2020-09-01
アレックの朝鮮回顧録13 |学術交流の機会を望んでも、得られない北朝鮮の学者たち
学術交流の機会を望んでも、得られない北朝鮮の学者たち <アレックの朝鮮回顧録13> | ハーバー・ビジネス・オンライン
学術交流の機会を望んでも、得られない北朝鮮の学者たち <アレックの朝鮮回顧録13>
2020.08.13印刷
アレック・シグリー バックナンバー
金日成総合大学3号校舎7階からの風景(筆者撮影) 2019年7月4日、北朝鮮の金日成総合大学に通うオーストラリア人留学生アレック・シグリー氏が国外追放された。 朝鮮中央通信はシグリー氏が「反朝鮮謀略宣伝行為」を働いたとして6月25日にスパイ容疑で拘束、人道措置として釈放したと発表。北朝鮮の数少ない外国人留学生として、日々新たな情報発信をしていた彼を襲った急転直下の事態に、北朝鮮ウォッチャーの中では驚きが走った。 当連載では、シグリー氏が北朝鮮との出会いの経緯から、逮捕・追放という形で幕を下ろした約1年間の留学生生活を回顧する。その数奇なエピソードは、北朝鮮理解の一助となるか――?
北朝鮮の学術界にも席巻する「Publish or Perish」
新自由主義時代の学者たちはあらゆる圧力を受けている。高級ジャーナルを通じて出版できなければ学者としてのキャリアも失敗するというプレッシャーが強まるほど、学内ではSSCI(Social Science Citation Index。社会科学領域の主要な学術誌の論文をデータベース化したもの)のような社会科学引用指数を取り沙汰するようになった。 しかし「グローバル化」を「帝国主義者の謀略」とみる北朝鮮の大学でSSCIが言及された際には、私は驚きを感じた。ある日、少し付き合いのある先生は私にこう言った。 先生:アレック先生……オーストラリアではどの言語を使うのですか? フランス語でしょう? 私:いいえ。私たちはもともと英国の植民地で、英連邦国のため英語を話します。私はフランス語は話せません。 先生:ああ、そうですか。でも、私と一緒にフランス語文法についてSSCI学術誌で共著論文を掲載しませんか? 私:(慌てながら)先生、私は小説文学を専攻していて、言語学のバックグラウンドがありません。私も出来る限り調べてみますが、お力になれることがおそらくありません。 その後、私が調べたところによると、金日成総合大学のある科学研究者がSSCIジャーナルに論文を掲載した後、大学当局は大学全体にSSCIジャーナルに寄稿するよう指示したのだ。 当時、ある学者がSSCI誌に寄稿したという内容が校庭の掲示板に貼り出され、教員たちはSSCIについて言及するようになった。「Publish or Perish」(出版しなければ消滅する)という現象は北朝鮮の大学までをも征服したのだ。
朝鮮文学史の授業があまりにも退屈だったワケ
私の知る、比較的正直な同宿生(金日成総合大学の寄宿舎に住む現地人学生)は私にこう言ったことがある。 「朝鮮文学史は最も退屈な授業だ。我が朝鮮の学生たちは大体、その授業は寝てるのさ」。 私もその授業を受けた時、朝鮮の学生と同じくその授業を嫌うようになった。 先生が講義室に入ってきて2時間、大袈裟な口ぶりと声で党と首領様の「輝ける業績」と「眩しい文芸政策」を一方的に講義し、ディスカッションや質問をする時間をくれずに去ってしまう。 授業は断代史で行われたが、私は1945~50年(8.15祖国解放から「祖国解放戦争(朝鮮戦争)」の開戦まで)の部分をよく覚えている。 その時代には李箕永(イ・キヨン)といったKAPF(朝鮮プロレタリア芸術家同盟)系列の作家たちが「大地」といった古典文学を書くのが活発だった。しかし授業で先に説明されるのは、彼らの文学活動ではない。最も重要な文学上の成果は、金正日が幼稚園で書いた詩であった。 その詩は「私の偉大な祖国」といった陳腐なタイトルだったが、私の個人的な見解ではそれほど繊細な詩ではなかった。しかし私がその授業で唯一の学生であったため(※編集部注 マンツーマン形式のため)、惜しくも居眠りは許されなかった。
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外界との学術交流を渇望する金日成総合大学の教授たち
「作品分析」に負けず劣らず興味深かった授業は、「文学思潮論」であった。私はその授業を、美男子だが少し顔にシワのある男性教員から受けた。 先生は私の前では少し控えめだったが、多くの先生と同じく心根が清らかな人だった。我々はその授業で西洋文学史と思想史を北朝鮮学界の立場から習った。 デカルトの哲学について、先生の提示した正しい分析はデカルトの二元論がブルジョワ階級の登場と利益を正当化するということだった。 その脈絡でダニエル・デフォーの「ロビンソンクルーソー」が出てきたが、ブルジョワ個人主義を体現したものだと言った。 シェイクスピアとディケンズはむしろ進歩的作家として描写されたが、ルネッサンス人文主義の先導者であるシェイクスピアはその作品を通じて封建社会の腐敗を批判し、批判的事実主義を標榜するディケンズは産業革命での労働者搾取を描写することで初期資本主義の批評家としての地位を確立したという。 現代文学思潮においては、批判的事実主義、社会主義事実主義と主体事実主義の正統性を学んだ後に「反動的文学思潮」についての授業を受けた。 「変態文学」と名付けられた作品たちにインスピレーションを与えた退廃的フロイト主義の性的執着は資本主義社会の堕落性になぞらえられるという内容もあったし、ダダイズム、モダニズム、ポストモダニズムを含めた「形式主義」と「自然主義」の腐敗性も強調された。 私は後に、オーストラリアの博士課程にいる友人に、私が置かれていたこのような超現実的状況を冗談めかして話したが、私がいかに狂っていたかを次のように教えてくれた。 私が2018年度に3500米ドルの学費を出し、自らスターリン主義文学理論を学んだというのだ。 そして近代朝鮮文学(日本占領期)の思潮では、読者が推測するように社会主義事実主義に属するKAPF系列作家がたくさん登場する。彼らより前の時代にいた玄鎮健(ヒョン・ジンゴン)、羅稲香(ナ・ドヒャン)といった朝鮮の批判的事実主義作家も出てきたが、金東仁(キム・ドンイン)は形式主義者として扱われた。 私は詩人の李箱(イ・サン)について聞いたが、先生は聞いたこともないと言った。
教授たちにもインターネットの使用が許されていない
金日成総合大学の教員たちとの交流からは、彼らの知識に対する渇望を感じた。 彼らは他国の学者とまったく同じだ。私が出会った学者たちは美しく魅力的な人格の持ち主だった。彼らも知識人らしく外国の学者たちと学術交流や協力を望んでいたし、外国の研究活動と外部世界の全般に好奇心を持っていた。 しかし残念ながら北朝鮮の内外的状況は彼らの知的探究を阻害した。 彼らは北朝鮮最高峰の大学の教員であるにもかかわらず、インターネットを使うことが許されていない(我々留学生は寄宿舎で使用できた)。外国の本に触れる機会も特にない。 中国を除く海外の学会に参加し、同じ分野で働く外国人の同僚に出会ったり、彼らと意見を交わす機会を持てない。知識人であろうとする私としても、この状況を寂しく思う。 いつの日になるかわからないが、私の愛する金日成総合大学の教員たちと学術大会で再会することを切に願う。 <文・写真/アレック・シグリー>
アレック・シグリー
Alek Sigley。オーストラリア国立大学アジア太平洋学科卒業。2012年に初めて北朝鮮を訪問。2016年にソウルに語学留学後、2018~2019年に金日成総合大学・文学大学博士院留学生として北朝鮮の現代文学を研究。2019年6月25日、北朝鮮当局に拘束され、同7月4日に国外追放される。『僕のヒーローアカデミア』など日本のアニメを好む。Twitter:@AlekSigley
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