2020-09-01

北朝鮮の焼肉店で繰り広げた、現地人学生との熾烈な論争<アレックの朝鮮回顧録12> | ハーバー・ビジネス・オンライン

北朝鮮の焼肉店で繰り広げた、現地人学生との熾烈な論争<アレックの朝鮮回顧録12> | ハーバー・ビジネス・オンライン






北朝鮮の焼肉店で繰り広げた、現地人学生との熾烈な論争<アレックの朝鮮回顧録12>
2020.08.02印刷
アレック・シグリー バックナンバー


夜の黎明通りの様子(筆者撮影) 2019年7月4日、北朝鮮の金日成総合大学に通うオーストラリア人留学生アレック・シグリー氏が国外追放された。  朝鮮中央通信はシグリー氏が「反朝鮮謀略宣伝行為」を働いたとして6月25日にスパイ容疑で拘束、人道措置として釈放したと発表。北朝鮮の数少ない外国人留学生として、日々新たな情報発信をしていた彼を襲った急転直下の事態に、北朝鮮ウォッチャーの中では驚きが走った。  当連載では、シグリー氏が北朝鮮との出会いの経緯から、逮捕・追放という形で幕を下ろした約1年間の留学生生活を回顧する。その数奇なエピソードは、北朝鮮理解の一助となるか――?    

留学生2人が焼肉屋で遭遇したちょっとしたトラブル

 前回に引き続き、我々在北留学生と一緒に住んでいた同宿生(寄宿舎でともに住む現地の学生)にちなんだ話をする。  ある日私は、ヨーロッパから来た類稀なる金髪碧眼の男子留学生、そして彼のルームメイトである同宿生と3人で食事をするために外出した。  その同宿生は新たに来た人物だが、政治について討論することを楽しむようであった。実際、我々はその同宿生を利用して実験をしてみたいと思っていた。  中国からの実習生達から聞いたところによると黎明通りの永生塔を行った突き当たりにおいしい焼肉店があった。  そこは小白水食堂と呼ばれ(小白水は白頭山そして金日成の秘密根拠地の近くにある湧水であり、北朝鮮の公式文化の1つのモチーフと言える)価格が安く、また北朝鮮の内貨で支払える平壌の元祖焼肉レストランだった。  中国人実習生たちは小白水食堂に1、2回行ったことがあり、我々にそこを強く推薦した。  それである日、留学生2人でその食堂に行ってみた。しかし店員は明らかに慌てていた。 店員「申し訳ありませんが、うちのレストランは外国人にサービスができません」 我々「中国の友人は何回もここに来たと言うのに、なぜ我々はダメなのですか?」  私たちは反論した。 店員「横にあるレストランに行くのはどうでしょうか?」  店員は申し訳なさそうに、ぎこちない表情で説明もなく代案を提案してきた。 我々「中国人の友人たちが、ここがとてもおいしいと言ったのに……ええ、分りました。ごきげんよう」  我々は緑色と白の2つの色で塗られた黎明通りに再び出た。 友人「これは人種差別じゃないか」  私の友人は怒りがこみ上げているようだった。 私「白人が人種差別について不満を言うとは」    私はからかうように言った。 友人「後で同宿生を連れてきてみよう」友人は狡猾な計画を立て始めた。

「微妙な人種差別は人種差別ではない」

 それからまもなく、新たに来た同宿生は我々に夕食を一緒にしようと要請してきた。 私「小白水食堂がおいしいと聞いたんですがそこに行ってみるのはどうでしょうか?」 同宿生「わかりました行ってみましょう」  我々3人が到着すると、先日と同じ店員が出てきた。彼女は我々2人の外国人を認識したら苦笑いをした。店員は何かを言おうとしたが、同宿生がそれを遮った。 同宿生「この2人は私と一緒に行きました。心配いりません」  彼は自信に満ち溢れた担保をした。  店員は若干躊躇した後に我々3人を焼肉用コンロが設置されている丸い食卓に案内してくれた。金髪の友人は「今回は人種差別をしてくれなくてありがたい」と言った。  店員が顔を赤らめ「人種差別ではなかったんですよ」と小さな声で答えた。  ただ、我々はうれしかった。実際我々は平壌の数多くのレストランを巡礼していたのだが(滞在中、訪れたレストランは150箇所を超えた)、このレストランをすっかり気に入ったのだ。  現地人で賑わい、メニューには比較的安い値段の朝鮮ウォンが表記され、平壌の外れに位置し、目立つ看板はなく、ほかの外国人には知られていない、そんなレストランであった。  その上、そこは2階にあったのだが、窓から黎明通りの中心部や国で最も高い建築である70階建てアパートを見下ろせた。  我々はサムギョプサルを何キロか注文し白菜キムチも頼んだ(北朝鮮にキムチやおかずの付け合わせがない)。  若干甘い北朝鮮式キムチもやはり美味しかったが、同宿生が焼肉コンロで焼き始めたサムギョプサルの香りは魅惑的で唾が溢れた。  同宿生はしばし考え、口を開いた。 同宿生「人種主義だと言わないでください、君。社会主義朝鮮では人種主義がありません。皆が平等に扱われます」  だが青い目の友人は同意しなかった。 友人「私の風貌では、平壌のレストランでよく入店を断られます。それは人種分離をしたアメリカの南部とまったく同じです。黒人が白人のレストランで食事ができなくしたようにです。私の場合はもちろん、アメリカ黒人への悪徳な扱いほど酷くはないし微妙なものではありますが、それが人種差別でないならば何だというのですか?」  彼は論争を大変好んだ。 同宿生「微妙な人種主義は人種主義ではありません」



外国人への閉鎖性を感じさせた同宿生の言葉

 我々は引き続き、食事を楽しみながら話をした。話題は幸いにも変わったが、仲の悪い家庭の食卓で行われるような熾烈な論争はとめどなく続いた。 友人「あなたの家は平壌のどこにありますか?」  金髪の友人はかしましく聞いた。 同宿生「普通江区域にあるアパートです。ファングムポル駅からそう遠くありません」   友人「ああ、そうですか? 私の友人もそこに住んでいました。もともと我が国の駐在朝鮮大使館で勤務していたのですが、平壌に帰ってきました。彼のアパートも普通江区域のあなたのアパートの近くにあります」 同宿生「ああ、しかしその人を友人だと言えるのですか?」 友人「友人という呼称はなぜ適切ではないのでしょう?」 同宿生「あなたはその人の家を訪問できますか? 行かれないでしょう。だから友人とはいえず、知己と言うべきでしょう」  我々三人はまたしても沈黙にはまった。全員が知っているが、口には出せない事実がある。  まさに、金髪の友人が彼の家に行かれない理由は、彼らの間に友情が欠如しているせいではなく(その人は実際ヨーロッパに駐在していたとき、金髪の友人の家に食事をしに行ったことがある)、北朝鮮の社会統制体制が外国人が朝鮮人の家に行くことはもちろん、現地人とのすべての承認なき接触を許さないからだ。  同宿生はまた公式的な色を帯びた「知己」が正しいと主張したが、我々はその趣旨がなんなのか把握できなかった。  我々外国人留学生が真の「龍南山の息子」(金日成総合大学の学生を詩的に表す代名詞。校庭が龍南山に位置する)として永遠に認められないことを、思い知らせるための意図だろうか?   いずれにしろ彼が我々に行う統制と不平等な扱い、普段の日常会話では無視することを遠回しに表現したこと自体に驚いた。

「西洋社会は朝鮮戦争の勝利をなぜ認めないのか」

 政治談議を好む同宿生は、会話の方向を戦争と平和という大きなテーマに移した。 同宿生「君たちは文化背景の違う西洋人であるが、どうしても我々の祖国解放戦争(※編集部注:朝鮮戦争)の勝利を立派な業績として認めないのですか?」  彼は断固とした口調で言った。  私は口をつぐまなければならなかったが、悪魔の弁護人の役割をしたい誘惑を捨て去ることができなかった。 私「ベトナムと比較してみましょう。社会主義の北ベトナムはベトナム戦争で南北を統一したでしょう。そう考えると統一を成功させられなかった北朝鮮は勝利したと言えるでしょうか? アメリカと南朝鮮がまだ朝鮮半島と対峙しているため、膠着状態だと言うのがより妥当ではないでしょうか?」  同宿生は自信の主張を支えるため付け加えた。 同宿生「それにもかかわらず、朝鮮のような国が単独で世界の強大国であるアメリカを倒した偉業は否めないのではないですか?」  私は論争のための論争という態度で引き続き反論した(しかし誰が論争を始めたのかという頭の痛い問題はスルーした)。 私「単独で? 中国が当時解放軍をどれだけ送りましたか? 100万人を超えたでしょう。数的に言えば祖国解放伝送で中国の軍人が朝鮮の軍人よりももっと多かったでしょう。なので、単独で得た勝利とは言えないでしょう」  同宿生は二の句を継げなかった。一方私は、言ったことを後悔した。  私は北朝鮮にいたとき、西洋の自由主義を扇動したり、自分の思考方式や政治的見解を人々に強制しなかった。私はもともとそんな人間ではなかったし、北朝鮮にいる時は言動を慎重に管理しなければならないことを心得ていた。  しかし人々が私に意見を求めるとき、私は誠実さを重んじるため、自分の考えを礼儀正しく伝えた。しかし北朝鮮という国では誠実な人々が生存するのは不可能だ。私はそれを反省し、同宿生との対話を続けた。  彼はわが国オーストラリアの情勢に対し質問を始めた。私は我が国がアメリカの同盟国として、国防をアメリカにある程度任せていることを説明した。  オーストラリアは国土面積が広く人口、そして軍隊が少ない国であるため、政府はアメリカに対する依存性を必然的なものとして見ている。  その状況が生んだ一つの結果として、我が政府は常にイラク戦争などアメリカの不正な戦争に参戦する対価を支払わなければならないと言った。  私はリベラル陣営に属するオーストラリア国民としてアメリカの侵略戦争に参加することを反対しているが、半分からかうつもりで、「我がオーストラリアも朝鮮の主体思想を踏襲し自主性を実践しなければいけない」と冗談めかして言った。  すると興味深そうに聞いていた同宿生は大胆な忠告をしてくれた。 同宿生「オーストラリアも核兵器を開発すればどうでしょうか? そうすればアメリカの奴らから主体を立てられるのではないでしょうか?」  私はすべての国が核保有国となった世界を想像すると、その恐ろしさに体が震えた。そしてオーストラリアが核兵器を開発し、国際社会から経済制裁を受ける姿を思い浮かべた。  私は同宿生に説明してあげたかった。わが国の2つの政党はどちらも、そんな政策をたやすく想像できない。  実際に行おうとしても次の選挙で敗北するだろう。我がオーストラリアの人々は主体(自主性)よりも国際的に高い生活水準と活力のある経済をより重視するためである。私はそれを説明しようとしたが、結局放棄した。
次のページ「士禍」を知らない朝鮮歴史専攻の学生

 金日成総合大学はその程度の批判的思考を教えるのだ、と私は思った。
次のページ外国人への閉鎖性を感じさせた同宿生の言葉

123

「士禍」を知らない朝鮮歴史専攻の学生

 私が時々話をしていた、男性の同宿生は学部生で、朝鮮歴史の専攻をしていた。  ある日、寄宿舎から金日成総合大学に行く道で彼と偶然会った。我々は同じ方向に向かっていたため一緒に歩いた。彼は歴史学の教科書を抱えていたのだが、私は会話がてら、歴史学の授業で何を勉強しているのかと聞いた。 同宿生「李朝封建王朝時代を勉強しています」  彼はそう言ったが、北朝鮮では朝鮮時代が依然として展開されているため、南朝鮮のように「朝鮮時代」と呼べないのではないだろうか。  私は韓国の西江大学校で習った韓国史概論の授業を思い出した。その時期について何を勉強したのだろうか? 私は記憶を手繰り寄せた。 私「あー、私もその時期の歴史を大学で勉強したことがあります」 同宿生「ああ、すごいですね。わが国の古代の歴史を大学で勉強したとは」  私は韓国での交換留学の際に習ったとは言わなかったが、最も印象的なことを言った。 私「はい、我々は李朝時代の士禍(※編集部注 李朝時代に起きた、官僚同士の派閥争いとそれに伴う粛清事件)をたくさん勉強しました。本当に興味深かったです。私は朝鮮歴史の授業を非常に楽しみました。」

南北で教えられる朝鮮古代史の違い



同宿生「士禍?」  彼は戸惑った表情だった。 私「はい、はい両班の文人たちが儒教の哲学をもとに企てた政治紛争でありました。派閥がいくつもあったのですが私の記憶では士林もあったし、南人と西人、そして老論と少論がありました」  私は李基白の韓国史新論で読んだことをかろうじて記憶していた。 同宿生「我々はそんなことを習いません」  私は理解できなかった。  この同宿生が勉強をあまりしないのか(実際、彼は常に携帯で誰かと話していたし、勉強よりビジネスにより関心が多いと言う印象だった)、あるいは北朝鮮の朝鮮時代の歴史の授業では士禍を教えるのか、そうでないのか。  後者であればおそらく王朝や社会のエリート階層から沸き起こったことよりも、農民そして庶民の生活をより重視するのだろうと言う推測をした。  いずれにしろ私は南と北、そして私と彼らの間の違いを改めて感じざるを得なかった。 <文・写真/アレック・シグリー>
アレック・シグリー
Alek Sigley。オーストラリア国立大学アジア太平洋学科卒業。2012年に初めて北朝鮮を訪問。2016年にソウルに語学留学後、2018~2019年に金日成総合大学・文学大学博士院留学生として北朝鮮の現代文学を研究。2019年6月25日、北朝鮮当局に拘束され、同7月4日に国外追放される。『僕のヒーローアカデミア』など日本のアニメを好む。Twitter:@AlekSigley

No comments: