2016-04-12

社会時評 [1]

社会時評

戸坂潤




目次

1] 思想問題恐怖症
2] 自由主義の悲劇面
3] 転向万歳
4] 倫理化時代
5] 減刑運動の効果
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6] 林檎が起した波紋
7] 小学校校長のために
8] 博士ダンピングへ
9] 荒木陸相の流感以後
10] スポーツマンシップとマネージャーシップ
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11] 失望したハチ公
12] 武部学長・投書・メリケン
13] 農村問題・寄付行為其他
14] 三位一体の改組その他
15] 罷業不安時代
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16] パンフレット事件及び風害対策
17] 高等警察及び冷害対策
18] 試験地獄礼讃
19]免職教授列伝
20]ギャング狩り
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21] 膨脹するわが日本
22] 大学・官吏・警察
23] 八大政綱の弁護
[#改丁]
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 思想問題恐怖症

   一、満州サービスガール

 満州国が独立したのを一等喜んだものの内には、今年の大学専門学校卒業生達を数えなければならぬ。何しろ大口二百名の満州国官吏を採用するというので、文部省へだったか又は直接に各大学専門学校へだったか、(そこの区別は一寸ゴタゴタがあったようだが)、人物・身体・学業三拍子揃った粒よりの「有為な」青年の推薦方を依頼して来たのである。官公立と私立とから平等に採用して欲しいというような、先の先まで考えた就職者側の注文もあった。私は当時、帝大卒業生などは人物・身体・の二条件に於ては遠く拓植大学卒業生などに及ばないから、まず官立一私立二ぐらいの割合が公平だろうと思っていたのだが。
 さて有為な青年は仲々多いものと見えて、学校当局の折紙づきの卒業生が二千名も受験したそうである。受験場は東京・京都・仙台・福岡・京城の五カ処だから、まずオール日本青年代表の選定という慨がないでもない。――処が有為な青年は実の処、又案外少ないものらしく、わずかに十七名(いずれも帝大出身)だけが選定されたに過ぎなかったのである。あまり出鱈目だというのでわざわざ満州国にまで押し渡って先方の当局にねじ込んだり、内地の当局に抗議を申し込んだりした青年もいたそうである。併し何と云っても、有為な青年がとにかく十七人しかいなかったのだとすれば、怒っても仕ようがないのではないかと私は思っている。
 満州国官吏は無論男の場合であるが、それが女の場合になると、満州サービスガールがある。今年の一月に親切で有名な東京飯田橋職業紹介所の鳴物入りの宣伝で、之は千人程の中から選ばれた三十二人の代表的インテリガールが、「帝国ホテルよりも大きな」ハルピンのアジア・ホテルのサービスガールとなって送られて行った。この有為な女子青年達からなる「挺身隊」は無論、東洋の到る処に進出して国威を発揚している例の種の娘子軍などではない筈であった。当人達や父兄達は云うまでもなく、直接関係のない吾々世間人もそう信じていたのである。何しろ紹介者が歴とした例の有名な飯田橋の職業紹介所であるし、先方は外でもない満州国の旅館だというのだから。それに満州国当局の後援のあるホテルであったとしたなら、誠に肩身の広い申し分のない就職口と云わざるを得ない。
 処が三十二人の内十四人を除いて十八人が、ションボリと最近帰って来たのである。ホテルの主人と争議をかまえて、解職になり、職をさがしても思わしくないので、飯田橋の職業紹介所の手を通じて、並に就職口を内地に見付けるために帰って来たというのである。
 十八人の内の一人が云っている、「ホテルの仕事が全然私達の個性(筆者註・「人格」の間違いだろう)を傷けて仕舞ったんです、まあいって見れば宿屋のお女中さんと同じなんです、私達が向うへ着いたのが一月の十八日、ホテルは二十五日に開店となって或る日、向うの偉い人達を呼んで盛大なお祝いがホテルにあったんですが、その夜始めておそくまで全部お酒のお相手をさせられたのです、サービスといっても、お客の御相談、御接待役位にしか考えていない私達がビックリしたのも当然ですわ……」(東朝五月四日夕刊)。
 ホテルのサービスガール、之を訳せば「宿屋のお女中」に外ならない筈ではないか。だが一寸待って欲しい、他の一人が云っている「経営者水谷さんと職業紹介所と私達と三方に認識不足があったわけです、でも私達が夢を抱いていたと責められても、紹介所を通じていわれたのが、帝国ホテルより大きなホテルで、そこで事務員店員、私達がそれだけの想像をしても仕方が無いでしょう、紹介所では今になって水谷さんが余りに大きくいいすぎたといっていますが、満州ではああいうインチキは普通だそうです、それを十分に調べて下さるのがお役所でしょう」(東朝五月五日朝刊)。
 五円の金が十円で売れるとなると、金は例の有名な物神崇拝性という魔術を振い始める。有形無形の金鉱が試掘され又は試掘権が売れ始める。或る者はショーヰンドーで街頭の金鉱を試掘する。金はたしかに幻影を産んでいる。だがこの幻影にはチャンとした客観的な金相場という物質的根柢がある。相場は人気で決まるように聞いているが、その人気が売買関係という客観的で物質的な地盤の上で正確に決まって来ている。処で満州という観念も亦今は甚だ人気がある。満州という観念は物神崇拝性と同じような魔術を持っている、満州という観念は一つの幻影を産んでいる。処がこの幻影は、「永遠の楽土」、「搾取なき天地」等々という精神的な地盤にその根を持っているのである。
 リットン卿は甚だ認識不足であったと云うべきだろう。だがリットン卿の認識不足ばかりを余り非難しすぎる、と薬が利きすぎて、今度はこっち側で認識不足をやり始めるのである。そうして当局が憤慨されたり、職業紹介所が恨まれたりする破目に陥ることになるのである。ここの処、当局の手加減に一段の苦心の要る処かも知れない。あまり正直な満州ファンを沢山造り過ぎるのは、どうも少し策の得たものではないではないかと考える。――拓務省では、満蒙自衛移民のために花嫁の周旋を始めたそうであるが、満蒙自衛移民のために周旋するのならば問題もあるまいけれども、逆に、花嫁のために満蒙自衛移民を御亭主として周旋するというような顔をするのだと、あまり罪造りな結果にならないように希望したいものである。何しろ相手は純真で××られやすい娘達なのだから。

   二、思想対策協議会

 地方長官会議、司法官会議、諸種の学校長会議、そうした会合で問題になるのは最近では殆んど所謂「思想対策」だけである。内務省も司法省も、文部省もこうした会合を専ら思想対策会議の積りで召集するかのように思われる。第六十四議会では思想対策決議案が可決された、だから政府は思想犯罪防止の機関を設置しなくてはならない義理がある。各省事務次官会議はその相談に熱心であったが、一策として、内務省・司法省・文部省が協同して、相当権威ある機関を設置しようという案も出ているが、結局政府の手によって「思想対策協議会」なるものが出来上った。
 この協議会の第一回会合は四月の十六日に持たれたそうであるが、そこで指導的な役割を演じたものは恐らく警保局だったろう。それに先立って警保局は協議会に提出する原案を決定したが、それは次のように広汎な分野に亘るものである(東朝四月十二日付)――
 一、建国精神・日本精神の確立・精神運動の作興、日本古典の研究。
 二、近代思想の諸相の究明。
 三、教育制度の改革。国史教育の奨励。社会教育の普及徹底。
 四、社会政策の実施。
 五、人口問題対策による生活不安の除去。
 六、政治に対する国民の信頼を深めること。
 七、新聞出版関係者、著作家との連絡を密にしその協力を求めること。
 私は原案七項全部賛成である。まず第一項(建国精神の確立・古典の研究)其他及び第二項(近代思想の諸相の究明)は、国民精神文化研究所に大いにやらせれば宜しい。一体あの研究所の所員は暇で困っているのだから。但し古典の研究では「南淵書」の研究も忘れてはいけないだろう。第二項(教育制度改革・国史教育奨励・社会教育普及徹底)ではまず帝大、官立大学の法文経を民間に払い下げて官製インテリ失業者を少なくする、インテリ失業者が教育上最も面白くないので、それだけの数が普通の失業者ならばあまり問題は起きないわけである。国史は史学的に研究する代りに国学的にやるべきであり、社会教育は普及しただけでは危険だから「徹底」させなければならぬ。それから第四項の社会政策のためにはすでに協調会というものが出来ているし、第五項の人口問題解決=生活安定は、ルンペンを第一陣第二陣と満州に移民させればよいし、国民は無論政治に信頼を置いているから之を「深め」さえすればよい(第六項)。検閲を円満にするには出版関係者乃至著作家自身と連絡し協力する以上に理想的な方法は又とあるまいではないか(第七項)。
 以上の諸項目の一つ一つに就いて吾々は完全に賛成であると共に、之が実現可能であるということを信じて疑わないものである。だからこそそれに賛成しているのである。――只、一つ心配なのは、日本精神の確立とか日本古典の研究とか近代思想の究明とか、国史教育社会教育の奨励とか、教育制度の改革とか、いうものに就いてまで、警保局で原案を造って呉れて了っては、文部省のすることがなくなりはしないかという、素人臭い心配の一点だけである。警保省文部局ということになりはしないかという点だけが只一つ心配なのである。それも、文部大臣がスポーツの世話を焼くだけの役目では、あまりに気の毒だと思う同情の心からなのである。
 私は子供の頃、政教分離ということを聞いてなる程と思ったものであるが、更に宗教関係や教育取締は文部省で、神社関係や犯罪取締は内務省の所管だということを知って、その組織的な分類法に敬服したものだった。処がこの頃では、どうもこの点に就いて段々懐疑的になって来たようである。
 何にせよ、教育の警察化ということはあまり柄の良いものではない。例えば中学校以上の入学者全部を、片端から指紋を取ってやろうというようなある筋の最近の提案は、職業的サディストにとっては中々面白い痛快なイデーであるが、「社会風教」の上からは、あまり愉快なイデーではないようである。

   三、墳墓発掘

 四月二十六日の新聞を見ると、某医専教授が、人夫を使って鎌倉の百八矢倉という史跡を暴き、五輪の塔を窃取して、荷車にのせて持って帰って、自分の邸宅の置石にしていた、ということが出ている。之は中々風変りな面白い犯罪だなと思って見ていると、確かに大分風変りな犯罪であることが段々明らかになって来るようである。
 第一専門学校の教授ともあろうものが、泥棒するということからが変っているのに、教授自身は一向それを大それた犯罪だとは思っていないらしい。その証拠には息子も一緒に連れて行ってやっているのである。之をハッキリと犯罪だとは思わないのに一応の原因がないでもない。之は元々骨董収集癖が病的に嵩じた結果らしいので、別に盗んだ五輪の塔を売って金に代えようという意志はないのだから。なる程他人の私有財産を勝手に商品交換過程に投げ込むという典型的な犯罪と一つではないし、又自分にとって衣食住に直接関係のある物資を盗んだという原始的な「泥棒」とも別である。それに盗んだ物品そのものが史蹟にぞくするもので、一般社会にとっても直接な不可欠なものではない。
 社会は変なもので、ルンペンが林檎を一つ盗んだということは、ただ一つの林檎もルンペンにとって重大な意義があるという処からいつの間にか、その犯罪自身が重大なものに見做されるということになるのであるが、之に反してブルジョアのヒステリーマダムがお召を一反万引しても、一反位いのお召はマダム自身にとっては実はどうでも好かったという処から、その万引自身も亦精々笑い咄しになって了う、ということも出来るようだ。五輪の塔は教授の病的昂奮を外にしては、冷静に見れば彼の社会生活にとって真剣な意義のあるものでないので、教授自身之を大して悪いことだとは思わなかったのかも知れない。
 処が翌日の新聞を見ると、教授のやったことは単に窃盗だけではなく、古墳の発掘という犯罪にも該当するらしい。墳墓発掘罪とかいうものが適用されそうなのである。それは墓石を発掘している時に計らずも白骨が出て来たということからだそうである。こうなるとこの犯罪に対する興味は、もはや教授窃盗事件の興味ではなくて、墓墳発掘、古墳発掘、従って又史跡蹂躙、という事件の興味に変って来る。
 単に教授が泥棒したというだけでは、珍らしくてセンセーショナルだというだけで、社会の何か一定の集団にとって特別の利害があるわけではないから、別に輿論もやかましくならないが、史跡蹂躙というレッテルが貼られると、色々な「史跡」関係者が出て来て、輿論を[#「輿論を」は底本では「輿輪を」]造り上げ始める。鎌倉の社寺の神官僧侶達が、史跡擁護の旗の下に、よりより協議中だということになって来た。
 処で五月三日の新聞になる。東京朝日新聞は輿論が増々高まって来たことを報じている。日本地歴学会の大森金五郎氏等は「墳墓発掘は日本国民思想に影響を及ぼすことが大きい」というところから、全国の史跡保護の運動を起し、学会の名を以て内務省や文部省に取締の請願を始めたし、神奈川県の史跡調査会は対策協議会を開いたし、例の日本地歴学会の某氏は「史跡荒しの墳墓発掘は社会風教上遺憾なり」として、検事局に向け教授を墳墓発掘罪として告発することになったそうである。
 発掘事件は遂々、社会風教問題に、思想問題にまでなって了った。初め僧侶達は、墓石窃盗の被害を、史跡の蹂躙という名によって権威づけたが、今度は歴史家達は、史跡蹂躙を、更に思想問題という名の下に権威づけて了った。私はオヤオヤと思ったのである。
 それから三四日経って、東朝の「鉄箒」欄に、村岡米男という人の投書がある。それは頂門の一針として一寸痛快なものである。この人の云う処によると、百八矢倉に行って見ると、これが大切な墓かと思うような保存は以前から一つもされていなくて、墓は倒れ埋もれて全く見る影もないように前からなっていたのだそうだ。住職の今更ながらの史跡擁護づらが滑稽だというのである。私も大方そんなことではないかと思っていたのである。もしこれが本当だとすると、「日本国民思想に影響を及ぼすことの大きい」点も「社会風教上遺憾」な点も、一部分はこの住職の責任にもなろうというものである。住職は人ごとのように史跡蹂躙呼ばわりをするのをチト気を付けなければなるまい。
 だがそれで何も、教授の罪が軽くなるわけでも何でもない。一体何だって、こうした発掘事件をまで、思想問題という形で騒ぎ立てる必要があるのか、という点が問題なのだ。
 歴史家が史跡擁護を唱えるのは多分、歴史研究の資料を保存するためだろうと思う。処で古墳などを発掘するということが、とりも直さず歴史研究の資料を見出す絶好の機会ではないかと、そう素人の私は想像している。そうすると墳墓発掘ということは場合によっては歴史研究なのだから、歴史家は強あながち墳墓発掘を一概に非難出来ない義理合いにあるわけだ。この墳墓発掘が古跡荒しになるからというだけの理由ならば、別に之を思想問題呼ばわりする[#「呼ばわりする」は底本では「呼ばりわする」]必要はないのだし、単に窃盗ならば問題は警官が宗教罪に一任すれば解決する。
 思想問題にうなされている或る種の人物には、何でもかでもが思想問題になって見える。単なる墳墓発掘が思想問題ならば、死体の解剖をすることだって思想問題になるだろう。尤もこの頃では、死体の解剖をしないことの方が実は思想問題なのであるが。
 今年の国展は仲々いい展覧会だった。
 今迄のゴミゴミした絵や、情実関係としか見えない拙い小品が、すっかりなくなったのは、今年の審査の出来栄えだった。展覧会も甘くして入選者の御機嫌ばかりとっていないで厳選にして呉れた方が観る方は助かる。
    ×
 しかし西洋人のクレヨン画みたいなものが沢山並んでいたのは、どう云うことか、素人には解らない。あれは子供の自由画みたいなものだが、展覧会にあんなに沢山ならべるもんですかねエ。
    ×
 梅原龍三郎氏の小品三点は、小さい乍ら立派なものであったのは、流石名匠の腕であるが、自分が大将である展覧会だから、もう少し大きいものを沢山みせて貰いたかった。見物はそれを楽しみに行くんですからね。
 川島理一郎氏の台湾土産も粋な画だ。
    ×
 工芸室は国展の名物で、いつも楽しみにして出掛けるが、良くて安いものは、招待日の朝出掛けて行って、既に赤札とはどう云うわけだ。
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 今年の工芸は種類が多くて賑かだ。安い絨氈が傑作である。芹沢と云う人は立派な図案を創る人だ。
    ×
 春陽会は国展から見ると、ひどくダラシがない。もう少し近頃流行の厳選に願いたいね。
 洋行帰りの下手糞ばかり沢山あっても景気は出ない。
    ×
 別付貫一郎と云う人の伊太利風景数点が一ばんよろしい。会友中の洋行帰りではこの人が良い。鳥海青児はいかにも汚い。加山四郎はいかにも拙い。
    ×
 出品者の洋行帰りじゃ、画因が古臭くて、乾燥しているが、大森啓助と云うのが、腕は相当たしかだ。他の連中は申合せた様に、南仏の巴里郊外を描いて、まごまごした筆の下手さ加減は、どうだ。外国風景の色の奇麗さだけでは、もう観る方も惑わされはしませんよ。
 下手糞が面白がられる情なさ。
 と云うのはどうじゃね。近来画壇の一傾向を云い得て妙だろう。
    ×
 春陽会と云うところは、恐ろしく会員の不熱心なところだ。長谷川昇先生一人気を吐いて、これに続くものは倉田白洋先生位じゃ。
    ×
 元老株は、日本画、※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)画と遊び、壮年会員は一向にいい作を並べて呉れない。小山敬三氏一人が勉強している様だ。
    ×
 妙だと思っていたら、新聞報ずるところは硲、小山の両中堅の春陽会脱退だ。この二人が脱けたら、春陽会にとって相当の痛事だ。展覧会も古くなればいろいろと事件がおきる。画壇のためには、起きた方がいいかも知れぬ。
(一九三三・六)
[#改段]


 自由主義の悲劇面

   一、五・一五事件「発表」

 現内閣を非常時内閣とかいうそうであるが、ある人の説によると、それは、五・一五事件の処置をつけることを目的とする内閣という意味だそうである。この非常時現内閣にとって何より宿命的な五・一五事件が、丸一年間もの「慎重」な審議の揚句、やっと公表されることになり、同時に一般記事の掲載解禁となった。まことに御同慶の至りと云わねばならぬ。
 処でこの事件の発表の一日前、即ち五月十七日には、之も四年程前に起こった私鉄事件・売勲事件・其他の被告達に対する判決云い渡しがあった。特に私鉄事件に関しては、小川平吉其他の巨頭が無罪を云い渡されたのに対して、検事局は職業柄、控訴すると云って力こぶを入れている。だが世間ではそんなことはどうでも好いのである。この不名誉な英雄達を世間は頭から問題にしていない。彼等は全く人気のない惨めなうらぶれた主人公達である。わずかに、みずから青天白日の身をいとおしむのが精々だ。悪事を働いたり働こうとしたらしかったりする者が不幸になるのは、素より××の××たる所以である。
 所が之に反して、五・一五事件の巨頭達は、今度の発表に際して、単にジャーナリスティックに中々華かで人気があるばかりではなく、特に×××の被告達の如きに到っては、軍部大臣等自身の口から、正義の憤激に燃えたその心事を、痛く××され又××されてさえいるのである。前の収賄事件の英雄達に較べて、この×××は何と幸福なことだろうか。彼等は尽く「人格者」だそうであるが、人格者が多少でも幸福になるということは、之又××の××たる所以でなければなるまい。
 収賄などという犯罪と、政治上の確信犯とでは、少くともこの位の社会的待遇の相違があるのは、当然だと一応私はそう思うのであるが、併し、それは例の滝川教授の説の一部を支持することになるわけだから、恐らく間違っているのだろう。
 よく考えて見ると、実際に、この考えは間違っているらしい。その証拠には同じく政治上の確信犯だと云っても、例えば之が左翼の諸事件の主人公達だったとすると、「社会の通念」から云って、収賄罪の主人公達よりも、もっともっと社会的に虐待されることは当然なことなのである。「人格の陶冶」の足りない人間が、一等みじめな眼に合わされねばならぬということは、之又××の××たる所以と云わねばならぬ。
 今度の五・一五事件の発表を見ていると、とにかくファッショの「××」×はうらやましい程幸福である。少くとも彼等は、こんなに同情に富んだ根本的には出来栄えの至極良好な社会の手によって、「処罰」されるのに、決して悪い気持はしないだろうと思う。
 だがこう云って、何か判ったように説き出したのではあるが、実はどうも判らないことばかりなのである。五・一五事件の大体の道筋は、世間の誰もが既に知っていることで、今回はそれが多少具体的に整理されて紙上で発表された迄なのであるが、それで判るようになったかと思うと、そうではなくて、事柄は却って益々判らなくなって来たのである。
 陸海軍の青年将校や士官候補生が、犬養首相を××××、警視庁や立憲政友会本部や日本銀行を襲撃したとか、又常人側の行動隊が変電所を襲ったとかいうような報道は、その当時、人々が既に知っていたことで、誰と誰とが何をしたとか、手榴弾や拳銃をどうやって手に入れたとか、云ったような「具体的な事実」を今更報道して見た処で、五・一五事件なるものの真相が具体化されて報道されたことにはならぬ。世間が知りたいのは、そんな末梢的な「事実」ではないので、この事件の本当の背景と、その背景と本件との具体的な関係なのだ。
 所謂「五・一五事件」なるものが、決して昨年の五月十五日に起きた事件だけを指すのではなくて、例の日召等の「血盟団」と密接な連絡があったことは、相当明白に公表された。所謂「五・一五事件」は、決して単なる五・一五事件でなかったことが判る。だが、五・一五事件+血盟団事件が五・一五事件の「全貌」かと思うと、どうもそうではないらしい。
 五月十八日付東京朝日新聞の社説は云っている。「事は昨年五月十五日に突発したのではなくて、早く井上・団・両氏の暗殺にもつながり、更により以前にさかのぼれば、流言蜚語として一部に伝えられたる事すら、全く根もないことではなかったのではないかと思い当らしむるものがあるのである。」井上・団・暗殺事件というのは今云った血盟団の仕事のことであるが、それ以前に、流言蜚語として一部に伝えられたものが何だかに就いては、吾々良民は一向見当が付き兼ねる。
 所謂五・一五事件なるものは、単なる五・一五事件でないばかりではなく、五・一五事件+血盟団事件だけでもないらしい。処で之を「五・一五事件」[#「五・一五事件」は底本では「五一・五事件」]として、或いは已むを得なければ「五・一五+血盟団事件」として、孤立させて発表するのには、当局に何かの都合があることだろう。この当局の都合も顧ずに、五・一五事件の全貌が発表されたとか何とか云って騒ぎ立てるのは、甚だ思いやりのなさすぎることではないか。
 もし思いやりがなさすぎるのでなければ思いやりがありすぎることなのだ。
 この事件が「発表」されたという事件に就いて、判らない点はまだまだある。新聞紙が伝える処によると、この「発表」の仕方に就いて、司法省と陸海軍両省との間に、初め、不思議にも、見解の対立があったそうである。司法省の意向としては、従来の「お役所型を破って」、相当具体的に諸データを指摘するというやり方で公表しようとしたのであるが、××××からは、之に対し或る修正案が提出されたそうである。
 司法省のような公表の仕方をすると、予審が決定しただけでまだ本式には確定していない犯行事実をば、確実の事実であるかのような印象を与える仕方で発表する結果になりはしないか、それでは、外のことはとにかく、××××の威信を傷ける惧れがある。そう陸海軍省側は故障を持ち込んだそうである。もっと抽象的な発表形式を採用しろというのが司法省案に対する修正案であったらしい。
 こうやって「三省合議」の上で修正されたのが、今度公表された内容だとすると、多分それは、採り得べきであった具体性に較べて、まだまだ抽象的な形態に止まっているものに相違ない。なる程諸事実・人名・場処・時日・行動・其他のデータは立派に公表されているのだから、相当具体的だと云えば具体的だが、どうも吾々国民は、この頃馬鹿に疑い深くなっているので。
 なる程、誤謬の可能性が、現実に期待され得るような場合には、あまり立ち入り過ぎた「具体的」事実を云々すると、認識を誤らせるかも知れない。だが予審調書の場合の如きは、権威ある根拠によって立っているのだから、誤謬の可能性が現実とは期待され得ない筈ではないか。もし少しでも誤謬であるかも知れないような予感があるなら、予審は決定される筈がない。処がこうした予審で決定された「事実」を抽象的に発表しなければいけないというのはどういうわけなのであるか、それは吾々人民には判らないことだ。
 抽象的知識は必ず認識不足を産むものである。この唯物論のテーゼはこの頃日本帝国が国際的に専ら宣伝に力めている真理だ。認識過剰も困るが認識不足はなお更困る。処が今の場合は、認識不足よりも認識過剰の方が困るのだそうである。国際的には認識不足、国内的には認識過剰。難きものは認識なる哉。
 処がまだ一つ判らないことがある。常人側の被告を受け持たされた司法省側は、被告に内乱罪を適用する必要を認めず、単に殺人・殺人未遂・爆発物取締罰則違反・という罪名を付けようとするのであるが、陸海軍側は軍人被告に対して反乱罪を以て臨もうとする。之を聴いて世間では一時、何故だか、司法省と××との対立云々と噂した。そこで法相はこう云って断わっているのである、「……に就いては種々な議論もあって中には陸海軍と司法省の意見が対立正面衝突でもした様に伝えるものもあるが、さようなことは全然ない」云々(東京朝日五月十一日付)。
 無論そういうことはあり得ない筈である。あったとしたら頗る変なことだろう。処がそんな変なことがまことしやかに噂されるということは、だから、二重に変なことでなければならないわけだ。どうも薄気味悪いことである。
 五・一五事件の「発表」のおかげで、吾々は五・一五事件が益々判らなくなって来た。懐疑論や不可知論が昂進して来ると、一種の妖怪談になってくる。お互い様に薄気味悪くなるのである。

   二、文部大臣の権威

 国際競争に限らず、勝負は機会均等でなければならぬ。二回戦で二対〇の勝利率のものでも三回戦では三対〇とも二対一ともなることが出来るのだから、三対〇をも二対一をも二対〇だと云って片づけて了うのは不合理である。六大学リーグ戦も今年から一様に三回戦までやることになったそうであるが、それは数学的に非常に慶賀すべきことである。新進の秀才文部大臣の何よりもの歴史的大功績があるとすれば恐らく之だろう。多分この点は又、日本中の有識者が斉しく認める処だろう。
 だが文部大臣たる以上、たかがスポーツの問題などに跼蹐きょくせきしてはいられない。私は先月の本欄で、文部省が内務省などに引き廻され気味で、わずかにスポーツ干渉を以て憂さを晴らしているのを、文部大臣のためにお気の毒だと云ったのだが、今は文部大臣の名誉のために、之は失言として撤回する。文部大臣は内務省などから引き廻されるどころではない、わが文部大臣は、内務省に命じて、滝川教授の著書『刑法読本』を発禁にさせたのだそうである。(東京朝日五月二十一日付)。
 之はJOBKで放送したものを出版したもので、去年の六月ほんの僅かな削除の後に発売を許された本だが、内容は素人の吾々にとっては非常に自然に変な無理がなく能く呑み込めるし、口絵には一枚の美人の写真さえ付いていると云った風で、まことになごやかな著書だという印象を消すことは出来ない。処がわが秀才文部大臣の卓越した頭脳は、BKのコセコセしたスイッチや逓信省の老婆心や内務省の無表情な警察眼をも洩れたこの本に、ニコニコしながら、而も悠々と一年間の間をさえおいて、発禁を命じた(?)のである。凡そ一国の大臣たるものは、須らく之だけの落ち付きと見識とを持っているべきだろう。
 文部大臣のこの見上げた態度に較べて、文官高等分限委員会の態度は、何と不見識で軽はずみなことであるか。滝川教授の罷免という、社会的には輿論の対象となり法制的には疑問の焦点である処の、この困難な問題を、文部省がディクテートするままに、禄々調査もしないで即日安々と鵜呑みにして了ったのでは、どこに委員会の権威があるだろうか。況して文部大臣は、委員会が開かれる前から、委員会を××するに決っているような変な口吻を洩らしていたが、あれは何として呉れるのか。
 文部大臣の権勢正に恐るべきものがあるのである。――処が、世間の噂によると、上には上があるもので、当の××××が中国地方の某代議士によって動かされているというのである。××××の折角の名誉のために、そういう事実はないのだと信じるが、併し噂のあること自身は事実だ。その噂によると、その某代議士が滝川教授の著書か講演かに、どうしたハズミからか、興味を持って、之こそ赤化思想であると云って、パンフレットまで造って、六十四議会で策動したということである。文部大臣はその見識と落ち付きにも拘らず、何故だか[#「何故だか」は底本では「何故だが」]、そういう教授は必ず処分すると即答して了ったので、決して約束を破らないわが卓越したこの政党人大臣は、その約束を只今道徳的に履行しているのである、と。なる程そうして見ると、文相のこの道徳美談の犠牲者が、他の何人でもあり得ずに、特に滝川教授でなければならないわけが、少しは理性的に理解出来る。だがそうすれば、理解出来なくなるのは、文相のかの見識と落ち付きがどこへ行ったかという点だ。
 某代議士がなぜ滝川教授を選択したかは、本当の処は判らないにしても、一つの仮定を置けば想像上はよく判る。教授は法律学者であり法律の中でも特に切実な刑法の学者だ。処で滝川教授に取って不幸なことは、大抵の代議士という種類の人間が法律書生上りだという事実である。彼等代議士は法律の常識はやや自分の専門だと思っている。彼等は何が赤いことで何が赤いことでないかは科学的に認識出来ないが、彼等の法律常識によってうまく消化出来ないものと出来るものとの区別は認識できる。そこで自分の法律書生式常識で判らないものが、即ち赤いことだと推論することは自然だろう。赤いということは多分こういうことなのだろうと、事法律の世界に関する限り、一寸連想を逞しくするのは無理ではない。で、こういう仮定さえおけば(尤も之は事実に当っていないかも知れないが)、この点は一応理解出来る、だが依然判らないのは文部大臣の権威の行方である。――文相の権威が一寸でも弱みを見せると、世間の噂好きな連中はすぐ、背後にファッショの手があるとか××の後ろ立てがあるとか、不謹慎なことを云い始める。この頃の世の中は全く困ったものだ。
 威厳も自分の身から出たものでないと、一向身に付かないもので、付け焼き刃の威厳の持主は、その目つきが不安そうにキョロキョロするものである。処で実際、文部省が滝川教授罷免の理由として挙げる処は、いつもキョロキョロと一定しなくて落ち付かない。時には漫然と赤いからだと云って見たり、時には内乱罪や姦通罪が普通の犯罪でないと云うから悪いと云って見たり、著書が悪いからと云うかと思えばどこかでやった講演が悪いからとか、大学での講義が悪いからとか、云って見たりする。併し、漫然と赤いから悪いというのでは、田舎の父親や下宿のおかみにとっての説明になっても、まさか文部大臣の口から天下に向って声明する説明の理由にはなるまい。内乱罪が普通の犯罪と同一には待遇出来ないというのが悪いというと、新聞の社説(東京朝日五月二十一日付)や京大法学部の少壮職員団から(その声明書)、海相や陸相でも×・××××に就いてそう云っているではないかと云われるし、姦通罪に就いては東大教授男爵穂積博士の最近の著書『親族法』にそのままあるではないかと云われる。著書が悪るければ内務省が発禁にすれば好いので、文部省がその著者を首にする理由にはならぬと云われるし、講演が悪るかったと云えば、それはすでに前から出版されて広く読まれている著書と同一内容だったに過ぎぬと云われる。
 それから大学での講義が講義として好いか悪いかが、一体国務大臣に判定出来るかと質問される。而も、「頭の悪い人には罷めてもらわねばならぬのと同じことだ」などと下手なことを云うから、引き込みが益々付かなくなるわけで、教授としての頭の善い悪いは一体教授会が判定しなければならないことだ。処が現に、法学部教授会は全員一致で、滝川教授が赤くもなければまして頭が悪いなどということは到底あり得ないことを、主張している。
 こういう時のためにと思って、大学官制の内に、わざわざ「人格の陶冶」という項目を後から※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)入しておいたのに、折悪しく滝川教授は放蕩もして呉れなければ喧嘩もしない。而もよく冷静に考えて見ると、大学教授の場合に於ける人格は、何よりも真理探究に対する誠実の内にこそあったわけで、それが学生の教育に対しての何よりの人格的影響を意味するわけだが、京大学生は滝川教授の非人格さを非難し始めるかと思うと、それとは全然反対に、教授に対して無やみに師弟の情の切なるものを感じているらしい。こういう真情には、文部大臣たるもの、素より「動かされ」る義理があるわけだから、嫌でも学生代表に面会しなければならない破目にまで陥って了う。
 そればかりではない、京大法学部教授団は文部省に対する批判を意味する処の声明書を発表している。それによると、第一に総長の具状を待たずに大学教授を罷免すべく分限委員会を開いたことが、帝国大学官制に対する純然たる違法であり、而も沢柳事件で京都帝大の不文律として天下に認められた処の、総長の具状は教授会の協賛を必要とするという習慣法を無視することも、不法だというのである。一体今日では伝統を無視するということそれ自身がすでに危険思想ということになっているが、時の文部大臣奥田義人が認めた京大の模範的伝統を蹂躙することは、文教の府として、それ自身引け目を感じることである。まして勅令違反の嫌疑まで受けては、文部省もジッとしてはいられないだろう。法制局に相談して見ると勅令違反にはならないそうだが、京大の法学部全体が一人残らず違法だと云っているから、世間の無知な蒙昧な人民達はどっちの言い分を信じるかあてになったものではない。
 人から借りて来た権威というものはツクヅクあてにならないものである。ドンなに身辺を見廻しても、思わしい合理的な論拠は見当らない。だから京大法学部に対する反対声明書などは、なまなか出さない方が好いだろう、ということになるのである。
 理由を挙げたり声明書を発表したりするのは、理論だが、文部省はどこにも合理的な理論を見つけ出すことが出来ない。――だが政治には、別に理論などはいらない。理論は抜きにしても有力な説得力のあるものがある。×××はそういうことをチャンと知っているのである。理論抜きの有力な説得力は外でもない、何等かの意味の××である。それが最後の何よりもの頼りである。之が文部大臣の本当の「権威」なのだ。……
 だこう推論して行くと、どうやら×××の背後にある背景というような神秘的な問題に這入って行きそうだから、そういう妖怪談めいたことは止めにしよう。
 滝川教授問題は、単に滝川教授一個の、又単に京大法学部乃至京大の、問題ではないし、又単に鳩山文相一個の、又単に現内閣の、問題でもない。今更そんなことを云うのは、野暮の至りだろう。つまりそれはファッショ化したブルジョアジーが広汎な自由主義に対する挑戦なのだ。自由主義と一口に云っても様々な段階の区別を分析する必要があるが、この頃ではその段階が一つ一つ順々に侵害されて行くのである。この侵害運動はやがて東大の法学部や、又遂には京大の経済学部にさえ及んで行かないとも限らない。そうした教授たちは、この際よほど気を付けて自分の態度を声明しておかないと、その場になってからでは相手にされないかも知れないのである。
 この間出来上ることになった「思想家・芸術家・自由同盟」はこの問題に就いて文部大臣あてに抗議書を送ったそうである。これは元来ナチスの文化蹂躙に対する抗議を提出するために代表的な知識階級人が集会したものだが、併し、そういう抗議文をヒトラーに送ると、恐らくヒトラーは、それよりも先に、日本のファッシストに抗議したらどうか、と云って来るに違いないというので、鋒先は遂々文部省に転じられたわけである。文士やジャーナリストまでが集って抗議しているのに、「敬虔」なる態度を以て静観しようと申し合わせたという京大文学部の教授達や、滝川教授罷免の策動をしたことを学生団から暴露されてあわてていると伝えられる京大経済学部の教授会などは、一体何をマゴマゴしているのであるか。東大の法学部にだって、××ねらわれている教授は二三名はいるそうだが、それはどうなるのか。リベラリストも単なるリベラリストとしては済まなくなって来たのではないか。
 個々のリベラリストも一旦結束すればもはや単なるリベラリストの集団ではない。滝川教授が赤いならば、かれを擁護して立った教授会及び法学部全体は少くとも同等以上に赤い筈だ。だから文部大臣は文部大臣の権威を以て遂に四十名の赤化教授乃至教授候補を××したわけである。天下のリベラリスト達はこの点に就いて、わが文部大臣に深く感謝の意を表しているのである。ただこの感謝の意志が、声明書や抗議書や文相辞任勧告というような不遜な形態を取って現われているに外ならない。文相はこれ等の意志表示が、感謝以外の他意のあるものでないことを深く諒とすべきである。
(一九三三・七)
[#改段]
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