2016-10-19

姜尚中 「キリスト教・植民地・憲法」(3)新渡戸稲造とコロニアリズム

姜尚中 「キリスト教・植民地・憲法」(3)新渡戸稲造とコロニアリズム

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姜尚中 「キリスト教・植民地・憲法」(『現代思想』 1995.10)

(3)新渡戸稲造とコロニアリズム

(略)新渡戸などは、知と権力のテクノロジーみたいなものを農業技術などを通じ
て学んでいたと思います。彼は農業技術官ですから。そのバックグラウンドに彼の
場合、北海道とキリスト教という問題があった。北海道では要するに農業技術、つ
まり植民政策の問題と、キリスト教の問題、それからいわゆる国家の問題、こうい
う問題が三位一体となって、大体萌芽的に出揃っていたのだと思います。

 それを大々的に実験して成功させたのがやはり台湾です。あのとき台湾を売却す
る話がありました。これはとうてい使いものにならないから売却するということで
す。矢内原の『帝国主義下の台湾』を読むと、間違いなくその当時の日本は台湾を
植民・経営できるほどの財政的な基盤を欠いていました。ところが薩長閥の児玉源
太郎の下に後藤がいたわけです。その前段階として乃木希典がそこで失敗します。
乃木はあそこでひどい弾圧をやるんだけど、結局失敗します。その後始末で児玉源
太郎が入ってきて、その後には伊藤博文がいます。

 日本の知の形態で、民族学、人類学、社会学、都市工学が総動員されて、台湾と
いう限られた世界の中の理想的な「実験室」の中で、十余年かけて後藤は成功を一
応納めたのです。そのことが日露戦争以後、彼が満鉄に乗り出していくバネになっ
たんです。だから、そういう点で新渡戸という人は日本のコロニアリズムの周辺に
いた人ではなくて、中枢にいた人なんです。ですから、キリスト教・無教会とコロ
ニアリズムが周辺で結びついているのではなくて、中心にそれがある
んです。

写真で読む内村鑑三新渡戸稲造

 新渡戸の日韓併合の時の『中央公論』の論文を読むと、コンパスをどんどん広げ
ていくと、日本の勢力圏は同心円的に拡大してゆく。朝鮮を手にいれて、日本の人
口は飛躍的に膨張し、やがてこれは中国まで、さらには南方まで延びていくという
もので、まったく帝国主義的なものです。


 彼らの基本的立場は文明の伝播です。無教会であれ何であれ、日本のキリスト教
徒が持っていた、基本的な姿勢がよくあらわれています。それは、マルキストが持
っていた資本の文明化作用と同じだと思います。マルキストが戦争中、たとえば平
野義太郎なんかがなぜああなったかというと、そういうことなんです。その面は新
渡戸の植民地論を見ると、矢内原も受け継いでいますが、この文明の伝播というこ
とは要するに経済規模の拡大であって、それは文明の行き届いていないところに、
それを押し広げるということです。そういった基本的枠組みは新渡戸によってつく
られているわけです。新渡戸の植民政策講義は矢内原が手稿で書いて、まとめたも
のです。

 あのとらえ方はぼくは基本的にクリスチャンだと思います。それはマルキストの
中にも通じる文明の伝播作用であって、イギリスが、まどろんでいた旧中国をたた
きこわすことを、進歩だというわけです。インドのイギリス支配も一面において進
歩になるのです。それと全く同じように、台湾とか朝鮮に対する日本の植民地支配
も進歩になるのです。

 新渡戸はその後、京都大学で農業技術を教えて、その後東京帝国大学に移って、
そのときはじめて植民政策講座を担当します。次に国際連盟に引き抜かれるんです。

 この発想は、とりわけ無教会に強かったんですけれど、内村は最後の最後までア
メリカに望みをかけていたんです。アメリカだけは例外なんです。ただアメリカで
日本排斥がでてくると、その時ずいぶん内村は失望しています
。それでもアメリカ
こそはキリスト教の国として世界の戦争とかいった問題を最後は解決する最後の拠
り所なんです。

 日本がどんどんひどい状況になるときそこに望みを託すわけです。そこにはもち
ろん文明とかデモクラシーという思いが非常に強い。それは新渡戸の中でも非常に
強かった。彼は、日本の選択というのは、要するに日米関係さえ磐石であれば、決
して日本の進路は過たないと確信していました。これは、変な言い方ですが、吉田
茂の戦後の考え方と通じるものがあると思います。

 吉田の根本的な考え方は、もちろんアメリカに対して非常にネガティブな感覚を
持っていたけれども、基本的に日英同盟とまったく同じレベルで日米関係を見てい
た。日本がなぜおかしくなったかというと、日英同盟から脱却して、自分の足で立
とうとしたからおかしくなったと考えていましたから、その脈絡で戦後は日米関係
をとらえていたのです。

 軍部と吉田との根本的な違いはなにかというと、要するに、アメリカと協力せず
に、日本独自の政策を追求して、満州から華北に権益をつくるということ、これが
軍の考え方です。吉田茂はそうではない。日米と、あるいは日英同盟をきちんと守
りながら欧米列強の中で外交関係を通じて日本が平和的に満州や華北に権益をつく
ることができるはずだと。この発想は、戦後は日米安保として生きてくるんです。

 基本的に日本はアメリカとの関係をきちんとしていけば絶対に間違いがない、そ
うした発想や思い込みが、新渡戸や内村の日米関係論にあります。ある意味でそれ
を戦後の現実政治のレベルで、吉田茂は実現したんだと思います。そう考えると、
吉田茂が
南原曲学阿世とののしったのですが、日米関係への思い込みという点か
ら見ていくと、実はそう大差はないと思います。
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