2019-08-05

石田隆至 「感情・価値観」の問題としての歴史認識:平和教育を展望するために

論 文 特集2:東アジアの緊張の原因を考える
「感情・価値観」の問題としての歴史認識:平和教育を展望するために
石 田 隆 至 (PRIME研究員、大連理工大学海天学者)
--
1.なぜ「感情・価値観」の問題を考えるのか?

 近年の東アジアの国際関係を捉えるうえで、い
ま何を考えなければいけないのか、逆に言えば、
何が見落とされてきたのか──、このシンプルな
問いを考える手がかりを提起するのが小論のねら
いである。
 東アジアの国際関係は緊張状態にあるといわれ
るが、実際には、経済面では既に互いを抜きにし
ては成り立たないほど依存度が高くなっており、
文化の面でも特に若者の間では、“ 韓流・華流 ”、
日本のサブカルチャーなどが相互に浸透しあって
いる。中国大陸・台湾や韓国において高い人気を
誇るのは、日本のサブカルチャーだけではない。
村上春樹の小説や浅田真央・福原愛などのスポー
ツ選手への注目度も日本と変わらないほどであ
る。
 他方で、政治面では確かに関係が悪化している
が、歴史問題が主であり、領土問題も日本近代の
対外戦争の過程で生じてきたことから、歴史問題
の一つとみることもできる(1)。近年ではヘイト
デモが続いたり、「反日デモ」が起きたりするな
どナショナリズムが激化していると指摘され、そ
の解決策としては、必ずといってよいほど、感情
的にならず、互いの主張に耳を傾け、冷静に対話
し、相互理解を深めていくことが提案される。
--------------
歴史認識における対立点とは具体的には何だろ
うか。たとえば「南京大虐殺」「従軍 “ 慰安婦 ”」
といった主な争点については、日本政府は公式見
解として事実であると認めている(2)。歴史学的
にも、歴史事実を否認する「まぼろし派」「虐殺
否定論」の主張は実証的に否定されており、1985
年という早い段階で決着がついている(吉田
2011:190頁)。もちろん、被害者数といった細部
の相違や「慰安婦」にされた女性に対する強制性
の有無といった点については今も取り上げられて
いるが、歴史認識を書き換えるような論点ではな
い。「靖国参拝」の是非も大きな争点だが、A級
戦犯が祀られている事実そのものに見解の相違は
ない。また、日韓および日中の間では共同歴史研
究や三国共通歴史教科書の作成作業なども行われ
てきており、それら歴史事実のレベルの共有はか
なりの程度実現している(3)。つまり、<事実レ
ベル>ではさらなる相互理解が必要になるような
深刻な対立要因はそれほど多いわけではない。
 他方で、2006年に日中歴史共同研究を提案した
安倍晋三首相(当時)でさえ、2013年4月に「侵
略という定義は、学界的にも国際的にも定まって
いない」といった事実に反する国会答弁を行い(4)、
「河野談話を継承する」と宣言しながらその検証
に踏み切るなど(5)、確定した歴史<事実を受け
入れる>のに大きな抵抗を感じていることが窺え
る。こうした主張や方針
-----------

な支持を得ていることは言うまでもないが、市民
や学生の間でも同様の認識が拡がっていないだろ
うか。われわれが普段接している大学生のなかに
は、授業中あるいはレポートや感想文などで、い
わゆる「嫌韓・嫌中」意識を悪びれず表明する者
が珍しくなくなってきた。高校までの歴史教育で
いかに近現代史の知識が不足しているとはいえ、
日本がアジアに対する戦争を行った事実そのもの
を知らない学生はさすがに稀である。「戦争の歴
史と韓国や中国への嫌悪感との関係性を考えてみ
よう」と問いかけると、彼らは何を考えればよい
か戸惑いを見せながらも、“ それでも「反日デモ」
は許せない ” といった結論だけはハッキリ主張す
ることも少なくない。ネットや書店を覗けば、そ
うした言説が溢れているため、メディアの影響や
教育の問題点を指摘したくなるところだが、確定
した歴史事実を受け入れられないのであれば、歴
史に関する知識不足を補ったり、相手国の主張を
深く理解したりするだけではやはり解決策にはな
らない。つまり、われわれが直面している歴史認
識問題には、<事実レベル>にとどまらない次元
の問題があることが見えてくる。
 事実を受け入れられないという厄介な事態が生
じているのは、その事実が持っている文脈性に抵
抗感を感じているからだと考えられる。たとえ
ば、南京大虐殺が事実であると認めることは、「日
本人の誇り」といった価値観を傷つけ、気遣いや
配慮を重視する日本人「本来の感情や優しさ」を
否定することに繋がると考える人々がいる。彼ら
は、<確定した事実>の受け入れさえ拒めば、大
事にしたい<価値観や感情>を守り抜くことがで
きると考えているのだろう。歴史認識は、いま事
実レベルの問題である以上に、<価値観や感情>
の問題となってきている。したがって、この点を
考えていくことが、現在の歴史認識問題の課題の
一つであるといえる。
 「歴史認識は価値観や感情の問題としての側面
を有している」という問題提起をすれば、様々な
水準で戸惑いを覚える読者がいることは想定して
いる。しかし、これだけ歴史研究や相互理解の取
り組みが重ねられても、歴代政府の公式見解に反
する言動が首相をはじめ閣僚クラスの政治家でも
後を絶たず、事態は好転するどころかむしろ悪化
していること、日本政府の謝罪表明や歴史認識な
どに対して被害国からの不満や反発が今も解消さ
れていないことを考えても、事実認識の次元だけ
でなく、それをめぐる感情や価値観の次元の問題
が存在していることを踏まえておく必要があるだ
ろう。
 あるいは、感情は、客観的認識や科学的営為に
おいては極力排除しなければならないものだとい
う観点において、不安を覚える向きもあるだろ
う。しかし小論の問題意識は、感情を認識や科学
と対立的に捉える視点にこそ問題が潜んでいるの
ではないかという点にある。社会科学を基礎付け
たマックス・ウェーバーが「価値自由」概念で確
立しようとした方法論的倫理は、単に認識に価値
判断を持ち込むべきではないとするものではな
かった。何を問題とするかという判断には必ず研
究者の価値観が影響するため、自身がどのような
価値にとらわれているかをたえず自覚すること、
そしてその価値観の妥当性を常に吟味し続けるこ
とではじめて、客観的認識に近づくことができる
とする倫理だったことを思い起こしたい(ウェー
バー1982)。
 小論でも、事実を受け入れるという基本的姿勢
に困難が生じたり、事実に基づくことなくある判
断を(無)意識的に選択するとき、事実以前に感
情や価値判断がその認識に大きく作用していると
考える。たとえば、A級戦犯を合祀した靖国神社
に首相が参拝したり、「英霊」に感謝を表明した
りすることは、過去の戦争への反省を撤回あるい
は曖昧化するものであるという批判がある。東京
裁判の結果を受諾して国家主権を回復した経緯を
------------
考えれば、被害国・戦勝国からのそうした主張は
論理的には整合性を持っている。一方、その批判
に対して、「心の問題だ」「英霊への感謝を表明し
ているだけで、過去の戦争を肯定するつもりはな
い」という反論は、国際関係の文脈に基づいた論
理整合的な応答ではなく、感情や価値観を前面に
出した<反応>であるがゆえに噛み合わない。に
もかかわらず、アジアの被害者は「感情的」であ
り、それに冷静に対応する日本政府や日本社会は
「客観的」だといった捉え方が支配的ではないだ
ろうか。
 さらには、歴史認識における感情や価値観の側
面に着目するというと、戦争に関するナショナリ
スティックな記憶を刺激するばかりだから避ける
べきだという危惧もあるだろう。しかし、ナショ
ナリズムや記憶を構築されたものと捉えて解体し
ていくだけでは、現に存在している感情は放置さ
れたままであり、いつまでも解決しない要素が残
されてしまう。
 もちろん、これだけではまだ「感情・価値観と
しての歴史認識」という視角への違和感は残るだ
ろう。そこで、小論では、袋小路に入り込んだ東
アジア国際関係を考えるために、感情や価値観を
含めた形で歴史認識を捉える必要性を共有してい
くきっかけを提供してみたい。
 なお、今回は扱うことができないものの、以下
で検討する内容は、未来の東アジア関係を担う大
学生との教育において実践し、その成果を検討す
る必要があると考えている。筆者は、国際関係を
専攻する新入生と入門的な内容を学ぶゼミなどを
担当しているが、重要なテーマの一つである東ア
ジア国際関係を扱うことに、近年大きな困難を感
じている。社会的にも中国や朝鮮半島への嫌悪感
が高まっており、なぜそうなっているのかを検討
するための文献を選ぶにも、歴史修正主義的な内
容に満ちた書籍が溢れており、学生自身が「科学
的」な文献を適切に選ぶことはほとんど不可能と
いえる状況にある。科学的な営みの背景にあった
感情や価値観が極端に前景化している状況につい
て、共に考えることなしに学び始めることができ
ない現状だからこそ、学生とともに、どのような
「知」のあり方が求められているのかを模索して
いく必要があると考えている。

2.「感情記憶」という問題提起

 小論の問題意識と呼応する先行研究は、管見の
限り多くはない(6)。その中で、日本でも注目さ
れた議論として、中国社会科学院の孫歌らによる
「感情記憶」という問題提起を中心に取り上げた
い。
 竹内好や丸山眞男らの政治思想の検討を通じて
東アジア関係や日本社会について精力的に論じて
いる孫歌は、2000年2月に中国の月刊誌『読書』
に発表した論考のなかで、「感情記憶」という概
念を提起した。同年4月には日本の『世界』で翻
訳が掲載されたのに加え(孫2000)、呼応する論
考や座談会が相次いで発表されるなど、日本でも
議論が喚起された(7)。中国発の議論がこれほど
注目されたのは、それが「南京大虐殺」をめぐっ
て提起されたからだけではない。歴史学を中心と
した近代西欧発の科学が有する限界についてのき
わめて根源的な問題提起を含んでいたからでもあ
る。
 孫歌によれば、中国の人々にとって南京大虐殺
とは、「具体的な歴史事件そのものを直ちに意味
するもの」ではなく、「中国人の感情記憶の中で
は、最も際立ったシンボルなのだ」という。
 第二次世界大戦中の日本軍が中国国内で犯
した犯罪行為を象徴し、今に至るも真に犯罪
を認めようとしない日本の政府と右翼に対す
る中国人の怒りを象徴し、戦後50年以上に及
ぶ中国人と日本人の感情の傷という面におけ
る、修復しようのない溝をも象徴しているの
----------
である(孫2000:159頁)。
 東アジアに横たわる歴史認識の遠大なギャップ
を、現在に続く感情、被害当事者ではない世代に
も共有される感情の記憶という面から捉えてい
る。現在の歴史認識問題が、<事実の受け入れ>
を拒み、感情や価値観の次元で立ち現れていると
いう小論の立場と響き合う問題意識といえる。た
だ、「感情記憶」という概念が有するラディカル
さは、既存の実証主義歴史学の特権性に全面的に
挑戦する形で提起された点にみられる。
 「南京大虐殺」という、この簡単なシンボ
ルに拠って、また「被害者30万人」という一
個の数字に拠って、中国人は日本人の間の友
と敵を確認する(孫2000:159頁)。
 日本社会においては、南京大虐殺を「歴史事実」
と考える研究者や市民の間でも、その犠牲者数に
ついてはなお確定されておらず、「30万人」とい
う数字を「事実」に近いものと考えている人はむ
しろ稀である。しかし、孫歌はこの「30万人」と
いう数字を議論すること自体が、中国人を敵とし
かねないと明確に表明している。もちろんこれ
は、日本社会や日本の歴史学研究の水準に関する
端的な知識の欠如に由来する言明ではない。むし
ろ、「日本文化圏の知識人が書いた評論と見まが
う文脈性を備え」、「日本の思想文化の背景と論壇
の状況に、襞に分け入る感性を持っている」現代
中国一級の知性であると日本でも高く評価される
研究者である(代田2011:24~25頁)。その孫歌
が、「30万人」という数字をめぐって歴史的検証
を行う日本の研究者の中に、南京大虐殺の事実を
否定する「まぼろし派」を実証的に破綻させよう
とする「良心的な知識人」が少なからず含まれて
いることを知らないはずがない。だとすれば、ど
のようなねらいから、こうした挑戦的な問題提起
を行ったのかを問う必要がある。
 孫歌は、南京の犠牲者数をめぐって議論する研
究者の「基本的な学問原理」は、「歴史の『客観
事実性』」にあると指摘する。その対立項にある
のが「生きた人間の感情」であるという(孫
2000:168頁)。欧米の学者も含めたそうした研究
者らは「文献資料の考証に満足して、人々の感情
記憶を完全に無視したり、果てには敵視したりす
るのだ」と指弾し、「このような歴史学の絶対的
な合法性はどこから来るのだろうか?」と鋭く問
いかける(孫2000:167頁)。
 感情の記憶の喪失は、歴史から緊張感と複
雑性を奪い、これを統計学で代替できるよう
な死んだ知識に変えてしまう。そして、正に
このような死んだ知識こそ、現時の政治やイ
デオロギーにたやすく利用されてしまうのだ
(孫2000:168頁)。
 歴史について思いをめぐらすおよそすべての者
が、歴史学の実証的成果をもとに歴史認識を有す
ることができることに、孫歌が気付いていないは
ずはない。だとすれば、実証主義的方法論におい
ては、人々の感情記憶があまりに不当に抑圧され
ていること、そしてそれが適切ではないことを言
おうとしていることになる。実際に、「専門家に
はこの種の感情記憶を歴史の真実探求の障害と見
なす資格がある」のか、とも問うている(孫
2000:165頁)。
 ここまででも、「良心ある」歴史学者らは相当
の戸惑いを覚えるようなきわめて根源的な問題提
起になっている。後に検討するように、実証主義
歴史学の立場からの真摯な反論も見られた。とこ
ろが、孫の論考の末尾には、さらに激烈な現状批
判が記される。
 中国人に理解できない基本的問題とは、同
じく戦争責任を追及する良心ある日本人にも
かかわらず、なぜ多くの人は東史郎の言葉の
信憑性問題に拘泥するのだろうか(8)、とい
うことである。(中略)それはつまり、人々
の南京大虐殺に対する歴史の記憶へと向けた
関心を捻じ曲げることであり、これは虐殺の
--------
数字に拘泥することと、効果という面では同
じである。問題は(中略)この種の「捻じ曲
げ」が、日本の言説空間では一種の方向性と
化してしまうことになる。日本の良心ある知
識人は、このような捻じ曲げられた議論に拘
泥する間に、良心ある中国人と対面する媒介
を喪失してしまい、中国人とこの間の歴史を
共有する契機をも失ってしまったのだ(孫
2000:168~169頁)。
 多くの「日本の良心ある知識人」は、この問い
かけをどう受け止めればよいのか、深刻な当惑に
直面したことだろう。小論もまた、歴史認識を捉
えるうえで、その構成要素として「感情」や「価
値観」にふさわしい地位を提供することを訴える
ものであるが、実証主義歴史学に全面的に挑戦す
るまでの問題意識は有していない。確かに、従来
の科学的歴史学においては、文書史料の扱いに比
べて記憶などのオーラルヒストリーの分析方法は
確立されているとはいえない側面があり、それ故
に歴史史料としての「記憶」が置かれた地位は高
いとはいえない。文書史料の空白を暫定的に補充
する「役回り」を担っている側面も否定できない。
ただ、文書史料もその信頼性は「史料批判」とい
う方法を通じて担保しなければならないにもかか
わらず、史料の「存在」感と比した場合、「記憶」
の信頼性はそれだけで二次的なものとされがちで
ある。実際に、史料の収集に加え、聴き取り調査
を主な手法としている筆者は、聴き取った記憶を
歴史事実の確定のための「証拠」とするためには、
文書史料による裏付けが不可欠となる場面を日常
的に経験している。つまり、「オーラルヒストリー
も、実証主義歴史学も」という立場で研究を進め
てきている。
 孫歌もまた、文書記録が残されにくい分野の歴
史研究がこうした実態にあることは十分理解して
いるはずである。また、実証主義歴史学では取り
こぼしてしまう「歴史」があることは、歴史学の
側でも自覚されている(吉田2008)。近年のオー
ラルヒストリー研究の発展はそれと無関係ではな
いだろう。だとすれば、このあまりにラディカル
な問いかけは、それなくしては浮かび上がらせる
ことができない何を投げかけようとしたのか?
 こうした問題提起は、孫歌だけに見られるもの
ではない。孫歌の問題提起を受けて、日中の歴史
研究者らで行われた座談会に出席した北京大学の
戴錦華もまた、同様の問題意識を示している。戴
は、侵華/日中戦争の歴史について「ずっと複雑
で強烈な感情を抱えてきた」と振り返り、それは
「ずっと強烈な身体体験を伴うもので、中国の四
字熟語で言い表せば、『切膚之痛』(膚に接近して
いるような非常に身近な痛み)という言葉がぴっ
たりだ」と述べている(戴・孫ほか2000:191頁)。
戦後生まれの戴にとっても被害当事者と同じよう
な痛みとして戦争が感情や身体に記憶されている
ことが示されている。戴はこうした感情記憶が既
存の学問体系の中ではきわめて捉えがたいもので
あることを次のように述べている。
 「ポスト構造主義」の後の知識人として複
雑な現実の政治権力構造に直面し、その抑圧
に抵抗しようとするとき、われわれが使用可
能なのは依然として「客観的」「理性的」「論
理的」なタームしかありません。こういった
言葉や思考様式を持つがために、とうてい
人々が歴史を経験し思考するときに必然的に
併せ持つ複雑な身体体験と感情の記憶に到達
することはできません。(中略)我々の学術
訓練や知識の系譜、我々の物の書き方や社会
的立場は、逆に身体の記憶と感情の記憶に対
する抑圧を来すわけで、私が極力国家ナショ
ナリズム的な表現を避けようとするとき、こ
の抑圧された感情が、必ずやそれと似かよっ
た歪んだ形で浮上してくるのです(戴・孫ほ
か2000:191頁)。
 感情の記憶や身体の記憶は既存科学の言葉で十
--------
分に捉えることができない特質を持っているだけ
でなく、そうすることを抑圧する作用が働いてい
ることが指摘されている。一見すると、近代人文
社会科学の方法論的限界を突いた指摘で、孫歌の
問題提起よりいくぶん穏当に聞こえるかもしれな
い。しかし、戴の別の発言を引用すれば、孫と同
様のラディカルさを秘めていることが伝わってく
る。
 いったん南京大虐殺あるいは30万という死
者の数字について、いかなるやり方にしろ疑
問を挟んだのなら、ほとんど例外なく相当数
の中国人(私を含めて)の怒りの感情を引き
起こすことだろう。私たちはそれを、ある種
の復讐の要求と名づけてよいかも知れない
(代田2000:54頁)。
 彼女らのねらいが、中国の人々の感情記憶を殊
更に取り上げることで、ナショナリズムを煽ると
いった種類のものではないことは言うまでもな
い。もしそうであれば、矛先を実証主義科学に向
ける必要はないからだ。事実、筆者は2012年12月
に南京師範大学で行われた国際シンポジウム「戦
時下の都市民衆の日常生活」に参加した際に、現
地の代表的な南京大虐殺研究者と議論したことが
ある。同大学は「南京大虐殺研究センター」を擁
し、中国における関連研究の一拠点である。彼ら
もまた、日本の「虐殺否定論」に対抗するため、
きわめて実証的な手法で南京大虐殺の歴史事実の
解明に精力を注いでいることを力説していた(9)。
文革期までの歴史学が科学的というより政治的な
結論を先行させた研究手法を採っていたこともあ
り、客観的で実証的な研究手法がようやく定着し
たことに一種の自負を抱いている感が伝わってき
た。そうした動向は歴史認識の共有のために重要
な契機であるといえる一方で、現在の日本社会で
拡がるばかりの<歴史事実を受け入れない>風潮
についてどう対処しようとしているか質問してみ
た。残念ながらその意図はうまく伝わらなかった
ようで、実証主義的な研究を重ねることでそうし
た誤謬を打破していくという回答しか聞かれな
かった。孫歌らの批判は、こうした「中国の良心
的な知識人」にも向けられている(孫2000:170
頁)。

3. 実証主義歴史学批判は日本でどう受け止めら
れたか

 孫歌らの批判はきわめてラディカルであるが、
その問題提起から15年を経た現在、冒頭で確認し
たとおり、「感情記憶」が歴史認識問題の<主戦
場>となっている様相を考えると、きわめてアク
チュアルな指摘だったといえる。「日本の良心的
な知識人」たちはこうした問いかけをどのように
受け止めたのだろうか。
 まず、近代中国思想史が専門の溝口雄三は、以
前から孫歌と問題意識を共有していたこともあっ
て、その実証主義歴史学批判についても正面から
受け止めている。そして、自らが推進していた
「日中・知の共同体」プロジェクト(国際交流基
金「知的交流事業」)のなかで孫らとともに、歴
史(学)に抑圧されてきた感情記憶の扱い方につ
いても検討している。
 簡潔にまとめれば、実証主義歴史学の方法論的
限界を認めつつも、感情記憶をめぐるラディカル
な問いかけについては、「30万という数字が引き
起こした紛糾」と呼んでいるように、そのままで
は受け入れられない側面があるという立場をとっ
ている(溝口・孫2002:230頁)。具体的には、「『南
京』は過去の歴史記録としてあるだけでなく、歴
史記憶として現在に再生産されつづける」(溝口
2000:138頁)ため、感情記憶を掬い上げる意義
を認めつつも、その方向性としては「歴史の磁場」
のなかに位置付けていく必要性を説く。
 私は日本の中に確かに現存する反中国ある
いは嫌中国的な感情を、反や嫌を理由に疎ん
-------
じようなどとは思わない。問題にすべき相手
は、実はその感情ではなく、その感情を形成
してきた歴史の磁場だろうと予感するからで
ある。感情記憶が、過去から現在までの幾層
にも積み重なり、また幾条かの流れにもなっ
ている、複雑に「絡み合った」歴史の現在形
であるとするならば、その絡み合いを生み出
す歴史の磁場に直面しない限り、日中間の問
題の解決はない(溝口2000:138頁)。
 こうした方向性は孫歌の問題提起に寄り添うよ
うに見えながらも、歴史学をより精緻化する作業
工程のなかに「感情記憶」を組み入れることで、
そのラディカルさを「ソフト・ランディング」さ
せていく形の受け止め方であるといえないだろう
か。「感情記憶の歴史化」もまた、実証主義の枠
内にとどまっているからである。それは、「感情
記憶と歴史事実の二重奏をどのように歴史化する
か」(溝口2000:128頁)といった問題提起からも
読み取れる。
 孫歌の問いかけに苛立ちさえ読み取れる反応を
示したのは、中国近現代史が専門の古厩忠夫であ
る。南京大虐殺の歴史事実を確定させるうえで大
きな役割を果たした南京事件調査研究会の一員で
もあった古厩の反論は、「『感情記憶』と『事実記
録』を対立させてはならない」という論文タイト
ルに集約されている。古厩にとっては、「『感情記
憶』をも重視している」(古厩2001:139頁)がゆ
えに南京大虐殺の実証研究に携わってきたとして
おり、孫による二項対立的な捉え方に不快感を漂
わせている。また、「誇張された叙述はたちまち
大虐殺の虚構化に利用され」、「『感情記憶』の不
明瞭さを悪用して『事実記録』を抹殺しようとす
る論者がいる」日本では、「本当は20万であるか、
30万であるかなど数字の詮索は本質的な問題では
ないはずだが、日本では必要である」(古厩
2001:141頁)と主張する。孫の実証主義歴史学
批判に対して十分に予想される反論を率直に表明
したものといえる。結論として、虐殺否定論者ら
が「実証で敗退すると事実を無視した扇情的な議
論を行って、日本人の『感情記憶』や『誇り』に
訴える」ようになった現実も見てきた古厩は、日
本の戦後歴史学が「あまりに実証に取り憑かれす
ぎている」という「批判は的を射ている部分があ
ると思う」と孫の問題提起に一定の理解を示しな
がらも、「歴史の修正を辛くもとどめることがで
きるものがあるとすれば、それは事実の重みしか
ない、という想いから私は脱することができな
い」としている(古厩2001:146頁)。
 ただ、孫歌は「日本の良心的な知識人」による
実証主義的な努力と、それによる「否定論者」の
さらなる迷走という近年の実態を十分踏まえたう
えで感情記憶論を提起しており(10)、その点で、
古厩の反応は孫のラディカルさを受け止めきれた
とはいえない。
4. 実証主義歴史学者の前提にある「感情・価値
観」
 日本の歴史学者が受け止めきれなかった側面
は、もう一つある。それは孫の批判のラディカル
さの意味を考える手がかりをも与えてくれる。感
情記憶に対して「冷静かつ客観的な」立場から、
それを文書史料より一段価値の低いもの、あるい
は事実解明の障害にさえなるものとする扱いを不
当だと孫が見なしていたことは、繰り返し確認し
てきた。
 この点とセットになって提起されていたもう一
つの軸は、そうした「客観的」な判断の前提に見
出される「既成の枠に囚われて発言している」あ
り方そのものだった(孫2000:166頁)。感情記憶
といった不確かなものは排除すべきだと考える研
究者らは、<西欧近代科学は正しい・民衆の感情
記憶は信憑性が乏しい>という「既成の枠」を不
動の前提としているがゆえに、そうした立場に立
--------

てるという批判である。確かに、いかに信頼性の
高い文書史料を前にしても、あらかじめ有してい
る特定の観点(たとえば、「南京大虐殺はなかっ
た!」)を補強するために恣意的に取捨選択され
たうえで利用される可能性は排除できない。現在
の<事実を受け入れない>歴史観の拡がりはまさ
にそれに当たる。また、史資料として残されるこ
とのない「現実」が、「感情記憶」を通じて浮か
び上がってくる可能性も十分に考えられる。にも
かかわらず、「感情記憶」は既存の科学では十分
に語られる言葉を持たないという異議申し立てが
なされても、十分に顧みられることがないのは、
西欧発の実証科学の方法に依拠するしかないとす
る「既成の枠」に強く囚われていることを示して
いる。つまり、実証主義的で科学的な装いをした
言説の前提には、客観的・科学的とはいえない思
い込みや一種の感情さえ伏在していることが、あ
まり自覚されていない点を「既成の枠に囚われ
て」いると問題視した。ウェーバーの価値自由概
念と響き合う論点である。同様の指摘は、「日本
の良心ある知識人が世界に向かって自らの声を伝
達しようと試みる際、自らの民族感情をどのよう
に把握するかは、重要な試金石である」(孫
2000:169頁)といった抑制的な表現で繰り返し
示されている。
 ラディカルな問題提起とセットになって示され
るこうした解釈学的な問いかけにも、溝口や古厩
は一定の応答を示している。
 孫歌の問題提起を正面から受け止めるスタイル
で応答した溝口は、この点についても肯定的に引
き取っており、認識者にとっての「現実は、自分
の知のカプセルの窓から眺められた光景である」
(溝口2000:133頁)という比喩を交えて敷衍して
いる。
 現実は、カプセルの窓を通して受け入れら
れ、自分の知の世界の論理で解釈され、甚だ
しきは、それによって価値づけられ、統御さ
れようとさえする。しかも、これらの人々に
とっての自分の知の世界は、往々にして、自
国の知の文脈の中で形成された、つまり自国
の世界が相対化されないまま無自覚に自分で
あるという、他者不在の知の世界なのである
(溝口2000:133頁)。
 ここに記されていることはきわめて常識的な内
容であり、ほとんど異論も出ないだろう。しかし、
孫歌の場合、こうした主張をあのラディカルな実
証主義批判とセットで提起していたことを思い起
こしておく必要がある。いかなる認識も国家とい
う「枠」を脱し得ないがゆえに、それを自覚する
作業が重要であるという溝口の受け止め方は、い
わば万人に自戒を促す普遍的な解決策といえる。
しかし、孫歌らは、「感情記憶」が容易に言語化
されず、近代科学に掬い上げられることもないそ
の<非対称性>を問題にしていた。その非対称な
構造の中で優位に立つ側ほど、自己の前提に無自
覚なままでいられる。この二重の<非対称性>へ
の自覚を促すために、よりラディカルな次元から
の問題提起が必要とされたのではないだろうか。
そう考えれば、「感情の持ち主自身が、自分でも
気付かない、ある無意識の歴史意識といった世界
に踏み込む必要があるのかもしれない」(溝口
2000:137頁)とする溝口の受け止め方のあまり
の「正しさ」は、再び孫歌らのラディカルさを削
ぎ落とすものといえる。
 こうした溝口の受け止め方への批判を経由する
形で孫歌に異論を唱えているのが古厩である。古
厩もまた、孫歌の矛先が「『日本の良識ある知識
人』に向けられていることに気付き、私は緊張感
をもって自分自身を点検しながら読んだ」と記し
ており(古厩2001:138頁)、人々の認識の前提に
ある「既成の枠」が問題にされていること自体は
受け止めている。
 以下では、2001年4月に『新しい歴史教科書』
が検定を通過したことを受けて発表した溝口の新
---------
聞寄稿に、古厩が強い苛立ちを示している箇所に
注目したい。問題視されたのは溝口の発言の次の
箇所である。
 その背後にある「歴史観」を見てみると、
加害行為を反省する側も、認めまいとする側
も、アジアの近代過程において日本を「優等
生」、中国をはじめとする他のアジア諸国を
「後進的」とみなす、という点では実は同じ
である(古厩2001:141頁)。
 日本の加害を否認する側が、アジア諸国を「後
進的」と見下している点については説明不要だろ
う。加害を反省している側もまた、アジアへの優
越感を共有しているという溝口の問いかけに、古
厩は「それはないんじゃない?」と思えてしまう
と不満を表明している(古厩2001:141~142頁)。
古厩自身が、教科書の検定・採択をめぐって歴史
修正主義グループとしのぎを削っている「良識あ
る知識人」の一人だったからなおさらだったのだ
ろう。「日本がそのような修羅場であることを、
日本に居て、現実を重視される溝口氏が知らない
はずはないと思うのだが」とまで述べている(古
厩2001:141頁)。
 しかし、加害を反省する「良心的な日本人」で
さえアジアに対する優越感を持っているという溝
口の批判が新聞に掲載されたものであることを踏
まえると、多少の戦争責任は日本にもあると考え
る「一般的な日本人」が念頭に置かれていた発言
だと考えた方がいいのではないだろうか。そうし
た人々の間では、歴史修正主義の台頭は一部の特
殊で過激なグループの問題だと矮小化され、「先
進的」で民主主義国の日本社会に備わる自浄能力
に期待していたがために、社会的に警戒感が高ま
らず、検定を通過してしまった側面に溝口は注意
を促そうとしたとも考えられる。それは裏を返せ
ば、アジアへのある種の「優越感」に由来する楽
観であったともいえる。そうした社会の自己意識
を問わねば、右傾化に歯止めがかからないのでは
ないかと問いかけようとしていたのであり、古厩
のような「良心的な知識人」に向けられた批判で
はなかったと考えることもできる。
 それに古厩が「それはないんじゃない?」とあ
えて感情的な表現を交えて反応したのは、彼が加
害責任とその反省を強く意識していることの表れ
であると同時に、だからこそ自身はアジアへの
「優越感」とは無縁だという自己意識が投影され
ていたといえる。
 続けて古厩は、こうした溝口(や孫歌ら)の問
いかけを、ナショナリズムを背景に「自虐史観批
判」という衣をまとった日本版「感情記憶」の反
対項としての、中国のナショナリズムの高まりと
いう定型的な「枠」──メディアで一般的に見ら
れる分かりやすい既成の「枠」──に落とし込ん
で理解している(古厩2001:142頁)。
 かつて、われわれがナショナリズムを抑圧
民族の悪いナショナリズムと被抑圧民族の良
いナショナリズムに分けて理解しようとした
が、いまや東アジアでもナショナリズムその
ものの持つ二面性を議論すべき時がきている
(古厩2001:142頁)。
 中国の人々が持つ「感情記憶」には正当な地位
が与えられることがないという<非対称性>には
ほとんど注意が払われず、ナショナリズム一般の
普遍的問題と位置づけられている。つまり、「感
情記憶」が提起するラディカルさは、単なるナ
ショナリズムの激化の表れとして受け止められて
いる。
 古厩はまた別の箇所で、1999年に制作された日
中合作映画『陳
チンパオ
宝』のなかで描かれている日本兵
のあり方に触れながら、「中国で抗日戦争映画を
創る目的」についてこう記す。
 そこでは日本兵は鬼である、鬼は人ではな
い、だから日本兵には心はないという三段論
法で処理される。だが、それでは日本人に
とってあまりに救いがない。本来ヒューマニ
-------
ズムの持ち主であるはずの日本人の庶民がど
うしてあのような残虐行為に走ったのかを説
明せねばならないし、できれば、せめて今後
の拠り所となりうるような良心の証があった
ことを確かめたい。そうでないと日本の観客
は映画館に足を運ばないであろう(古厩
2001:143頁)。
 ごく一般的な市民が戦場ではどうしてあれほど
の残虐行為をなしえたのかというメカニズムを説
明しなければ合作映画とする意味がないという批
判は、筆者自身も共有するところである。鬼が鬼
の行為をしたのではなく、人を鬼に変えるメカニ
ズムのなかで残虐な行為が行われたという “ 個人
と社会の相剋 ” を突いた科学的な「問い」として
描くからこそ、歴史に今向き合う意味が導き出せ
るといえる。残虐行為を行ったと現在も非難され
続ける民族の子孫たちにとって、そのメカニズム
の解明は一種の「救い」になりえるだろう。
 しかし、そのメカニズムが解明されたところ
で、というより、解明されたにもかかわらず、現
在まで日本政府や右派だけでなく、一般的な民衆
に至るまで、戦争責任に十分に向き合うだけの本
来の「ヒューマニズム」が発揮されないことに、
中国の人々は「救い」のなさを感じていることだ
ろう。問題にしなければならないのは「救いのな
さ」をめぐるこの<非対称性>であり、「感情記
憶」という問題提起もその点を突いていた。
 なぜこうしたギャップが残ってしまうのだろう
か。古厩も決して自己の認識の前提にある「既成
の枠」に無頓着だったわけではない。以下の主張
も誰もが首肯できるものだろう。
 日本人は日本に生まれ育ったという身体経
験を廃棄することはできない。できるのはそ
うした自分を対象化し、他者に目を開いてい
くことであろう。言い換えれば、木を植え替
えることではなく、接ぎ木する作業である
(古厩2001:144頁)。
 ただ、問題はもう一歩先にあるというのが、こ
こまで行ってきた古厩や溝口の論考の検討から導
ける帰結である。自分が囚われている「既成の枠」
を対象化しても、結局その「枠」にとどまり、再
生産するのでは問題の構図は変わらないままであ
る。そうした選択の背景には、「実証主義歴史学」
「ヒューマニズム」などが表象する「普遍性」に
依拠するしかなく、そこから一歩ずつ共同性が立
ち上がってくるだろうという強固な “ 信念 ” があ
る。
 しかし、「実証主義歴史学」「ヒューマニズム」
の表象する「普遍性」そのものが、<非対称性>
を足場にして辛うじて成立している点を告発した
のが、「感情記憶」論の射程だった。「感情記憶」
という問題提起が受け止められない構造そのもの
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を検討することで、ようやく<非対称性>を捉え
そこねる「枠」の向こうにある感情や価値観が見
えてきた。それは、「対象化した自分」をもう一
段<対象化>しないと立ち現れない地平だったが
ゆえに、孫歌らの問いかけは「なぜここまでラ
ディカルなのか」という「問い」を導く形式を
とっていたといえる。
5.むすびにかえて
 孫歌らは、「日本の良心的な知識人」が、自分
自身と中国人の「感情記憶」およびそのギャップ
を理解し、歴史修正主義者の虚妄を破綻させるの
に実証主義的な努力を重ねていることは十分理解
していた。それでもなお、実証主義歴史学批判を
伴った「感情記憶」概念を提起する必要があった
のは、それなくしては日中間に横たわる問題の地
平が開かれてこないと考えていたからだろう。そ
れが何なのかは、今のところ小論も積極的な言葉
を与えることはできないでいる。ただ、ここまで
の考察を踏まえて少なくとも以下の点を指摘して
おくことで、孫歌らが開こうとした問いの地平を
-----
閉じることなく、感情や価値観を含めた歴史認識
がどのような “ 磁場 ” を描くのかを問い続ける必
要があるのではないかと考えている。
 溝口にせよ古厩にせよ、孫歌の問いかけをある
意味で十分に受け止めつつも、最終的には研究倫
理としての「自己の対象化」、あるいは自己の専
門分野である歴史学的方法論の精緻化でもって対
応しようとした。しかし、そのレベルでは、孫歌
らの批判のラディカルさは宙づりになったままで
ある。ここで再び見出せる<非対称性>として
は、ラディカルな問いかけに対して「日本の良心
的な知識人」らはそれを受け止める姿勢を示しつ
つも、最終的には自分の依拠する近代科学の研究
手法や視角にとどまるという、研究者としてはあ
る意味で「穏当」かつ「正当」な応答を示した。
これに比べて、孫歌らは同じく西欧近代科学に学
びながらも、そこに依拠していては表象すること
さえ困難な「感情記憶」を抱えて引き裂かれたま
まである。
 孫歌らが開いた問題の地平を若者や市民ととも
に深めていくために、本来ならここから、大学教
育における平和教育や多文化共生教育の実践およ
び 展 望 を 検 討 し て い か な け れ ば な ら な い。
「PM2.5」や「中国製食品の安全性」、「韓国・朝
鮮人へのヘイトスピーチ」など、東アジアを取り
巻く諸問題をめぐって、学生たちの意見にはメ
ディアの影響を大きく受けた「既成の枠」が見受
けられるからである。ただ、学生自身も、自身の
認識や評価がメディアによって「作られている」
側面があることをかなりの程度自覚している。だ
とすれば、「平和教育」「多文化共生教育」が目指
すべきことは、「対象化された自己」をもう一段
<対象化>することにあり、孫歌らの問題提起と
響き合ってくるところがある。残された課題とし
て、次の機会に譲りたい。


(1)実際には、中国や北朝鮮の「社会主義」に
対する「冷戦思考」の残存という問題を取
り上げる必要があるが、意識の深層に入り
込んでいる現象であるため、別の論考を要
する。ここでは、社会主義諸国に対する
「一党独裁」「言論の自由の欠如」といった
批判が冷戦時代から継続するイデオロギー
的批判であること、また、中国への留学を
経験した学生なら、そのような批判はネッ
ト時代の中国の現実にまったくそぐわない
ものであることに気付いていることを指摘
しておくにとどめたい。
(2)外務省 HP:歴史問題Q & A「問6『南京
大虐殺』に対して、日本政府はどのように
考えていますか」http://www.mofa.go.jp/
mofaj/area/taisen/qa/08.html;「問5 慰安婦
問題に対して、日本政府はどのように考え
ていますか」http://www.mofa.go.jp/mofaj/
area/taisen/qa/05.html
(3)たとえば、日中韓3国共同歴史編纂委員会
2012。
(4)『読売新聞』2013年5月4日付朝刊「『侵略』
首相発言 沈静化図る 国内外で波紋 政
府 真意説明へ」。
(5)『読売新聞』2014年3月13日付朝刊「河野
談話 見直さず 菅官房長官 日韓『すり
合わせ』は検証」。
(6)歴史認識における「感情」への着眼という
着想は、精神病理学者の野田正彰による
「感情交流」アプローチから大きな示唆を
得ており、野田・張宏波らとともに共同研
究を行ったことがある(科学研究費補助
金:挑戦的萌芽研究「『東アジア共通の歴
史認識』構築に向けた『感情交流』アプ
ローチの応用研究」研究代表者:張宏波、
2011~2013年度)。小論はその成果を踏ま
--------
えたものである。野田1998、野田2009を参
照。
(7)溝口2000、戴・孫・高橋・酒井2000、代田
2000、古厩2001など。なお、これらの議論
を簡潔に整理したものとして、石井2013の
第一章を参照。
(8)東史郎は元日本軍兵士として「南京攻略戦」
などに加わった体験を、従軍日記をもとに
して出版した(東1987)。しかし、その内
容をめぐって1993年に元上官から名誉毀損
で提訴され、2000年に敗訴が確定した。東
史郎の日記の記述の一部に客観的証拠がな
いと裁判所が判断したことを受けて、裁判
で勝訴した側らは南京大虐殺という史実自
体が「捏造」だったと拡大解釈した。孫が
指摘しているのは、「良心ある日本人」の
中にも、東史郎の記憶には曖昧なところが
あり、慎重な対応が必要だとする声が少な
からず存在していたことである。
(9)日本側の一次史料のみに依拠して虐殺の存
在を実証した論考として、程兆奇2008を参
照。この論考は、2007年1月末に東京財団
が主催した「中国の歴史研究講演会」にお
いて発表された内容をもとにしているが、
成果の公表は見送られていた。その後、『人
権と教育』誌上に抄訳が掲載された。
(10)別の論考で、「私はもちろん、中日両国の
各界の人々や知識人が様々な形式で抗日戦
争の歴史について調査をしたり処理してき
たことを無視するものではない。またこの
歴史について中国と日本の学者間で行われ
た『共同研究』の成果を否定しようと意図
しているものでもない」と記している(孫
2002:65頁)。

参考文献

東史郎『わが南京プラトーン:一召集兵の体験し
た南京大虐殺』青木書店、1987年。
石井弓『記憶としての日中戦争:インタビューに
よる他者理解の可能性』研文出版、2013年。
マックス・ウェーバー(木本幸造監訳)『社会学
および経済学における価値自由の意味』日本
評論社、1982年。
徐京植『植民地主義の暴力:「ことばの檻」から』
高文研、2010年。
孫歌(坂井洋史訳)「日中戦争 感情と記憶の構
図」『世界』673号、2000年4月、158~170頁。
孫歌『アジアを語ることのジレンマ:知の共同空
間を求めて』岩波書店、2002年。
戴錦華・孫歌・高橋哲哉・酒井直樹「座談会 戦
争の感情記憶の壁:どう乗り越えるか」『世
界』681号、2000年11月、190~205頁。
代田智明「感情としての『加害の記憶』」『中国研
究月報』54巻11号、2000年11月、54~57頁。
代田智明『現代中国とモダニティ:蝙蝠のポレ
ミーク』三重大学出版会、2011年。
程兆奇(張宏波訳)「南京大虐殺=日中対話 日
本で出版された史料を概観する」『人権と教
育』49号、2008年、124~147頁。
ポール・トンプソン(酒井順子訳)『記憶から歴
史へ:オーラルヒストリーの世界』青木書店、
2002年。
成田龍一『「戦争経験」の戦後史:語られた体験/
証言/記憶』岩波書店、2010年。
日中韓3国共同歴史編纂委員会『新しい東アジア
の近現代史:国際関係の変動で読む 未来を
ひらく歴史』(上・下)日本評論社、2012年。
野田正彰『戦争と罪責』岩波書店、1998年。
野田正彰『虜囚の記憶』みすず書房、2009年。
古厩忠夫「『感情記憶』と『事実記録』を対立さ
せてはならない─溝口雄三論文への反論とし
て」『世界』692号、2001年9月、136~146頁。
溝口雄三「日中の対話 日中間に知の共同空間を
創るために──孫歌論文に応じて」『世界』
-------
679号、2000年9月、127~138頁。
溝口雄三・孫歌「対談 『歴史に入る方法』──
知の共同空間を求めて」孫歌『アジアを語る
ことのジレンマ:知の共同空間を求めて』岩
波書店、2002年。
吉田裕・森茂樹『アジア・太平洋戦争』吉川弘文
館、2007年。
吉田裕「戦場にせまる歴史学:従来の戦訓・戦史
研究を越えて軍事史のタブーをひらく」『図
書新聞』2894号、2008年11月15日。
吉田裕『兵士たちの戦後史:戦争の経験を問う』
岩波書店、2011年。
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