2016-10-31

日本軍の生体実験や南京大虐殺に怒った三笠宮崇仁、無かったことにしたい安倍晋三 - 逝きし世の面影

日本軍の生体実験や南京大虐殺に怒った三笠宮崇仁、無かったことにしたい安倍晋三 - 逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

日本軍の生体実験や南京大虐殺に怒った三笠宮崇仁、無かったことにしたい安倍晋三

2015年12月23日 | 政治
1943年 中国勤務時代に内蒙古を視察、包頭(パオトオ)南方で黄河を渡る三笠宮殿下。
軍による検閲で、同行者の肩章を消せとの指示が写真に書きこまれている。皇族軍人であることを秘匿するため、お印にちなんだ「若杉参謀」の偽名を使っていた(朝日新聞社)

『ネトウヨ・B層・反知性』

今の日本国で大流行している嫌韓嫌中ですが、お馬鹿なネットウヨの子供たちは中国の悪口を書く心算なら、本来なら中国語(漢字)の使用は駄目だと気が付かない。
(1970年代以降の韓国や北朝鮮ではナショナリズムが高揚した関係で、ほぼ自国語から表意文字の漢字を追放して表音文字のハングル一本にしてしまう。ところが、朝鮮語は同音異語が多い日本語と同じ構造なので人々は大いに不便をしている[?]無理やり漢字を追放した結果は、不便で有るばかりか子供達の知識水準も低下するが、そもそもナショナリズムとは『そのようなもの』なのです)
また、韓国の悪口の場合は文化も宗教も経済も社会も人種も、すべての面で世界中で一番『日本に近い』のが(大好きな)アメリカではなくて(大嫌いの)お隣の韓国なので困ったことに、自動的に『日本の悪口にもなる』ことに気が付かない
汚らしい在日ヘイトスピーチのネットウヨですが、そもそも『在日』朝鮮人の全員が日本にとって他者では無くて、みんなが仲良く『帝国の臣民』だった事実に気がつかない。
安倍晋三など日本の右翼国粋主義者が大好きな(理想とする)70年前の大日本帝国にそっくりなのが実は今の北朝鮮である。うり二つ。何から何まで『同じ』なのです。(昔の大日本帝国のカリカチュアが今の北朝鮮の真の姿であると考えれば分かりやすい)北朝鮮の悪口の場合には自動的に大日本帝国に対する悪口になることに気がつかない。
日本の右翼の北朝鮮への悪口三昧ですが、これ、そのまま自分たちが褒め称える大日本帝国にもぴったりと当てはまる。嫌韓嫌中、ついでに嫌北朝鮮ですが、まさに反知性の極み。
中国が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に申請した南京大虐殺文書の記憶遺産登録に対して、我が日本国政府(安倍晋三)が南京大虐殺を真っ向から否定する『新しい歴史教科書を作る会』の札付きの歴史修正主義のお馬鹿学者高橋某ををユネスコに派遣していたことが発覚しているが、まさに国辱的『ネトウヨ・B層・反知性』の見本である

『真っ向から否定する心算だったのに!。』

정면으로 부정하려는 심산이었는데
『仕方なく南京大虐殺を「歴史の事実」と渋々認めるネトウヨ(安倍晋三)日本政府の大失敗』
12月11日参院文科委員会、南京大虐殺のユネスコ記憶遺産登録の審査で、日本政府が大虐殺否定派(歴史修正主義)の鼻つまみの阿呆学者を派遣していたことを共産党の田村智子議員から『日本政府は南京大虐殺に対する態度を変えたのか』と追求されている。
外務省アジア大洋州局長は『非戦闘員の殺害や略奪行為等は否定できない』、『歴代政府は繰り返し痛切な反省と、心からのおわびを表明してきた』と南京大虐殺(1937年)について今までの日本政府の立場を繰り返した。馳浩文科相も『これまでの政府見解と同様の立場だ』と変化が無いことを確認している。
2006年に当時の安倍政権が始めた日中歴史共同研究でも、日本側の防衛研究所によって『日本軍による集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した』との論文がだされ、これが南京大虐殺についての日本の歴史学の共通認識になっていた
ところが今回ユネスコに政府が派遣した高橋史朗明星大学教授は、侵略戦争を全面否定する極右の国粋主義組織『新しい歴史教科書をつくる会』創立メンバーで、『南京大虐殺は中国のプロパガンダ』だと、日本政府や歴史学会の歴史認識とは180度逆の主張をしていた。



(資料)『南京大虐殺に怒った三笠宮崇仁』2015/12/9(水) 河信基の深読み

今月2日に百歳になった三笠宮が陸軍少佐とした赴任した南京で見聞した日本軍の数々の残虐行為に驚愕し、南京大虐殺に怒った事は意外と知られていない
その事実は兄の昭和天皇にも知らされており、兄弟共に暴走する日本軍への不信感を募らせていたことがうかがわれる。

南京大虐殺を否定する歴史修正主義者には写真がどうのと重箱の隅をつつくような些末な議論に流れ、旧日本軍を庇う傾向が認められるが、精神の貧困と言わねばならない。
『二人のプリンスと中国共産党』で、軍部に操られた昭和天皇は実は反戦主義者であり、海外侵略にのめり込む軍部に不満を強め、ポツダム宣言を受け入れる「聖断」に繋がったと書いたが
[?]、三笠宮の証言からも改めて裏付けられた。

三笠宮は結婚70周年の2011年10月に発表した感想で「結婚の時、私は陸軍大学の学生だった。間もなく戦争となり、支那派遣軍総司令部の参謀として南京に赴任した。帰国後、大本営参謀などを務めているうちに、敗戦となった。空襲で屋敷が全焼し、経済的な労苦は大きかった」と回想している。戦後は東大でオリエント史を学び、学者の道に進んだ。生物学の研究に打ち込んだ兄の昭和天皇と似た経歴である。
問題の南京赴任時代について自著『帝国と墓と民衆』(1956年光文社)に付した「我が思い出の記」で以下のように生々しく触れている。

「わたしの信念が根底から揺り動かされたのは、じつにこの1年間であった。いわば『聖戦』というものの実態に驚きはてたのである。罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここにあげるまでもない。かかる事変当初の一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにも
점점 더 기세가 오르다あおりたて마구 부추기다、およそ聖戦とは思いもつかない結果を招いてしまった。
この失敗は軍および日本政府首脳に真剣な反省をうながし、新たに対華新政策なるものが決定され、わたしが南京に赴任していた1年間は、司令官以下この方針の徹底に最大の努力をした。

新政策が発表されるや、軍司令官はただちに『四悪』を禁止するという厳重な命令をくだした。四悪というのは略奪、暴行、放火、強姦のことである。ある第一線の大隊長のいうことがふるっていた。今までは敵のいた家は焼きはらって進んでいた・・。ところが放火を禁ぜられてみると、第一線がどこにいるかさっぱり分からない、と。まったく笑えないナンセンスであった。正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか」


문제의 난징 부임 시절에 대해 자신의 저서 「제국과 무덤와 민중」(1956 년 광문)에 붙어 있던 '내 추억의 기록」에서 다음과 같이 생생하게 접해있다.

"내 믿음이 뿌리부터 흔들릴 된 것은 참으로 지난 1 년간이었다. 이른바 '성전'이라는 것의 실태에 놀라움 있었던 것이다. 죄도없는 중국 인민 대하여 저지른 불쾌한 폭력의 수는 이제 와서 여기에 다시 올릴 필요도 없다. 소요 사변 당초의 일부 장병의 만행은 중국의 대일 적개심을 점점올려 마구 부추겨세워 이미 성전이라고는 생각도 할 수 없는 결과를 낳았다 .
이 실패는 군 및 일본 정부 정상에게 진지한 반성을 재촉하여 새로 대중신정책이란 것이 결정되고, 내가 난징에 부임하고 1 년간 사령관 이하 이 정책의 철저한 집행에 최대한의 노력을 했다.
새로운 정책이 발표되자 군 사령관은 즉시 "4악 '을 금지한다는 엄중 한 명령을 내렸다. 4 악이라는 것은 약탈, 폭행, 방화, 강간이다. 어느 제1선의 전방의 대대장의 말이 돌고 있었다. "지금까지는 적이의 있던 집 불태우며 나아가고 있었다 .. 그런데 방화가 금지되고 보니 전방이 어디에 있는지 알 수가 없다"고. 전혀 웃지 못할 넌센스였다. 정의의 싸움이 아니었다 때문에 더욱 표면적으로는 성전을 강조하지 않을 수 없었던 것 아니었겠는가 "
三笠宮はコードネーム若杉参謀として南京に赴任していたが、帰任直前の1944年1月、将校らの前で講話し、軍紀の乱れや残虐行為を厳しく指弾した。
それは1994年に「支那事変に対する日本人としての反省」として公表された。미카사 궁은 코드 네임 와카 스기 참모로 난징에 부임하고 있었지만, 귀임 직전의 1944 년 1 월 장교들 앞에서 연설하고 군기의 혼란이나 잔학 행위를 엄하게 지탄했다. 그것은 1994 년에 「중일 전쟁에 대한 일본인의 반성 "로 공표되었다.

しかし、三笠宮自身、罪悪感に長く苦しんできた。
「紀元節復活に反対運動を展開してはどうか」(毎日新聞1957年11月13日)と呼び掛け、『紀元節についての私の信念』(文藝春秋1959年1月号)で次のように心情を明かしている。
「昭和15年に紀元二千六百年の祝典を行った日本は、翌年には無謀な太平洋戦争に突入した。架空な歴史を信じた人たちは、また勝算なき戦争を始めた人たちでもあったのである。もちろん私自身も旧陸軍軍人の一人として大いに責任がある。だからこそ、再び国民をあのような一大惨事に陥れないように努めることこそ、生き残った私の責務だと考える」
그러나 미카사 궁 자신은 죄책감으로 고심하고 있었다. "紀元節 (일본의 건국기념일)부활에 반대 운동을 전개하면 어떨까"(마이니치 신문 1957 년 11 월 13 일)라고 호소하며, "紀元節에 대한 내 신념"(문예 춘추 1959 년 1 월호)에서 다음과 같이 심정을 밝히고 있다. "1940 년에 서기 2600백 년의 축전을 한 일본은 이듬해에는 무모한 태평양 전쟁에 돌입했다. 상상의 역사를 믿는 사람들은 또한 승산없는 전쟁을 시작한 사람들이기도했던 것이다. 물론 나 자신도 구 육군 군인의 한 사람으로서 매우 책임을 느낀다. 그래서 다시는 국민을 그와 같은 일대 참사로 몰아 않도록 노력하는 것이야말로 아직 살아남은 나의 책임이라고 생각한다 "


さらに、「今もなお良心の苛責にたえないのは、戦争の罪悪性を十分に認識していなかったことです」(自叙伝『古代オリエント史と私』1984年学生社)と告白し、南京の実態について赤裸々に明かす。
「ある青年将校ー私の陸士時代の同級生だったからショックも強かったのですーから、兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突き刺させるにかぎる、と聞きました。また、多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し、毒ガスの生体実験をしている映画を見せられました。
その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州事変を調査するために国連から派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかったと語っていました」
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当然、南京大虐殺を否定する一部の歪んだ風潮については批判的であり、「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。人数は関係ありません」(『This is 読売』1994年8月号)と厳に戒めている。
注目すべきは、兄の昭和天皇とそうした認識を共有していたことをうかがわせる次の部分である。
「中国側は日本軍の残虐行為を『勝利行進曲』という映画にしていましたが、それを日本側が重慶あたりで没収してきたものを手に入れた私は、東京に連絡で戻った時に、その映画を持っていき、昭和天皇にもお見せしたことがあります。宣伝の部分も多いでしょうが、多くの部分は実際に行われた残虐行為だったろうと私は考えております」(同)。

南京大虐殺を否定する保守系メデイアは三笠宮を「赤い宮様」などと揶揄し、その発言を封じようとしてきた。
だが、現場を踏んだ証言の信憑性はいささかも揺るぐことがない。

『二人のプリンスと中国共産党』で、昭和天皇夫妻は「キリスト教の“秘密の洗礼”を受けた」と、タブーを明かした。戦前から聖書の講義を定期的に宮中で受けていたと『昭和天皇実録』に記述されており、キリスト教界の内部証言等で裏付けたが、三笠宮と共有していた罪悪感も心理的に作用したと思われる。
昭和天皇の人間宣言は、GHQに強要されたものではなく、自発的、必然的であった。

12月2日に100歳を迎えられた三笠宮崇仁(たかひと)親王殿下(大正天皇の4男で、長兄の裕仁「昭和天皇」とは14歳離れている)

『南京虐殺は“人数に関係はありません”のお立場「三笠宮殿下」』12月17日発売週刊新潮2015年12月3日号 

12月2日に100歳を迎えられた「三笠宮崇仁親王殿下」で思い出されるのは、皇族らしからぬ「斬新なお言葉」の数々である。例えば1956年に上梓された『帝王と墓と民衆』(光文社)に付された『わが思い出の記』の中で、1年間ご赴任された南京で見聞した日本軍の行状をこう嘆かれている。

〈一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ聖戦とはおもいもつかない結果を招いてしまった〉
〈内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか〉
同じ頃、世間では48年にGHQの意向で廃止された祝日・紀元節を復活させようとの気運が高まっていた。
そんな中、57年11月13日付「毎日新聞」は、ある歴史学者の祝いの席でなされた三笠宮さまの発言を報じている。

〈二月十一日を紀元節とすることの是非についてはいろいろ論じられているが、カンジンの歴史学者の発言が少ないのはどうしたわけか。紀元節問題は歴史科学に影響するところが大きいと思う。(中略)このさい、この会をきっかけに世話人が中心となって全国の学者に呼びかけ、二月十一日・紀元節反対運動を展開してはどうか。(中略)この問題は純粋科学に属することであり、右翼、左翼のイデオロギーとは別である」〉
学者の立場から「紀元節に科学的根拠なし」との論陣を張った三笠宮さまは、その後も、

〈紀元節についての私の信念〉(「文藝春秋」59年1月号)と題した論文を発表。
〈日本人である限り、正しい日本の歴史を知ることを喜ばない人はないであろう。紀元節の問題は、すなわち日本の古代史の問題である〉
そう強調され、以下のように結んでおられたのだ。
〈昭和十五年に紀元二千六百年の盛大な祝典を行った日本は、翌年には無謀な太平洋戦争に突入した。すなわち、架空な歴史――それは華やかではあるが――を信じた人たちは、また勝算なき戦争――大義名分はりっぱであったが――を始めた人たちでもあったのである。
もちろん私自身も旧陸軍軍人の一人としてこれらのことには大いに責任がある。
だからこそ、再び国民をあのような一大惨禍に陥れないように努めることこそ、生き残った旧軍人としての私の、そしてまた今は学者としての責務だと考えている〉

■「毒ガスの生体実験をしている映画」

こうしたお考えの集大成ともいえるのが、84年に刊行された自叙伝『古代オリエント史と私』(学生社)である。そこでは、

〈今もなお良心の苛責にたえないのは、戦争の罪悪性を十分に認識していなかったことです〉
と前置きしつつ、南京での実態をさらに詳述され、
〈ある青年将校――私の陸士時代の同級生だったからショックも強かったのです――から、兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突きささせるにかぎる、と聞きました。
また、多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し、毒ガスの生体実験をしている映画も見せられました。
その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州事変を調査するために国際連盟から派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかった、と語っていました。
「聖戦」のかげに、じつはこんなことがあったのでした〉

■〈昭和天皇にもお見せしたことがあります〉

南京から帰任する直前の44年1月、三笠宮さまは“若杉参謀”の名で将校らを前に講話をなさっている。
軍紀の乱れや現地軍の独走を激しく指弾する内容は「支那事変に対する日本人としての内省」という文書にまとめられ、94年には半世紀ぶりに公表された。
当時、月刊誌の取材でご自身は、いわゆる「南京虐殺」についても、
〈最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。
辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係はありません〉(「THIS IS 読売」94年8月号)
そう断じており、
〈中国側は、日本軍の残虐行為を『勝利行進曲』という映画にしていましたが、それを日本側が重慶あたりで没収してきたものを手に入れた私は、東京に連絡で戻った時に、その映画を持っていき、昭和天皇にもお見せしたことがあります。
もちろん中国が作った映画ですから、宣伝の部分も多いでしょうが、多くの部分は実際に行われた残虐行為だっただろうと私は考えています〉
老境に差し掛かってもなお、決して節を曲げることはなかったのである。
「特集 『三笠宮殿下』百寿祝いで思い出す『紀元節反対』と『南京虐殺言及』」  
週刊新潮2015年12月3日号 12月17日発売

『何故か政府べったりの保守的な政治姿勢が特徴の二者が、同時期に同内容の記事を書く不思議』

読み比べれば誰にでも分かるが、12月17日発売の週刊新潮2015年12月3日号と『南京大虐殺に怒った三笠宮崇仁』2015/12/9(水) 河信基の深読みの二つですが、完全なコピペではないが内容的に瓜二つである。
同一人物が書いたのではないかと思われるほど似ているのですよ。しかも、書かれた時期がまったく同一なのです。
(ただし、週刊誌とネットのどちらが先かは不明だが、)
今回の三笠宮の驚きの記述ですが、70年以上前に終わっている話ですよ。しかも書かれたのは最近ではなくて何十年もの昔の話である。
今生きている日本人にとっては、それほど大きな意味を持っていない。
しかも改めて取り上げて、わざわざ書く程の話ではない。左翼知識人なら一般常識に近い『誰でもが知っている知識』程度であろう。
ただし、三笠宮の話はマスコミでは忖度して(自主規制して)なるべく取り上げない種類の話なので、頭が空っぽで目が節穴の可哀想なネットウヨがまったく知らないだけなのです。
書いた河信基は以前には北朝鮮人脈だと思われていた人物ですが、現在は韓国の政府与党やパク・クネ大統領に限りなく近い在日朝鮮人知識人である
もちろん週刊新潮の方は最初から与党自民党や安倍晋三首相にべったりの右翼週刊誌の代表的存在なのです。その権力(政府)べったりが特徴の、そっくり同じ二者が同一記事を同一時期に書いている。
多分これは赤いニシン(間違った結論に誘導する偽の手がかり)の疑いが高い。
70年以上前の日本軍が悪かったところで、今生きている日本人にとって痛くもかゆくもない些細な話なのですが、(何十年も長い間マスコミが自主規制して隠していたのですから、)今の事態は深刻で、70年ぶりの2度目の日本の敗戦が目の前に迫っているのでしょう。 
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8 コメント

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Unknown (ましま)
2015-12-23 10:01:15
昭和天皇の「大矛盾」は、尊敬する明治天皇を鑑とするということと、帝国憲法を忠実に守るということに始まっているように見えます。

平和主義者でありながら、大元帥という地位にあり、弟はぞぞれ陸・海軍軍人にしなければならなかった。天皇を利用しようとする軍部に強い警戒感を持つのは兄弟に共通しています。

そういう史実を無視し、皇国史観が神国日本の伝統だと思っている輩を日本の政治から一刻も早く排除したいと、内心思っているのは、天皇ご一家じゃないでしょうか。
≪南京大虐殺は事実でない≫と安倍独裁言いたいのだ。≪岸信介の人体事件は歴史で証明されている≫しかし、親族が残虐行為の張本人では、安倍独裁には非常に都合が悪い!!! (伊藤昇)
2015-12-24 00:23:09
安倍独裁のコンプレックスを、消したいために事実である歴史をも、書き換える暴挙に出た!!!
70年前の非道軍国化復活にも、憲法まで書き換えた。
報道機関を我が物にして、報道規制・管制制御で偽物情報を平気でぶっ放す。大本営発表の復活!!!
我が物顔で、70年間平和の礎と継続を真逆の歴史に塗り替え中。
国民の大部分の反対者の声は、誰からも何事も受け容れない独裁者。
日本国憲法、法律、社会常識を守らない総理大臣なのか????? 恥ずかしい!!!
そんな人物が政治を執ってしまった。国民が苦しんだ戦前戦中の事態に逆走してしまった!!!
急アクセルを踏んだ日本車は、まっしぐらに戦争国家開花下まで加速を続ける!!!
止めなければならない!!!国民が止めないで誰が止める!!! 
日本帝国が最後の手段でとった特別攻撃隊!!! 体当たりで命を散らせた命令。
命の軽さは、時の国会議員・官僚・軍隊が狙ったご都合主義の何物でも無い!!!
私達国民には、国会議員・官僚・自衛隊など信じられない存在価値のないものである。
残されているのは、上記の改心か、国民の実力行使なのか!!!
憲法で許される自爆攻撃は、選挙しかない!!! 1票1票積み上げることに力を注ごう!!!
私達は、人体実験や、戦犯者が起こした残虐極悪非道な行為は絶対しない!!!
人間として当たり前のことをするまでだ。連携しましょう。頑張りましょう。老若男女でね。
腹立たしい限りです (潔)
2015-12-24 09:08:41
初めてコメントさせていただきます。
毎回、記事の洞察の深さに感銘しつつ、忸怩たる思いで拝読させていただいています。
今回の記事ですが、ネトウヨや現政権の振る舞いをみていると、
戦前の日本人の倫理観と、現代の我々の倫理観と比較して、
特にその危うさという点で、
それほど大きな違いはないのではないか、と思います。
なので、再び戦争となれば、この記事のような行為が繰り返されるのでは、と危惧しています。
過去の犯罪的行為を記憶に留め、諫めとすることが必要なのに、事実を歪曲し、あげく憲法改正など、愚の骨頂に感じます。
p (鬼乃伊)
2015-12-24 22:32:34
こういった現実の証言があるにも拘らず、歴史を自分の都合のいいものに変えてしまおうなどとは、安倍さん 、頭の中精密検査することをおすすめします。一刻も早くU+203CU+FE0E
A級戦犯としてのヒロヒト (宗純)
2015-12-27 13:57:05
ましまさん、コメント有難うございます。

今回の河信基の深読みにしろ週刊新潮2015年12月3日号 にしろ、この時期に書かれた意味は大きいでしょう。
ただし、三笠宮の記述から分かることは、日本の天皇が日本軍の残虐行為(戦争犯罪)を熟知していた事実ですよ。これではA級戦犯としてのヒロヒトの罪は免れないでしょう。
絞首刑になった東条英機よりもヒロヒトの方が遥かに権限もあり責任もある。
イタリアのムッソリーニはパルチザンにつかまり愛人もろとも処刑され逆さ磔になり、ドイツのヒットラーは自殺して遺体は粉々にされる。ヒロヒト一人が何の責任も取らず敗戦後も天皇の退位も行わない。戦争責任は忠実な忠臣だった軍事官僚の東条英機に押し付けてのうのうと生き延びている。
世界の常識(グローバルスタンダード)では責任をとるのが責任者だが、わが日本国に限っては、責任者には責任がない。ましてや天皇のような最高責任者にはもっと責任がないのですから情けない。
ヒロヒトが責任を一切取らなかったので、それ以外の連中も誰も責任を感じていないのは当然だったのです。
70年ぶりの2度目の敗戦が目の前に迫っている (宗純)
2015-12-27 14:12:48
伊藤昇さん、潔さん、鬼乃伊さん、みなさんコメント有難うございます。

今回の三笠宮の驚きの記述ですが、70年以上前に終わっている話ですよ。しかも書かれたのは最近ではなくて何十年もの昔の話。
今生きている日本人にとっては、それほど大きな意味を持っていない。
頭が空っぽのネットウヨが知らないだけなのです。
12月17日発売週刊新潮2015年12月3日号と『南京大虐殺に怒った三笠宮崇仁』2015/12/9(水) 河信基の深読みの二つですが、完全なコピペではないが内容的に瓜二つ。
同一人物が書いたのではないかと思われるほど似ているのですよ。
しかも、書かれた時期が同一なのです。
(どちらが先かは不明だが、)
書いた河信基は以前には北朝鮮人脈だと思われていた人物ですが、現在は韓国の与党に限りなく近い。
もちろん週刊新潮の方は最初から与党べったりなのです。その二人が同一記事を同一時期に書いている。多分これは赤いニシン(間違いに誘導する偽の手がかり)の疑いが高い。
70年以上前の日本軍が悪かったところで、今生きている日本人にとって痛くもかゆくもない些細な話なのです。
Unknown (N)
2016-10-27 19:08:43
三笠宮さまご逝去のニュース番組で『古代オリエント史と私』の一部分が取り上げられていたので、前後が知りたいと思い調べていたらこちらにたどり着きました。
ずいぶん昔の資料であるのに知名度が低いのが大変残念だと感じました。
紀元節復活の記事と合わせて、大変丁寧なご説明をありがとうございました。
アメリカ大統領選に全面介入しているらしいグーグル (宗純)
2016-10-30 15:33:39
Nさん、コメント有難うございます。

この記事は1年近く前に書いたものですが、不思議な経験をしているのです。記事をアップする少し前からグーグルブログでは、【政治】人気ランキングなるサービスを始めていたのですが、・・・
グーグルの集計した日付の訪問者数がブログの同じ日付のランキング(日別)訪問者数が同じではない。
通常は4~5倍、多い時には10倍ほど開く。少ない場合には3倍程度の開きなのです。
そして、1年前のこの記事の政治ランキングの訪問者数が7000人弱(もちろんランキングの1位)だったので、当然最低でもブログの同じ日付の1日の訪問者数は数万人だと喜んだのですが、残念ながら8000人程度だったので随分気抜けした思い出がある。

そもそもインターネットはアメリカ軍が軍事用に開発したもので、最初から最後まですべてがアメリカに管理されている。
ハプポスによると、今度のアメリカ大統領選にグーグルが全面的にクリントンを支援して色々と工作を行ているらしいのですが、グーグルのネットの私物化は徹底的らしいのです。
本屋大賞で自分の読む本を選ぶ人もいるらしいが、ネットでも同じで、アクセスランキングの上位に入ると、アクセス数が増える傾向があるらしい。
この記事ですが、なぜか気に入られ、グーグルによって支援されているのですから喜んで良いのか悲しんだ方が良いのか。困った話です。

2016-10-29

천황제 기둥은 주술적 ‘신도’ : 문화일반 : 문화 : 뉴스 : 한겨레

천황제 기둥은 주술적 ‘신도’ : 문화일반 : 문화 : 뉴스 : 한겨레

천황제 기둥은 주술적 ‘신도’

등록 :2008-05-14 17:50수정 :2008-05-14 19:41
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‘덴진 마쓰리’. 7월24~5일 오사카에서 열리는 대표적인 일본 마쓰리(축제). 덴진(天神)은 주군의 아들이 죽을 위기에 처하자 자신의 아들을 대신 죽게 함으로써 은혜를 갚았다는 사무라이 스가와라 미치자네가 죽어서 신이 된 뒤 불리는 이름이다. 천둥과 번개를 관장하는 신이자 학문의 신인 덴진은 일본인에게 인기있는 베스트 3신 안에 들어간다.     현암사 제공
‘덴진 마쓰리’. 7월24~5일 오사카에서 열리는 대표적인 일본 마쓰리(축제). 덴진(天神)은 주군의 아들이 죽을 위기에 처하자 자신의 아들을 대신 죽게 함으로써 은혜를 갚았다는 사무라이 스가와라 미치자네가 죽어서 신이 된 뒤 불리는 이름이다. 천둥과 번개를 관장하는 신이자 학문의 신인 덴진은 일본인에게 인기있는 베스트 3신 안에 들어간다. 현암사 제공
정혜선 연구원이 본 일본
보편적 진리보다 현세 집착
뿌리 같은 한국과 ‘정반대’
한국과 일본은 비슷한 것 같으면서도 다르다. 지구상에서 일본과 가장 비슷한 나라가 한국이라는 말이 있는가 하면, 일본과 가장 다른 나라가 한국이라는 말도 통용된다.
왜 그런가? <한국인의 일본사>(현암사 펴냄)는 바로 그런 의문에 답하려는 책이다. 일본 도쿄대 문학부 조선사연구실에서 공부한 저자 정혜선 성균관대 인문과학연구소 선임연구원은 시종 ‘왜 일본은 한국과 다른가?’에 초점을 맞추고 문학, 철학, 종교, 예술 분야를 오가며 일본사회의 밑바닥 심성과 풍토를 파헤치고 이웃나라들과 비교한다. 연대기적 일반역사서가 아니다. 그리하여 그는 뜻밖에도 자신이 모르고 무관심했던, “일본과 정반대의 문화를 지닌” 경이로운 한국문화에도 새롭게 눈뜬다. 일본을 알아야 한국도 제대로 알 수 있다는 얘기다.
1949~53년 오사카대 고하마 모토쓰구 교수는 일본 전국의 5만6천여명의 두개골을 조사해 본 결과 현대 일본인의 원류가 아이누인과 한반도인이라는 사실을 밝혀냈다. 하니하라 가즈오 도쿄대 교수는 컴퓨터 시뮬레이션을 통해 일본 고대국가 형성기인 7세기께 조몬인(석기시대 일본 선주민) 직계자손과 이주민(주로 한반도 출신) 계통의 인구 구성비가 1 대 9.6이라는 추정치를 얻어냈다. <총 균 쇠> <제3의 침팬지> 등을 쓴 제러드 다이아몬드는 “일본인의 뿌리는 한국”이라고 단정했다. 물론 뿌리가 그렇다는 것일 뿐 두 나라는 전혀 다른 길을 갔다. 일본정치사상사의 권위자 마루야마 마사오는 “일본은 문명사에서 완전한 예외”라고 단언하기까지 했다.
한국인의 일본사
한국인의 일본사
지은이가 이 ‘다름’의 원천이자 “일본을 근원적으로 이해하는 통로”로 지목하고 있는 것이 바로 정령신앙(애니미즘)에서 출발한 ‘신도(神道)’다. 일본 전국에는 8만여개의 신사가 있고, 1억2천만 인구 가운데 1억1천만이 신사를 정기적으로 드나들면서 800만을 헤아리는 신들을 믿고 있다. 그 신들의 정상에 ‘천황’가의 수호신인 태양신 ‘아마테라스 오미카미’가 있다. 정 연구원은 일본 신도를 주술적인 원시종교가 단절없이 지금까지 한 국가의 주류종교로 존속하는 거의 유일한 예로 파악한다. 일본에서는 부처조차도 수많은 신들 가운데 하나일 뿐이다. “일본 불교는 불교적 진리보다는 현세의 이익을 가져오는 신으로서 수용되어(신불습합), 주술적 종교로서 일본사회의 신도적 풍토에 적응했다. 결국에는 장례식, 조상숭배, 주술적 기도처럼 기존의 신도적 의례를 대신하여 각종의 종교 서비스를 제공하고 이로써 얻는 경제이익을 사원 경영의 재원으로 돌리는 일종의 종교 비즈니스 조직으로 살아남았다.” 불교의 신도화다.
일본의 유교·주자학도 마찬가지 길을 갔다. 핵심 개념인 ‘이(理)’나 ‘천리(天理)’는 17~8세기 유학자 오규 소라이에 이르면 완전히 소멸, 탈락하고 현세적 실천윤리로 변질된다. 외래 고등종교가 토속종교를 제압하는 일반적 패턴과는 다르다.
‘천황’제가 살아남은 것도 신도 때문이다. 다른 세계가 “생과 사, 선악, 도덕, 보편가치 등 인간의 본질적인 문제를 붙들고 씨름하면서” 인간성을 왜곡하는 사회에 대해 분노할 때도 일본은 거기에 별 관심이 없었다. 일본은 대신 자아를 집단에서 찾으면서 집단에 대한 충성으로 치달았다. “남는 것은 무엇이겠는가? 그것은 형식을 끝까지 밀고 나가는 것이다. 본질에 관심이 없을 때 모든 관심과 에너지는 형식에 집중될 것이다.” 일본 미학의 특성이다. 가업으로 이어지는 일본적 장인정신도 같은 맥락에서 이해할 수 있다.

정 연구원는 신도가 유지될 수 있었던 결정적인 이유를 일본의 자연환경, 지리적 특성에서 찾았다. 지진과 화산과 태풍의 거대한 위력에 언제나 노출돼 있는 불안한 삶, 그리고 그 결과로 형성된 일본적 풍토를 외부침략으로부터 지켜준 섬나라라는 특성이다. 또 높은 산들로 나뉜 험준한 지형은 한국 중국과 같은 중앙집권 체제의 확립을 방해했고, 그 결과 정치와 종교가 미분화상태로 남았으며 그것은 또 절대진리나 보편가치 추구를 가로막았다.
교통 통신 발달로 향후 일본적 특성은 약화될 수밖에 없지만, “‘천황이 건재한 신의 나라’라는, 일본이 역사적으로 발전시켜 온 유일한 정체성”에 집착하는 우익들의 위험한 준동을 저지할 사회세력은 대단히 미약하다. 그걸 “좌절시킬 수 있는 것은 오직 힘뿐”이라고 지은이는 생각한다. 힘은 주변과의 연대에서 나온다.
한승동 선임기자 sdhan@hani.co.kr


원문보기: 
http://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/287554.html#csidxc386ac103c697a1b5ffd552e7e2dcad 

2016-10-28

[쓸로몬] 朴대통령 취임식부터 '무속신앙'…이유를 살펴보니 - 노컷뉴스

[쓸로몬] 朴대통령 취임식부터 '무속신앙'…이유를 살펴보니 - 노컷뉴스

朴대통령 취임식부터 '무속신앙'…이유를 살펴보니


쓸로몬은 쓸모있는 것만을 '즐겨찾기' 하는 사람들을 칭하는 '신조어' 입니다. 풍부한 맥락과 깊이있는 뉴스를 공유할게요. '쓸모 없는 뉴스'는 가라! [편집자 주]

2013년 2월 박근혜 대통령 취임식 행사에 등장한 오방낭.2013년 2월 박근혜 대통령 취임식 행사에 등장한 오방낭.
무당(巫堂) : 귀신을 섬겨 길흉을 점치고 굿을 하는 것을 직업으로 하는 사람(출처=표준국어대사전). 

박근혜 대통령과 '비선실세' 최순실 씨 간의 은밀한 관계가 사실로 드러나면서 그간 박 대통령의 다소 '이상했던(?)' 행보와 어록이 재조명을 받고 있습니다. 

최씨는 사이비 종교인이었던 아버지 최태민 씨로부터 '현몽'(죽은 사람이나 신령이 꿈에 나타남) 능력을 물려 받아 영적 후계자로 낙점 받은 것으로 알려졌는데요. 최순실 씨에게 '무당'이라는 별칭이 따라붙는 것도 이 이유에섭니다. 

평소에 대통령을 '언니'라고 부를 정도로 가까웠다고 하니 최씨의 이런 무속 신앙이 고스란히 박 대통령에게 영향을 줬을 것이란 분석이 설득력을 얻고 있는데요. 

그동안 믿기 어려웠던 '찌라시' 수준의 풍문들이, 이제는 '풍문이 아닐 수도 있다'는 얘깁니다. 

하나씩 되짚어보겠습니다.

매년 11월 경북 구미에서는 고 박정희 전 대통령의 탄신제가 성대하게 열립니다. 대형 영정사진이 내걸리고 무속인들이 춤사위를 벌입니다. 이런 자리에 박 대통령은 지난 2011년까지 꾸준히 참석했습니다. 

박 대통령이 새누리당 대선 후보였던 2012년 11월, 정수장학회 문제 해결을 위해 1억 5000만원 상당의 굿판을 벌였다는 의혹이 불거졌습니다. 

새누리당은 의혹을 제기한 원정스님을 고발했고, 법원은 "구체적인 소명을 하지 못했다"며 원정스님에게 유죄를 선고했습니다. 

하지만 법원은 이 굿판이 실제로 있었는지 없었는지에 대한 판단은 내릴 수가 없었습니다. 왜냐하면 굿을 한 주체가 입을 굳게 다물었기 때문입니다. 

2013년 2월 박근혜 대통령 취임식 행사 '희망이 열리는 나무(오방낭 복주머니)' 제막식2013년 2월 박근혜 대통령 취임식 행사 '희망이 열리는 나무(오방낭 복주머니)' 제막식
특히 2013년 2월 박 대통령의 취임식장에는 무속 신앙의 상징인 '오방낭'이 버젓이 등장했습니다. 

이름하여 '오방낭' 복주머니 제막식. 오행사상에 기초한 오방낭은 흑, 백, 청, 홍, 황의 다섯 가지 색을 뜻하는데, 예로부터 '우주의 기운'을 상징하는 부적인 것으로 전해지고 있습니다. 

오방낭 제막식은 최씨가 기획했습니다. 그런데 당초 최씨 측은 국보 1호 숭례문 전체를 오방색 천으로 감싸는 대형 행사로 기획하려다 내부 반발에 부딪쳤다고 합니다. 하마터면 대한민국의 상징이 거대한 굿판의 배경이 될 뻔한 아찔한 사건이었습니다. 

2014년 4월 세월호 참사 당일 박 대통령의 '의문의 7시간'은 여전히 풀리지 않은 미스터리입니다. 

일각에서는 박 대통령이 최순실 씨의 남편이자 최측근인 정윤회 씨와 함께 있었다는 주장을 펴기도 했지만, 정작 정씨는 그 시간 역술인 이세민씨를 만났다고 증언했습니다. 

국가적 재난 상황에서 대통령의 최측근이 하필이면 역술인을 만난 이유는 뭘까요?

요즘 다시 회자되고 있는 박 대통령의 어록도 살펴보겠습니다. 

노컷V 영상 캡처노컷V 영상 캡처
2015년 4월 중남미 순방 당시 브라질 경제인 행사에 참석했던 박 대통령은 "간절히 원하면 온 우주가 도와준다"는 '명언(?)'을 남겼습니다. 


다음달 청와대에서 열린 어린이날 행사. 박 대통령은 한술 더 떠 "정말 간절하게 원하면 전 우주가 나서서 다같이 도와준다. 그리고 꿈이 이뤄진다"고 말했습니다. 

이 어록으로 만들어진 '짤방'은 박 대통령을 희화화하는 대표적인 짤방으로 등극하기도 했죠.

같은 해 11월 국무회의 공개석상. "자기 나라 역사를 모르면 혼이 없는 인간이 되고, 바르게 역사를 배우지 못하면 혼이 비정상이 될 수밖에 없다"며 역대급 발언을 내놨습니다.

국가원수의 메시지라고는 믿기 어려운 발언들이지만, 최씨가 대통령의 연설문을 실제로 수정했던 전력을 감안하면 이것 역시 최씨의 코치를 받은 게 아니냐는 의심이 가는 대목입니다. 

올해 1월 국회에서 벌어진 굿판도 빼놓을 수 없겠네요. 새누리당 종교위원장인 이이재 의원의 협조를 받아 한국역술인협회는 나라의 미래를 점치는 재수굿을 펼쳤습니다. 당내에서도 두고두고 논란이 일었죠.

입법기관에서 굿을 했다는 얘기는 전 세계를 뒤져봐도 찾아보기 힘든 사례였습니다. 

사실이 아니면 좋겠지만, 여기에도 최씨의 입김이 작용했다면 한 개인이 '제정 분리 사회'를 근본에서부터 흔들어놓았다는 비판에서 자유로울 수 없을 것 같습니다. 

아, 최순실 씨가 별도로 '비선모임'을 운영했다는 얘기도 나오고 있는데요. 모임 이름이 '8선녀(仙女)'라고 하네요. 머리부터 발끝까지 '무속 신앙'입니다.

대한민국, 사이비 종교가 통치하나? - 노컷뉴스

대한민국, 사이비 종교가 통치하나? - 노컷뉴스

대한민국, 사이비 종교가 통치하나?

드러나기 시작하는 박 대통령과 이단 세력과의 관계
2013년 2월 박근혜 대통령 취임식 행사 '희망이 열리는 나무(오방낭 복주머니)' 제막식. (사진=자료사진)2013년 2월 박근혜 대통령 취임식 행사 '희망이 열리는 나무(오방낭 복주머니)' 제막식. (사진=자료사진)
이단 사이비 교주와 같은 고 최태민 씨를 의지하며 그의 딸 최순실 씨의 국정농단을 용인해 온 박근혜 대통령. 박 대통령과 그 주변 권력에는 최 씨 뿐 아니라 다른 이단세력들도 관계가 있다는 의혹이 제기되고 있다. 

◇ 영세교 만든 최태민…이단에 불과해

최태민 씨는 1954년 경남 동래군 금화사의 승려로 시작해 전국불교청년회의 임원으로 등장하고, 이를 발판삼아 공화당 중앙위원으로 권력에 다가갔다.

그러다 경찰에 사기 혐의로 쫓기고 신분세탁을 위해 69년 서울 중림동성당에서 영세를 받겠다고 나타난다. 또 천부교에도 몸을 담았던 것으로 알려졌다.

1973년 5월에는 대전의 한 예식장에서 사이비 종교행사를 열기도 한다. 당시 대전일보에는 '영세계에서 알리는 말씀'이라는 광고가 실렸는데, 이 광고에서 최 씨는 자신을 '조물주가 보낸 칙사'라고 표현하면서 '불교계에서의 깨침과 기독교계에서의 성령강림, 천도교에서의 인내천이 모두를 조화로서 실천시킨다'며 사람들을 끌어들였다. 

불교와 기독교, 천도교를 혼합한 새로운 종파, 이것이 바로 최태민이 창설한 영세교다. 

최 씨는 대전과 서울 일대를 옮겨 다니며 찾아오는 신도나 환자들에게 최면술로 시술하며 교주로서 활발히 활동했다. 

1993년 11월에 발행된 월간중앙에 따르면 당시 그를 추종하는 성도가 300명에 달했다고 밝히고 있다. 

최 씨의 영세교는 1981년 조희성이 영생교라는 이름으로 이단 계보를 이어받았는데, 신도들의 노동력을 착취하며 폭행과 살인을 일삼아 큰 문제가 됐었다.

◇ 박 대통령 비선 최순실, 통일교와도 연관?

27일 오후 서울 세종로 파이낸스빌딩 앞에서 열린 ‘최순실 의혹 진상규명 촉구 집회’ 참석자들이 설치한 대형 현수막을 한 시민이 바라보고 있다. (사진=황진환 기자 )27일 오후 서울 세종로 파이낸스빌딩 앞에서 열린 ‘최순실 의혹 진상규명 촉구 집회’ 참석자들이 설치한 대형 현수막을 한 시민이 바라보고 있다. (사진=황진환 기자 )
최태민 씨의 딸이자 박 대통령의 비선 실세 정황이 드러난 최순실 씨가 세계일보와의 단독인터뷰를 통해 대부분의 혐의를 부인했다.

이를 두고 최순실 씨를 비호하는 인터뷰를 보도한 세계일보와 최 씨와의 유착 관계에 대해 의구심이 제기되고 있다.

재미 언론인 안치용 씨가 운영하는 '시크릿 오브 코리아'에 따르면 최 씨와 세계일보의 인터뷰를 주선한 이는 전 세계일보 사장을 지낸 사 모씨라는 사람으로 1993년부터 2003년까지 통일교(세계평화통일가정연합) 유럽 회장을 지냈고, 고 문선명 통일교 총재의 최측근으로 꼽혔던 인물이다.

더군다나 최 씨의 딸 정유라 씨가 통일교 재단이 운영하고 있는 경복초등학교와 선화예중을 졸업한 것까지 더 하면 최 씨와 통일교는 밀접한 관계를 맺고 있는 것으로 보인다.


우연의 일치인지 통일교는 최태민 씨가 몸을 담았던 천부교와도 맥을 같이한다. 천부교의 창시자인 박태선 씨와 통일교의 창시자인 문선명 씨는 이스라엘 수도원 운동의 교주 김백문에게 나란히 가르침을 받았다고 전해진다.

◇ 박근혜 대통령 신천지 도움 받아?

이만희 교주의 신천지(신천지예수교증거장막성전)와 박 대통령과의 관계도 조명되고 있다. 신천지는 조직적으로 정권에 유착하려는 의지가 오래 전부터 있어왔다. 

고 최태민 씨(왼쪽 두번째)가 만든 경로병원의 개원식에 참석한 박근혜 대통령(오른쪽 두번째)의 모습. 1977년 3월 17일 매일경제 기사 사진.고 최태민 씨(왼쪽 두번째)가 만든 경로병원의 개원식에 참석한 박근혜 대통령(오른쪽 두번째)의 모습. 1977년 3월 17일 매일경제 기사 사진.
2002년 대선 당시 이회창 선거대책위원회에서 청년위원회 직능단장과 대학생위원회 부위원장으로 활동했던 차한선 씨. 현대종교에 따르면 차 씨는 문화센터 자격으로 수강생을 모집하여 신천지 교리를 가르쳤던 당시 '하늘사다리 문화센터'의 대표였다. 

차 씨는 이후 서청원 의원을 한나라당 대표로 만들기 위해 50만 명에게 전화를 걸어 지지를 부탁하고, 2주 만에 1만 명이 가입한 청원사랑이라는 카페를 만들었다고 밝혀졌다.

차 씨는 2010년 한나라당 비상근부대변인을 맡았다. 차 씨뿐 아니라 신천지 장로인 황길중 씨는 새누리당의 국민행복종교본부 자문위원과 실버세대 위원회 등을 역임하기도 했다.

2012년 기독교계에서는 이 같은 신천지와 정치권의 유착관계를 폭로했다. 신천지의 각종 범죄에 대해 처벌은커녕 수사도 되지 않는 것이 정치권과의 유착 때문이고, 신천지가 신도들을 한나라당 당원에 가입시키면서 조직적인 동원을 해 왔다는 것이다. 

이단 관계자들은 신천지가 여당인사를 중심으로 접근해 결국 대통령과의 연결고리를 만들려고 시도했을 것으로 보고 있다.

平成25年度の秋山財団賞、新渡戸・南原賞、研究助成、ネットワーク形成事業助成 - 秋山記念生命科学振興財団



平成25年度の秋山財団賞、新渡戸・南原賞、研究助成、ネットワーク形成事業助成 - 秋山記念生命科学振興財団




新渡戸稲造と南原繁が取り組んだ国際平和活動と若い世代に対する教育実践の精神に学び、それを受け継ぎ、次世代の育成に貢献された方を顕彰します。特に平和活動と教育実践に取り組む次世代に対する支援を充実させていきます。


受賞者

角谷 晋次(カドヤ シンジ)氏(75歳)


所属役職

学校法人 盛岡キリスト教学園 理事長、盛岡仙北町教会 牧師



受賞理由

角谷晋次氏は、大学時代に内村鑑三の著作に学び、岩手県山形村(現久慈市)で伝道を始め、同地で1970年「神を愛し、人を愛し、土を愛す」の三愛精神に基づく岩手三愛山村塾を開講し、毎年4泊5日で同塾を開催し、主宰している。開設から43年が経過した本年夏は、新渡戸基金と共催で、「世界の平和と新渡戸稲造の生涯」をテーマに開催する。

また、同氏は、新渡戸基金評議員、新渡戸基金維持会監事などを務めながら、新渡戸基金のフレンズ・セミナーで講師を務めるなど、新渡戸稲造の精神を広く伝えている。

著書、論文に「新渡戸稲造における修養」、「新渡戸稲造とクエーカリズム」「ペンシルヴァニア州におけるフレンド派」、「新渡戸稲造におけるキリスト教精神」など、多数を執筆した。

최순실 - 나무위키

최순실 - 나무위키

2016-10-26

[김조년의 맑고 낮은 목소리] 일상생활이 정치야!

[김조년의 맑고 낮은 목소리] 일상생활이 정치야! 

한남대 명예교수 2016.10.23 금강일보 



1987년 늦은 가을이나 초겨울일 것이다. 초여름까지의 민주화의 열기에 따라 헌법이 개정되고, 그것에 맞는 대통령 선거전이 한창일 때다. 오랜 군부의 집권으로부터 벗어나기 위하여 상당히 많은 사람들이 산뜻한 민주정권을 만들기를 희망하는 분위기가 사회에 가득할 때다. 여당에서는 노태우, 야당에서는 김영삼, 김대중이 각각 입후보하였다. 물론 큰 관심 밖에 있는 다른 몇 사람도 입후보하였다. 이 때 아주 강한 분위기는 두 김 씨가 단일화하는 일이었다. 시간은 무자비할 만큼 빠르게 결전의 날이 다가오는 데, 두 사람과 그들을 각각 지지하는 진영에서는 단일화를 바라지 않거나 반대하는 흐름도 있었다. 또 찬성한다고 할지라도 그것은 내 측으로 단일화이지, 다른 사람에게 밀어주면서 까지는 생각하지 않을 때다. 이러한 것은 그 때만이 아니라 선거 때마다, 그것이 크든 작든 언제나 있었던 것들이다. 그것이 잘 되지 않을 때가 더 많지만 사람들은 그 문제를 또 꺼내고 기대한다. 그 때도 그랬다. 그 때야말로 야당이 단일화하여야 정권교체가 가능하다는 것을 아주 확연하게 믿는 사람들이 참으로 많았다. 물론 이러한 것들은 정권을 잡은 측에서 부정선거를 이끌지 않고 공정하게 선거를 관리한다는 전제에서 나오는 일이다. 물론 부정선거의 가능성이 있지만, 그것을 믿지 않으려는 것이 일반 경향이기도 하다.

이런 분위기와는 달리 전혀 양측은 단일화 할 기미도 없었고, 심지어는 그렇게 3파전으로 가야 야당이, 두 김 씨 중 한 사람이라도 이긴다는 궁색하고 뻔한 거짓 논리를 펴기도 하였다. 이 때 철학을 하는 내 친구는 아주 좌불안석이었다. 그가 어느 날 서울에 가자고 하였다. 우리가 존경하는 선생님 몇 분을 만나서 이들 양김 씨가 단일화하도록 노력하여 달라는 말을 드리자는 것이었다. 나는 별로 실효 없는 일이라고 생각하였으나 그 친구의 열정에 따랐다. 김수환 추기경을 만나겠다는 계획은 접었다. 그 날이 일요일인데다 그렇게 간단히 만날 수 있는 가능성이 전혀 없다는 것을 알았기 때문이다. 그 다음 문익환 선생에게 전화했으나 예배에 가셨단다. 어느 교회로 가셨는지, 언제 댁으로 돌아오실 지 전혀 모른다는 것이었다. 그래서 퀘이커 예배모임으로 가서 함석헌 선생을 만나기로 하였다. 모임에 나오신 선생께 만날 시간을 달라고 하여 얻었다. 오후에 댁으로 찾아뵈었다.
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친구는 아주 열심히 열정을 내어 선생께 설명을 드렸다. 어르신들께서 이 두 양김 씨를 불러다 놓고, 국민들의 간절한 소원이니 한 사람으로 빨리 합하라고 말씀하시고 강력히 그들에게 압력을 넣으면 좋겠다는 뜻을 전달했다. 말없이 들으시던 선생이 조용히 입을 열었다. “그들이 우리의 말을 들을 것이라면, 벌써 국민의 소리를 들었겠지요. 그렇게 해본 사람들이 없었겠소? 이번 선거는 다 끝났다고 봐요. 역사는 계단을 뛰어넘는 법은 없다고 합디다. 이번 일은 이미 끝난 것이니 다음 5년 뒤를 위하여 준비하는 것이 좋을 거요. 그리고 그런 맘이 있으면 직접 하는 것이지 누구에게 이렇게 저렇게 하여 주시오 라고 할 일이 아니지 않소?” 5년 뒤를 직접 준비하라고? 어떻게 누가 준비한단 말인가?

물론 단일화는 불가능하였고, 선거는 군정에 참여하였던 세력의 승리로 끝났다. 그러고 난 5년 뒤는 여당을 비롯한 3당이 깜짝 합당하여 큰 정당을 만들어 선거에 승리를 하였고, 그 5년 뒤에는 또 다른 연합으로 선거에 승리하는 일을 하였다. 그러한 과정에서 그 일들을 이끄는 핵심 인사들에게는 ‘대통령병’에 걸린 사람들이라고 지탄하기도 하였다. 그들은 차례로 대통령이 됐다. 그 뒤 한 일들도 꽤나 있지만, 그것들이 꼭 대통령이 한 일이며, 꼭 대통령이 돼야 할 일인가는 두고 생각해 볼 일이다.

다시 ‘5년 뒤를 준비하시오’ 라는 말의 뜻은 무엇일까? 시간만 가면 되는 것은 아니지 않던가? 그 뒤 또 다른 ‘영웅’ ‘인물’을 만들라는 말도 아닐 것이다. 그 때 가서 야합하거나 억지로 합하라는 뜻도 아닐 것이다. 영웅이 필요하지 않은 민주주의 시대에 왜 사람들은 굉장한 인물을 찾고 바라고 만들려고 하는 것일까? 다 맥없는 거짓인데. 지금 굉장히 큰 세력을 가진 미국이라는 나라의 선거전에 나선 사람들이 영웅일까? 인물일까? 거기에도 구역질나는 사람과 일들이 많지 않은가? 그런 의미에서 인물은 없다. 있다면 성실한 생활인이 있 뿐이요, 필요할 뿐이다.

그런데 선거철이 가까이 오니 어김없이 인물론과 세력론과 합종연횡의 전략들이 마구 일어난다. 은둔을 접고 세상에 나온 사람, 작은 일을 하다가 큰 영역을 맡겠다고 나오는 사람, 그러면서 이러한 사람이라면 좋겠다고 나서고 따라가는 사람들. 이러저러한 모임과 정당들을 새로 만들거나 쪼개거나 합하거나 하는 사람들. 그렇게 하여 산뜻한 정치를 하여 보겠다는 주장들. 그것들은 다 거짓이다. 계약직 대통령이 실세도 아니고, ‘비선실세’라는 말도 다 허상이다. 

실세는 바로 우리, 나와 너의 생활인의 깨어있는 주권만이 실세다. 생활을 모르는 자들은 정치가의 계열에서 배제되어야 한다. 표몰이배들은 배제되어야 한다. 오로지 바른 생활을 공동으로 하자는 자만이 나타나게 해야 한다. 요동치고 까불리는 물결에 붙박는 닻을 내릴 때다.
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2016-10-25

[단독] “최순실이 박대통령에 이래라저래라 시키는 구조” : 정치일반 : 정치 : 뉴스 : 한겨레



[단독] “최순실이 박대통령에 이래라저래라 시키는 구조” : 정치일반 : 정치 : 뉴스 : 한겨레

[단독] “최순실이 박대통령에 이래라저래라 시키는 구조”

등록 :2016-10-25

이성한 전 미르재단 사무총장 증언
“논현동 사무실서 각계 전문가와 ‘비선모임’
대통령 스케줄 물론 국가 정책 전반 논의
최씨 30㎝ 두께 대통령 보고자료 매일 받아”
“최씨 말 듣고 우리가 사업계획서 올리면
그대로 청와대 문건 돼 거꾸로 우리한테 전달”


‘비선실세’ 최순실씨가 거의 매일 청와대로부터 30㎝ 두께의 ‘대통령 보고자료’를 건네받아 검토했다는 증언이 나왔다. 최씨는 이 자료를 가지고 국정 전반을 논의하는 ‘비선 모임’을 운영했다고 한다. 이런 진술은 최씨와 가까웠던 이성한 전 미르재단 사무총장이 9월7일부터 9월25일까지 모두 4차례에 걸쳐 16시간 동안 진행한 <한겨레>와의 인터뷰에서 일관되게 말한 내용이다.

이 전 사무총장은 인터뷰에서 “최씨는 주로 자신의 논현동 사무실에서 각계의 다양한 전문가를 만나 대통령의 향후 스케줄이나 국가적 정책 사안을 논의했다”며 “최씨는 이런 모임을 주제별로 여러개 운영했는데, 일종의 대통령을 위한 자문회의 성격이었다”고 말했다. 이 전 총장은 비선 모임의 참석자와 관련해 “적을 때는 2명, 많을 때는 5명까지 모였다. 나도 몇번 참여한 적이 있다”며 “모임에 오는 사람은 회의 성격에 따라 조금씩 바뀌었지만 차은택씨는 거의 항상 있었고 고영태씨도 자주 참석했다”고 말했다. 차씨는 광고감독 출신으로 박근혜 정부 들어 ‘문화계의 황태자’로 불리고 있는 인물이다. 고씨는 최씨와 막역한 사이로 그가 만든 가방을 박근혜 대통령이 들고다녀 화제가 된 적이 있다.

그는 이어 최씨의 사무실 책상 위에는 항상 30㎝가량 두께의 ‘대통령 보고자료’가 놓여 있었다고 증언했다. 그는 “자료는 주로 청와대 수석들이 대통령한테 보고한 것들로 거의 매일 밤 청와대의 정호성 제1부속실장이 사무실로 들고 왔다”고 이름을 분명히 밝혔다. 정호성 제1부속실장은 이른바 ‘문고리 3인방’으로 불리는 비서관 가운데 한 명이다. 그는 “최순실씨는 모임에서 별다른 설명 없이 이 자료를 던져주고 읽어보게 하고는 ‘이건 이렇게, 저건 저렇게 하라’고 지시를 내렸다”며 “최씨의 말을 듣고 우리가 사업 계획서를 작성해 올리면 그게 나중에 토씨 하나 바뀌지 않고 그대로 청와대 문건이 돼 거꾸로 우리한테 전달됐다”고 말했다.

이 전 총장은 이런 말을 하면서 <한겨레> 기자에게 자신의 아이폰에 사진파일로 저장된, 자신이 작성한 뒤 다시 청와대 문건 형식으로 내려온 문건들을 비교해 보여줬다. 그는 또 자신의 핸드폰에 저장된 청와대 수석비서관 및 비서관 20여명의 전화번호를 보여줬는데 <한겨레>가 나중에 파악해보니 실제 전화번호와 일치했다.

그는 비선 모임의 논의 주제와 관련해서는 “한 10%는 미르, 케이스포츠 재단과 관련한 일이지만 나머지 90%는 개성공단 폐쇄 등 정부 정책과 관련된 게 대부분으로 최순실씨는 이를 ‘박근혜 대통령의 관심사항’이라고 표현했다”고 말했다. 그는 “이 모임에서는 인사 문제도 논의됐는데 장관을 만들고 안 만들고가 결정됐다”고 밝혔다.

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이 전 총장은 “이런 얘기는 통념을 무너뜨리는 건데, 사실 최씨가 대통령한테 ‘이렇게 하라 저렇게 하라’고 시키는 구조다. 대통령이 단독으로 결정할 수 있는 사안이 없다. 최씨한테 다 물어보고 승인이 나야 가능한 거라고 보면 된다. 청와대의 문고리 3인방도 사실 다들 최씨의 심부름꾼에 지나지 않는다”고 말했다.

이씨의 증언은 상식을 뛰어넘는 것이나 <한겨레>가 지난 두 달가량 취재한 내용과 상당 부분 일치하는데다, <제이티비시>가 24일 방영한 ‘최순실씨가 연설문을 미리 열람하고 수정까지 했다’는 내용과도 부합하는 것이어서 보도를 하기로 결정했다.

김의겸 류이근 기자 kyummy@hani.co.kr



원문보기:
http://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/767209.html#csidxcdb18a91211f17e823d37c1994ed9fa

2016-10-23

프랭크 도너휴 <최후의 교수들>

관점이 있는 뉴스 - 프레시안

왜 우리는 최후를 맞게 되었나
2014.12.12 17:08:08
[프레시안 books] 
<최후의 교수들>(일월서각, 2014년 10월 펴냄)로 번역된 이 책의 원제는 '기업형 대학과 인문학의 운명'이다. 저자는 오하이오 주립대학의 영문학 종신교수인 프랭크 도너휴로 그 자신이 속한 분야인 인문학의 임종 상황을 대학의 몰락이라는 관점에서 조명하고 있다. 그는 '위기'라는 말을 쓰기를 거부한다. 위기란 말을 쓸 때, 그것은 어떤 '이상 상태'를 의미하고 '정상상태'의 복원이 가능하다는 뉘앙스를 담고 있는데, 오늘날 대학과 인문학의 상황은 사실상 구조적인 파국 상황이기 때문에 단순히 '위기'라고 말한다면, 상황을 과소평가하게 만들기 때문이라는 것이다.

사실 서평을 쓰는 것을 오랫동안 망설였다. 왜냐하면 이 책에서 진단하고 있는 미국 대학에 대한 통렬한 비판과 인문학 전공 교수, 강사, 대학원생에 대한 분석은 한국에서도 이미 대부분 현실이 된 내용이기에 새로운 인식을 줄 수 없는 반면, 긍정적 전망이라고는 도무지 찾을 수 없는 암울함으로만 가득한 것이었기 때문이다. 이렇게 펼쳐진 '묵시록'을 계속 음미해 본다한들, 대저 희망이란 있겠는가 하는 비관적 심정이 마음속에서 계속 차올랐던 것이다.

그것은 이 책의 각 장별 제목만을 봐도 알 수 있다. 이 책의 제1장은 '셰익스피어와 호머가 무슨 쓸모가 있는가'로 되어 있다. 기업(시장 권력)과 대학의 100년간의 적대관계를 묘사하고 있는 장인데, 위의 발언은 19세기말 철강왕 카네기가 한 말로 소개되고 있다. 경제적 '유용성' 앞에서 인문학은 한마디로 쓸데없는 것이라는 기업가의 공격은 유구한 것이었는데, 한국에서도 유수의 사립대학을 인수한 한 재벌 그룹 회장이 예전에 했던 말을 연상시킨다. 화폐로 교환 가능한 희소성과 유용성의 요구 앞에서, 인문학의 비가시적 비전은 항상 모멸당하고 격하된다.

제2장은 '우수한 학생이 먼저 탈락한다'라는 제목이 달려 있다. 여기에서는 인문학 전공 대학원생들이 처해 있는 곤경을 다루고 있다. 지난 50여 년간 미국현대어문협회를 포함한 각종 기관의 대학원생에 대한 통계조사를 검토해 보면, 인문학 박사과정 진학자의 50퍼센트가량이 중도에 학업을 포기하고 자퇴한 것으로 나타나고 있다. 박사과정에 진학한 학생들은 글쓰기, 문학, 토론 지도, 채점 등 다양한 연구조교 활동으로 학비를 얼마간 보충해 왔는데, 2004년도의 박사 학위 취득 현황 보고서를 보면, 933명만이 박사 학위를 받고 5500명은 입학 후 4년차까지 학위 취득을 못한 것으로 나타나고 있다. '박사 실업자'도 문제지만 '비박 실업자'가 빠른 속도로 팽창하고 있다는 것이다.

제3장은 '떠오르는 비전임 강사 군단'이라는 제목을 달고 있다. 인문학뿐만 아니라 대학 전체에 정년 트랙 교수가 축소되고, 신규 인력은 대부분 비정년 트랙의 강사 제도를 활용하다 보니, "박사란 사실상 대학 교육과정의 쓰레기 부산물"로 전락했다는 과감한 진단이 내려지고 있다. 한국의 비정규 교수들이 '보따리 장사'로 자조하고 있는 것과 비슷하게, 미국의 강사들은 자신들을 '고속도로 인생'이란 자기모멸적 표현으로 규정하고 있다. 광활한 북미의 고속도로를 이동하며 여러 대학에 출강하는 강사들의 풍경을 그렇게 묘사하고 있는 것이다. 그럼에도 불구하고 강사직조차 해고 통보를 받으면 많은 이들이 "울음을 터뜨린다"는 묘사에 이르러서는, 그 끔찍함에 치를 떨게 된다.

제4장에서는 정년 트랙 교수의 몰락과 기업대학의 출현을 다루고 있다. 앞에서도 기업가들의 인문학 교수들에 대한 적대감이 묘사되고 있지만, 이 장에서는 묘사되는 교수들은 하루살이 인생이다. '최후의 교수들'로 묘사되고 있는 정년 트랙 교수들은 오늘의 대학에서도 일종의 "토템적 지위"를 점하고 있는 것처럼 보인다. 하지만 이 교수 토테미즘의 세계에 입사(入社)하려는 신진 교수들은 일종의 영업사원으로 이미 전락해 있다. 연구 업적을 과장하기 위한 논문 발표와 출판 경쟁에 강박적으로 몰입하고 있지만, 박사 인력의 구조적 공급과잉으로 인한 무한 경쟁은 피할 수 없어 끝없이 도태되고 소진된다. 대학은 어떻게 변했나. 기업형 대학인 피닉스 대학과 같이 대학의 모든 강좌가 시간제 강사로만 운영되는 교육 사업체로 변모되는 극단적 양상도 나타난다는 것이다.

제5장의 제목은 '브랜드 대학과 대량 공급 대학'이다. 이 장에서는 한국의 대학과 마찬가지인 대학 간 서열 경쟁이 주로 조명되고 있다. 1983년에 시작된 '유에스 뉴스 앤 월드 리포트의 미국 대학 서열'에서 상위 랭킹을 차지하기 위해, 미국의 각 대학들은 명성을 계량화·상품화하는 경쟁에 뛰어든 지 오래되었다. 언론사에 의한 대학 평가가 한국 대학을 변형시킨 것의 원 모델은 미국이었던 것이다. 그런 과정에서 유용성과 효율성을 계량화할 수 없는 인문학 전공은 급속하게 사라지고 있다.

ⓒ일월서각
그렇다면, 무엇을 할 것인가라는 질문을 던지는 것이 필요하다. 이 부분에서 저자는 "인문학자들은 자기 분야를 위협하는 기업 논리에 단순히 반대하기보다는 좀 더 다른 관점에서 맞서야 한다"고 말한다. 그 '다른 관점'이란 무엇인가. 두 가지 점이 지적된다.

첫째, "대학 교육을 실용적 직업훈련 위주로 운영하면 취업이 보장되고 학생들의 삶의 질이 높아지는가"라는 질문을 던져야 한다는 것이다. 즉 대학에서 '실용 교육'의 강화가 "정말로 학생들에게 '경제적 이익'을 가줘다 주었나"라는 점을 실증적으로 검토하면서, 기업식 교육의 이데올로기를 해체해야 한다는 주장이다.

둘째, 인문학 교수가 미래의 대학에서 사라지는 일을 막기 위해서는 고등교육의 '내용'뿐만 아니라 고등교육이 '작동하는 방식'까지를 비판적으로 검토해야 한다는 것이다. 이를 위해서는 인문학 교수가 인정하기 꺼리는 "대학 노동의 실상"은 물론이거니와 대학 제도의 성립 과정 자체를 역사적으로 검토할 필요가 있다는 것이다.

대체로 이런 내용이었는데, 간략한 요약에서 알 수 있듯 우리에게도 이미 익숙한 현실이어서 '지적 자극'이기보다는 최후의 대학과 교수들에 대한 '재인식'이라는 차원에서 상황을 복기하기에 좋은 책이었다. 하지만 현재의 대학 상황에 대한 이해가 필요한 독자들에게는 '비극적 현실주의'의 관점에서 일독을 권유하고 싶은 책이기도 하다.

대학이 구조변형을 피하기 어려운 이유

그렇다면 나 자신이 생각하는 대학에 대한 관점은 어떠한가. 나는 인문학뿐만 아니라 대학 자체가 거대한 구조변형을 일으킬 것이라는 점에 대해서는 동의한다. 그러나 그 원인 분석은 다르다. 오늘과 같은 형태로 대학이 대중화된 것은 큰 틀에서 보면, 1945년에서 1970년대 초반까지 세계 자본주의의 호황에 근거한 것이었다고 생각한다.

이런 생각을 선구적으로 제시한 것은 이매뉴얼 월러스틴이었다. 자본주의의 성장은 중간계급의 성장을 견인했고, 이 중간계급에 속하거나 엘리트로 편입되려는 계층 상승의 통로로 대중에게는 '고등교육'이 활용되었다. 기업 편에서 보면, 새로운 시장과 상품, 노동력의 창출을 위해서 대학 교육의 실용화와 전문 대학원 체제가 요구되었다. 대학이 양적으로 확대되는 것과 동시에 전통적인 인문학을 추월하면서 공학과 경영학, 전문 대학원 등이 비약적으로 폭발한 것은 이런 구조적 변화에 입각한 것이었다.

1945년 이후는 동시에 세계사적으로 '냉전'과 '내셔널리즘'이 경쟁적으로 고양되던 때였다. 한국의 국문학과 역사학이 그렇듯, 대학의 인문학과 사회과학은 이 냉전과 내셔널리즘의 고양 과정에서 확대되고 강화되었다. 이전에는 각광을 받지 못했던 문화인류학이랄지 심리학이랄지 하는 학문 분야를 포함하여 지역학 연구가 번성한 것 역시 이런 까닭이었을 것이다.

동구 및 소비에트가 몰락하고 자본주의 세계체제가 일원적으로 작동하기 시작하자 '세계화' 담론은 국제적인 대학 간 경쟁 메커니즘을 작동시키기 시작했다. 구미의 대학들은 이렇게 붕괴된 구 소비에트 블록의 유학생들을, 마치 1945년 이후 식민지 체제에서 해방된 후진국 엘리트를 수용한 것의 재판인 듯 받아들여 상대적인 대학의 풍요를 유지해 나갔다. 고등교육이라는 표면적으로는 가치중립적인 제도를 통해, 구미적 가치 더 정확하게는 미국적 가치를 내면화하고 확장적으로 보편화할 수 있었던 것이다. 이 과정에서도 미국 대학의 성장은 거침이 없었다.

그러나 풍요의 시대가 종결되어 세계 자본주의가 구조적 저성장 국면으로 이행하고, 미국 중심의 헤게모니 체제가 경향적으로 약화되는 방향으로 나아가게 되자, 세계 대학의 위상을 점하던 미국 대학의 위기 역시 점차 명백해졌다. 중간계층의 소비에 의해 작동되는 자본주의 체제가 저성장이 구조화된 국면이라면, 고액의 대학 등록금을 내고 대학을 다닌다 한들 '학위'가 보증하는 교환가치는 점차 평가절하 될 수밖에 없다. 자본주의의 경향적 침체 국면에서 대학은 이전의 기업형 대학이라는 극단적인 변형조차도 지탱할 수 없는 지경으로 축소될 확률이 높다. '학위'를 '취업'으로 교환할 수 있다는 믿음이 성립되어야만 대학이 그나마 지탱될 수 있는데, 현재는 그 희망이 급속도로 악화되는 시점이기에 대중들의 '대학 거부' 또는 '회피' 현상이 나타나기 시작하는 전환기가 되었다고 나는 생각한다.

한국의 대학의 경우 '인구 감소'가 중요한 대학 변형의 이슈가 되고 있다. 그러나 인구 감소뿐만 아니라 한국 경제의 저성장의 구조화 가능성 역시, 대학의 구조변형에 박차를 가하는 계기로 작동할 것이다. 이것은 나를 포함해 대학에 몸담고 있는 사람들에게는 매우 심각한 위기로 나타날 것이지만, 불행하게도 그것을 회피할 방법은 사실상 별로 없다고 판단된다. 이런 점에서는 프랭크 도너휴의 주장처럼 현재의 상황은 대학의 위기라기보다는 종언으로 가는 문턱이라고 보는 관점에 나는 동의한다.


대학의 위기와 지배 엘리트의 위기, 금이 가는 지배체제의 정당성

그러나 대학의 위기는 단지 대학 자체의 혹은 대학과 연관된 대중의 위기만으로 나타나지는 않을 것이다. 이것은 동시에 '지배 엘리트'의 위기로 나타나고, 그것을 가능케 했던 지배적 체제에 대한 불신과 위기의 형태로도 나타날 것이다. 대학이라는 전통적 중간계층의 수혈 통로나 엘리트로 전환하는 통로가 불신이나 봉쇄를 당하게 된다는 것은, 이와 연동된 지배체제의 물질적·제도적 기반이 상실된다는 것을 의미한다. 지금이야 신나서 기업과 국가가 대학을 부수고 있지만, 이 과정에서 역설적으로 그것의 지배체제를 지탱했던 암묵적 정당성도 균열된다는 아이러니를 망각하면 안 된다.

가령, 그런 현상을 우리보다 앞서 대학 구조 개혁을 추구하고 있는 일본에서 나는 발견하곤 한다. 일본의 대학 역시 우리보다 앞서 이른바 '신자유주의적 구조조정'을 수행했다. 그러한 작업은 현재도 진행 중이다.

그런데 구조조정을 진행하다 보니, 일본의 지배 엘리트들은 다음과 같은 역설에 도달했다. 가령 일본의 명문대라 할 수 있는 도쿄대생들마저도 단지 '취업'에만 목매는 이상한 '바보들'로 전락하게 되었다는 것이다. 일본의 월간지인 <세계>나 <중앙공론> 등에는 매호마다 '대학의 위기'와 관련한 기고문들이 게재되고 있는데, 흥미로운 내용들을 종종 읽어볼 수 있다.

예컨대 이런 주장이 있다. 일본 경제가 '잃어버린 20년'으로 침몰하기 전의 일본 학생들은 '유학'이라는 통로를 통해 세계를 폭넓게 사유하고 그 안에서 일본의 '좌표'를 찾고자 했다. 국내 대학에 진학하는 학생 역시 "재팬 이즈 넘버원"이라는 자부심 속에서, 대학 전공을 단순한 '취업'의 수단으로만 인식했던 것이 아니라, 지배 엘리트로서 역할을 준비하는 역량을 키우겠다는 야심을 갖고 있었다. 이들에게 엘리트가 된다는 것은  전공 분야의 기계적 합리성이나 지식뿐만 아니라, 인간과 세계에 대한 통찰력이 중요한 것이기에 인문학적 토대는 매우 중요한 것이었다. 그런데 요즘의 일본 대학생들은 모두 '취업'에만 골몰하고 있다. 도쿄대도 교토대도, 게이오대도 와세다대도 모든 학생들이 취업에 골몰하고 있기 때문에, 도대체가 쓸 만한 인재를 찾을 수가 없다는 것이다.

이런 신자유주의 지배 엘리트들의 위기의식은 한국보다 오히려 더 급진화된 견해를 제시하는 방향으로 나아간다. 즉 이들은 기존의 대학을 신자유주의적으로 변형하는 것의 실패를 일단 인정한 후, 다음과 같이 제로로부터 다시 시작하는 대안을 제시한다. 충격적이게도 이들의 대안은 간명하다. 기존의 종합 명문대학 체제조차 이제는 비전이 없다, 그러니 새로운 엘리트 육성 전문 단과대학을 설립해 '일본'을 이끌어 갈 새로운 엘리트 계층을 양성하자. 그러면서 내놓는 대안은 이런 것이다. 프랑스의 대학 체제를 모방해 관료가 될 학생들은 '국립 행정대학'으로, 교원이 될 학생은 '국립 고등사범대학'으로, 판검사가 될 학생은 '국립 법률대학' 식의 새로운 대학을 설립해 새 출발을 하자는 것이다. 이것은 사실상 국가에 의한 대학 구조조정의 실패를 고백하는 것에 다름 아니다.

이런 위기의식 때문인지 신자유주의 대학 구조조정 과정에서 일본에서는 특이한 단과대학이 탄생하기도 하였다. 가령 '국제교양대학'이 그런 경우다. 이 대학은 인문학이 신자유주의와 어떻게 기묘한 방식으로 결합하는지를 잘 보여준다. 이 대학에 입학한 모든 학생은 졸업 시까지 인류의 고전을 체계적으로 토론하고 학습하고 에세이를 써야 한다. 이 대학의 도서관은 24시간 개방된다. 학생들의 지적 탐구가 제약되어서는 안 되기 때문이다. 이 대학의 모든 교수는 전원 2년제 계약제로 채용된다. 교수회의 신분권 요구를 원천봉쇄하기 위해서다. 이 대학의 모든 강의는 4년간 영어로 이루어진다. 이 대학의 모든 학생들은 1년간 해외 대학에 교환학생으로 파견되어, 자신이 탐구한 주제에 지역에 연구보고서를 제출해야 한다. 이 대학에서 가장 강조되는 것은 국제 비즈니스와 지역연구이다. 모든 커리큘럼은 이에 맞춰 편성되는데, 그 결과 취업률은 100퍼센트에 육박한다.

이른바 몇몇 명문대를 제외한 종합대학에서 인문학은 몰락하겠지만, 한국 역시 가령 미국의 경우와 같이 엘리트·중산층 자제들이 입학하는 자유교양대학(liberal arts college)과 같은 단과대학들이 경쟁적으로 설립되면서 오히려 인문학을 강조하게 될 확률도 높다. 이런 유형의 대학의 등록금은 고액인 경우가 대부분이어서, 평범한 중간계층의 학생들이나 부모들은 감당하기 어려운 수준일 것이다. 이런 유형의 대학을 졸업한 학생들은 대개 이름난 전문 대학원에 입학해 엘리트로서 사회적 계층을 유지하고자 할 것이지만, 오늘의 전문직이라는 것 역시 대량 공급 탓에 그 사회적 교환가치가 하락하는 추세에 있기 때문에, 아무리 발버둥 친다고 해도 직업 선택의 자유는 현저한 제약 상태에 처하게 될 것이다.

▲ 학위를 취업으로 교환할 수 있다는 믿음이 약해진 시대를 맞아 대학의 위상도 뿌리째 흔들리고 있다. 사진은 대학 비진학자, 중퇴 예정자, 중퇴자 등 대학을 거부한 20대 30명이 2011년에 '대학 거부 선언'을 하는 모습. ⓒ프레시안(김윤나영)

"고전을 음미한 후에, 반드시 너의 현실로 돌아오라"

한국에서 대학 인문학의 위기는 다음과 같은 대안을 제시하고 있는 것으로 보인다. 여러 대학에서 대안적 모델로 제시하고 있는 학부 공통 인문 교육과정의 강화다. 이른바 학부대학을 자유교양대학 수준으로 강화하고 인문주의에 기반을 둔 커리큘럼을 광범위하고 치밀하게 제시하고 있는데, 그것의 장점은 흔쾌하게 인정하면서도 문제점도 있을 것이다. 그것은 가령 "계승할 만한 가치가 있는 전통"이라는 관점에서 네오 휴머니즘적 관점이 인문교육의 규범으로 강조되는 경향이 있다. 이것은 존중할 만한 가치가 있지만, 하나의 맹점은 '다시 고전으로 돌아가라' 식의 한계에 봉착할 수 있다는 점이다.

내 개인적 판단에 한국 대학 인문학의 가장 큰 위기는 고전으로 돌아가는 연구자와 교육자는 허다한데, 한국 사회라는 현실을 직접적인 연구 대상으로 포착해 연구하고 교육하는, 현실을 향해 열려 있는 인문학자들은 지극히 드물다는 사실이다. '현실'이 인문학의 탐구 대상이 안 되니까, 또 그것이 한국의 인문학계에서 '학적 작업'으로 인정되지 않으니까, 막상 신자유주의적 대학 구조 개혁이라는 무지막지한 현실이 도래하면 인문학자들의 저항이 '신분보장' 수준으로 축소되는 것과 동시에 대중적 지지를 받지 못하게 되는 것이다. 따라서 "고전을 음미한 후에, 반드시 너의 현실로 돌아오라"는 식으로 인문교육이 변형되어야 한다고 생각한다.

한국 대학 인문학의 또 하나의 실패는 미국 대학 인문학의 실패와 동일한, 대중과 소통하지 못하는 '연구 업적주의'에 학자들 자신이 매몰되었다는 점에서 찾을 수 있다. 많은 수의 한국의 인문학자들은 자신을 특정 분야의 전문가라기보다는 유기적 지식인으로 생각하는 경향이 있다. 그러나 오늘날 유기적 지식인의 기능을 담당하고 있는 것은 대중들과 소통하는 데 있어서 접촉면을 확보하고 있는 칼럼니스트들이다. 이 말은 인문학자들이 칼럼니스트가 되어야 한다는 말이 아니라, 그들의 교육과 저술 활동에서 대중들과 접촉면을 확장하지 않으면, 그들은 그저 또 하나의 전문 직업인에 불과해 대학에서 인문학의 몰락조차도 대중들에게는 '밥그릇의 상실'이라는 상투적인 이미지로 인식될 확률이 높다는 점을 환기시키기 위해서 한 발언이다.

한국 인문학의 실패의 또 다른 명백한 사례는 학문 후속세대의 양성이라는 과제의 실패에서 온다. 거기에는 한국 대학원 교육의 실패라는 명백한 원인도 제시되어야 한다. 많은 수의 한국 대학원 교육은 학부교육의 '위족' 역할을 한 채, 그것과는 반대로 양적인 확장만을 지속해왔다. 박사 학위 과정의 양적인 확대 과정이 과연 '교수들'을 위한 것이었는지 '학생들'을 위한 것이었는지를 생각해 보는 것도 중요하다고 생각한다.

나는 교수들이 고등교육의 본래성을 수호한다는 주장은 존중하는 편이다. 그러나 우리가 믿고 있는 대학의 본래성이란 게 과연 어떤 것이었나 하는 점은 음미되고 발전적으로 해체될 필요가 있다고 생각한다. 생각해 보면 인문학은 그 정체가 '비학제적 학제' 또는 '비제도적인 제도'라는 역설에 기반을 두고 있는 학문이다. '인문과학'이라는 학문 분류가 우리에게 선호되고 있지만, 인문학은 과학에 '미달'되거나 그것을 '초과'하는 메타적 성격의 담론과 사유 체계를 의미한다.

그렇다면 21세기에 필요한 인문학은 무엇이며, 어떤 것이 부서지고 변형되는 신자유주의 체제의 안과 밖에서 인문학 특유의 비판적 사고와 예리한 실천을 제도적·비제도적으로 가능케 하는 것일까. 현대 대학의 '최후의 교수들'이나 탈현대 대학의 '최초의 교수들'이 될 사람들은 이 점에 대한 필사적인 고뇌를 통과해야 될 것으로 판단된다. 이 책을 읽으면서 내가 한 고민들을 더 펼치고 싶지만, 오늘은 이 정도에서 펜을 놓을까 한다.