2020-02-26

エイジアン・ブルー 浮島丸サコン  謎をほっとくのは罪です。 - もっきぃの映画館でみよう(もっきぃの映画館で見よう)




エイジアン・ブルー 浮島丸サコン  謎をほっとくのは罪です。 - もっきぃの映画館でみよう(もっきぃの映画館で見よう)

エイジアン・ブルー 浮島丸サコン  謎をほっとくのは罪です。

森崎東監督(ニワトリはハダシだ) / 2005-12-24 15:51:27


タイトル:エイジアン・ブルー 浮島丸サコン/シネマ・ワーク
ジャンル:平安建都1200年映画をつくる会/1995年/111分
映画館:シルク・ホール(760席)
鑑賞日時:2005年11月12日(土),18:00~ 350人
私の満足度:60% 
オススメ度:60% 

<冒頭>
テロップ「1985年京都」
坂を駆け降りる若い女性。スカートの裾をゆらし、ハダシで
石畳を蹴りながら進む。前方に黒塗りの車。背広の男が、ちらりと
振り返り車に乗り込む。音を立ててドアがしまり発車。呆然とする女性のアップ。
「私が初めて愛した人は朝鮮人でした」
清水の舞台、深い谷底
「どうしてあんなに思いつめてしまったのか」
(男の声)「こざかしいことを言うな」
テロップ「10年後」再び清水の舞台
「あなたのせいですよ。おとうさん。平気で家族を捨てていって」
大文字。炎。海底に沈む大きな船。
メインタイトル「エイジアン・ブルー 浮島丸サコン」

<浮島丸事件について(当日宣伝ビラより引用)>
日本の敗戦から間もない1945年8月24日、京都・舞鶴湾で海軍特設輸送艦が爆沈した。
4千人とも6千人ともいわれる乗船者のほとんどは、青森県下北での厳しい労働から解放された、
帰国途中の朝鮮人だった。この爆沈で549人(政府発表)の死亡が確認されているが、
犠牲の痛みや重さを、どれだけに人々が知り感じ取っているだろうか。
映画「エイジアン・ブルー」は、この事件で犠牲となった一人ひとりに、人生があり、
家族があり、未来があったのだということを、現代を絡み合わせながら描いた作品である。
痛みと重さを戦後60年に生きる私たちに語りかけるために・・・。

<前置き>
浮島丸事件について私がはじめて知ったのは、昨年森崎東監督の「ニワトリはハダシだ」。
主人公家族のおばあさんハルメ(李麗仙)について娘のチンジャ(倍賞美津子)が
海をみながら話すシーンがある。「運よう助かってういとるもんは、漁師のオバサン達が
総出で船出して助けてくれた、女子供が先やぞう!と叫びもってな。そん時オモニが
助けられなんだらうちは生まれとらへん」「そやからうちは韓国人でも朝鮮人でも、
日本人でもない、この左波賀の海で生まれた左波賀人や」
このセリフにかぶせての島の映像が、同じ位置に島があり手前の海から船がマストだけを
つきだしているモノクロ写真をみて、本当にあった事件なんだと、さらに爆沈の原因はいまだになぞで、
アメリカの落とした機雷に触れたという説と、内部爆破(自爆)説があるということで
関心をもちました。そのことをブログに書いていたら、浮島丸事件を題材にした映画があるよと
コメントいただき、今回の上映会企画をみつけて行ってきたのでありました。

<感想>
かなりの期待をもって見に行ったのですが。。。
浮島丸のドキュメンタリー的なものを期待していただけにはずしてしまいました。
(ドキュメンタリーといえばこの事件のことをNHKが「爆沈」というタイトルで放送したことが
あるそうで、みたことはないのですが是非再度放送していただきたいものです。)
映画で中心に描かれているのは、浮島丸に乗っていた戦時中の朝鮮人労働者の下北半島での
過酷な労働と、父の足跡をたどる冒頭の女性の恋物語。うーんなんと言ってよいやら。
事件のシーンの再現を期待された方も期待はずれだったことでしょう。

でも、このような映画が「平安建都1200年映画を作る会」で企画され
この事件を広める役割をしたという意味では大きな意義があるといえるでしょう。
私の場合は、この映画でさらにこの事件について知りたくなりました。
例えば、浮島丸が青森を出発する場面で、必死に船に乗らないでくれと
呼びかけている人がいるんですね。冒頭のお父さんの若かりし頃なんですが、
「朝鮮人を無理やり返そうとしているとしか思えないんだよ」
「みなさん!この船の安全は保証されていません。乗らないでください!!」
これっていったいどんな情報が飛び交っていたんだろうとか考え出すと疑問が
次々でてきました。そもそもなんで青森から釜山にいくのに途中舞鶴によったんだろう?
他の朝鮮人労働者もこんなに早くに帰国の便が用意されていたんだろうか?
受け入れ側の釜山とは話が通じていたのだろうか?機雷と内部爆破の違いは
船体を調べればすぐにわかることではないのか?あるいは、目撃者の証言から
わかることではないか?いま船はどうなっているのか?などなど。
映画をみるまでは、そら戦後の混乱期ですから、いろいろあったでしょう
ぐらいに思っていたのですが、なんだか映画が消化不良だったので後日本を買いました。

<本:「浮島丸釜山港へ向かわず」金賛汀著2243円かもがわ出版>
この本、なかなか情報満載で、事件をとりまくかなりのことは分かりました。
例えば、船に乗っていた多くの人は、朝鮮人労働者とその家族で、この船のあとは
いつ次の船がでるかわからないとか、今後は配給がもらえないといわれたこと。
また、日本側は彼らが暴動をおこすのではないかと恐れていたこと。
乗組員は日本人で、釜山まで行けばソ連がきているかもしれず、生きて帰れるか
どうか不安におもっていたこと。
「8月24日18時以降の船舶の航行禁止命令」というのがあり、それを21日夜
出港前に知っている乗組員がいたこと。などなど。。。

ということは、勝手な推測かもしれませんが、朝鮮人帰国者は、戦争が終わって
お祭りムードのなか早く祖国へ帰りたいと思ううえに、追い出された形で船に乗り、
日本人乗組員側はできることならいきたくないと思っていたことでしょう。さらには
釜山湾の海図もなく、青森(大湊)と釜山の航海経験者もなし。それで、
青森から直接釜山へは向かわずに、日本海近海を南下して船舶の航行禁止命令が
降りるのをまって、うまくその時期になったので舞鶴港へ入ろうとした、そして爆沈
ということなのでしょう。

<原因は?>
でも、沈没の原因の肝心なところになると、前述の本でもほとんど触れられて
いませんでした。単純に、爆発が船の内側で起こったのか?外側でおこったのか?
さえ判断するのに十分な情報はありませんでした。

まず、外部で爆発したのなら、水しぶきがドバーッとあがりそうなものですが、
それをみたという証言は、前述の本でもひとりだけで、みていないという人が多数。
そして、浮島丸は数年後に引揚げられているのですが、そのときの証言としては
前述の本など多数に、穴が外側にむかっていたとの指摘があるものの、写真や
穴の大きさ、船体での穴の位置などの情報はみつけられませんでした。

さらに、いろいろなHPを見ていると、以下のように全く逆の証言もあるんですね。

日本戦略研究フォーラムHPより
私は、二十年ほどまえに「浮島丸事件」を調査したことがある。
浮島丸の船底にある穴は、鉄板が外から船の内側に向かって開いているの
だから内部爆破ではない。だとすれば機雷以外には考えられない。
http://www.jfss.gr.jp/jp/zuisou_7j.html

こうなると、やはり謎なんでしょうが、政府発表でも戦後の日本海難史上2番目に多い、
死亡者数549名という大事件又は大事故(実際には二千名以上との説もあり、
だとするとタイタニックより多い)にもかかわらず、日本政府は?
・事件は8月24日なのに、10月8日まで発表せず。
・船体引揚げ時にも、沈没の原因究明をせず。
この二つだけでも罪ではないかという気がします。
いまからでも、謎に迫る方法はないものか?

以下は関連のHPです。

アジア・ワイド・コミュニケーションHP(予告編あり)
http://www.awc-jp.com/lineup/asianblue/main.htm

シネマワークのHP
http://www.cinemawork.co.jp/cwhp/list/asianblue.htm

ニワトリはハダシだのHP(疑問リストのなかで浮島丸事件についても書いていますが
残念ながら途中で途切れています。)
http://hadasi.jp/newfilm/whats/list/list.html

人権に取り組むHP(浮島丸事件の判決要旨、新聞記事など詳しい)
http://www.infoaomori.ne.jp/~birdcall/h/ukishimamaru_jiken.html

以上、久々に書いてみると時間がかかりましたが、映画をみたときや本をよんだときのことが
思い出されて少し、整理できた気がします。
メリー・クリスマス!!

No comments: