""반일 종족주의와의 투쟁 '제 3 편 독도에 관한 매우 중요한 보충입니다 "
李栄薫 씨가 집필을 담당 한'제 3 편 독도 '의 첫 번째 챕터"10 환상의 섬 "은 동북아 역사 재단 독도 연구소 소장 (라고 생각한다. 2015 년 2 월 22 일 시점에서 그랬다)의 洪聖根 씨의 주장을 반박하는 것으로,
그 홍 씨의 2019 년 주장의 핵심 부분이 인용 되는 것입니다.
발췌에서 " 「동국 문헌 비고」(1770 년)와"만 대 요람」(1808 년)는 우산도가 일본에서 마쓰시마라고 불리고 있다고하고 우산도에 대한 영유권 인식을 밝혔다 " 라는 놀라운 기술이있었습니다.
이 「동국 문헌 비고」의 설명은 "만 대 요람"그것을 베낀 것으로 동일입니다 만,이 「동국 문헌 비고」의 기술이 실수 였음이 이미 수십 년 전 (더 전에합니까?)에 밝혀 뒤집어 버리고있는 것입니다.
이를 2019 년의 시점에서 언급 洪聖根 씨는 정말 독도 연구자 냐고 내가 놀란 것입니다.
이것에 대해 李榮薰 씨가 책에서 언급하고 있지 않기 때문에, 추가로 소개하고자합니다.
「동국 문헌 비고」의 묘사로하는 것은 구체적으로는 「여지 志云 울릉도 우산 모두 우산 國地 우산 칙 왜 소 소위 마츠시마 야 "(여지 뜻으로 말하는 울릉, 우산은 모두 우산국의 땅, 우산은 즉 왜의 소위 마츠시마든지)입니다.
이것은 「동국 문헌 비고」의 「여지 생각 "文註에 있습니다. 여기에서있다 "여지 뜻"은 柳馨遠의 「동국 여지 뜻 "입니다. 이 「동국 여지 뜻 "은 현존하지 않는다고되어있었습니다. 따라서 「동국 문헌 비고」의 「여지 志云 울릉도 우산 모두 우산 國地 우산 칙 왜 소 소위 마츠시마 야 "의 정확성을 확인할 수 없었던 것입니다 만, 한국 측이"동국 문헌 비고 " 계정에 의거하여 '우산도 = 왜의 소위 마츠시마 = 독도'설을 전개하고있었습니다. 그런데 한국에서 柳馨遠의 「동국 여지 뜻 "(여지 뜻)가 나온 것입니다. 2006 년에 제주 대학교 우 相学 씨에 의해 「동국 여지 뜻 "이 현존하는 것을 확인했습니다.
그에 따르면, "여지 志云"로 시작하는 「동국 문헌 비고」 「여지 생각 "文註 묘사가 실수임을 증명되어 버린 것입니다. 는 柳馨遠의 「동국 여지 뜻 "(여지 뜻)는 무려 써 있을까? 다음과 같습니다. "우산도 울릉도 一云武陵 한 云 羽 陵 두 섬 在県 정동 바다 중간 미츠 미네 及業 掌空 南峯 梢卑 바람 일 청명 법칙 峯頭 나무 及山 根沙渚 歴々 가능보고 風便 법칙 이틀 가능 도래 일설 간섭 산 울릉도 책 한 섬 지방 백리 "즉, 柳馨遠은 1530 년 편찬의 「신증 동국여지승람」의 기술을 베낀 것으로 밝혀졌습니다. 그런 것으로, 여지 뜻은 "울릉도 우산 모두 우산 國地 우산 칙 왜 소 소위 마츠시마 야"라고 쓴 않았다는 것으로,이 「동국 문헌 비고」 「여지 생각 "文註에 의거 한 '우산도 = 독도'설은 뒤집어 버렸습니다. 「동국 문헌 비고」 「여지 생각 "文註을 베꼈다"만 대 요람」, 1908 년 「증보 문헌 비고」를 포함하여이 기술은 전멸입니다.
그런 것으로,이 기술을 2019 년에 실시한 동북아 역사 재단 독도 연구소 洪聖根 씨군요. 독도의 연구원으로 치명적인 안된다고 생각 해요?
""ban-il jongjogjuuiwaui tu
Jin Kaneko
11 m ·
《『反日種族主義との闘争』第3編独島に関する、きわめて重要な補足です》
李栄薫さんが執筆を担当した「第3編 独島」の最初の章「10 幻想の島」は、東北亜歴史財団の独島研究所の所長(だと思う。2015年2月22日時点ではそうだった)の洪聖根さんの主張の反論ということで、その洪さんの2019年の主張の核心部分が引用されているわけです。その抜粋の中に「『東国文献備考』(1770年)と『万機要覧』(1808年)は、于山島がにほんでは松島とよばれているとし、于山島に対する領有認識を明らかにした」という驚くべき記述がありました。
この『東国文献備考』の記述は、『万機要覧』がそれを引き写したということで同じものなのですが、この『東国文献備考』の記述が間違いであったことが、すでに十数年前(もっと前か?)に明らかにされ覆されてしまっているわけです。これを2019年の時点で言及している洪聖根さんは、本当に独島研究者なのかと、私は驚いたわけです。
このことについて、李榮薰さんが本書の中で言及していないので、補足として紹介しようと思います。
『東国文献備考』の記述とされるものは、具体的には「輿地志云 鬱陵 于山 皆于山國地 于山則倭所謂松島也」(輿地志に言う、鬱陵、于山は皆于山国の地、于山は即ち倭の所謂松島なり)です。これは『東国文献備考』の「輿地考」文註にあります。
ここにある『輿地志』とは柳馨遠の『東国輿地志』です。
この『東国輿地志』は現存しないとされていました。このため、『東国文献備考』の「輿地志云 鬱陵 于山 皆于山國地 于山則倭所謂松島也」の正しさを確認できなかったわけですが、韓国側はこの『東国文献備考』の記述に依拠して「于山島=倭の所謂松島=独島」説を展開していました。
ところが韓国で、柳馨遠の『東国輿地志』(輿地志)が出てきたのです。2006年に済州大学の呉相学さんによって『東国輿地志』が現存することを確認したのです。
それによると、「輿地志云」で始まる、『東国文献備考』「輿地考」文註の記述が間違いであることが証明されてしまったわけです。
では、柳馨遠の『東国輿地志』(輿地志)は何と書いてあるか? 以下の通りです。
「于山島鬱陵島 一云武陵 一云羽陵 二島在県正東海中 三峯及業掌空南峯梢卑 風日清明則峯頭樹木 及山根沙渚 歴々可見 風便則二日可到 一説干山 鬱陵 本一島 地方百里」
つまり、柳馨遠は1530年編纂の『新増東国輿地勝覧』の記述を引き写したことが明らかになりました。
そういうことで、輿地志には「鬱陵 于山 皆于山國地 于山則倭所謂松島也」とは書いていなかったということで、この『東国文献備考』「輿地考」文註に依拠した「于山島=独島」説は覆されてしまいました。
『東国文献備考』「輿地考」文註を引き写した『万機要覧』、1908年の『増補文献備考』を含め、この記述は全滅です。
そういうことで、この記述を2019年に行った東北亜歴史財団・独島研究所の洪聖根さんですね。独島の研究者として致命的にダメだと思いますよ?
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""ban-il jongjogjuuiwaui tu
Jin Kaneko
11 m ·
《『反日種族主義との闘争』第3編独島に関する、きわめて重要な補足です》
李栄薫さんが執筆を担当した「第3編 独島」の最初の章「10 幻想の島」は、東北亜歴史財団の独島研究所の所長(だと思う。2015年2月22日時点ではそうだった)の洪聖根さんの主張の反論ということで、その洪さんの2019年の主張の核心部分が引用されているわけです。その抜粋の中に「『東国文献備考』(1770年)と『万機要覧』(1808年)は、于山島がにほんでは松島とよばれているとし、于山島に対する領有認識を明らかにした」という驚くべき記述がありました。
この『東国文献備考』の記述は、『万機要覧』がそれを引き写したということで同じものなのですが、この『東国文献備考』の記述が間違いであったことが、すでに十数年前(もっと前か?)に明らかにされ覆されてしまっているわけです。これを2019年の時点で言及している洪聖根さんは、本当に独島研究者なのかと、私は驚いたわけです。
このことについて、李榮薰さんが本書の中で言及していないので、補足として紹介しようと思います。
『東国文献備考』の記述とされるものは、具体的には「輿地志云 鬱陵 于山 皆于山國地 于山則倭所謂松島也」(輿地志に言う、鬱陵、于山は皆于山国の地、于山は即ち倭の所謂松島なり)です。これは『東国文献備考』の「輿地考」文註にあります。
ここにある『輿地志』とは柳馨遠の『東国輿地志』です。
この『東国輿地志』は現存しないとされていました。このため、『東国文献備考』の「輿地志云 鬱陵 于山 皆于山國地 于山則倭所謂松島也」の正しさを確認できなかったわけですが、韓国側はこの『東国文献備考』の記述に依拠して「于山島=倭の所謂松島=独島」説を展開していました。
ところが韓国で、柳馨遠の『東国輿地志』(輿地志)が出てきたのです。2006年に済州大学の呉相学さんによって『東国輿地志』が現存することを確認したのです。
それによると、「輿地志云」で始まる、『東国文献備考』「輿地考」文註の記述が間違いであることが証明されてしまったわけです。
では、柳馨遠の『東国輿地志』(輿地志)は何と書いてあるか? 以下の通りです。
「于山島鬱陵島 一云武陵 一云羽陵 二島在県正東海中 三峯及業掌空南峯梢卑 風日清明則峯頭樹木 及山根沙渚 歴々可見 風便則二日可到 一説干山 鬱陵 本一島 地方百里」
つまり、柳馨遠は1530年編纂の『新増東国輿地勝覧』の記述を引き写したことが明らかになりました。
そういうことで、輿地志には「鬱陵 于山 皆于山國地 于山則倭所謂松島也」とは書いていなかったということで、この『東国文献備考』「輿地考」文註に依拠した「于山島=独島」説は覆されてしまいました。
『東国文献備考』「輿地考」文註を引き写した『万機要覧』、1908年の『増補文献備考』を含め、この記述は全滅です。
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