2021-03-29

東大・上野千鶴子祝辞だけじゃない 心に残る学長のスピーチとは? (1/5) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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東大・上野千鶴子祝辞だけじゃない 心に残る学長のスピーチとは?






小林哲夫2019.4.24 17:30dot.







京都精華大の入学式で式辞を述べるウスビ・サコ学長(2018年4月)







国際基督教大の入学式で式辞を述べる日比谷潤子学長(2019年4月)







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 東京大入学式での上野千鶴子氏による祝辞が注目されている。

 なかでも、東京大生に向けた、「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください」(4月12日)は、大きな話題となった。

 だが、上野氏ばかりではない。今年の大学入学式では、上野氏と同じくらい、いや、それ以上にインパクトがある式辞を行った学長がいた。何人か紹介しよう。

 京都精華大のウスビ・サコ学長は、アフリカ・マリ共和国出身である。今年の入学式でのサコ学長のメッセージは強烈だった。

「京都精華大学が開学された1960年代は、日本だけでなくアジアやアフリカでも『自由』と『人間尊重』のための様々な運動が起こり、一定の成果を収めました。しかし昨今、近代の時代が作り出した国民国家が、グローバル化によってその限界をあらわにしており、そこにかつて共生していた民族間の葛藤が発生しています。(略)

 私の出身国であるマリ共和国でも、つい先月、民族間の対立により、特定の民族が別の民族の村を焼き打ちし、150人以上が殺害される事態が起きました。殺し合いがあった民族同士は長年共存し、互いの価値観を尊重してきたはずです。

 グローバル化は、因襲的な束縛から個が解放される一方で、地域紛争や民族対立が顕在化し、経済格差が広がり、人びとに不安や分断をもたらしています。また、国際社会の秩序の乱れ、地域格差の拡大などの課題も顕著になり、悪化した生活環境で教育が受けられない子どもも増加しています。新入生のみなさんには、これらの問題を自分たちが生きている社会の課題として捉えていただきたいと思います」

 サコ学長は最後にこう締めくくっている。

「南アフリカの反アパルトヘイト運動を主導したネルソン・マンデラ氏の教育に関することばを贈ります。

――『教育とは世界を変革するために用いることのできる最も強力な武器である』」(4月1日)

 説得力がありすぎる。入学式の式辞でネルソン・マンデラを引き合いに出すのに、サコ学長はもっともふさわしい人物と言えるだろう。

 サコ学長は、昨年(2018年)の入学式の式辞で、ドイツ出身の哲学者、思想家のハンナ・アーレントのことばを引用している。大学は全体主義の考え方を否定する、と宣言した。

「ハンナ・アーレント(Hannah Arendt)は人間性を次のように述べています。『“人間性”とは、人間同士が“互いに異なった個性をもつ人間である事を認め合う事”。そして全体主義とはその人間性を破壊するもの』だと定義しました。京都精華大学は、アーレントと同様に個々の人間の尊重を前提にし、全体主義を否定する立場をとります。(略)

 本日、みなさんと協働で大学を運営することになります。私はマリの教育課程を経て、持続的に考えてきたのは、自分の可能性を信じ、人間としての自由と自立を求めることです。自分の可能性を信じれば、生まれ育った環境が異なっても、人間同士の協働は可能なはずです。しかし、人間同士の不調和によって、世界中で様々な問題、アラブの春、シリア騒乱、無差別テロなどが多発しています。今日、世界中で近代システムのモデルとされている国民国家の限界が現れており、価値観や文化の違いによって様々な問題が発生しているのです。これらの影響が及ぶ範囲で、十分な教育が受けられない子どもが増加し、『人格がある人間』と見られない人々も増加しています。つまり、みなさんと話をしているこの瞬間にでも、その人格が否定され『奴隷』として、人間がどこかで売買されています。近代システムが我々の可能性を拡大する一方で、私たち人間としての存在を脅かしているように思います。

 京都精華大学が考える『人間尊重』は、この大学の中だけに留まるものではありません。岡本清一初代学長の『教育の基本方針に関する覚書』にも『人間を尊重し、人間を大切にすることを、大学の教育の基本理念とする。この理念は日本国憲法および教育基本法を貫き、世界人権宣言の背骨をなすものである』と書いてあります。京都精華大学は世界人権宣言を尊重するということです」(4月1日)

 ハンナ・アーレントは全体主義のあり方を解明するなど、社会を変革しようと考える人々に大きな影響力があり、若い世代からも支持されている。いま、日本の大学は国の政策に従わざるを得ない側面があり、どの大学も同じようなカリキュラムを打ち出している。こうしたなか、アーレントを引用する、サコ学長のことばは重い。

 同大学には上野千鶴子氏が助教授、教授として教壇に立っていた。上野氏は東京大祝辞のなかで、人間尊重という観点から、東京大生に「恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助ける」ことを訴えたが、これは、京都精華大の教育基本理念である「人間を尊重し、人間を大切にする」という考え方に通底する。
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上野氏と同じようなことを新入生に訴えた学長がいた。国際基督教大の入学式の式辞で、日比谷潤子学長はこう説いている。




「今の日本では、ほぼ2人に1人は4年制の大学に行くわけです。このような時代に学生生活を送ることになる皆さんの中には、大学、とりわけ学部に進むのは、ある程度当然と思っている人もいるかもしれません。しかし現実には、経済的な困難等、本人の能力とは関係のないさまざまな事情で進学を諦めざるを得ない人も少なくありませんし、広く世界に目を向ければ、高等教育はおろか、初等・中等教育段階で学校に行けなくなってしまう人々も、残念ながら、少なくありません。幸運にもこれまで教育を受け、今日大学院に入学した人を含め、さらに進学する機会を与えられた皆さんには、一体何が求められているのでしょうか。(略)




 神と人とに奉仕するため、言い換えれば、『受けるよりは、与える方がさいわいである』ことを忘れず、自分に課せられた務めを忠実に果たすことによって他者や世界に貢献するためです」(4月2日)




 上野氏は東京大祝辞で、女性がまだまだ差別されている現状を訴えていたが、これに関連して、恵泉女学園大の大日向雅美学長も入学式で警鐘を鳴らしていた(2018年)。政府による男女平等社会へ向けての政策に疑問を呈し、女性の活躍を追い求めている。 




「私は人が社会の中で生きていくうえで、女性・男性という性別を厳密にすることには基本的に賛成ではありません。女性・男性を超えた人としてのあり方が尊重されるべきだと考えております。それでいて、なぜ、あえて『真の女性活躍』という言葉を使うのか、そこには二つの理由があります。




 まず一つは、今、国をあげて言われている女性活躍にやや疑問があるからです。官庁や大手企業、あるいは政治の中枢等の社会の表舞台に立って活躍する女性に光が当てられています。女性が決定権をもつポジションにつく意義が大きいことは確かですが、しかし、女性活躍として真に目指されるべきものは、ただ華やかな表舞台で決定権をもつ活躍だけとは限りません。




 人生は地道なことの積み重ねです。大切な家族のため、地域のために、人を支え、また支えられて生きることの意義も忘れてはなりません。そうした経験の積み重ねが表舞台に立つチャンスをつかんだ時、周囲の方に細やかな思いやりを注ぎ、ご自身はもとより、周囲の方にも力を発揮してもらえる真のリーダーとなれると考えているからです」

恵まれない人々、弱い者を助ける。それは、エリート層の義務である。これはヨーロッパ貴族の考え方として有名な「Noblesse oblige」(ノブレス・オブリージュ)に近いものがある。権力があり上に立つ者は、その対価として果たすべき高貴な義務がある、などと解釈される。

 大学で多くを学び、やがて社会で指導的な立場になったとき、弱い者に目を向けて助けなさい。東京大の上野氏、京都精華大のサコ学長、国際基督教大の日比谷学長、恵泉女学園大の大日向学長は、みな、そう伝えたかったのだろう。

 大学の入学式の学長式辞、来賓祝辞ではさまざまなことが語られる。その内容はおおまかに言えば次の三つに分かれる。(1)自校の歴史や伝統、教育や研究内容、最近の動きを伝える。どうしても自画自賛的なところが多くなる。(2)自らの教育観を示す。大学に入ったらどのような勉強をしたらいいか、どのような生活を送ったらいいかを諭す。(3)社会状況、世相について独自の見解を示す。または、古典、話題の人物を取り上げて、自分の主張を訴える。

 学長式辞、来賓祝辞は、あまりにも当たり前すぎて新入生にとって眠くなるような内容もあるかもしれない。そんななかでインパクトがある式辞があったので紹介しよう。

 関東学院大の規矩大義(きく・ひろよし)学長のメッセージである。
 
「『本学は1年生からキャリア教育を推進しています』などといった宣伝文句に踊らされたり、騙されてはいけません。それは『準備』であって、『学び』ではありません。仮に特定の資格と直結している学部であったとしても、大学生活を就職という出口だけを意識した準備の4年間にしてよいはずがないのです。

 実力とは決して、少しばかり計算技術に長けているとか、プレゼンテーション能力が優れているとか、そうしたテクニックを指しているのではありません。もちろん、それらは社会に出てから、皆さんの助けになるかもしれません。しかし、それよりも、大学生としての教養、見識、知性を一歩ずつ、着実に身につけ、磨いていくこと、これに勝るものはないのです。それは『この本を読んだから』とか『この講義を受けたから』といったように、一朝一夕に身につくというものではなく、むしろ、物事に対して真剣に向き合い、知識や技術を修得しようとする継続的な行動を通して、初めて得られるものです。具体的に『どの知識』などと指し示せるものではありません」(4月2日)



また、広島大の越智光夫学長はこう話した。




「高度な科学技術の進歩は、私たちの生活を飛躍的に向上させる一方で、人間の生命・身体の安全を脅かす負の側面への懸念も強まっています。核兵器がまさにそうですし、最近では『ゲノム編集ベビー』の誕生など、先端技術への不信を高める行為が起きています。広島大学は、社会との開かれた対話を進めながら、新たな科学技術の安全性や倫理面にも全力をあげて真摯に向き合ってまいります。




 平和の時代を創造するために、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士、朝永振一郎博士らが呼び掛けた1962年の『第1回科学者京都会議』の声明に、次のような一節があります。




『科学は私たちの生きている世界に内在する真理の発見によって、人類に貢献してきた。しかし、科学にもとづいて技術的に実現し得ることのすべてが、人間にとって、また人類全体にとって望ましいものとはいえません。科学の発見した真理を、人類の福利と平和にのみ役立てるためには、科学者を含むすべての人が、科学の成果の誤用、悪用を防ぐことに不断の努力を続けなければならないのであります』




半世紀以上を経てなお、その内容は全く色あせていないことに驚かされます。これから大学人となられる皆さんにも、心に留めていていただきたいと思います」(4月3日)




 関東学院大の規矩学長は、大学は就職予備校ではないことに釘を刺している。広島大の越智学長は被爆地からのメッセージとして平和の大切さ、科学技術の安全性や倫理性を説いている。




 大学の入学式でだれが何を語ったか。その大学の思想に触れられる。そして、大学がどれだけ社会と密接につながっているかを知ることができる。上野氏の東京大祝辞を機に、学長式辞、来賓祝辞を読むことをおすすめしたい。




<各大学の祝辞、式辞はすべて大学ウェブサイトから引用>




(文/教育ジャーナリスト・小林哲夫)

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