2016-03-17

ニッポンリポート・従軍慰安婦の体験談等メモ・8

〔その369〕バウネット・ジャパン編『「慰安婦」戦時性暴力の実態Ⅰ』緑風出版、2000年発行。
(その369・1)昭和19年、呉。
日本人『慰安婦』―誰がどのように徴集されたか(と題する)西野瑠美子(の論文)」「1944年、広島県の呉にある海軍軍需部総務課労務科の徴用係の仕事をしていたHさんの所に、分厚い冊子が回ってきた。それは『外地慰問団志願者名簿』だった。女性だけに回っていたのだ。署名の中に軍需部の『お偉いさん』の娘の名前があった。上司と課長が『良家の子女の行くところじゃない。やめさせた方がいい』と話していたのを聞いたHさんがその意味を問うと、『あれは女郎が行くもんだ』という答えが返ってきたという。慰問団として送られていった女性たちのその後は不明である」(85ページ)
(369・2)昭和16年、満州。
「《資料1》関東軍による『慰安婦』動員に関する(『従軍慰安婦』著者千田夏光あての)手紙(の一節)」「(『従軍慰安婦』)文中の(関特演に関する)関東軍従軍慰安婦の件は原参謀大綱企画をし、命令伝達通達配置指示及業者との接触等事務処理は小生がいたしました。当初日本人慰安婦を集める予定でしたが、何分当時支那事変の最中で多くの日本人慰安婦は支那大陸に渡り、その不足分を朝鮮人慰安婦を集めた訳で、原参謀は7000人と申して居られますが、小生の記憶では3000人位だったと思います。当時配置表が兵站班事務室の小生のロッカーにマル秘扱いで保管して居りましたが、終戦と共に処分した事と思います」(336ページ)

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