2018-02-17
受験と私:ノーベル平和賞のICAN川崎哲さん「その公式を証明せよ」 - 毎日新聞
受験と私:ノーベル平和賞のICAN川崎哲さん「その公式を証明せよ」 - 毎日新聞
受験と私
ノーベル平和賞のICAN川崎哲さん「その公式を証明せよ」
2018年2月17日
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大学入試センター試験(2018年度) 問題・解答速報
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川崎哲さん。丸木位里・俊夫妻による「原爆の図第8部<救出>」の前で=埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」で、岡本同世撮影
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「2次方程式の解の公式ってあるじゃないですか。あれを証明しろって言われたんですよね」。昨年ノーベル平和賞を受賞した国際NGOネットワーク「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」国際運営委員で、NGOピースボート(東京都新宿区)共同代表の川崎哲さん。高校で培った価値観が、ずっと支えになっています。【聞き手・岡本同世】
【写真で見る】原爆投下後の広島・長崎
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「なぜそう言えるのか」
高校に入って最初の数学の授業で衝撃を受けました。2次方程式の解の公式について「なぜそうなるのか証明せよ」と問われたんです。中学で習う「axの2乗プラスbxプラスcイコール0」というものです。何を聞かれているのか全然意味が分からなかった。
その公式を使ってさまざまな問題を解いてきたけど、「なぜそう言えるのか」の説明を求められたことは一度もなかった。その必要性を考えたこともない。だから僕は、解の公式を書いて、一瞬で終わりです。周りは、みんな40~50分かけて一生懸命「なぜ」かを証明しようとしている。最後に先生が板書で説明して--。目からうろこが落ちました。
2次方程式の解の公式。a≠0とする
同級生たちが勉強に対して積極的だったことにも驚き、刺激を受けました。そんな中高一貫校に高校から入って「やっていけるかな」と。そこで国語の先生が「無理になじまなくていい。一人一人が一国一城のあるじになりなさい」と言ってくれたのも大きかった。
そういった体験から得られたのが、「意欲を持って、自分の勉強したいこと、やりたいことをやるのはいいことだ」という価値観です。それからは「なんでもやるやつ」になりました。
文理選べずどちらも 英語は大きな声で
文理のコース選択も「どちらか一つは選べない」と、理系の物理と化学、文系の日本史と世界史を履修。必修ではない第2外国語の中国語も取りました。クラブ活動の水球もあったので「24時間じゃ足りない」状態です。
日本史、世界史の教科書は、読み物として極めて面白かった。物理、化学も教材を中心に本をいろいろ読みました。数学はとにかく、たくさん問題を解く。
英語は、ネーティブの非常勤の先生が「ラジオでFEN(現AFN、米軍放送網)を聞きなさい」と。まず耳を慣らして、自分でも大きな声で読むと効果的です。僕の場合は、6歳上の姉がおかしいところを指摘してくれました。
本番での“失敗”
遠回りなようですが、試験で点数を取ることを考えるより、学ぶ中身自体に関心を持つといいのではないでしょうか。面白いことがどの科目にも詰まっています。
東京大学の安田講堂=東京都文京区で
興味を持って勉強していたから、結果につながったのかな。現役で東大文一に合格できました。ただ、一つだけ“失敗”があります。高校が男子校で、あとは家で勉強していたので、共通1次、今でいうセンター試験の初日、会場に女子がいたことで、すごく動揺してしまいました。最初の国語はうまく解答できなかったな。
外から見えること
1987年の春、高校卒業後に1カ月くらい、バックパッカーとして中国を旅しました。初めての海外旅行。改革・開放が始まった頃のダイナミックな時代です。列車で知り合った現地の人の家に泊めてもらうこともありました。
各地にある「革命記念館」を訪れる中で、考えさせられたことがあります。戦時中の旧日本軍の残虐行為についての展示がある。それは記録でもあるけれども、国威発揚、政権浮揚のためでもあると感じました。外に敵を作って「だから中国共産党のもとで我々は団結しなくてはならない」という主張です。
川崎哲さん=東京都新宿区のピースボート事務局で
国家というものは、こうして歴史を利用するんだな、と思いました。起きたこと、したことは事実として受け止め、理解すべきです。ただ、その一方で、国家がそれを利用しようとすることに対しては、冷静な目を持ち、疑ってかからなくてはいけない。
両方の視点を持つために必要なのが、外に出ることです。自分の国のことだと分からなくても、距離を置いた第三者の立場で見ると、おかしなことがたくさんある。そこから翻って日本を見ることで、気づけるようになります。国家や社会は、時に分かりやすく人々を誘導しようとする。そのことを個人が分かっていれば、うまくつきあえるわけです。
物事の両面見続け
翌88年には中東へ。イラン・イラク戦争直後のイランに行きました。戦争で家族を亡くした人や、兵士の墓前で泣いている人、バザールの暗さなどを、よく覚えています。帰国後、東大でペルシャ語を学びはじめました。
空爆でがれきの山となったイラクのバグダッド市街。湾岸戦争では米軍が320トンの劣化ウラン弾を使用。多くの「ヒバクシャ」を生み出した=1991年2月撮影
90年にイラクがクウェートに侵攻。91年の湾岸戦争が始まる時に、仲間と平和運動のグループを作りました。そのつながりで、障害者の介助ボランティアや、イランなど外国人労働者の支援活動、ホームレスの人権問題などに関わりはじめます。2年の留年を経て卒業した後も、活動を続けていきました。
そこで本当にいろいろ、鍛えられた。賃金未払いの相談に乗って、雇い主のところにいくと、そこも一人親方で「元請けからの支払いが滞って困っている」「家族が病気になって治療費が払えない」とか。被害と加害が表裏になっている。長年支援してきた相手にだまされたことも。人間不信になりましたが、ここでも物事の両面をみることができました。
限界とプロへの転機
オスロ市役所前で、ICAN国際運営グループのメンバーと記念写真に収まる川崎さん(前列右から2人目)。「ビジョンと誇りを持って、この仕事をしている仲間。存在が大きな励みになる」=ピースボート提供
30歳の頃、心身とお金に限界が来ました。渋谷で炊き出しをしていて、酔ったサラリーマンに一方的に殴られたり、名刺を渡したホームレスの男性が救急搬送され、病院から連絡が来て最期をみとったり。精神的にも本当につらくて、もう続けられない、という状態になりました。
そんなときに目にしたのが、平和のためのシンクタンクNPO「ピースデポ」の設立趣意書です。「これからはプロフェッショナルとしてやっていかなければいけない。仕事として平和問題に取り組む」という趣旨のことが書いてありました。経験を評価され、スタッフに。午前9時から午後5時の勤務で給料をもらう生活になりました。
被爆者とのふれあい
「原爆で被爆した人たちは、誰もが誰かを置いてきている。助けられなかった人がいる。その人たちのために自分は語らなければいけないと思っている」。川崎さん(右)と、ノーベル平和賞授賞式で演説した広島での被爆者サーロー節子さん=ピースボート提供
国際会議に派遣されるなどして、ICANの前身のような活動をしている人々とも知り合い、核兵器についても学びはじめます。2003年からピースボートに参加。08年から、被爆した人たちが船で世界を旅する中で証言を伝える「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」という企画を始めました。通称「おりづるプロジェクト」。本当に被爆者一人一人の話を聞くようになったのはそれからです。
ずいぶん前のことですが、船上での忘れられない光景があります。54年のビキニ環礁核実験で被ばくした、第五福竜丸元乗組員の大石又七さんの話に、不登校の14歳の少女が強く関心を持ち、意気投合して交流していました。「被爆者の証言を聞き、その人たちが懸命に生きているのを見て、自殺を考えていたことがばかばかしくなった」という青年もいます。若い人たちと出会って、被爆者自身も生き生きとする。お互いに影響があるんです。
批判的な目を持って
ノーベル平和賞授賞式の夜、オスロで行われた慣例のたいまつパレード。前列の参加者たちは「禁止条約に参加せよ」との横断幕を掲げている=ピースボート提供
昨年制定された核兵器禁止条約について、日本政府は「これは実効性がないから、我が国は参加しない」という立場を取っています。この主張についても、批判的に考えることがとても重要です。知識も必要だけど、政府の言うこと、当然とされていることが「なぜそう言えるのか」と向き合う姿勢を持ってほしい。例の、数学の公式の証明と同じです。
中学3年生の息子のクラスで、ノーベル平和賞のニュースに関して「あれ、君のお父さんだよね」と知っているのは2人ぐらいだそうです。世界で条約を作ることに時間を費やし、成果も出ましたが、日本ではまだ議論が少なすぎる。
「これはあなたの問題なんですよ」。核兵器のことや、戦争と平和というテーマについて関心がない人にも、そう呼びかけたいと思います。自分がどう動くかで未来は変わる。核兵器が存在し続ける未来、無くす未来。どれを選択するのか。これからの時代を生きていくのは、みんななんだから。
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かわさき・あきら 1968年、東京都生まれ。武蔵高校、東大法学部卒。2003年からピースボート共同代表。10年にICANから招請を受けて副代表に就任、14年から現職。同年出版の「核兵器を禁止する」(岩波ブックレット)は、禁止条約制定後の状況について加筆した新版がこのほど発売された。近著に「マンガ入門 殺人ロボットがやってくる!?」(畠山澄子さん、新名昭彦さんとの共著、合同出版)。
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