうか。その考えの深淵は、決して「悲しみや自虐」ではなく、「明るく美しい」筈である。なぜなら、「争いのない」世界という未来に、「他者を思いやる」子孫という未来に、それは続くだろうから。
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居残り佐平次
5つ星のうち4.0栄光の明治再考2014年9月30日
形式: 単行本
高校から大学にかけて、司馬遼太郎は最も好きな小説家の一人で、試験直前に「竜馬が行く」を読み始めたときは試験に集中できず、大変な目にあった記憶があります。司馬は、明治は世界史の奇跡と述べていますね。私もすっかりそのように認識していました。
この本の中では日清戦争が策謀と奸智がうずまく戦争であったことが資料によって明らかになります。明治の指導者がやったことは武士道精神とはかけ離れたもので、「栄光」とは程遠いものであったということです。
私は「坂の上の雲」はいつか読みたいと思いながら、読んでおりませんでしたが、作中にある司馬の文には驚きです。
「(日本は)朝鮮を領有しようということより、朝鮮を他の強国にとられた場合、日本の防衛は成立しないということであった。」
これは昭和の戦争を正当化するときに使われるロジックそのものではないですか。
歴史学者ではない司馬の不見識を力いっぱい咎めても仕方はないですが、日本の近代史を我々はもっと知らなくてはいけないということですね。
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namakemono
5つ星のうち5.0史実と虚構を見分ける目を育むことの大切さ2012年11月27日
形式: 単行本
司馬氏の小説は筆達者なだけに、ついその世界に引き込まれて幸せな気分に浸ってしまいがちだが、彼は歴史小説家なのであって歴史学者ではない。そもそも歴史を自分に気持ち良いように編集しなおしてしまうことは、巷の人間が自分たちの先祖に対して普通にやっていることで、その範囲ではとがめだてするほどの事ではないだろう。だが、近代史を主に扱った大衆小説家である司馬遼太郎が、虚構の日本人像をその作品群で作り上げていったことは批判されなければならない。小説にかぎらずテレビドラマやハリウッド映画の多くも歴史スペクタクルとやら銘打って、デマと他民族への蔑視を垂れ流している。90%の史実を盛り込んでも大嘘はつけるのだということを学ぶ素材として、司馬遼太郎を読むのもいいかも知れない。
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be3osaka
ベスト500レビュアーVINEメンバー
5つ星のうち4.0説得力のある司馬遼太郎の「朝鮮観」批判。文学(者)は浸透力があるので批判も大事2010年3月27日
形式: 単行本
司馬遼太郎の「朝鮮観」を批判する本。なぜ「朝鮮観」というと日本の近代史にとって「朝鮮」とのかかわりをぬきにして語れないからと著者は説明している。
司馬遼太郎ファンは想像以上に多い。読書が好きな人と彼について語るとたいていはその考え方を肯定的にみている。影響力のある作家だけに歴史学という「学問」からみておかしなところが指摘されることは充分意味がある。
この本では司馬遼太郎が李朝的停滞論でその視点をずっと維持していたと指摘している。明治はよかった。日露戦争後におかしくなったという見方をも批判している。
日本近代史を再学習することにもなる良い本だ。
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