2021-09-17

プライアン・ヴィクトリア著 『褝と戦争ーー褝仏教は戦争に協力したかート』

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プライアン・ヴィクトリア著
『褝と戦争ーー褝仏教は戦争に協力したかート』
 
プライアン・アンドルー・ヴィクトリア氏の ミミ ミは一九九七年にニューヨークで刊行されて以来、仏教に関心を持っ欧米人、とりわけ褝宗関係者の間で話題を呼び、盛んに議論されてきた書物である。日本では、本年五月に日本語訳が出版されるにあたって朝日新聞で紹介され、聿居に並ぶ前から注目を集めた。
仏教の戦争貝任、特に褝宗の戦争只任については、戦時中の自分の言動に対する反省をもこめて独力で粘り強い調査と批判を続けた市川白弦のすぐれた仕事が残されているが、市川が没してからは、褝宗の戦争協力に関する単行本は日本では出ていない。本書は、褝宗を中心としつつ、明治になってからの仏教の国家協力および戦争協力のあり方について、市川の研究と多くの資料・研究成果を利用して明らかにしようとしているうえ、アメリカ人研究者、それもキリスト教宣教師から曹洞宗の褝僧に転じ、ベトナム反戦運動などの社会活動を続けてきた著者が、その な立場から敢えてこの問題に取り組んでいるため、 ユニークな書物となっている。褝僧や学者などの戦争協力発言を紹介することを急ぐあまり、個々の発言の内容やその背景に関する分析・説明が十分でなく、善玉・悪玉の区別
駒澤短期大學佛敎論集第七號 二〇〇一年十月
石 井 公 成
をしすぎるなど、問題も多いが、褝宗の戦争協力の問題を近代日本仏教形成の歩みと重ね合わせ、戦前・戦後のつながりを強調している点で、本書はこの問題に関心のある人がぜひ読むべき書物、そしてこの本の欠点をも含めて大いに論義すべき書物と言ってよい。著者もおそらく本書を十全な歴史研究書とは考えておらす、問題提起の書として、またこの問題に関する議論のたたき台として役立ってくれることを望んでいよう。
実際、英語圏においてはインターネット上で本書に関する議論が盛んに行われており、「Debate:ZenandWar」というウエプページまで出来ている。アメリカ人の褝僧の中には、アメリカの正義を確信してベトナム戦争に従軍してから褝宗に入った者たちもいて、戦時における日本の褝僧の行動を他人事としてすますことができないうえ、欧米の褝僧にとっては、彼らが師事した老師、ないし彼らの老師の師匠がこの本の中に登場して大いに軍国主義を鼓吹していたことによろう。特に、市川白弦の研究にさらに新たな資料を加え、アメリカにおける禅宗の法系の主流となった原田祖岳と弟子の安谷白雲が戦時中は狂信的な軍国主義者であったことを詳細に論じた箇
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プライアン・ヴィクトリア著『褝と戦争』 (石井)
 
所、 また、 戦後、 何度も渡米して褝の指導にあたった白雲が、 日本人相手には戦後になってからも戦争や右翼による暗殺を肯定する発言をしていた事実が一小すように、 日本人向けと外国人向けで違う発言をする老師がいることを指摘した箇所などは、深い痛みとなって欧米の褝僧の心に突き刺さったようである。インターネット上では、本書に対する反発・反論も時には見られるが、「こうした老師たちを性急に糾弾したり弁護したりせず、この問題を ardKoan(困難な公案)ごとして受けとめよう」という趣旨の呼びかけがなされたり、著者の記述のかたよりを指摘しつつも、「この問題を無視せすに
 'opportunityofself・reflection(自己反省の好機)ごとして修行に生かすべきだ」といった書込みがなされるなど、 きわめて真摯に受けとめている人が多い点から言えば、 本書を「一面的すぎる」という理由で否定しさろうとする人の多い日本の褝関係者より、 むしろ真剣にとらえているという印象が強い。
ただ、 今回の日本語訳について一一=ロえば、 有益な試みであるものの、残念ながら訳者は本書を訳すだけの語学力と知識を有していないため、「てにをは」が合わす不自然で理解しにくい文章が目立つうえ、
 
誤訳や欠落がきわめて多く、 数行に一度の割合で誤訳が続くこともしばしばである。しかも、そうした誤訳の中には、「訳者あとがき」で褝宗の戦争加担について「許しがたい怒りがこみあげてくる」 (二八七頁) と述べている訳者の心情がもたらしたものも少なくないように思われる。すなわち、軍国主義をあおった褝僧や学者たちについて述べた個所を訳す際は、その悪辣さを批判しようとするあまり、英語の原文以上に感情的・攻撃的な文体となって誤訳が続き、 逆に、社会改革のためにつくしたり戦争に反対したりした僧たちについて
 
述べた個所については、彼らの試みの困難さを強調しようとして、あるいはその行動を賞賛しようとして誤訳をしてしまうという傾向が見られるのである。善玉と悪玉とをはっきり一一分しようとすることは、 著者自身の傾向でもあるが、 訳者はその傾向がさらに強く、それだけ間違いも多くなっている。 こうした不適切な強調は、 仏教の戦争貝任を批判的な立場から調査しようとする研究者がおかしがちな失敗であり、 警戒すべきことと言わねばならない。
評者は、ヴィクトリア氏と同様、市川白弦の努力を学生当時から高く評価し、 影響を受けてきたものの、 仏教の戦争協力の問題からは長らく逃避してきた。 この数年は、華厳教学を中心として戦前・戦中における政治と仏教思想との関係を批判的に検証する論文を発表するようになったが、 それらの論文では、 評者自身、 上で指摘したような過度の強調をしている部分があるため、 この書評では、 自戒の意をこめて、 日本語訳中に見られる上記のような傾向についても注意してゆきたい。 これは、 著者の主張のうちの重要な点について論じるために日本語訳から引用しようとすると、 かなりの割合で誤訳や不適切な表現にぶつかってしまい、訳の粗雑さを指摘せざる をえないためでもある。


本訳書は、以下のように構成になっている。
序ー『褝と戦争』を薦める
プロローク第四章 既成仏教教団による革新的社会活動の拒絶第五章 軍部政策に吸い込まれた仏教
第一一章
第一章 初期に見られる仏教側の社会的目覚め 廃仏毀釈運動

第三章 内山愚童ー革新的曹洞褝僧



第六章 軍国主義に対する仏教側の反抗
第七章 褝、 その暗殺者たち
第八章 皇道仏教の誕生
第九章 皇国褝、 そして軍人褝の登場
第十章 戦時に協力した褝の指導者たち
第十一章 戦後における皇道仏教、皇国神、あるいは軍人褝への反応第十一一章 戦後日本における企業褝の登場エピローグ訳者あとがき日本語文献英語文献注一覧



このうち、 「序ー『褝と戦争』を薦める」は、 一橋大学名誉教授の安丸良夫氏によるものである。安丸氏は、 一九六一年に良心的徴兵忌避者の宣教師として来日したヴィクトリア氏が、キリスト教の「聖戦」思想に疑問を感じ、仏教の非戦思想に心をひかれて褝の道に進んだことを紹介し、 本書が持つ意義と魅力を簡潔かっ的確に示すと ともに、扱われている褝僧たちの言説について「本書には触れられていない複雑な諸事情に配慮」しつつ検討すれば「重要な論点を掘り起こすこともできるであろう」 ことを示唆している。
日本語訳では本文は十一一章だが、 英語版では十一章とエピローグから成っており、 井上日召などについて論じた「第七章 褝、 その
プライアン・ヴィクトリア著『褝と戦争』 (石井) 暗殺者たち」は、 英語版にはない。このはか、アジアでの日本軍の行動に対する鈴木大拙の能 (二二六頁) や、安谷白雲の戦時中の反ユダヤ主義的発言など (二四六ー九頁)を紹介した箇所を初めとして、 訳書で大幅な追加がなされている箇所もいくつかあり、 英語版に比べてかなり増補されている。なお、 英語版と訳書の表紙の写真、 すなわち、 直立する軍人の指揮のもとで僧衣を着た僧たちが小銃をかついで行軍訓練をしている衝撃的な写真は、 永平寺の前で撮影されたものであり、大東仁『お寺の鐘は鳴らなかった』 (教育史料出版会、 一九九四年) の表紙でも使われている。
「エピローグ」は、 曹洞宗僧侶となり駒沢大学大学院で仏教を学んでいた著者が、ベトナム反戦運動に加わっていることを丹羽廉芳老師にとがめられ、褝僧は政治運動に関わるべからずと申し渡された場面で始まる。著者は、その頃、軍国主義の支持者から批判者に転じた市川白弦の著書に出会い、 仏教の戦争協力の問題を追求するようになったと記し、市川白弦の社会的見識の深さとその学僧としての人柄は、 著者にとって「今も模範的な存在でありつづける」 (十五頁) と書いている。我が身に対する反省を重ねつつ調査・批判を進めていった白弦の研究成果は、 この問題を追求する人々にとって今後も長く模範でありつづけるだろうが、 白弦の遺志を生かすためには、 まさに白弦その人に対して詳細な批判的検討を行なう一方、日本仏教の戦争協力とその歴史的背景に関して白弦以上に踏みこんだ研究をしてゆかねばならないだろう。
「第一章 廃仏毀釈運動」と「第一一章 初期に見られる仏教側の社会的目覚め」は、 明治期における社会変勲 とりわけ廃仏毀釈の運動とそれに対する仏教側の対応を描いている。仏教側は次第に自

信を持つようになり、 一八九三年にシカゴで開催された世界宗教会議に参加した日本人宗 たちは、大乗仏教こそ西洋が必要するものであることを確信し、日本の大乗仏教を普遍的な世界宗教の一つであるとしてアピールしたという。そして、著者は、そうした自覚が高まった結果、当時における代表的な仏教学者である姉崎正治は一八九九年に、世界中で唯一の真の仏教国である日本は、東洋思想と西洋思想の統一に対して、そして東洋の継続的発展に対して責任があると述べたことを指摘している (三二頁) が、 これは、第二次大戦時における日本の主張の原形となるものであり、注目される。
著者はまた、鈴木大拙の師である釈宗演がキリスト教の社会事業を真似つつキリスト教を乗り越えようとしたことを初め、何箇所かでキリスト教との関係について言及しているが、キリスト教との対抗関係の中で仏教が変わっていったことはきわめて重要である。著者は、日清戦争時にキリスト教が負傷兵の手当てや戦死者遺族の救済その他の社会活動を行って世間の好評を招き、仏教側は反対に対応の遅さを批判されたと述べ、キリスト教者の愛国心が仏教とキリスト教の協力を可能にしたものの、結果としてはこの二つの宗教を民族主義のうちに埋没させるようになったという(三九ー四〇頁)。近代における天皇制の確立と天皇の神格化は、実際にはヨ】ロッ 
の王制やキリスト教の神の概念をかなりとりいれたものであるように、近代仏教はキリスト教と対立する過程でキリスト教の要素を取り入れることによって成立したのである。 こうした状況は、現在、で行われている仏教の様々な社会活動に関してもあてはまるものであり、無批判な社会適応は仏教そのものの存立を危くする可能性も含んでいることに注意する必要があろう。
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「第三章 内山愚童ー革新的曹洞宗褝僧」は、大逆事件に巻き込まれて刑死した内山愚童を扱ったものである。著者は、「一切衆生悉有仏性」「此法平等無高下」「一切衆生是吾子」といった仏教の教えと社会主義が一致することを発見して「社会主義の信者」となったという愚童の言葉を引き、こうした愚童の理解が、「差別即平等」の論理によって現世での差別を容認する島地黙雷などとは対立する立場に愚童を向かわせたと説いている。
著者は英語版では、「一切衆生悉有仏性」は、「一切衆生是吾子」と同様、『法華経』 の中心思想の一つとしている (や41》一L27ー29) が、日本語訳ではこの前後は非常に読みにくい文章になっているうえ、「『一切衆生悉有仏性』とは法華経の最も重要なところであり」(六一頁)と断定しており、「一切衆生是吾子」の部分が欠落している。なお、「一切衆生悉有仏性」を『法華経』の教えとしたのは著者の誤りであり、この語は大乗の 『涅槃経』が繰り返し強調する言葉である。第九章で論じられる杉本五郎中佐が、正法を守るためには武装しても持戒と認めるとする『涅槃経』 の文句を引き、天皇を武器によって守ることを最高の持戒と説いていること (一八九頁) が示すように、『涅槃経』は、仏教の戦争協力を正当化する際の根拠の一つとなってきた。というより、蟻を殺しても罪になるが、正法を譏る者を慈悲心をもって殺すことを認める『涅槃経』は、そうした状況での殺生を正当化する根拠として長く利用されてきたのである。
『涅槃経』のその正法とは、 「常楽我浄」などインド思想の影響を強く受けた教理を多く含むが、 『涅槃経』は一方では、道元が好んだ句、すなわち「自未得度先度他(自分より先に人々を フ)」という理想を説いた経典でもあった。人間にあっても、経典にあっても、長所と問題点とは分かち難く結びついていることが多く、 また何が長所で何が問題点かは簡単には決めがたいことも多い。仏教、とりわけ大乗について考える際は、 この問題を避けることはできない。
「第四章 既成仏教教団による革新的社会活動の拒絶」は、大逆事件が既成教団の指導者たちにいかにショックを与え、どのような反応をとらせたか、 また指導的な立場の仏教学者たちがどのように対応したかを簡単に紹介している。
「第五章 軍部政策に吸い込まれた仏教(一九一三ー三〇)」は、忽滑谷快天、 釈宗演など、アメリカで活動した人々の武士道礼讃に始まり、大東亜共栄圏での諸宗の布教活動などを紹介している。結論では、「終戦後、 一九五二年を契機に、この大陸での布教所を一つも残さず、宗派もいとわず廃止、以後一一度とふたたびよみがえることはなかった」(八七頁)とあるが、原文は、"Itishardlysurprising tolearnthatwiththeendOfwarin1945everysingleoneOf thesemissionsontheAsiancontinent》regardlessOfsect affiliation,collapsed,nevertoberevived.ご().65」l.31ー34) 「一九四五年の終戦にともない、 アジア大陸におけるこれらの布教所は、どの宗派に属すかは関係なく、 ひとっ残らすつぶれて一一度と復活することがなかったのは、 さほど不思議ではない」 であり、 訳文とはかなり異なる。日本の布教が本当に宗教的なものであれば、 日本の敗戦後もアジアにおいて日本仏教の信者はある程度存続したはずだが、そうならなかったのは、戦時中の日本仏教が国家や時代を越える普遍宗教でなく、仏より天皇を上に置く皇道仏教でしかなかったことを示すものである。
「第六章軍国主義に対する仏教側の反応」は、妹尾 を代表とプライアン・ヴィクトリア著『褝と戦争』 (石井)
する新興仏教青年同盟が、国家政策に服従する既成教団をいかに批判して活動したかを示して高く評価し、 また戦争に反対した数人の僧の事例を紹介したものである。「仏陀を背負いて街頭へ」をモットーとして社会主義的な活動を展開した妹尾は、 一九三六年十一一月に治安維持法違反で再逮捕され、五ヶ月後には激しい訊問に屈伏して天皇制と資本主義の打破をめざしたとする起訴内容を認めたばかりか、 以後は天皇と国家を無条件で支持することを約束したと著者は記しているが、妹尾個人は最初から天皇支持であり、同盟は革命の根拠として仏教の「一殺多生」をあげていたことなどについては説明していない。妹尾は、終始誠実でありながら、敗戦後は共産党に入党しようとするなど、 揺れを示した人物でもある。こうした点について考えるうえで有益なのは、古在由重の次の言葉であろう。
まえにわたしは、転向とはとくに再転向を意味するといった。つまり、はじめに共産主義への転向 (第一の否定) があり、つぎに共産王義からの再転向(第二の否定) があって、 :::第一の否定のなかに第一一の否定(再転向としてのいわゆる転向) の秘密が多少ともひそんでいるということだった。ある人がどのような動機や経過によって共産王義へ接近したかという過程のなかにこそ、 なぜその人がそこから離脱したかという事情の秘密のひとつがかくされているということだった」 (『思想とはなにか』「非転向について」、 岩波新書、 一九六〇年)
妹尾の場合は共産主義者ではなかったが、 「プル(ジョア)的仏教を革命して大衆的仏教たらしめん」とする新興仏教青年連盟の活動に乗り出してゆくのは、 昭和六年当時にあってはなみなみならぬ勇気を要する行為であったのだから、 一種の転向と見てよいと思われ
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プライアン・ヴィクトリア著『神と戦争』 (石井)
る。その最初の転向と現体制支持への再転向の過程の背景を検討すれば、他の転向組や、より曖昧な形で軍国主義に飲み込まれていった多くの僧侶たちのあり方を明らかにするうえで役立つだろう。市月白弦がめざしたのは、まさにそのような検証だったはすである。
「第七章 褝、その暗殺者たち」は、統制派の永田鉄山軍務局長を切り殺した相沢三郎中佐と、その褝の師匠であって相沢中佐の行動を擁護した福定無外老師、「一人一殺」の標語で知られる血同団の党首である井上日召と、その師匠であって「一殺多生」 の立場から法廷での弁護も行った山本玄峰老師について紹介したものである。井上日召については、従来は『法華経』信者という面が強調されていたが、「私心」の無い純粋な行動としての暗殺というものを美化し、「私心」を捨てさる訓練として褝が果たした役割を明らかにしたことが注目される。これは、褝の特質を考えるうえでも重要である。
「第八章 皇道仏教の誕生」と「第九章 皇国褝、そして軍人褝の登場」は、戦時中に流行した仏教と褝のあり方を検討したものである。特に、武士道との関係を論じた第九章の冒頭では、著者は、ロバート・、ンヤーフの研究を引き、褝宗側は褝宗の独自さを強調したものの、その戦争協力はほかの既成教団と同じ枠組み内のものにすぎなかったと説いている。そして、著者は、褝こそ日本文化の中核であると主張するとともに明治以来の日本の軍事的勝利は武士道のおかげとした褝宗関係者が、その褝と武士道を結びつけようとしたことが皇国褝を生み出す基盤となったと指摘するだけでなく、そうした褝と剣の一致を説く傾向は古い起源を持つものであることに随所で触れている。
なお、「なぜこの点が重要であるかといえば、 ロバート・シャーフ
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がいう十九世紀後半から日本の褝を奨励する人々の中で、禅とは単に仏教の一派のみならず西洋における精神の神髄であり、日本文化の中核を成し、民族の自決性の鍵を握るものである」 (一五二頁)という箇所は、直訳すれば、「ロバート・シャーフが指摘しているように、十九世紀後半以降、日本の褝の支持者たちは、日本の禅は仏教の単なる一派ではなく、『東洋的霊性の真の核心(theveryheartof Asianspirituality)、日本文化の精髄であり、日本民族の独自性(the uniquequalitiesOftheJapaneserace) の要である』として宣伝に努めてきた」(英語版、p.95)であって訳文とは大幅に異なる。著者は、本書ではアメリカの近代日本研究者の研究を活用しているが、訳書ではそうした研究からの引用は、「東洋」と「西洋」を取り違えて訳した右のシャーフの箇所と同じく、誤訳している場合が多く、また、日本人の発言についても、日本語原文を引用せずに英文から訳している箇所については、誤訳が多いため、「ヴィクトリアの『褝と戦争』によれば、誰々はーと述べているが」などと引用するのは危険である。すなわち、本訳書は学術的な目的のために利用することはできす、正確を期す場合は、英語版の原書にあたる必要があり、英語版になくて日本語訳で追加されている引用については、その引用の原文にあたる必要がある。
著者が鈴木大拙を批判した個所を、訳書は「偶然であろうが計算づくであろうが、 一九三八年、大拙が初めて公案から引用した 『殺人剣、活人剣』を代表とするとらえ方が、その二年後、政府の政策となり、さらに明確にいえば、政府がいわんとする大言壮語たる合理思想になっていったにすぎないのである」 (一八〇頁)としているが、活人剣の強調は、大拙に限らず、早い時期から見られるもので
 
ある。なお「政府がいわんとする大言壮語たる合理思想」という意味不明の箇所の原文は、 :governmentrationalization"().112,一. 9)、 であり、 日本の軍事行動を政府は「殺人剣・活人剣」 の思想によって正当化した、 ということにすぎない。
著者は鈴木大拙の戦争貝任をしきりに強調しているが、軍国主義的な==ロ動を繰り返していた老師たちについて記述する途中で大拙に言及し、大拙をそうした老師たち並べることによって、褝の軍国主義化に関する代表的な責任者であるかのような印象を与える筆致になっているのは問題であろう。若き日の大拙が日清戦争の折、宗教は国家のためを第一とすべきものであるとし、 中国を「暴国」と呼び、以後も剣と褝の一致をしきりに説いたことは市川白弦が早くに指摘したことだが、 大拙は多くの有名な老師たちと違い、第一一次大戦中は天皇万歳を叫んで戦争礼讃の勇ましい発言を書きまくることはなかったことも事実である。そのことに触れないのはフェアではない。特に日本語訳ではそれがさらに強調された訳しぶりになっており、「大拙が日本の崩壊に対し、自分自身にある責任を認めるとあらば、日本人一人一人が責任をわかち合って考えるべきではなかつたか」 (二一三頁)としているが、 これは英語版では、 大拙は自分の戦争責任にほとんど言及せず、自分の責任に言及する場合は、「それは一人一人の日本人すべてが負わねばならない責任としてのことでしかなかった (洋isresponsibilitysharedequallywitheachand everyJapanese.p.149》一.23)」となっており、日本語訳は反対になってしまっている。こうした大事な個所で正反対の意味に訳している例はほかにいくつも見られる。
英語圏できわめて注目されている鈴木大拙に対する批判は、 本書プライアン・ヴィクトリア著『褝と戦争』 (石井) の重要なポイントであるため、もう少し検討してみよう。著者は、大拙が親しい人には戦争批判を語っていたことに触れ、 それは実際には、 アメリカに対して勝ち目の無い無謀な戦さを始めたことに対する批判にすぎなかった (二二五ー六頁) として、 大拙には「アジアでの軍事的行動を正面から批判した文章は見当たらない」(一一二六頁) ことを強調している。 これは、 京都学派にも通じる問題点であり、きわめて重要な指摘である。 日本の知識人の多くは、西洋諸国についてはかなりの知識と関心を持っていながら、 東洋についてはその精神文化の伝統と優秀性を強調するのみ、それも日本文化こそその精華であると誇るのみであって、 現在のアジアの諸国・諸地域に自分たちと同じ人間が生活しているということを実感として感じとって思想に生かすことができなかったように思われる。
もう一つ見逃せないのは、大拙は、 熱狂的に軍国主義をあおって た右翼や褝の師家たちに反発し、 自分はきびしい言論統制の中でそうした勢力に抵抗してきたと思っていたことである。著者は見落としているが、褝と武士道の一致に関して大拙が書いていることの中には、武士道の高貴さや「活人剣」 の素晴らしさを強調することによって暴虐な軍事行動を抑制しようとした箇所も含まれている。ところが、 狂信的な軍国主義者の神がかった文章よりも、 大拙のような抑制した人の議論の方が説得力があるため、政府その他の公の組織でその言葉が利用されて大きな影響を与えることもあり、 それでいながら大拙や似たような立場の者たちは被害者意識が先行し、戦後も自らの言動に対する反省は不十分なままなのである。これは、京都学派の場合も同じである。著者は、鈴木大拙の著書から大きな影響を受けて褝の道に入った身であるからこそ、 大拙をはかの軍国
主義的な褝僧たちと同列に並べるのではなく、 大拙ならではの問題点を追求してゆくべきではなかったか。
「第十章 戦時に協力した褝の指導者たち」は、 著名な褝僧たちの戦時中の発言を列挙したもの。特に原田祖岳については、 アメリ力でその法系が主流となるため、 詳しく論じられている。祖岳のような褝僧が「日本精神とは の神々による大道である。   ・:世界中で日本人のみがこのことを把握している」 (二〇九頁)と断言して中国褝の祖師を無視し、日本の武力行使を推奨したことは、国家や民族と仏教の関係を再検討する必要性を一小すものと言えよう。
「第十一章 戦後における皇道仏教、皇国褝、あるいは軍人禅への反応」は、 敗戦後になって、 褝宗指導者を含む褝の関係者たちが戦時中の褝宗のあり方についてどのような発言をしたか紹介している。戦時中の褝僧の言動は、体制が一変した戦後になってからの行動によってこそ、 その意味が明らかになることも多いと思われるため、著者のこうした試みは評価できる。
著者は、 市川白弦の戦時中の聖戦肯定発言と戦後の批判的研究も紹介しており、 これは白弦を知らない日本や欧米の読者には有益であろう。 ただ、 著者は、戦争協力に反対する文章を書いていた白弦が、戦時下のきびしい言論弾圧に抵抗しつつ次第に妥協的な立場に移行していったことには触れていない。 つまり、善悪一一分の立場に立っ本書は、中間的段階や多義的な現象は扱えないのである。 なお、日本語訳では、 白弦の研究を紹介した部分は、意訳しようとして間違えた箇所が多い。
著者は、 白弦のはかに、 袴谷憲昭、 および松本史朗という曹洞宗および駒沢大学に属する一一人の研究者が仏教の戦争協力の見直しを
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始めたことに注目し、 彼らの主張を次のような三点として要約する (袴谷は後に駒沢短期大学に移籍、また曹洞宗の籍から離れた。両人の主張には実際には違いも多い)。 (1)真の仏教とは、 「この現象の世界の底辺に無変革の実体を一切認めない釈尊の縁起説」である、 (2) 「仏教徒たるものは他者のために無我になって奉仕しなければならない」、 (3)「因果の道理にかなって一一=ロ葉や知性を使い、意識的に決断しなければならない」 (二六二頁)。 このうち、第一点の訳では、"includingtheself"という重要な語句が抜けている。第一一点は、少し前で引かれた松本の次のような主張に基づいていよう。「仏教にある『無我』 の教えの基盤の上に判断するなら、次のような結論となる。 (一)自分自身を忌み嫌う。 (一D絶対的他人の神や仏のみ愛すべし:・:」 (一一五八頁)。 このうち、 「絶対的他人」とは、 西洋起源の学術用語であるから、 「絶対他者」と訳さなくてはならないが、問題は、無我説に基づいて導きだされたという結論が「神や仏のみを愛すべし」となっている点である。
著者は、 一一人の試みを評価しつつも、 仏性説を非仏教として否定する松本・袴谷説については批判すべき点がないわけではないとし、内山愚童にあっては仏性説が社会改革運動の根拠となっていたことを例にあげているが、自分自身を否定してひたすら他者のためにつくすべきだとい、2王張、 しかも、仏より先に神をあげて重視する例は、第七章において自らが引いた次の資料の中に見られることを想起すべきであったろう。
被告達も今は自分自身といふことなく、ただ法の裁きに委すのみと申し、 真に神、 仏の精神に帰し居るものと自分は絶対に信ずる (一三〇頁)
これは、 血盟団の裁判において、 井上日召の師匠であった臨済僧、山本玄峰が井上たちを弁護して述べた言葉である。玄峰にあっては、「神」は天照大神や天皇をも含む日本の八百よろすの神々であろうのに対して、松本の「神」は、「絶対他者」たるキリスト教の神に近いことを除けば、 両者の主張がいかに似た側面を含むかは明らかだろう。しかし、自己を捨てさって他のために尽くすことを高唱すると、 実際には善意の押しつけとなる危険性が高いことは、 まさに戦時中の日本仏教の教訓である。袴谷説・松本説の功罪については別
 
「第十一一章 戦後日本における企業褝の登場」は、 戦後、 「産業兵士」 の精神教育のために褝が歓迎されたことをとりあげ、 将兵たちの精神教育に利用された状況と変わりないことを指摘したもの。そうした形での褝プームに対する南褝寺派の勝平宗徹の批判も紹介している。勝平は戦時中は神風特攻隊に属しており、 褝僧となってからはその過去との矛盾を抱え続けた人物であるという。
「エピローグ」は、曹洞宗の僧の身でありながら褝宗の汚点を描きだす書物を書いた理由について記している。すなわち、著者は、アメリカで良心的徴兵忌避者となり、 宣教師として来日したものの、当時既にキリスト教の 「聖戦」 の歴史に疑問を感じていたため、仏教は戦争に関わったことはないという大拙の言明にひかれて褝の道に入ったと述べるのであり、仏教徒は、他の宗教の信奉者たちと同様に、 自らの信仰の良い面と悪い面に対して責任とらねばならないとするのである。著者は、歴史を明らかにするために敢えてこの書きにくい書物を著したと述べ、 歴史の鏡が過去をはっきりと映し出すようになれば、我々の進んでゆくべき道も明らかになるであろう

と説いている。ただ、 本書をしめくくる重要なこの章では、 日本語訳はとりわけ誤訳が多く、 「practices(修行)」を「作業内容」 (一一八一頁) と訳すような初歩的ミスと「てにをは」が合わない不自然な文章が続いている。
最初に述べたように、 本書は、 日本人に広く読まれ、 議論されるべき書物である。 明治期から第一一次大戦後にいたる日本の僧侶や学者たちの戦争協力発言や、 僅かではあるもののそれに抵抗した人々の言葉の多くを当時の原文のまま引いている点で、日本語訳は、この問題に関心を持っていて日本語を解する諸国の人々にとっても有益な書物となるはすであった。それだけに、 この日本語訳は、 早急に全面改訂する必要がある。評者は、誤訳・欠落・不適切な表現を一覧にして著者にお届けしてあるため、 再版する際は改訂に役立てていただけることを願っている。
Brian(Daizen)A.Victoria' ミ 、 (Weatherhill,Inc.,NewYork言997)
プライアン・アンドルー・ヴィクトリア著、エ ・ルイーズ・ツジモト訳、 『褝と戦争ー褝仏教は戦争に協力したか』 (光人社、東京、二〇〇一年五月、 三一七頁、 二六〇〇円+税、一SBN4ー7698ー1000ー8C0098)
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