2019-06-10

小倉 紀蔵. 創造する東アジア: 文明・文化・ニヒリズム 単行本 – 2011/6/17




創造する東アジア: 文明・文化・ニヒリズム 単行本 – 2011/6/17
小倉 紀蔵 (著)

5つ星のうち 4.3 3件のカスタマーレビュー

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商品の説明

内容紹介

〈文明〉と〈文化〉、いずれの価値観をも否定する〈ニヒリズム〉――三つの概念から、多重主体的な個を論じる希望の哲学。
出版社からのコメント

一枚岩の世界が2つになる=文明

分節したのち、1つの世界として定着してゆく=文化

いずれの価値観からも離脱する、0的立場=ニヒリズム

〈2・1・0〉をキーワードに、社会とは何か、人間とは何か、を解き明かす野心的な真理の探究。商品の説明をすべて表示する


登録情報

単行本: 540ページ
出版社: 春秋社 (2011/6/17)
言語: 日本語
ISBN-10: 4393366352
ISBN-13: 978-4393366356
発売日: 2011/6/17
梱包サイズ: 19.2 x 12.8 x 3 cm
おすすめ度: 5つ星のうち 4.3 3件のカスタマーレビュー
Amazon 売れ筋ランキング: 本 - 1,165,423位 (本の売れ筋ランキングを見る)
4467位 ─ 哲学
6981位 ─ 思想


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3件中1 - 3件目のレビューを表示
トップレビュー

ねっとてんぐ

5つ星のうち3.0残念ですが、内容が「志」にとどいていない2013年2月11日
形式: 単行本Amazonで購入
 韓国に留学した著者が教えを受けた金容沃は、日本の朱子学の伝統について次のようにいっているそうです。「日本文化は朱子学といううものの『体験』が浅い。」「すばらしい独自の成就はあるが、しかし人間性を導いてゆく普遍的な構想力(imagination)は、きわめて乏しい。」
 これだけを聞くとふつうの日本人は反発するでしょうが、『韓国は一個の哲学である 〈理〉と〈気〉の社会システム (講談社学術文庫)』で見事な韓国文化論を展開した著者は、単純な受けとり方をしません。この本によると、韓国は中国発祥の伝統思想である朱子学を深く真摯に受け止め、政治機構、社会システムの全般にわたって実践しました。かつての李氏朝鮮では17、8世紀に学閥が国家権力をめぐって血みどろの政治闘争を繰り広げたのですが、ことほど左様に韓国では哲学が「実践」されている。「人間共同態(和辻哲郎)」の調整力でいつのまにかまるく収めてしまう日本とはわけがちがう。
 こういった文化の違いをあらためて考えると、「普遍的な構想力」に乏しいといわれるのも、もっともだと思えてくる。私たちは近代化に遅れた韓国を「後輩」扱いしますが、韓国から見れば、日本はじつはたいした実力もないのに尊大にふるまう田舎者に見えるのかもしれません。

 朱子学を専門に研究する著者が目指すのは、中国発祥の儒教を文明の共通基盤とする東アジアにおいて、新しい文明のルールを形成する、その思想的基盤としての思想的言説空間を切り開いていくことだと思われます。それが本書の表題の意味するところなのでしょう。

 しかし正直なところ、内容はあまり感心しません。

 本書ではキーワードとして<2・1・0>という数字がくりかえされます。この数字はそれぞれ文明、文化、ニヒリズムをを表す。文明がなぜ<2>かというと、文明は自然を『対象』として捉えることによって始まるからといいます。「それまではのっぺりした無分節の一枚岩的な世界(環境)として表象していた世界が、突然雷電のごとく、ふたつに分裂する」、その驚きが文明の元であると。それはいいのですが、動機を語っただけでは本体を語ったにはならない。これではあまりに文明を単純化しすぎる。著者によれば、文明はさらに固定化されて<文化=1>になるのだけれど、文明がなぜ動的で文化がなぜ静的なのかよくわからない。なぜ文明が文化になるのか、その動機もメカニズムもよくわからない。あまつさえ<文明→文化>の過程が<1 .5="">とされる。これは何?半文明、半文化?
 この他にも突然差異を「距離」ではなく「速度」で捉えよと言い出す。どうやらデリダの「差延」に関連した著者独自の解釈らしいのですが、説明がないので意味不明。それがさらに「加速度」になる。あげくの果て「躍度」というから、なんの造語かと思えば、「加加速度」のことだそうな。いったいなんのこっちゃ。

 著者が新しい思想を創出しようと苦闘しているのはわかるのですが、このような叙述ではなにをいわんとしているか読者には伝わらないでしょう。これではどんな哲学を語っても「プライベート」なままです。
 (三島由紀夫をニヒリズム的日本の先覚者と捉える見方も気に入りません。彼はむしろ19世紀的なヨーロッパの文脈から離れられなかった人で、彼の決起も、現場にいた現職の自衛官たちには冷ややかに無視されました。高度成長をすぎて後期資本主義社会に入り始めた日本では、彼の言説はたんなるアナクロニズムでしかなかったのです。)

 著者に導かれて参考図書をあさってみると、著者の目指すところは決して孤立した動きではなく、歴史学や社会学の各分野で共通して起こっている知のパラダイム転換であることがわかりました。著者も本書で触れている朱子学研究の溝口雄三(惜しくも亡くなってしまいましたが)、宗派の圧力できちんと批判的な学究がなされてこなかった仏教思想を「批判的に」研究する松本史朗など、これまでの知の体系がひっくり返ってしまうような言説が、90年代ころからアカデミズムの世界ではあちらでもこちらでも発せられているようです。本書もその一部をなすもの。

 著者は気負いすぎだと思います。知のリーダーたちは確実に行動を起こし始めている。著者はひとりで変革を起こそうなどと大それたことは考えずに、これまで学ばれたことをもとに地道な研究を続けていってほしいと思います。やがてはそれが確実に世のなかを変えていくことでしょう。

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モワノンプリュ

VINEメンバー
5つ星のうち5.0著者の全面展開、だと思う2011年9月6日
形式: 単行本Amazonで購入
 著者のこれまでの仕事から期待し、本書のタイトルから予想していたものを大きく踏み越える内容だった。著者の心情も戦略も私なりに理解できるつもりだし、共感し、支持したいとも思う。
 ただ率直に言って、ベルグソンの「イマージュ」や大森荘蔵の「立ち現われ」を想起させる「知覚像」というキーワードを駆使して、西欧的なindividualな主体概念とは一線を画す「多重主体」論を描出し、これを文明・文化・ニヒリズムの対比、さらには具体的に中国・朝鮮・日本の位置付けや個別の政治・社会的事象の解釈にまで組み上げていく大柄な議論の構成には、ある種の性急さも感じないではない。足場としたさまざまな思想や理論が、まだナマのまま継ぎ接ぎされているような感触の残る部分もある。そして恐らくはそれゆえ、500頁を超える大部の本でありながら、何らかの「来るべき思想」の素描に留まるのではないかという印象を受ける。
 文明・文化・ニヒリズムを〈2・1・0〉と記号化し、ある種の形式化を施して代数的操作もどきのことをする必要はあったのか? ネグリ‐ハートについて「彼らが提示しようとする新しい民主主義の形は、実際のところ明確な概念にまで昇華されていない。説明は失敗しているのである」(p474)と批判するが、では著者の三島由紀夫の「腹」についての解釈は、あるいは〈たましひ〉の概念は十分な明確性に達しているのか?
 もちろん、素晴らしい件りは数多い。私としては第9章「漢字の不透明性と東アジアのエクリチュール」の立論の鮮やかさに知的な刺激を受けた。またスーパー・フラットを捩ったディープ・フラットなる概念も、笑いとともに深い感動を与えてくれる(私はこの概念から、本書中でついに一度も参照されなかったドゥルーズ=ガタリ『アンチ・エディプス』の「工場」を連想したが、著者とドゥルーズの関係にも私は関心がある)。
 いずれにせよ、私の疑問は大した問題ではない。著者の開いた戦線の一端に、私も立ちたいと思う。

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TCTK

5つ星のうち5.0創造する東アジア2011年10月3日
形式: 単行本
 本のボリュームにひるんだが、最初の頁から強力な引力でひきこまれた。
文明とは何か、文化とは何か。それを発見し、伝達し、ときに排斥する人間にはどんな性質があるのかが、本の柱である。
とにかく題材が多岐にわたる。三島由紀夫・儒教・ツァラトゥストラ・漢字とアルファベット・道元・朝鮮白磁・中尾佐助・古事記……。一瞬、何の本?と思うほどの脈絡のなさだ。けれど、これらが一本の長い糸で紡がれていくからすごい。
ダイナミックな読書体験が味わえる点ではジャレド・ダイアモンドの本のようだし、いろいろな物事と絡ませてじっくり読み進められる点では、井筒俊彦の本に似ているという印象をもった。
 この本の主張はユニークだ。愛する誰かと敵が、今この時間と過去が、生者と死者が、一人の人間のなかに生きているというのだ。世界と自分自身はクラインの壺のような関係なのかもしれない。
 ある章の、3・11にふれたくだりに思わず涙が出た。何かをうしなったとき、絶望したとき、本書のメッセージは実感をともなって胸に届く。だから、私は一生この本を手放すことはできない。
 難解だが専門書の枠をこえる本でもある。定価がもう少し安ければなおよかった。

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