2025-12-24

梅原猛 講演◆森の文明と日本〜現代に生きる縄文文化〜(1990年録音)Umehara Takeshi

梅原猛 講演◆森の文明と日本〜現代に生きる縄文文化〜(1990年録音)
Umehara Takeshi
23,548 views  Jan 3, 2024  #哲学 #梅原猛 #講演
梅原猛「森の文明と日本〜現代に生きる縄文文化〜」1990年録音

ニッポンは「森の文明」を根底に、「新しい森の文明」をつくらんといかん!!!
「日本の誇り」とはなんであろうか?

梅原猛
(1925年3月20日〜2019年1月12日 / 93歳没)
宮城県仙台市で生まれ、愛知県知多郡で育つ。 
ものつくり大学総長(初代)、京都市立芸術大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。
京都市名誉市民。 
京都大学文学部哲学科卒業。立命館大学文学部哲学教授、京都市立芸術大学教授・学長の他、国際日本文化研究センター所長(初代)、社団法人日本ペンクラブ会長(第13代)などを歴任。

#梅原猛 #哲学 #講演
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Transcript

え 今日は日本の文明のお話をいたしますでこの台 を森の文明と日本という風に出しておいた
のですがうんちょっとこの台について説明 いたします とこの普通文明ということと非常におまあ
よく似た言葉で文化という言葉がござい ますで文明と文化はどう違うかとこれは
なかなか難しい問題でございましてええま その人によってえ考え方が違うというよう
なものでありましてえここでですね詳しい 説明はできないのでございます元々この
文化というのはですねえまイギリスや フランスがこうなんかこうこの新しい近代
文明産業革命の結果文明は作り出したそれ をですねこの近代の高進国のドイツがえ
それはまああ文明だシビリゼーション だしかしそのドイツにはですねそういう
文明はちょっと遅れてるかもしれないけど 精神の文化があるとそれをカルチャーと
名付けまして 使った言葉でございます日本でもまそう いう意味の文化があ大正時代から封した
わけでございますところが最近ですね文化 人類学という学問ができましてそれは未
民族の文化を研究するとその未民族にも
文化があるとその文化はですね色々生産の 方法とかそれから集とか社会制度の中に
具体化されているその文化を研究しようと いうそういう新しい学問がえ出てまいり
ましたでそのドイツ流の文化概念とまあ 見え
え民族の文化を研究する文化人類学の文化
概念はいさか違うのでありましてでこれを ま総合することは大変難しいそれまここで
は更新しておきましょうか え文化はです ね未民族にはどこにもある
とだけど文明というのはですねやっぱり こう
やっぱり文化が一定の段階にえ
こう発展しない と文明はないとだから文明っていうのは
やっぱり こう文明が来てからですねえ今から
5000年前頃にメボ丹で都市文明ができ たこれがま文明の何に与えするそれ
から世界の4大文明そできたそれはまさに 文明なんですで日本では8世紀頃にまそう
いう魅惑ができたそれが文明ですうんま
そういう風にその文化はもうずっと人類が 存在する限りだったああと精神的なものと
物質的なもと両方あるしかし文明というの はそういうそのある段階に足しないとない
それは都市文明というものと密接に連して いるとそういう風にま一を考えておきたい
と思いますそしてここで言うのはです ね森の文化ではなくて森の文明と日本って
ことですええ現代の日本は文明国ですね
これこれはま世界にも稀なあ文明国である
ことは間違い ないその文明国は文化を持って
いるその文化の根底に森の文化が
あるその森の文化を基本にしてそれを 新しい文明を作らなくちゃならない
とそれが森の文明だというお話になると 思うのでありますうん結論から先き申した
わけでございますがえ何からお話しして よいかなかなか難しいのですが皆さんどう
でしょうか日本の誇りという ものいぺ
考えてみたらどうでしょうかうんえ今この
アメリカの摩擦が厳しい時にやっぱり誇り を持たないとダメなんです
正しい誇りを持たないといけない正しい 誇りを持っとればアメリカと対等に交渉
できるはずなんです自国の文化に対する 正しい誇りというのが今日本人に1番必要
なも ですその誇りっていうのは今日本で誇る べきものは何でしょう
かま戦争 中はですねその日本の天皇があ2600年
続いたということが誇れである という風にされたそれはま万法無比だと
いうことが言われたわけでございますえ私 は日本の皇室がですねえ長く続いたという
ことは確かに日本の誇りだえけれどこの
誇りをですねえ正面立てて相手に 押し付けるわけにはいけない
ええなぜならば あそれは相手の大失礼なんですええそう
いう皇帝を持たないえ国もあるし皇帝持っ てても非常に新しいこ時代の皇帝もある
そういう国の現状の中でええこの万世一家
の天皇を誇るのは あ非常に相てに対して押し付けがましいと
そしてそれは一種のまあその国家主義の超 国家主義の匂いを発散しているわけで
ござい ますで私はですねえそういうのは表面に
持ち出すべきものではないという風に思い ますそれじゃどうだ経済的発展経済が
こんなに発展したことは日本の誇じゃない か確かにそうなんですえこんなに経済が
発展したのはまさに世界の奇跡だと言われ ますけれどそれは大変いいことなんです
けれどその誇りを押し付ける時にあ世界の 人はどう思うかそれ
は日本は金を儲けていってるという風に 取られるに違いないんです
ええ金は天下の周りもと言います がこの経済発展がいつまで続くか
わからない私はできるだけ長い間ついた方 が良いと思いますけれどそれはどこの国を
見ましてもそんなに経済発展というのは 長い間続か
ない経済発展が終わった時に日本が世界に 何を貢献したか
とそれが1番大問題でござい
ますそうしますともうそういうですねえ え天皇星が長くついたことや日本の
経済発展が目覚ましいということはです ねこれはああうちにそう思ってもいては
結構でございますが外に押し付けるべき ことでは ないすると外に対してはっきり主張できる
日本の誇りっていうのは何か とこれは皆さん意外に思われるかもしれ
ませんが日本は文明国であり ながら森を保有していることなん
です日本 の総面積の3は森67が森なんですね
しかもその森 の4割型は天然林ええ
こういう国はどこにもないえ え森
は文明に対してマイナスのイメージえ文明 は森を壊し
て出現したという風に考えられる時 にこれだけの文明国
でこれだけの多くの森を保有してるという ことはまさに日本の誇であると私は思うん
ですこれ は世界に向かってはっきり宣言できること
でござい ます
ええどうしてこんなに森が残ったのか と
えこれがまず問題でござい ますでこんなに森が残ったのは
一口に言うと日本は農業国家として更新国 であっ
た そして 農業文化以前の狩猟最終文化がこの日本
列島の中で目覚ましく発展していた
とこのことは今まであんまり強調されませ んでしたが私はもういくら強調しても強調
しすぎることはないほど日本文化の根本 問題であり
ます農業はいつできたか約1万年
前西アジアで起こったそれ小麦 農業でござい
ます それから同時 に東南アジアで
え米農業が約1万年に前に起こるとこの2
つの農業の発明というのが人類文化に決定 的な影響を及ぼしているわけであり
ますこの西アジアに始まった小農業はま
あ立町のうちに世界を切換 するそして隣の中国でもですね今から
約5000年ほど前 にこが地帯があそのはめ平は次に小麦の大
国総地帯になるわけです そして南の方
は米の国土地帯になるわけでございます
中国は大変面白いので北はコミ南 は米の人類の2つ
の文明の柱である米と小麦と両方の文明が
栄えたのでござい ますところが日本は遅いえやっと米が入っ
てくるのはあ 2000年ほど前正確に言うと今から
2300年ほど前やい時代という時代が 始まりますがそれからやい時代の
終わる今から1700年前ですねえ キリスト世紀を挟んで上300年下300
年この600年の間をやい時代とします けれどでこの代代に日本は農業国家に
変わったわけでござい ますでその農業以前に人類はどういう生活
をしていたかと言いますとそれ は狩猟最終世界狩猟最終生活をしていたん
ですこの狩猟最終生活をした期間は長い ですねえまいろんな答え方がありますが
まあ人類発生を200万年前と考えくると まあ200万年のうちにえ
1999年は資料最終生活としてわずかの 1万年の間
が農業北地文明の時代でございますで
ところが今申しましたように日本ではなぜ か農業の移入が遅れましてそしてえ
約2000年前 から
やっと農業が入ったわけでござい
ますところが農業入るその前ですね資料
最終生活としましてこの日本列島はですね
え 大変高度な文化を持っていた
それが 縄文時代と言われるでそれ以前をま設時代
と言いますけれどうん特にその石器時代の
後で時期が発明されると うその日本で発見される時の1番古いもの
は1万3000年から1万2000年それ は世界最古の時でございます同じ時期の時
が ええシベリアなんかで見つけられますので
私はドキは東北アジアで発明されたという
風に考えますがそういう土文化が今から
1万3000年前から1万2000年前に 生まれたわけでございますであの土文化を
皆さんの意味は何でしょう かは何使われたでしょうか
うん時の重要な意味はですねあれは やっぱりそのうん物を似る器として用られ
てたえそれまで人類はあ生で食べるか焼い て食べたりしたわけでございますがえー
そのあドキが発明されるようになりまして 似て食べることを覚えると似て食べること
によりましてずっと食物の範囲が広がった うんその縄文時代のこの主食は何だったか
という大体分かってまいりましたが ああの縄文の時にですねえ色々な魚を入れ
てそれからまああ山菜野菜ので山菜を入れ
てそれからこのどんぐりをですねいろんな そのどんぐりをですね潰して団子みたいに
してそれを入れたとえ今のナベ料理で ございます縄文時代の人々は大体鍋料理を
食べてたとなかなか美味しいものを食べて たようでございますがそういうその時が
です ね1万3000年から1万2000年前に 生まれる特に中国においてこのこが流域に
おいてえ最初国それから小麦農業の前世
時代にこの日本では まだ1時代前の文化である狩猟最終文化が
栄えてその狩猟最終文化の花酒だったとう どうして分かるかと言うと縄文前期という
今から6000年前ぐらいから縄文時の量 がうんと増えてそれで必素晴らしいものが
できてきたんです うその情報の時と素晴らしさああこれを
発見したのは岡本太郎さんですねえ えこの太郎さんがテレビ出たとこ見ました
けれどえアナウンサーがあこう太郎さん 質問すると太郎さんが俺は縄文時を発見し
たんだて言ったんですあのさびっくりして 先生どこで発見されました言ったら俺は
上野の博物館で発見したん じゃさそんな馬鹿なことはて言ったです
けどねそれは合ってるんですやっぱりその 上の博物館で発見したんでいいんですただ
発見は見出したんじゃなくて彼は芸術的 価値を発見した縄文時はが芸術心だという
ことはこれは岡本太郎さんが初めて言い 出したんだえ特に中期縄文時諏訪沿岸地方
で このあれする中縄文非常にナミックなか
素晴らしい前え えこれはやっぱり太郎さんがあフランスで
前衛芸術運動に参加したピカソ を指導者とする前衛芸術運動に参加して
帰ってきたで帰ってきて日本で見たら6の ものはないと日本の美術はろのものはない
みんな力不足の外国の真似ばかりだ と本当に素晴らしい芸術はジマ時だけだと
彼は言ったわけですまま太郎さんがあやる といかにもえ立派に見えるんですけれどま
あおそらく太郎さんの言葉を借りれば岡本 太郎は爆発する芸術を縄文時見たという
ことになりますがそういう形でですね この発見されました縄文時
がその縄文前期え
中期6000年ぐらいからものすごい数の 縄文ができるんですえええこれはやっぱり
えその濃厚文明が入ってくる以前に1つの 文化があった
とという風に考えざら得ない とでこの文化がどうやなども日本の
ああ文化の基礎を形成してるらしいいう
ことでござい ます私ももう15年ほど前から縄文時に
見せられまし てやっぱり日本の文化の基礎にはそれ縄文
文化があるんじゃないかという風に考え ました けれど一体縄文人
はどういう生活をしていたかあるいはどう
いう 世界観を持っていたかということを知り
たいと思いましたけどなかなか知ることは できませんでしたどういう生活をしてるか
とは国学 である程度分かるんですけど彼らの世界観
が何であったかいうことはなかなか知ら られないそれは1つの学問ではだめです
多くの学問を総合しないとだめなん ですそれからもう15年ぐらいの間あ
いろんな学問を総合し て うんある程度縄文人の世界観が私には見え
始めたわけでありますまいろんな学問です ね国学もちろん歴史学それから民族学それ
から先ほど言った文化人類学それから自然 人類学それから宗教学
神和 学そういうものを色々総合する必要あり
ますが私は 特に参考になったのはです
ね縄文時代は狩猟最終生活を人々がしてい
た日本の国は農業国家になったけれど資料 最終をし続けてる人が南と北にいた南に何
がいたか南に沖縄の人たちがいる北に愛の 人たちがいるま愛の人たちは純然たる資料
最終を文化を最近まで続けてきたん沖縄の
人には農業はありますけれどそんなに沖縄 では農業はできずにやはり肥料最終
あるいは漁労最終文化を最近ま続けてきた でこの文化を参考にすることによってほぼ
私 はこの縄文人の世界観があ見えてきたと
いう風に思います えそしたらこの縄文人
の世界観というのは何かということをお
話したいと思うん
ですまずこの縄文人の家を見ます と真ん中にです
ね広場があるの真ん中に宗教的なお祭りを
するところがあるんですそして周囲 に同じような縦穴の住居が並んでるんです
でそれはみんな 同じ大きな住居ないん
ですそして実に綺麗によく整頓されて
いるそれで考えるとこの縄文時代 の人たちにはそういう階級格差っていう
ものがほとんどなかった あ あそれは平等であっ
た平等社会だった そして実に神を敬う心の
熱いうん清潔好きな人だったという風に
思わざる得ません けれど今現在でもです
ね残ってる狩猟最終生活を続けてる人
例えば日本でまの人あるいは最近までの愛 の人こういう人たちの生活を調べますと
まさにその通りなんですえええ私はまの 社会を調べました
けれどまは全く平等ですねそのまの熊の量
かくまのよに親分が決まるん だそうするとく取ることが1番重な人が
親分なるん ですところが面白いことにはそれはくま量
の間親分なですくりの間は絶対復けれど
一旦くりが終わるとと普通の人に戻るん
ですだからくまの時は誰々を親分にして命
料の時はまず誰々を親分にするこれは別の 人 でありうるんですねうんその意味で機能
社会ですこれ はそしてその熊の肉を取る
とその肉は全部平等に配分する親分も古部 も全部一緒あるいはくに参加できないうん
未亡人の家庭老人の家庭も頭において共通
に平等に配分できると見事な平等社会です ね僕感動しまし
たそしてそして実に礼儀正しい
ええ これは愛の社会は非常に礼儀正しい社会
です ね細かいとこまで全部礼儀が決まってるん
です ええ皆さん小笠れ長野県で出きてきたです
ねえやっぱりあ狩猟社会の文化伝統の残っ
てる時に出てきたというのはやっぱりその 狩猟社会そのものにそういう礼儀の
正しい社会の視が残ってたんじゃない でしょうか ねまずそこは1点ですそからもう1つこれ
は面白い考え方です が生きとし生けるものはこの人間は病ば
じゃ息とし生けるものは皆 平等人間が取り分けて生年行けるものの中
で優れているものではないという考えて あるんです息としけるものはみんな共通な
みんな魂というものもっ てるで人間だけ
が作れていないと いうそういう考え方があります
ねこれはですね皆さんその縄文時のことを 考えれば分かるんですよあの縄文ドのは
どうして作ったんかごですかあれは木の 繊維を伊上にしてそれそして縄にして巻い
てそれを時の上でこすりつけたんです何の ためにそういうことした
かこれ は木の生命力は強いん
だ木の生命力 は強くてそして人間に恩恵を与えると
こんなその種から巨体の木ができるそして 人間の
食べ物四職はどんぐりですから食べ物を 提供するそして人間の着物これも木から
作る人間の住まいこれも来た人間の船それ
も来た全部木で木が提供するだから木は
最も強い生命力であってそして人間に最も 恩恵を与えるそういうとこで木の生命力が
崇拝されるその木の生命力を時の表面に 乗り付けてそして悪例の死にを防ぐとそう
いうことですねで特に中期縄文時はですね そういう縄文で作りながら形は
日々まですマの模様が下なんですなぜ
か魔 は小さい線強い小さいくに人を殺す力を
持って いるだからそういう強い力を持っている
ものを神として祭っ て祀ることによって自分たちに対して害を
与える神から自分たちに幸福を与える神に 変えようと
する日本の祭りっていうのは大体そういう 意味を持っているのでございますがそう
いう狙を持ってあのダイナミックな世文時 が作られたわけであり
ます まあマ以外にイシ
ののがありますしそれからなんかこううん
カエルのようなとげのようなのもたくさん あり ますうんそこにやっぱり縄文自体の信仰が
ございますかアニミズムと言いますか全て え生とし行けるもの
はその不可しな霊の力でそしてえ存在して
いるんだとそしてその特別礼の力の強いの が神として崇めよとそういう考え方で
ございます私はこういう考え方が浸透の元 になる考え方だと思うんですそれは動物
崇拝植物崇拝あるいは自然現象崇拝自然
現象もまさに生きているものでございまし てそしてその世界に未満するこの生きて
いる神様を崇拝することによって人間は 災いから
逃れさを与えられるそういう信仰が当時の 信仰だという風に思います
え日本の神というものはそうそういうもの ですね狼その神なんですなぜ狼が神である
かやっぱり人を殺すかなん です人を殺すような力あるもの
は神として崇められることによって逆に 人間のためになるあるいは雷これも人を
殺し そして雨をふらして気を
潤すだからそれそういう意味は悪と善と 両面にわたってやっぱり神なんです神
あるいはお神っていうの はこれは蛇のことを不では神とって呼んで
いますがそれはやはり神なんですねええ 女将さんていうのもやっぱ強いんでしょう
かねええまなかなか人を殺すような強さを 持ってるような気がします
がまそういうのがこう世界観だ
なもう1つあるん です縄文時と並ん
で縄文時代が構成のは素晴らしい芸術品が あるんそれは何かそれは土偶で
ある縄文の土偶そういうのあれ博物館 なんか言ってよく見てください
え実に面白いんです全くピカソの中小芸術
のよう ないろんな毒がハートガタ毒と顔がこう ハートガタしてそれからみづく型
ドグ遠投型ドグ 社交機土なこう社交機を大きな目がつけ
てるような大きな目をつけましてそういう いろんな道具があります
がこのドグはやはり日本の縄文時代が残し
た日本 の芸術の傑作です
ねあるビシかは日本の芸術はは中小芸術
から始まったという風に言いますがまさに その通り
えでこの毒は一体何だろうか
とこれはあ最近前謎でありまして今でも謎
であり ます私はある本に私の仮説を出しまし
たで学問というのは一体どういうこと でしょう
かある謎の現象にぶつかる時 にその謎の現象
を説明 できる最も単純で最も明解な理論それが私
は心理だ とだから今土偶を構成する条件を上げてみ
て そして えその全ての条件を説明する最も単純で
最も明解な理論があったならばそれ は土偶を説明する時に心理とす
べき仮説だという風に私は考えるのであり ますで
この道具をよく見るとですね条件が5つ あるんだ
1つはドグは 全部女であってしかも妊婦であるといん
だ皆さんよくご覧ください え残念ながら男は1人もないんですもう
縄文時代にとって男は必要じゃなかったか と思われる ほど男の像は1つもないんですそしたら毒
は全部女で しかも幼女やばあさんはない
全部青年の女性でそして腹が触れ
てるはっきりこう触れてるのとあんまり 触れてないのはありますがやっぱり妊婦で
あることを否定する土偶は一体も ないそれが大事だ
な第2にです ねどはみんな妙な顔して
いる奇妙な顔しているんですよとても この世な人とは思え
ないハート型毒にしてもそから耳型毒にし
ても車高機毒にしても全部奇妙な顔して目 は全部つって
いる社機道具は大きなガか大きいですが 漢字の目はつってるつっているか方針して
こう動向を開いている それが第2
の道具の特徴 です第3の特徴はもっと大事なんです
けれど土偶には 全部こうお腹に毎文字の線があるんこれは
初め私へそかと思ったですけどねへそにし ては変んだ と毎日文ある深く巡ったような線もあり
ますがここ膨らんだような線もあるんです けれど一応に毎も2の線がある土偶とのは
簡単になりますとドバと いうここういうドバみたいなドバになり
ますがドバにもやっぱりこのマチ文字の線 があるんですだから毎文字の線というのが
土にとってどんなに大事なものかというの は
分かるそれから第4にですですね毒は
全部バラバラになっている完成品は1つも ないあ美館に行きますとですね全部こう
引けたものあります が頭が取れているか足が取れているか
あるいはバラバラになってるか壊れ方は 色々であります が全部バラバラになってるこれ
は初めからバラバラじゃなくて完成費に あったものを壊してバラバラにしたに違い
ないそれが第4の条件 ですそれから第5の条件これは全部の土偶
に当てはまらないことですが土偶の中に は人間のように埋葬されたものが
あるなんですか ね墓穴を作りまして丁寧に埋葬されたもの
があるでこの5つの条件でドが説明され
わけであります がこれを私は長い間考え続けたん
ですところがヒントは全く思いがけない とこからやってき
たある日私はアイヌのおばあちゃんと話し てたアイヌのおばあ
ちゃんアイヌの人は人間死んでどうなるか
それを教えてくれと言ったそたあの人たち は人間がするとあの世
行くあの世とご祖先様が待っているあの世 行くん
だ そしてまたこのように子孫ができた時にえ
あの世から帰ってくるんだあ子孫になって あの世から帰ってくるんだとこういう話を
してくれたんですね ええ
人間は循環運動して
いるそういう考え方ですだから皆さんたち
もですねもうその前 に何十回か何百回かあのとこの世の循環
運動して帰ってきたわけですもうも しばらくこのようにいますがやがてあの世
行くわけ間違いなく行きますからまた帰っ て くるそういう風に考えてたらしいんです
これは日本人も昔から考えてた そうところ
が死んで困った人が2人いるんだ1つは 子供小さい子供小さい子供はどうして困る
かというとせっかくは祖先にあの帰って くれ た帰ってお小と生まれたけれどすぐ死んだ
と この世にそれは失礼だとこのよちょっと だけ楽しんであのよ行ったこれは祖先に
失礼なことだ とそれでどうするか子供は大人と別に葬
られるとそれ は家の前に埋めて人のよく踏むとこ
にホとその話聞いた時にほ調べた縄文時代
の子供の骨は大人のように葬らないカカに
得れまして亀の缶に入れてそして下向きに し て
そして家 の前のとこに埋められてんです人のよく
踏むとこ埋められそれはなぜかとそれは なぜかと言うとそれはもうあの世行って
帰ってくんじゃなくてまだお母さんの払い 入って次の子になって生まれ変わってこい というそういうことですね
ええおそらくあれはその子宮のイメージ ですね亀の金そしてこうよく踏むという
ことはまあこセックスをするとよく セックスをして次の子になって生まれて
こいということですね ええそういう話てくその時に私はよく
わかった な日本が仏教が書いててあの地蔵さんとす
子供 をのなんかですね慰めるあの自蔵さの崇拝
自蔵崇拝っていうのは日本だけなんです それがなぜ盛なのかというのは分かっ
たそれからもう1つこと胎児は退治は困る
お母さんの腹の中に閉じ込められたらもう あの世行け ないそういう体重をどうしたらいいかと
いうと兄では腹を切ってそれて子供を 取り出し
てお母さん に抱かせてほだといぺ埋めた死体をはえ
ばあさん が忍び込んでそしてお母さんの腹切ってし
だらけにし て母にも出して送るとこれは残酷なことだ
という風に この和人は思うけどあな楽しめれ
ば腹の中に閉じ込められたらどこへも行け ないとあの世行けないお母さんに持たして
あの世を送り ましょうそういう
ことである という風に聞いたそのた
にドスのはそうじゃないかあれは
そのそういうですね胎児埋葬ギレと関係 あるんじゃないかという風に私は思ったん
ですねそうして調べてたら明治20年代に 福島県で同じようにお母さんの腹切った
事件があったん ですその時もやっぱりこ妊婦が死んだそれ
で土地の風習に従っ てある人は腹を切ってそしてして
その妊婦と胎児とそれに人形をこらえて
ほってとその人形というのが毒と同じ意味 を持ってんじゃないかと私は思っ
たそうするとですどういうことになるかと 言うと あ毒は腹が大きい妊婦だから腹大きい土は
この世な人じゃない顔してるみんなそれは 死んだ人だだからあれは比例の顔なん
そして目は 映る社交機動と大きな目をつけててもうる
なんです目がつってるなぜ大きな目つけ てるかと再生可能だとアヌのゆくでは目の
ある死体そな再生可能な死体ですから再生 はするけど本当は死んでいるなぜバラバラ
にしたか死者に備えるものみバラバラな人 でしょあれはこの世の不完全なものは あの世で完全この世の完全なものはあの世
で不完全という思想によるんですが死者に 備える茶碗なんかで今でもバラバラにする
それはそれなんそして埋葬したものがある まさに あのそれこそその妊婦埋葬の早々切れと
関係してるんじゃないかと思うんですね そうするとあの土偶の意味がよくわかるん
ですだからあの土偶に は
妊娠したお母さんが死んだそれその妊娠し たお母さんに捧げる
悲しい遺族の気持ちがあるわけ ですそういう風なことが分かると4問時代
の世界観そのわかるそれは何かと言うと えやはり霊の循環このよとあの
よ霊がこう無限にしているその循環は
ちょうどそうですね春になる と木の目が出
て秋冬になると鼻は散って歯は散っていく とその循環でもある鳥は春にやってきて秋
に帰ってくあるいは秋に来て春に帰ってく そういう 循環あれはどこの世界へ行くんだろうあれ
はきっと死の世界行くに違いないそういう 生と死の無限の循環という考え方が
まさに縄文時代の世界観であることは 分かるそと縄文時代の大体世界観が分かる
んですそれは1つは平等でそして神をむ心
は強いそして 清潔第2にアニミズムと言いますか生き
てるものは全て同じだ
と そして人間はそういう動植物との共存をし
なくては生きていけない第3に全て生き とけるものはこの世とあの世を循環すると
でこういう世界観であることが分かってき たわけです
ねこれをよく考えて見て
くださいこういう風な縄文時代が約1万年 ついたんです
そして今 から2000年前にあ正確に言えば
20300年前にえ稲作農業文化
がま朝鮮半島を通ったか通らないか問題で ありますが中国から入って
くる稲作農業文化は中国でも洋子光沿岸 地帯の文化です
この江南の文化 が江南の稲作農業が日本に入ってくる
そして日本ではそれは大変成功するなど なれば米のできる条件は水が豊富なことと
そして気候のあったかいことあ温暖 タウまさに当時の日本は今よりは
あったかいかったらしいですけれど分断 タそれでこの農業文化は立ちまち日本全土
に広がっ てそして日本は農業国になったわけ
ですそしてこの米の文化を持ってきた人 たちこれ野人という風にしますとこの野人
が今まで土着していた縄文人を征服して
そしてここに国家なるものをこらえた そして国家は初めはたくさんいくだった
わけですからだんだん統一されまして等々 山本帝によって統一される
とだから日本国家はトした野人が支配者で
到着した縄文人が被害者の国である
ということ が乞食や日本職の神話で語れているので
ありますや日本の神話で語られる1番 大きな事柄
はトラ者 が稲作濃厚を持ったトラ者が日本の被害者
これアマテラスの子孫これは天とするが 被害者で試合者
が土着 の不良祭囚人縄文人これは国の
子孫これは須能の子孫と苦上投をしまして
須能の子孫という風になってますがそれが 必死愛者だでこういう社会ができたんです
そこでカバ生というの意の身分生さでき まして ねこのカというその身分ですねその身分に
古代の日本人は支配され たその身分性をの枠をうん免れることは
できなかったこの無病星の枠を免れのは 実力ができてから特に仏教が境になって
からだと思いますがそういう社会が日本の 社会であったわけでござい
ますでそういう風にしてまさに日本は農業 国家になったわけでございますがこれが
続いてるんですねこれがまあこの徳川時代 まで続いた
だから私は弥時代は徳川までついてると 考えて もいいように思います
ねそれ以前はおそらく日本は全部森に覆わ れてた日本全土は森に終わっていたところ
がこの2000年この歴史によりまして 大体兵の森はほとんど開拓されて他になっ
た ただ森が残されてるとこあるそれは
神社神社は皆さん珍事の森というんで神社 に森がないというのはこれはまあ自己矛盾
みたいなもんで神社に必ずそうたる胸が あるそれはなぜかと言うと宗教はどもに
縄文以来の宗教を人も信じたらしいんです
だから神はぱ森にいるあれ森そのものが神 で
あるだから神のいるとこはせめて森を残さ
ないでこれが人事の文どんな農村でも神社
がそこに珍事の森が
あでそういう風 に森は切り開かれ
て他になったわけでございます がここは大変面白いんですけれど日本
の稲作農業は小麦農業のように徹底的な
自然破壊をしなかったん です中国へ皆さん旅行に行かれた人はお
気づきだと思いますがね中国と日本で 何よりも違うの
はこの山に木がない森というものがないん です山王はハゲ山ほとんどハゲ山
です気があってもほんのまにちょろちょろ とあるだけこなぜ
か昔はうそたる森あったに違い ないそれを
この5000年前から発展した濃厚文明
が森をは返したんです 森を破し
てそしてそこ を畑にし
そして木装地にしたそこで農業牧畜を始め たんです山はそれはできないだから山の
今度は木は切ってそれ
で巨大な宮や巨大な人を作った
そしてそれ を同や鉄の精霊に使ったわけですそのため
に森はないこれは1人中国のことだけでは ない4大文明の栄え
たメソポタミアエジプトインド全部森は
ほとんど省一したん
です特ににそれは農業のせい農業木竹の せいですが特に小麦農業で小麦農業は牧畜
を必ず並存してます からそれはほとんど森を聞いとっ
た で稲作農業はですねこれは平のとこしか
田んぼはできないんです山の上まで田んぼ 難しいん です
だ から他になったのは幸いにして兵だけ山は
そのまま山として残され たこれが私は大事なことです
がそういうこと で日本の森は残ったわけ
です特に日本の森 は九春と山は
九春九春で そして日本のは大変うん強いだ
から上に大きな木があるその下に神木が あってそしてそその下に草が入ってコケが
ある4層がなっているヨーロッパの食性を 見ると大体2層だと大きな木の下に草がい
て大きな木を切ってしまえば後は木装地に なるけど日本はなかなか木装値に
なりいえそれと米農業はですね牧伴わない
米農業はですねその豚飼育は伴う けれどそれ以外の動物の飼育を伴わないと
いうことが明らかになってきたそういう こともありましてえ牧畜は日本でえ栄え
ないそれで日本の山は残され
たそういうことで農業の文化 がこでも遅い遅いことは遅いんですけれど
当時に そのその農業が稲作農業であったこと
が日本の自然の条件とも重なれあっ て山が残った森が残った
まさに日本の国土の3はまだ森であるとに 森は残されたわけでございますえ日本の
歴史を見ます と やいの公民がですね古墳時代の支配者に
なってそれがまた立礼政府の支配者になっ てそして日本国家を作るんですこれは農
公民文化 ですところがこの立道性は農民を中進でき
てますがこの立上に反逆する人が出てきた それは関東武士ですねで関東は最近色々
調べられておりますがやっぱり狩猟民です 関東は は獣を取ってた狩猟民その狩猟民が今度は
戦争にえ獣を獣を殺す力を人を殺す力に 利用しまして強い武になってっ
ただから関東武が1番好きだったのはあの 狩ですねえあの藤のの巻きとかよ友の
色んな話ありますがまさにカリコスは関東 武の昔の姿なこれは狩猟民が武士になった
そしてこの片狩猟民的な文化が鎌倉時代 からぞ出てきたんですえやよい敵の公民の
文化が西にえ えこの狩猟民の文化があ東にこう出てきて
こしてこう鎌倉と京都はなあそれが後に 江戸と京都になってこう2つの中心地
えを中心として日本文化は大円形のように 栄えるわけです決して日本文化は円形では
ないんです楕円形ですねえだから2つの 文化があるんだでそれを私は色々痛感する
ことは多いうん私は生まれはですね仙台 ですね映ですな
ああ映像ですねそれでえ育ったのは
これは日本の真ん中だなそれで大学は京都
でそしてそれ以外ずっと京都住んでるだ からま私は京都学派代表する1人だなんて
言われますが京都人本当は映だんだえみこ 出てった意です木曾吉ののようなも
です色々やっぱりその記吉中でございます ので色々やっぱり京都人の理解できない
ことはあるんだ1年え実はこの私の
センターを作るのに東京へ来てましたそし たら東京に1年住みましたけどやっぱり
違うん だうん大体その先頭へ行きましたらあ
ちょっと私下町うん宿所が下町で行きまし たらその息のいい人が入ったの入れしたき
なアちゃんしてるに そしてえ雪夫に江子は熱い風呂にえ辛抱し
て入ってるんだという言っためですから その通りものすごい暑い風呂なんです我々 関西人から見るともう煮えたぎるような
風呂 だそれでも入ったど辛抱できないんでめ
たらですね入れしたおんちゃんにボルス 知られたこの田舎者 がそれようなしてありますそれで文化食を
覚えたんです が都会町町ですね町の大体性質が違うん
です京都にずっと長間住んだとあの京都の ような町だなちゃんと5番定のきちんと
生前と区画されて1条2条3条4条5条6 条78条と条とあいう
えそして南北 東西きちんとこう整理されたあれが町だと
考えるん です東京と全然あらへんねうん町の真ん中
に球場があってそしてその周囲に町になっ てるからみ全部道路が曲がっとる
んそしてまあ東京の町の気腹の多いこと
京都は大体坂は周囲にあるもんだと思った そういうのが頭へこう入り込んでしまって
へ来るとなんだろうこれはこんな密ような これは田舎に違いないとこれは田舎が
大きくなってるもんだという風に私ともは 思うんです私がすっかり京都人になってる
証拠ですがでこれはですね全く町が違うん 京都の町はやっぱりやよいの町あれは中国
の都をそのまま映した町ですあれは やっぱりそういうやい的合理主義の産物
ですね え東京の町はなんやあれは城下町から来た
んですけどあれは城下町が今東京に変わっ たわけですが全く自然発生的な街だむしろ
城下町ですからなかなか城は攻め込まない ようにわざと街が曲がってできてるんです
わざと分からんようにできてるとんでも ない街だと思います がそれは
全く違うんだだからやっぱりあれは縄文の 町だなだからえやいの町と縄文の町がある
とうんいう風に私は思うんですただしです ね京都の町と中国のですねあの長安とか
落葉の街が違うとかあるんですどこが違う かという周囲に巨大な森があるあれがない
ん です長安や楽をにも北京にも山に木がない
んですだから山に神秘感がないん
です京都 は東と西に巨大な山があるんヒガと子山
それはもう権力の及ばないとこ天皇の権力 の及ばないとこそういう恐ろしい自然が
あるん ですこれは中国と日本との大近んとこです
で東京とはですね京都はその違います けれど東京の町の真ん中に森があるん
だあれはどうもほとんど入ってない人の 入ってないとかも森があるらしいですね
太田同館以来入ったことないてえ特に前の 天皇は大変自然ほの精神が強くてちょっと
でもうんうその木をですねなることは許さ れなかったとうん木が腐ってもほっとかれ
たとはいそれで もう まさに東京の真ん中の球場は原子輪だた
ああ面白いことですなまさに縄文の森があ
東京の真ん中にあるとこれは大変私はいい ことだと思いますね
えその森がだから京都東京は正反対です
けれど森があるということに変わらない 京都は周囲にある時は町の真ん中にある気
がありますけどそれはもううとる森で囲ま れ てということには変わらないそれが日本の
文化だという風に私は思い ますそういう風に日本文化の根底にどうも
やっぱり森があるという風に私は思うん ですで明治
以来工業文明を18 世紀のイギリスで出現しましたあの工業
文明を日本は移入したそれに成功し たそして日本の至るところに後場ができ
たしかしその後場は森にできたのもある他
にできたのもあるいろんな後場があります がそれほど大きな自然破壊を私は伴なかっ
た特に最近だんだん工業は精密になります と後場はそんな大きな面積必要じゃない
なくなりますとそんなに倒す潰す必要ない そんな
に森を切る必要ないこれは 十分森の文明と共存
できる文化でありますそれでありますから
すでに農業時代においてええ日本 は1時代前の文化であり森の文化を全く
排除しなかった むしろ他の文化を森の文化を自分の中に
取り入れてそして独自の文化を発展さした
というように今は新しい公和の文化だそれ は文明まさに大文明
大物質文明その文明がやっぱり森の文化を 取り入れることによって新しい文明を
作り出すことができるという風に私には 思われるん ですどういう風にこのボミの文化が日本の
文化の隅々に浸透しているか いう霊を申し上げますとま
宗教日本の宗教は震動と仏教です
ねでありますが真とは今申しましたよう
にその本来その元になっている考え方は 全く自然崇拝アニミズムでございますどこ
にも神がある 力の強人は全部神だ宇宙を全部そういう神
が取り巻いているその神の力 を神を尊敬しよう
といつも自分を謙虚にし て神の力を借りようでこういうのが実際は
え新党の考え方でありましてこれは やっぱり私は
あまさに森の文化そのものだと思うんです で仏教の方も詳しいことはここでお話し
することはできませんが日本の仏教の究極 的な言葉といたしまして参戦目失い仏山も
草木もみんな仏さんなれる とこういう考え方が日本仏教の共通の前提
になってき たそれは本当はその釈迦の考え方ではあり
ないんです釈迦の考え方だと本当人間だけ が仏になれるしかも人間のうちでそ悟りを
開いた極小数の人間だけが仏さんになれる 仏っていうのはそういう煩悩を断ち切った
ものでございますそういうその人間にして 初めて仏になれるという考え方ですが日本
行くと誰でも仏になれる平等し そして今度
は草まで仏になれるという考え方になって きたんです
ええそれが日本仏教なんですこれは日本 仏教の徹底した平等式ですねえこれこの
平等式の上に全も日連も診断も全部立っ
てる仏になる方法は違うんです何だと言え ば楽上土行って仏になれるという考え方と
な法令で況で言えばこの世の中で仏に なれるとか 座禅すれば座ったまま仏になれるとか
いろんな考え方がありますがやっぱり全て 生としけるもの仏になるとそういう考え方
ですこれはやっぱり私は森の文化の中で 生まれた宗教だという風に思いますさらに
芸術だな 芸術例えと言うと若若の中心は単価であり
ますからこの単価はですね大体中国のは
人事を歌ったのでございますだからある その政治家がある状況に応じて自分の考え
を 歌うそれが中国の死 の本道でありますところが日本へ入って
くる とそういうその政治的な実感を歌うという
そういう死はあ変化しまして歌に歌に歌に
なりますがその歌の中心は恋の歌 と自然の
歌コキ種になりましほとんど恋の歌と自然 の歌が中心です政治的な歌はほとんどない
ですこれはやはり日本の自然 の森の文化
のなしのところでございましょうかそう いう自然のうり代わりの微妙なのが歌うと
そして自然のように女性もまた自然の ように歌われるわけです日本の女性の1時
代前までは全部大体植物の名前でしたねえ え梅子とか松子とか花子とかそういう名前
でしたこの頃はまそういう名前じゃなくて 抽象的な名前ましたけどまそのそしてまた
日本の未時に植物の名前が多いでこれは やはりやっぱり森の文化を強く反映して
いるという風に思いますそしてえ叩いて絵 にしても絵にしてもどうですか日本の絵は
大和絵課長宗教的に課長の絵え自然の仏像
にしましても中国の仏像 は混動物とか動物とか所蔵とかそういうの
中心ですから日本では木の仏ですえ 奈良時代まではあの混動物や祖がたくさん
作らないんですが平安時代になと木1本に なるんですこれは大事な方ですそれは
やっぱり日本の森の文化と繋がっ てる木
に神が宿っているだからその木に仏が木が
仏様になるのは当然だ木の仏像は木から仏
さんがこう出てきた本来こう神聖を持って いる ものが現れてきたそういう感じでまさにえ
日本の仏はほとんど気一色になっている わけでございますから庭を見ておごら
なさい庭というのは実に自然のそのまま のあれはあるべき自然を庭にしたんです
中国の庭やヨーロッパの庭は人間が征服し
た自然を庭にした日本はあれは政府たです
あるべき自然現実の自然よりもっとある べき自然そのあるべき自然はそこに神が
あってあの世がある全て宇宙があの小さな 庭に全部含まれるそういう庭を作ったわけ
でございますこれはやはり日本が世界に 誇る発明だという風に思うん
です最後に私は坂経済と関係のあるお話を
いたしますが今日本の経済の繁栄の基礎は
何を作ってんでしょう か私の友人の経済学者の飯田君
は日本のこの繁栄は
平等平等の産物だと平等ということが こんなに湖まで雪渡った社会はないと彼は
考えるん ですでこの平等ということが日本の社会の
活動力の原因であると彼は言うん
です確かにそうでしょうねえ日本のは
決して社長が全部命令してそして全部その
支配するそういう会社はあまり発展しない 全部が燃えているそして下の人の意見が上
へ反映していくそしてそれをまた上の人は
ちゃんとコントロールしてえできるだけ 意見が出ながらコントロールしてくという
のが私は本当活力のある日本の会社だと そういうことにおいてうん私は日本の会社
はやっぱ素晴らしい活力を持ってるという いう風にま言いたくその通りだと私は思い
ますねえ残念ながら日本はですね個人とし て決した人は少ないんだどうもこれ
ノーベル省でも少ないんですよ日本のよう な文明国で何にです
か大変少ないでしょうアメリカには叶い ませんがドイツにももう1/3ぐらいに
なっ てるだどうもした個人が出ないこれは決し
た個人が出ないようになってるんだよこれ は一種のやっぱ集団社会ですからねこの
集団から外れるやつが出るとどうしても 生きていけないんだ足引っ張られるんだだ
からノーベル賞取るような人もね日本じゃ なかなかわかんねあれはアメリカで
やっぱり取ってくるんですアメリカで行っ て競争社会やって勝ってくるんです常川
さんでも江崎さんでもそうですよええ 日本による人も自分の孤独の中に
立てこもったそういう人だけしかこうばし は取れないんですいやいやいやいや取っ ちゃとってもべしは取れ
ないだから決しした人はどうしても少なだ からあの意見を言えないんだ哲学がないん
だよこれはもう上から下まで大変な欠点 です政治家も実業家も学者もみんな同じだ
から日米構造競技になっても自分の理論を まくし立てるようなそういうの人が出てこ
ないかそしはいないんだよみなあの意見を 皆さんの意見を聞いてから私を決めます
こういう謙虚の人多いんだよ ねこの謙虚がまプラスになってプラスと
マイナスと あるプラスの目は確かにこれ はやっぱりデモクラシーの社会平等社会だ
から活気があるんですいいとこなんです けどねこれからねもう1つ筆なものも大事
にするよ 人間の想像性を大事にするような平等社会 を作らなくちゃ私はならんと思いますけど
ねその平等社会どこから来た か言うとどうも私は
あこれ縄文まで遡るような気が する日本にはね2つの傾向があるんです1
つは平等への方向ともう1つは秩序への 方向と人が入っていて秩序を作ったん
ですそしてそれは身分性をこらえたんです それがまたまた平等の方に戻るんそれどう
して戻るか仏教 が仏教が平等をしそうすると仏教によって
ずっと平等へ戻ってくんですまた徳川時代 にまた身分秩序できるとで今度は仏教じゃ
なくてデモクラシーでずっとと病ないだ から水が低くにつくようなそういう平等化
の方向が日本にあるん そのそれが日本の発展の原因であること 間違い
ないそれはやっぱりやっぱり森の文化に まで僕は
淵源を遡るという風に思うんそれから今 言った礼儀
たま最近はだいぶ礼儀悪くなったですけど ねまだ正しいですよまだ暗黙の秩序が日本
にあるんだ社会にそれから清潔だこれは まだあるんですこれを失っちゃいかんです
絶対それから今今申しました生年行ける ものはみ一緒
とこれは新しい文明の方向ですよ新しい 文明の方向はもう森を回復するより人類
生きる道ないんですああいう皆さん儲けに なるかしらんけど熱帯ウリを切ることは
いかんですよおめになってくださいよまだ 道他のことで考えてくださいやああれは
やっぱりこれから人類の組しようなもん ですだからやはり新しい文明はもう森の
再生しか人類ないんだよところが日本のあ 文明の原理は森の文化だこれを現代文明
科学義通文明と一体して新しい森の文明を 作るとこれが日本人の課題だと私は思うん
だそれはまた科学的なん ですやっぱり人間だけがね他の生物と違っ
てるというのはこれは間違いですわこれま キリスト教なんか違ってると言いますが
それはどうも科学的に間違えダフ以内 間違いになってきた最近またDNAという
のが発見されまして生きとしいけるものは 全部DNAの組み合わせによって決まって
くと遺伝子の組み合わせで決まるとこ 分かってきたんででキリスト教の学者は ですね一生懸命違うとキリスト人間だけ
違うはずだからDHAぐらいのものあるん じゃな主権探したけなかったと全部
アミーバもどんど植物の全部DNAとこれ は私は賛成相木失海仏という思想じゃない
かと生きと行けるものはみんな同じとこれ は素晴らしい私は信じたと思うなこういう
のが新しい文明の原理にならないと人類の 生存は難しいんですえだからそれをやり
なさい という風に私は思うんです最後にこのなか
な森の文明の世界観としてあの世とこの世
の無限の往復 ということでございますがこれはどう
でしょう私たちより え1時代前の渡合時代の日本人はまだそう
いうことを信じたんじゃないでしょうかあ だからまた子孫になって生まれてくる死ん
だら御船さんの待っているあの行くこれは 今でも言うでしょうえ五祖先さんの待って
いるあの行くとであの世行くとそのあの世 行った人は当分あの世に
留まってお正月要望に帰ってくるお正月の 角松というのは姉の人迎える目印なんです
ね盆には帰ってくるそしてあの世にいて また子孫に生まれて帰ってくるという考え
方そしてまこの子供が生まれてくるとあ これはおじいさんにそっくりだからおじい
さんが生まれ変わって違いないとこういう 信仰の中で日本人は少なくとも特会時代
まで生きてたような気がするんですねえ そしてあの世行く方が仏教でそれは葬式と
か全部仏教ですねこの世帰ってくる方は 浸透でやったです結婚式とかみんな
浸透こういう信仰が日本の信仰であるよう に思い
ます私はまああ今 605になります
がこの信仰はなかなかいいような気がする なもうこれで人生あと何年かなまあ10年
か20年か良くて30年やこんな30年 わずかしか人生ないと思うよりはまた
生まれ変わってくるとまた孫の孫ぐらいに 生まれ変わってくるないいじゃねえか
ああこういう風に思えば老年というのはあ
これは孤独の寂しいもんじゃないと新しい 生まれ変わりの準備をする時だ
ということになるわけでございます生れの 準備をするのはですねやっぱり子供や孫に
よしとかんと今度は孫の孫の生まれ変わっ た時にひどい目に合うというのでまあ
やっぱりできるだけ子供山がそればかり じゃなくて社会の人全てに良くして老年を
送るというような形にならざえない だんだん私はこういう信仰が好きになって
きたわけですどうもこれがですね森の文化
ということでこういう文化がやっぱり今も なお日本人の胸の中に生きているだけど
これは消えていく私は消えていくではいけ ないとこれをもう1回日本人は意識して
そしてこの森の文化というものを新しい 文明の基本にしない世界は今森の文明を
求めているとそれを日本は自分の伝統に
基づいて 新しい文明を傷することができるという風
に思うんですええ日本は理想のない国と
世界に認められていますけど今こそ新しい 理想を世界に向かって言うべき時はないか
と思それは 決して勝手のような国家式では何でもない
新しい人類のあり方を示すことだという風 に思うのでございますどうもご清聴
ありがとうございまし


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日本はそして地球もきっと本来は森の文明 卒寿にして刮目でした 現代の日本はグローバル化に侵されてとんでもない方向にはしっている😂なんとかしていかねば 梅原先生誠にありがとうございました
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大変感銘を受けました。縄文時代の平等の文化と弥生時代の秩序の文化 それが繰り返している所に感動しました。 文明と森が共存している社会をこれからも大切にしたいです。
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久しぶりに、懐かしいお声を聴かせて頂き、ありがとうございました。心に、爽やかな風が吹き、生きる気力を頂けました。😊
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一切衆生悉有仏性🙏
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梅原先生のご著書沢山拝読しました 赤人の諦観 神々の流竄 日本学事始 法然の哀しみなど数えきれません 本当に有り難うございました
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先生と同時代を生きる事ができて感謝しております。 私の家は山脈の奥に巣作る山師(木こり)でした。 戦争復員兵だった父は炭焼きの傍ら頻繁に猟にも出かけていました。 渡しが山奥の分校で授業中、遠くから鉄砲の音が聞こえると、今晩の夕食が猪鍋である事に幼い心を躍らせたものです。 鶏 ヤギ マムシ トカゲ カンチョウ(鹿) 猪 はたまた赤犬まで…  猿以外は山師の家にとって総てが貴重なタンパク源でした。 今この話を家族にしたら…ヒカレますけど😂
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母方が山奥で、父方が都会でしたが、なにかが違うと思ってはいたのですが、ずっとわからずにいました。でも梅原先生の本を読んで言語化できるようになりました。本当に夢中になって色々と読んで、大興奮しまくりでした。古代と現代を行き来していたのではないかと思います
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山川草木悉皆成仏 (さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)🙏
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懐かしい、バブルの時にもてはやされてた人。
何言ってるかさっぱりわからないwww
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