2019-12-18

保坂祐二 - Wikipedia



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ほさか ゆうじ保坂 祐二
生誕 1956年2月26日(63歳)
東京都
国籍 韓国
出身校 高麗大学校大学院政治外交学科修了
職業 世宗大学校教授
配偶者 あり(韓国人)
子供 2男 1女


保坂 祐二(호사카 유지、ほさか ゆうじ、1956年2月26日 - )は、日系韓国人の政治学者である。現在は世宗大学校教養学部副教授、独島総合研究所所長[1]


目次
1経歴
2主張
2.1林子平の地図と領有権研究
2.2太政官指令文研究
2.3鬱陵島と独島の名称変遷研究
2.4日本・朝鮮地図、ラスク書簡、日韓基本条約、その他
3著書
4脚注
5関連項目
6外部リンク
経歴[編集]
1956年東京に生まれる。
東京大学 工学部在籍中に『明成皇后殺害事件』(乙未事変)に関する内容に触れ、卒業後、なぜ日本は韓国を併合したのかという疑問を解決するため、1988年より韓国に留学。
高麗大学校政治外交学科3学年に編入学し1年間修学。その後、高麗大学校大学院政治外交学科修士、博士課程を経て、政治学博士号を取得。
1998年から世宗大学校の教員となる。)

2003年に韓国に帰化したが、その後も名前は「日本の名前を使いながら独島が韓国の領土であるということを証明しいくほうが効果的ではないか」として日本式を使用している[2]
2004年8月15日、韓国在住の日本人や日系韓国人としては初めて、ソウルの中心部に位置したボシン閣で、33回の打鐘に招待される。
2005年12月25日、「韓国外交通産部長官賞」受賞。
2007年8月21日、「世宗大学優秀教授特別賞」受賞。
2008年12月、世宗大学校付設独島総合研究所の所長として就任。

2009年9月、著書『我が歴史独島』が韓国刊行物倫理委員会により<9月の、読む価値のある本>歴史部門に選定される。
2013年2月、韓国政府が独島領有権の研究と広報に対する功労を認定し、紅條勤政勲章を授与[3]
2014年9月、世宗大学の正教授となり、教養学部政治学専攻副教授就任[1]
2015年2月、日本国出身者としては史上初めて、韓国独立記念館理事(任期2年)に選出される。
2015年8月、ラスク書簡に関するSSCI論文などが評価され、世宗大学から2度目の「優秀教授賞」が授与された

その他の活動として、韓国日本言語文化学会副会長、大韓弁護士協会諮問委員、東北アジア歴史財団諮問委員、韓国外交部独島対策委員会諮問委員(以上、歴任)、東アジア平和研究所常任理事、韓国国会図書館諮問委員、韓国国会図書館広報大使、海洋博物館広報大使、東アジア平和学会会長、「祖国愛、独島愛」オーストラリア連合会顧問、世宗大学独島総合研究所所長、「獨島と東アジア(www.dokdoandeastasia.com)」サイト運営者(以上、現職)、など。

主張[編集]

竹島問題に関しては、一貫して日本の主張を批判しており、竹島(韓国名:独島)は韓国領であるという立場をとっている。日本側が韓国側の主張の多くの部分を歪曲、または完全に隠蔽し、また日本側の竹島に関する領有権主張は表面的な事実を真実のように情報統制しているものであり、公開されない史料や真実があまりに多いと主張している。その代表的な例が1877年の太政官指令文の隠蔽と意図的な誤読、曲解であると主張する。特に同じ竹島問題の研究者である下條正男 拓殖大学教授(竹島問題研究所座長)が客観性を失っているとして、彼の主張を独自の根拠を挙げて批判している。例えば、下條が太政官指令文の中の「竹島外一島」をアルゴノートとダジュレーと主張していることに関して、保坂は太政官が竹島と松島をアルゴノートとダジュレーと見なしたという根拠は一切なく、指令文の内容や付図である<磯竹島略図>に示された竹島と松島は明確に鬱陵島と現在の竹島(独島)であるとして、下條が歴史的事実を意図的に隠蔽・誤読していると論文で主張している[4]。2011年、韓国人歌手キム・ジャンフンと独島を紹介するウェブサイト「TRUTH of DOKDO」(独島の真実)を開設した[5]。さらに2014年2月に保坂は新しいサイトである「独島と東アジア」を開設した。このサイトは、独島問題だけでなく慰安婦、靖国神社、憲法改正、集団的自衛権、その他についても記事、資料などを公開している[6]
林子平の地図と領有権研究[編集]

林子平による三国通覧輿地路程全図の竹嶋付近

長久保赤水による改正日本與地路程全図(1779年 初版)
1785年に林子平が制作した「三国接壌之図(三国通覧輿地路程全図)」には竹嶋(現在の鬱陵島)に朝鮮領土と記入されており、その北東近傍にある小島も同色で描かれている。保坂は、林子平が地図を作成する際に当時日本で普及していた長久保赤水改正日本輿地路程全図(1779)を元にしたとし[7]、子平の地図に記載された竹嶋(鬱陵島)すぐ東の小島は赤水の地図に記載された松島であり、子平の地図はこの二島を明確に朝鮮領土としているとしている[8]。また、この地図は1854年に江戸幕府小笠原群島の領有権をアメリカと争ったときに使用された日本の公式地図であるので、当時の日本政府は現在の竹島を朝鮮領だと認めているとしている[9][10][11]

太政官指令文研究[編集]
竹島外一島」を参照
1877年太政官指令により「竹島外一島之義本邦関係無之義ト可相心得事」と決定し、太政類典第二編には「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」としていることに関し、太政官指令文の外一島に関する内容を分析した。太政類典の中では「竹島」について現在の鬱陵島の地勢に似た内容が書かれ、「松島」については周囲が約30(約3.3km)で竹や樹木が無く、魚と獣(アシカ)が取れるとしている。彼はこの点を上げ、この文書の中の「外一島」とは松島、すなわち現在の竹島(独島)であり、太政官が現在の竹島(独島)を朝鮮領土と認定したと主張する。さらに太政類典には、「松島」は「隠岐から竹島(鬱陵島)に行くとき、同一航路上にあり、隠岐から約80(地上の距離では約320km、しかし、後述のように彼は当時海上の距離としての里は現在の海里に近かったとしている)の距離である」と記されている文章を指摘しながら、17世紀以来日本人たちは多くの文書で隠岐と松島の距離を約70-80里と記してきたという文献的事実と、里を海里と理解した場合、80里は約148kmとなり実際の隠岐〜竹島(独島)間の距離157kmに近くなることなどを指摘しながら、距離的にも「外一島(松島)」は現在の竹島(独島)であると主張する。(明治政府は1872年の時点で水路部により海上の1里を正確な1海里(=1.852km)とすることを決定しているが、保坂はその後の1877年のこの公的指令文の里も海里(浬)と解している。1905年1月28日に古来の松島を竹島と命名して島根県に編入することを決定した閣議決定文書には、隠岐と現在の竹島の距離を85浬<海里>と正確に書いている。)[12]

鬱陵島と独島の名称変遷研究[編集]
石島 (韓国)」を参照
1882年に、鬱陵島検察使に任命された李奎遠が当時の韓国王高宗と対話した際、高宗は鬱陵島の側に于山島、松竹島などがあると指摘した。しかし李奎遠はこれに対し「于山島とは鬱陵島のこと」と答えたので、高宗は李奎遠の意見をいったん受け入れ「于山島、竹島(チュクド)、松島を総称して鬱陵島と言うのだ」と整理し直した。つまりこの時「于山島とはのいう松島である」というそれまでの朝鮮の島名の認識に変化が起きたと保坂は見ている。(保坂は、この松島は現在の竹島であり、当時日本で呼ばれていた松島が現在の竹島であることを高宗は朝鮮の文献を通して知ったとしている。)そして1900年、結果的に大韓帝国は松島という日本名を捨て、鬱陵島の住民たちが現在の竹島に使っていたとする「ドクソム」という言葉を韓国王朝だけでしか使われていない「石島」として鬱島郡に編入したとしている。1882年の移住以来、住民たちは「ドクソム」の音を用いた「独島」という名称を充てて使っていたため独島という名称が定着、鬱島郡守の深興澤が1906年に住民の呼び名である「独島」という名称を用いて議定府に報告したとき議定府でも独島を現在の竹島と認識したことから、「石島」=「独島」という認識は当時の大韓帝国では一般的なものであったとし、現在の竹島の名称が韓国で于山島からトクソム(ドクソム)、つまり訓で石島、音で独島に変化した経緯を彼なりに説明している[13]
1900年10月25日の大韓帝国勅令41号において韓国政府は鬱陵島を中心にした鬱島郡を制定し、その管轄範囲を鬱陵島、チュクト、石島としたが、彼は上記の理由から石島とは独島(現在の竹島)であると主張する。彼は、鬱陵島近傍の「観音島」が島項、またはカクセ島(この名称は現在でも使用されている)という名称を持っており、この島を石島とした事実が無いこと、さらに鬱陵島に隣接している観音島は観音崎とも呼ばれる[14]
日本・朝鮮地図、ラスク書簡、日韓基本条約、その他[編集]
2005年4月、『日本の古地図にも独島はない』(子音と母音)を韓国で出版し、竹島の記載されていない日本の古地図や竹島を日本の版図外とした太政官指令文などを公開した。竹島研究には、民族主義的感情を排除した、客観的な資料発掘が重要であるとしている。
2006年10月、日本人制作による古地図の写本2点を公開した。1点は1882年制作の『朝鮮國全圖』(註:この地図に描かれた竹島と松島は、川上健三がその著書(1966)で鬱陵島と現在の竹島(独島)であることを認めている。)、もう1点は1883年に制作の『大日本全圖』。松島が『朝鮮國全圖』に記され、『大日本全圖』には記されていないことから、日本はこの時、松島が朝鮮国の一部である事を認めていたとし、同月、鬱陵島の独島博物館を訪問し、この2つの地図の写本を寄贈している[15]
2008年2月22日、日本人制作の『新撰朝鮮国全図』(1894)(註:この地図は前述の『朝鮮國全圖』に彩色しただけの地図である。)と、『朝鮮変乱詳細地図』(1894)を公開した。2点とも、現在の鬱陵島と竹島が韓国本土と同じ色で塗られ、日本列島とは領土的に区別されていることを指摘した[16][17][18]
彼は2008年7月の竹島に関するアメリカの地名委員会による表記に関わる騒動について、「日本は静かに、しかし執拗に米国(政府)側の核心人物に対するロビー活動を続けてきたが、韓国はそうでなかった」、韓国はただ「<独島は韓国が実効支配している地域であり、それをよく分かってほしい>という水準にとどまっていた」と述べている。また、「日本は‘竹島は日本固有の領土’と主張しているが、‘中立的領土’と表記され、当惑し」、「それで(日本の)主要日刊紙が報道を2-3日ほど先に延ばした」と主張している[19]
保坂は、韓国漫画家協会の要請により、韓国の代表的な漫画家であるイヒョンセと共に、<独島への愛>というマンガを原作者として5日にわたって連載した。掲載は2008年10月20日から24日まで行なわれ、朝鮮日報の文化面のトップ記事として載せられた[20][21][22][23][24]
2009年2月23日、保坂は、于山島に峰が描かれた朝鮮時代の古地図2点を公開。彼はこのような地図によって于山島が鬱陵島の東2kmに位置する峰のないチュクトではなく確実に独島であり、韓国が朝鮮時代にも独島に対する領有意識を明確に持っていたことが証明されるとした[25]
2012年、保坂は、1965年の日韓基本条約と同日に締結した『日本国と大韓民国との間の紛争の解決に関する交換公文』に、「両国政府は別に規定がある場合を除き両国間の紛争であり外交上の経路を通じて解決できない問題は両国政府が合意する第三国による調整によりその解決を図る」と規定されていると主張し、日本が1965年以後に国際司法裁判所(ICJ)に提訴することは「理にかなっていない」という見解を明らかにした[26]
2012年5月、保坂は、外務省が主張する内容ー即ち1951年8月に米国はラスク書簡を在米韓国大使館に送付し、「独島は1905年以降日本の島根県隠岐島の所管であり、それ以前に韓国が独島を領有したことも、独島に対して領有権を主張した事実もない」ことを理由に挙げて、独島を事実上日本の領土であると認めたという内容に関して「ラスク書簡は、他の連合国との間で合意された内容ではなく、米国の独断により韓国政府に送られた秘密文書であるため、米国の見解とは看做されたとしても決してサンフランシスコ条約の結論には成り得ない文書」であるとし、ラスク書簡が独島を日本領土とした文書という日本側の見解は全くの事実誤認と歪曲であることを、米国の他の秘密文書を引用して証明したと主張した[27][28]
鬱陵島と独島に関する日本での名称の混乱の本質は、日本が鬱陵島と独島の歴史を忘却し、独島を領有していなかった証拠と主張している。1883年から日本の海軍省水路部が発行を始めた日本政府の公式文書である『水路誌』では、独島を朝鮮東岸に所属する「リヤンコールト列岩」と紹介し、その歴史に関して幕末以前の歴史を記せず、「此列岩ハ1849年仏国船『リヤンコールト』号初テ之ヲ発見シ」と記して、独島が初めて1849年にフランス船によって発見されたと明記している[29] これらの事実は、19世紀の中ごろには日本が幕末以前の独島の歴史に関して忘却したことを示しており、それは当時日本が独島を領有していなかった証拠であると主張している[30]

著書[編集]

日本と韓国向けには数冊の訳書がある。著書は韓国国内向け、英語圏向けのものである。

<著書>
『日本に絶対やられるな』(2002、ダプゲ)
日本帝国主義の民族同化政策分析 〜朝鮮、満州、台湾を中心に〜』 (2002、J&K)
『現代日本の政治と社会』(2005、メボン、共著)
『日本の古地図にも独島はない』(2005、子音と母音)
『Dreaming of Seventy Million Dok-do's』(2005、図書出版多層<英文>、共著)
『日本の歴史を動かした女性たち』(2006、文学手帖
『朝鮮の士(ソンビ)と日本の侍』(2007、キムヨンサ)
『日本右翼思想の基底研究』(2007、ポゴサ、共著)
『33人の叫び』(2007、独島を愛する協議会、共著)
『独島領有権に対する韓日及び周辺国の認識と政策比較研究』(2007.韓国海洋水産開発院、共著)
『竹島問題研究会の最終報告書批判-日本側絵図に対する批判的考察』(2008.韓国海洋水産開発院)
『我が歴史独島ー韓日関係史から見た独島』(2009、冊問)
『大韓民国-独島』(2010、冊問)
『大韓民国-独島教科書』(2012、ヒューイノム)


<訳書>
『独島・竹島、韓国の論理』(2005、論創社
朝鮮戦争』(2007、論創社)
『独島=竹島論争』(2008、ポゴサ)
『植民地朝鮮の開発と民衆-植民地近代化論、収奪論の超克』(2008、明石書店)
脚注[編集]
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^ a b保坂 祐二 - 株式会社 明石書店”. www.akashi.co.jp. 2019年9月14日閲覧。
^ 「独島は韓国の領土」 日本出身の教授、韓国名にしない訳 中央日報(2019年04月08日07時38分)
^ 独島広報の貢献者らに勲章授与 韓国政府 聯合ニュース(201年2月15日)
^ 「竹島問題研究会の<竹島問題に関する調査研究最終報告書>の問題点〜太政官指令文に対する下條正男の見解を中心に〜」(韓国語)(2008.1『日本文化研究』第25集、東アジア日本学会編)
^ 統合ニュース 2011/09/23 14:23 KST 歌手キム・ジャンフン、独島紹介のウェブサイト開設[1]
^ http://www.dokdoandeastasia.com 参照
^ 韓国日語日文学会論文「林子平図と独島」<ハングル>(『日語日文学研究』第58集2巻)(2006.8)
^ 林子平が地図を作成する際に長久保赤水改正日本輿地路程全図(1779)を参考にしたということは、下條も著書『竹島は日韓どちらのものか』(2004)で記載している。
^ 2008年5月、「この地図は1854年に江戸幕府小笠原群島の領有権をアメリカと争ったときに使用された日本の公式地図である」と言う論文を発表した。
^ 日本、米国との領有権争いに独島=朝鮮領地図を使う 日本、‘独島は朝鮮領土’地図の提示で小笠原群島を獲得中央日報
^ 日本、独島=朝鮮領明記の地図、米国との領有権争いに使用 「独島=朝鮮領と明記の地図、日米領土紛争で使用」朝鮮日報
^ 精密性の要求される独島研究 (中央日報)
^ 韓国海洋水産開発院、「干山島と石島の実証的研究から見た日本の独島領有権主張」<ハングル>、『独島領有権に対する韓日及び周辺国の認識と政策比較研究』第5章(2007.12)
^ 『竹島=独島論争』(内藤正中他、2007)
^ [2] 『「独島は韓国領」…保坂祐二教授、19世紀の日本地図公開』 (朝鮮日報) 2006年10月25日
^ [3]“独島=韓国の領土”立証する日本古地図発見…保坂祐二教授 その(1) (中央日報)
^ [4]“独島=韓国の領土”立証する日本古地図発見…保坂祐二教授 その(2) (中央日報)
^ (朝鮮語)[5] 朝鮮変乱詳細地図 (京郷新聞) 2008年2月23日
^ [6] 保坂教授『米核心人物を観光させる日本のロビー活動にやられた』中央日報日本語版2008年7月30日
^ [7] 朝鮮日報2008年10月20日
^ [8] 朝鮮日報2008年10月21日
^ [9] 朝鮮日報2008年10月22日
^ [10] 朝鮮日報2008年10月23日
^ [11] 朝鮮日報2008年10月24日
^ [12] 『「于山島が独島」…19世紀の「海東輿地図」を分析』中央日報日本語版2009年2月23日
^ [13] 東大出身の保坂教授、「日本のICJ提訴は理にかなっていない」2012年08月14日08時31分 中央日報日本語版
^ [14] The Korea Times 2012年05月08日
^ [15], Yuji Hosaka, "Is the so-called ‘Rusk Letter’be a Critical Evidence of Japan’s Territorial Claim to Dokdo Island?",「Journal of Eastasia and International law」2014; Volume 7(1),145-159.
^ 。『寰瀛水路誌』第2巻第4編,p.397,「朝鮮東岸及諸島」
^ 保坂祐二著『大韓民国 独島』(韓国語版)pp.110-137.

関連項目[編集]
竹島問題
外部リンク[編集]
獨島と東アジア - 保坂祐二が開設したサイト
TRUTH of DOKDO(独島の真実)- 保坂祐二と韓国の歌手・俳優・反日活動家であるキム・ジャンフンが開設したサイト
世宗大学校の教員 保坂祐二(호사카유지)プロフィール (朝鮮語)



호사카 유지

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호사카 유지
保坂祐二
Yuji Hosaka Professor Sejong University 07.jpg
작가 정보
출생1956년 2월 26일 (63세)
일본 도쿄도
직업정치학자, 대학 교수, 저술가
언어한국어일본어
국적대한민국의 기 대한민국
학력고려대학교 대학원 정치학 박사
활동기간1998년 ~ 현재
장르국제정치외교교육학 저술
주요 작품
영향
호사카 유지(일본어保坂 祐二1956년 2월 26일 ~ )는 일본계 한국인 정치학자이다. 1988년부터 대한민국에 거주하였으며, 2003년에 대한민국으로 귀화하였다.
일본 도쿄 대학교 금속공학과에서 학사 학위를 받은 이후 대한민국 고려대학교 대학원 정치외교학과를 정치학 석사 및 박사를 취득하였다. 현재 세종대학교 독도종합연구소 소장 겸 일본학(정치학) 전공 교수이며 근·현대 한·일관계, 독도 영유권 문제 등의 전문가다. 유치원과 초등학교가 천주교계 학교였기 때문에 천주교의 영향을 받았고 그 때 담임교사였던 수녀를 자신을 위해 평생 기도해주는 50명 명단 속에 넣었다고 한다.[1] 현재 종교는 없으며 그의 저서를 보면 일본신도, 유교, 기독교 등을 문화적으로 연구하는 연구자이기도 하다.[2]

약력[편집]

  • 1956년 도쿄도에서 태어났다.
  • 원래 역사공부를 좋아했으나 대학은 렌즈회사를 경영하는 아버지의 권유로 이공계를 선택했다.[3]
  • 도쿄 대학 공학부(東京大学工学部) 금속공학과에 재학 중 『명성황후 시해사건』에 관한 내용을 접해 일본이 왜 한국과 아시아를 침략했는가라는 의문을 풀기 위해[4] 도쿄 대학교를 나온 후 본격적으로 대한민국 고려대학교 대학원에 유학했다.
  • 1988년 5월 25일 김포공항을 통해 한국에 입국했으며 이후 고려대학교 민족문화연구소가 운영하는 한국어학당에 입학, 9개월간 한국어를 연수했다. 1989년 2월, 한국어학당 최우수상을 수상하여 수료. 1989년 3월, 고려대학교 정외과 3학년에 편입학했다. 도쿄대에서의 전공과 다른 분야를 전공하기 위해 편입학했다고 한다. 편입학하여 1년간만 다니면서 대학원 진학을 위한 선수과목을 이수했다. 1990년 3월,고려대학교 대학원 정치외교학과에 진학, 석·박사 과정을 마치고 1998년부터 세종대학교 교수로 임용되었다.(전공은 비교정치)
  • 정치학 석사 학위 논문 제목은 <후쿠자와 유키치와 조선개화파>, 박사학위 논문 제목은 <일본제국주의의 민족동화정책분석-조선, 만주, 대만을 중심으로>이다.
  • 최종학위는 정치학 박사이다.
  • 1998년부터 본격적으로 독도영유권연구를 시작해 독보적인 독도연구자로 알려져 있다.
  • 2001년 3월, 일본정부가 왜곡된 역사교과서(새 역사 교과서, 후소샤)를 검정 통과시켰을 뿐만이 아니라 같은 해 8월13일 고이즈미 수상(당시)이 야스쿠니신사를 참배했을 때 이를 강도높이 비판했다.[5]
  • 2003년 5월, 일본 자민당의 아소타로 국회의원이 “창씨개명은 한국인이 원해서 실시한 것”이라는 망언을 했을 때 창씨개명이 일제가 강제적으로 시행한 것임을 근거자료를 제시하면서 증명했다.[6]
  • 2003년 8월, 대한민국에 귀화했다. 그러나 이름은 일본 이름을 그대로 사용하고 있다.
  • 2004년 8월 15일, 주한일본인과 일본계 한국인으로는 처음으로 보신각 타종행사에 참가했다.[7]
  • 2005년, 일본 시마네현이 ‘다케시마의 날’을 제정해 독도가 일본영토라고 주장했을 때 독도가 일본영토로 기재되지 않은 일본 고지도를 다수 발견하여[8] 고지도를 다수 수록한 저서 <일본 고지도에도 독도 없다>(2005, 자음과모음)를 출간, 일본의 독도영유권 주장의 허구성을 지적했다.[9]
  • 이후 호사카교수는 독도가 한국땅으로 기재되어 있거나 독도를 일본영토에서 제외시킨 일본 측 고지도 등을 다수 발견하여 그때마다 이를 논문 등으로 발표하면서 언론에도 공개했다.[10][11][12]
  • 2006년 4-6월, 독도에서 한일 간 충돌이 일어날 가능성이 있던 시기에 방한한 일본의 국회의원들(후에 총리가 된 민주당 하토야마 유키오씨 포함)에게 2차례에 걸쳐 한국의 독도영유권 논리를 설명했다.[13]
  • 2006년10월, 독도를 한국영토로 일본정부 스스로가 인정한 1877년 태정관 지령문에 대해 연합뉴스와 함께 일본정부에 질문서를 보냈고 일본정부를 하여금 사실상 독도가 한국영토임을 인정케 하는데 성공했다.[14]
  • 2007년 10월, 중국의 한국인학교, 난징대학교 및 상하이 사범대학의 초청으로 한일관계, 위안부문제 등을 강연했다.[15]
  • 2008년 9월 및 10월, 방한한 일본의 대학생들의 초청으로 2차례에 걸쳐 독도문제를 일본어로 강의했다.
  • 2009년 5월, 세종대학교 부설 독도종합연구소 소장으로 취임.
  • 2009년 1월부터 2012년 1월까지 3년 간 중앙일보에 ‘삶의 향기’ 칼럼필진으로 활약.[16]
  • 2009년 5월 7일 미국 워싱턴D.C. 프레스클럽에서 하와이 대학의 존 반 다이크 교수들과 함께 워싱턴D.C. 독도수호대책본부 주최, 미국 최초의 독도 심포지엄에서 논문을 발표했다. 영어로 강연해 참가자의 질문에 대답했다.[17]
  • 2009년 6월, 호주의 독도수호 단체의 초청으로 시드니, 브리즈번, 메르번 등에서 독도영유권문제를 강의. 2014년까지 꾸준히 호주연합의 초청으로 호주 전역에서 활동했다.[18]
  • 2009년 7월, 방한 중인 호주, 뉴질랜드, 서유럽 등의 사회과 교사들의 초청으로 고려대 등에서 독도영유권문제를 강연.
  • 2009년 9월, 일본의 간사이 지구의 한 청년 단체의 초청으로 교토에서 한일 관계사와 독도 영유권문제를 강연.
  • 2009년 9월, 저서 『우리역사 독도』가 한국 간행물 윤리위원회의 <9월의 읽을 만한 책> 역사 부문에 선정.
  • 2010년 2월, 1877년 일본 육군참모국이 작성한 "대일본전도" 원본을 공개. 독도가 일본영토에서 빠져 있는 것을 지적, 일본 정부의 독도 고유영토론은 성립되지 않는 것을 주장. 이 지도는 동북아 역사 재단 주최로 3월 2일부터 9일까지 한국국회도서관에서 열린 <동해 독도 고지도전시회>에 출품됐다.
  • 2009년 11월 및 2010년 3월과 11월, 가수 김장훈씨가 독도종합연구소에 총 3억원을 기부.
  • 2010년 11월 호사카교수는 가수 김장훈씨와 함께 ‘독도의 진실’(www.truthofdokdoo.com)을 한국어, 일본어, 영어 등으로 제작, 오픈해 인터넷과 SNS를 통한 독도홍보에 적극적으로 나서기 시작했다.[19] ‘독도의 진실’ 사이트는 그후 네이버, Daum 등 주요 포탈사이트에서 검색어 1위에 몇 번 올라가기도 했다.
  • 2012년, KBS가 제작한 KBS스페셜 독도다큐(2012. 8.19, 10/14 반송, ‘한중일 역사전쟁’ 2부작)에 주역으로 출연해 일본 자민당의 독도전문 국회의원 신도 요시타카와 독도영유권 논쟁을 벌이면서 독도가 일본영토라는 일본 측 논리를 논박하는 모습이 보도되었다. 호사카교수는 이 다큐 프로를 통해 2012년 7월 미국의회에서 독도를 대한민국의 영토로 연설한 동영상도 공개했다.[20]
  • 2012년 8월10일 이명박대통령(당시)이 독도를 방문하면서 불거진 한일갈등에 대해 호사카교수는 언론기고 등을 통해 독도문제는 1965년의 한일기본조약 체결 시에 사실상 종료된 문제이며 1965년 당시 일본은 독도를 포기했다고 해석할 수 있는 공식문서를 남겼다고 밝혔다.[21]
  • 2012년 8월 24일, 일본의 노다 요시히코 총리(당시)가 일본국회에서 공표한 ‘독도가 일본땅인 3가지 이유’에 대한 반박문을 영어와 일본어로 작성해 일본, 미국, 영국 등 선진국의 정부기관, 유명 언론사, 각종 주요기관, 각종 대학교 등에 보내 독도가 일본영토라는 일본 측 주장이 성립되지 않으므로 독도분쟁이란 존재하지 않는다는 점을 강조했다.[22]
  • 2013년 2월, 대한민국 정부는 독도영유권에 대한 연구와 홍보에 대한 공로를 인정하여 호사카교수에 <홍조 근정 훈장>을 수여했다.
  • 2014년 2월, "독도와 동아시아"라는 사이트를 독도종합연구소의 공식 사이트로서 오픈. 이 사이트에서는 독도 문제뿐만 아니라 일본군 위안부 문제, 일본의 야스쿠니신사 참배 문제, 일본의 재군비 등에 대해서도 자료와 해설, 분석 등의 글들이 올려져 있다.
  • 2014년 5월, 호사카교수의 "러스크 서한에 관한 논문"이 세계적 논문 수준으로 인정되는 SSCI논문으로 발표되었다. 논문명 'Is the so-called Rusk Letter be a critical evidence of Japan's territorial claim to Dokodo Island?', pp. 145–159. in "Journal of East Asia and International Law"Ⅶ JEAIL 1(2014)[23] 이 논문은, 미국무성이 대한민국 재미 대사관으로 송부한 '러스크 서한'<1951.8.10>이 독도를 일본영토로 주장한 경위와 그 배경을 분석했다. 그 결과 호사카교수의 논문은 미국무성의 주장은 미국만의 견해에 불과하므로 법적으로 한국의 독도영유권에 영향을 미치지 못한다는 점을 뚜렷한 증거를 제시하면서 논증했다. 미국 자체는 샌프란시스코 조약 상 독도가 일본 영토가 되었다고 단정한 적이 없으며 항상 "미국은 그것(=샌프란시스코 조약 상 독도가 일본령이 된 것)을 믿는다", "그렇다고 가설을 세울 수 있다", "이것은 미국의 의견이어서 다른 나라에는 공개하지 않았다", "독도가 일본령이라는 견해는 미국만의 견해이며 샌프란시스코 조약의 다른 서명국들은 다른 견해<=독도는 한국영토>를 갖고 있었다" 등으로 밝혔고 독도가 일본영토로 법적으로 정해졌다고 말한 적이 없다는 점을 호사카교수는 증명했다. 이 논문에 의해 샌프란시스코 조약상 독도는 일본영토로 정해졌다는 일본 측 주장이 부정된 셈이다. 일본 타큐쇼쿠 대학의 시모조 마사오 교수는 2010년부터 이 주장을 계속 논박하려고 해 왔으나 2017년 1월 30일 현재까지도 비판의 글을 발표 못하고 있다. 참조:시마네현 다케시마 문제 연구회 공식 사이트,<호사카 교수와 김장훈의 주장을 비판한다>
  • 기타 활동으로서, 한국일본언어문화학회 부회장, 대한변호사협회 자문위원, 동북아 역사재단 자문위원(역임), 한국외교부 독도대책 위원회 자문위원, 동아시아평화문제연구소 상임이사, 한국국회도서관 자문위원 및 홍보대사, 해양박물관 홍보대사, 동아시아평화학회 회장, "조국애, 독도사랑"호주연합회 고문, 세종대 독도종합연구소 소장, "독도와 동아시아(dokdoandeastasia.com)" 웹사이트 운영자(이상 현직) 등.
  • 2015년 1월, KBS의 객원논설위원으로 위촉.[24]
  • 2015년 3월, 한국 천안 소재 독립기념관의 비상임이사로 임명됨. 일본 출신자로 처음 있는 일로 많은 주목을 받았다.[25]
  • 2015년 3월, 경상북도청이 독도위원회를 발족시켜 호사카교수를 독도위원회 위원으로 위촉.[26]
  • 2015년 8월, 세종대학교에서 호사카교수의 독도문제(러스크서한에 대한 반박)에 관한 SSCI논문 발표 등의 공로를 인정해 '세종대 우수교수상'을 수여. 호사카 교수 자신으로는 2008년 8월에 이어 2번째 수상이다.
  • 2016년 7월, 저서 <독도, 다케시마의 일한사(日韓史)>를 일본 론소샤에서 일본어로 출간.
  • 2016년 8월, 저서 <독도, 1500년의 역사>를 교보문고 기획서로 출간.

주된 수상경력[편집]

  • 2005년12월, <외교통상부 장관표창> 수상.
  • 2008년 8월, <세종대 우수교수상> 수상.
  • 2011년 6월, <대한민국 국회 독도특별위원회 공로상> 수상.
  • 2012년12월, <KBS 감동대상 I love Korea상>수상.
  • 2013년 2월, <대한민국 홍조근정 훈장> 수상.
  • 2015년 8월, <세종대 우수교수상> 수상.

학력[편집]

주장[편집]

  • 그는 조선, 만주, 대만에 대한 지배정책을 연구했기 때문에 그 연구의 연장선상에 역사교과서 문제, 야스쿠니신사 참배문제, 그리고 독도영유권문제에 관한 현재의 연구를 진행시키고 있다. 한일관계에 있어서 일본 측을 비판할 뿐만이 아니라 언론, 저서 등을 통해 한국인이 고쳐야 할 점을 함께 지적하고 있다.
  • 한국과 일본의 문화에도 관심을 갖고 있어 일본문화 연구, 한국문화 연구 등을 병행하고 있다.
  • 일본의 사무라이 문화가 손자병법의 사고방식을 그 기저에 갖고 있는 점에 주목, 일본의 침략성뿐만이 아니라 일본인의 철저한 사전준비정신과 연구정신 등을 손자병법을 통해 설명한다. 한편, 선비문화가 한국인의 정신적 토대라고 주장하여 선비문화의 빛과 그림자에 대해 설명한다.(참고 : 저서 『조선선비와 일본 사무라이』,2007,김영사)
  • 일제시대 연구에서는 교육정책, 동화정책, 창씨개명, 잡거정책, 내지연장정책 등에 대한 연구로 박사학위를 받았다. 그는 일제가 그 지배지역에 대해 민도가 낮다는 이유를 내세워 30-50년 전 일본에서 시행된 낡은 법제도를 조선이나 대만에 시행해 항상 일본본토와의 차별성을 유지했다고 주장한다.(참고 : 저서 『일본제국주의의 민족동화정책분석』,2002,J&C)

독도 관련[편집]

  • 독도 문제에 관해서는 일본 측이 자료를 많이 은폐, 왜곡하고 있다고 주장하여 독도는 한국땅이라는 입장이다.
  • 1990년대 후반에 독도에 대한 한일간의 견해 차이를 크게 느껴 양국의 주장과 제시 자료들을 객관적인 입장으로 연구하기 시작했다. 그 과정에서 일본 측 주장에는 왜곡과 자료은폐가 많다는 것을 간파, 이후 독도영유권문제에 있어 새로운 논리와 자료를 제시해 오고 있다.
  • 2005년 3월에 일본 시마네현이 <다케시마의 날>을 제정하자 독도가 그려져 있지 않은 일본 고지도, 독도가 한국땅으로 기재된 일본에서 제작된 조선지도 등을 다수 공개했다. 독도연구에 있어 자료발굴과 논리구축의 중요성을 강조한다.
  • 2005년 4월, <일본 고지도에도 독도 없다>(자음과모음)를 출간하여 독도가 빠져 있는 일본 고지도를 다수 공개했다.
  • 2006년 10월, 19세기에 독도를 한국땅으로 표기한 일본의 고지도 2점을 공개했다. 1점은 1882년 제작된 『조선국전도』(朝鮮國全圖), 또 1점은 1883년에 제작된 『대일본전도』(大日本全圖). 같은 날, 울릉도의 독도박물관을 방문하고 이 2점의 지도를 기증했다.
  • 2006년, <하야시 시헤이도(林子平圖)와 독도>라는 논문으로 1785년에 일본의 지리학자 하야시 시헤이가 작성한 <삼국접양지도(三國接壤之圖)>에 그려진 동해 한가운데의 2섬 중 울릉도(죽도<竹嶋>라고 기재) 옆에 있는 작은 섬이 독도라는 사실을 처음으로 문헌적으로 명백히 증명했다. 2섬은 한반도와 같은 색으로 채색되어 있고 '조선의 소유(朝鮮の持也)'라고 기재되어 있다.
  • 2008년 2월 22일, 일본 측에 소위 <다케시마의 날>행사에 맞춰 1894년에 일본에서 작성된 고지도 2점을 공개했다. 2점 모두 독도가 한반도와 같은 색깔로 채색되어 있고 일본열도와는 명백히 구별되어 있다. 2점은 『신찬조선국전도』(新撰朝鮮國全圖)와 『일청한 조선변란상세지도(日淸韓 朝鮮變亂詳細地圖)』이다. 『신찬조선국전도』는 1882년에 스즈키 케이사쿠(鈴木敬作)에 의해 제작된 『조선국전도』에 색칠만을 가한 지도이다. 일본의 대표적인 외무성관리이자 독도연구가 가와카미 켄조(川上健三)는 1966년에 출판한 저서 속에서 당시의 도명(島名)혼란을 정리하면서 전술한 『조선국전도』에 나타난 다케시마(竹島)와 마쓰시마(松島)는 옛날 그대로 명칭을 사용한 지도이어서 그 2섬은 바로 울릉도와 독도라고 언급한 적이 있다. 그러므로 그 지도에 색칠만 가한 『신찬조선국전도』의 2섬도 울릉도와 독도이며 조선령으로 채색되어 있다고 그는 주장한다.
  • 2008년 5월, 1854년에 일본이 미국과 오가사와라(小笠原) 군도의 영유권을 놓고 분쟁을 벌였을 때 독도가 조선땅이라 기재된 전술한 하야시 시헤이의 <삼국접양지도>(1785)를 공식적으로 사용해 미국 측을 이겨낸 역사적 사실을 공표해, 하야시의 지도가 일본의 공식지도로서 독도를 한국령으로 인정하고 있는 점을 지적했다. 이 사실에 대해 일본 시마네현의 '다케시마문제연구회' 최종보고서에서는 <하야시 시헤이의 지도는 영유권을 나타내는 자료가 아니다>라고 기술되어 있는 점을 들어 일본 측의 연구는 엉터리임을 지적했다.
  • 호사카교수는 한국 만화가 협회의 요청에 따라 한국의 대표적인 만화가인 이현세씨와 함께<독도 사랑>라는 만화를 <조선일보>에 5회에 걸쳐 연재했다. 이 만화는 2008년10월20일부터 24일까지 연재되며, 조선일보 문화 면에 올랐다.[27],[28],[29],[30],[31]
  • 2009년 2월 23일, 호사카교수는 우산도의 산봉우리가 그려진 조선 시대 고지도 2점을 공개. 그는 이런 지도에 의해 우산도가 울릉도 동쪽 2km에 위치한, 산봉우리가 없는 죽도가 아닌, 확실하게 독도라고 주장. 한국이 조선시대에 독도에 대한 영유의식을 분명히 갖고 있었던 것으로 증명된다고 밝혔다.[32]
  • 2012년, 호사카교수는 1965년 6월22일 한일 기본 조약이 체결되었을 때 함께 조인된 『일본과 대한민국 사이의 분쟁 해결에 관한 교환 공문』에 "양국 정부는 별도의 규정이 있는 경우를 제외하고 양국 간 분쟁은 우선 외교적 경로를 통해 해결을 도모하여 그것이 안 될 경우 조정에 의해 그 해결을 도모한다"라고 규정되었다고 하면서 일본이 독도를 국제사법재판소(ICJ)에 제소하는 것은 "어불성설"이라고 주장했다.[33].
  • 2012년 5월 호사카교수는 일본 외무성이 주장하는 내용-즉 1951년 8월 미국은 '러스크 서한'을 주미 한국 대사관에 보내 "독도는 1905년 이후 일본 시마네현 오키 섬의 소관이고 그 전에 한국이 독도를 영유한 것도 독도에 대해 영유권을 주장한 사실도 없다"라는 이유로 독도를 사실상 일본영토로 인정했다는 내용-에 대해 "러스크 서한은 다른 연합국 사이에서 합의된 내용이 아니라 미국의 독단에 의해 한국 정부에 보내진 비밀문서이기 때문에 미국의 견해로 간주된다 하더라도 결코 샌프란시스코 조약의 결론이 될 수 없는 문서"라고 주장했다. 즉, 러스크 서한이 독도를 일본 땅으로 증명한 문서라는 일본 측의 견해는 사실 오인과 왜곡임을 미국의 기타 비밀문서들을 인용해서 증명했다.[34]
  • 2014년 5월, 일본 측이 주장하는 '독도 일본영토의 증거' 러스크 서한을 비판한 SSCI 논문을 발표. 서양권으로부터도 주목을 받음.[23]
  • 기타 독도연구 전반에 걸쳐 새로운 자료와 논리를 지속적으로 개발하고 있다.

기타[편집]

  • 부친이 경영한 렌즈 회사 거래처에는 재일 한국인이나 일본으로 귀화한 한국인이 많았다. 그들과 접촉하면서 대한민국이란 나라에 매료되었다. 부친이 렌즈의 연구로 알게 된 서울대 교수에 대해 이야기할 때는 반드시 <그 분은 일본 사람 중에는 없는 정도의 훌륭한 인격자다>라고 말을 한 것을 듣고 어린 시절에 한국인에 대한 좋은 이미지를 갖게 되었다고 한다.[35]
  • 개인적으로 역도산<고인>의 제자들이나 역도산의 부인과 친교가 있다고 한다.[36]
  • 2008년, 세종대학교에 <역사와 한국의 영토>라는 과목을 개설해 1학기 간 독도문제를 전문적으로 가르치고 있다.[37] 타 대학교에서도 학생들이 찾아와 독도문제나 한일관계에 대해 의견을 듣고 간다고 한다.
  • 2016년, MOOC 강좌로 <역사와 한국의 영토(History and the Korean Territory)> 강의를 개설했고 독도영유권과 한국의 근현대사를 강의하고 있다.[38]
  • 한일관계, 한일문화의 차이, 독도문제 등에 대한 강연의뢰나 기고청탁 등을 많이 받는 편이라고 한다.[39]
  • 이름을 일본 이름 그대로 사용한 것은 오히려 일본인의 입장에서 한국을 옹호하는 효과를 줄 수 있어서 일본 이름을 계속 사용한다고 한다. 만약 한국이름(예 : 호유지)으로 개명했다면 국내나 일본에 미치는 영향력이 떨어질 수 있다.

저서[편집]

  • 일본에게 절대 당하지 마라 (2002, 답계)
  • 일본제국주의의 민족동화정책분석-조선, 만주, 대만을 중심으로- (2002, J&C)
  • 독도/다케시마 한국의 논리 (역서, 2005, 일본 론소샤<論創社>)
  • 일본 고지도에도 독도 없다 (2005,자음과모음)
  • 일본역사를 움직인 여인들 (2005, 문학수첩)
  • 현대한국의 정치와 사회 (공저, 2005, 매봉)
  • 일본우익사상의 기저연구 (공저, 2007, 보고사)
  • 조선선비와 일본 사무라이 (2007, 김영사)
  • 조선전쟁 (역서, 2007, 론소샤<論創社>)
  • 독도=다케시마 논쟁 (역서, 2008, 보고사)
  • 우리역사 독도 (2009, 책문)
  • 대한민국 독도 (2010, 책문)
  • 대한민국 독도 교과서: 어린이가 처음 만나는 독도 이야기 (2012. 휴이넘)
  • 독도, 다케시마의 일한사 (2016, 론소샤<論創社>)
  • 독도, 1500년의 역사 (2016, 교보문고)

각주[편집]

  1.  [중앙일보,<삶의 향기>,2009.3.2,http://news.joins.com/article/[깨진 링크(과거 내용 찾기)]]
  2.  [1]
  3.  [중앙일보, 2009.1.3.<삶의 향기> 나를 바꾼 한마디, http://news.joins.com/article/3442841]
  4.  [중앙일보, 2015.9.15, <전문가 기고> 언어 폭력이 언론 자유인가, http://news.joins.com/article/18598939]
  5.  조선일보 : http://news.chosun.com/svc/content_view/content_view.html?contid=2001081470263
  6.  조선일보 : http://news.chosun.com/svc/content_view/content_view.html?contid=2003062370321 ; http://news.chosun.com/svc/content_view/content_view.html?contid=2003111470206
  7.  [매일경제, http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=009&aid=0000386653]
  8.  동아일보 : http://news.donga.com/3/all/20050324/8172713/1
  9.  동아일보 : http://news.donga.com/3/all/20050408/8177573/1
  10.  동아일보 : http://news.donga.com/3/all/20061025/8365478/1http://news.donga.com/3/all/20061025/8365635/1[깨진 링크(과거 내용 찾기)]http://news.donga.com/3/all/20080223/8547507/1http://news.donga.com/3/all/20100218/26249907/1,
  11.  조선일보 : http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2008/05/02/2008050201622.htmlhttp://news.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/25/2006102560102.htmlhttp://news.chosun.com/site/data/html_dir/2010/02/18/2010021800041.html,
  12.  중앙일보 : http://article.joinsmsn.com/news/article/article.asp?total_id=1626870[깨진 링크(과거 내용 찾기)]http://article.joinsmsn.com/news/article/article.asp?total_id=2486620[깨진 링크(과거 내용 찾기)]http://article.joinsmsn.com/news/article/article.asp?total_id=3049894[깨진 링크(과거 내용 찾기)]http://article.joinsmsn.com/news/article/article.asp?total_id=3133581[깨진 링크(과거 내용 찾기)]
  13.  [중앙일보, <삶의 향기> 내가 만난 하토야마 총리, http://news.joins.com/article/4111142]
  14.  동아일보 : http://news.donga.com/3/all/20061120/8375073/1[깨진 링크(과거 내용 찾기)], 중앙일보 : http://article.joinsmsn.com/news/article/article.asp?total_id=2536844[깨진 링크(과거 내용 찾기)], 조선일보 : http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2006/11/20/2006112060117.html[깨진 링크(과거 내용 찾기)], 기타
  15.  [경향신문, 2007.11.2. <한국에 살아보니>, http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=200711021749491&code=990333]
  16.  중앙일보 : http://article.joinsmsn.com/news/article/article.asp?total_id=3475797[깨진 링크(과거 내용 찾기)]http://article.joinsmsn.com/news/article/article.asp?total_id=7209497[깨진 링크(과거 내용 찾기)], 등
  17.  [서울신문, 2009.5.9, http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20090509002014]
  18.  [경북매일, 2012.5.22. http://www.kbmaeil.com/news/articleView.html?idxno=255020]
  19.  조선일보 : http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2011/10/06/2011100602077.html, 중앙일보 :http://article.joinsmsn.com/news/article/article.asp?total_id=6788178[깨진 링크(과거 내용 찾기)], 기타
  20.  http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=100&oid=001&aid=0005756576, 다운로드 : http://hryvnia.info/item159487.html[깨진 링크(과거 내용 찾기)]
  21.  중앙일보 : http://article.joinsmsn.com/news/article/article.asp?total_id=9032358[깨진 링크(과거 내용 찾기)]http://article.joinsmsn.com/news/article/article.asp?total_id=9043458Archived 2012년 8월 18일 - 웨이백 머신, 기타
  22.  http://www.clien.net/cs2/bbs/board.php?bo_table=park&wr_id=15616897
  23. ↑ 이동:  [2]
  24.  http://news.kbs.co.kr/news/NewsView.do?SEARCH_NEWS_CODE=2995895&ref=A
  25.  조선일보 : http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2015/03/17/2015031700250.html, 중앙일보 : http://article.joins.com/news/article/article.asp?total_id=17359579&cloc=olink%7Carticle%7Cdefault
  26.  http://news.kmib.co.kr/article/view.asp?arcid=0923008616&code=11110000&cp=nv
  27.  [3] 조선 일보 2008년 10월 20일
  28.  [4] 조선 일보 2008년 10월 21일
  29.  [5] 조선 일보 2008년 10월 22일
  30.  [6] 조선 일보 2008년 10월 23일
  31.  [7] 조선 일보 2008년 10월 24일
  32.  "우산도가 독도"…19세기의 "해동 여지도"를 분석』 중앙일보 일본어판 2009년 2월23일
  33.  대학 출신의 호사카 교수, "일본의 ICJ제소는 어불성설" 2012년 08월14일 08시 31분 중앙일보 일본어판
  34.  [8] The Korea Times 2012년 05월 08일
  35.  [중앙일보, 2009.1.3.<삶의 향기> 나를 바꾼 한마디,http://news.joins.com/article/3442841]
  36.  [9]
  37.  [10]
  38.  [11]
  39.  http://www.cctoday.co.kr/?mod=news&act=articleView&idxno=994473, 연합뉴스, http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=001&aid=0002809903[깨진 링크(과거 내용 찾기)]

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