2022-08-17

알라딘: 村松武司, 增補 遙かなる故鄕

알라딘: 增補 遙かなる故鄕
增補 遙かなる故鄕
村松武司 (지은이)皓星社2019-01-09










정가
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増補 遥かなる故郷 ライと朝鮮の文学 単行本 – 2019/1/7
村松武司 (著), 斎藤真理子 (編集)
5つ星のうち5.0 3個の評価

単行本
¥3,080
獲得ポイント: 140pt


戦後詩の出発点である『現代詩』『造形文学』などを編集した「京城」生まれの植民者三代目は、自らの存在をかけてハンセン病と朝鮮の関わりを問い続けた。

「アジアの解放、植民地解放と同時代を生きて、アジアのもつ古く重たい、象徴的なライがそこに巨大な姿を見せていた。」
「日本人が近代化のなかで切りおとしてきた、ライと朝鮮という二つのものの中心が私のなかで一つの中心となる。」

皓星社出版第1冊の幻の評論集に、その後の論考を増補した完全版。


著者について
著・村松武司(むらまつ・たけし)

1924年、朝鮮「京城」(現ソウル)に三代目の植民者として生まれる。
戦後、井出則雄と出会い『現代詩』『造形文学』を編集。自らも作品を発表する。大江満雄や秋山清、鶴見俊輔、岡本潤、植村諦等と交流を持ち、1964年に井出の後を継いでハンセン病療養所「栗生詩話会」『高原』の選者となる。
生涯、ハンセン病文学・朝鮮問題に寄り添い続けた。1993年永眠。
著書に『朝鮮植民者─―ある明治人の生涯』『遥かなる故郷─―ライと朝鮮の文学』遺稿集『海のタリョン』ほか詩集多数。

編・斎藤真理子(さいとう・まりこ)

翻訳・執筆家。訳書に、パク・ミンギュ『カステラ』(共訳クレイン)、『ピンポン』(白水社)、チョ・ヒセ『こびとが打ち上げた小さなボール』(河出書房新社)、ファン・ジョンウン『誰でもない』(晶文社)、ハン・ガン『ギリシャ語の時間』(晶文社)、チョン・ミョングァン『鯨』(晶文社)、チョン・スチャン『羞恥』(みすず書房)、チョン・セラン『フィフティ・ピープル』(亜紀書房)、チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)など。『カステラ』で第1回日本翻訳大賞を受賞。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
斎藤/真理子
翻訳者。『カステラ』で第1回日本翻訳大賞を受賞。韓国を語らい・味わい・楽しむ雑誌『中くらいの友だち』(韓くに手帖舎発行・皓星社発売)創刊メンバー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

登録情報
出版社 ‏ : ‎ 皓星社; 増補版 (2019/1/7)
発売日 ‏ : ‎ 2019/1/7
言語 ‏ : ‎ 日本語
単行本 ‏ : ‎ 320ページ

5つ星のうち5.0 3個の評価



とがくし

5つ星のうち5.0 Kindleもある、解説が素晴らしい2019年5月24日に日本でレビュー済み

この内容の本でちゃんと電子書籍を用意しているところに出版社の良心を見る。村松武司は決して、よく知られている詩人とは言い難いだろうが、自らの朝鮮植民地出身という出自を徹底的に省みた詩人でそこにハンセン病の人たちの出会いが重なってくるのが非常の独自の特長である、独特の思想の持ち主なので若い人にもぜひ読んでもらいたい。
翻訳家の斎藤真理子の解説が熱のこもった名文でこの人には、翻訳だけでなくこういう文章をたくさん書いて欲しいと思われる。

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日章旗が引き下ろされ、朝鮮の旗が揚がって泣いた日
    
2019/3/10
 https://books.j-cast.com/2019/03/10008736.html
             
 世間的にはメジャーな本ではないと思う。『増補 遥かなる故郷 ライと朝鮮の文学』(皓星社)。

 「ライ」、すなわちハンセン病に対する一般の関心は高いとは言えない。もう一つの「朝鮮」についても同じだろう。どうして今ごろ「増補版」が出版されるのか。そこが気になった。

「植民者三代目」
 著者の村松武司さん(1924~1993)は編集者で詩人で評論家。年譜から分かりやすい経歴を拾うと、戦後「現代詩」「造形文学」などを編集し、河出書房新社やダイヤモンド社でも編集者をしていた。雑誌「数理科学」の編集長も務めた。「新日本文学会」や「思想の科学」にも属していた。いくつかの詩作品も発表し、晩年は小さな出版社も経営していた。

 79年に本書と同じタイトルの『遥かなる故郷 ライと朝鮮の文学』(皓星社)を出版している。没後の94年には遺稿集『海のタリョン』が編まれ、今回の「増補版」は両書を合体した形になっている。残念ながら、なぜ今改めて「増補版」を出すことになったのか、特に説明されていなかった。

 村松さんは一人の日本人として、きわめて特異な経歴の人だ。生まれたのは「京城」(現在のソウル)。しかも父方も母方も、どちらもかなり昔に朝鮮半島に渡っており、村松さんは「植民者三代目」だという。21歳で「帰国」するまで、日本を知らなかった。ただし、現地では日本人に囲まれていたので、「朝鮮人の友人はまことに少なかった」という。

「蛍の光」の歌声が聞こえてきた
 だから村松さんはいわゆる「引揚者」とはややニュアンスが異なる。そんなこともあり、本書に記されている「8月15日」の体験記は、きわめて興味深い。

 戦争末期の1944年、村松さんは召集され、仁川の電波兵器士官学校にいた。敗戦の翌日のことをこう回想している。

どこからか「蛍の光」の歌声が聞こえてきた。その歌詞は日本語ではなかった。やがて学校の国旗掲揚塔から日章旗が落ち、代わりに朝鮮の旗が掲揚される。士官学校に在籍していた朝鮮人青年たちの歓声が上がった・・・。
 前日、天皇の放送を聞いて、村松さんは日本軍人として泣いた。そして翌日、朝鮮の旗が揚がるのを見て、再び泣いたという。朝鮮で新しい国家が生まれたのに、朝鮮に生まれ育った自分は参加していない・・・。

「初めて朝鮮から突き放されたむなしさ、淋しさがわかった。私の心はちがうのだ、きみたちに近いのだ、と叫んでも、もう決して通わないであろうということがわかった。私は、声をあげて泣いた」(自著『朝鮮植民者』より)
 村松さんにとって日本は完全に異郷になっていた。日本に戻ると言っても「引揚者」ではない。故郷喪失者。日本からも朝鮮からも疎外を強いられていた。そんな捻じれきった数奇な個人史が、このワンシーンに凝縮されている。

日本名「吉北一郎」の由来
 日本にたどり着いて、村松さんは戦後の生真面目な文学運動に関わるようになる。友人の詩人の後を受けて、群馬県のハンセン病施設「栗生楽泉園」文芸誌「高原」の選者にもなった。そこでハンセン病とのかかわりが深まる。日本の療養施設に暮らすハンセン病者には、在日韓国・朝鮮人も少なくなかった。

 ある日、療養所から分厚い手紙が届いた。差出人名は「吉北一郎」とあった。「わたしの歩んできた道」という原稿が同封されていた。朝鮮生まれ。貧窮で日本に渡り、仲間の朝鮮人29人と北九州の炭坑へ。そこで手配師に名前を付けられる。なににしようか・・・よしきた、はじめが一郎、次が二郎、その次が三郎。というわけで自分の日本名は「吉北一郎」になってしまったのだという。「創氏改名」のリアルな一端が記されていた。

 増補版の本書では、『遥かなる故郷』の原著にはなかった年譜が掲載されている。編集を担当した翻訳家、斎藤真理子さんの「解説」も充実している。村松さんの人生が精密に浮かび上がってくる。

 昭和が遠くなって平成も幕を閉じる。もはや村松さんのような、苦い記憶と陰影を背負った日本人はいないだろうとしみじみ思う。その意味でも本書は、忘れられつつある戦後文学の一隅に光を当てた貴重な記録だ。

 本欄では関連して、(七つ森書館)、(ポプラ社)、(塙書房)、(ころから刊)、(株式会社KADOKAWA)、(岩波書店)なども紹介している。
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