2018-02-07

もしも天皇が「私の状況は憲法に照らして違憲だ」と言ったら?(赤坂 真理) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)



もしも天皇が「私の状況は憲法に照らして違憲だ」と言ったら?(赤坂 真理) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)



文学思想


もしも天皇が「私の状況は憲法に照らして違憲だ」と言ったら?あなたを駆動する「物語」について⑧

赤坂 真理
作家

プロフィール





来年(2019年)4月30日、平成は終わる。終わりが近づくなかで、「平成とはどんな時代だったか」と総括したがる向きも多い。しかし、作家・赤坂真理さんはひとつの大きな疑問を抱いたという。時代の雰囲気が、特定の天皇の在位期間と結びつけて語られることは、そもそも日本史上の例外なのでは……?
平成の特徴は?

平成とはどんな時代だったか?


2017年の最後の月に、そんな主題で話す機会があった。

非常に困った。

とらえにくかったのである。

先行する三元号時代が、くっきりしていた。

「日本が近代国家の仲間入りをした、明治」
「つかの間のモダニズムと文化、大正」
「戦争へと突き進み、敗戦し、復興して経済成長するまでの激動の、昭和」

たとえばそんなふうにざっくりとまとめられる、先行する三元号の時代に比べ、平成にはこれと言った特徴がない。

「不透明な時代」「先の見えない時代」「不安の時代」と言えばそうかもしれない。が、それは消極的な言い方にすぎないのではないか。不透明ならその不透明さは、どこからくるのか。
「平成の感じ」を言葉にしてみると…

大きな事件が起きないかというとそうではない。

一人の犯罪者が一度に殺す人の数はどんどん大きくなっていく。

車で人混みに突っ込めば、施設で人が寝ているところを襲えば、あっという間にたくさんの人を殺傷できる。発見されてみれば、いちばん安易な手が実行されたにすぎない。

まるでサイレント・テロリズム。

抵抗する暇のない対象を傷つけるという意味でも、行為とひきかえの要求がないという意味でも「サイレント」な「テラー(terror=恐怖)」。純粋恐怖。

が、それが数も規模も大きすぎて、痛ましさを超えて、悲惨さを超えて、ついにはただの数字としてしか認識できにくくなっていく。

casualties of warという言葉を思い出す。戦争の負傷者、それも付随的死傷者、みたいな意味。死が、個別の死でなく、数になってゆき、数に人々は麻痺してゆく。

ひとつひとつの動機も解明しようとしないまま、もう死刑だけが粛々と執行される。解明しようとでもしたならば、自らの内の空虚さを見てしまうと人々はおそれているのか。

それは「自殺者3万人」と言うのと、奇妙に似ている。それが2万7000人になったら、自殺者減少として、よろこぶべきことである。出生率が、内実を問わず増えればいいのと同様に。交通事故死者も、薬物検挙数も、同様に。

本当は2万7000人でもおそろしく多いし、個々の死がもたらした影響は、関係者にとって半永久的なものだが、そんなことは顧みられない。

そういう規模の人死にが、数としてしか感じられなくなる状況を考えてみる。自殺者統計、交通事故、天変地異、そして、戦争。

それが、「平成の感じ」。

平静な下で、何かが常軌を逸しているけれど、何と言いにくい。それが「平成の感じ」。せめて「何」と言えたらいいのではないか、それが「平成の感じ」。

平成を、静かな戦争、と言ってみたい衝動に駆られる。

しかし、戦争にたとえればなおのこと、何が問題なのか、わからなくて苦しむことほど、何かわからずに何かを憎悪せずにいられないことほど、何を憎んでいるかわからないのに何かを攻撃することほど、そして攻撃して/されてしまった結果と向き合うことほど、しんどい所業って、あるだろうか?

そして、今問題に見えることは、見える時点でもう終わっていて、結果で、その駆動力は、ずっと昔にある。

「戦争」を止めようとしてもなかなか止められない理由も、そこにある。駆動力は、ここにはないからだ。

駆動力を発見しなければならない。

それは、「物語」としてしか、発見されないだろう。

ふと、こんな疑問が頭をもたげる。

「元号ごとにそんなにくっきりとした特徴があると思われていることこそが、異常では?」

もしかして、今の硬直感と「これ」との間に、関係がないだろうか?
明治政府が使った「方便」

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明治政府が使った「方便」

調べて、考えてみる。
人の気質や気分や時代の雰囲気が、特定の天皇の在位期間と結びつけて語られることは、日本史上の例外だった。


ある天皇の「治世≒君が代」と、「時代の空気」が明らかすぎるほどに連動した時代というのは、歴史上ほとんどない。

一人の天皇がほとんど「終身雇用」とみなされた時代も、ほとんどない。

明治以降にしか、ないのである。

それは、明治につくられた「一世一元制」による。

明治政府としては、もちろん「政府」が一番であって、「天皇」は政府の方便である。原理的に考えてそうである。

政府の「正統性」を示すために天皇を使ったわけであり、逆ではない。自らが天皇の下にいたかったわけではない。

正確に言えば明治政府は「天皇」というよりは「天皇に関してつくられた物語」を、使った。

これは、水戸藩がつくったものであり、幕府御三家の中で冷遇されていた水戸藩が、自らの正統性を、幕府ではなく朝廷に求めた物語である。

西欧市民革命だったら、この「天皇」の位置に「憲法」が入った。「国民」がつくって「王」に対抗した、「憲法」である。憲法はそのとき、「動員の物語」である。人を感動させ、現実的に動かす物語である。それにより「国民国家」のために命を懸けることもいとわない市民≒兵士を集め、あるいは国内外のシンパや資金を募った。

明治政府では、それが「天皇」だった。「天皇」が、革命において(明治維新は革命級の影響力を持ったクーデターだとわたしは思っている。武士階級同士の下克上だったので、クーデターだと思うのである)、最も動員力のある「物語」だったのだ。

そして明治政府は「天皇」を「憲法」の第一に書き込むという、実にアクロバティックな合体策をとって、近代国民国家の礎をととのえる。これが、大発明ではあるが、大破綻の端緒であったと、わたしは思う。

明治政府が使いたかったのは、「天皇にまつわる物語」であり「神話」である。

明治政府はぜひとも、その物語の力を借りて、政府の上に立つものが出るのを封じなければならなかった。

別のいかなる革命も、内戦もクーデターも、幕府の再来も、別の幕府も。

情勢は、まだ、そのくらい流動的だったのである。まだ、最終的な覇者は決まっていなかった。誰が勝ってもおかしくなかった。また戦国時代になっても、おかしくなかった。世界中で革命後にはそういうことがありうるだろう。

政府の基盤を確固とするためには、政府の絶対優越を「明文化」する必要が、どうしてもあった。

それには、天皇の絶対神聖性を、「政府の物語」として書き込まなければならなかった。その物語が、大日本帝国憲法(明治憲法)である。

それが物語だけであったなら、話はもっと簡単だった。

しかし天皇は、生身としても存在する、人間なのである。

昔から「天皇」は人として存在し、だからこそ「万世一系」に説得力があるというものなのだが。

だが、物語として利用した人にとっては、その「二重性」の運用は、とてもむずかしい。



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無理のあったシナリオ

明治の元勲たちは、彼らとしては、うまくやった。

彼らが、本音と建前を、絶妙なさじ加減で運用していた。またその運用マージンを残すために、憲法には故意にあいまいに書かれたところや、両方立てると矛盾するような記述もある。彼らが生きているときはそれでもいいし、そのためのあいまいさなのだが、彼らがいなくなると、曲解や拡大解釈の温床となる。

こう考えてみるとき、キリスト教会が復活後のイエスを決して描かず、輪廻転生も教義から排除したわけが、わかる気がする。

イスラム教は、原理を重視する派と、血統を重視する派に分かれた。

それら世界の大宗教が直面してきたような難題を、我が国でつくられた憲法は内包し、その難題は、解消されたことはおろか、国民レベルで議論されたことさえ、今に至るまでない。

明治の元勲たちは、「三位一体論」や「シーア派とスンニ派の分裂」級の難題を憲法に押し込めた、とわたしはおもう。

1945年とは、破綻が内包された設計図が、そのとおりに破綻したとも言えるのではないか。

そして「戦後」、天皇を語ることは、タブーとなる。絶対神聖が裏返れば、絶対禁忌(タブー)になるのは、ある意味当たり前といえる。

別にわたしが不敬なことを言っているわけではない。わたしは原理のことを言っている。

天皇の絶対性が大日本帝国憲法(明治憲法)の、いの一番にかかれていることは、明治政府の生き残り策である。

それ以外の理由があるとは思われない。

明治天皇の人柄に触れて明治の元勲たちが、たとえば伊藤博文が、建前と情に引き裂かれるのは、後の話である。

その引き裂かれ方の中に、現代の日本人もまだ、いるのではないだろうか。

意識もしないままに。

しかし、意識して引き裂かれているのと、意識なく引き裂かれているのとでは、まちがいなく、後者のほうが苦しい。わけもわからないことのほうが、苦しい。

いや。

今不意に胸を突かれたが、今、物語と生身にいちばん引き裂かれている人、それは、「天皇自身」ではないのだろうか?

だから、彼こそが、最も意識的な言葉を発してみるしかなかったのでは。そんなふうに思う。
もしも天皇がこんな問題提起をしたら?

「平成はどんな時代だったか」

という問いは、もちろん、2017年の天皇の「おことば」で、天皇ご自身が「生前退位をしたい」という希望を述べたのが発端である。

結局のところ政府はこの意向を受け容れた。が、しかし、これを例外としてしか認めない。それは、いまだに天皇が政府の正統性のよりどころであるから、のように、わたしは感じてしまった。

考えてみる。

今がっちりと動かなく見えるものに対しては、「もしも」の想像力で動かしてみるしかない。

わたしが小説で書くならこんな視点を持ってみる。

天皇陛下が、

「わたし個人の意志に反してわたしの立場が憲法に書き込まれているのは、憲法に照らして違憲ではないか」

という問題提起をすること。

これは、原理的にはありえることである。

そして、こう考えてみるときはじめて、わたしには、天皇と憲法とこの国のかたちとが、やっとくっきり見えてくる気持ちがする。

(つづく)
作家・赤坂真理さんの連載「あなたを駆動する『物語』について」バックナンバーはこちら → http://gendai.ismedia.jp/list/author/mariakasaka
東京プリズン16歳のマリが挑む現代の「東京裁判」とは? 少女の目から『戦後』に迫り、読書界の話題を独占。毎日出版文化賞、司馬遼太郎賞、紫式部文学賞受賞作!
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