2019-09-06

「「朝鮮人徴用工の手記」、帰属財産(敵産)という名で盗られた日本人の財産があった。」wasa@11ukのブログ | wasa@11ukのページ - みんカラ



「「朝鮮人徴用工の手記」、帰属財産(敵産)という名で盗られた日本人の財産があった。」wasa@11ukのブログ | wasa@11ukのページ - みんカラ
2018年11月29日
「朝鮮人徴用工の手記」、帰属財産(敵産)という名で盗られた日本人の財産があった。
今般の、国家間の条約を無視する駄々っ子以下の国家。徴用工の待遇は新築の宿舎、新品の寝具、そして日本人と対等な給与(職種によっては日本人以上、日本人より優秀だからと自賛)が支払われた事が徴用工だった自身のタイトルの著書に書いましたよね。

でも韓国では「日本軍慰安所管理人の日記」と同じように記述内容は見向きもされない。10月31日の夕刊フジでこの本の記述内容を引用しながら書いていましたよね。

「朝鮮人徴用工の手記」は徴用工の待遇について記載されている内容が引用される事が多いと思いますが、インフラ以外に敵産と名付けられた日本人の個人財産が根こそぎかすめ取られた事は余り記事になっていない。

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「朝鮮人徴用工の手記」、この本の第一章『「ソウルから広島へ」:徴用令を受ける』で女子挺身隊の話から始まる。朝鮮では「女子挺身隊」の噂として慰安婦として前線に派遣されたと・・・

・・・引用ここから

当時、朝鮮にいた青壮年たちも各種の名目で徴用され、日本各地の軍需工場および炭鉱に、また戦場に動員されており、年ごろの娘たちも女子挺身隊の美名のもと、各戦線に動員されるなど時局は緊迫していた。聞くところによれば、女子挺身隊として動員された乙女たちは、戦場で軍人の慰安婦にされていたという。

年頃の娘たちを持った親は戦々恐々としていた。未婚の女性は有無をいわさず挺身隊に動員されるので、婿になる男が見つかればとにかく無理やり結婚させた。よい家柄とか、よい婿をなどと言ってはおれず、幼い男、年とった男でも結婚相手がいれがよい方で、中には病身でもかまわず結婚させるなど、笑えない悲劇が続出していた。

・・・引用ここまで

周囲から見たら突然に娘がいなくなり、歪んだ自尊心からまさか娘が売春婦になったとも言えず「女子挺身隊」として徴用されたと女子挺身隊の名を偽装に使った、彼らお得意の論点のすり替えと歴史の創造。朝日新聞の植村は朝鮮人の妻の母親からこの事を聞き、植村にとってはいいタイミングで出版された吉田清治の「私の戦争犯罪」を使って記事を捏造し日本を貶めた。

↓すでにご覧になった方は多いと思いますが、テキサス親父から少々。

【テキサス親父】慰安婦は売春婦!証拠はコレだ!と親父ブチギレの巻!


字幕【テキサス親父】またも韓国の慰安婦マフィアの嘘を暴いてやったぜ!


上の動画でテキサス親父が「韓国の慰安婦マフィアが日本軍が朝鮮人女性云々」と言っているの件、これが記されているのはここ⇒「Video evidence surfaces showing Korean comfort women were massacred by Japanese military」。テキサス親父が指摘した以外にも、すでに嘘と判明した写真を堂々と貼ってますよね、例の「嘘も100回言えば本当になる」なんでしょうね。

そこに貼ってある写真がこれ(動画からクリップしたんでしょうね)

写真に付けられたキャプション。
A Chinese solider examines bodies of Korean comfort women killed by Japanese soldiers at Tenchong Castle in China’s Yunnan Province in Sept. 1944.
1944年9月、中国の雲南省天城で日本人兵士が殺害した韓国の慰安婦の遺体を調べる中国の兵士。

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そしてその後に今般話題となった徴用工の待遇について等の記述が始まる。冒頭の夕刊フジの記事から引用。

・・・引用ここから

韓国国民が知らない「徴用工」の真実 「強制連行」ではなく「破格の高給」 専門家が緊急寄稿

まず、徴用は、戦時下の労働力不足に対処するため、1939(昭和14)年に制定された「国民徴用令」に基づき、日本国民すべてを対象とした義務だった。

当時、日本国民だった朝鮮人に適応されたのは国際法に照らしても、問題はない。むしろ、朝鮮半島で「徴用」が発動されたのは44(同19)年9月と遅かった。

気配りもあった。徴用先は労務管理の整備された事業所に限定され、給与も法律で決められていた。留守家族には収入減の補償まであった。

44年11月に徴用され、東洋工業(現マツダ)で働いた鄭忠海(チョン・チュンへ)氏が著した『朝鮮人徴用工の手記』(河合出版)には、手厚い待遇の様子が描かれている。

徴用工は清潔な寮で、絹のような布団で寝起きし、食事も十分だった。当時では破格の月収140円という給料をもらい、終戦後には日本人と別れを惜しんだという。

危険が伴う職場では、さらに待遇は良かった。九州の炭鉱では月収で150~180円、勤務成績の良い徴用工には200~300円が支払われた。屈強な朝鮮人の給与が、体力に劣る日本人を上回ったとされる。

・・・引用ここまで

当り前だが男手はほとんど全て戦線に向かっていた最中、体力のある熟練していた働き手は全て戦線へ。危険な目にも合わず、兵士より良い給与を与えられ、半島を上回る十分な寝食、日本人はひもじい生活をしていたのにね。

皆さんご存じのように、今般徴用工訴訟を起こした4人、徴用工ですらなかったんですよね。各企業の募集に応募して日本に働きに来ただけ。サハリンの炭鉱にも多くの朝鮮人が高給に憧れて押しよせてきた、それが今では強制連行されてきたと嘯く。

在日朝鮮人への過酷な強制労働


【朝鮮人"強制連行"の大嘘】朝鮮人鉱夫に特別厚遇


息子の前で堂々と嘘をつく在日の母親。


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終戦、この本『朝鮮徴用工の手記』の著者が韓国(とその時にはまだ韓国は無かった)に帰国した時の事が第八章『銭湯「永宝湯」開業』に書かれている。半島で生活していた日本人の個人財産や不動産が敵産(帰属財産)という名目で全て朝鮮人の手に盗られた。

・・・引用ここから

李守福氏は「平素からよく知っていた日本人が本国へ帰って行くとき、私に任せていった建物や事業があるのだが、おまえもその一つを選んで管理をして、うなくゆけば所有するようにしてはどうか」と言うのであった。そしてあれこれ列挙しtれくれる。

日本人は追われて帰って行くとき、遠くない将来まら帰って来るという漠然とした期待で、自分達の財産の保管をもっとも親しい朝鮮人の友達に任せたのである。

李守福氏が言う不動産は、まず永登浦駅裏にある「宝温泉」という大衆浴場である。岸と言う寡婦が運営していた銭湯で今すぐにでも営業する事が出来る。次は安部という大工が住んでした日本式高給住宅で、駅前の蓮池のそばにある。三番目は区庁の前、ガード下にある平山という請負業者の住宅と器具設備一切で、最後は元暁路三街にある平沢コンクリート工業所という会社だった。

李守福氏は「この四ヵ所の中から気に入ったところ、やってみたいところを選択してやれ」と言うのであった。これらすべてが、ただの十円の金も出さないで手に入る不動産だ。解放直後には、日本が所有していた不動産は帰属財産(敵産)と言って、縁故者やその他の先に入って住んだ人のものになったのである。

・・・引用ここまで

貴重な血税を投入したインフラのみならず、上記のように毟り取られた日本人の事業や住居、そればかりか墓所から墓石を彼らは建築資材として破壊し持ち去った。台湾の港では涙の別れ、しかし此処では身ぐるみ剥がされ逃避行。

부산포 지도 25회 예고 "적산(敵産), 잊혀진 역사의 흔적을 되찾다" 수정편

↑これ以外にも数多くの敵産が残っているけど「日帝残滓」は壊すんじゃなかったっけ?

【驚愕】韓国の日本人の墓石村の正体(釜山 2017年)日本人碑石村

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Posted at 2018/11/29 08:54:11

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