2021-11-23

ナイキCMへ批判殺到の背景にある「崇高な日本人」史観(古谷経衡) - 個人 - Yahoo!ニュース

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ナイキCMへ批判殺到の背景にある「崇高な日本人」史観

古谷経衡作家/文筆家/評論家
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ロンドンマラソンにおけるナイキシューズ(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 ナイキジャパンが製作したPR動画、”動かしつづける。自分を。未来を。 The Future Isn’t Waiting.”が、摩訶不思議な批判を受けている。

 動画の再生回数は同社の公式ユーチューブサイトで約1000万回(20年12月3日現在)に迫るが、その中で日本人ユーザーのものと思われる批判コメントの殆どが所謂「ネット右翼」と呼ばれる層によるもので、「日本には人種差別は極めて少ない(よってこのCMはけしからん)」「日本に朝鮮人差別は無い、あったとしても理由があるから」「ナイキは反日企業だ、もう買わない」「朝鮮総連が日本人拉致に関与している事実をナイキは知っているのか」などと言ったコメントが多数を占めている。

 このPR動画には主に3人の少年少女が登場するが、その中の一人は在日コリアンとみられ、チマチョゴリ姿でうつむきながら街を歩く様子や、恐らくそのエスニシティが理由で学校で「いじめ」にあっているさまが描かれている。嫌韓・反在日コリアンを金科玉条とする日本のネット右翼は、おそらくこの部分の描写が特に気に食わなかったのだろう。要約すれば今次のナイキCMに対する彼らの反応は、

日本には欧米のような人種差別問題は極めて少ないのに、ナイキのPR動画ではあたかも日本でも欧米同然の在日コリアンに対する人種差別が行われているような風潮を惹起させ、日本全体のイメージを貶めている

 というものである。筆者は約10年間に亘ってネット右翼を観察し続けてきた。そればかりではなく、ネット右翼の世界に身を置いて言論活動を行ってきた経歴がある。その私からして、彼らがなぜナイキのPR動画にここまでの拒否反応を示すのか、の理解は容易い。一言で言えば、日本人は欧米人とは違って、人種差別などを行わない崇高な民族である、という「崇高な日本人史観」が背景にあるからである。これはどういうことだろうか。

・「崇高な日本人」史観の嘘と、日本での人種差別の実例

日本の保守派、ネット右翼層にはびこる「凛として美しく」路線(フォトAC)*写真はイメージで本文とは関係ありません
日本の保守派、ネット右翼層にはびこる「凛として美しく」路線(フォトAC)*写真はイメージで本文とは関係ありません

 まず、ナイキのPR動画に寄せられた否定的なコメントの中にある、上記の、日本では欧米のような人種差別問題は極めて少ない~というのはまったく事実ではない。2002年頃から勃興したネット右翼の中でも、街頭に出てデモ活動や示威行為等を行う行動派を「行動する保守」と分類するが、この行動する保守の筆頭格が、『在日特権を許さない市民の会』(以下在特会)である。

 在特会は2006年に公式に設立され、初代会長は桜井誠氏であった。在特会は関連団体等と共に関東や関西の韓国・朝鮮関連施設に押し掛け、ヘイトスピーチを行うことにより多数の逮捕者を出し、民事的不法行為を犯した。まさに公然と日本に居住する他民族を貶め、差別し続けてきたのが彼らなのである。特記すべき有名な事件は以下のふたつである。

1)京都朝鮮学校襲撃事件(2009年)

京都市南区の京都朝鮮第一初級学校に在特会メンバーらが押しかけ、「朝鮮学校を日本からたたき出せ」「スパイの子ども」などと絶叫し、事実上同校を襲撃した事件。当時校舎には100名を超える児童がいた。2013年には京都地裁がこの襲撃事件を「人種差別」と認定し、在特会側に約1200万の賠償命令を出した(確定)。またこの襲撃事件に関与した人員4人らは侮辱罪・威力業務妨害罪・器物損壊罪等で逮捕等され、有罪判決が出た。

2)李信恵氏中傷事件(2017年)

在日コリアンでライターの李信恵氏に対し、在特会関係者が「不逞(ふてい)鮮人」などの人種差別を繰り返したとして、2017年に最高裁が在特会側に約77万円の賠償命令を出して二審の高裁判決を支持し、判決が確定した。ヘイトスピーチをめぐる個人賠償では初めての画期的判例が確立された。

 このほかにも、在特会を筆頭とした大小の「行動する保守」のグループが、東京・新大久保や神奈川県・川崎市、大阪・鶴橋などで「朝鮮人を叩き出せ!」「いい朝鮮人も、悪い朝鮮人も、みんな殺せ!」

(*本稿中では、ヘイトスピーチやヘイトクライム根絶への願いから、文中に事実通りの差別的文言を引用しております)

 などの数多のデモ行為、街宣活動を繰り返してきたことは紛れもない事実で、日本では欧米のような人種差別問題は極めて少ない~などというナイキPR動画への反論は重ね重ねまったく事実ではないことがわかる。

 こういった国内の深刻な状況から、2016年に所謂”ヘイト規制法(ヘイトスピーチ解消法)”「正式名:本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」が成立されたことは記憶に新しい。日本に人種差別問題がないのなら、ヘイト規制法など立法しなくても良いはずだが、現実にはその逆の事が進行しているから同法が立法されたのである。そして前述したとおり、日本における在日コリアン差別の前衛となった在特会会長の桜井誠氏は、同会から独立する形でその後『日本第一党』を結成し、その党首に就任。2020年東京都知事選挙に党首自らが出馬し、落選したものの都内で約18万票を獲得した

 むろん、同知事選挙で桜井誠氏に投票したすべての有権者が桜井氏の過去における人種差別に賛同していたわけではないだろうが、その多くが桜井氏への同調票であると考えるのが自然である。「朝鮮人を叩き出せ!」と絶叫していた党首に、東京都という日本総人口の1割に過ぎない地域を例にしても、約18万人の支持者が存在するという事自体、如何に日本で人種差別が激しく、またそれは「日本には欧米のような人種差別問題は極めて少ない~」という言説が如何に虚偽であるかを物語っている。

・「崇高な日本人」史観とは何か?

 さて、このような事実を例示しても、なおもって彼らが「日本には欧米のような人種差別問題は極めて少ない~」と言い張るのは何故か。ひとつは、「愛国無罪」の原則がある。要するに、韓国や朝鮮は反日行為をしているのであるから、それに対抗するのは差別ではない―という論調である。もし仮に、百歩譲って韓国政府や北朝鮮が所謂「反日」行為なるものをおこなっていたとしても、それは相手の政府の方針であり、日本に居住している個人の在日コリアンを差別・迫害してよい理屈にはまったくならないのは自明である。

 もうひとつは、これこそ本稿の主眼であるが、「崇高な日本人」史観の存在である。要するに、日本民族は世界一道徳的で礼儀正しく、よって不道徳な行いや野蛮を行わない。つまり、多民族への差別などやったことは無い―とする世界観である。これはネット右翼が依拠する日本の保守界隈でも根強く信奉されている価値観で、私はこれを「凛として美しく」路線とも呼んでいる。

 つまり日本人は崇高で美しいから、略奪・強姦・差別その他の不道徳行為を現在でも過去にでも一切やってこなかったとする史観で、実はこれが日本の保守派に代表される「南京大虐殺否定」「従軍慰安婦否定」論にダイレクトに結びついている。

1)現在でも、過去においても、日本人は崇高で道徳的で美しいので、中国人(当時の中国国民党軍・民)を野放図に虐殺することなどありえない事である(南京事件否定

2)現在でも、過去においても、日本人は崇高で道徳的で美しいので、欲望をむき出しにした戦時性暴力など行う訳はないのである(慰安婦否定

 このような論がこの国の保守、ネット右翼界隈では「常識」になっているが、すべての根源は「崇高な日本人」史観の存在だ。南京事件に関しては、中国側犠牲者数の算定数に開きはあるものの、秦郁彦氏ら実証史学者の研究によって虐殺自体は存在したことが史学界の定説になっている。そして従軍慰安婦については議論の余地なく、戦中に彼女らを日本軍が管理し、あるいは彼女らの意に反して売春に従事させ苦痛を味あわせたことは、日本政府が河野談話(1993年)で事実を認め謝罪して以来、歴代内閣が踏襲している歴史的立場である。「崇高な日本人」史観とは、まったく砂上の楼閣、机上の空論に過ぎないのである。

 更には保守界隈、ネット右翼界隈で盛んなのはこれに加えて「日本人が人種差別に立ち向かった」とする一種の神話がまかり通っていることだ。この中で必ず出てくるのは、第一次大戦後のパリ講和会議(1919年)で、戦勝国となった日本が当時の国際連盟に提出した「人種的差別撤廃提案」である。つまり第一次大戦後、戦勝5大国(米英仏伊日)のなかでの唯一の有色人種が日本であった。日本は当時とりわけ欧米で根強かった(黄禍論等)有色人種への差別撤廃の為に講和会議でこの事案を持ち出したが、他の列強に拒否されて沙汰闇になった…という事実である。これを保守派やネット右翼は「必ず」といってよいほど「崇高な日本人」史観の中に登場させ、「日本民族こそが差別撤廃を願った」として、日本人の道徳性と正義感、ひいては無差別性を強調しているのである。

 いかにも、パリ講和会議で日本が「人種的差別撤廃提案」を出したことは事実である。が、その当時(1919年)、日本は朝鮮半島と台湾等を植民地支配し、国際的には「人種差別撤廃」を謳っていたが、実質的には他民族を服属させ、支配していた。要するに1919年の日本政府による「人種的差別撤廃提案」は政治的ポージングに過ぎず、実際は人種差別を主張する当事者である日本が他民族への搾取と差別を行っていたという二枚舌・矛盾を解決できないでいた。そして昭和の時代に入り、大陸侵略を目論む日本軍部・政府等は満州事変を経て「同じアジア人」である中国侵略と、「大東亜共栄圏」の下、東南アジアの被欧米植民地へ軍を進めていったのは既知のとおりである。

・差別をしない日本民族、のウソ

富士山と桜(フォトAC)同
富士山と桜(フォトAC)同

 事程左様に、「崇高な日本人」史観とは、全く根拠のない空想であると喝破せざるを得ない。そもそも日本民族は、明治国家建設以前の近世期に於いてさえ、「他民族」たるアイヌ等への圧迫(土地・権益略奪)と搾取(不当交易)を繰り返してきた(江戸期・松前藩等)。そういった歴史的な日本人の差別(加害者)の事実がありながら、「日本には欧米のような人種差別問題は極めて少ない~」というのは、全くの妄想・歴史改変でしかない。また更にさかのぼれば、戦国の世が終わって琉球王国を薩摩藩が服属させ、明を経て清朝との二重朝貢国としながらも実際は日本の服属地としておいた数次の「琉球処分」を如何に見做すのか。「崇高な日本人」史観にはその答えが全く無い。

 このような厳然たる事実を以てしても、ナイキPR動画への反発は止まることを知らない。「日本には欧米のような人種差別問題は極めて少ない~」という彼らの主張は、ナイキPR動画への反発の主軸を占めるに至っていると観測する。最終的に筆者は、こういったナイキCMへの反発の声が主に日本国内における「ネット右翼」から発せられている点を鑑み、彼らの思想背景を次のように結論する。

1)ネット右翼は私の調査・研究の通り概ね「中産階級・高学歴」であり、であるからこそ順法精神が高く、不道徳な行い、反社会的な行為を嫌う傾向がある

2)1)の如くネット右翼はいわば比較的恵まれた環境の中で育ち、恵まれた環境で温和で同質的なコミュニティの中で生きてきたので、元来「他民族を差別をする」という概念が、事実であってもその認識に於いて希薄である

3)2)に述べたように、実際に彼らは民族差別を行っているが、それは「日本社会における秩序の維持・回復」に眼目が置かれており、それが差別だという認識は無い(差別を区別と言い張る)

 という、3点に尽きる。つまりナイキCMに反発するネット右翼層は「中産階級の温室育ちで、異質な他者との共存や、それによって起こる摩擦をあまり経験してこなかった”社会的優等生”」であり、それが故に欧米の人種差別問題と日本でのそれが同一にされることを嫌う。

 つまり彼らは、その出自が社会的に優遇された中産階級の出身者によって寡占され、過酷な差別や民族対立を身近で感じてこなかったからこそ、「日本社会には人種差別は少ない」と言い切れるのである。これは彼らのいわば「温室育ち」に依拠する実体験がそうさせている。これが論拠に、おおむねネット右翼はタトゥーや反社会的な団体とのつながりを殊更禁忌し、「反日的」と言い換えている。驚くべきことに、私の実体験で言えば、ネット右翼層には所謂「お嬢様」育ちや「お坊ちゃん」育ちの優等生が多い。しかし実際は、そういった差別などの不道徳が、自ら及びその周辺で行われているという事実を完全に無視している。その無視の理由とは、「崇高な日本人」史観に代表される「日本人こそ世界で最も崇高で道徳的な民族である」という歪んだ思想が背景にある。

 ナイキCM問題は、単なる世界的大企業のPR動画への反発では済まない、日本の保守層やネット右翼に地下茎のように張り巡らされた「崇高な日本人」史観をあぶり出しているように思える。これを解消しない限り、日本に居住する他民族への圧迫や差別は平然と「差別でなく区別」と正当化されて継続されるだろう。そしてこのような、「日本人こそ世界で最も崇高で道徳的な民族である=日本に差別などない」という主張を主眼とした書籍や雑誌が、書店で平然と平積みされているとき、私たちはナイキPR動画の持つ意味の重さを痛切に感じざるを得ない。(了)

作家/文筆家/評論家

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家。日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『ヒトラーはなぜ猫が嫌いだったのか』(コアマガジン)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『戦後イデオロギーは日本人を幸せにしたか』(イースト・プレス)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

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나이키 CM에 비판 쇄도의 배경에 있는 「숭고한 일본인」사관

후루야経衡작가 / 문필가 / 평론가
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런던 마라톤의 나이키 신발 (사진 : 대표 촬영 / 로이터 / 아프로)

 나이키 재팬이 제작한 PR동영상, "이동을 계속한다. 자신을. 미래를. The Future Isn't Waiting."가, 마야 이상한 비판을 받고 있다.

 동영상의 재생 횟수는 동사의 공식 유튜브 사이트에서 약 1000만회(20년 12월 3일 현재)에 육박하지만, 그 중에서 일본인 유저의 것으로 생각되는 비판 코멘트의 대부분이 소위 「넷 우익」이라고 불리는 층에 의한 것으로, 「일본에는 인종 차별은 극히 적다(따라서 이 CM은 괴롭힘)」 「일본에 조선인 차별은 없다, 있었다고 해도 이유가 있으니까」 「나이키는 반일 기업이다, 이미 사지 않는다” “조선총련이 일본인 납치에 관여하고 있는 사실을 나이키는 알고 있는가” 등이라고 말한 코멘트가 다수를 차지하고 있다.

 이 PR 동영상에는 주로 3명의 소년 소녀가 등장하지만, 그 중의 한 사람은 재일 코리안으로 보여지며, 치마초고리 모습으로 흩날리면서 거리를 걷는 모습이나, 아마 그 에스니시티가 이유로 학교에서 「괴롭힘」 에 있는 님이 그려져 있다. 혐한·반재일 코리안을 금과옥조로 하는 일본의 인터넷 우익은 아마 이 부분의 묘사가 특별히 마음에 들지 않았을 것이다. 요약하면 지금 다음 나이키 CM에 대한 그들의 반응은

일본에는 구미와 같은 인종 차별 문제는 극히 적지만, 나이키의 PR 동영상에서는 마치 일본에서도 구미 동연의 재일 코리안에 대한 인종 차별이 행해지고 있는 것 같은 풍조를 유발시켜, 일본 전체 의 이미지를 받고 있다

 라는 것이다. 필자는 약 10년간에 걸쳐 인터넷 우익을 계속 관찰해 왔다. 그뿐만 아니라 인터넷 우익의 세계에 몸을 두고 언론 활동을 해 온 경력이 있다. 그 나에게서, 그들이 왜 나이키의 PR 동영상에 여기까지의 거부 반응을 보여주는지에 대한 이해는 쉽다. 한마디로 일본인은 구미인과는 달리 인종차별 등을 하지 않는 숭고한 민족이라는 ‘숭고한 일본인 사관’이 배경에 있기 때문 이다. 이것은 무슨 일일까.

・「숭고한 일본인」사관의 거짓말과 일본에서의 인종 차별의 예

일본의 보수파, 넷 우익층에 흩날리는 「린으로서 아름답게」노선(포토 AC) *사진은 이미지로 본문과는 관계 없습니다
일본의 보수파, 넷 우익층에 흩날리는 「린으로서 아름답게」노선(포토 AC) *사진은 이미지로 본문과는 관계 없습니다

 우선, 나이키의 PR동영상에 전해진 부정적인 코멘트 속에 있는, 상기의, 일본에서는 구미와 같은 인종 차별 문제는 지극히 적다~라고 하는 것은 전혀 사실이 아니다. 2002년경부터 발흥한 넷 우익 중에서도, 거리에 나와 시위 활동이나 시위 행위 등을 실시하는 행동파를 「행동하는 보수」 라고 분류하지만, 이 행동하는 보수의 필두격이, 「재일 특권을 허락한다 없는 시민의 모임」(이하 재특회) 이다.

 재특회는 2006년에 공식적으로 설립되어 초대 회장은 사쿠라이 마코토씨였다. 재특회는 관련 단체 등과 함께 관동과 간사이의 한국·조선 관련 시설에 밀려 헤이트 스피치를 함으로써 다수의 체포자를 내고 민사적 불법행위를 범했다. 바로 공공연히 일본에 거주하는 타민족을 섬기고 차별을 계속해온 것이 그들이다. 명시해야 할 유명한 사건은 다음 두 가지입니다.

1) 교토조선학교습격사건(2009년)

교토시 미나미구의 교토조선 제일초급학교에 재특회 멤버들이 밀어넣고, 「조선학교를 일본에서 두드려내라」「스파이의 아이」등이라고 절규해, 사실상 동교를 습격한 사건. 당시 교사에는 100명이 넘는 아동이 있었다. 2013년에는 교토지재가 이 습격 사건을 '인종차별'로 인정하고 재특회 측에 약 1200만 배상 명령을 내렸다(확정). 또 이 습격사건에 관여한 인원 4명은 모욕죄·위력업무방해죄·기물손괴죄 등으로 체포 등해 유죄판결이 나왔다.

2) 이신혜씨 중상사건(2017년)

재일코리안에서 라이터 이신혜 씨에 대해 재특회 관계자가 ‘불어선인’ 등 인종차별을 반복했다고 2017년 대법원이 재특회 측에 약 77만 엔의 배상명령을 내고 2심의 고재판결을 지지해 판결이 확정되었다. 헤이트 스피치를 둘러싼 개인배상에서는 최초의 획기적 판례가 확립되었다.

 이 밖에도, 재특회를 필두로 한 크고 작은 「행동하는 보수」의 그룹이, 도쿄·신오오쿠보나 가나가와현·가와사키시, 오사카·쓰루하시 등에서 “조선인을 두드려!” “좋은 조선 사람도 나쁜 조선인도 모두 죽여라!"

(*본고중에서는, 헤이트 스피치나 헤이트 클라임 근절에의 소원으로부터, 문중에 사실대로의 차별적 문언을 인용하고 있습니다)

 등의 수많은 시위 ​​행위, 가선 활동을 반복해 온 것은 틀림없는 사실로, 일본에서는 구미와 같은 인종 차별 문제는 지극히 적다~등이라고 하는 나이키 PR 동영상에의 반론은 거듭 거듭 사실이 아니다 알 수 있습니다.

 이러한 국내의 심각한 상황에서 2016년 소위 “헤이트 규제법(헤이트 스피치 해소법)” “ 정식명: 본방외 출신자에 대한 부당한 차별적 언동의 해소를 위한 대처의 추진에 관한 법률 ” 가 성립된 것은 기억에 새롭다. 일본에 인종차별 문제가 없다면 헤이트 규제법 등 입법하지 않아도 좋겠지만, 현실에는 그 반대가 진행되고 있기 때문에 이 법이 입법된 것이다. 그리고 전술한 바와 같이, 일본에 있어서의 재일 코리안 차별의 전위가 된 재특회 회장의 사쿠라이 마코토씨는, 동회로부터 독립하는 형태로 그 후 「일본 제1당」을 결성해, 그 당수에 취임. 2020년 도쿄도 지사선거에 당수 스스로 출마해 낙선했지만 도내에서 약 18만표를 획득했다 .

 물론, 동지사 선거에서 사쿠라이 마코토씨에게 투표한 모든 유권자가 사쿠라이씨의 과거에 있어서의 인종 차별에 찬동하고 있던 것은 아니겠지만, 그 대부분이 사쿠라이씨에게의 동조표라고 생각하는 것이 자연이다. 「조선인을 두드려라!」라고 절규하고 있던 당수에 도쿄도라는 일본 총인구의 10%에 불과한 지역을 예로 해도 약 18만명의 지지자가 존재한다는 것 자체 에 일본에서 인종차별이 격렬하고, 또 그것은 "일본에는 구미와 같은 인종차별 문제는 지극히 적다~"라는 언설이 얼마나 허위인지를 이야기하고 있다.

・「숭고한 일본인」사관이란 무엇인가?

 그런데, 이러한 사실을 예시해도, 여전히 그들이 「일본에는 구미와 같은 인종 차별 문제는 지극히 적다~」라고 말하는 것은 왜일까. 하나는 '애국 무죄'의 원칙이 있다. 요컨대, 한국이나 조선은 반일 행위를 하고 있기 때문에, 그것에 대항하는 것은 차별이 아니다-라는 논조이다. 만약 백보 양보해 한국 정부나 북한이 소위 '반일' 행위되는 것을 행하고 있었다고 해도, 그것은 상대의 정부의 방침이며, 일본에 거주하고 있는 개인의 재일 코리안을 차별· 박해해도 좋은 이굴에는 전혀 되지 않는 것은 자명하다.

 또 하나는 이것이야말로 본고의 주안이지만 '숭고한 일본인' 사관의 존재이다. 요컨대, 일본 민족은 세계 일도덕적이고 예의 바르고, 따라서 부도덕한 행위나 야만을 행하지 않는다. 즉, 다민족에의 차별 등 한 일은 없다-라고 하는 세계관 이다. 이것은 인터넷 우익이 의거하는 일본의 보수계장에서도 뿌리 깊게 신봉되고 있는 가치관으로, 나는 이것을 '늠름하게 아름답게' 노선 이라고도 부른다.

 즉 일본인은 숭고하고 아름답기 때문에, 약탈·강간·차별 그 외의 부도덕 행위를 현재에서도 과거에도 일절 오지 않았다고 하는 사관으로, 실은 이것이 일본의 보수파로 대표되는 “난징대학살 부정” “종군 위안부 부정'론에 직접 연결되어 있다.

1) 현재에도 과거에 있어서도 일본인은 숭고하고 도덕적이고 아름답기 때문에 중국인(당시의 중국 국민당군·민)을 야방도로 학살하는 등 있을 수 없는 일이다( 난징 사건 부정 )

2)현재에서도, 과거에 있어서도, 일본인은 숭고하고 도덕적이고 아름다우므로, 욕망을 드러낸 전시성 폭력 등 실시하는 것은 없는 것이다( 위안부 부정 )

 이런 론이 이 나라의 보수, 인터넷 우익계 쿠마에서는 '상식'이 되어 있지만, 모든 근원은 '숭고한 일본인' 사관의 존재다. 난징 사건에 관해서는 중국 측 희생자 수의 산정수에 열리는 것은 있지만, 진주히코씨 등 실증사학자의 연구에 의해 학살 자체는 존재한 것이 사학계의 정설이 되고 있다. 그리고 종군 위안부에 대해서는 논란의 여지 없이, 전중에 그녀들을 일본군이 관리해, 혹은 그녀들의 뜻에 반하여 매춘에 종사시켜 고통을 맛본 것은 일본 정부가 고노 담화(1993년)로 사실을 인정 사과한 이후 역대 내각이 답습하고 있는 역사적 입장이다. 「숭고한 일본인」사관이란, 전혀 모래상의 누각, 책상상의 공론에 지나지 않는 것이다.

 게다가 보수계 쿠마, 넷 우익계 쿠마에서 활발한 것은 이에 더해 「일본인이 인종 차별에 맞서었다」라고 하는 일종의 신화가 가만히 다니고 있는 것이다. 이 가운데 반드시 나오는 것은, 제1차 대전 후의 파리 강화회의(1919년)에서, 전승국이 된 일본이 당시의 국제 연맹에 제출한 「인종적 차별 철폐 제안」이다. 즉 제1차 대전 후, 전승 5대국(미영불 이일) 속에서 유일한 유색인종이 일본이었다. 일본은 당시 특히 구미에서 뿌리 깊었다(황황론 등) 유색 인종에 대한 차별 철폐를 위해 강화회의에서 이 사안을 꺼냈지만, 다른 열강에 거부되어 사태암이 되었다…라는 사실로 있다. 이것을 보수파나 넷 우익은 「반드시」라고 해도 좋을 만큼 「숭고한 일본인」사관 속에 등장시켜, 「일본 민족이야말로 차별 철폐를 바랐다」로서, 일본인의 도덕성과 정의감 , 나아가서는 무차별성을 강조하고 있는 것이다.

 아무래도 파리강화회의에서 일본이 '인종적 차별철폐 제안'을 내놓은 것은 사실이다. 하지만, 그 당시(1919년), 일본은 한반도와 대만 등을 식민지 지배하고, 국제적으로는 「인종차별 철폐」를 구분하고 있었지만, 실질적으로는 타민족을 복속시켜, 지배해 했다. 요컨대 1919년의 일본 정부에 의한 「인종적 차별 철폐 제안」은 정치적 포징에 지나지 않고, 실제로는 인종 차별을 주장하는 당사자인 일본이 타민족에의 착취와 차별을 실시하고 있었다고 하는 2장 혀·모순 해결할 수 없었다. 그리고 쇼와의 시대에 들어서 대륙 침략을 고려하는 일본 군부·정부 등은 만주 사변을 거쳐 '같은 아시아인'인 중국 침략과 '대동아공영권' 아래 동남아시아의 피구미 식민지로 군을 진행해 온 것은 알려진 대로이다.

・차별을 하지 않는 일본 민족의 거짓말

후지산과 벚꽃 (포토 AC)
후지산과 벚꽃 (포토 AC)

 사정 왼쪽처럼 '숭고한 일본인' 사관이란 전혀 근거가 없는 공상이라고 갈등하지 않을 수 없다. 원래 일본 민족은, 메이지 국가 건설 이전의 근세기에 있어서도, 「다른 민족」인 아이누 등에의 압박(토지·권익 약탈)과 착취(부당 교역)를 반복해 왔다(에도기·마츠마에 번 등 ). 그러한 역사적인 일본인의 차별(가해자)의 사실이 있으면서, 「일본에는 구미와 같은 인종 차별 문제는 지극히 적다~」라고 하는 것은, 전혀 망상·역사 개변일 뿐이다. 또 더욱 거슬러 올라가면, 전국의 세상이 끝나고 류큐왕국을 사쓰마번이 복속시켜, 명을 거쳐 청나라와의 이중조 공국으로 하면서도 실제로는 일본의 복속지로서 두었던 수차의 「류큐 처분」을 여하 에 바라보는 것인가. '숭고한 일본인' 사관에는 그 대답이 전혀 없다.

 이런 엄연한 사실을 해도 나이키 PR 동영상으로의 반발은 멈추는 것을 모른다. “일본에는 구미와 같은 인종차별 문제는 지극히 적다~”는 그들의 주장은 나이키 PR 동영상에 대한 반발의 주축을 차지하기에 이르고 있다고 관측한다. 최종적으로 필자는, 이러한 나이키 CM에의 반발의 목소리가 주로 일본 국내에 있어서의 「넷 우익」으로부터 발해지고 있는 점을 감안해, 그들의 사상 배경을 다음과 같이 결론한다.

1) 인터넷 우익은 나의 조사·연구대로 대체로 “중산계급·고학력”이며, 그렇기 때문에 순법정신이 높고, 부도덕한 행위, 반사회적인 행위를 싫어하는 경향이 있다

2) 1)와 같이 인터넷 우익은 이른바 비교적 축복받은 환경 속에서 자라며 축복받은 환경에서 온화하고 동질적인 커뮤니티 속에서 살아왔기 때문에 원래 '다른 민족을 차별한다'는 개념 그러나 사실이라도 그 인식에서 희박하다.

3) 2)에 언급한 바와 같이, 실제로 그들은 민족차별을 하고 있지만, 그것은 「일본사회에 있어서의 질서의 유지·회복」에 눈길이 놓여 있어 그것이 차별이라는 인식은 없다( 차별을 구별이라고 말한다)

 라는 3점에 다한다. 즉 나이키 CM에 반발하는 넷 우익층은 “중산계급의 온실 성장으로, 이질적인 타자와의 공존이나, 그것에 의해서 일어나는 마찰을 그다지 경험해 오지 않았던 “사회적 우등생””이며, 그것이 따라서 구미의 인종차별 문제와 일본에서의 그것이 동일하게 되는 것을 싫어한다.

 즉 그들은 그 출자가 사회적으로 우대된 중산계급의 출신자에 의해 과점되어 가혹한 차별이나 민족 대립을 가까이서 느끼지 못했기 때문에 "일본 사회에는 인종 차별은 적다"고 단언되는 것이다. 이것은 그들의 말하자면 '온실 성장'에 의거하는 실체험이 그렇게 하고 있다. 이것이 논거에, 대개 인터넷 우익은 문신이나 반사회적인 단체와의 연결을 특별히 금기하고, 「반일적」이라고 바꾸고 있다. 놀랍게도 내 실체험에서 말하면 인터넷 우익층에는 소위 '아가씨' 자라나 '아기' 자란 우등생이 많다. 그러나 실제로는 그러한 차별 등의 부도덕이 스스로 및 그 주변에서 이루어지고 있다는 사실을 완전히 무시하고 있다. 그 무시의 이유란 ‘숭고한 일본인’ 사관으로 대표되는 ‘일본인이야말로 세계에서 가장 숭고하고 도덕적인 민족이다’는 왜곡된 사상이 배경에 있다.

 나이키 CM 문제는 단순한 세계적 대기업의 PR 동영상에 반발하지 못하는 일본의 보수층이나 인터넷 우익에 지하 줄기처럼 돌진된 ‘숭고한 일본인’ 사관을 쏟아내고 있는 것 같다. 이를 해소하지 않는 한 일본에 거주하는 타민족에 대한 압박과 차별은 평연히 '차별이 아니라 구별'로 정당화되어 계속될 것이다. 그리고 이런, “일본인이야말로 세계에서 가장 숭고하고 도덕적인 민족이다=일본에 차별 등이 없다”는 주장을 주안으로 한 서적이나 잡지가 서점에서 평평하게 쌓여 있을 때 우리 는 나이키 PR 동영상이 가지는 의미의 무게를 통절하게 느낄 수밖에 없다. (了)

작가/문필가/평론가

1982년 홋카이도 삿포로시 출생. 작가/문필가/평론가. 일본 펜 클럽 정회원. 리츠메이칸 대학 문학부 사학과 졸업. TV·라디오 출연 등 다수. 주요 저서에 「애국 장사」(쇼가쿠칸), 「일본형 리어충의 연구」(자유국민사), 「여정치가의 통신부」(쇼가쿠칸), 「일본을 먹는 극론의 정체」(신쵸샤), '의식 높은 계의 연구'(문예춘추), '히틀러는 왜 고양이가 싫었는가'(코어 매거진), '좌익도 우익도 거짓말만'(신시오샤), '전후 이데올로기는 일본인을 행복하게 했다 가」(이스트 프레스), 「넷 우익의 끝」(아키후미사), 「욕망의 스스메」(베스트 신서), 「젊음은 정말로 우경화하고 있는 것인가」(어스펙트) 등 다수.

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