2016-03-17

ニッポンリポート・従軍慰安婦の体験談等メモ・11

〔その524〕戸石泰一著『消燈ラッパと兵隊』KKベストセラーズ、1976年発行。著者は、昭和17年10月、入営。19年2月、インドネシア・スマトラのブキ・チンギに駐屯する第25司令部に見習士官として配属される。
(その524・1)
「日夕点呼では『日々命令』というのと『会報』というものが伝達された。週番下士官かあるいは班長が画板のようなものにはさんだ紙を読み上げる」「『会報』というのは、命令を改まって出すというほどでもない、いわば『お知らせ』である」「毎週土曜日には、“慰安婦”たちの健康状況についても、『会報』で知らされる」「『大和屋!』などと、娼家の名が呼ばれ、『花奴、センケイ・コンジローム』などという具合であった」(80~81ページ)
(その524・2)昭和19年、インドネシア・ブキ・チンギ。
「将校慰安所をかねた日本料理屋に行くと、畳敷きの部屋があって、日本髪の“芸妓”が出てくる。その若い妓からレコードを借りてきて、小唄の練習をするのが、流行した」「マージャンもまた大いに流行した。酒を呑みに出ない夜は、もっぱらこれである。『なあ、おい、将来日本に帰っても、黙っていようぜ。家の連中は、何しろ瘴癘酷熱のジャングルか何かで、汗びっしょりで苦労していると思っているんだろうからなあ』。パイをすてながら、そう言った」(247ページ)
「将校用の慰安所兼料理屋には、『治作』という店と『立花』という店と2軒あった。『治作』というのは、もちろん、築地の店の名をとったものだろう。ここには、日本髪のかつらをつけ、長い裾を引いた妓たちがいた。三味線の達者な老妓(といっても、まだ40にはならなかったろうが)もいて、若い連中は踊ったりする。ところで、ここには、司令部の将校だけが出入りするわけではない。ブキ・チンギ周辺の町にも、いくつかの部隊が駐屯しているし、さらに、軍政部の高等官の軍属、商社や銀行、新聞社の特派員など、いわゆる民間人も来る。圧倒的に女性が不足なのであった。たいていの妓たちが、部隊の違う将校を2人ぐらい、それに軍政官のお役人、商社の民間人と、4、5人の愛人を持っている。われわれ少尉などは問題外の外みたいなものであった」(257~258ページ)
「昭和20年の3月、南方各地の抑留外国人、捕虜に対する国際赤十字を通して慰問品を送り届ける船が、内地から来る事になった。阿波丸という貨客船である」「この赤十字交換船なら安全なのである。皆が争って、これに乗りたがり、その許可を得た人は喜んだ。その中に朝鮮人の慰安婦もいた。彼女たちは、中国各地を日本軍と共に強制的に行動させられ、マレーからシンガポール、そしてスマトラまでつれて来られたのである。とっくに『借金』は返し、年期があけた『自由』の身であった。それでも、客をとらされていた。もっとも、雇主も強制は出来ないわけで、嫌いなやつは客にしなかったし、勝手に休むこともあった」「(ブキ・チンギの中国人街の)坂の上の左に、朝鮮人の彼女たちの宿る一画があった。コンクリートと漆喰でできた家であった。彼女たちが、阿波丸の乗船者に選ばれたことに、どんな経過があったかは知らない。しかし、これはわれわれにとっても、嬉しく思われる事であった」「20年4月1日、阿波丸は、台湾付近で、アメリカ潜水艦によって撃沈された」「私たちとしては、この船に乗れることをあれだけ喜んでいた、彼女たちの事を思わずにはいられなかった」(259ページ~262ページ)
「(敗戦直後)司令部をあげて落着かず、騒然たる中で、ただ軍司令官のまわりだけが、ひっそり静まっていた。中将・田辺盛武、開戦からガダルカナル戦あたりまでの参謀本部の次長であった」「かれだけは、『愛人』を持たなかった。料理屋にも行かなかった」(277~278ページ)
「(敗戦直後)在留邦人の婦人は、すべて陸軍病院の『看護婦』にされる事になった。上層部が発案し強行したという事だった。英印軍が入って来ても、病院看護婦としてあれば、まさかひどい事はしないだろうというのである。日本軍がこれまで、中国はじめ各地でやって来たような事を、かれらも必ずするに違いないと確信しているわけであった。病院は、ひどい騒ぎだという噂が、すぐに広まって来た。もともと、本職の従軍看護婦はこの臨時看護婦を入れることに強く反発していると言われた。そして、臨時看護婦になるべき婦人たちも、いろいろだった。まず、治作や立花の妓たち、商社員として来ている人、偕行社(ホテル)のウエイトレス、軍政部の軍属の資格では、インドネシア人女学校の女教員もいた」「高級将校の中には、病院にチャンタ(インドネシア語・愛人)に会いに行き、その煙草や酒を差し入れするばかりか、共に外泊する者まであるという。また、偕行社のウエイトレスの中にも、やはり将校のチャンタにさせられてしまった娘もいて(もちろん、まじめな恋愛関係にあるものもあったが)妓たちとの間に、複雑な対立があるとも言われた」(280ページ)

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