2019-07-25

前川喜平 - Wikipedia



前川喜平 - Wikipedia
前川喜平
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まえかわきへい前川喜平

2016年6月7日東京都千代田区にて
生誕 1955年1月13日(64歳)[1]
奈良県御所市[2]
国籍 日本
出身校 東京大学法学部卒業[3]
親 前川昭一(父)[4]
親戚 前川喜作(祖父)[5]
前川正雄(伯父)
中曽根弘文(義弟)[6]
小泉和久(義弟)


前川 喜平(まえかわ きへい、1955年1月13日[1] - )は、日本の元・文部科学官僚

文部科学省官房総括審議官官房長初等中等教育局長文部科学審議官(文教担当)文部科学事務次官を歴任[7][8]


目次
1略歴
2主張・活動
2.1義務教育費国庫負担制度
2.2数学必修廃止論
2.3大学の設置・認可
2.4朝鮮学校の無償化
2.5加計学園問題を巡る発言
2.6公立中学での講演と文科省の問合せ
2.7その他
3人物
3.1出会い系バー問題
3.1.1出会い系バーで前川と会ったとする女性の証言
3.1.2出会い系バー問題の批評
4不祥事
4.1天下りあっせん問題
5脚注
5.1注釈
5.2出典
5.2.1自己公表された情報源・公式サイト・プレスリリース
6外部リンク
略歴[編集]

2016年10月17日中央合同庁舎第7号館にて

奈良県御所市生まれ[2][9]。小学校4年時の1963年に一家で東京へ転居し、1967年に麻布中学校・高等学校へ入学[2][9]。高校時代のあだ名は「物理のキヘイ」で、当初は宇宙物理学者を志望しており、理Ⅲ(東大医学部)受験クラスに在籍していたが、数IIIで挫折し文転した[10]。1973年に東京大学文科一類に入学。第二外国語はロシア語専攻。原始仏教インド哲学に興味を持ち仏教青年会に所属し、ガウタマ・シッダールタを研究した。専門課程では法学部に進学し、芦部信喜憲法を学ぶ。2年留年の後、1979年に東大法学部を卒業。国家公務員試験(甲種 - 行政職)を4番目の成績で合格し[11]文部省に入省した[3]留学イギリスケンブリッジ大学大学院

1981年の結婚[9]の際には、挿絵も自分で描いた詩集自費出版し「愛の証」としてプレゼントした。1986年9月、宮城県に出向し同県教育委員会行政課長[3]。1989年2月、在フランス大使館一等書記官[3]。1992年3月、文部省に戻り同省官房政策課政策調査官[3]。1993年4月、同省官房政策課政策企画官[3]

1994年6月、文部大臣与謝野馨の秘書官事務取扱[3]として、「文部省と日本教職員組合(日教組)との歴史的和解」に関わる[9]。1995年10月、同省教育助成局財務課教育財務企画室長[3]

1997年7月、文化庁に出向し同庁文化部宗務課長[3]。1998年7月、高等局主任視学官兼中央省庁等改革推進本部事務局参事官[3]。2000年6月、文部省に戻り同省教育助成局教職員課長[3]。2001年1月、中央省庁再編に伴い所属が文部科学省に変わり、同省初等中等教育局教職員課長[3]。2001年7月、同省初等中等教育局財務課長[3]。2004年7月、同省初等中等教育局初等中等教育企画課長[3]

2010年7月、大臣官房総括審議官[7]。2012年1月、官房長[7]。2013年7月、初等中等教育局[8]。2014年7月、文部科学審議官[8]。2016年6月、文部科学事務次官[8]。2017年1月20日、文部科学省における再就職等規制違反を受け文部科学事務次官を退任[12][注 1]
主張・活動[編集]
義務教育費国庫負担制度[編集]

義務教育費国庫負担制度について、初等中等教育局の初等中等教育企画課長在職中、「奇兵隊、前へ!」と題したブログを開設[PR 1]し、小泉政権が推進した三位一体の改革の中で、公立小中学校の教職員給与の国負担分が2分の1から3分の1に引き下げられたことを巡り、「義務教育費の削減は道理が通らない」「クビと引き換えに義務教育が守れるなら本望」などと批判した[14]
数学必修廃止論[編集]

数学は義務教育の範囲で十分であり、高校の数学は高度すぎるため必修科目から外すべきであると主張している[15]
大学の設置・認可[編集]

2012年11月1日大学設置・学校法人審議会の答申を受け文部科学大臣田中眞紀子秋田公立美術大学ほか2大学(札幌保健医療大岡崎女子大)の新設を不可とする方針を公表した際[16]、前月10月1日に就任してから間もない大臣が大学の認可・不認可という重要事項を自分の一存で決められるものではなく、事務方の意向に沿ったものであるとした田中について、当時の大臣官房長だった前川は、「 『今は認可しない』 ということと 『不認可』 とは異なる」 として、官僚側と田中との間に意思疎通上の齟齬があったとした[17]。7日、3大学の関係者は文科省に出向き、笠浩史文部科学副大臣に認可見送り撤回を要望。田中文科相は同日、一転して認可を表明した[18]。田中文科相の認可決裁が8日に下り、9日に文科省が認可証を発行。
朝鮮学校の無償化[編集]

前川が文部科学大臣官房審議官在任中、朝鮮学校の高校無償化に対し民主党政権の意向を受け旗振り役となったと産経新聞は報じている[14]が、政権交代後に下村博文文科相が朝鮮学校を無償化の適用対象外とする方針を表明すると、前川はこの方針への覆すための行動を取らなかったと産経新聞が主張している[19]

在日本朝鮮人総聯合会機関紙である朝鮮新報は前川の「適用可否がはっきりしない状況が続いて生徒たちを不安な気持ちにさせて申し訳ないと思っている。(朝鮮学校への)理解が日本人にも広がっているのは良いこと。」との発言を掲載している[PR 2]

2017年7月、朝鮮学校への無償化の適用の可否について大阪地裁広島地裁で相次いで異なった判決が出たことについて「今更どの面下げてという話だが、せめて司法で救済してほしい」などと述べている[20]
加計学園問題を巡る発言[編集]

この節は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため、中立的でない偏った観点から記事が構成されているおそれがあり、場合によっては記事の修正が必要です。議論はノートを参照してください。(2018年3月)


加計学園問題を巡り、2017年(平成29年)5月25日記者会見を行い、加計学園による獣医学部新設の件で、内閣府から文科省に「私が在職中に専門教育課で作成されて受け取り、共有していた文書であり、確実に存在していたものだ」「私が発言をすることで文部科学省に混乱が生じることは大変申し訳ないが、あったものをなかったことにはできない」などと述べ、文部科学省で作成された文書であると主張した[21]

国家戦略特区として今治市と加計学園が選定された経緯については、「結局押し切られたことについて事務次官だった私自身が負わねばならない責任は大きいと思っている」「極めて薄弱な根拠で規制緩和が行われた。公平、公正であるべき行政の在り方がゆがめられたと思っている」などと発言し、国会証人喚問を受けてこれらの内容を証言する意向を示した[21]

文部科学省は当初、調査したが該当する文書の存在は確認できていないとしていた[22]が、同年6月9日、1度目の調査結果が発表された後、複数の現役職員から文科省の幹部数人に対し、文書は省内のパソコンにある、といった報告があったものの、こうした証言は公表されず、事実上、放置されていたことが明らかとなり[23]、再調査の結果、6月15日に「官邸の最高レベルが言っている」「総理のご意向だ」などと言われたなどと記録された文書14点の存在を確認したことを公表した[24]

再調査結果の公表を受け、前川は6月23日に記者会見を開き、文科省について「一定の説明責任は果たし、隠蔽(いんぺい)のそしりから免れたのはうれしく思うと述べ、松野博一文科相も大変苦しいお立場なので、敬意を表したい」と述べた上で、「こうした文書が次々と出てくることで、国民の間で疑惑は深まっており、内閣府や首相官邸が様々な理由をつけて事実を認めようとしていないことは、不誠実であり、真相の解明から逃げようとしている」と発言した[25]

前川の「行政がゆがめられた」との主張に対し、内閣官房長官菅義偉は「まったく当たらない」と反論[26]。文部科学大臣の松野博一は「文科行政がゆがめられているという認識はない。適正な手続きで国家戦略特区が進められている」、総務大臣高市早苗は「ゆがめられる恐れがあるなら、官僚のトップとして意見の食い違う他省と話し合うべきだ。理解できない発言だ」、地方創生担当大臣山本幸三は「天下り問題を問われて辞めた方だ。文科省の信頼失墜の責任もあるのではないか」などと批判した[27]。また、農林水産大臣山本有二は前川の「農水省が獣医の将来需給を算出しなかった」との発言について「熱心に聞いていただいたかと(疑問に)思う。もっと真剣にやっていただきたかった」と非難した[27]

文書の出所[注 2]について、前川は6月23日の記者会見で「『総理のご意向』と書かれた文書は、前川さんが報道機関に流したのか」との質問を受け、「情報の流出元については私はコメントしない、ということでご理解いただくしかない。」と答えた[29]。7月10日の参議院閉会中審査では平井卓也の「『総理のご意向』というような文書、これは前川さんが流出元ではないかと報道されているが、まさかそんなことはないと思う。そのことについてイエスかノーかでお答えください」との質問に対し、前川は「文書の提供者が誰であるかということについては、お答えを差し控えさせていただく」と述べた[30]

7月24日の衆参予算委員会閉会中審査で、小野寺五典の質問に対し前川は内閣総理大臣補佐官和泉洋人から9月9日に国家戦略特区の獣医学部新設について「文部科学省の対応を早く進めろ」という指示を受け、「総理は自分の口からいえないから代わりに私が言うんだ」という話があったと証言した[31]。これに対し和泉は「一般論としてスピード感をもって取り組むことが大事だと言っただけなので、具体的なことについて、加計学園等には一切触れていない」と証言し、小野寺の再質問に前川は「その時点において獣医学部を作りたいという意向を持っていたのは学校法人は加計学園のみ」であったため、「加計学園しかない」という文科省内で存在していた「共通の理解」として「加計学園」という個別の指示であると受け止めたと発言した[31]。小野寺が9月9日の時点で京都産業大学の獣医学部新設検討の件も存在していたことを指摘すると、前川は「京産大が意向があるということは確かにあったが、具体化したものはなかった。むしろその時点で具体的な計画として意識していたのはやはり今治市の加計学園しかなかった」「国家戦略特区における獣医学部の新設という話になれば、これはとりもなおさず加計学園のことだろうという認識はもっていた。従って、獣医学部の話だということはニアリーイコール加計学園のことだろうという認識はもっていたのは事実だ」と述べた[32][33]

また、同日の審査で、前愛媛県知事加戸守行が、審査前の取材時にテレビ局から見せられた前川のインタビュー映像において、前川が第1次安倍内閣のもと加戸が教育再生実行会議の委員になった理由を「あれは安倍首相が加戸さんに加計学園の獣医学部の設置を会議で発言してもらうために頼んだんですよ」と述べていたことについて、その場で記者に否定し「安倍首相が加戸氏に頼んだ」という部分は全国放送されなかったと主張した上で、「(前川氏は)安倍首相をたたくために、全国に流れるテレビの取材に応じた。私の取材ができていなければ、流れていたかもしれない」とし、「なぜ虚構の話をするのか。作り話をしなければならない彼の心情が理解できない」と前川を批判した[34][35][36][注 3]。これについて、前川は「誤解だ。『総理に頼まれてその発言をした』と言った覚えはない」と述べている[34]。教育再生実行会議の議事録によると、加戸は「加計学園」に関する言及は一度も行っていない[34]
公立中学での講演と文科省の問合せ[編集]

前川は2018年2月16日に名古屋市立八王子中学校で講演した[38][39]。3月1日、文部科学省の担当者が名古屋市教育委員会に対し、前川を招いた目的や経緯などを照会し、講演の録音データがあれば提出するよう求めるメールを出した[40]。これに先立ち、2月中旬から下旬にかけての複数回、自民党文科部会に所属する池田佳隆衆院議員が文科省初等中等教育局に対し、授業の内容や経緯について説明を求めていたことが報じられている[41]

前川は、文部科学省の名古屋市教育委員会への照会について、教育基本法が禁じる「不当な支配」に該当する可能性が高い、とコメントした[42]
その他[編集]

文部科学審議官(文教部門)だった2015年8月[注 4]には、新国立競技場整備計画経緯検証委員会[PR 3]の事務局長として新国立競技場の計画が白紙撤回に至るまでの経緯について報告している[43]

平和安全法制については、憲法違反であるとの考えを述べている。また、同法案が参議院で成立した2015年9月18日に、国会前で開かれた反対派の集会に参加していたことを明らかにした[44]
人物[編集]

座右の銘は「面従腹背」[9]教育基本法改正や道徳教科化は「やりたくない仕事」だったという[9]

実家は旧秋津村の地主で、祖父は産業用冷凍機メーカー前川製作所の創業者である前川喜作[45][5]

LITERAからのインタビューで、秋津村周囲には被差別部落があり、被差別部落の住民たちが不当に扱われているのを目の当たりにして、地主の子でありながら子供心に社会構造の矛盾に気付き、弱者へ寄り添った考えに目覚めたと述べている[46]

父親は奈良県出身だが、母親は東京育ちだったため、奈良県にいた子供時代、外で友達と遊ぶときは土地の方言を使い、家で親と話すときは東京の言葉(それも女性が使う言葉)を使っていた[PR 4]

進学した麻布中学校・高等学校には学園紛争の波が及んでおり、「自分の正義は自分でつかむしかない」という信念を培ったという[45]。父や祖父の影響で仏教に興味を持ち、大学時代は仏教青年会で活動していた[45]

約30年間殆ど朝4~5時に帰宅し仮眠又は着替えるだけで又出勤。早くても帰宅できるのは夜中1~2時。

足の指を骨折したが、病院に通う時間がなく自然治療。少々の体の不調は黙殺した。

官房長在任時、原因不明の高熱が続き、緊急入院。原因は積年の過労によるもの。2週間入院し無事退院出来たものの、入院中も病室で電話・fax・メール・役所の人間が来て打ち合わせをしたりと仕事から離れられなかった。

文部科学省事務次官の退官後、週に1回、厚木市福島市で自主夜間中学校の講師として活動している[45][47]。「人にはいくつになっても学ぶ権利があり、学べる手立てが講じられるべきだ」との考えから、夜間中学は義務教育の最後のよりどころであるとして、夜間中学の拡充を訴えている[47]
出会い系バー問題[編集]

2017年5月22日読売新聞は、前川が文部科学省在職中に売春援助交際の交渉の場になっている東京都新宿区歌舞伎町出会い系バーに頻繁に出入りし、店内で気に入った女性と同席し値段交渉したうえで店外に連れ出していたと報じた[48]。同報道では、店に出入りしている女性の「女の子と値段交渉していた」「私も誘われた」といった証言も紹介された[48]

同じく5月22日、産経新聞は、前川は文部科学審議官であった2015年頃から歌舞伎町の出会い系バーに頻繁に出入りするようになったと報じた[49]

報道に対し前川は25日に行った記者会見で出会い系バーへ行ったことを認めたうえで「ドキュメント番組で女性の貧困について扱った番組を見て実際に話を聞いてみたいと思った。話を聞く際に食事をし小遣いをあげたりしていた」「そこで出会った女性を通して女性の貧困と子供の貧困が通じていることがわかった。実地の調査の中で学べることが多く、ああいうところに出入りしたのは意義があった」と述べた。また、読売新聞の報道に関しては「私の個人的な行動を読売新聞がどうしてあの時点(退官後半年余りを経過)で報じたのか」と疑問を呈した[50]

菅官房長官は26日の定例会見で「女性の貧困問題の調査のためにいわゆる出会い系バーに出入りし、かつ女性に小遣いを渡している」という主張に強い違和感を覚えたとし、当時の上長にあたる官房副長官の杉田和博に確認したところ、前川が事務次官時代に出会い系バーに出入りをしていたことを知って厳しく注意したという報告を受けたと述べた[26]

前川は、7月10日の衆院閉会中審査で、歌舞伎町の「出会い系バー」通いの理由を「女性の貧困について実地の視察調査」と説明していたことについて、「『調査』という言葉は適切でなかったかもしれない」と述べている[51]
出会い系バーで前川と会ったとする女性の証言[編集]
文藝春秋2017年7月号は、2年前か3年前(2014-2015年)にテレビのドキュメント番組で出会い系バーを知ったとの本人の証言を掲載した[52]
週刊文春は、出会い系バーで会っていたという女性のインタビューを掲載した。今は百貨店に勤めるという女性は2011年に前川と出会い、前川とは最も親しかったといい、前川には身の上の相談や就職に関する相談にのってもらったとしたうえで、前川のおかげで今があると思っていると証言した。報道については、今になって真実とは思えない報道がなされていると疑問を呈した。また性的な関係があったのかという問いに対しては、前川から口説かれたことも手を繋いだこともなく有り得ないと述べている[53]
同記事の中で前川は「確かにあの店で出会って一緒にお寿司を食べたり、ダーツをやったりもしました。でも遊ぶことが目的だったわけでなく、彼女の生い立ちや現状について話を聞かせてもらうとともに生活や就職の相談に乗っていました」と説明している[53]
出会い系バー問題の批評[編集]

この節は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため、中立的でない偏った観点から記事が構成されているおそれがあり、場合によっては記事の修正が必要です。議論はノートを参照してください。(2018年4月)

花田紀凱は「“公僕”の正義って何?」と、前川を批判した[28]
ノンフィクション作家窪田順生は、本当に貧困調査を目的としていたのか検証が必要と主張[54]
ケント・ギルバート夕刊フジ紙上で、前川を「正義感あふれる人格者」と伝えるメディアに違和感を覚えると記した[55]
須田慎一郎は、出会い系バーへ通う時間があるなら今治市を訪問し「地域の実情に目を向けるべき」と批判[56]
沖縄タイムスはコラムで、この件が読売新聞に掲載されたことについて「権力はピンチになれば何でもする」との見解を掲載[57]
安積明子東洋経済にて、官邸の指示で読売新聞に「出会い系バー」の一件を書かせたのではないか、と述べている[58]。官邸は週刊誌等の「首相官邸のリーク」説を全面否定している[59]
読売新聞OBの大谷昭宏は「私がいた頃の読売社会部の基準なら、取材が甘すぎて絶対に掲載できない内容です。デスクに『誰に頼まれて書いてるんだ?』と一喝されるのが関の山ですよ。」と報道自体に疑問を呈している。[60]
不祥事[編集]
天下りあっせん問題[編集]
文部科学省における再就職等規制違反」も参照

2017年2月7日の衆議院予算委員会では他の関わったOBや現役の文部科学省の官僚と共に招致されて、前川は「文科省と日本政府への(国民の)信頼を損ねた。万死に値する」として謝罪した[61]

2017年1月上旬、文科省から官邸側へ前川の定年延長の打診がされたが官房副長官の杉田和博が「前川氏は責任を取って辞めるべきで、定年延長は難しい」と回答し、前川から「せめて(定年の)3月まで次官を続けさせてほしい」という要求があったが杉田が「こうした問題に関する処分は、まずは事務方のトップが責任を取ることを前提に議論しないといけない」と無理であることを直接伝える[62]。1月20日に辞任が認められ、その際に文部科学省全職員へ、自身を反面教師とし遵法意識の徹底に努めるべきとするメールを送信していることが、朝日新聞で報じられている[63]。前川は「引責辞任は自分の考えで申し出た」と主張する一方、官房長官菅義偉は「私の認識とは全く異なる」「当初は責任者として自ら辞める意向をまったく示さず、地位に恋々としがみついていた。その後、天下り問題に対する世論の厳しい批判にさらされ、最終的に辞任した」と述べている[64]。退職金は2月17日付で支払われ、前川と同じ勤続条件37年で事務次官で自己都合退職の場合の支給額は約5610万円であると報じられる[65][66]

一連の問題を巡り、前川は2017年1月に2ヵ月間減給10分の1の懲戒処分を受けた[66]。さらに同年3月、天下り斡旋の違法行為による停職相当の懲戒処分が発表された[13]

前川は後に、2017年6月23日の日本記者クラブの記者会見で、「再就職等監視委員会の指摘を受けて、改めて違法行為というものが明るみになって、その時点で私は違法行為についての認識をするに至ったということですから、知っていたのに是正しなかった、ということは当たらないと思っております」と発言している[PR 5]

また、文部科学省事務次官の退職意向を申し出た日付について、前川は2017年1月5日であると述べているが、文部科学大臣の松野博一は同日について「京都視察で10人近くが常に一緒にいた。込み入った話を受けられる状況ではなかった」と述べ、前川の主張を否定している[67]。5日当日の松野のスケジュールは、朝から夕方まで「文化庁の京都市内の移転対象4カ所の視察」に行き、前川ら文科省の幹部職員10名程度が帯同したまま昼食を取り、夕方には次の場所に移動したと述べている[67]。松野は、前川から辞意を意向を聞いたのは1月中旬頃であったと述べている[67]
脚注[編集]
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注釈[編集]

^ 2017年3月に就職先あっせんの口利きにより停職処分相当と発表された[13]
^ 週刊新潮の2017年6月1日号が、前川のほか、NHK、朝日など各社に文書をリークして回っていた人物がいると報じた[28]
^ 第1次安倍内閣では、獣医学部の申請は一切認められていない[37]
^ 文部科学審議官を務めたのは2014年7月から2016年6月まで[8]

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