2016-10-07

Amazon.co.jp: 武士道 (岩波文庫) 電子書籍: 新渡戸 稲造, 矢内原 忠雄: Kindleストア

Amazon.co.jp: 武士道 (岩波文庫) 電子書籍: 新渡戸 稲造, 矢内原 忠雄: Kindleストア
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5つ星のうち4.0クリスチャンによる武士道
投稿者asatobon2003年12月15日
形式: 文庫
この本を読むときに、よろしければ気にとめて頂きたい点があります。
それは、著者、翻訳者ともにキリスト教徒であると言うことです。
(本の内容については、他の方々が既に充分な書評をかかれております。)
新渡戸稲造はクエーカー派と呼ばれるキリスト教徒です。
クエーカーは「内なる光」という直感的な「良心」を重視し、
「沈黙の礼拝」を行います。日本の座禅ににている礼拝で、
儀式もなく、聖書に元ずく平和主義で知られているグループです。
アメリカ・イギリス両クエーカーの団体は1947年に
ノーベル平和賞を受賞した経験があります。
一方、翻訳者の矢内原忠雄は内村鑑三の流れを汲む「無教会」という
キリスト教の伝道者で、戦後2代目の東京大学総長に選ばれており、
激務にありながら、毎週日曜日は集会で「聖書講義」を行った方です。
第二次大戦中は、非戦論者として知られました。
そのために、東大教授職を追われた方です。
私たちは、この「武士道」を読むに当たり、
なぜこの純日本的とも言われる武士道精神が、
俗に言う「西洋の宗教」であるキリスト教の信者によって書かれたのか、
静かに考えてみることは、意味があることではないでしょうか。
なぜこの本が、非キリスト教徒によって
書かれることがなかったのか、考えることは大事であると思います。
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5つ星のうち5.0武士道はいまだ死せず
投稿者grd22001年9月17日
形式: 文庫
武士道は、日本を表徴する桜の花と同じように、わが国土に固有の花である。
『武士道』第1章はこうした象徴的な一文から始まる。
桜の花が日本の武士道を象徴するとすれば、西欧の騎士道ないし哲学を象徴するものは薔薇である。
薔薇は強い芳香を持ち、優雅に咲く花である。しかし、その美しさの裏側には棘があり、枯れてもなお散らずに残りつづけようとする生への執着がある。
一方、我々は潔く散りゆく桜の花びらに美を見い出し、その淡い芳香に飽きることがない。
このように、西洋のものが「生の哲学」であるなら、
日本のそれは「死の哲学」であると言っていいであろう。ただしこの「死の哲学」は、「死」を奨励するという種類のものではなくて、むしろ人生をいかに生きるべきかという求道的倫!理的な問題を、万人にとって絶対的な存在である死を出発点として扱おうとする問題意識のことなのである。死というものを身近に感じ、これを受け入れ、日々これに対面することによって死から解放され、むしろ「生きる覚悟」というものが確固としたものとなり得るのである。
これに対して、我々が多く学んできた西洋の「生の哲学」がもたらしたものは利殖と保身と享楽の追及でしかなかった。
このような認識のもとに立つことが出来れば、我々は今一度、「武士道」という精神に学ぶことが大きいであろう。
『武士道』はつまり、
いかに死ぬべきかを問うたものではなく、
いかに生きるべきかという問いに対して
闊達自在な日々の心構えを説いたものだからである。
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5つ星のうち5.0「武士道」をもって「日本人」を世界に説明する書
投稿者青ち2005年1月11日
形式: 文庫
菅野覚明『武士道の逆襲』(講談社現代新書)に触発されて読んでみた。
本書には、津田左右吉から上に挙げた菅野に至るまで、「実際の武士のあり方を表現していない」という批判がついて回る。「実際の武士」の「武士道」とはどのようなものか、という問題については菅野に譲るとしよう。ここでは、この本はもともと英語で書かれているということ、言い換えれば西洋人に読まれることを前提として書かれたのだ、という点に注意を喚起しておきたい。
新渡戸は必ずしもこの本で武士道そのものを詳述することを目指したのではない。西洋世界に「日本」をいかに説明するか。しかも非西洋でありながら西洋に通じる普遍性があるということをいかに主張するか。彼の関心はそこにこそあったのである。
したがって、この本から読み取れるのは、武士そのもののあり方ではない。アメリカの地で、1899年の時点で、新渡戸が「西洋に相対する日本」をいかにイメージしていたか、ということである。つまり、この本は「武士の時代」の本ではなく、あくまで「明治=近代」の本なのである。
そうした点を踏まえて読めば、得るところはすこぶる多い。近代日本の自己主張の原型が、そこにはある。
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5つ星のうち4.0確かに名著でした。
投稿者itgakiVINEメンバー2006年10月29日
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「武士道」は封建社会の遺物であり、現代の生活には馴染まない、そんな先入観を持って読みました。が、書かれている事は、武士道が古から日本人の道徳観念を支えていたという事実であり、その書かれている事は本質的で、現代の生活そして生きていく上での姿勢にも十分参考になるものでした。

筆者も認めているように、かつてでも武士道を誤って認識している輩も多かったらしい。例えば、切腹についても軽軽しく腹を切って済ます(それでも凄いけど)ことで潔さを表しているが、本来はそれは犬死であり、軽軽しく死を扱わないことが本来であること。切腹をするからには、その武士道の精神に則った大儀があるべきことが書かれています。武士道にはそのような側面があることや、解釈に誤解があったこととあわせて論じているので、一層武士道の本質が判りやすくなっている印象でした。

前書きにもありますが、日本人の道徳教育は何によってなされてきたかを、異国の人に説明するために書かれた本です。ですので、外国(主にヨーロッパ)の宗教(=キリスト教)や哲学との比較、引用が多く、改めて納得できる事例も多いです。改めて筆者である新渡戸稲造氏の博学には驚かされました。しかも文章も非常に綺麗!本当に凄い人ですね。

私のように何も知らない人間は、「武士道」と聞くだけで右翼的なイメージを持ってしまいます。そのため、この名著と接する機会を逸してきたことを考えると、その本の本質である「日本人の道徳観念」の方を題名とする方が、現代では読まれる機会が増えるのだろうに、とも感じました。

本当は、そんな世の中への迎合より、「武士道」という観念が広がっていくことを願っていますが…。

とにかく、一度読んでみることをお薦めします。
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5つ星のうち3.0翻訳本
投稿者カスタマー2004年2月9日
形式: 文庫
「武士道」は自分の精神的なルーツを知る上で、現代の日本人は必ず読んでおくべき書物であると思います。百年前に、これを残してくれた新渡戸稲造に現代日本人は感謝すべきです。二十年近く前に初めて読んだときに、私の根底にあるものを気付かせてもらった一冊で、偉く感動を覚えたものです。
 ただ、これは、あくまで翻訳本なので、訳者を選ぶ必要もあります。この岩波文庫版は翻訳が古すぎて(笑ってしまう程ーごめんなさい)、今の時代の人にはとても読みにくく、理解しにくいと思います。原書で読んだほうがわかりやすいとさえ思いました。
ぜひ、現代語訳版で読んでください
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5つ星のうち5.0サムライと美
投稿者ひできVINEメンバー2004年1月10日
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「ザ・ラスト・サムライ」を見た。ひさびさに「武士道」を読みたくなった。ハリウッド映画に日本の美がなんであったか、日本の武士道がなにであったかを、こんなにヴィジュアルにみせつけられるとは思っていなかった。この主演俳優であるトム・クルーズが撮影中にぼろぼろになるまで読んだというのが本書の英語でかかれた原著であるという。
国際連盟で活躍した新渡戸稲造は、本書によって広く世界に知られたという。ブリティッシュコロンビア大学の新渡戸記念公園とライブラリーを訪問したときのことが思い出される。現在にいたるまで新渡戸稲造の記念碑的な施設が十分に維持管理されていることに新渡戸稲造の遺徳の大きさを見た。
そして、今「武士道」がトム・クルーズや渡辺謙の姿を通じて世界の新たな世代にプレゼンテーションされたことに感動を覚える。世界の人々も「ザ・ラスト・サムライ」を見て本書を読みたくなってくれることを祈りたい。
しかし、新渡戸稲造が描いた独特のストイシズムに基づく日本人の美しさはどこへいってしまったのだろう。節制と恥じを基調とし、なにごとも完璧を求めた人の生き方としての美しさ、世代を超えた稲作による山河の美しさ、伝統的な着物や建物の美しさ。もし「ザ・ラスト・サムライ」と本書だけで日本を知った人が現在の日本を見たら、どのような感想をいだくのだろうか。
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5つ星のうち4.0何度も読まないとその本質の理解には至らないかもしれません
投稿者ひつじ日和2015年9月29日
形式: 文庫
武士道における重要な考え方を体系的に述べています。
義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義・克己・切腹 など。

もともとは英語の本で、海外に向けて書いてあります。
そのためか、海外の思想との比較がありますが、その比較が日本人(特に現代の日本人)には難しいと思いました。
そこがかなり難解に思われるかもしれません。

ただ、日本人の基本的な考え方になっている事は理解できます。
知っておいて損はない知識ではないでしょうか。
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5つ星のうち5.0読むまでこれほど大きな視野で書かれているとは知らなかった
投稿者草雲雀VINEメンバー2006年10月22日
形式: 文庫
武士道の本というと、もっと右寄りの偏った論理で進まれていると思いきや完膚なきまでにその誤った予測を否定された。グローバル的な大きな視野、知識、見聞のもと書かれており、通常の(というと語弊があるかも知れないが)人のレベルでは到底及ばない量、質、範囲の事例を使用して武士道を説明している。その事例は日本よりむしろ海外の例に枚挙を厭わない。

かつ、内容は本質をついておりまず一読するに越したことはないと思われる。

批判はそれからで良い。だが、批判するのも著者の知識に及んでからと考えると気が遠くなるが・・・
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5つ星のうち5.0不朽の日本人理解の手引き
投稿者陽気妃2003年11月17日
形式: 文庫
新渡戸稲造がベルギーの高名な法学者を訪問した折に、話が宗教に及び、その博士が容易に忘れられない口調で「宗教なしとは!道徳教育はどうやってほどこすのですか?」と聞いた。それが「武士道」著作の発端である。
 欧米人が理解できるようにと、解説のための事例をかなり広範な欧米の書物から引用しており、新渡戸の博学さに驚かされる。1900年に出版されて以来、多くの言語に翻訳され世界中で読まれ、いまだ日本にはこの「武士道」を超える日本人の気質の解説書が出ていないといわれている。グローバライゼーションの世紀を迎えた今、「日本人とは?」「世界に映る日本とは?」などの命題に参考となる一書。
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5つ星のうち5.0Helpful to understand basis of ethic in Japan
投稿者YK2011年12月28日
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I'd like to add my review to the excellent reviews noted above.

The basis of ethic in Japan is described as "Bushido" with abundant comparison with ethics in western society. Although "Bushido" is Japan peculiar ethic, a lot of common virtues in both ethics is described. Therefore this book is helpful to understand not only ethic in Japan, but also ethics in western society.

Social order in Japan in face of Great East Japan Earthquake was honored trough the world. It seems that some of the virtues described in this book including politeness and veracity of truthfulness still exist in many Japanese mind as Nitobe predicted as following;
"Bushido as an independent code of ethics may vanish, but its power will not perish from the earth; its schools of martial prowess or civic honor may be demolished, but its light and its glory will long survive their ruins. Like its symbolic flower, after it is blown to the four winds, it will still bless mankind with the perfume with which it will enrich life."
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5つ星のうち5.0清い日本人魂
投稿者山田六郎2006年7月6日
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素晴らしいの一言。

内容はもちろんのこと、この時期に日本魂の本質を鋭くついていることが素晴らしい。

ただ自分の言いたい事だけを言うのではなく、時に事実に基づき事例を交え説明している。

通勤電車でも読みやすいし、どこかにも置いておきやすい。

この本を1年に1度は読み返し、日本人らしさの良い点を再認識したい。
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5つ星のうち3.0武士道は依然として概ね日本人のモラル・バックボーンなのではないだろうか
投稿者望都VINEメンバー2008年11月30日
形式: 文庫
新渡戸は武士道の構成要素として、義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義などの諸要素を挙げ、これらの対応物が西洋的エートス(特にキリスト教倫理)の中に存在していることを比較論証し、「武士道」の普遍性を立証しようとしている。この辺の叙述は、歴史的な故事や名言が随所に引かれており、今日読んでも分かりやすく興趣に富む。(この点に関連して、武士道がわが国におけるキリスト教伝道のいわば「受容体」として作用するとの期待を彼が抱いていたことは明らかであるように思われる(156頁)。)

しかしながら、率直に云うと個人的には、では「武士道」とは何かという問いに対して彼が十全な回答を提示できているかというと、(残念ながら)そうは思えない。極論だが、彼は個々の構成要素をポンと読者の前に投げ出すのみで、例えば九鬼周造が『「いき」の構造』で示し得たような明晰な形では、その論理的な連関(モデル)を示し切れないでいる。「武士道は何らまとまりたる教義もしくは公式の固守すべきものなき」(165頁)。

なお、新渡戸も西郷南州の言葉「人を相手にせず、天を相手にせよ」との言葉を引いているが(81頁)、これは『九鬼周造随筆集』(岩波文庫)にある九鬼の言葉「私は西郷南洲の「人を相手にせず天を相手にせよ」という言葉が好きである」(61頁)とも期せずして呼応しており、興味深かった。
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5つ星のうち4.0武士道を受け継ぐ道徳とは何か?
投稿者服部弘一郎ベスト500レビュアー2016年3月15日
形式: 文庫
 キリスト者の新渡戸稲造(1862ー1933)が英語で出版した原著を、キリスト者である矢内原忠雄が翻訳した「武士道」。原著の出版の1899年(明治32年)だから、今から100年以上前のこと。日本語では明治41年に桜井鴎村による訳本が出て、これは新渡戸稲造本人によるお墨付きだったらしい。ただし漢文調の本文は読みにくいため、昭和13年に矢内原による本訳が出た。

 この矢内原訳も今の感覚からするとだいぶ日本語が古めかしいが、岩波文庫という定番の叢書に収録されていることから今でも読者は多いようだ。だがこれは、そろそろ新訳に差し替えた方がいい時期になっていると思う。岩波文庫は戦後に出された翻訳でも、おそらく編集部では、その準備を進めているのではないだろうか。

 「武士道」執筆のきっかけについては、本書の冒頭に書かれている。ベルギーの法律家から「日本の学校では宗教教育を行っていないというが、宗教なしにどうやって道徳教育を行うのですか?」と問われ、著者の新渡戸は返答に窮してしまう。だがこの質問を考え続けるうち、著者は「日本の道徳の根幹には武士道がある!」という結論に至るのだ。

 武士道に正典はない。著者曰く、『精々、口伝により、もしくは数人の有名なる武士もしくは学者の筆によって伝えられたる僅かの格言があるに過ぎない』のだ。しかし著者はおそらく自らが受けた武士の子弟としての教育をもとに「日本人の徳目」を再構成して体系化し、そこに「武士道」という名前を付けた。武士道は新渡戸稲造によって理想化された、日本人の道徳規範だ。それは武家社会の中ではある程度の規範となっていたかもしれないが、日本人の9割が農民だった時代において、それを「日本人すべてに共有されている道徳」としてしまうのは無理がある。

 江戸から明治にかけて大部分の日本人に共有されていた道徳の規範は、仏教や神道に根ざすものだったと思う。しかし著者はそれらにはほんのわずか振れるだけで、あとはほとんどを儒教的な(あるいは武家の公式学問だった朱子学的なと言うべきか)徳目を引用して日本人の道徳を説明しようとする。

 著者曰く『孔子の教訓は武士道の最も豊富なる淵源であった』、『孔孟の書は青少年の主要なる教科書であり、また大人の間における議論の最高権威であった』。以下、著者は「義」「勇」「仁」「礼」「誠」、さらに「名誉」「忠義」「克己」などの徳目を紹介し、それを欧米のそれと引き合わせながら、日本人の重んじる徳目が決して特殊なものではなく、欧米人にとっても馴染みのものであることを証明しようとする。

 これは日本人の道徳が欧米の道徳と何ら変わることのない普遍的なものであることを証明しようとするものであり、おそらく当時の欧米人が日本に投影していた東洋神秘論(オリエンタリズム)から日本人を解放しようとするものだったのだろう。

 だが著者は本書の中で、輝かしい武士道の伝統は日本の封建制度崩壊と共に滅びたと述べている。桜の花がその盛りに一気に花びらを散らせるがごとく、日本の武士道もその盛りに花を散らせてしまった。だがキリスト者である著者は、武士道の精神が日本においてキリスト教に接ぎ木され、新たな命を得ることを期待していたようだ。本書がクエイカー詩人の言葉で締めくくられているのも、そんな著者の気持ちの表れだろう。

 武士道は滅びた。だが新渡戸稲造が期待に反して、日本でキリスト教が広まり、武士道の精神を引き継いでいくこともなかった。明治政府は新渡戸が武士道の基礎だと考えた儒教道徳(孔孟の教え)を庶民にも広めるべく、教育勅語を発布し、学校で修身教育を行ったが、それもまた戦後になって途絶えてしまった。

 「日本人の道徳の規範は何ですか?」と問われたとき、現代の日本人は何と答えるのだろうか? 新渡戸の「武士道」を読めば、「日本人には武士道がある」などとは口が裂けても言えないはずだ。武士道の終焉は、著者の新渡戸自身が認めていることなのだから。では日本に何があるのだろう?

 最近になって学校で「道徳」を正規教科にしようとする動きがある。道徳なき社会を望むものなど、この世にいないだろう。それが本当に必要であれば、家庭でも学校でも子供に道徳を教えるべきだ。それに反論する人も、まずいないと思う。

 だがそこで教えるべき道徳の「規範」は何なのだろうか? 武士道はもはや日本にない。孔孟の教えから国家や国民を説く理論家も、日本からは滅び去っている。仏教、神道、キリスト教は論外だ。といって戦前の修身教育に戻れるはずもない。日本人は道徳の支柱を、完全に失ってしまったのではないだろうか。そんな暗澹たる気分にさせられる読後感だった。
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5つ星のうち5.0100年の時を経て
投稿者HJ2007年4月14日
形式: 文庫
圧倒的パワー。

「日本古来の武士道とは乖離がある」

「キリスト教の精神を用いて、作り上げられたものである」

と、いうようなことも言われるが、

少なくとも全く的外れなことは

書いていないのではないだろうか。

読みながら日本で育った自分の精神構造と

重ね合わせてみると、納得のいくことが多く記されてあった。

読み終えた時、100年の間読みつづけられている

理由が、文章の持つパワーであるように感じた。

まずは、読むことをオススメします。

日本人であれば、何かしら感じるものがあるはずです。
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5つ星のうち4.0武士道は新渡戸の専売特許?
投稿者UBS2006年3月28日
形式: 文庫
新渡戸稲造『武士道』再読しました。

改めて読んでみた感想は以前読んだ時と同様で、一言で言えば隔靴掻痒といったところです。

ギリシア=ローマをはじめとする西洋古典についての教養が在ることを前提に叙述されているために、日本人の私がからすると、やけにレトリックが多用されている印象が強く、日本の伝統的価値観を共有しない欧米人向けの著作であるために、広く浅い叙述になっています。

もちろん、新渡戸『武士道』が広く読まれることによって日本の(失われつつある)伝統的価値観が再認識されることは是とすべきだと思います。

私はこれを機に、日本の古典を改めて勉強しようと思いました。

武士道に関しては山岡鉄舟のものが大変参考になりますよ。参考までに。
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5つ星のうち5.0日本の精神的主柱
投稿者Solem787ベスト500レビュアー2003年2月28日
形式: 文庫
新渡戸稲造が欧米諸国に日本の精神的主柱となっている武士道を紹介した本である。武士道は、聖書やコーランのように原典があるわけでもなく、体系的に思想が整っているわけでもない。その武士道を分り易く、誇りを持って説明するところに新渡戸稲造の苦労が伺える。

武士道を構成している要素、「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」について詳細に説明している。

実際この書は、極東の劣等国と見なされていた日本を、一種の畏敬と尊敬をもって認識させることに多大な貢献をした。幕末に訪れた欧米の外交官達の様々な手記を読むと、日本は他のアジア諸国とは何か違うようだというような記述は前からあった。しかし日本を武士道という精神的拠り所として可能な限り体系的に知らしめようとした'''!!とに新渡戸の偉大さがある。

「サムライ」は、既に16世紀からフロイスらにより欧米に畏怖の念をもって紹介された日本刀とともに、日本の精神的気高さの象徴として広く知られることになった。その後、明治維新、日露戦争、太平洋戦争、そして戦後の経済的復興を経て、1980年代後半からは日本は世界中の国から一目置かれる存在になった。このような時こそ、日本がどのような意思を持って国際社会で行動しているのかが問われる。軍人、警察などは昔は「サムライ」の精神を受け継ぐという誇りがあったと思うが今は皆無である。日本も、改めて「武士道」の精神を思い起こす必要があるのでは、と思う。
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5つ星のうち2.0文体が現代に無理かも・・・
投稿者Amazon Customer2015年1月6日
形式: Kindle版|Amazonで購入
数十年ぶりに買い求めた。やはり内容はすばらしい。
すばらしいので、中高生に読んでもらいたいが、文体が読みづらい。昔はそうは思わなかったが、現在の私でさえ読みづらくなっていることを感じた。出版当時は硬質で「武士道」らしさを感じさせたものだった。しかし今は無理かもしれないと思う。
岩波書店は素敵な作家に依頼して読み易い現代文(和語を多用した)に訳して再出版したらどうだろう。
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5つ星のうち4.0良い本には違いないが、誤読が多い不幸な本
投稿者門前の小僧何とやら2007年1月8日
形式: 文庫
岩波版のみならず、新渡戸の『武士道』に関する感想を読むと、彼の武士道があたかも「日本人古来の美徳」であるかのように読まれている方が多いのに気付かされる。いっておくが、これは途方もない勘違いであることに注意してもらいたい。

実は新渡戸の武士道は、キリスト教の器を利用した近代思想なのである。近代の「国民」を形成するため諸階級に遍く行き渡るような思想を新渡戸は考えた。その産物が、この『武士道』である。したがって、戦国期の武士に見られるような自分達が生き延びんがための徹底したリアリズムとしての武士道、階級思想としての武士道は、おのずからと排除される仕掛けになっている。

せっかく本書を読むのであれば、新渡戸の武士道がキリスト教を器にしていながら、なぜ戦前期の日本で否定されなかったを考えると良い。そうすれば、巷間いわれるような新渡戸『武士道』に対する評価が間違っていることに気付くだろう。

彼の武士道は、後に彼の意図を超える形で利用されるという不幸が生じた。あまりにも「忠君愛国」とか「聖業翼賛」とか「挙国一致」というイデオロギーとの親和性が高かった。その挙句に、他人が死ぬなら自分も死ぬという種の、およそ古来の武士道とは縁のない不健全な思考にまでたどり着いてしまったのである。

「昔の日本人はかくも立派だった」というような、まるで程度の低いお国自慢みたいな間抜けでみっともない、いかにも頭の悪そうな独善的な読み方はやめて、日本の近代思想の一つとして冷静に読んでもらいたい。新渡戸を肯定するにせよ否定するにせよ、そこを一つの道程として踏まえた上で、我らはいかにあるべきかという建設的な思考をしなければならない筈である。
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5つ星のうち5.0武士道―文明と野蛮の逆説
投稿者アンドロメダ星人2006年7月15日
形式: 文庫
 日本が日露戦争に勝利した後、明治39年(1906年)において岡倉天心は、英語で最後に出版された『茶の本』の中で、次のように述べている。

 

 ・・・一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百

 の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っているであろう。

 西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見做していた

 ものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国

 と呼んでいる。近ごろ武士道―わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の

 術―について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひか

 れていない。・・・もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争

 の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に

 甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が

 払われる時期が来るのを喜んで待とう。

 実は新渡戸稲造がこれに先立つこと明治32年(1899年)にやはり英文で著した『武士道―日本の魂』は、批判されている当の武士道よりも、岡倉の立場に遥かに近いと言える。そこで疑われているのは文明とはすなわち優れたものであるとする自明性である。西欧がアジアやイスラム諸国に行なっていることは文明の名の下に正当化しうるのであろうかと彼らは考えた。本書の中でも新渡戸は武士道の根本は平和主義であると言い切る。彼らの独自なポジションは日本の「外」から、一方で迫り来る西欧文明と、他方で良き封建的遺産を切り捨てて文明化しようとする日本とを同時に批判できることにあった。

 そして何より新渡戸の視点が重要なのは、イギリスの封建制と日本の封建性との比較によって日本の独自ともいえる文化を世界史的視野から捉え、西洋との類似性を際立たせたことにある。この1899年前後を境として、彼の世界市民的視点は失われ、今や単なる保守主義の思想に祭り上げられてしまったのだ。
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5つ星のうち5.0欧米において日本の地位を高めた書
投稿者Mkengar2014年4月16日
形式: 文庫
新渡戸稲造氏が1900年に英語で出版したBushidoを、1938年に矢内原忠雄氏が日本語に訳したものですが、本書ほど欧米における日本理解を促進させた本はないのではないかと思われるほど重要な本だと思います。新渡戸氏は主要読者が英米国人ということ、かつ本人がキリスト教徒ということもあって、武士道の考え方をキリスト教との比較、あるいは古代ギリシャ、ローマ、あるいはシェイクスピアなど英米文学の巨匠の言葉を参照しながら解説しています。そのためか日本人であれば相当の高い教養がないと全文を理解するのは困難なのですが、本書を読んで腹におちるところが多々あり、武士道の思想は現代日本においても生きている、と断言できることも確かです。1回だけ読むのではなく、何度も読めば読むほど味が出て理解が深まる本です。
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5つ星のうち4.0規範としては薄れているけれど…
投稿者akanezora2003年12月25日
形式: 文庫|Amazonで購入
知的で美しい文章だが、語彙は難しいと思う。
それでも、読んでいて、胸に去来してくるものを感じる。
薄れてはいるけれど、きっと決して消えないであろう、否
消えては欲しくないと筆者が望む日本人の道徳観を、外国との比較から
語っている。
その切ないほどの姿勢は、まるで現在の状況を見通しているかのようだ。
外的な規範ではなく、内的な規範をじっくりと見つめる事は、
特に忙殺の毎日を送る社会人にこそ必要だと思う。
3年に1度、必ず読み返したい本。
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5つ星のうち5.0誇りと苦味
投稿者くにたち蟄居日記VINEメンバー2005年7月31日
形式: 文庫
 ノーブリスオブリージュという言葉が今尚 日本で使われているのも本書のお陰であると思う。
 小生が驚くには 本書が書かれたのは 日清ー日露戦争の間であったことである。世界的には 東南アジアの弱小国であったわけであり 周りの諸国を考えても どこかの植民地になっても全くおかしくなかったと思う。いわば 生まれたての亀の赤ちゃんが浜辺の砂を掻き分けて地表に出てきて ちょうど海に向かって 這い這いしているような時期である。そんな亀の赤ちゃんの一人が このような誇り高い一書を上梓したことに驚くのだ。
 しかし 本書もある意味で 形を変えた 世界に対する文化的戦争であったのではないかと思う。武器の代わりに 文化で武装した姿を世界に発信しているような気がする。
 そんな意味で読んでいて誇りに思う一方、この後の日本が辿った歴史を知っている我々としては その誇りの中の苦味を感じざるを得ない。
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5つ星のうち3.0日本を考える視点。
投稿者鎌倉在住40代男性・個人事業主2014年7月25日
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他の方が書かれているように、日本文化の日本人が西洋に伝達するべく取り組んだ書籍であるということです。いままで、淡淡と武士道をイメージでとらえていたものが、理路整然とかつ熱狂的に描き出されてゆきます。ただ、その熱狂と近代社会との整合を推し進めるこの本のエッセンスは戦時中の思想のベースとして援用されたのではないかと思われます。読後、当初予想していたものよりも、後味が悪く、現代の社会の中で活かすことを真摯に考えてゆかないと、本質を見誤った解釈で利用されそうな、危うい書なのかもしれません。
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5つ星のうち5.0真髄
投稿者書記長2003年12月10日
形式: 文庫
『武士道』…どんなに時代が流れても、世相が変わっても日本人の中に現在でも息づいていると感じる。日本人は感情表現が豊かではないし、成否をはっきりと言わないという性質を持つが、それは悪いことではなく、それが古来から日本人の中に息づいた文化である。我々日本人は、自分たち文化・風習にもっと誇りを持ち生きていくべきではないか。「思想を隠す技術」は恥ずべき点ではなく、誇りに思うべき点である。本書はそれを再確認させてくれた。
原文が英語であるということと、初版が1938年という点で文章は多少難解ではあるが、訳者の矢内原氏の努力もあり理解できないほどではない。この一冊で新しい境地が開けるかもしれない…
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5つ星のうち4.0狭隘な日本精神論として読まれるべきではない
投稿者七海光一2004年3月2日
形式: 文庫
原文は英語である。矢内原忠雄による訳文は典型的な美文調で、ところどころ直訳的はあるが、概ね読みやすい。これを読む場合まず二つのことを頭に入れておかねばならない。第一に、これが書かれたのは今をさかのぼること100年の昔であるということ。第二に、新渡戸がクウェーカー教徒であったという事実である。
 前者においては当然時代の制約というものがあるから、唯物史観の洗礼を受け、消費資本主義の真っ只中にある現在という位置に立って読むと相当に違和感のある思想も含まれている(例えば、婦人の教育及び地位)。後者については、新渡戸がキリスト教的観念論の影響を多分に受けており、その形而上学的道徳観念と、神道の自然観並びに儒教的精神に立脚する武士道の道徳観念とを接合しようと努力しているという事実が看過されてはならない。従って、新渡戸の仕事は、排他的な日本特殊論の披瀝ではなく、武士道精神と西洋キリスト教道徳との接合点を探るという極めてインターナショナルな試みなのである。
 もうひとつ重要なのは、無条件・無批判な「権威追従」や「自己滅却」は真の武士道にあらずと戒めていることである。前者においては、リア王を引き合いに出し、主君の過ちはこれを諌めるのが真の忠義であるとし、後者においては、「血を流さずして勝つをもって最上の勝利とす」という勝海舟の言葉を引いて「武士道の究極の理想は結局平和」であると言い切っている。この点座して銘記すべきであり、新渡戸の思想を狭隘な日本精神論に還元すべきでない所以である。
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5つ星のうち4.0日本人の精神の真髄
投稿者MACPAUL2013年5月21日
形式: 文庫
有名な新渡戸の「武士道」である。この作品が外国人の日本人の精神を教えるために英語で出版されたことはある意味
驚きであり、また新鮮でもある。最近読んだ藤原正彦の「国家の品格」もまさに日本人の精神の真髄は武士道にあると
説くが、日本人の良さがほぼ完全に忘れ去れつつある昨今、この本の説くところはまさに新鮮であり、我々が捨て去ったもの
がいかに大きく貴重であったかを考えさせてくれる。武士道と帝国主義は全く別物であり、封建主義そのものの歴史的
意味合いを過小評価すべきでないという警鐘は我々も心して聞かないといけない。
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5つ星のうち5.0あの時代にこんなすばらしい本を英語で・・・
投稿者乱読者2007年1月10日
形式: 文庫
 明治の混乱期に英語で書かれたとはとても思えませんでした。

 著者の日欧ともに博識ぶりにはただただ驚嘆させられました。

 これぞ武士道。
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5つ星のうち5.0なくしちゃあ・・駄目だ。
投稿者kensan232009年8月1日
形式: 文庫|Amazonで購入
難解な箇所も多いが、これが、侍の精神か。
日本人全てのご先祖様がサムライというわけではないが、
この国の精神、伝統、誇り、考え方は(途絶えがちだが)
脈々と生きていると感じる。
義:人の路である。
仁:人の心なり。
”生くべき時は生き、死すべきときにのみ死するを真の勇なり”という。
今は、全く逆で、強きものにへつらい、弱きをいじめる、
など、嘆かわしい事件や、事実も多い。
また、市場原理主義にみられる、
個人の欲望の下、行動すれば、市場の見えざる神の手が働く、など、本当か?
金融工学のような、利益を最大限に生み出すためなら、
何をしても許されるという考えは、真実なのか?
そこに、崇高な精神など全く無いのは、明らかである。
だからなのか、日本でも失くしていくのだろうか、
誇り高き武人の心、侍の魂は、、
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5つ星のうち5.0大学生が読んだ武士道
投稿者carme2010年11月7日
形式: 文庫
日本人の道徳教育に関心のある一介の大学生の意見です。
この武士道というのは、日本と海外との懸け橋となろうとした新渡戸稲造氏が、日本に理解のない海外に日本人について紹介する意図の元に書かれたと理解しています。しかし現在、この本は予備知識のない現代日本人に武士道の何たるか示す貴重な入門書の役割を果たしています。全てが自由な選択に委ねられる今の世の中において、我々に必要なのは厳格な道徳規律であり、それに資するのは歴史ある武士道ではないでしょうか。昔の日本人にあり、今は失われた精神を取り戻すために、本書は最良の手段と言えるでしょう。
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5つ星のうち5.0栄養価高いですよ
投稿者子牛のバンビ2004年9月11日
形式: 文庫
外国人の方へ、一時代の日本人の道徳そのものであった「武士道」と言うものを丁寧に、かつ体系的に教えるためのいわば解説書と言えます。
序盤から中程にかけては現代にも通用するものが多く、一言に「古臭い」と見放されず、ここまで読まれてきた理由がよく分かります。
美しい説話を挿みながら日本人の死に対する心構えや覚悟を文章として紐解いた「自殺および復仇の制度」の項は僕の最も感銘を受けた箇所でもあります。
孔孟や仏教、または神道からの多大な影響も体系的に解説され、いかにして武士道が生まれ、育まれ、そして終焉を迎えるかが非常に明晰かつ客観的に述べられているのを見ると筆者の道徳観念に対する思慮深さ、地盤の確りとした様がうかがい知れようと言うものです。
封建制の奇跡とも言える武士道が死に、為替の価値がいくら変動しようとも「5000円札の彼」に対する深い尊敬を忘れないでいたいですね。
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5つ星のうち5.0現代日本人必読!!
投稿者Amazon Customer2002年5月24日
形式: 文庫
 私達は生きる上で他人と協調して生きている。
「嘘をつくな」や「人様に迷惑をかけるな」といった当然の常識や道徳というものが人間には必要であり、それらがまったく無い世界というのは成り立たない。欧米では宗教がそれを支えているが、それでは宗教的拘束をあまり意識しない、我々日本人の常識や道徳はどこで確立されたのだろうか・・・。原題 BUSHIDO,The Soul of Japan 答えはこの本の中にある。
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5つ星のうち5.0外国人の如く「武士道」を読まざるを得ない我々の古典
投稿者イッパツマンベスト1000レビュアー2007年6月17日
形式: 文庫
 著者は盛岡藩士の家に生まれ育ち、米・独への留学を経て国際連盟次長にまでなった外国通です。(ちなみに奥さんは米国人。曾孫は中日独の血を受けたグラビア・アイドルらしい。)和漢洋の様々な古典、学術書、はたまた聖書・コーランまでを巧みに引用しながら、「武士道」の普遍性と日本的特殊性の両方を語っています。当時、日清戦争後で「日本人論」が世界的にブームだったという背景があるものの、未だに世界中で読まれている理由は、この読みやすさと理路整然とした(欧米人にとっての)分かりやすさにあるでしょう。

 興味深いのは、彼が孔孟を初めとする漢籍を多く引用しながら、「日本人」だけでなく「東洋人」全体を「非文化的」と見る当時の西欧人に対して、しつこく反論を書いているいること。これは、彼が「日本人論」を述べながらも、「東洋全体」をしょって立つ気概でこの本を書いているからでしょう。そしてこのナチュラルな懐の深さは、この時代の日本人の著書を読む限り、彼らに共通した自然な国際意識だったのではないかと思います。

 中国コンプレックスに悩まされている現代日本人が読んでおきたい古典であり、なぜこういう真摯な人物が軍部と世間に攻撃され、晩年を不遇に過ごさざるを得なかったかを考えさせられもする名著。真の古典は常に同時代的であるという好例だと言えるでしょう。
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5つ星のうち4.0日本人の精神的支柱としての「武士道」
投稿者衣谷VINEメンバー2003年12月9日
形式: 文庫
様々な意味で、今日の日本の「武士」観を規定した傑作。
著者新渡戸稲造が本書を執筆した動機は、「宗教的信仰心をもたない日本人がどうして倫理観や道徳観をもちえようか」というある西洋人からの問に答えることであった。
新渡戸が見出した答えは、「仁義、礼節、忠孝を重んじる、江戸時代の『武士道』こそが日本文化の背骨をなしており、『武士道』こそが日本の宗教的信仰
心に替わるなのだ」というものであった。
本書によって、西洋人のみならず多くの日本人が、今日にいたるまで「武士道こそが日本の精神的背景をなしている」と理解している。その意味で、本書はいわば新渡戸の西洋世界に対する意見陳述書であるとともに、日本人に対する「日本人原論」でもある。
最後に、本書は、平安時代以来約専念の歴史をもつ「武士」のあり方を概括的に描いてはいない。ここで取り上げられているのは、身分制度が固定化し、「武士階級」が確立された江戸時代の武士であることに注意しなければならないだろう。
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5つ星のうち5.0神の国は汝らの中にあり
投稿者false beginner2013年8月21日
形式: 文庫|Amazonで購入
武士道をヨーロッパの道徳観と比較して論じています。
武士道の理想的なあり方と、それは西洋の倫理観と調和が取れるということが書かれています。

一番印象的だったのは、第1章に引用されている「我らは知る、欠点いかに大であるともそこから徳が起こる」とその補注です。
平和主義全盛の今の時代では中々こういう発想には至らないので新鮮に感じました。

あと、疑問に感じたのは、西郷隆盛など一部の人物を取り上げて陽明学を武士道の一部と説いていることです。
江戸時代の日本の儒教は朱子学が主として取り入れられたはずです。

最後の章で武士道は無くなるがその残り香は留まり続けるだろうと締めていますが、第二次大戦やその後を見る限り随分忘れ去られているのではないかと思います。
そういう意味では「神の国は汝らの中にあり」の言葉通り、現代日本人の手で新しく武士道に変わるものを形成していく必要があるのではないのでしょうか。
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5つ星のうち4.0アウトローの規範にもなる
投稿者楡岡2007年2月22日
形式: 文庫
 義を武士の掟の最も厳格な教訓と位置づけて、武士道の徳目である勇、仁、礼、誠…と解き明かしていき、各種の習慣、現在とのかかわり、その行く末へと話が展開する。もともと宗教によらない日本の道徳のありようを外国人に説明するために書かれたものとして、欧米の古典から多くの例を引きつつ、武士道を解説する。

 武士道とはどんなものかを、現在の我々にわかりやすく説いてくれる点は良い。過去の物語や時代劇を見るための前提としても、また現代の社会習慣を理解するにも役立つ。

 本書は武士道の姿勢・考え方を示すもので、その点でまさに正統だが、基本情報にとどまる。情報の使い方は読者しだいだから、読者の姿勢によって有用性の程度は異なるだろう。
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5つ星のうち5.0始めの一冊、武士道入門の最善書。
投稿者Amazonのお客様2004年8月20日
形式: 文庫
「何故新渡戸先生はこの武士道を日本語で出版なさらなかったのか」ということを考えるのは至極大事なことだと思います。私も他のレヴューアーの方々が仰っているように、この書の目的は異文化の民に日本の武士道を紹介するというものであるという意見に賛成です。故に、日本人がこの書一冊を読んで武士道の真髄を学んだと考えるのは誤りだと思うのです。日本人が日本で育った武士道を異文化の民と同じ程度しか知らないというのは決して誉められる事ではありません。新渡戸先生の武士道は戦乱のない太平の江戸時代に山鹿素行を祖にして成立したものです。(この点で葉隠はまた異なる時代の武士道なので太平の世の武士道と異なるのは必然)日本人であるからには、新渡戸先生が記した太平の世の武士道、即ち山鹿流武士道がどのような過程を経て成立し、そしてその後の日本人にどのような影響を与えたかを学び初めて真の武士道がわかるものであると思います。よって実際に日本の歴史を動かしてきた武士道を学びたい人には平泉澄著の「物語日本史(下)」と「先哲を仰ぐ」をお勧めしたい。
 「義を重んじて利を軽んじる」という武士道精神をそのまま今日の資本主義に当てはめようとするのは無理があるでしょう。そのため読者は歴史の変化に通じ、それを現在の状況に活用できるように己の知恵を働かせなくてはなりません。が、知恵といってもさほど高尚なものでなく、そうしようとする意思さえあればできると思います。是非、この書を手に取る人たちは、ただ知的好奇心でこの本の読み、明日には忘れてしまうのではなく、学んだ事を実践していただきたい。そのような人間こそが今の日本に必要であり、また欠落している人材でありましょう。
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5つ星のうち5.0武士道
投稿者Amazonのお客様2001年10月8日
形式: 文庫
”武士道とは何か”という疑問にたいしてすごく大きな視点で考え説明している。その為、この作品は海外でも未だに評価されているのだと思う。内容は”武士道とは”はもちろん、武士道の成り立ち、未来の武士道、なぜ武士道はなくなったかなどが書かれている。私見だが武士道は個人で応用していくため一つにかたどられづらいと思うが、基礎は皆同じだと思う。その基礎を知るにはこの本は傑作だと思う。
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