戦後70年 保守のアジア観 (朝日選書) (日本語) 単行本 – 2014/12/10
若宮啓文 (著)
5つ星のうち2.4 2個の評価
戦後保守のアジア観 (朝日選書)
戦後保守のアジア観 (朝日選書)
若宮 啓文
5つ星のうち 4.0 2
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
なぜ日本のアジア外交は謝罪と反発の間を揺れ動くのか―。岸・吉田から小泉・安倍までの戦後政治を、日中韓のナショナリズムの変遷と共に徹底検証する!
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
若宮/啓文
1948年東京生まれ。70年に朝日新聞記者となり、横浜・長野支局を経て75年から長く政治・外交を取材。この間、韓国に語学留学、米国のブルッキングス研究所で客員研究員。論説主幹、主筆を経て2013年に退社。現在は日本国際交流センターのシニア・フェローで慶應義塾大学、龍谷大学、韓国の東西大学、ソウル大学で客員教授なども(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
発売日 : 2014/12/10
単行本 : 472ページ
出版社 : 朝日新聞出版 (2014/12/10)
カスタマーレビュー
5つ星のうち2.4
星5つ中の2.4
2 件のグローバル評価
5つ星のうち1.0 キミには愛国心がないね
2018年12月21日に日本でレビュー済み
昨今、朝日新聞に対し匿名の掲示板やブログに群がるネット右翼からの心無い中傷や悪質な攻撃が相次いでいる。
百年単位で育ってきた朝日を、瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の・・・。と言わんばかりだ。
だが、心配のしすぎではないか。事の本質はそうではないはずだ。朝日を「反日売国偏向捏造新聞社」と言うには早計に過ぎないか。
疑問を抱くのは私達だけだろうか。再考すべきだ。ネット右翼の主張は一見、もっともな理屈のように見えるが、そうとばかりはいえまい。
1発だけなら、誤射かもしれない。落ち着いて考える必要がある。しかし、だからといって、朝日をコケにするのはいかがなものか。
ちょっと待ってほしい。あまりに乱暴だ。的はずれというほかない。その前にすべきことがあるのではないか。
皆さんにはもっと真剣に考えてもらいたい。今こそ冷静な議論が求められる。
思い出してほしい、朝日は今後も日本を代表するクオリティーペーパーであり続けるに違いない、と私たちは主張してきた。
偏狭なナショナリズムが増長するこの国に足りないのは、朝日のような進歩的知性なのではないか、という意見もある。
朝日の用語は、きわめてアジア的な優しさにあふれているようにみえる、という声も聞かれなくもない。
こういった良識ある市民の声に謙虚に耳を傾けるべきではないか。真摯な姿勢が今ひとつ伝わってこない。
これでは議論を呼ぶのは必至だ。中国、韓国をはじめとするアジア諸国からの反発が予想される。内外に様々な波紋を広げそうだ。
そういえば、自らの国家や民族に固執する右翼系の若者が世界的に増えているという事実も、多少気になるところだが。
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梁田貴之
5つ星のうち5.0 コンパクトながら戦後日韓関係、日中関係の肝の部分の概説書、ハンドブックとして誰もが読み、手許に置いておくべき一冊
2015年1月4日に日本でレビュー済み
日中関係、日韓関係は首相の靖国神社参拝問題、尖閣諸島や竹島の領有問題、歴史教科書問題などで何度も難しい局面を招いては、関係者の努力によりようやく沈静化するということを繰り返している。
なぜそうそうしたことが繰り返されるのかを知りたければ、その時々の最新ニュースや用語解説を追うだけでなく、また法律的な側面や取り交わされた文書を追うだけでなく、それぞれの問題について、わが国の政治家たち、また関係国の指導者たちがどのような背景の下で、どのような考えでやりとりをし、その時々の決着をつけてきたのか、また先送りをしてきたかについて、その経緯の集積をある程度ていねいに追ってみることが必要だ。
1970年代から政治記者として日本政治、また日韓関係をはじめとする外交を観察し、また論説主幹、主筆として健筆を振るった若宮氏による本書は、戦後の日韓関係、日中関係について、東南アジアも視野に入れて基本的な論点を網羅し、また吉田茂、岸信介、石橋湛山にそれぞれ代表されるような流れに属する政治家たちがどう対処してきたかについて整理を試みていて、取材体験や最新の参考文献からの引用も含め、著者自身が「ライフワークの決算というべき」と語るにふさわしい、コンパクトながら戦後日韓関係、日中関係の肝の部分の概説書、ハンドブックとして誰もが読み、手許に置いておくべき一冊になっている。
紹介されているファクトはすでに広く知られていることが多いのだろうが、例えば'ケ小平氏が中国の最高首脳としてはじめて来日したときに昭和天皇が発表では「両国の間には一時、不幸な出来事はあったけれども」としてこれからの親善に期待を表明したことになっているが、実際の発言は岩見隆夫氏の後年の記事によれば「わが国はお国に対して、数々の不都合なことをして迷惑をかけ、心から遺憾に思います。ひとえに私の責任です。こうしたことは再びあってはならない‥」というもので周囲を驚かせたがその内容は伏せられたのだそうだ。
靖国神社の軍人出身の松平宮司が東条英機らA級戦犯を合祀したのが日中平和友好条約批准の6日後というタイミングであったとか、小渕政権の時に来日した江沢民主席が宮中晩餐会に人民服で出席して歴史問題を繰り返し、天皇訪中や村山談話などのそれまでの日本側の努力を無にするかごとき振る舞いに出た背景には、江沢民氏が来日する直前に3年前の村山談話と同日に刊行された自民党の「歴史・検討委員会」による『大東亜戦争の総括』の要約版の中国語訳に目を通して激怒したことがあったのではといった指摘にも驚かされた。
中国側が日中国交正常化に反発する国内の人々を抑えるために「侵略は日本の一部の軍国主義者によるもので、大多数の日本国民は戦争の犠牲者」というロジックを用いたとは聞き及んでいたが、当時上海市の一党員として集合をかけられて指導を聞き市民に対する工作に当たったという呉寄南氏の証言なども興味深い。
第6章「中国をどう見てきたか」にはさながら保守ハト派列伝の趣もあり、第3章なぜ残る「アジア解放の戦争」論は孫文、蒋介石の発言や、戦後の猪木正道、林健太郎といった人々の発言にもふれて思想潮流の整理も試みていて有益。そして第1章では第2次安倍内閣の成立や民主党政権からの日中、日韓の深刻な状況について的確な整理が行われていて、参考になる。
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