2016-10-20

姜尚中 「キリスト教・植民地・憲法」(8)知・コロニアリズム・憲法

姜尚中 「キリスト教・植民地・憲法」(8)知・コロニアリズム・憲法
姜尚中 「キリスト教・植民地・憲法」(『現代思想』 1995.10)

(8)知・コロニアリズム・憲法

 新渡戸の流れを汲んでいる人たちが戦後の社会科学の流れの中で無視しえない影
響をもってきました。そういう人達は、コロニアリズムという問題を、近代の根本
的な部分にある問題
としてとらえきれず、結局それを派生的な問題としてしかとら
えていない。彼らにとってポスト・モダンは、懐疑主義をぶつけてくるだけで、
代が守るべきもの
まで流してしまったのではないか、その意味で非常に相対主義的
な議論としかとらえていません。確かに一時期の流行のような「日本的ポスト・モ
ダン」には全く見るべきものがありませんでした。

 しかし
サイードたちがやろうとし、またカルチュラル・スタディズなどが何故生
れてくるのかということについての理解がない。
フーコーなどはヨーロッパの中心
にいて、外部の問題を内部の問題として抱え込んだわけです。狂人の問題、病の問
題、監獄の問題など、これは<他者>とは何かという問題なのです。それを内なる
他者
の問題、ディスクールの問題としてとらえきったわけです。サイードはその問
題を、オリエンタリズム=コロニアリズムの問題としてヨーロッパの外側からとら
えている。日本の知的ディスクールの中にはそのような視点は全くない。

 残念ながら、日本の社会科学者の中で、植民地という問題に真っ向から向き合っ
たのは、矢内原が一人いるけれども、それも残念ながら新渡戸のある部分を受け継
ぐことで、徹底したものにはなりませんでした。文学も内地の中に内閉化していた。

 映画などに関してもそうですが、例えば東映のやくざ映画などの中に在日朝鮮人
が出てきたのがせいぜいです。そういう点では、満州国の国策映画を違う目で見る
必要があるかもしれません。私が思うには、悪いところは全部見ないようにしよう
というポツダム宣言史観があり、そこに都合の悪いものは追いやって、一国内の日
本列島内地に収縮すれば、淀みというかへどろは全部忘れる。そのことが、「内的
国境」に通じる議論の土台をつくっていて、全て、一国内平和主義で、憲法第九条、
日本国民の象徴としての天皇におきかえられてきました。そうすると、在日朝鮮人、
在日中国人は民族として扱われないことになる。そういうものは社会科学としてと
らえられてこなかった。

 丸山ですら、ある講演の中で「電車の中を見れば皆、日本人に見える」というよ
うなことを言っています。これは数が多い少ないの問題ではない。これはたぐって
いくと、コロニアリズムという問題は、都市計画にせよ国家計画にせよ、外側の世
界において、実は日本の国家というものの純粋培養されたものが、ものの見事に出
たという視点がほとんどないことを示しています。近代日本国家の本質は、良きに
つけ悪しきにつけそこにあるわけです。つまり日本人が今、新しい国家を作れと言
われた場合に、ゼロから始めたらどういう国家を作るかというと、満州国になるわ
けです。そういう国しか作れない近代国家なんだということです。

 そういうふうに見れば、日本国家というものの持っているもう一つの面が出てく
る。言論の自由は勿論大切ですが、しかし個人の自由対国家というような論理しか
つくれなかった。

 そのことが西洋の思想や理論の受容自体でもバイアスを作ったと思います。例え
ミルの自由論。個人の自由対社会のマジョリティによる専制ということが、よく
日本にもある。そして日本人は後進国ドイツ型だから、個人の主体性を確立するた
めにはどうしたらいいか、という話になる。しかしサイードが言うとおり、ミルの
自由論とミルの植民地論があるわけです。実際彼は、インドでそういうことをやっ
ているんです。そういう面がほとんど顧みられないんです。もしそこに目を向けら
れれば、つまり朝鮮、台湾への植民地支配を見ていれば、ミルを摂取するときに、
では、ミルの植民地論というのはどうなっているのか、という問題が出てくるわけ
です。サイードが『オリエンタリズム』で述べているとおり、ミルの自由論を評価
するということと、ミルの植民地論を評価することが同時におこなわれる必要があ
るのです。同一人物の中に、何故優れた自由論があって、もう一方で植民地肯定論
があるのか。そこをつなげられないんです。

 コロニアリズムという問題を社会科学や哲学、文学のテーマとしてとらえきれな
かったのだろうと思うんです。だからこそ、サイードが言うように、例えば
トック
ヴィル
というと、必ずアメリカン・デモクラシーなんです。アメリカ研究をやる人
には早くトックヴィルを読めということになる。実際に読んでみると、いいことが
書いてあるんです。アメリカ・インディアン、「ニグロ」に対するトックヴィルの
共感。しかしサイードが言うとおり、では、トックヴィルのアルジェリア論はどう
なるのか。あれほどフランスの植民改革を全面的に肯定、支持しているものもない
わけです。その両方を、日本の社会学者、文学者、哲学者は両方見てこなかったと
思います。これは、植民地という問題を、根本的なテーマとして取り上げられなか
ったところに最大の問題があるのではないかと思います。
--話は変わりますが、無責任の体系という議論が丸山以来ありますが、実際はそ
うではない。従軍慰安婦の問題でも、その立案者など、はっきりと特定できる話で
すよね。


 そういう言説をとらえきれない、ある背景となっているコードがあるんです。そ
のコードに従うと名指しができないし、天皇の名のもとにおいて全部やっているわ
けだから、それをはっきり言えばいいんです。日本のリベラルな知識人にとって最
大の問題なのは、そこにふれると、実は自分達のよってたつ基盤が、新渡戸のよう
にすごいところまでいってしまうのです。だから、植民地支配の問題というのは、
エクスキューズしたい、あるいは暗いものとしてあまり触れたくない、せいぜい触
れても人道主義的な対応で、そこと接点を持つということになる。そうではなく、
思想の問題として、そこで自分達の社会、国家、文化の本質という問題と突き当た
るわけだから、そこと格闘しない限り駄目なんです。朝鮮人や中国人がどう思うか
という問題ではなくて、そこで自分達がやったことがあるわけですから、それを見
据えるべきです。(略)

 植民地というのは日本の自画像そのものです。そういうことをぬきにして戦後の
社会科学は有り得ないのです。軍国主義ファシズムと戦う主体性の確立とかいった
問題だけに限定して、戦後の社会科学を語ることはできないのです。

 フランスの場合はアルジェリアの問題があって、ド・ゴールも窮地にたたされま
した。それは植民地解放とぶつかったからです。ところが日本はいかんせんポツダ
ム宣言受諾で、植民地を全て放棄したんです。つまり脱植民地過程を植民地の人間
と向い合って、例えばあのとき植民地を放棄せずに持っていたとして、戦後植民地
解放闘争が起きて、フランスと同じように軍事力が派遣される、派遣されないまで
も何らかの角逐関係を朝鮮半島で日本がやるという、そうなったら相当違ってきた
でしょう。それがなかったということ、つまり敗戦ということが大きくて、そこに
脱植民地という問題が抜け落ちてしまっているわけです。

 イギリスだってフランスだってオランダだって、植民地と向き合っていたのです。
ところが、それが日本は植民地という問題に向かい合うことを避けてきたのです。
戦後50年たって、やっとそのことに気づきだしたところでしょう。それは、従軍
慰安婦という具体的問題もあるのですが、植民地という問題を避けて通ることがで
きないことがわかりつつあるということでもあるのです。そこから、日本の文学、
社会科学を含めて何が空白であったかということが見えてくるのです。その空白に
目を向けていく
と、戦後の思想の見方が変ってこざるをえないのです。

BACK

No comments: