実録・連合赤軍 あさま山荘への道程
実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 | |
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The Red Army (国際英題) United Red Army (欧州英題) | |
監督 | 若松孝二 |
脚本 | 若松孝二 掛川正幸 大友麻子 |
原作 | 掛川正幸 |
製作 | 尾崎宗子 大友麻子 |
製作総指揮 | 若松孝二 |
出演者 | 下記参照 |
音楽 | ジム・オルーク |
撮影 | 辻智彦 戸田義久 |
配給 | 若松プロダクション |
公開 | 2007年8月26日[1] (湯布院映画祭) 2007年10月20日[2] (東京国際映画祭) 2007年12月9日[3] (函館港イルミナシオン映画祭) 2007年12月22日[4] (シネマスコーレ先行上映) 2008年2月13日[5] (ベルリン国際映画祭) 2008年3月15日 2008年3月20日 (京大西部講堂) 2008年4月3日[6] (Nippon Connection Filmfest) |
上映時間 | 190分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
製作費 | 2億円[7] |
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(じつろく・れんごうせきぐん あさまさんそうへのみち)は、2008年公開の日本映画。若松孝二監督。
概要[編集]
若松監督は本作品の構想を2005年の段階で明らかにしており、自身の集大成とも位置づけている。
内容は、ベトナム反戦運動や公民権運動、ヒッピー文化やパリ5月革命など世界的な左翼全盛の時代に、日本でも反権力的な学生運動が盛り上がっていたころが舞台である。その学生運動の中でも最も純粋であったがゆえに、真剣に革命の実現を信じた連合赤軍の若者たち。彼らが何に突き動かされ、どのような葛藤を経てあさま山荘事件へと至っていったのか、そしてリンチ事件へと至ったのか。連合赤軍側の立場から、彼らの生き様を描こうとしている。
本作品は低予算であり、制作費の一部はカンパでまかなわれた他、若松孝二監督が自宅を抵当にいれ、宮城県大崎市(旧鳴子町)の自身の別荘をあさま山荘のロケセットとして使用、解体までおこなって、ラストシーンの撮影が行われた。また、リアルさと現場での緊張感を優先させる為、出演者はオーディションの段階からマネージャーの帯同禁止、メイクや衣装も自前で用意させる、山岳ベースからあさま山荘シーンの撮影時には、宮城の山中での長期合宿等、焦燥感ある空気を画面に創り出す工夫が成されている。撮影は「順撮り」(ストーリーの順番)で行われたわけではなく「ロケ場所やセットに合わせて縦横無尽に撮影する方法」が取られた[8]が、出演者達が段々憔悴していく姿はリアルである。長台詞が多いので、棒読みにならないよう感情を乗せるのが難しかったという。
逆の立場の映画として、連合赤軍と対峙する警察による視点で描かれた映画『突入せよ! あさま山荘事件』がある。若松は対談で『突入せよ』に腹が立った、「警察が正しい、というあんな映画を見たものだから、いまの若い人たちにわかるような映画を作りたかった」[9]、時代背景をきちんと描いて「あの時代とは何だったのか、僕は検証したかった」[10]と語っている。
2007年12月22日に若松監督がオーナーの映画館シネマスコーレ(名古屋市)で先行上映された後、翌2008年3月15日に全国公開が開始され、順次、各地で上映されていた。
出演者[編集]
連合赤軍
- 赤軍派
- 革命左派
- 永田洋子:並木愛枝
- 坂口弘:ARATA
- 吉野雅邦:菟田高城
- 寺岡恒一:佐生有語
- 杉崎ミサ子:奥田恵梨華
- 大槻節子:藤井由紀
- 金子みちよ:安部魔凛碧
- 奥沢修一:玉一敦也
- 前沢虎義:辻本一樹
- 寺林真喜江:神津千恵
- 伊藤和子:一ノ瀬めぐみ
- 中村愛子:木全悦子
- 小嶋和子:宮原真琴
- 岩田平治:岡部尚
- 尾崎充男:鈴木良崇
- 加藤能敬:高野八誠
- 加藤倫教:小木戸利光
- 能敬、倫教の弟:タモト清嵐
- 山本順一:金野学武
- 山本保子:比佐廉
連合赤軍に関連する人物
- 赤軍派
- 革命左派
その他
スタッフ[編集]
- 監督・製作・企画:若松孝二
- プロデューサー:尾崎宗子、大友麻子
- 原作:掛川正幸
- 脚本:若松孝二、掛川正幸、大友麻子
- 撮影:辻智彦、戸田義久
- 助監督・制作進行:井上亮太、千田孝一、河野建治、清水雅美、花木英里、福士織絵
- 美術:伊藤ゲン
- 小道具:千田孝一
- ガンエフェクト:ビル横山
- 音楽:ジム・オルーク
- 照明:大久保礼司
- 録音:久保田幸雄
- メイキング:竹藤佳世
- キャスティング:小林良二
- スティール:掛川正幸
受賞歴[編集]
- 第58回ベルリン国際映画祭最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)
- 第58回ベルリン国際映画祭国際芸術映画評論連盟賞(CICAE賞)
- 東京国際映画祭「日本映画・ある視点」部門作品賞
- 第82回キネマ旬報ベスト・テン 日本映画第3位
- 第32回山路ふみ子文化賞
- 第63回毎日映画コンクール 「監督賞」「撮影賞」
- 第18回日本映画批評家大賞 「作品賞」「助演女優賞」(坂井真紀)
- 映画館大賞「映画館スタッフが選ぶ、2008年に最もスクリーンで輝いた映画」第7位
関連書籍[編集]
- 若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(朝日新聞社、ISBN 978-4022503596)
舞台[編集]
同名タイトルの舞台化作品が、2017年3月にSPACE雑遊で上演予定。演出はシライケイタ(劇団温泉ドラゴン)が担当[11]。
連合赤軍元メンバーからの批判[編集]
連合赤軍元メンバー加藤倫教は連合赤軍事件に関するインタビューの中で本作について話が及んだ際に本作の終盤の劇中で弟が言うセリフに対して批判的に語っている。
「映画を見て感動したというひとが、僕のまわりにもたくさんいるんだけど、それは弟の言った言葉だというんです。しかし、それは事実としてはないこと。完全なフィクションであるならそれも構わないけれども、仮にも『実録』とタイトルをつけるかぎりは、違和感が拭えない。(中略)銃を持って交番を襲撃しろといったら、行くひとたちだった。それを『勇気がない』という一言でまとめられたんでは、ものすごく腹が立ちますね。それが間違っていると思っていたなら、行動するひとたちですよ。あるいは、組織を捨てて出たでしょう。間違っているんじゃないかという気持ちは、僕にもありましたよ。しかし、間違いだ、と言い切れない、『これはこういうことだから間違っている』と言うだけの論拠、確信がなかったんです」(中略)「若松さんに聞きたいことがあるかと言われたら、一つだけ。なぜあのような日本人ならわかるだろうという情緒的な落とし方に、どうしてしてしまったのか。あれでは『こう言いたいんだけど、言えなくて……』というのと、同じですよね。そして事が起きてしまったら、『ほんとはこうしたかったんだ』と弁解する。それと同じ扱いですよね。若松さんは、あの事件を単にそういうふうなことと理解したということなのか」[12]
関連項目[編集]
- 『光の雨』(1998年)、『光の雨 (映画)』(2001年)、『突入せよ! あさま山荘事件』(2002年)
- 日本の新左翼 - 共産主義者同盟 - 赤軍派 - 革命左派(京浜安保共闘・中京安保共闘) - 連合赤軍 - 日本赤軍
- 大菩薩峠事件(1969年11月)、よど号ハイジャック事件(1970年3月)、上赤塚交番襲撃事件(1970年12月)、印旛沼事件(1971年8月)、山岳ベース事件(1971年12月 - 1972年2月)、あさま山荘事件(1972年2月19日 - 2月28日)
- 遠山美枝子 - 重信房子 - 塩見孝也 - 永田洋子 - 森恒夫 - 坂口弘 - 植垣康博 - 坂東國男 - 吉野雅邦 - 城崎勉
極左過激派・連合赤軍が起こした“あさま山荘事件”の真相に迫る、鬼才・若松孝二入魂の傑作社会派ドラマ。
ベトナム戦争、パリの5月革命、文化大革命、安保闘争。世界がうねりを上げていた1960年代。学費値上げ反対運動に端を発した日本の学生運動も、安田講堂封鎖や三里塚闘争、沖縄返還闘争など、農民や労働者と共に社会変革を目指し、勢いを増していった。そして活動家の逮捕が相次ぐ中、先鋭化した若者たちによって連合赤軍は結成され、1972年2月の“あさま山荘事件”へと至る。
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