2016-05-24

寺内正毅:朝鮮統治キーマン、研究へ前進 私設文庫目録まとめ3資料集 分散した文書など伊藤幸司・九大准教授ら調査 - 毎日新聞

寺内正毅:朝鮮統治キーマン、研究へ前進 私設文庫目録まとめ3資料集 分散した文書など伊藤幸司・九大准教授ら調査 - 毎日新聞

朝鮮統治キーマン、研究へ前進 私設文庫目録まとめ3資料集 分散した文書など伊藤幸司・九大准教授ら調査
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寺内正毅(まさたけ)


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     明治・大正時代の陸軍軍人で初代朝鮮総督や第18代首相を務めた寺内正毅(まさたけ)(1852〜1919年)。その私設文庫「桜圃(おうほ)寺内文庫」にかつて収められていた寺内ゆかりの蔵書や文書類の目録整備事業が完結した。2005年から伊藤幸司・九州大准教授が中心となり、従来の目録を作り直したもので、資料集3冊を刊行した。その過程で書簡などの新発見もあった。当時の陸軍史、政治史、朝鮮統治研究に欠かせない寺内だが、その評伝研究はほとんど手つかずとされる。伊藤さんは「寺内の本格研究の出発点がようやく整った」と話す。【大森顕浩】
     「桜圃寺内文庫」は寺内が生前構想し、死後に長男・寿一が1922年に現在の山口市内に開設した。コンクリート製の建物に近世以来の寺内家の蔵書、寺内個人が収集した朝鮮関係を含む古文書や図書のほか、寺内の日記や書簡など私的な一次史料も収蔵した。
     戦前は財団運営の図書館だったが、戦後の46年、隣接していた山口県立女子専門学校(現在の山口県立大)が図書館として借り受けた。後に蔵書(約1万9000冊)なども購入し、新築の付属図書館に移した。一方、寺内の私的な一次史料は文庫から寺内家に移ったが、64年に3395点の史料が国立国会図書館憲政資料室に寄贈された。文庫資料の所蔵先はその後も数が増え、伊藤さんが調査に着手した時点では、計5カ所あった。
    伊藤さんは2003年に山口県立大に着任。翌年、大学図書館にあった文庫資料を九州大の研究者たちが閲覧した際、整理や保管が不十分だったのを知った。目録はあったが、文書類は段ボールに入れたままなど、どこにどんな文書があるか分からない状態だったという。伊藤さんの専攻は日本中世史だが「勤務先の大学の資料を放ったままにはしておけない」と考え、朝鮮史の研究者の協力も得て、05年から資料を一つずつ調べて目録を作り直した。
     目録掲載の資料集作りが大詰めを迎えた12年、伊藤さんは現在の寺内家に資料があるか手紙で打診したところ、残っていると知らされた。学界では全く知られていなかった新史料だった。このうち、主に正毅の史料が山口県立大(14年)に、主に長男・寿一の史料(一部に正毅の史料があった)が学習院大(13年)に寄贈された(学習院大で目録が作成された)。
     山口県立大に寄贈された新史料(948点)についても伊藤さんは資料集を作成した。目玉は日露戦争(1904〜05年)の旅順要塞(ようさい)戦の指揮で知られる軍人・乃木希典からの書簡10点。要塞陥落直後の書簡では、乃木が要塞戦のつらさを振り返っている。このほか伊藤博文・桂太郎・西園寺公望・田中義一からの書簡、寺内の死を悼んだ山県有朋の和歌などがあった。
     伊藤さんの調査は今年、防長尚武館(陸上自衛隊山口駐屯地内の資料館)にあった文庫資料の目録を資料集にして終了した。
     目録整備で期待される研究は、寺内正毅その人についてだ。陸軍内で大きな勢力となる「長州閥」の形成、韓国併合による朝鮮統治体制の整備、第一次大戦下のシベリア出兵や中国への借款決定といった明治・大正期の政治外交史の焦点に対し、寺内は陸相・韓国統監・朝鮮総督・首相として立ち会った。だが寺内の本格的伝記は死去直後の刊行だけで、史料の出典が不明など不十分な内容とされる。戦後の研究はほとんど皆無という。「長州閥」の軍人である山県有朋や桂太郎、児玉源太郎については近年相次いで新たな伝記が刊行されているのとは対照的だ。
     背景には当時のジャーナリズムの厳しい評価によるイメージの悪さがある。朝日記者だった中野正剛は寺内の朝鮮統治を強く批判していた。伊藤さんの調査に協力した永島広紀・九州大教授は「総督時代の朝鮮統治について悪いイメージが先行したが、実際にやったことについての細かい研究は今まで一つもなかった」とした上で「寺内は文化財の保護にも目配りし、若手官僚も育てていた」と分析する。
     幸い一次史料は膨大にある。国立国会図書館の史料のうち、書簡は大部分が未翻刻とされる。このため最近は新たに寄贈された山口県立大や学習院大を含めた3機関所蔵の書簡の翻刻が計画中という。
    これまでは、史料による厳密な検証なしに悪いイメージが先行していた寺内。書簡の翻刻とそれに基づく新たな研究で、等身大の実像が浮かび上がるかもしれない。
     ■桜圃寺内文庫にあった資料の現在の所蔵先■
    ▽山口県立大
    ▽山口県立山口図書館
    ▽韓国・慶南大学校
    ▽国立国会図書館憲政資料室
    ▽防長尚武館
    ▽学習院大史料館(2013年寄贈)
     ■ことば
     1852年、萩(長州)藩士・宇多田正輔の三男として生まれる。母の実家・寺内家の養子となる。1868年の戊辰戦争、1877年の西南戦争に参戦。フランス留学後、陸軍士官学校長、教育総監、参謀本部次長を経て、1902年に陸軍大臣となり、日露戦争を迎える。山県有朋、桂太郎、児玉源太郎に連なる、陸軍の「長州閥」の軍人とされる。1910年、陸相のまま韓国統監を兼任し韓国併合にかかわり、続く初代朝鮮総督に就任、朝鮮統治の原型を作ったとされる。1916年に元帥となり、同年朝鮮総督を辞任して第18代首相となるが、1918年、米騒動の責任を取る形で首相辞任。翌年亡くなった。長男・寿一(ひさいち)(1879〜1946年)も陸軍軍人として陸相や教育総監を歴任。太平洋戦争では南方軍総司令官を務め、元帥になった。

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