作品紹介
100万部を超えた、丸山真男のもっとも著名な著作『日本の思想』が遂にがオーディオブック化!
「である」ことと「する」こと、「タコツボ型」と「ささら型」など
現代にいたるまでの日本の思想史を理解するうえで欠かせない概念を数多く提示し、
50年以上を経た今もなお読み継がれる不朽の名著を、じっくりとお楽しみください。
本作品は、丸山真男氏が岩波講座の叢書シリーズにて展開してきた2つの論文と、
「岩波文化講演会」で講演した内容をもとにした計4章からなる一冊です。
現代日本の思想が当面する問題は何か。
その日本的特質はどこにあり、何に由来するものなのか。
日本人の内面生活における思想の入りこみかた、
それらの相互関係を構造的な視角から追究していくことによって、
新しい時代の思想を創造するために、いかなる方法意識が必要であるかを問う、
日本の思想のありかたを浮き彫りにした文明論的考察です。
法律、思想、政治などを学ぶ人の必読書として、
そして当時の知識人に大きな刺激を与えた思想史の古典として
50年以上にわたり高く評価される不朽の名著を、
すでにお読みになったことのある方も、そうでない方も、音声でじっくりとお楽しみください。
「である」ことと「する」こと、「タコツボ型」と「ささら型」など
現代にいたるまでの日本の思想史を理解するうえで欠かせない概念を数多く提示し、
50年以上を経た今もなお読み継がれる不朽の名著を、じっくりとお楽しみください。
本作品は、丸山真男氏が岩波講座の叢書シリーズにて展開してきた2つの論文と、
「岩波文化講演会」で講演した内容をもとにした計4章からなる一冊です。
現代日本の思想が当面する問題は何か。
その日本的特質はどこにあり、何に由来するものなのか。
日本人の内面生活における思想の入りこみかた、
それらの相互関係を構造的な視角から追究していくことによって、
新しい時代の思想を創造するために、いかなる方法意識が必要であるかを問う、
日本の思想のありかたを浮き彫りにした文明論的考察です。
法律、思想、政治などを学ぶ人の必読書として、
そして当時の知識人に大きな刺激を与えた思想史の古典として
50年以上にわたり高く評価される不朽の名著を、
すでにお読みになったことのある方も、そうでない方も、音声でじっくりとお楽しみください。
===
日本から
うらさん
5つ星のうち5.0 よい本です
2023年8月17日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
50数年?ぶりにまた、読みました。年を経た分、読み応えがありました。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
hirochan
5つ星のうち4.0 50年前に読んだ
2023年8月3日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
50年前に読んだ筈だが、今回改めて読んでみると、嘗て読んだ時と全く違い、流石に丸山真男と感じた。
難しく書いている訳ではないだろうが、一読して頭に入る程簡単ではない。執筆当時の状況も頭に入れながら、解説本を参照しながら、再読したい。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
ケンタ
5つ星のうち5.0 「である」ことと「する」こと…やはり名文です。
2023年4月25日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
仕事の最中にふと、教科書で読んだ「である」ことと「する」ことの文書が読みたくなって購入。少し難解な前段を飛ばして、章末から読みました。やはり丸山真男氏の文章は名文で、思想の奥深さに感動しました(。初出がいつかはわかりませんが、少なくても…)60年以上前の書籍の内容が、いま直面する仕事に大きなヒントを与えてくれました。
14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
なっとく。
5つ星のうち3.0 難解過ぎて
2016年5月6日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
勧められて購入したが、これは難解、難解。 一歩下がって易しい書籍を探す所存。
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
lenc
5つ星のうち5.0 いい古書店
2021年2月11日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
記載の通りのものが届きました。満足です!
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
小林 史尚
5つ星のうち4.0 日本の思想 (岩波新書)
2022年1月12日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
ありがとうございました。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
the reader
5つ星のうち5.0 日本人の必読書
2016年7月10日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
日本の団塊の世代には心に沁みる古典である。
団塊の世代は戦争を知らないが、父、祖父の世代は二代で日清・日露・日中・日米戦争を体験した。
丸山氏が生きていたら今年102才、同氏の日本人メンタリティ研究の推進力のひとつは、同氏の若き頃の従軍体験、上官の言動だと思う。
日本社会は、戦後の変貌からみると、室町時代から戦前まで(団塊世代の祖父・父の世代まで)をひとくくりに出来るという説があるそうだが、
この名著を含め、同氏の本には、そのことを納得させる内容が一貫して流れていると思う。
第一章・日本の思想...日本人の頭の構造が、これほどハイレベルかつ簡潔にまとまっている論考はあまりないのではなかろうか。この書は同氏が四十代前半のものだが、同氏の三十代後半の論考「超国家主義の理論と心理」(「現代政治の思想と行動」の冒頭)と双璧である。
第二章・近代日本の思想と文学...戦前のプロレタリア文学などを読んでいないので最も手ごわい章だった。読み進むのにホネが折れたが、考えてみると、一般人には不可能な、丸山氏の膨大な・深い読書のまとめを、丸山氏の磨かれたレンズを通して見せてもらえるのは幸運である。
第三章・思想のあり方について...講演録なので読み易く、メディアによって形成されたイメージ、レッテルが独り歩きするリスクは、今でも、というより今後ますます、日本人が意識的に自己統制すべき重要な事柄である、ことが再確認できた。
第四章・「である」ことと「する」こと...これも講演録なので読み易い。何世紀もかけて西欧で発酵し、戦後米国から日本に移植された民主主義の根本を知らされる内容なので、団塊世代だけでなく、我が国の今後の世代も必読と思う。昔この章が教科書に出ていたことが懐かしい。
この書を手掛かりに、記されている学者、作者、キーワード(特に第一・第二章)をネットで調べながらしっかり読むと、最も効率的に、日本人のメンタリティを概観できると思う。
丸山氏の頭脳と知的業績に敬服、感謝。
80人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
Stephen
5つ星のうち5.0 日本の思想
2020年4月21日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
よかったです。さすが丸山眞男
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
シバAmazon カスタマー
5つ星のうち4.0 気に入っています
2020年9月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
思い通りの本なので現在、一生懸命に読み進めています。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
本好き青年
5つ星のうち4.0 面白い!
2015年6月16日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
大学の課題で読んだのだが、さすが有名人というだけあったと思う。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
===
Amazon カスタマー
5つ星のうち4.0 日本の思想について
2015年4月17日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
日本史とは一味違う、日本の外交史の流れが分かりやすかったと思います。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
やどかり
5つ星のうち5.0 日本の思想は「軸となるモノがないところに西洋思想が雑多に積み上げられた塔である」
2017年1月22日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
入試などにもよく出題される丸山先生の代表作です。
宗教という思想の軸がある西洋に対し、日本はこれといった軸がないながらも、日本人のアイデンティティを保っているユニーク性から議論はスタートします。
本質的には、日本人の思想の軸は「家」の意識にスタートしており、明治以降はその「家」の概念が、天皇を家長とした「日本国家としての家」に昇華されたというアプローチです。この理解は、私も大変理解しやすかったです。
一方で、後半は日本のサラリーマン社会でもよく引用される、「である」ことと「する」ことの対比議論がなされており、権威主義的かつ、与えられた役割から自分のアイデンティティを見出す日本人と、自分が実行する結果によってアイデンティティを自覚する西洋社会が明瞭簡潔にまとめられており、現代社会のサラリーマン必見です。
58人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
バンパー
5つ星のうち5.0 文学主義と科学主義は対立していたのか
2016年5月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
文学主義と科学主義が対立していたというのが印象的。
あとはたいした内容はない。
儒仏に神道を合わせて、さらに十六世紀からキリスト教も受容して、
日本の思想というものはあった。思想というなら、どの体系かということになるが、
体系は目的がなんであるかを明確にするのがわかりやすいであろう。
わたしの考える日本の国体は、良いものならなんでもありであり、それをもっともよく表した体系は、
おそらく日本で描かれた漫画群であると思っている。これは丸山眞男の思想ではなくわたしの思想である。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
上村 哲郎
5つ星のうち4.0 日本の思想 (岩波新書)
2014年4月12日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
丸山真男生誕100年記念講演で紹介されたので買いました。すぐ配達され喜んでいます。やはり書籍はAmazonだと思います。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
wad
5つ星のうち2.0 最初でつまづいたため理解できなかった
2024年11月20日に日本でレビュー済み
敗戦→戦後のねじれ→タテマエと本音→思想の死、みたいなモチーフの話。「タテマエとホンネ」の話は『敗戦後論』にも出てきたけれども、本書ではこれが中心に据えられている。
300ページ近くの本なのだが、80ページほどの第1部で躓いてしまったため、後の方がほとんど読めなかった。理解しようとして第1部を何度か読み直したのだが、結局あきらめた。
躓いたのは、論の出発点となっている「政治家の失言」の解釈の仕方である。著者は失言と暴言が異なるものであることを指摘し、失言の背後には、発言者のホンネの持ち方が社会によって諒解されているという状況があると述べる。また、朝日新聞のような、政治家の失言を非難するメディアの論理も、やはりこの諒解を共有しているから、同じ穴の狢だと述べる。ここまでは理解できるし賛成。ところが著者はこの次のステップで、この共同性はほとんどの日本人に自覚されていないと述べ、この自覚のなさをいろいろ分析してこれを「無思想」というコンセプトにつなげるのである。この「自覚されていない」という部分がどうしてもわからない。日本人であれば誰でもこの仕組みを自覚しているんじゃないか? 著者が「この共同性から脱却すべきだ」という意見を持っていることはわかるし、その心情も理解できないわけではないのだが、その論理の基盤に「社会がそれを自覚していない」という話を持ってくるのは完全に間違いで、むしろこれを自覚していながら放置しているというところが「政治的アパシー」の発生源なのである。これは「政治家の失言」が出てくることの原因でもある。
普通の感性を持っている日本人ならば、加藤の言う「社会がそれを自覚していない」という話そのものが、「この共同性から脱却すべきだ」という意見を支えるためのタテマエなんではないかと尋ねたがると思う。もしこれがホンネなら、ああこの人は日本人じゃないんだなという感想を抱くことだろう。別に加藤が日本人である必要はないわけだからそれはそれでいい。しかしそうだとしたら加藤の論は西洋人の文化人類学者が日本社会に関して浅い論考をしている、というていどのものになる。で、タテマエだとしたら…。タテマエを使って「タテマエとホンネ」の本を書くという行為を、アクロバティックな試みと呼ぶか、無節操と呼ぶかは人それぞれだと思うが。
この「政治家の失言」論の正しいバージョンを簡単に述べておく。政治家の政治的行動はネゴシエーションが可能なものである(それはタテマエを通してホンネを実現するという戦略が可能なことや、ネゴシエートしないと生き残れないという事情などによる)。ネゴシエーションの結果、外に向かって表明されるのがタテマエである(ホンネとタテマエの境界が流動的なのはこのためである。ホンネとタテマエが完全に一致している人がいたとすれば、それはその人が政治的強者であるということに過ぎない)。著者が共同性と呼ぶような概念は、上記の事情が人々によって認識されている、という風に表現するのが正しい。「政治家の失言」がなぜ起こるかというと、(特に自民党の)政治家が、特定の問題領域においては、選挙民によっても党内の生き残り競争においても、タテマエにおいて淘汰されないからである(日本の政治家は「正しいタテマエ」を言うことも求められていなければ、「タテマエをうまく言う」ということも求められていない)。このパラグラフの内容はほとんど普遍的なことで、唯一「日本的」と言えるのは、政治家が「タテマエにおいて淘汰されない」の部分にあるが、どの国にも、固有の「それに関する意見によってタテマエが淘汰されない事柄」があるだろうとは思う。
上のパラグラフを加藤の「共同性」論にマッピングするならば、「社会による諒解」は政治家の行動が理解されていること、「非難するメディアの論理」はタテマエによる淘汰を行うことの要求である。だからこういうメディアは「進歩的」と呼ばれているのだ。そうでしょう?
進歩的である私がさらに論をつなげるならば、日本の政治のまずさは、タテマエによる淘汰が行われていないところにある(この立場から言うと、加藤の議論は反動的なのだ。まあ彼の議論がどういうものなのかがそもそもよくわからないんだが)。本書で取り上げられている朝日新聞の社説は、そのようなプロセスの徹底を要求する(朝日新聞独自のタテマエに基づく)政治的主張という風に理解できるし、失言をした政治家をクビにするという首相の行為も、珍しくそのプロセスが働いた「良いプラクティス」という風に理解できる。つまりこのレベルでは政治は正常に機能しているのだ。政治家の国会での投票行動や、党内での活動に基づく淘汰も行われるようになれば、もっとわかりやすくなるだろう。それがいいことかどうかは別として。
なお、この「タテマエとホンネ」の論が政治家の行動に偏っているのは、加藤の論の出発点がそれだからである。しかし本書では、その出発点を出発したあとにいきなり公的世界とか「内と外」とかの議論をしてしまっていて、むしろそっちの方がメインの内容となっている。この部分はよくある文化人類学的屁理屈。
1999/11/12
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
Shuichi
5つ星のうち1.0 微妙
2020年4月5日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
時代が古い。現代においてはどうでもいい議論だと思った。
19人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
ホーリーマウンテンズ
5つ星のうち5.0 読んでいて激しく同調した。が・・・。
2017年2月22日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
日本人の思考習性を深く掘り下げた名著。私はこの本を興奮しつつ読んだ。読了して、「彼こそは日本人の真情を知る素晴らしい人物だ。保守の鑑だ」と叫んでいた。
まさかサヨクだったとは・・・。
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
マックン
5つ星のうち3.0 まずまずでした。
2015年12月12日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
内容はまずまずでした。値段がもう少し安ければよかったのですが。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
桑木純一郎
5つ星のうち3.0 老眼鏡がいるようになった。
2014年8月27日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
文字が小さく読みにくい。大判希望。昔 読んだときは気軽に読めたのにねー。内容は絶品だ。いまでも。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
Conano
5つ星のうち4.0 60年を経た今でも示唆を与えてくれる古典的名著
2020年4月15日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
丸山眞男(1914~1996年)氏は、日本政治思想史を専門とする政治学者、思想史家。その学問は「丸山政治学」、「丸山思想史学」と呼ばれ、戦後日本を代表する進歩的知識人の一人。
本書は、1961年に出版され、累計100万部を超えるロング・ベストセラー。私は50代半ばであるが、高校時代(1980年前後)に、本書は小林秀雄の『考えるヒント』と並ぶ必読書と言われ、教科書や試験問題でもお目にかかったような気がする。
本書は、「日本の思想」(1957年/岩波講座『現代思想』に発表)、「近代日本の思想と文学」(1959年/岩波講座『日本文学史』に発表)の2本の論文と、「思想のあり方について」(1957年/『図書』に掲載)、「「である」ことと「する」こと」(1959年『毎日新聞』に掲載)の2本の講演文から成っている。
2つの論文は、それぞれ、日本の思想が持つ「無構造」という構造について、近代日本の文学と思想の関係性とその特徴について、論じているが、必ずしも読みやすい内容ではない。
一方、2つの講演文は、その文体のお陰もあり読みやすく、かつ、分かりやすい示唆を与えてくれるものである。
「思想のあり方について」では、社会・文化の型を「ササラ型」と「タコツボ型」に分け、ヨーロッパが前者であるのに対し、近代日本は後者であるとし、その問題性を論じている。そして、その主たる背景として、西洋学問が、ギリシャ-中世-ルネッサンスという長い文化的伝統が根にあって末端が分化している(=ササラ)にもかかわらず、近代日本では、西洋学問の分化した表層のみが移植された(=タコツボ)ことを指摘している。この点については、既に明治維新期に福沢諭吉が『文明論之概略』で警鐘を鳴らしていたが、今日でも日本において学際的な研究が進みにくいなどの状況に繋がっている。
また、「「である」ことと「する」こと」では、近代社会の制度は、定義や結論(=「である」)よりもプロセス(=「する」)を重視することによって成り立っているにもかかわらず、近代日本ではそれが浸透していないことの問題性を論じている。例えば、「自由」」や「民主主義」とは、そこに「ある」ものではなく、自由になろうと「する」、民主主義的行動を「する」ことによってはじめて、実現し得るものである。ハムレットの時代の人間にとって「to be or not to be」が最大の問題であったとするならば、近代社会の人間はむしろ「to do or not to do」という問いが大きな関心事になっているのだ。
出版から60年を経た今でも示唆を与えてくれる古典的名著である。
(2020年4月了)
12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
===
豚骨鍋
5つ星のうち5.0 「日本の思想」はなかった?
2010年12月12日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
この本で丸山が一貫して述べているのは私の理解によればおおよそ次の二つのことである。
すなわち「日本の思想の雑居性」と「学問領域のコミュニケーション不足」である。
日本にはヨーロッパにおけるキリスト教、中国における儒教のようなどんな時代にも根ざす思想の伝統がない。
軸となる思想がないからこそ海外のどんな文化であれ反発することなく簡単に受け入れてしまう。その寛容的姿勢こそがむしろ日本の伝統である。
文明開化が急速な勢いで成功した理由のひとつに、新しい文化や思想の取り入れに対し伝統的な価値観の反発がなかったからだという。
しかしこれは天皇制でさえ日本の思想として伝統化していなかったという点で保守的な人からの反発を招くであろう。
だが一方でその思想・文化が雑居する体質の国ならではの弊害があるとも言っている。
たとえば輸入した学問が共通の基盤に立つということがないということだ。
国内で徹底的に他の専門領域に踏み込み論争することを通じお互い学問を発展させるというようなことをしない。
むしろ専門分野ごとに学問がムラ社会化しており、学者同士が馴れ合っている。畑違いの学者は議論に参加することすらできない。
雑居の状態では、日本独自の雑種(オリジナル)な考え方は生まれ得ないとはまこと卓越した問題提起であると思う。
46人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
caritas77
5つ星のうち5.0 ササラ型とタコツボ型
2022年7月21日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
記載にうたうところ、(pp.126-132)
「イメージが作り出す新しい現実」
→「新しい形の自己疎外」「マルクスが、『私はマルクス主義者でない』と言ったのは非常に有名な言葉でありますけれども、……」「今日のように、世界のコミュニケーションというものが非常に発展してきた時代にありましては、大小無数の原物は、とうてい自分についてのイメージが、自分から離れてひとり歩きし、原物よりもずっとリアリティーを具えるようになる現象を阻止することができないわけであります。」
→「ササラ型とタコツボ型」
「その問題を考えていきますために、ちょっと話をかえまして、日本の社会なり文化なりの一つの型というものを非常に図式化して表現してみたいと思います。私はかりに社会と文化の型を二つにわけて考えることとします。一つは妙な言葉でありますが、ササラ型といい、これに対するもう一つの型をタコツボ型とかりに呼んでおきます。」
この解説を鮮明に覚えています。最初に読んだときのことです。そして、しばらくして、俳優の石坂氏が、或る番組のなかで、このササラ型とタコツボ型に触れられたのです。昭和の頃のお話です。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
和木憲一
5つ星のうち5.0 和木憲一
2015年6月18日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
日本の代表する思想家、難解すぎてと敬遠していましたが勇気を持って挑戦しました。
役に立った
レポート
koreyashiro
5つ星のうち5.0 一つ気づいたこと
2014年2月6日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
40年ぐらい前に初めて読み、
その後何回か読んで、
今回本当に久しぶりに
読み返してみましたが、
以前は読み落としていた点に気づきました。
それは、戦前の日本の知識人にとって
(賛否いずれの立場に立つにせよ)、
マルクス主義がいかに大きな意味を
持っていたか、ということです。
丸山氏のこの本が、日本人の議論における
座標軸のなさを指摘している、
というのは定評のあるところですが、
「マルクス主義は分析手法と世界観を
兼ね備えた体系として、一時期、
その「座標軸」の役割を担いつつあった。
そして、座標軸のない日本の思想界において、
このことは巨大な意味を持っていた。」
(本書前半の 筆者なりの要約)
という叙述が、非常に重要だということです。
戦前におけるマルクス主義は、
『日本政治思想史研究』の枠組みでいえば、
近世における朱子学に似た
役割を演じていた、ということに
なるでしょうか(江戸期の思想史はエスタブリッシュメント
としての朱子学の崩壊過程である、というこの捉え方は、
後に丸山氏自身によって否定されていますが)。
この本の出版当時、以上のことは、
大人の読者にとっては当然の常識だったのかも知れませんが、
初めて読んだ際 子供だった私にはそういう文脈は分かりませんでしたし、
それ以後も、今回この本を読み返すまで、
あまりはっきりとは意識していませんでした。
○
この本には小林秀雄氏の発言が時々引用
されています。
小林秀雄氏の議論をどう理解したらいいのか、
現在でもなお説得力のある解釈は
ほとんど出ていないように見うけられますが、
(座標軸としての、あるいは世界分析の手法としての)
マルクス主義に対する態度を
一つのリトマス試験紙として、
この書で丸山氏が提出した小林解釈は、
断片的ではあるにせよ、
一つの明瞭な像を結んでいるように
思われます。
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
Amazon カスタマー
5つ星のうち1.0 見づらい
2018年2月2日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
読みづらい
一面にずらっと活字並べすぎ。
思考が硬すぎる気がするし、あまり一般受けはしないと思われる。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
独文太郎
5つ星のうち3.0 凄まじく難解な日本語の1〜2部と平易な3〜4部の差がすごい
2022年9月25日に日本でレビュー済み
いくら岩波とはいえ、広く大衆に、かなりわかりやすく教養を与える新書というジャンルからほど遠い中身の第1部の『日本の思想』と2部の『近代日本の思想と文学』。難しい!意味がわからん!というのが正直な感想です。戦後すぐの沢山の学者、思想家、作家の本は日本語が難しいものが多くて世の中から消えてしまった。言ってる中身は、そんな難しいことじゃないはずだけど、わざと難しく表現していて、引用が多すぎるし、わざとわからなくしていることも多々あると思う。こうした難しいことを言う知識人がカッコよかった時代の影響を受けた人たちが、簡単なことをわざわざ難しくする日本のコミュニケーション文化を作ったかもしれない。けれども、難しいことは、難しくしか表現できないこともあり、それは、限られた人しか物すことができず、限られた人しか理解できない。カッコつき言葉が多すぎるし、非常に抽象度の高い形而上の観念的な概念用語が沢山出てくる。やめてくれえぇ!って思うけど、そう表現せざるを得なかったのかもしれない。今の日本の書き言葉のトレンドは、間違いなく、難しいことを平易に表現することに注意が向いているし、ビジネスにおいては当たり前になっているし。。。とか思いつつ、いきなり3部の『思想のあり方について』、4部の『「である」ことと「する」こと』は、非常にわかりやすい。なんだこの差は!1部と2部はやっぱわざと難しく書いてたんだね。なんで?難しく書くこともできるんだぞ!ということを見せびらかしたかったのかな?新書レベルの一般教養書は、3部、4部の内容こそふさわしい。1部、2部はタコツボ専門家として書くとこうなります、タコツボ化によるディスコミュニケーション文体の見本ですっ!みたいなブラックジョークに思えました。
16人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
高山浩一
5つ星のうち2.0 中古品で十分
2013年1月28日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
息子の夏休みの宿題読書感想文の指定図書ですので中古品で十分です。お蔭で宿題は何とか提出できました。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
ジジお
5つ星のうち4.0 このオジサマがイライラしている理由とは?
2016年2月4日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
一回目読んだ時に感じたのは、このオジサマは、何かにとてもイライラしていらっしゃるということ。インテリらしく、知的に静かにイライラしているので、一見すると、感情もイライラの理由もよく分からないのです。二回目に読んでようやく、少し分かったような気がします。
直接的なイライラ理由は、昭和史論争のようです。と言っても、恥ずかしながらこの時代を知らず、調べて分かったのですが、ちょうどこの論考が書かれた前の年に、歴史をどう捉えるかで文学者と社会学者の間で激しいバトルがあったとのこと。丸山さんは、この論争を見て、あー、この人たちまだこんなズレた、残念な論争してるのか、とイライラしたのではないでしょうか。そして、なぜこんなにズレてしまうのか、深く考えてみようと思った。これ、推測です。
もっと根源的なイライラ理由は、高い問題意識に基づくものです。国体という悪夢、呪縛から、ようやく解放されたのに、日本の、思想というものへの向き合い方は、全く変わっていない。すごく浅くて、上滑りで、何より自分の軸がない。このままでは、また同じ失敗を繰り返してしまう、という焦燥感。戦前教育を受けたエリートとして、戦前・戦中にはっきり思想を抑圧されていたかもしれないし、自分もちょっとは飲み込まれていたのかもしれないし、いずれにせよ忸怩たる思いがあったからこそ、広く強いメッセージを発信しようと思ったのでしょうか。
ただ、中核がない状態を反省して、自律した個を目指そうよ、というアドバイスは、もし西洋の状態をあるべき姿と描いて言っているとすれば、少し皮肉だなあ、と感じてしまいました。なぜなら、西洋の中核を構成してきた立役者であるキリスト教、その本質は、人間の自律というよりは、神への愛であり、絶対者に帰依し服従するという性質を帯びているからです。そういう原理こそ、自律を準備したのだとの解釈は、何とも皮肉な感じがします。
民族の精神構造って、そんなに短期間に変えられるものでしょうか。精神構造を変えるには、絶対者と経典を持つ宗教的なものに、一度は身をさらし、そこから這い上がってくることが必要?それとも、ー足飛びに到達できる道はあるのか?
私としては、丸山さんには怒られるかもしれませんが、日本の気候風土で何千年かを経過して創られた資産は活かすべきかな、と思います。資産とは、精神的雑居性です。何でも抵抗なく取り入れて無意識領域にストックしておき、あるときふと取り出す思考特性のことです。思想を、ブロック積みできない。西洋的な定義の「思想」は、ないのかも知れない。
その資産の強みと弱みを知った上で、徹底的に強みを生かすところに活路を見出したい、と最後には思ってしまいました。ごめんなさい。
45人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
おさる
5つ星のうち3.0 日本の思想や政治に対する考察の論文集
2020年1月7日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
Ⅰ・Ⅱの読みにくさとⅢ・Ⅳの読みやすさの差に驚きました。
各論文相互に重複する話が混じっていたりしますが、それがこの本の校了以前に著者が旅立ってしまったという事情で残されていたのかと思うと、人間味があって面白いなと思います。
日本における考え方、日本におけるマルクス以前・以後の差、日本の思想界の在り方、所属することと個人であることの差(日本は前者より)などが述べられていました。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
とあるカスタマー
5つ星のうち4.0 後半は星5
2018年11月11日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
前半の伝統や制度の話は複雑に入り組んでおりわかりにくい。
ただⅡⅢⅣと進むにつれてかれの論理が解ってくる。
ⅢⅣⅡⅠと読むが吉かもしれない。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
===
日本から
ppp
5つ星のうち5.0 やっぱり、丸山真男
2003年5月1日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
本書は4つの文章から成り立っているが
この本は最初から読むべき本ではない
書名にもなっている1章の「日本の思想」から読むより、
講演スタイルの4章「『である』ことと『する』こと」をよんでから
順々に最初に戻っていったほうが、挫折しないですむ
「タコツボ」などのさまざまな概念が、
学問のみならず日常生活を考える上で非常に参考になる
88人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
ちっちゃいおばちゃん
5つ星のうち5.0 若い方々に最初の一冊にしていただきたい思想書
2009年11月13日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
既に多くの方々が力のこもったレヴューを投稿しておられますが、
最近、久し振りに読み返して感動の新たになった私にも、この、思い出の多い新書について少し書かせてください。
その昔、大学に入って、哲学とかイデオロギーとかいうものに本格的に直面し、手を焼いていた私に、信頼していた先輩が、
「とにかくこれを読んでみろよ」とすすめてくれたのがこの新書でした。
きっと途中で撤退だなと弱気なことを考えつつ、渋々という感じで読み始めたのですが、驚くなかれ。
最後まで読み通せてしまった。しかも、内容もそれなりに理解できてしまったのでした。
このテの書物で「それなり」にでも理解できたものはこれが初めてで、大きな自信になったのはもちろん、さらに難解なものにチャレンジするための、心強いてがかりにもなってくれました。
この本と出会わなければ、私の読書歴は全く違ったものになっていたはずです。
どうして未熟な私にも理解できたのか。
それは、丸山真男氏の、意外なほど平明で的を得た言葉遣いと、あいまいさのこれっぽっちもない記述。
この二つの力によるところが大きいと思います。
論の立て方は明快この上なく、いい加減にごまかすところがありませんから、じっくり文章を追っていけば、時間は少しかかっても内容はやがて必ず理解できますし、
たとえ分からない言葉が出てきても、論じられていることがらがそれなりに理解できていますから、論の内容から言葉の意味が逆に突き止められる。
「哲学辞典」のようなものはまるで必要ありませんでした。
どうしてこんなに分かりやすいんだろう。
ものごとをきちんと理解した本当に頭の切れる人は、どんな難解な思想もこれほどの平明さで語ってみせることができるのだ。
そんなことを当時は漠然と考えたものですが、後年になって、それだけではないことに気付きました。
氏が、福沢諭吉に若い頃から私淑しておられたことを知ったからです。
福沢はご存知の通り、どんな未熟な読者にでも理解できる、平明かつユーモアに富んだ文章で、論を進めていく人です。
それは、西洋文明とその思想に全く無知であった当時の一般大衆に、噛んで含めるようにものごとを説明しなければならなかったからなのですが、
丸山氏の「分かりやすさ」は、福沢のそんな姿勢を見習ったもののように思えてなりません。
氏はおそらく自分の考えを、町井の、出来るだけ多くの人達に伝えたいという情熱を持たれていたのではないでしょうか。
戦後の日本人がいかなる道を歩むべきかを「啓蒙する」、昭和の福沢諭吉足らんとひそかに念願されるところがあったのではないでしょうか。
私にはそう感じられてなりません。
ただ、ひとつだけはっきりとさせておかなければならないのは、私の言う丸山氏の文章の「分かりやすさ」とはあくまで、高度で複雑な内容を驚くほどの明快さで伝えているという意味であって、未熟な読者が何の苦労もなしにスラスラ読めるような易しい文章のことを指しているのではありません。
読むのにはやはりそれなりの決意と根気が必要です。
ただ、ひとたびそうして強い決意をして立ち向かえば、必ずその努力に応えてくれる。
懐深い胸に読者の努力をがっちり受け止めてくれる、そういう本だと私は言いたいのです。
いずれにしてもこの書物は、未熟な者を傲然と排除してかかる、高慢ちきなものではありません。
ですから、若い方々も、もし何かの縁があってこの書物に出会った時は、しり込みせずに挑んでください。
いくらおぼつかない足取りであってもきちんと読み通そうとする努力をこの本は決して見逃さず、
多くのものをあなたにもたらしてくれるはずです。
15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
ヅラっちょ
5つ星のうち5.0 日本のすべては共産主義に集約される!!
2018年1月10日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
しかし、その共産主義と言うものの存在は名目的、儀礼的な"共産主義"とは一線を画す。
自民党、右翼、エセ民俗派が毛嫌いするのは、資本家と敵対する真の共産主義である。
だから、共産主義にレッテルを貼り、庶民を騙すのだ。
テレビしかみない白痴たちにとって共産主義とは敵対する勢力なのである。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
labyrinthからの出発
5つ星のうち5.0 「ユーズド」で初版本に巡り合えた
2004年11月3日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバックAmazonで購入
初版は1961年。日本の戦後占領期(1945-55年以前)を代表する政治学・政治思想学者、丸山真男氏(1914-96)の岩波新書青版での代表作。本書「III思想のあり方について」が面白い。そして、著者はまさに予見していたかもしれないという意味で、本書65-65頁の次の文章を引用しておきたい。
(引用はじめ)
多様な争点(イッシュウ)をもった、多様な次元(階級別、性別、世代別、地域別等々)での組織化が縦横に交錯することも、価値関心の単純な集中による思惟の懶惰(福沢諭吉のいわゆる惑溺)を防ぎ、自主的思考を高めるうえに役立つかもしれない。
(引用おわり)
関心のある方には、上記引用箇所に「けれども……」とつづく文章を、お読みになることをお薦めする。本書「I日本の思想」の結論がそこに書かれている。Web時代に生きるわれわれにとって現代的なテーマだと思う。
24人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
書斎人
5つ星のうち5.0 戦後の古典
2015年2月8日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
学生時代以来、30数年ぶりに読みましたが、内容に古さはなく、戦後の古典だと思いました。
1部の「日本の思想」では、思想的座標軸のない日本の思想界が、理論信仰か実感信仰に二極化されてしまう病理を鋭く指摘します。
2部の「近代日本の思想と文学」では、マルクス主義が日本の文学に与えた衝撃をたどり、文学主義か科学主義かといった不毛な二項対立を克服するための方向が探られています。
3部の「「思想のあり方について」では、有名な「タコつぼ型」と「「ささら型」の比喩を用いて、近代日本の学問の受け入れ方が「タコつぼ型」にならざるを得なかった理由が分析されています。
4部の「である」ことと「する」ことでは、近代社会が「である」社会から「する」社会の転換であったことを指摘したうえで、それが日本の現実においてどのような歪みが生じたかが述べられ、結論的には精神的貴族主義がラディカルな民主主義と結合する可能性に言及した印象的なことばで終わります。
なお、初めて読まれるかたは、仲正昌樹氏の「日本の思想講義」を併読されることをお勧めします。視野を現代思想にまで広げながら、分かりやすく本書が解説されています。
31人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
lui-elle
5つ星のうち4.0 読むべき本の一冊だと思います
2014年9月6日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
十分に理解したわけではありませんが、なかなかおもしろい内容でした。
日本帝国の構造の中に組み込まれた体験を持つ、丸山真男の思想的探究には、やはり説得力がありました。'1章では、丸山先生、怒ってる、という感じまでしました。
たしかに、あの悲惨な戦争を引き起こす〈日本〉を捉えるには、近代に遡行し、その核となったものー天皇制ですがーの成立と、それが近代国家の核として受容されていく様態を考えなければならないのでしょう。そして、その核に国民が誘引されていく精神的構造も。
本書のおもしろさは、マルクス主義にも言及し、日本の思想風土におけるその働きを明確にしたところでした。
当時としては、はっきりとは、なかなか言いにくかったのでしょうか? 不自然な形容をともなった表現や、少し読みづらい文体になっているように思いました。
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
Shigenobu Fujioka
5つ星のうち4.0 間違いなく日本の思想史の古典の一つ
2014年9月16日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
あまりにも有名な、日本の思想についての論考。
発表当時は、様々な議論を巻き起こした話題の書。
巻末のあとがきには、その騒ぎに困惑し、やや言い訳がましいことを書き連ねる丸山の姿が伺える。
それにしても、これほど複雑なテーマについて、これほど簡単な文章で表現してしまう。
丸山の文章力には、恐れ入ってしまう。
有名な、ササラ型とタコツボ型という、親しみやすいコピーまで作ってしまっている。
2014年6月の時点で、すでに98版を重ねている。100版も間近い。
内容には批判すべき点も多いが、間違いなく、日本の思想史の古典の一つと言っていい。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
kaizen
5つ星のうち5.0 近代日本思想の反省
2009年7月12日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
日本の思想とあるが、近代日本思想についての書籍である。
もともとは4つの文章を1冊にしたものとのこと。
1 日本の思想
2 近代日本の思想と文学
3 思想のあり方について
4 「である」ことと「する」こと
最後の「である」社会と「する」社会の混交について、夏目漱石を例に示している。
考える視点、文章を書く視点としても有益だと感じた。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
Taejun
5つ星のうち5.0 精神的雑居性という思想の発見。
2008年10月31日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
本書は、丸山真男の数少ない入門書と呼ばれています。
丸山真男は、日本の思想を特徴づけるものは、その「精神的雑居性」にあると喝破しました。これは、日本が八百万(やおよろず)の神の国であった事とも関連しているのかもしれません。この精神的雑居性を示しているものの一つとして、神道があります。ご存じのように、神道は戦時は国体イデオロギーと同居し、それ以前は仏教と長い間同居し、独特の形を作り続けてきました。神道そのものの思想の形、というのはないわけです。
日本において、多くの思想が輸入されてきましたが、それらは、すんなりと受け入れられてきました。もともとあった思想は、決してこれらと対決をすることがなく、それゆえに、自らの精神的伝統について省察するようなこともありませんでした。この対決の不在は、日本の思想史における座標軸の不在をもたらしています。一方、ヨーロッパでは、これら思想はキリスト教的信仰の強固なバックグラウンドの上に成立しています。
精神的雑居性が日本の思想の伝統であった事は、日本の特殊な事情を生ぜしめていると、丸山は主張します。
1.変容された形での思想の受容
日本では、外来の思想は、精神的雑居性という全体としての思想構造を壊さないように、変容された形で輸入されました。
その一つが、民主主義という思想。民主主義というものは、元々は、行動をその中心とする思想です。すなわち、民主主義国家であるということよりも、民主主義を行うための不断の努力こそが民主主義の特色なのです。しかし、丸山は、日本においてこれはまるで倒錯された形で受容されていると指摘しています。
丸山は、物事を行うことと、ある立場にあることを峻別すること、そして、日本における「すること」と「であること」の倒錯を反転させる必要性を説きます。政治においては、「政治家であること」が重要なのではなく、「政治をすること」がより重要で、その行為の果実によって政治は評価されるべきだと丸山は主張します。
確かに、「であること」と「すること」はまったく別のものなのですよね。学者だから、弁護士だから、もしくは警察だから正しい、というのは、両者を峻別できていない証拠なのだと思います。自分が、何らかの地位にあることに甘んじずに、行いをしてこそ、物事は価値を持つのだと思います。
2.諸学問の間の断絶と学際精神の欠如
それぞれの思想が一つの土台の上にのって対決をすることを通じて積み重なることがないため、学問の諸分野は、それぞれが同じ文脈上にあり関連性を持っていることを忘れられています。このことは、学問分野の根っこを持たない分離を生み出し、数多くのジャーゴンや学際的研究の少なさの要因となっています。
この「対決の欠如を理由とした断絶」は、別に学問に限ったものでもなく、年代の間でも、趣味の分野でも数々の例を見ることができます。また、思想的対決の伝統がないためか、日本においては、時折生じるこれら対決が、まるで喧嘩を初めする子供の喧嘩の様な感を与えています。
3.あいまいな精神的雑居性に基づいた、あいまいな行為連関
丸山真男は、その例として神輿担ぎを挙げています。神輿は確かにあり、それは前面に押し出されているのだけれど、神輿を実際に誰がどのように担いでいるのかは、非常にあいまいな形になる。
この曖昧な行為連関は、時として、深刻な無責任への転化をもたらしうるものです。これを読んだ時に感じたのは、日本におけるインターネット掲示板の在り方。丸山真男がいまも生きていたら、このロジックを、2ちゃんねるの言論環境について指摘する時に用いるのではないでしょうか。
日本の戦前と戦後の思想状況の断絶も、この精神的雑居性が一因となっているのかもしれません。思想の姿かたちは、戦前戦後で大きく変わっていますが、曖昧模糊さにおいて本質的に変質はしていない感を個人的には受けました。戦前から変わらず残っているのは、官僚機構だけではないのかもしれません。
うーん、面白かった。
(ちょっと違う文脈で出てきた言葉ですが、「現実と規範との緊張関係の意味」というのはいい言葉だなと思いました。)
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
ebith
5つ星のうち5.0 巨人の『洞察』、いまだ古びず。
2011年3月10日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
本書の末尾に記されている日付は1961年。
しかし、半世紀も前に書かれたとは考えられないほど、
今の現代社会にも通じるところばかり。
とりわけ第四章の考察は見逃せません。
戦後の社会を見渡して見ると、確かに経済こそ発展したのは間違いありませんが、
同時に何か大切なものを見失ってしまったのではないでしょうか?
―休日の意味とはなんでしょう?
―学問の本来の目的はなんでしょうか?
丸山真男というと、カチコチのアカデミズムを想像していましたが、
本書ではその影は大変に薄まっております。
まぁ、「新書」の読者へ配慮してとのことかと思われますが。
誰にでも理解できる文章を書き下ろせることの難しさと大切さは
年を重ねるほど身にしみてきます。
是非、若い内に両方使い分けられる「チカラ」を手に入れておきましょう。
そういうわけで、学生の方には是非読んでいただければと思います。
※明治から全共闘辺りまでの日本思想の変遷を
「表層的に」なぞることにも適した一冊です。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
===
日本から
nacamici
5つ星のうち5.0 せめて「現状肯定」圧力に自覚的でありたい
2011年8月29日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
丸山真男の言う「日本における思想的座標軸の欠如」。それがゆえの「超近代と前近代とが独特に結合している日本の『近代』」はそのまま「現代」である。なにもかわっていない。先の民主党党首選を見ていそう思った。1961年に初版が出た本である。それから半世紀たっているが、本書の「日本人の思想」に書かれていることは、古びるどころか妥当性を増している。
「何かのきっかけで論争がはじまると、前の論争の到達点から出発しないで、すべてはそのたびごとにイロハから始まる」と丸山が指摘しているように、マニュフェストだの政見放送だの国会演説といった主張は、原理原則でもミッションでもなく、その場しのぎの空虚な言葉の羅列になっている。「断片的な思いつきを過度に尊ぶ『オリジナリティー』崇拝がととくに評論やジャーナリズムの世界で不断に再生され」ているという指摘もそのままの日本にあてはまる。こうした言論の軽さ、思想の薄さは、西洋の思想や哲学がそのまま、あるいは部分的に日本にもたらされ、それが日本人の「手持ちの思想的ストック」にたまたますぽっとはまったものだから、葛藤することも消化することもなく受け入れられてしまったという事情による。丸山はそう分析している。それは古くからの日本的感性や慣習といったものがいきなり規範と結びつくことにほかならず、これは「うまれついたままの感性の尊重と、他方では既成の支配体制への受動的追随となり、結局こうした二重の意味での『ありのままなる』現実肯定しかなかった」。
どんなに酷い総理大臣を戴いても、選挙の公約がまるで守られなくても、国民の命にかかわる情報を隠蔽していても政権を揺るがすほどの批判も運動も出てこないのはこの現状肯定の呪縛がまだ解けていない証拠だろう。戦前の日本では、国のかたちをきめるべき思想的骨格がないところにおおいかぶさってきたのが国体という「非宗教的宗教」だったが、戦後の日本ではそれが自民党一党支配、官僚機構、経済成長信仰にとって変わっただけではなかったのか。敗戦以後、最大の危機の渦中で国を率いる人間をよくわからない基準で選ぶという茶番を傍観しているしかなかった私たちは、少なくともこの国の「現状肯定圧力」の異常な強さに自覚的でありたい。
53人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
Visioncrest
5つ星のうち4.0 近代化っていうのは一筋縄じゃないのよ
2012年3月29日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
表題作「日本の思想」は、自然的な実感信仰と抽象的な理論信仰が共存するという奇妙な「近代日本人の精神的雑居性」を指摘し、続く三つの論考に対する総論となる。
すなわち、「日本人の精神状況に本来内在していた雑居的無秩序性」の故に、このかた日本では、歴史が蓄積されず、感覚的次元は抽象されず、「実感信仰」と「理論信仰」が並列的に処理されてきた。維新時には、これに対して天皇制を担ぎ出してはみたものの、実はそもそも國體自身が雑居性によって支えられていたため、「エセ」の「精神的基軸」に過ぎなかったし、戦後はそれすら失ったことで、矛盾が否応なしに露呈することになった。また、「タコツボ化した組織体」や、「「である」行動様式と「する」行動様式のゴッタ返し」の状態が、戦前は天皇制によってかろうじて弥縫されていたが、戦後には「日本の思想」と同じような経過を辿ったことを、それぞれIII章とIV章で指摘している。
II章「近代日本の思想と文学」は、科学−政治−文学の三角関係を扱う。昭和初期には、政治を科学によって理論武装させて政治=科学主義を標榜し、それを文学よりも優位に置いてはみたものの、結局は現実の細部や非合理性から竹篦返しをくらって自壊した。一方の文学者は、このような政治の過度合理主義に反発したため、非合理的な政治に対しては無防備であり、結果として、日中戦争下で、民族や天皇の神話という非合理性の中に文学の課題を見出し、国策文学という別の政治の優位に回収されてしまった。これはもとを質せば、マルクス主義を「体系」として物神崇拝したそもそもの理解の仕方が問題だったのである。
時事評的な論文であるが、そこに歴史の可能性を見出している点で、超時代的な論文としても読めるし、そのつもりで書いたのだろう。だから、「一つのケース・スタディとして」、という副題が添えられているのである。丸山にとっては、「こうして現在からして日本の思想的過去の構造化を試みたことで、はじめて従来より「身軽」に」なったらしい。しかし、その分、こちらが受け取った荷物は、とても重かった。これを同時代的に受肉化し、「将来に向かっての可能性をそのなかから「自由」に採って行ける地点」には、まだまだ立てない。論旨を追うのが精一杯であった。
13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
smart
5つ星のうち3.0 昭和の日に御免蒙りたいこと
2012年4月29日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
日本とか天皇とか言えば、なんでもかんでも正当化されてしまうような風潮は、今後日本においては御免蒙りたいものである。
さて、本著『日本の思想』であるが、日本人の節操のなさを指弾したものと言えるだろう。「つい昨日まで独伊も学んで未だ足らざる真の全体国家と喧伝されたのに、いまや忽ち五ヵ条の御誓文から八百万神の神集いの伝統まで思い出されて、日本の国体は本来、民主主義であり、八紘為宇の皇道とは本来、普遍的兄弟愛を意味するものと急転した」(35頁)。しかも、無自覚に転向が為されるのである。
日本は氾濫していると言える。誰もが日本日本と言って、誰もが日本について語っていない。日本に日本はない。日本にあるもの、日本なきアジア主義、日本なき米国追随、日本なき経済成長、日本なき反韓反中、日本なき保守主義。
18人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
world3
5つ星のうち5.0 雑感2点。
2008年2月11日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
既に多くのレビューが書かれているので、ここでは2点だけ雑感めいたことを。
1点目は、昔の新書は難しかったのだなぁということ。最近の新書はすっかり雑誌化していて、平易な反面で内容の薄いものが大半だが、本書、特に第1章と第2章は、その抽象度の高さと論理展開の複雑さという点で、手加減無しに難解である。一読了解できる人がいるとすれば、相当頭のいい人に違いない(私には到底ムリ)。1961年の初版以来、80刷を超えるロングセラーとなった本書だが、読者のうち少なくない部分は、実は第3章と第4章の講演部分しか理解していないのではないかという疑いを抱かずにはいられない。
2点目は、丸山真男の釣り師性ということ。「あとがき」に書いてあるが、本書第1章の一部記述は、当時の文学者の神経をひどく刺激したらしい。というのも、(おそらくは東大を念頭に置いて)文学部出身者の法学部出身者(典型的には官僚)への劣等感が、日本文学の「抽象的・概念的なものへの生理的嫌悪」を生んでいると論じたからである。本書に限らず、丸山の著書には他人のコンプレックスを逆撫でするような記述が最低一箇所は含まれている。洞察力鋭敏な丸山が気付かずやっているとは到底思えないので、きっとわざとなのだろう。いや、間違いなくわざとだと思う。
132人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
θ
5つ星のうち2.0 これは「日本の」思想固有の問題なのだろうか
2009年12月11日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
内容については多くのレビュワーの方がわかりやすい解説を書いているのでここでは割愛させていただく。
本書を読んで一番疑問に思ったのが、これははたして「日本」固有の問題なのだろうか、という点である。
例えば、思想のタコツボ化や異学問間の共通の土台に基いた論争の不在などは、現在でもしばしば丸山を引いて持ち出される。
だが落ち着いて考えてみればわかるが、そもそも海外の学問的論争が日本に伝えられてくるということは、その論争が実りあるものだからということである。
日本の「適当に選びだした論争」と、海外の「とりわけ実りある論争」とを対比しても意味がない。
この点は、日本では思想が雑然と存在するだけでそこから新しい思想が相乗効果的に編み出されることがない、というのも同じではないか。
海外から思想が入ってくる場合は、今までと同じものではなく新しく編み出されたものが入ってくるに決まっている。だが海外でも多くの思想は雑然と存在するだけで失敗に終わっている可能性は高い。
(しかし、例えば中島義道が指摘しているように、日本には哲学史研究者はいても哲学者はいない、という傾向はあるかもしれない)
また、有名な「無責任の構造」が、ハンナ・アレントの イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告 を読む限りドイツでも同様に観察されていたりする点にも同様に表れている。
というわけで、丸山の問題提起は日本の思想の問題というより、思想全体の抱える問題と捉えてみた方がいいような気がした。
56人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
中野拓
5つ星のうち5.0 50年前の日本人についての論考が全く古びていない
2011年2月13日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
実は、僕の中学校で、国語の課題図書として買った本。中学生には難しすぎる本だが、第4章に収録されている丸山の有名な講演である『「である」ことと「する」こと』が、講演スタイルで書かれているということで本書の中では読みやすく、国語の授業の素材になった。
第1章と第2章は、社会科学の論文の体裁で書かれている。中学生のときにはとても読めなかったが、先日、あるきっかけで10年以上ぶりに本棚に眠っていた本書を取り出して読み始めると、丸山真男のユニークで卓抜な発想、圧倒的な知性、透徹した明晰な論理に、畏れすら抱くほどに魅了された。
本書は、今から50年近く前の1961年に上梓されたのだが、多くの読者が声を揃えて言うように、「日本の思想」を語ったものでありながら、当時から、社会状況や(表層的)価値観が大きく変化した現代日本においても、彼の論は「全く古びていない」のだ。
私たちは―21世紀のグローバル化した大量消費の社会を生きる私たちは―、1961年の日本を、あるいは、さらに遡って、本書の主な考察の対象である、明治から第二次大戦後までの日本を、全く異質な世界と思いがちである。しかし、丸山の手にかかると、日本人が囚われてきた思考のパターンが抽出され、その本質が基本的に不変であることが浮き彫りにされる。出版50年近くを経た今でも、丸山の思索は、日本人が根源的に囚われているメンタリティーを考察するのに決して無視できないさまざまなアイディアを提供している。
一流の知性との対話は、快楽だ。
14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
ばんぺいゆ
5つ星のうち5.0 21世紀の今も続く課題
2013年10月20日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
日本の思想の特徴として、根の張った共通のもの(ササラ型)は無し、断片的なもの多し(タコツボ化のリスク)。それをどうつなげていくか、あるいは、どう(遅まきながら)土台を作っていくか、が日本の課題ということですね。60年前の課題提示ですが、少しは土台ができてきたかな? Ⅰ、Ⅱの論文は(同時代的な知識を共有していない読者にとってはとくに)難しいが、Ⅲ、Ⅳの講演記録は読みやすい。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
kurubushi
5つ星のうち5.0 丸山真男は全然「古くない」、そしてそれは「不幸」なことである。
2004年9月4日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
困ったことに、丸山真男はいま読んでもぜんぜん「古くない」。これは丸山真男のもちろん「エライ」あるいは「正しい」ところだが、「不幸」あるいは「無益」なところでもある。
丸山真男は「日本(の知識)人はバカだ。そのバカのパターンはこれとこれとこれだ」というのを、実にわかりやすく書いたのだが(もちろん彼はそういうバカはもうやめにしようとして書いたのだ)、いろんな人が、つまり日本の知識人たちは、「バカとはなんだ、バカとは」と、この丸山真男をいろいろと批判した。もちろん、「当たってる」ことを「わかりやすく」書いたので、随分と賛同者やファンやエピゴーネンも現れた。
「不幸」あるいは「無益」というのは、丸山真男がそう言ったのはずっと昔のことなのに(この新書は1961年に出てる。しかも丸山真男が直接扱ってるのは日本の戦前の思想家たちである)、あいかわらず日本(の知識)人はバカだからである。しかも、その「バカのパターン」は、あいかわらず丸山真男が『日本の思想』に書いたもので出尽くしてる。だからこの本は、「日本の思想」と名乗る権利が(今でも)あるのである。
丸山真男が書いたのは未だに「当たっている」。けれど逆に言えばそれは、せっかく(人に恨まれるくらい本当のことを)書いたのに、何の役にも立たなかったということでもある。
丸山真男に向けられたたくさんの反論も、のこらずその「バカのパターン」を繰り返していた。それどころか、丸山真男に向けられたたくさんの賛同も、のこらずその「バカのパターン」を繰り返していたのである。
257人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
maru
5つ星のうち5.0 急がば回れですよ
2011年12月23日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
これを一冊目にすると高確率で挫折すると思います...。ですから、東京大学出版の丸山真男講義録から入ることをオススメしたいです。これは政治思想史の東大での講義をもとにしたものではるかにわかりやすいです。しかも丸山真男の本当の本質は思想史にあると思います。得られるものも丸山真男の思想史のほうがはるかに大きなものとなるでしょう。確かに全部で6冊(思想史のみ)あるので時間は必要になってきますが、なぜ丸山真男がこれほどうざったいほどちやほやされるのか、丸山真男講義録を読めばわかると思います。本書だって丸山真男の思想史の理解があれば苦しむことは少なくなります。本書を一冊目にするなら無駄な読書になる可能性が高いと思います。よほど社会科学への知識がある人であれば別でしょうが、大抵は一般市民だろうと思いますから、私のように本書を一冊目にして無駄な読書をするなどということは避けてもらいたいです。丸山真男の思想史の本質つまり丸山真男講義録にはじめにあたっていくことをすすめたいです。私としては、それがもっともっと有益なことと思うからです。かなり深いところまでいってますよ、丸山真男の思想史。丸山真男の抽象化された理論から入ると挫折しますから、その証明である思想史から入ることが、遠周りに見えて、最短ルートだと思います。急がば回れです。
30人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
思想の雑居
5つ星のうち5.0 本当の読書?
2008年10月19日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
他のレビューで既に内容に関しては様々なことが指摘されているので、私は内容に関しては触れない。
私がこの本を始めて読んだのは大学一年のときである。それから既に3年が経ったが、当時はかなり難しく感じられ、内容の半分も理解できなかった(特に1章と2章)。
しかし、繰り返し読むうちに段々と理解できるようになっていき、それと同時に、本書で論じられていることが、まるで自分のことのように感じられてきた。
本書は私にとって自分を写す鏡だった。
本書の内容が今でも一般的に妥当だとか、本書が半世紀も前に出版されたにもかかわらず現在いまだそこで論じられる問題が解決されないからといって本書は何の役にも立たなかったとか、色々評価は分かれるだろう。
ただ私は、これだけはいいたい。
本書で論じられていること鵜呑みにするわけでもなく、かといって本書と著者の丸山氏を批判するのでもなく、一度本書の内容を糧として自分を省みて欲しい。
丸山は読書のすすめとして、「古典を繰り返し精読すること」をあげたことがある。
古典は、それが書かれた時代と大きく異なった現代においては内容的に妥当しない点も多々あるが、それでも自分の力で考える大きな糧になるのだという。
「読書は他人に考えてもらうことであるから、読書は馬鹿になることだ」という考え方もある。しかし、書物の内容を糧として自分で考えてみようという姿勢で本を読むことは、決して馬鹿になることではないだろう。
そしてそれこそが本当の読書であるように思う。
19人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
グラフ理論
5つ星のうち5.0 難しいかについて、、、
2007年10月22日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
難しいと仰る方も多いですが、、、。
難しいという言葉には(1)内容が高度、(2)表現が下手、
など、多くの意味があると思いますが、「日本の思想」は少なくとも
(2)の意味で、すなわち表現が下手という意味で難しくは無いと思います。
むしろ、非常にクリアな、清明な読み易い文章だと思う。
確かに、立ち読みだけで読めてしまいそうな最近の多くの新書よりは
骨があり、表現も少々古く、易しくはありませんが(最初の部分)、
何度か反芻しながら丁寧に読んで行けば難しくはありません。
丁寧に読まないと読めないと言う意味では読書の練習にもってこいと思う。
過去幾度も入試問題に使われたのも頷ける。
22人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
ちまちゃん
5つ星のうち3.0 難しいが一読の価値あり
2009年11月1日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
日本を代表する政治学者である丸山真男の代表作の一つ。本書は4章からなりたっているが、前半の1・2章は、私には難解だった。3・4章は、講演録を元にしており、ですます調で書かれているのでやや読みやすいが、4章はやはり難しかった。
1章で印象的だったのは、近代日本思想の「國體」についての項で紹介された摂政宮狙撃事件の果てしのない責任の負い方、御真影を燃えさかる炎の中から取り出そうとして多くの校長が命を落としたというエピソード。今では考えられないことが現実にあったのだ。
3章は比較的分かりやすかった。組織のタコツボ化問題とイメージの一人歩きの問題について述べられている。現代社会では、TVやインターネットなどの情報媒体が発達しており、実際に自分が会ったことも見たことも無い人について、あれこれ言うわけだが、それはあくまでもイメージにすぎない。日本を牛耳っているのは官僚だと考えられているが、当事者である局長や部長級の役人がやはり被害者意識であるという。これもイメージの一人歩きである。
50年近く前の著作であるが古びていないのは、丸山氏が日本社会における歴史的に普遍的な問題を指摘したからであろう。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
茶々丸
5つ星のうち5.0 問題の根は深い−丸山真男の言葉から政治文化としての空白の半世紀を検証する−
2009年8月1日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
最早、現代の古典となった感のあると同時に70年代の現代国語の教科書や大学の入試問題でも馴染みのある書物である(教科書には『であることとすること』『面とペルソナ』『歩きながら考える』等のタイトルで掲載されていた)。
本書は幾つかの講演を元に加筆されている。そのため著者が専門領域とする論文と比較すると格段に読みやすく、また“政治文化として見た場合の日本とイギリスの相違”や“近代国家と国民の関係”などを身近な事例から話し始めている。
著者がこの内容で話をする背景の1つに所謂“昭和史論争”があることは確かである。歴史学者と作家の間で繰り広げられたこの論争は“歴史の主体を何処に置くか”によって、描かれる歴史像が大きく異なることに端を発する。それは単に歴史学者のみならず、著者の専門である社会科学としての政治学にも多大な影響を与えたことは確かである。政治学にとっての主体を問う時、少なくとも1945年8月15日を境として形の上ではコペルニクス的転回を経ているが、この国では果たして本当に“転回”があったといえるのだろうか?との原点が著者にはある。そして、もし転回が本質的でなく単なる形式の上のことだけであるとするなら、“何がそれを支えているのか”との更なる問題意識がそこに働いている。
“国民自らが主体的役割を果たして近代を切り拓いてきた”ヨーロッパと“主体としてのお上に引きずられて近代を迎えた”日本の違い、それはそのまま現在の日本社会の縮図としても色濃く影を残している。
どなたかが書かれていたが、現代の日本にあっても著者が話した言葉や状況がそのまま当てはまることは、この国の不幸であると同時に国民側の怠慢でもある。
間もなく迎える総選挙で、今度こそ国民の政治意識が問われることは間違いない。それまでの間に本書を読み返し、自らを検証する作業も必要であろう。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
poox3
5つ星のうち5.0 丸山真男に触れてみる
2004年7月7日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
おそらく日本でもっとも名前を知られている政治学者は丸山真男でしょう。
ところが広く知られている一方で、イメージが一人歩きしてる人物の1人ではないでしょうか?
東洋(日本)政治思想研究者、科学としての政治学、現実政治への発言、
戦後民主主義の旗手、近代主義者、ときには西欧崇拝者など
様々な側面、評価があり、何かつかみどころがない気がします。
私のような門外漢にはそれを把握する術はありませんし
本書に収録されている4つの論文・講演を読んでみたところでも
はっきりとはわかりませんでした。
しかし、なぜ丸山真男がそれほど評価されるのか、言及されるのかは
その卓抜した分析・思考からうかがい知ることができます。
40年以上も前の本ですが、現代人が読んでも示唆に富む本です。
政治思想に関する知識がなければ全く読むことができないという本では
ないと思われますので、興味がある方は読んでみてはどうでしょうか。
(丸山真男を解説した著作も数多くありますが、イメージにとらわれないためにも)
1・2章がやや難解なので、3・4章(どちらかというと3章の方が読みやすい)
から読んでみるとよいと思われます。
28人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
仮面ライター
5つ星のうち5.0 「丸山眞男」を必要とすること
2006年11月23日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
灯火書に親しむ…夜が一段と長くなり、窓外も一層冷え込んでくる中、そして何よりも日本の政治状況が寒々としている当節、何とはなしに書棚の奥から引っ張り出したくなるような本がある。それが、この丸山眞男(1914‾1996)の『日本の思想』(岩波新書−青版,1961年)などであろうか…。
実のところ、私が丸山の思想に邂逅したのは、吉本隆明等の「丸山批判」であった。たとえば、60年安保闘争に係る「丸山眞男の見解」を、吉本流に「進歩的啓蒙主義・擬制民主主義の典型的な思考法」(擬制の終焉)だとするなど、今から思えば汗顔の至りといえるような、稚拙な批判意識を持っていたのであった。
だが、この国の政治状況が“危険水位”に達しつつある今日、丸山に対する小熊英二らの浅薄皮相な批判的解説をひとまず脇に置き、直に、丸山の残した上質な、かつラディカル(根底的)な思弁に触れるときであろうと考思する。そういった脈絡で、当書はうってつけの書冊であろう。
かつて高校教科書にも採用されたことのある本書所収の講演論文「『である』ことと『する』こと」や同じく「思想のあり方について」などは、語り言葉であるけれども、丸山政治学の真髄が平易に述べられており、今もって“古さ”を全く感じさせない。この国は残念なことに、まだまだ「丸山眞男」を必要としているのだ…。
17人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
ニックネーム
5つ星のうち5.0 『日本の思想』の発行部数は2005年5月現在、累計102万部(Wikipedia)。
2006年3月29日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
「大学生必読の書」らしいです。しかし大学生数十人に聞き込みしたところ、既読者はおろか丸山真男の名を知っている人を捜すのに苦労するという結果に終わりました。
翻訳文のような意味不明な言葉遣いが多々ありますが、全体的には分かりやすく書かれています。特に3、4章は、高校生でも充分読めます。
1章から順に読むよりは、3・4→1→2章の順に読むのをお奨めします。
25人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
とりさん
5つ星のうち4.0 「丸山真男」の理解のために。
2002年10月9日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
言うまでもなく「丸山真男」は「ブランド」だ。丸山真男を読むための解説本が多数出版されていることからもわかる。
しかるに。数々の解説本を読んで「丸山真男」の理解をした「つもり」になるよりも、本書を読む方がはるかに有益だし、また内容も分かりやすい。「岩波新書」がまだ「ブランド」であった頃の輝きを持つ良書だ。無為に平易さばかりを追うのでもなく、きちんと「知識人」としての仕事を本にまとめている。本書の出版は1961年なのだが、現代の数多くの表層的文化論が丸山の新書レベルすら超えていないことは寂しい限り。新しい流行タームは次々に生まれてくるが、理論としての進歩はほとんど見られない。「知識人の役割」を考えるのにも適した一冊だ。
35人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
kaito5jazz
5つ星のうち5.0 政治学の泰斗からの贈り物
2003年12月2日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
著者は戦後から一貫として日本の政治を的確に、しかも個人主義を立脚した上で語り続けた政治学者である。この「日本の思想」は政治の根幹である思想を、文学や歴史など広い知識を存分なまでに駆使し、日本人自身の分析を見事におこなっている。天皇制などのタブーをも丸山は臆することなく自らの領域に取り込み、しかも開かれた思想を展開する。「日本の思想」や「現代政治の思想と行動」などを読み返すたびに、丸山真男が今生きていたらと、混迷する政治の真っ只中にあって強く思う。
20人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
Amazon Customer
5つ星のうち1.0 は?
2004年1月15日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
名著復刊ということで読んでみたものの,イデオロギーを持った自覚がない私にとっては内容は難解だった.抽象化されすぎていて冒頭から「日本人は昔から思想が貧弱」と自虐的ですし何を言いたいのか判りませんでした.
故に星1つです!
29人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート
marmaid
5つ星のうち4.0 日本人論の源流ともいえる本
2011年7月8日に日本でレビュー済み
フォーマット: ペーパーバック
1960年ごろに書かれた古い本です。
大学の頃先生に勧められて読んだのが最初で、
再読したくなって読みました。
本は全部で4章に分かれており、
第1章「日本の思想」と第2章「近代日本の思想と文学」は論文形式で、
第3章「思想のあり方について」と第4章「『である』ことと『する』こと」は、
講演会で話したことを本にまとめたという感じです。
1章と2章はページ数も多く読むのが大変でした。
1章では、日本という国はその時代ごとに中国だとかヨーロッパ諸国、アメリカなどから文化や思想を取り入れているけれど、
そのつど新しく取り入れたものと前からあるものとどちらの方がより良いかということについて十分吟味検討が行われないまま、
新しいものを次々に取り入れてしまう。
色んな思想がこの島国でガラパゴス化して雑居状態になっていて、
民主主義になったと思っても一方では古い考えも根強く残っているということが起こる、
というようなことを書いています。
2章では、日本の政治と文学の関係について述べており、
明治から昭和にかけてその時代の政治情勢によって文学界がどのような影響を受けてどういう傾向の作品が出たかということについて書いています。
3章と4章は口語体で書かれていて分かりやすかったです。
3章は日本の思想のあり方をたとえると「ササラ」型か「タコツボ」型になるということ、
イメージが先行して実態との乖離現象が起こる、
今日でこそ異業種交流会というものがあるけど、
企業や官庁、教育機関など組織が縦割り型や閉鎖的になりがちであるということ、
欧米のクラブやサロン、教会のように、
異なる集団の人たちを横断的につなぐ場所が日本には乏しい、
ということを書いています。
4章は日本では属性や状態で判断する「である」的な価値観と、
行動や提供する役務で判断する「する」的な価値観があり、
実際には双方が混じっているケースが多く、
それゆえに制度やハコモノが自己目的化してしまったり、
儲け主義に走る危険性を指摘しています。
ところどころ文章が美しかったり、面白い箇所があるので楽しみながら読めました。
42人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
レポート

No comments:
Post a Comment