2019-06-10

吉田裕著『日本人兵士』2017年、を読んで ― あるいは、歴史的思考法について(1): 本に溺れたい



吉田裕著『日本人兵士』2017年、を読んで ― あるいは、歴史的思考法について(1): 本に溺れたい



2019年2月16日 (土)


吉田裕著『日本人兵士』2017年、を読んで ― あるいは、歴史的思考法について(1)



 歴史学の名著があるとしたら、下記の本は平成の名著として後世長く伝えられることになると思います。

吉田 裕 著『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』 中公新書2017年12月


 本書は、是非一読して、ご自分の眼で確認して頂きたいのですが、下段に掲げた目次を一瞥しただけでも、日本人として陰々滅々となりかねない内容であることは見当がつくと思います。

 私自身、読了後すぐ頭をよぎったのは、「こんな無茶苦茶な組織に放り込まれなくて(徴兵されなくて)、本当に良かった。帝国陸海軍が消滅していて良かった。」という安堵です。

 また、同時に「なんと日本人は非合理で、非論理的な国民なのだろうか?」という自問とも、憤怒ともつかないような感情が、奔流となって湧き上がって来ました。

 しかし、少し落ち着いて考えてみれば、早々にそんな結論に飛びついてしまうことは、議論が飛躍している危険性があります。

 例えば、冷酷で悪逆非道な一人の男がいたとします。その人物が他者になした悪行に関して、同じ人間社会を構成している私たちとしては、まずその「罪」を糾さなければなりません。誰にか。無論、その男に、です。「罪」の軽重を問うのはその次となります。

 その一方で、私たち人間の性(さが)として、「どうして」「なぜ」という問いも避けることはできません。このとき、その男の悪行への怒りから、「それは、生まれつき、あるいはDNAの問題だ。」と結論を出してしまったら、それは信頼に足るものといえるでしょうか。嬰児の頃から、犯罪をすることが決まっている人間、などというものが存在する、と考えることは、理性的な、あるいは科学的な思考からは距離があるように私には思えます。親の膝下で生まれ落ちてから育った環境や成人してからの経緯なども、考え合わせてから結論を出すべきでしょう。繰り返せば、これは、その悪行の「罪」を問うことではなく、その「理由」あるいは「原因」を考えることです。

 しかし、私たちがその悪を問うとき、人間個人だけでなく、組織や人間集団、あるいは国家の悪行を糾さなければならないときがあります。本書で問われている、大日本帝国陸海軍の悪行はまさにこの事例です。このとき、往々にして、「罪」を糾すことと、「原因、理由」を問うことが交錯してしまいます。そして、大日本帝国陸海軍の不合理性や愚劣さの「理由」を、その巨大な歴史的「悪」のため、個人レベルでいう「DNA」や「本質」問題に一挙に還元してしまうことが、間々あるのです。いわく、「それは日本人は非合理的であるから」から「日本語が非論理的であるから」、等と。

 私が尊重する思考法は四つあります。一つが、複雑系(複雑なシステム)の考え方です。それは、人間個人には、理性的、合理的な限界があり、そのためその限界の向こう側は「複雑」性の領域となってしまうことです。

 二つめは、「歴史資源」論です。人間(集団)という船は、個人の「合理性の限界」のため、複雑領域を航行する際、その部分を支援する、物的、制度的、思想的、「資源(あるいは道具)」を使わざるを得ません。しかし、生の我々人間の周囲にある「資源」には必ず、その起源と履歴という「歴史」が刻印されています。私たちは、いま現在を呼吸して生きていますが、いま使用可能な「資源」は既に「過去」のある時点で形成されたものなのです。

 三つめは、二つめの点から当然帰結される、歴史の累積性、あるいは歴史事象の「進化」論です。分子生物学者フランソワ・ジャコブがいう「エンジニアとは違い、進化は、ゼロから新たなものを作り出すことはない。進化は、すでに存在しているものに作用して、ある系を新しい機能を持ったものに変換したり、いくつかの系をより複雑なものにすべく組み合わせる」のです。そこから人間行動の歴史性(履歴性)が帰結されざるを得ません。

 四つめは、「人間的自由とは、善悪ともになし得る自由である」ということです。

 従いまして、大日本帝国陸海軍の大悪行という、私たち日本人の陰鬱なる歴史的事実を生み出したものは、日本人生来の非合理性やら非論理性ではない、と当面は思考を進めるべきだと思います。

 大日本帝国陸海軍への歴史的審判という作業は、1868年から1945年までこの列島に存在した明治レジーム (Meiji Regime)への評価の一環として考えるべきものです。だから、別考を準備するべきですが、それは別途再論します。ただ、今後の手がかりは書き記しておきましょう。

 大日本帝国陸海軍の誕生から消滅を概観しますと、幾つかの屈折点があります。

1.国軍の創出
 そもそも、徳川期まで、「国軍」に相当するものが有りませんでした。組織的な武力としての軍隊とその指揮権は、徳川家は将軍、各大名家はその当主に帰属していました。従いまして、近代主権国家創設の一環として、列島内の反乱防止、または外国軍からの国土防衛のための、中央政府に直属する国軍創出は、歴史的に不可避でした。

2.国軍のミッション
 国軍の使命として、治安・国防軍か、外征軍か、という選択肢があります。相対的に、前者は小規模で、国力上軽負担、後者であれば大規模、高負担となります。前者なら民兵論と関連しますし、後者なら徴兵制とリンケージします。

3.国軍指揮権の帰属と山縣有朋
 徳川期までの武家政権では、軍事指揮権は各武家の当主が有していました。その一方で、徳川期では、18世紀後半以降、政治理論・歴史理論としての儒教や国学の普及により、古代より列島を治めるべきは禁裏(天皇)であり、各時代の武家政権は禁裏からの権限移譲によって、正統な公儀権力として君臨していた、という歴史理解が普及して来ていました。本居宣長の「朝廷の御任みよさし」(『玉くしげ』)論が典型です。その流れの歴史的帰結が「大政奉還」であるわけです。禁裏の統治権を委任されていた武家政権ですが、その一方で、武力は軍事力の専門家(「兵つわものの家」)である自分たちが元来歴史的に扶植していたもので、その軍事指揮権を禁裏から委任されていたとは微塵も思っていませんでした。
 ところが西欧出自の近代主権国家では、統治権とともに元来、王権に帰属していた軍事指揮権も、「主権」の一部として継受していました。この齟齬(伝統的には《禁裏》に軍事指揮権はなかった)がこの列島において近代的主権を構築する際の「力の空白部」となり、のちの「統帥権の独立」という、主権のあり方の混乱を生み出す一つの要因になりました。その混乱に乗じたのが、山縣有朋という権力政治家です。山縣だけの問題とは言い切れませんが、山縣の自己保身のために埋め込まれた明治レジームの仕掛けが、意図せざる帰結としてこの列島の近代国制上にセキュリティ・ホールを造り、大日本帝国を滅亡させました。それが日本近代史に具体的に何を生み出したかは、本書が示しています。

 山縣有朋と言う政治家の「悪業」は、「明治」建国の父たち、西郷、大久保、岩倉、木戸、伊藤、といった維新集団指導体制のメンバーだった元勲たち、の面々も応分にその「罪」を負わなければならないものである、というのが、現在の私の小括です。

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目次

序章 アジア・太平洋戦争の長期化
(行き詰まる日中戦争;長期戦への対応の不備―歯科治療の場合 ほか)
第1章 死にゆく兵士たち―絶望的抗戦期の実態1
1.膨大な戦病死と餓死
2.戦局悪化のなかの海没死と特攻
3.自殺と戦場での「処置」
第2章 身体から見た戦争―絶望的抗戦期の実態2
1.兵士の体格・体力の低下
2.遅れる軍の対応―栄養不良と排除
3.病む兵士の心―恐怖・疲労・罪悪感
4.被服・装備の劣悪化
第3章 無残な死、その歴史的背景
1.異質な軍事思想
2.日本軍の根本的欠陥
3.後発の近代国家―資本主義の後進性
終章 深く刻まれた「戦争の傷跡」
(再発マラリア―三〇年以上続いた元兵士;半世紀にわたった水虫との闘い ほか)


13時43分 近現代, 書評・紹介, 戦争, 山県有朋, 国制史, 本居宣長, 複雑系 | 固定リンク



吉田裕著『日本人兵士』2017年、を読んで ― あるいは、歴史的思考法について(2)



 下記の本書のレビューを、amazon.co.jpに投稿しました。同工異曲ですが、テイストはだいぶ変更しました。ご笑覧頂ければ幸甚です。


■amazonレビュー投稿文
「日本軍の「愚かさ」は日本人の「愚かさ」か?」

「私は戦(いくさ)に勝つのは兵の強さであり、戦に負けるのは将の弱さであると固く信じている。」
 上記は、故服部正也氏の名著『ルワンダ中央銀行総裁日記』中公新書1972年(増補版2009年)の最終頁からの引用です。氏は太平洋戦争に従軍し、ラバウルで海軍大尉として敗戦を迎え、そのまま当地でBC級戦犯の弁護人をされた人物でもあります。
 この故服部氏の信条倫理が、旧軍の高級軍人たちに共有化されていたなら、吉田氏の本書にみる、目を覆いたくなるような、俄かには信じ難い、日本史上の汚点は残らなかったと考えます。
 評者の亡父は太平洋戦争末期、海軍特攻兵器「震洋」搭乗員でしたが辛うじて生還し、中国・厦門(アモイ)で捕虜生活の後、引き揚げています。父方の祖母はテニアン島で米軍の火炎放射器によって焼き払われています。亡父が戦争中や軍隊でのことを話したがらなかったのは、先に逝った戦友たちへの鎮魂ばかりではなく、戦争末期の酷い軍隊生活や、戦場での惨めさのためもあったと、本書を読んで改めて思い直しました。〈思い出したくも、話したくもない〉と。
 個人的所感とは別に、本書を一読後、溜息とともに、この「旧軍の愚昧さ、の原因・理由はなにか?」と問わずにおれないのは、評者だけではないしょう。腹が立ちすぎて、「これは日本人が愚劣で、合理性に欠けるからだ」と、言い放ってしまいそうにもなりますが、そこは評者も服部氏の信条倫理に共感・同意しますので、やはり旧軍エリート層に問題があった、とまずは考えるべきでしょう。
 その問題とは、旧軍エリート層の〈悪行〉ではなく、「将の弱さ」すなわち、〈将の愚かさ〉のことです。吉田裕氏の著作の後に、私たち現代日本人がいま改めて考えなければならないのは、旧軍の〈愚かさ〉の社会科学的な原因追及であろうと思われます。
 そして、もし〈国軍〉が〈愚か〉だったとするならば、エリート軍人の〈愚かさ〉という矮小な問題ではなく、〈国軍〉という統治の根幹を含む統治体制そのものの問題、統治機構のメカニズムに動作異常する原因があったのではないか、と疑ってみるべきでしょう。
 その点からすると、とりわけ、明治憲法体制が形成された、維新動乱から明治前半の、統治機構における国軍の位置づけに改めて光を当てるべきだと思われます。「統帥権」あるいは「統帥権の独立」の問題の種子は、既にその時点で蒔かれていた可能性が高い。なぜなら、士族の反乱鎮圧から、日清・日露、に至るまで、軍隊指揮権(「統帥権」)の所在という点で、統治者たち(元勲たち)内部で常に鋭い対立点として蒸し返されていたからです。また、〈明治の軍隊〉と〈昭和の軍隊〉が別ものと考える合理的根拠はどこにもないからです。

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