2021-02-04

ある友人への手紙  「親密性」に関する経済学的研究

ある友人への手紙

ある友人への手紙

今井 亮一

2003/02/18

「結婚や親密性に興味があり、これから詳しく取り組んでみようと思うテーマです。(ディサテーションのテーマにしようと思っています。)いろいろ ご教示下さい。 」

最近は、学際的研究というのをやると、研究費がもらいやすい、ということで、 法学、経済学、社会学を横断する研究会というのが流行っています。ぼくも、 結婚・離婚法制に関するプロジェクトと いうのを、近く、法学者、社会学者を誘ってやりたいと思っています。 というのは、会社法の経済分析、労働法の経済分析、というのは 結構やられているのですが、民法(家族法)の経済分析というのは、 日本ではほとんど手が付けられていないんです。

「親密性」に関する経済学的研究というのがあります。先日、 私がたまたまrefereeをした論文は、愛情を、家庭内生産物分配の 交渉ゲームにおける交渉力を決める要因として分析したものでした。 平たく言えば、惚れた方が負け、ということです。愛情を注ぎ込むと、 家庭内生産物の分配が不利になり、一方的に貢がされることになるが、 パートナーを求める同性間の競争を勝ち抜くため、そうせざるをえない、 ということです。

これは、それ自体としては、パートナーシップの質への 投資の理論、というテーマの一変形にすぎず、それほど独創性のある アプローチではないけれど、社会制度の経済分析にとって、 どうしてもそこに追い込まれて行くというか、不可欠の視角なのです。

雇用契約、結婚、恋人、共同研究者、これらはすべてパートナーシップとして 共通の性格を持っていますが、パートナーシップへの投資がある場合、 ホールドアップ問題という一種の「只乗り」が発生し、市場均衡と社会的最適と の間に乖離が生じます。

ところが一方、市場均衡と社会的最適は一般に一致する、という理論があり、 コースの定理と呼ばれています。例えば、離婚法制として、有責主義と無責主義 があります。前者は離婚したくない側の意思が、後者は離婚したい側の意思が、 それぞれ離婚の有無を決定します。世界的に、有責主義から無責主義への法制度の 移行が進んでいますが、このことは、一見、いかにも離婚を安易に 増やしそうな気がします。しかし、この予想は理論的には間違っています。 コースの定理によれば、どちらの制度の下でも、社会的に非効率な、 望ましくない結婚は自然に終了するし、社会的に望ましい結婚は 自然に継続します。このように、効率性の観点からすれば、 政策的介入の余地はないし、制度の分析は無意味であることになります。 そして、残る問題は夫婦間の分配だけになります。

通常の世界では、コースの定理は非常に強く成立しています。社会・経済に関して、 経済学者とちょっと突っ込んだ議論をしてごらんなさい。彼は、脳が徹底的に ミクロ経済学的に鍛えられているので、あらゆる政策論争、制度論争をだいたい 冷笑するでしょう。彼はよく「それは、単なる分配問題でしょう」と言います。 これは、彼がその問題を軽視している、という態度を表すコメントなのです。 でも、これは偏見ではなく、理論的思考の自然な帰結の一つなのです。

効率性と分配の関係を、えらく卑近な例で説明しましょう。 大学教員の給料が安い、といって、みなさん文句を言います。 しかし、これは単なる分配問題であって、大方の経済学者にとって重要な問題では ないのです。重要なのは、教員がその大学で働き続けるか、やめてどこかに移るかと いうことであって、これが効率性の問題なのです。

制度の分析を意味あるものとするためには、何らかの方法でコースの定理が 成立しないケースを作ればよい。具体的には、パートナーシップの質を高める 投資を考えるのが、一番手っ取り早い方法です。愛情はそのような投資の一つです。 結婚を長続きさせるためには、相手から何かしてもらおう、 と思っているだけではダメで、意識して、コストをあえて負担してでも、 相手に何かしてあげなければなりません。相手が何かしてくれるという 期待があれば、こちらもしかるべく対応する気になります。反対に、 相手が何もしてくれないと思うと、こちらも何もする気がなくなる。 こういう戦略の補完性(strategic complementarity)があると、一般に、 均衡は複数化し、お互いに愛情を与え合う「良い均衡」と、 お互いに何もしない「悪い均衡」が生まれてきます。

こうなってくると、コースの定理は成立せず、「良い均衡」を 実現するために有効な制度は何か、というような問いが意味を持ってきます。 無責主義離婚法制が、より多くの潜在的パートナーを提供するものとすれば、 パートナー獲得競争を激化させ、パートナーの質を高める、 というお話を作ることができるようになります。

事実、アメリカでは、無責主義を導入した州で、妻の自殺が激減したという 報告があります。無責主義によって、妻が以前より容易に去ることが できるようになったことを知った夫が、夫婦円満のため努力するようになった、 という解釈が有り得ます。

経済学者は、モデルを作ることができるが、制度や事実をあまり知りません。 法学者は、制度をよく知っています。社会学者は、おそらく事実をより多く 知っているでしょう。そこで、経済学者、法学者、社会学者のパートナーシップの 生産性が期待されるわけです。

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