2021-03-28

Amazon “癒し”のナショナリズム―草の根保守運動の実証研究

Amazon.co.jp: “癒し”のナショナリズム―草の根保守運動の実証研究

From Japan

Reviewed in Japan on August 21, 2003
 小熊氏にとって「戦後民主主義」は、ナショナリズムの否定ではなく、自立した個人を前提とした近代型ナショナリズムを志向した思想である。そのような立場からは、「つくる会」は「なんとなく保守」という「ナショナリズムもどき」に映る。
 もともと「保守」という立場は、「伝統」や「普通」といった、既成事実を基盤とする感覚に根ざしている。しかし確たる「伝統」や「普通」は、どこに存在するのか。存在しない「伝統」や「普通」を求めて、漂流するしかない存在となっている。(210頁)
 もっと身近なことでいえば、若者が携帯電話をかけて目障りだとか、そういうことを批判したくなったときに、「戦後」とか「近代」とか「市民社会」の批判をしているように読めます。(60頁)
 これら辛辣な批判から、「戦後民主主義」を曲解されているという苛立ちを感じた。
 著者は、従来の「政治の語り方」「歴史の語り方」への懐疑と違和感をもつこと自体は否定しない。著者が否定するのは、自らを「普通」という安全地帯においた上で<普通でないもの>を排除することによってアイデンティティを保とうとする精神だ。
 <あなた>が<普通でないもの>として発見されてゆくことがありえないとは、誰にも保証できないのである。(221頁)
 必要なことは、群れることではなく、「価値観の揺らぎ」という居心地の悪さを自覚し、「自由からの逃走」に陥らないことなのだろう。
Reviewed in Japan on May 19, 2005
阿部潔氏著「彷徨えるナショナリズム」において『技術立国として戦後から決して途切れていなかった「ナショナルな自負」が高度成長の終焉とグローバリゼーションの不安』から保守回帰のアイデンティティを指摘しているが、本書はそれを身近な視点から考察した良書だ。本書の内容にある「海外体験」とズレるのだが、私的な知人はほぼバックパッカー同然に米国10年在住後の現在、本書に描かれた「史の会」の方々とほぼ同等のメンタリティに変化してしまった。何物であるかを問われる海外生活とともに実業のキャリアも積んで居ない不安。恐らくはそれこそが、「からっぽの自分を埋める『日本の伝統』」だったのだと思う。個人的資質もあると思えるが、その姿勢は反対するものに対して非常に攻撃性を隠さない。しかしだ。本書内の「公民教科書」解読にあるよう、日本の保守論客、西部氏、佐伯氏の立脚点は明らかにイギリス型保守主義=ノーブレスオブレッジ=「10万人に一人程度の優秀な保守主義者がリーダで国家を堅持し、その他大勢はそれに従う」というスキームがブレイクダウンさえざるを得ない面も否定できない。いまだ嘗て保守思想が制度と構築された事はないが、その結果、「国家を堅持する存在としてお前は不用」と排除された時、自分は正しいと思っていた大部分の「保守思想者」はどんな顔色を見せるのだろうか.....。グローバリゼーションと不況の狭間で揺れる「ナショナルへのしがみつき」が原理的に『根源的な自己評価を担保してくれる』内実では決してないだろう。その中でどのようなバランス感覚を保つのか。本書は我々の安易な「自我」を映す合わせ鏡となる。
TOP 50 REVIEWER
Reviewed in Japan on October 10, 2019
 本書は「新しい教科書をつくる会」に呼応して成立した地域単位での勉強会である「史の会」に著者の上野氏が参与観察してまとめた論文を教官の小熊英二氏が論文を付け足すなどして単行本化したものだ。子連れで懇親会に参加した女性が「こんなウヨクばかりに囲まれて育って、うちの子はどうなっちゃんだろうねえ。」と発言している場面が、その後のネトウヨのヘイトデモの様相、そこに端を発するヘイトの日常化などから振り返るととても牧歌的に感じる。なんなんだろうなあ。
 英国海軍がロイヤルソブリン級が竣工させて前ド級艦の時代が始まったのが1892年であり、同じ英国海軍がトレッドノートを竣工させてド級艦の時代を始めたのが1906年。この14年で前ド級艦は旧式な歴史の遺物になってしまった。同様の時間経過で日本社会はネトウヨが猖獗を極めるかと思ったら、社会そのものがネトウヨ的になってきているように感じてしまう。
TOP 1000 REVIEWER
Reviewed in Japan on June 26, 2016
話題の書、菅野完著『日本会議の研究』(扶桑社新書、2016年刊)で本書を知り、早速読んでみた。本書は、保守派の運動「新しい教科書をつくる会」の草の根支援団体(「つくる会」神奈川県支部である「史の会」)の運動を通じて、日本の右傾化の状況(ただし2000年頃)を分析したものである。慶應大学小熊氏のゼミ学生である上野氏のフィールドワーク報告書およびそれをナショナリズム論の立場から分析した小熊氏の論考とから構成されている。「つくる会」の活動の初期にその特異性に注目し、分析を行った両氏の慧眼に敬意を表したい。本書の問題提起は、十数年を経て第二次安倍政権の誕生とその下での右傾化の急進展として現実の問題となった。

上野氏が参加観察した「史の会」は、毎月日曜日の午後に開催される、公称「歴史に関する勉強会」で、外部講師による講演とその後の質疑応答が主な活動であり、一部有志による飲み会での交流もある。「つくる会」の支部だけあって、当時の歴史教科書に対する批判や「つくる会」教科書の採用支援が議論の中心である。年齢は20代から70代まで幅広く、平均年齢は40歳である。会社員や主婦が中心の、一見ごく「普通」の人々である。

上野氏は「史の会」参加者たちの言葉を次のように分析している(第三章)。(1)肯定的言葉群:良識的、普通の感覚、健全なナショナリズム、庶民、日本人としての誇り、伝統、産経、石原慎太郎(靖国参拝のときに顕著)。(2)否定的言葉群:左翼・サヨク、市民運動家(ヒステリックという形容詞を多用)、人権主義、朝日、マスコミ、官僚(「弱腰外交」を含む)、一部政治家、社民党、共産党、中国、韓国、北朝鮮。

これらの言葉群により、「史の会」参加者たちは現在に続く右傾化層の先駆けであり、日本会議に結集している人々の意識とほとんど一致し、また排外主義団体やネット右翼とも思想的近隣関係にあることが分かる。

上野氏は、「史の会」参加者を、(1)サイレント保守市民(勉強のため参加)、(2)市民運動推進派(拉致問題や夫婦別姓問題で活動)、(3)戦中派(戦争体験者)、に分け、(2)と(3)を合せても2割程度の少数派と推定している。また各参加者にインタビューして参加目的や活動内容を確認している。さらに、上野氏の調査で興味深いのは、新聞・雑誌等の調査結果である。購読紙が産経のみ(45%)および読売・産経(14%)の両者を合わせて50%を超える。また雑誌『正論』や保守派論客・文化人(藤岡信勝氏や小林よしのり氏)の著作を読んで影響を受けた人も多い。右派の実態をよく現した調査結果といえる。

本書を通して浮かび上がったのは、近年の右傾化の底辺にあるのが「国家との一体化願望(幻想)」に生きる人々である、といってよい。真面目で、自らの歴史認識の偏狭さへの自覚がなく、観念的であり、生活全般(暮らし、家族や友人、恋愛、文学、芸術、スポーツなど)への関心が薄いことに特徴がある。戦前に国家が作りだした「模範的日本人」(国家教・天皇教信者)が、タイムスリップして現在に復活したかのような不気味さがある。

日本国憲法の下では、思想や宗教の自由が保証されているので、保守派(に限らない)がどのような思想や宗教を持とうが自由である。しかし問題なのは、保守派から一歩進んで極右化した人々(現在の政権政党およびそれを支える日本会議)が、戦前の国家教・天皇教を復活させるかのような明治憲法(まがい)への改憲に執着し、全体主義国家を目指していることだろう。国民の圧倒的多数がそのような全体主義国家を望んでいないのにもかかわらず、日本会議に連なる人々が議会制民主主義を乗っ取ろうとしていることに危機感を持たずにはいられない。
VINE VOICE
Reviewed in Japan on September 30, 2006
「史の会」という、「つくる会」の一地方組織に自ら参加、インタヴューすることでなされた実証的研究。小熊も言うように、著者上野陽子の真摯な態度が、このフィールドワークの成功の秘訣だろう。

この研究によって、「つくる会」を草の根で支える人々の、極めて「普通な」実像が明らかにされている。彼ら彼女らは、概して天皇制にクールだし、決して特定のイデオロギーで染まってはいない。「つくる会のスタート時は、これから新しい風が吹く、っていう感じで皆ワクワクしていたのね。」(P98)そういう気分で始まったこの運動も、用意には結果に結びつかないことが判明するや多くの人がさっさと脱退していく。「運動」よりも「私生活」を重視する、など、「公」の再構築を訴える「つくる会」の主張とは裏腹に極めて「現代的な」市民の姿がある。

「史の会」における「戦中派」と若者のすれ違いも興味深い。若者は、アイデンティティの核を求め、「目には見えない「国」に憧れを抱き、「伝統的な」と銘打たれた保守思想に安心感を覚え、日本人としての誇りを持てる「物語のような」歴史を待ち望んでいる」。そんな彼らにとって、戦争体験者の「リアリティ」はむしろ障害でしかない。彼らは、日本の戦争における英雄が英雄視されない理由として、「戦中派」がまだ生きていることを挙げている。「「戦中派」が亡くなって、抽象化されて初めて人は戦争に正しい評価を下すことができる」という。

極めてグロテスクだが、「歴史とは何か」「ナショナリズムとは何か」を考える上で非常に示唆的だ。小熊も言うように、「記憶」を抹消した上で、都合のよい「抽象化」をした「歴史」は正しい歴史、「正しい評価」と言えるのだろうか。

日本人の歴史認識というものを考える上でとても面白く、かつ有意義な一冊であった。
Reviewed in Japan on August 18, 2004
巷によくある「自由主義史観批判本」と似たり寄ったりの内容だろうと、
今まで、あえて読まないでいたけれど、なかなかどうして面白い。
「自由主義史観」を旧来のナショナリズム的言説と同様のものと片付ける
ことをせず、その主張における「天皇論」や「常民像」の欠如を指摘し、
思想的に「寄りあい所帯」の「つくる会」がやがて内部分裂することを
予見した小熊氏の見識はみごとだ。
また、年代による戦争や国家への認識のギャップ、教科書採択運動への
期待と評価、そして個々人が抱える「空白」を、自由主義史観の支持団体
と支持者を考察した学部生のエスノグラフィーも、たいへんに新鮮で
面白い結果を明らかにしている。
社会学的な観点から近年のナショナリズムの浮揚に対するヒントを
与えてくれる良書と言えるだろう。
Reviewed in Japan on September 14, 2011
1.内容
核心部分は、上野陽子さんが書いた第3章と、それを解説した第4章。レビュアーなりに要約すると、「『新しい歴史教科書をつくる会神奈川県支部有志団体史の会』」は、普通の市民を自称しているが、全国の傾向と比べて、産経新聞読者が多い(p153,p154)など、決して普通ではない。その中で、言葉が通用する人間だけで集まり、異端なものは「サヨク」(p89)などと排除する。しかし、「サヨク」と似ている、ミーイズム的なところがあるし、異端排除の傾向は、たとえば、『新しい歴史教科書』の採択率が思ったより低いと、「『つくる会』運動」(p167)のほうに向けられることもある。このように、自分は普通であるとし、理解できないものが出ると排除する傾向は、現代日本人の相当数が持つ傾向である。その他、『新しい歴史教科書』関係の小熊さんの論考が第1章と第2章。
2.評価
感じで申し訳ないが、本書で述べられているような「普通の市民」というのは相当数いるという本書の論考は、説得力があった。そしてそれが、根拠薄弱な伝統などを追いかける自分探しであったり、社会的無知であったりすることも、私の感じと一致した。もちろん、実際は違うかもしれないが、本書の主張を「なるほど」と感じる人は結構多いものと思う。というわけで、読者の多数が満足できる出来と思われるので、星5つ。
Reviewed in Japan on May 19, 2009
上野陽子さんが保守派の市民団体を相手に行なった参入観察の記録.著者は二次会まで呼ばれるほど調査対象に溶け込んでいる.人柄の良さもあるのだろうが,普通できることではない.調査方法が組織的でない,質問が画一的,また表面的,と批判はいろいろあるだろうが,ベールに覆われた保守派市民団体に集うひとが(意外に?)フツーの人だったとはオドロキである(最初から分かっていた,という声が聞こえてきそうだ).分かっていたことかもしれないが当事者のナマの声が採録できたのは大きな功績だとおもう.小熊先生の解説は正直なくもがなでカットしたらもっと薄い本にできただろう.それでも,上野さんのリポートが共著というかたちで世にでたのは小熊教授の尽力あってこそだと思う.
Reviewed in Japan on October 6, 2003
 これまでに「新しい歴史教科書」に対する批判は山ほど出されてきたが、それはほとんど製作サイドに対する批判だった。やれ資料や史実の選択に偏りがある、やれ最新の歴史学の成果を取り入れていない、アジアとの共存の視点に欠けている、などなど。中には「こんな教科書を使うと受験に受からない」というずいぶん実もフタもない批判もあった。 どれももっともだが、そこには一つ重要なものが欠けていたように思う。それはこの教科書の需要サイド、つまり従来の歴史教育を何らかの形で「おかしい」と考え、「新しい教科書」の登場を待ち望んでいた人々に対する視点である。実際、かなりの広範な支持がなければ検定・市販にまでこぎつけることはできなかっただろうことを考えると、教科書自体があれだけマスコミの注目を浴びた時に、その登場を支持した人々への注目がもっとなされてもよかったと思う。
 著者の一人である小熊さんは、比較的早い時期から「新しい教科書(あるいは「つくる会」)そのものよりも、そのメッセージに吸い寄せられる人々の存在に注目した鋭い発言を行っていた(本書第1章)。本書は、小熊さんのゼミ生の上野さんが行ったフィールドワークの結果によって、小熊さんがこの問題について示してきた仮説への裏づけが与えられる、という構成になっている。フィールドワークのやり方には疑問の余地もあるだろうが、こういう試みが今まで全く見られなかった中では高く評価されていいだろう。特に、「フツーであること」に強いこだわりを持つゆえに、フツーではないものを見つけて排除するこち?によって「癒し」を得ようとする、そんな「フツーの人々」こそが「新しい教科書」を支えていた、という本書のメッセージは重要だと思う。
Reviewed in Japan on March 11, 2004
マスコミなどで噂になってるのを見聞きしていましたが、
実際どういう団体なのかよくわかっていませんでした。
そんな”新しい歴史をつくる会”について、教科書を
読んだ方の分析を読むことで、この会が何を軸に、そして
何を求めているのかを知ることが出来ます。
また、つくる会の下位団体に当たる神奈川の史の会に
参加して調査した結果を提示していて、そこから端的に
二つの会の類似性と相違性をまとめてくれている。
会に参加する人の考えには、たくさんの矛盾があり、
突き詰められた考えに基づいているようではないみたいだけど、
にもかかわらず、このように大きな話題となるところに今の社会の
情緒的な部分での微妙な不安定さを感じました。

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