2021-02-04

日本経済論の誤解―「系列」の呪縛からの解放 | 芳朗, 三輪, ラムザイヤー, J.マーク, Ramseyer, J.Mark |本 | 通販 | Amazon

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日本経済論の誤解―「系列」の呪縛からの解放 (日本語) 単行本 – 2001/8/1
三輪 芳朗  (著), J.マーク ラムザイヤー  (著), J.Mark Ramseyer (原著)5つ星のうち3.1    2個の評価
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単行本
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本の長さ
432ページ

商品の説明
メディア掲載レビューほか
日本経済論の誤解 「系列」の呪縛からの解放
著者である三輪芳朗・東京大学大学院経済学研究科教授とラムザイヤー・ハーバード大学ロースクール教授は、日本の構造改革の前提となっている経済の仕組みに対する理解、すなわち「日本経済論」が誤解に満ちていると指摘する。誤解の根は深く、明治以降の「通説」や「通念」そのものが100年以上の長きにわたって誤りの上に成り立ってきたという。
 本書では、「銀行主導型経済発展」が誤った「通説」を象徴するものであり、それを前提とした批判や改革案が危険であることを論理的、実証的にひもといていく。

 まず、「系列」「企業集団」「財閥」「メーンバンク」など、悪しき旧体制を示すとされる表現の本質的な意味を正確に定義する。

 そのうえで、「系列融資」に関しては「『系列金融機関』はあたかも1つの金融機関であるかのように行動する」との一般的な通念が、実は実態と合致していないということを証明していく。

 「旧式の通念に深く染まった研究者や『日本経済通』『物知り』は、読者対象とせず」ときっぱり述べている点もユニークだ。“知的挑発”として受けて立つ価値のある1冊だ。


(日経ビジネス 2001/09/17 Copyright©2001 日経BP企画..All rights reserved.)
-- 日経BP企画

内容(「BOOK」データベースより)
本書は、「銀行主導型経済発展」によって象徴される一連の「誤解」に焦点を合わせ、その「誤解」について説明していきます。
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登録情報
出版社 : 東洋経済新報社 (2001/8/1)
発売日 : 2001/8/1
言語 : 日本語
単行本 : 432ページ
ISBN-10 : 4492393501
ISBN-13 : 978-4492393505
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カスタマーレビュー: 5つ星のうち3.1    2個の評価
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上位レビュー、対象国: 日本
5つ星のうち2.0 木を見て森を見ず(各論ばかりで概要なし) かつ 森を見て木を見ず(市場の妄信)
2007年8月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
戦後から高度経済成長期の金融に興味があり、ネット上で薦められたので読んでみたのだが…全くの外れ。
1.筆者が通念と断じている『系列』や『メインバンク制』や『企業集団』は自分の想定しているモノなどと全く違うものだった。
自分が信じていない通念の間違いをしつこく論われても『そうだね』としか言いようが無い。
まあ系列など昔はこんなものを信じていた人がいたんだと、勉強にはなった。

2.無条件市場肯定主義
これが正直付いていけなかった。
戦後の銀行を主題に取り上げながら預金金利、出店、融資金利の全てに規制を敷いていた護送船団方式には全く触れていないこと、そしてそんな統制制度の下での仕組みを無条件に全肯定する事に違和感を覚えた。
私は市場原理主義者だが、市場とは正しく有益に機能する条件を整備してこそ真価が発揮されるモノだ。それらを無視もしくは著しく軽視したまま市場活動を肯定する筆者の意見は理解できなかった。

私は戦後の高度経済成長の下では、コーポレートガバメントや審査能力など存在しなかったし、必要もなかったと思っている。極論すれば、事業などちょっと能力のある人ならば誰がやっても成功するというのが高度経済成長期だろう。
そして当時の銀行は、金融配給事業の外部委託を国から任されていた配給業者に過ぎなかったと思うわけで、そこら辺の内容を求めて読んだだけに全く期待はずれだった。
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カスタマー
5つ星のうち5.0 日本経済論に関する「偶像破壊」
2003年6月3日に日本でレビュー済み
 日本経済システムを特徴付けるものとして「銀行主導型経済発展論」「産業政策型経済発展論」の2つがある。近年著者たちはこれらの見解に対して批判検討を加える研究をしているとのことで、本書はその啓蒙書バージョンであり「銀行主導型経済発展論」に焦点を絞っている。続編の『産業政策論の誤解』が後者だ。
「銀行主導型経済発展論」としては古くから「系列」「企業集団」「メインバンクシステム」「モニタリング」などがある。例えば、「メインバンクシステム」とは、経済全体が銀行の「モニタリング」を通じて効率的な社会的資源の分配が達成される事、とされる。これらを根拠付けるアカデミズムの研究に、Hosi,Kashap,Scharfstein(1991)がある。これは日本の6大企業グループを実証研究し「メインバンク関係!が日本経済における企業行動に重大な影響を与えている」という結論を導居た事で有名だが、この研究には3つ反論が提示され著者たちはいずれも「有効である」と結論付ける。論文の「系列」の定義が極めてあいまいだと言うのだ。
 
 研究では岡崎哲二・奥野正寛『現代日本経済システムの源流』(1993)やAoki and Patrick eds. The Japanese Main Bank System,1994,があるが、これらを「メインバンクシステムの主張のほとんどが『系列融資論』の焼きまわしに過ぎない」と喝破し「注目に値する果実は乏しい」と手厳しい。
 本書の批判を踏まえると、昨今議論されている「構造改革論議」にも深刻な影響を与えるだろう。なにしろ「かつては有効に機能したが、環境条件の変化への適応に失敗して崩壊した」とされる「現行システム」が、もともと存在しなかったり、有効に機能していないとすれば「再構築」「構造改革論」は再検討、修正を余儀なくされるからだ。(P17)
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