2014-09-16

[報告] かにた婦人の村を訪問しました

[報告] かにた婦人の村を訪問しました:

[報告] かにた婦人の村を訪問しました城田すず子さんの一生に思いを馳せて

 11月23日に「かにた婦人の村」を訪問しました。「かにた婦人の村」は千葉県の房総半島の先っぽ、館山市にあります。25日の署名提出行動で東京に行く機会を利用して、足を延ばして行きました。ちょっと遠いところではあったのですが、それほどまでに一度訪ねてみたい場所でした。
 日本軍「慰安婦」問題に関心を持つ者にとって、「かにた婦人の村」は特別な場所です。日本人として唯一名乗り出られた城田すず子さん(仮名)が晩年過ごした場所だからです。
 城田すず子さんが公に自らの苦しい過去を名乗り出られたのは1984年のこと。金学順さんが名乗り出られるはるか前で、ペ・ポンギさんただひとりが「慰安婦」被害者として認知されていました。そんな時代に名乗り出るなんて、相当勇気が必要だったことでしょう。
 城田すず子さんは夜眠れなかったのだといいます。悲惨な戦争体験が夜ごと彼女を苦しめていたのです。そこで城田さんは、「かにた婦人の村」の開設者である故・深津文雄牧師に「戦後40年経っているのに誰も言わない。夜眠っていても眠れない。慰霊をして欲しい」と願い出ます。深津牧師は彼女の気持ちを汲み、施設内の小高い丘にヒノキの柱をたて、慰霊しましました。その話はTBSのラジオ番組として放送され、瞬く間に広まり、1年後の1985年、寄付者と同じ数の166個の石に囲まれた土台の上に、「噫(ああ) 従軍慰安婦」と刻まれた石碑が建立されたのです。
 私が訪れた日は時折雨もぱらつく曇天だったのですが、碑のある丘からは対岸の相模半島を間近に望むことができました。天気がよければ富士山も見えるそうです。その小高い丘にひっそりと佇んでいる碑はただ「噫 従軍慰安婦」とだけ刻まれていて、深いため息のような「噫」という音が、城田すず子さんの思いを全て言い表していました。

 「かにた婦人の村」の施設長の天羽道子さんにお話を伺うことができました。
 「かにた婦人の村」は売春防止法が成立したのを機に作られた、婦人保護長期収容施設です。社会復帰の困難な売春制度の被害者のために、静かに暮らせるコロニーとして作られました。初めは東京にあったそうですが、都会の喧噪から逃れるように人里離れたこの地に作られました。(ナヌムの家を思い起こさせます。)平均年齢が70代と高齢化の進むコロニーではありますが、最近施設に入所した20代や30代の女性もいるそうです。性産業に従事する女性は、精神疾患や、あるいは生まれながらの精神遅滞、発達障害を負った人が少なくありません。社会の障害者に対する無理解が女性を性産業へと追いやり、またその過酷さが女性たちを解離や統合失調などの精神疾患へと苛みます。現在でもこの施設に入所する人がいるという事実は、私にとっては少なからずショックでした。「ひとりの人間が苦しみの海に身を沈めるのは、ただ貧しいからだけではない。それに先立つ障害があるから」と天羽さんは仰いました。
 もうひとつ忘れられない言葉があります。私は城田すず子さんが名乗り出られた後の状態が気になっていました。すると天羽さんはこう仰いました。「日本のマスコミの取材は極力受けないようにしていました。体調が悪かったこともありますが、やはり興味本位なマスコミが多かったものですから。でも韓国からの取材は極力受けるようにしていました。同僚の『慰安婦』に朝鮮人が多かったものですから。『声を発してください』というメッセージだったのかも知れません」と。

 城田すず子さんは台湾やトラック島など様々な遍歴があるのですが、最後はパラオの『慰安所』で働いていました。その『慰安所』は沖縄の人と朝鮮人ばかりだったそうです。女性たちは爆弾でバラバラになった人の肉の散らばる戦場を彷徨い、生き残ってもなお「こんな身になっては帰ることはできない」と島に居残った女性が多くいたそうです。
 城田さんが苛まれた悪夢とはどのようなものだったのでしょうか? 韓国のマスコミには応じていた城田さんの気持ちとは……。むしろ日本社会の醜悪さばかり目立って、怒りがこみ上げてきてなりません。
 城田すず子さんの記した『マリヤの賛歌』という本があります。この本は城田さんが1956年に脊柱骨折で倒れられて、その絶対安静の病室で語られた内容を活字におこしたものなのだといいます。初版は1971年となっているから、先述の1984年というのは名乗り出たというよりも、「有名になった」くらいのものかも知れません。現在は絶版され、「かにた婦人」の村で自費出版されています。長らく読みたかった本なのですが、今回の訪問でやっと手に入れることができました。ここにはひとりの女性の、死と再生の物語が記されています。

 「慰安婦は売春婦だった」「商行為だった」という人がいます。そう主張することによって被害者を被害者でないかのように、歴史を歪曲したい人たちの言い分です。城田すず子さんは、確かに売春婦だったかも知れません。しかしここに書かれている人生は、商行為だったかとか、強制だったかとか、……そんなことは下らない、「慰安婦」問題の本質とは全くかけ離れた議論なのだということを教えてくれます。貧困を許容する社会が、障害を理解しない社会が、そして戦争が、戦時性奴隷制度を生むのです。それは戦後の性暴力問題についても同じこと。女性が傷つき耐えられず、悪夢に苛まれているというのに、それは被害でなかったなどと、それがまともな魂の言える言葉でしょうか?!
 二日後、東京の署名提出行動集会で、吉元玉ハルモニや宋神道ハルモニなど、たくさんの被害女性に会いました。みなさん高齢です。これまでたくさんの被害者の訃報に接してきました。城田すず子さんは1993年に亡くなられました。
 せめて、今生きている被害者への謝罪と補償、尊厳回復を実現しなければ。城田すず子さんの暮らした地で、そう決意を新たにしました。
2010年12月23日
リブ・イン・ピース☆9+25 カラン
  (リブインピースだより第14号より転載)

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