朝鮮出身の帳場人が見た 慰安婦の真実―文化人類学者が読み解く『慰安所日記』 (日本語)
単行本(ソフトカバー) – November 23, 2017
by 崔 吉城 (著)
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内容紹介
本当に「強制連行」「性奴隷」はあったのか!?
「悪魔の証明」といわれた難問に終止符を打つ
第一級史料から紐解いた著者渾身の書き下ろし!
韓国で日本軍による朝鮮人女性強制連行の決定的資料とされた
『日本軍慰安所管理人の日記』の原典にあたり、その記述と内容を精査。
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慰安婦から見る慰安業は、営業、商売であった。
つまり、売春業の出稼ぎであった。
朴氏の日記では、彼女たちがどう募集に応じてきたか、
いわゆる「強制連行」されてきたのかについては、一切言及されていない。
この日記には、そうした「強制連行」に繋がるような言葉すらない。
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性的被害をもって問題とすることは、どの国、どの民族でも可能だ。
それは、性が人間にとって普遍的なものであり、人間の生存にかかわる問題であり、
恥と人権にかかわることだからである。
韓国が、セックスや貞操への倫理から相手を非難することは、
韓国自身のことを語ることに繋がっている。
つまり、それを詳しく論じることは、
いつか必ず本人に戻るブーメランのようなものなのである。
ただちに中止すべきであると言いたい。
(本文より)
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出版社からのコメント
著者の崔教授が研究の対象にしているのは、戦時中、日本軍占領地
(ビルマ、シンガポール)で慰安所の帳場人をしていた朝鮮人、
朴氏が残した日記である。この日記は、『日本軍慰安所管理人の日記』と
いうタイトルで韓国で出版され、日本軍による朝鮮人女性強制連行の
決定的資料だとされている。
崔教授は戦後のバイアスのかかっていない日記原本にあたり、
朴氏の足跡を尋ねて現地調査も行っている。
崔教授のスタンスは明確だ。日韓の政治的な立場から意識して離れ、
あくまで学術的に、日記から客観的な情報を、可能な限り引き出そうと
いうものである。
引き出された情報は慰安婦に関するものにとどまらない。
崔教授は「日本植民地時代の朝鮮人の生活史を知る上で貴重なもの」とも述べている。
この日記を精読した崔教授によれば、
「そうした慰安婦の連行などに関する記述は一切ない」
「『強制連行』に繋がるような言葉すらない」ということであった。
そして、この日記が強制連行の証拠だという主張に対して、親日の日記を
反日に利用するのは矛盾している、と指摘している。
本書では「朝鮮人たちは当時、中国や東南アジアなどの日本軍占領地や前線地域で、
食堂や慰安所などの商売を営んでいた。当地において朝鮮人は、ビルマ、シンガポール、
インドネシアの東ティモールやスマトラ、マレーシア、タイ、ボルネオなどに
広くネットワークを持っており、慰安業以外にも食堂、料理屋、餅屋、製菓所、
豆腐屋、製油工場、写真館などを経営していた」という点も指摘されている。
日記には、このような日本軍占領地でのバイタリティあふれる朝鮮人事業主たちの
経済活動が、随所に描かれている。慰安所の経営も彼らの事業の一つであった。
そして、この日記を書いた朴氏は、遠く離れた異国の地から、東方宮城に向かって遥拝し、
慰安婦とともに開戦記念式に参加して皇軍の武運長久、戦没将兵の冥福を祈る、
典型的な大日本帝国臣民であった。
崔教授は「日記全体の文脈からは、彼が日本の帝国主義に不満を持ち、
母国の独立を願う気持ちを持っていたとは、とうてい思えない」と述べている。
この日記には、性奴隷はおろか、「虐げられた朝鮮人」の姿は見られないのである。
著者は韓国でタブーとされている米軍慰安婦について述べ、韓国メディアから
容赦ないバッシングを受けた。だが、そんな圧力に屈することなく、本書でも
学者としての客観的な姿勢を貫いている。
本書は、「慰安婦問題」まで生み出した戦後歴史観のバイアスの大きさを、
日本人に気づかせてくれるものと言えよう。
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5.0 out of 5 stars
Top customer reviews
1] 5.0 out of 5 stars
大方の日本人ならは解っていることでしょう。
By石井靖夫on November 29, 2017
Format: 単行本(ソフトカバー)
余程の馬鹿でもない限り大方の日本人なら解っているのですからこの本こそ英語に翻訳されて世界中で読んでもらいたいです。どんなに良い本でも日本語だけの本では余り意味がないと思うのは自分だけでしょうか。翻訳のために必要なお金は寄付を募れはいいと思います。その時は自分も出来るだけ応援したいです。
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2] 5.0 out of 5 stars
慰安婦は「性奴隷」でなかったことがよく分かる
Bywaka
HALL OF FAMETOP 50 REVIEWERon December 2, 2017
Format: 単行本(ソフトカバー)
著者の崔吉城氏は、2013年に韓国で出版された慰安所帳場人、朴氏の日記である「日本軍慰安所管理人の日記」の原本にあたり、1943年と1944年の2年分を熟読する。朴氏はこの2年間はビルマとシンガポールの慰安所で仕事をしており、崔吉城氏は、次のようなことを確認する。
・慰安婦には給与が支払われ、貯金や家に仕送りもしていた。
・慰安婦は、休みの日には自由に外出できた。
・産休を取る慰安婦もいれば、結婚退職する者もいた。また日本兵と慰安婦が結婚することもあった。
・師団から移転を命じられたが、慰安婦たちに反対され、行かなかった。
有名な慰安婦の文玉珠氏は、朴氏と同じ1942年7月10日に船でビルマに行っている。朴氏の日記と文玉珠氏の証言の内容とは、一致するところが多く、崔氏は合わせて読んでみた。
文玉珠氏は「食堂で働けばお金をたくさん貰える」という誘いに乗って、船に乗る。ビルマで文氏は将校たちに人気があり、宴会にたびたび呼ばれ、「チップが貰えるのが楽しみで、喜んで歌いに行った。」「週に1度か、月に2度は外出できた。」「ビルマは宝石がたくさん出るところなので、思い切ってダイヤモンドを買った。」「(野戦郵便局に)お金を500円預けた。生まれて初めての貯金だった。こんな大金が貯金できるなんて信じられないことだ。千円あれば大邱に小さな家が一軒買える。晴れがましくて、本当に嬉しかった。」といった描写が続く。
ある時、酔っぱらった下士官が来て、文氏が生理の最中だったので断ったところ、その下士官は日本刀で斬りつけてきた。「文玉珠は思わず刀を奪い、気がつくと反対にその下士官を刺していた。その下士官は死に、文玉珠は軍事裁判にかけられたが、正当防衛が認められ、無罪となった。」
慰安婦が「性奴隷」ではなかったことがよく分かる内容である。韓国では、日本軍による朝鮮人女性の強制動員の決定的資料だとされているらしいが、崔氏は、「この日記には慰安婦の募集の過程が書かれておらず、強制連行、軍が業者に強制して連れて行った、などということには一切触れていない。だから、この日記をもとにした『戦時動員の一環として組織的に強制連行を行った』という主張は、早すぎる結論である」と述べている。
また崔氏は、2002年に北朝鮮の平壌で開かれた北朝鮮主催の国際シンポジウムで、台湾の元慰安婦の体験談を聞いているが、その体験談でも、「看護婦の助手として、2年間の約束という口頭契約で働きに行ったが、そこは慰安所で、拒否することができなかった。前借金があるという理由で、お金をもらったことはなかった。軍人からチップをもらうことはあった。前借りした金を返してからは、軍人が払ったお金の一部が支払われるようになり、私はこれを軍事郵便貯金にして、総額で1800円くらい貯金した」とあり、売春の形になっていると述べている。「日本政府には、賠償と謝罪を求めます」という元慰安婦の訴えが奇異に感じられる話ばかりだった。
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3] 5.0 out of 5 stars
もっと早く出るべきだった本
Byけいon November 29, 2017
Format: 単行本(ソフトカバー)
こういう本がもっと早く世にたくさん出ていれば、世の中にはまともな韓国人も存在するということが示せて、
是々非々に基づいた理性的な話し合いの土台と出来たのではないでしょうか。
今は、日韓の歴史問題について、韓国側にまともな話し相手となるような存在が、集団としては存在しないように思います。
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4] 5.0 out of 5 stars
1953年の日韓交渉に生じた慰安婦問題を裏付ける慰安所日記
By森羅万象の歴史家on November 29, 2017
Format: 単行本(ソフトカバー)
1965年の日韓基本条約に至る日韓国交正常化交渉の初期段階において慰安婦問題は日韓両国によって解決されていた。1953年5月19日の第2次日韓会談請求権会議では韓国代表は慰安婦に関して次のように言及した。
「韓国女子で戦時中に海軍が管轄していたシンガポール等南方に慰安婦として赴き、金や財産を残して帰国して来たものがある。軍発行の受領書を示して何とかしてくれといつて来るので社会政策的に受取りを担保にして金を貸したこともある。」
そして同年6月15日の請求権委員会第3次会議では、日韓両国とも「南方占領地域慰安婦の預金、残置財産」についてその実体が明白になり次第返還支払いできるものは即時実行することで合意したのである。1953年当時の韓国代表の主張は朴氏の業務日記の内容と完璧に符合する。本書の著者が指摘するように慰安婦とは出稼ぎ売春業者の従業員(娼婦)であり、彼女たちは業者によって募集され給料を支払われていたのである。
しかし「共産主義者は、いかなる犠牲を辞さない覚悟がなければならない。あらゆる種類の詐術、手練手管及び策略を用いて非合法的方法を活用し、真実をごまかし且つ隠蔽しても差し支えない」というレーニン主義を信奉する反日左翼の巣窟である朝日新聞社(岸信介を驚愕絶句させた幻の名著戦争と共産主義-昭和政治史秘録 参照 )が慰安婦強制連行説を捏造し日韓の慰安婦問題に再点火した後、韓国の政府とマスコミと朝鮮労働党系市民団体は、真っ赤な虚偽である「日本軍による慰安婦強制連行・性奴隷・大量殺害説」を喧伝することにより、アメリカをはじめ世界各国に無知と偏見と誤解に基づく反日感情を蔓延させることに成功しており、今さら反日工作を中止できないだろう。
したがって日本国民は、朝日新聞社の捏造報道から約25年間に及ぶ韓国の反日宣伝が真っ赤な虚偽に基く最悪の反日ヘイトスピーチであることを立証し、韓国の反日宣伝を朝日もろとも韓国を斬り刻むギロチンブーメランに変換するために、本書を大いに活用すべきである。
朝日と韓国人の反日虚偽宣伝は、ヒトラーの国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)がシオンの議定書なる偽書に依拠してユダヤ人を非難し、ユダヤ人の抗議や反論に一切耳を貸すことなく反ユダヤ人世論を煽動したことと同じ許し難い民族差別以外の何物でもないからである。
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5] 5.0 out of 5 stars
伊東順子氏の論評
By崔吉城on December 2, 2017
Format: 単行本(ソフトカバー)
崔吉城先生へ
(略)届いた日に一気に読んでしまいました。「従軍慰安婦問題」を扱った本で、こんなに一気に読めたのは、大沼先生の本を除いては初めてです。私自身が変わったのかなと思って、随分前に中断していた『帝国の慰安婦』(朴裕河)を、もう一度読み始めましたのですが、やはり続きません。なぜ、先生の方は読めたのか、ちょっと考えてみました。崔先生の本の表紙には、「慰安婦の真実」とか「本当に強制連行、性奴隷はあったのか」などのテーマがありました。おそらく出版社にとっては、これらが現在の日本の読者にとって、最も関心のあるテーマだという判断があったのでしょう。
でも、私はそこには、あまり関心がありません。「真実」とか「本当に」いう言葉は信頼していないし、「強制連行」「性奴隷」は、対立する人々の認識のズレが激しすぎて、政治家や専門研究者ならともかく、私自身がそこで何だかの言葉の定義を得る必要を感じてはいません。
私が先生の本を読みふけってしまったのは、そこではなく別の部分に深く引き込まれたからです。
1、先生がハングル・日本語仮名まじり・漢字まじりの日記を読むのに、ご自身が最もふさわしいと思われたこと。
2、韓国語訳が出ているにもかかわらず、原本所有者を何度も訪ねて、原文を複写させてもらい、そこから読み込んだこと。
3,しかも、1人で読まずに、研究会を作って、お仲間の皆さんとを1年間かけて読んだということ。
4,日記に出てくる、東南アジア当地を実際に訪ね歩いたこと。さすが文化人類学者だと、これだけでも敬服しました。
5,政治的に誤読されるリスクを犯しても、ちゃんと出版しようとしたこと。
先生が本の冒頭で「日記とは?」「日記を書く人間とは?」に非常にこだわった理由は、後半になるとわかりますね。日記に現れる筆者の、日本国への忠誠をどう解釈したらいいのか? 彼は慰安所の仕事に「誇り」をもっていたのではないか、という仮定。
「日記」からは「慰安所」も「慰安婦」も、「一億総火の玉」的なものの中にあったことがわかります。その意味では「挺身隊」という言葉が長らく「慰安婦」と混同されたのも、大きくは間違っていない印象をうけます。「国家、天皇に身を挺する」という意味では、文字通りの「挺身」隊であったわけです。朴裕河さんの『帝国の慰安婦』もこのあたりの問題が出ていますが、先生の本が私にとって新鮮だったのは、別の視点が提起されていたことです。
「36年間の植民地支配」「皇国臣民化教育」がどんな風に人間を変え、というよりも、人間のどの部分を変えたのか。
先生が書かれていましたね。「でもやはり、彼の日記の中の日本語は『私と同じミスを犯している』」と。やはりネイティブにはなれない。それは、「同じく36年間、日本で暮らした」先生と同様であること。これまで『慰安所日記』はその内容にばかり関心がもたれてきました。でも、先生はその「文字」(彼の肉筆)に関心を持たれた。
大日本帝国による「同化」は、植民地の人々に限られたテーマではありません。終戦のその瞬間には呆然としながらも、しばらくした瞬間に太極旗を手にした朝鮮半島の人々。敗戦に涙しながらも、その夜には電灯の明るさに喜んだ日本内地の人々。
先生の著書を読み終えた今、私はこの真面目な帳場人に好感をもっています。
それが彼自身の本当の姿なのか、実はお書きになった崔吉城という研究者の分身なのか、実はよくわかりません。
これからも少しずつ、先生の著書を読ませていただきます。
どうもありがとうございました。
2017年12月8日 伊東順子
追伸、今日は真珠湾の日ですね。今、気づきました。
崔吉城 先生
「慰安婦の真実」を読み終えて、あらためて呉善花「スカートの風」を読みなおしました。「帳場人」の日記という、第一級の資料を解読する作業は、読者から見ても、わくわくするものです。慰安婦と「強制連行」を結びつける論調は、確かに根拠がなく、「慰安所が民間人たちによって営業的に経営され」、「売春によって、巨額のお金が動いていた」(p.178)という指摘は、納得しました。儒教倫理から遠く隔たった人たちの姿が浮かんできます。自分としても、昭和15,16,17年頃に急激に台湾人の経営、台湾人の女給が増加したのに関心を持っているので、参考になります。芸妓やキーセン、遊郭文化は昔からあったとはいえ、おそらくこの時代、日本、韓国、台湾は同じように、西洋文化(と日本文化、あるいは大阪文化)の影響を受け、伝統的価値観が揺らぎ出し、この過程で慰安婦が軍隊を後ろ盾にして活動していったのか、と推測しています。モダンガールも慰安婦も、結局はコインの裏表の関係なのかもしれません。東アジア全体を視野に入れないと、全体像がつかめないと想いつつ、この1930年代という時代をもう少し整理する必要がありますが、自分にとっては、まだ文章化するには多くの時間と労力が必要です。老齢化が進み、まとめ切らず、つらいところです。
*この内容は「東亜大学での90分授業<東アジアのカフェー文化>を短文に圧縮しながら、本書を論評した」公開してよろしい。
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山路勝彦
山路勝弘先生、コメント有難うございます。東アジア全体枠から共同研究をしたいです。お陰様で昨日重版になりました。崔吉城
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조선 출신의 帳場들이 본 위안부의 진실 - 문화 인류학자가 해독 "위안소 일기」(일본어)
단행본 (소프트 커버) - November 23, 2017
by 최 요시키 (의) 조치
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내용 소개
정말"강제 연행 " '성 노예'가 있었는지!?"악마의 증명 '이라고 한 어려운 문제에 종지부를 찍을 일류 사료에서 끈 풀어 저자 혼신의 신작! 한국에서 일본군 조선인 여성 강제 연행의 결정적 자료 으로 한 '일본군 위안소 관리인의 일기 "의 원전있어서 그 기술과 내용을 검토. 조치 위안부에서 볼 위안 기업은 영업 장사였다. 즉, 매춘업의 이주였다. 박 씨의 일기에서는 그녀들이 어떻게 모집에 따라 왔는지, 이른바 '강제 연행'되어 왔는지에 대해서는 일절 언급되어 있지 않다. 이 일기에는 그러한 '강제 연행'에 연결 같은 단어조차 없다.자 성적 피해를 가지고 문제 삼는 것은 어느 나라, 어느 민족도 가능하다. 그것은 성이 인간에게 보편적 인 것이며, 인간의 생존을 위협하는 문제이며, 수치심과 인권을 위협하는 것이기 때문이다. 한국이 섹스와 순결에 대한 윤리적에서 상대를 비난하는 것은 한국 자신의 것을 말하기는 연결되어있다. 즉, 그것을 상세히 논하기는 언젠가 반드시 본인에게 돌아 가기 부메랑 같은 것 인 것이다. 즉시 중지해야한다고 말하고 싶다.(본문에서)
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출판사에서 코멘트
저자 최 교수가 연구의 대상으로하는 것은 전쟁 중에 일본군 점령지 (버마, 싱가포르)에서 위안소 帳場 인을하고 있던 조선인 박씨가 남긴 일기 이다. 이 일기는 '일본군 위안소 관리인의 일기'라는 제목으로 한국에서 출판 된 일본군 조선인 여성 강제 연행의 결정적 자료라고 되어있다. 최 교수는 전후의 바이어스가 걸리지 않은 일기 원본있어서 박씨의 발자취를 찾아 현지 조사도 실시하고있다. 최 교수의 입장은 명확하다. 한일의 정치적 입장에서 인식하고 떠나 어디 까지나 학술적으로 일기에서 객관적인 정보를 최대한 끌어 내려고 말하는 것이다.
가져온 정보는 위안부에 관한 것에 그치지 않는다. 최 교수는 "일제 강점기 조선인의 삶의 역사를 알 수있는 귀중한 것"이라고 말했다. 이 일기를 정독 한 최 교수에 따르면 "그런 위안부 연행 등에 관한 설명은 전혀 없다" ""강제 연행 "에 연결 같은 단어조차 없다"는 것이었다. 그리고 이 일기가 강제 연행의 증거라는 주장에 대해 친일의 일기를 반일에 이용하는 것은 모순을 지적하고있다. 이 책에서는 "조선인들은 당시 중국이나 동남아 등지의 일본군 점령지와 전선 지역에서 식당이나 위안소 등의 사업을 영위하고 있었다. 이곳에서 조선인은 버마, 싱가포르, 인도네시아의 동 티모르 나 수마트라, 말레이시아, 태국, 보르네오 등에 널리 네트워크를 가지고 있으며, 위안부 산업 이외에도 식당, 요리 집, 떡집, 제과 공장, 두부, 정유 공장, 사진관 등을 경영하고 있었다 "는 점도 지적 되어있다. 일기에는 이러한 일본군 점령지에서 활력 넘치는 조선인 사업주들의 경제 활동이 곳곳에 그려져있다. 위안소의 경영도 그들의 사업 중 하나였다. 그리고 이 일기를 쓴 박 씨는 먼 이국땅에서 동방 미야기 향해 遥拝하고 위안부 함께 개전 기념식에 참가하고 황군의 무운 장구 전몰 장병의 명복을 비 전형적 인 대 일본 제국 신민이었다. 최 교수는 "일기 전체의 맥락에서 그는 일본 제국주의에 불만을 가져 모국의 독립을 바라는 마음을 가지고 있었다고는 도저히 생각되지 않는다"고 말했다. 이 일기에는 성 노예는 커녕 "억압받는 조선인 '의 모습은 볼 수없는 것이다. 저자는 한국에서 금기시되는 미군 위안부에 대해 말해 한국 미디어에서 가차없는 비난을 받았다. 하지만, 그런 압력에 굴하지 않고 책도 학자로서 객관적인 자세를 고수하고있다. 이 책은 '위안부 문제'까지 만들어 낸 전후 역사관의 바이어스의 크기를 일본인에게 일깨워주는 것이라고 할 수있다.
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Top customer reviews
1] 5.0 out of 5 stars
대체적인 일본인이라면 알고있는 것입니다. By 이시이 야스오
on November 29, 2017
Format : 단행본 (소프트 커버)
여정의 바보가 아니라면 대체적인 일본인이라면 걸 알고 있으니까 이 책 이야말로 영어로 번역되어 전세계 읽고 싶습니다. 아무리 좋은 책이라도 일본어 만 책은 너무 의미가 없다고 생각하는 것은 나만입니까? 번역을 위해 필요한 돈은 기부를 募れ 좋다고 생각합니다. 그 때는 자신도 가능한 한 응원하고 싶습니다.
2] 5.0 out of 5 stars
위안부는 '성 노예'가 아니었다는 것을 잘 알
Bywaka
HALL OF FAMETOP 50 REVIEWER
on December 2, 2017
Format : 단행본 (소프트 커버)
저자의 최 요시키 씨는 2013 년에 한국에서 출판 된 위안소 帳場 인 박 씨의 일기 인 '일본군 위안소 관리인의 일기' 원본있어서 1943 년과 1944 년의 2 년분을 정독한다. 박씨는 지난 2 년간은 버마와 싱가폴의 위안소에서 일을하고 있으며, 최 요시키 씨는 다음과 같은 것을 확인한다. ·
위안부는 급여가 지급 저축이나 집에 생활비도 있었다. ·
위안부는 쉬는 날에는 자유롭게 외출 할 수 있었다. ·
출산 휴가를 취할 위안부도 있고 결혼 퇴직하는 사람도 있었다.
또한 일본 군인과 위안부가 결혼 할 수 있었다. ·
사단에서 이전 명령을 받았습니다 만, 위안부들에 반대되어 가지 않았다.
유명한 위안부 文玉 진주 씨는 박 씨와 같은 1942 년 7 월 10 일에 배에서 버마로하고있다.
박 씨의 일기와 文玉 진주 씨의 증언 내용과 일치하는 곳이 많은 최씨는 항목을 읽어 보았다.
文玉 진주 씨는 "식당에서 일하면 돈을 많이받을 수"라는 초대를 타고, 배를 탄다. 버마에서 문씨는 장교들에게 인기가 연회에 자주 불려 「칩을받을 것이 기대 기꺼이 노래를했다. ""일주일에 한 번, 한 달에 두 번 외출 할 수 있었다 ""버마는 보석이 많이 나는 곳이므로 과감히 다이아몬드를 샀다. ""(야전 우체국) 돈을 500 엔 맡겼다. 난생 처음 저축이었다. 이런 큰 돈을 저축 할 수 있는 믿을 수 없는 것이다. 천엔이면 대구에 작은 집이 한 채 살 수있다. 써니가 낫다 구라고 정말 기뻤다. "라고 묘사가 이어진다. 한번은 취한 상사가 와서 문씨가 생리 중에 이었기 때문에 거절했는데, 그 상사는 일본 도로 베어 붙여왔다. "文玉珠 모르게 칼을 빼앗아 깨달으면 반대 그 하사관을 찌르고 있었다. 그 상사는 죽고 文玉珠는 군사 재판에 회부되었지만, 정당 방위가 인정되어 무죄가되었다."
위안 위안부가 '성 노예'는 없었다는 것을 잘 알 수있는 내용이다. 한국에서 일본군 조선인 여성의 강제 동원의 결정적 자료라고되어있는 것 같지만, 최씨는 "이 일기는 위안부의 모집 과정이 적혀 있지 않고, 강제 연행, 군 이 업체에게 강제로 데려 갔다,는 것에는 일절 언급하지 않았다. 그래서이 일기를 바탕으로 한 '전시 동원의 일환으로 조직적으로 강제 연행을했다 "는 주장은 빨리 너무 결론이다 "고 말했다.
또한 최 씨는 2002 년 북한 평양에서 열린 북한 주최의 국제 심포지엄에서 대만 위안부의 체험담을 듣고 있지만, 그 체험담도 "간호사의 조수로, 2 년간의 약속이라는 구두 계약으로 일에 갔는데, 거기는 위안소에서 거부 할 수 없었다. 전에 빚이 있다는 이유로 돈을받은 것은 아니었다. 군인에서 칩을 받는다 수 있었다. 가불 한 돈을 돌려에서는 군인들이 지불 한 돈의 일부를 지급하는 것, 나는 이것을 군사 우편 저금하고 총액 1800 엔 정도 저금했다 "고 있고, 매춘의 형태가되어 있다고 말했다. "일본 정부는 배상과 사죄를 요구합니다 '라는 위안부 소송이 기이하게 느껴지는 이야기 뿐이었다.
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3] 5.0 out of 5 stars 더 빨리 나올 것이었다 본
By 케이 on November 29, 2017
Format : 단행본 (소프트 커버)
이런 책이 더 빨리 세상에 많이 나와 있으면 세상은 살만한 한국인도 존재한다는 것을 이 진술하여 시시비비에 따라 지적인 대화의 토대가 생긴 것이 아닐까요. 지금은 한일 역사 문제에 대해 한국 측에 괜찮은 말벗이 되는 존재가 집단으로는 존재하지 않는 것 같습니다.
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4] 5.0 out of 5 stars
1953年の日韓交渉に生じた慰安婦問題を裏付ける慰安所日記
By 삼라만상의 역사 on November 29, 2017
Format : 단행본 (소프트 커버)
1965 년의 한일 기본 조약에 이르는 한일 국교 정상화 협상의 초기 단계에서 위안부 문제는 한일 양국에 의해 해결되어 있었다. 1953 년 5 월 19 일 제 2 차 한일 회담 청구권 회의에서는 한국 대표는 위안부에 대해 다음과 같이 언급했다. "한국 여자에서 전시 중에 해군이 관할하고 있던 싱가포르 등 남방에 위안부로 가서 돈이나 재산을 남기고 귀국 해 왔던 것이있다. 군 발행의 영수증을 보여 어떻게 든 해달라고 언제 오기 때문에 사회 정책적으로 수취를 담보로 돈을 빌려 준 적도있다. "그리고 같은 해 6 월 15 일 청구권위원회 제 3 차 회의에서는 한일 양국 모두"남방 점령지 위안부의 예금, 残置 재산 "에 대하여 그 실체가 명백하게되는대로 반환 지불 할 수있는 것은 즉시 실행하기로 합의했기 때문이다. 1953 년 당시 한국 대표의 주장은 박씨의 업무 일기의 내용과 완벽하게 부합한다.
이 책의 저자가 지적한대로 위안부는 이주 성매매 업소 직원 (창녀)이며, 이들은 업체에서 모집 된 급여를 지급하고 있었던 것이다.
그러나 "공산주의자들은 어떠한 희생을 불사하는 각오가 있어야한다. 모든 종류의 속임수, 농간 풉니과 책략을 이용하여 불법적 인 방법을 활용하여 진실을 다지 또한 은폐해도 무방하다 "라는 레닌주의를 신봉하는 반일 좌익 소굴 인 아사히 신문사 (기시 노부스케를 경악 절구시킨 환상의 명작 전쟁과 공산주의 - 쇼와 정치사 널리 참조)가 위안부 강제 연행 설을 날조 한일 위안부 문제에 다시 점화 한 후 한국 정부와 언론과 조선 노동당 계 시민 단체는 새빨간 거짓이다
"일본군에 의한 위안부 강제 연행 · 성 노예 대량 학살 설 '을 선전함으로써 미국 을 비롯한 세계 각국에 무지와 편견과 오해에 근거 반일 감정을 확산시키는 데 성공하고, 이제 와서 반일 공작을 중지 할 수 없을 것이다. 따라서 일본 국민은 아사히 신문의 날조 보도에서 약 25 년간의 한국의 반일 선전이 새빨간 거짓에 기초한 최악의 반일 헤이트 스피치임을 입증하고 한국의 반일 선전을 아사히 다 함께 한국 베어 새기는 단두대 부메랑으로 변환하기 위해 책을 많이 활용해야한다.
아사히와 한국인의 반일 허위 선전은 히틀러의 국가 사회주의 독일 노동자당 (나치)이 시온 의정서 될 위서에 의거하여 유대인을 비난 유대인의 항의와 반박에 전혀 귀를 빌려 수 없이 반유대 여론을 선동 한 것과 용서없는 민족 차별 이외의 아무것도 없기 때문이다.
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5] 5.0 out of 5 stars
이토 쥰코 씨의 논평 By 최 요시키
on December 2, 2017
Format : 단행본 (소프트 커버)
최 요시키 선생님에게 (약어)
도착한 날에 단숨에 읽어 버렸습니다. "종군 위안부 문제 '를 다룬 책에서 이렇게 단번에 읽을 수 있었던 것은 누마 선생님의 책을 제외하고는 처음이다. 나 자신이 바뀌 었는지라고 생각 오래전에 중단했다 "제국의 위안부 '(朴裕河)을 다시 읽기 시작 했습니다만, 역시 지속되지 않습니다. 왜 선생님이라면 읽을 것인가, 조금 생각해 보았습니다. 최 박사 책의 표지에는 '위안부의 진실」라든가 「정말 강제 연행 성 노예가 있었는지'등의 테마가있었습니다. 아마 출판사에게는 이들이 현재 한국의 독자들에게 가장 관심있는 주제하다는 판단이 있었던 것입니다. 하지만 거기에는별로 관심이 없습니다. "진실"이라든가 "정말"이라는 말은 믿지 않으며 "강제 연행 ''성 노예 '는 대립하는 사람들의 인식의 차이가 격렬 너무 정치인이나 전문 연구자라면 몰라도, 나 자신이 그래서 왠지 단어의 정의를 얻을 필요를 느끼지 없습니다. 내가 선생님의 책을 탐독 버린, 거기가 아닌 다른 부분에 깊이 끌려 때문입니다.
1 선생님이 한글 · 일본어 가나 섞인 한자 섞인 일기를 읽고 있는데, 자신이 가장 적합하다고 생각했다.
2, 한국어 번역이 나와 있음에도 불구하고, 원본 소유자를 여러 번 방문하여 원문을 복사시켜 주어, 거기에서 가져온 것.
3, 게다가 혼자 읽지 않고 연구회를 만들고, 동료 여러분과 1 년간에 걸쳐 읽었다 고한다.
4, 일기에 나오는 동남아 현지를 실제로 찾아 다닌 것. 과연 문화 인류 학자이고, 이것만으로도 탄복했습니다.
5 정치적으로 오독되는 리스크를 범해서도 제대로 출판하려고 한 것.
선생님이 책의 첫머리에서 "일기는?" "일기를 쓰는 사람은?"아주 고집 한 이유는 후반이 될 것으로 알지요. 일기에 나오는 필자의 일본에 대한 충성을 어떻게 해석하면 좋을까? 그는 위안소 일에 「자랑」을 가지고 있던 것이 아니냐는 추측. "일기"에서 "위안소 '도'위안부 '도'일억 총 불 덩어리 '인 것들 사이에 있었다는 것을 알 수 있습니다. 그런 의미에서 '정신대'라는 말이 오랫동안 '위안부'와 혼동 된 것도 큰 잘못 않은 인상을 받습니다.
"국가 황제에 몸을 정하겠다"는 의미는 말 그대로 "헌신하지 않는"대 인 것입니다.朴裕河 씨의 「제국의 위안부 '도 이 근처의 문제가 나오고 있습니다 만, 선생님의 책이 나에게 신선했던 것은 다른 관점이 제기 된 것입니다. "36 년간의 식민지 지배」 「황국 신민 화 교육 '이 어떤 식으로 인간을 바꾸고 보다는 인간의 어떤 부분을 바꾼 것인가. 선생님이 적혀 있었어요.
"하지만 역시 그의 일기 속의 일본어는"나와 같은 실수를하고있다 ""고. 역시 기본적으로는 될 수 없다. 그것은 "마찬가지로 36 년간 일본에서 생활했다"선생님과 비슷 함. 지금까지 "위안소 일기」는 그 내용에만 관심이 쏠린다 왔습니다. 하지만 선생님은 "문자"(그의 육필)에 관심을 갖게되었다. 대 일본 제국에 의한 「동화」는 식민지 사람들에 한정된 테마가 없습니다. 종전의 그 순간에 현혹하면서도 잠시 순간에 태극기를 손에 넣은 한반도의 사람들. 패전에 눈물하면서도 그 밤에 전등의 밝기에 기뻐 일본 내지의 사람. 선생님의 저서를 읽고 난 지금, 나는이 진지한 帳場에게 호감을 가지고 있습니다. 그것이 자신의 진짜 모습인지, 사실 쓰기가 된 최 요시키는 연구자의 분신인지 사실 잘 모릅니다. 앞으로도 조금씩 선생님의 저서를 읽었습니다. 정말 감사했습니다.
2017 년 12 월 8 일
이토 쥰코
추신 오늘은 진주만의 날 이군요. 이제 깨달았다. 최 요시키 선생님 '위안부의 진실 "을 읽어야 재차 오선화'치마 바람"을 읽고 다시했습니다.
"帳場 남자"일기는 일류의 자료를 해독하는 작업은 독자 봐도 두근 두근하는 것입니다. 위안부 '강제 연행'을 연결 논조는 확실히 근거가 없어 "위안소가 민간인들에 의해 운영으로 경영되고", "성매매에 의해 거액의 돈이 움직이고 있었다"(p.178) 는 지적은 수긍했습니다.
유교 윤리에서 멀리 동떨어진 사람들의 모습이 떠 오릅니다. 자신해도, 1940, 16, 17 년 무렵에 급격히 대만인의 경영, 대만인의 여급이 증가했는데 관심을 가지고 있기 때문에 도움이 됩니다. 게이샤와 기생, 유곽 문화는 옛날부터 있었다고는해도, 아마이 시대, 일본, 한국, 대만은 마찬가지로 서양 문화 (와 일본 문화 나 오사카 문화)의 영향을 받아 전통적인 가치관이 요동 사정이 과정에서 위안부가 군대를 등에 업고 활동하고 갔는지, 추측하고 있습니다. 현대 여자도 위안부도 결국은 동전의 앞뒤 관계 인지도 모릅니다. 동아시아 전체를 시야에 넣지 않으면 큰 그림을 보지 않는다고 생각하면서이 1930 년대라는 시대를 좀 더 정리해야하지만, 자신에게는 아직 문장 화하려면 많은 시간과 노력이 필요 입니다. 노령화가 진행되어, 정리 자르지 않고 힘든 곳입니다.
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*이 내용은 "동아대에서 90 분 수업 <동아시아의 카페 문화>을 단문으로 압축하면서 책을 논평했다" 공개해도 좋습니다.
야마 카츠 히코 야마 카츠히로 선생님, 댓글 감사합니다. 동아시아 전체 틀에서 공동 연구를하고 싶습니다. 덕분에 어제 재발행되었습니다. 최 요시키
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