徳恵翁主 - Wikipedia
徳恵翁主
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徳恵翁主
덕혜옹주(德惠翁主)
이덕혜(李德惠)
李家
徳恵翁主(1923年頃)
出生 1912年5月25日
朝鮮(日本統治時代)京畿道京城府
死去 1989年4月21日(76歳没)
大韓民国ソウル特別市鍾路区 昌徳宮内楽善斎内寿康斎
埋葬 大韓民国京畿道南揚州市金谷洞 洪裕陵
配偶者 宗武志(宗家第37代当主)
子女 宗正恵
父親 高宗
母親 福寧堂 貴人梁氏(1882年9月27日- 1929年4月22日)
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夫・宗武志と(1931年、対馬厳原にて)
徳恵翁主(とくけいおうしゅ/トッキェオンジュ、1912年5月25日 - 1989年4月21日)は、李氏朝鮮国王・大韓帝国皇帝高宗の王女。「翁主」は、李氏朝鮮(大韓帝国)において王(皇帝)の側室所生の王女(皇女)の称号。ただし、徳恵は日韓併合後の生まれである。
別名・俗称は李徳恵(イ・トッケ、または り とくえ)、宗徳恵(そう とくえ)、梁徳恵(ヤン・トッケ)、徳恵姫(とくえひめ)。
目次
1生涯
2栄典
3娘:正恵について
421世紀における再注目
5登場作品
6脚注
7参考文献
8関連項目
生涯[編集]
日韓併合から2年後の1912年、日本の王族・徳寿宮李太王となっていた高宗と側室である福寧堂梁貴人との間に生まれた。
徳寿宮での徳恵翁主。左から李垠、純宗、高宗、不明(高宗の妃の一人)、徳恵翁主(1918年)
1916年から高宗が徳寿宮内の即祚堂に設けた幼稚園で学んだが、1921年から京城(現在のソウル)日之出小学校2年に編入し、日本語での教育を受けた。日之出小学校時代に作詞の能力を認められ、「童謡の姫君様」と讃えられ[1]、1922年頃に作った詞「雨」と「蜂」は1923年10月頃に京城に滞在した日本の音楽家宮城道雄が箏で作曲をつけ[2]、1923年末頃に京城で「徳恵姫御作童謡発表会」が行われた[3][4]。1924年には徳恵の作詞した「びら」に黒沢隆朝が作曲し、徳恵の前で演奏した[4]。その後1929年7月には日本ビクター(現在のJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)からレコードが発売された[5]。
朝鮮にいた時の姿(1925年)
1925年3月に12歳で内地に渡り、東京の女子学習院に入学する。
洋服を着た姿(1925年)
母・福寧堂貴人梁氏の葬儀での姿(1929年)
兄である李王純宗の見舞いや葬儀、母の梁貴人の葬儀の際には京城に戻っている[6]。母の死の1930年頃から奇行を発したり、登校拒否や不眠の症状があったため病院で検査の結果、「早発性痴呆症」(統合失調症)の診断を受けている[7]。
1931年5月8日に旧対馬藩主・宗家の当主である伯爵宗武志(そう たけゆき)へ嫁いだ。朝鮮人である徳恵と武志との結婚には、朝鮮側にも、宗家側に反発が少なからずあったというが、このころ宗家は経済的に困窮しており、徳恵の実家である李王家からの支援を期待できるこの縁談は悪い話ではなかった。そういう事情はありながらも、武志は妻となった徳恵を深く愛し、2人の仲は睦まじく、1年後の1932年8月14日に長女正恵(まさえ)が生まれた。
しかし、結婚前から発症していた統合失調症は新婚時代にも症状が見られた上、正恵の出産後から悪化し[8]、終戦後の1946年頃松沢病院に入院したと思われる[9]。その後、1950年1月に韓国人新聞記者金乙漢[10]が李垠家に続いて松沢病院を訪問し、徳恵の現状を韓国に紹介し、帰国のための運動を始める[11]。1955年6月に武志は徳恵と離婚[12]。徳恵は母方の姓を名乗って梁徳恵となった。
韓国で朴正煕が実権を握ってから李王家の人物の韓国帰還運動に手を差し伸べたため、徳恵は李垠に先立つ1962年1月26日に韓国へ帰国し、ソウル大学医学部付属病院に入院した。この時に日韓両国の協力を得て韓国国籍を取得している。純宗の妃尹氏の没後、異母兄李垠の妃だった李方子とともに昌徳宮内の楽善斎に住み、1989年4月21日に同所にて死去。長らく病に伏していたという[13]。
のちに、詩人でもあった武志は、愛妻徳恵との別離の深い痛みと悲しみを山幸彦と豊玉姫の離別譚に託した詩を綴っている。
栄典[編集]
1928年(昭和3年)11月10日 - 大礼記念章[14]
娘:正恵について[編集]
正恵は女子学習院を経て早稲田大学[15]英文科に進学する[16]。大学で知り合った3歳上の鈴木昇(東京都大田区立御園中学校英語教諭。日本人。結婚後は宗姓を使用)を1955年ごろ婿に取り、東京都大田区雪谷に所帯を持ったが神経衰弱に悩み、1956年8月26日朝に「山梨県赤薙、駒ヶ岳方面で自殺する」旨の遺書を残して失踪した[17]。捜索隊の努力も虚しく行方は判明せず、正恵不在のまま夫との離縁が成立し[18]、父武志の死後に失踪宣告が出された。50年近くたった後に遺体が発見されたことを、夫だった宗昇が記している[19]。
なお、徳恵が韓国に帰国する際に手放した、徳恵と正恵の着用していた韓服や化粧台・裁縫箱などの徳恵の愛用品は、日本の文化学園服飾博物館が収蔵・展示されていたが、2015年6月に日韓の文化的友好協力の増進を希望する大沼淳文化学園理事長兼服飾博物館長により徳恵の韓服のうち7点が韓国文化財庁に寄贈された[20][21]。
21世紀における再注目[編集]
韓国では長らく関心が持たれなかったが、2008年に本馬恭子『徳恵姫-李氏朝鮮最後の王女』(1998年)が韓国で翻訳出版されると注目され、2016年には韓国独立運動を支えた女性闘士として脚色をされて映画『ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女』が制作された[22](原作はクォン・ビヨンの小説『朝鮮王朝最後の皇女 徳恵翁主』)。
登場作品[編集]映画
ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女(2016年、韓国、演:ソン・イェジン)
脚注[編集]
^ 坪井秀人著『感覚の近代 声・身体・表象』名古屋大学出版会
^ 吉川英史「最悪・最良の年の作品群-宮城道雄全作品連続演奏会4-」
^ 雑誌『朝鮮』105号(1924年1月)
^ a b 佐々木英編『青い鳥楽譜 第21編 「びら」』1925年
^ 国会図書館蔵書目録「蜂/雨」
^ 本馬恭子『徳恵姫 李氏朝鮮最後の王女』p.74
^ 李方子『流れのままに』啓祐社 p.134
^ 韓国側ならびに韓国寄りの立場を取る一部の日本の学者などは、徳恵の精神ならびに知能疾患について「日帝によって強制的に単身で日本に留学させられた上、醜い日本人の男と無理やり結婚させられ、子供まで妊娠・出産させられた挙句、夫を含む宗家一族はもとより、その女中たちにまで虐待され続けた」ことが原因である後天性疾患であると強硬に主張し続けている(『朝鮮朝宮中風俗の研究』第十章六節 斜陽王室に生れたの徳恵翁主の悲劇 2008年、金用淑著 / 大谷森繁監修 / 李賢起訳 法政大学出版局 ISBN 4588080296)
^ 本馬恭子『徳恵姫 李氏朝鮮最後の王女』 p.214
^ 金乙漢は自称「徳恵翁主の許嫁」である金章漢の兄で、新聞記者だった。
^ 本馬恭子『徳恵姫 李氏朝鮮最後の王女』 p/216-221
^ 『旧華族家系大成』による。本馬恭子『徳恵姫 李氏朝鮮最後の王女』p.230-231参照
^ 1984年7月2日 読売新聞「[人]李方子=4 長く祖国喪失 離散の歴史 李朝の孤塁を守る」
^ 『官報』第849号、「叙任及辞令」1929年10月28日。p.672
^ 李方子の著書では明治大学となっており、それが広く流布しているが、誤りである。
^ 卒業したことは確認できなかった。本馬恭子『徳恵姫』p.242-243
^ 『山梨日日新聞』1956年8月29日。翌日の同紙に「正恵無事発見」の記事が掲載されたがこれは誤報であり、9月2日の同紙には「南アルプスの正恵さん、生存絶望視」の報が伝えられた。
^ 『平成新修 旧華族家系大成』上巻p.729(1996年、霞会館 ISBN 4642036709)
^ 宗昇の詩「手帳」による。宗昇詩集『記憶のみなわ』所収、待望社
^ 2016年度版文化学園服飾博物館だより http://museum.bunka.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2016/03/第29号-2016年.pdf
^ 徳恵翁主の遺品、韓国に戻る…「服飾史研究の貴重な資料」『中央日報』日本語版2015年06月11日 http://fit.joins.com/article/694/201694.html
^ 中央日報 2016年08月21日【社説】映画『徳恵翁主』の歪曲議論、韓国史研究の新たな踏み台に [1]
参考文献[編集]
本馬恭子『徳恵姫―李氏朝鮮最後の王女』1999年葦書房 ISBN 4751207253
権藤四郎介『李王宮秘史』1926年朝鮮新聞社
李方子『動乱の中の王妃』1968年講談社
李方子『すぎた歳月』1973年
李方子『流れのままに』1984年啓祐社
李方子『歳月よ 王朝よ』1987年三省堂、1984年韓国で連載
李王垠伝記刊行会編著『英親王李垠伝』1978年共栄書房
小田部雄次『李方子』2007年ミネルヴァ書房
金用淑『朝鮮朝宮中風俗の研究』2008年法政大学出版局、韓国語版は1986年
本田節子『朝鮮王朝最後の皇太子妃』1988年文芸春秋
新城道彦『朝鮮王公族』2015年中公新書
永留久恵編『対馬国志 第3巻 近代・現代編』2009年交隣舎
多胡吉郎『物語のように読む朝鮮王朝五百年』2012年角川書店
森山茂徳・原田環編『大韓帝国の保護と併合』2013年東京大学出版会
権丕暎著・斎藤勇夫訳『朝鮮王朝最後の皇女 徳恵翁主』2013年かんよう出版
関連項目[編集]
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