2017-01-06

宮川透との対話――『日本精神史への序論』を読む(02)

宮川透との対話――『日本精神史への序論』を読む(02)
2015-12-13 | 日記
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 二 大正文化の二様相

 宮川は、大正文化には二種の様相があったことを、生田長江『明治文学概説』を引きながら、述べています。引かれている生田の文章は、以下の通りです。

 日露戦争の後、(1)日本の国際的地位がともかく安固なものになって、半世紀に亘る憂国的緊張も幾分の弛みと疲労とを来した為め、(2)国際的興隆が必ずしも直に国民個々の福利を意味しないことを、余りにもむごたらしく体験した為め、及び(3)産業界の近代的展開にもとづく自由競争と生活不安とから、思ひ切った利己主義へ駆り立てられた為め、明治40年頃からの日本人は一体に、それまで国家至上主義思想に対して反動的な思想を抱き、甚だしく個人主義的自我主義的な考え方感じ方をするようになった。そして其うした新しい見地は、従前と比較にもならないほど、実に自由な実に勇敢な、実に徹底的な態度で以て外来思想を迎へ入れ、特に個人主義的自我主義的近代思想へすっかり傾倒するに至らしめたのである。

 生田のこの文章に、大正時代の思想と運動の特徴が集約されています。日露戦争の勝利によって、日本と日本人に何がもたらされたのでしょうか。日本は大国を撃破し、その経済力と軍事力を世界にとどろかせました。それによって、日本は国際的に高い地位を得ました。明治維新以降、日本は、欧米諸国との間に不平等条約を結ばされ、劣等な地位に甘んじてきました。このような対外的な立場が続くことに、危機感を感じていました。そのため、日本は、その立場を返上するために、急務なものとして富国強兵策を推進しました。そして、戦争に勝利し、欧米諸国と肩を並べる一等国にのし上がることができました。勝利は、政策の正しさの証であした。

 しかし、戦勝の高揚感も過ぎると、日本人は、自らの置かれた状況を知るに至りました。日本資本主義の矛盾、労働者・農民に対する搾取と収奪の構造があらためて認識するに至ったのです。1880年代以降、自由民権運動が挫折し、「日本への回帰」や国家至上主義的思想が社会を覆い尽くし、それが富国強兵を後押しした結果、日本人は、自らにもたらされたものの意味をするに至りました。西洋の宇宙論的な哲学を斥けて、民族的個別の世界へと入り、そこにおいて特殊精神的な価値を求めました。その実態が明らかにになりました。資本主義の矛盾は、労働者・農民の生活を疲弊させ、また国土を汚し、故郷の山、川を濁しました。それをもたらした全てへの反発が始まり、1910年代以降、その反動として、多くの知識人・文化人は、再び西洋世界へ傾斜したのです。傾斜の先にあったのは、個人主義的自我主義的近代思想でした。大正期の西洋世界への傾斜は、明治維新直後の啓蒙主義を特徴づけた「西洋世界への傾倒」と共通していますが、それは似て非なるものでした。明治初期の啓蒙主義運動が西洋世界に傾倒したのは、その進歩的な科学と文明の普遍性ゆえにであって、それを日本において普及し実現する自由民権運動が存在していたからです。そのような政治的・実践的な運動が存在しなくなった大正期の「西洋世界への傾倒」は、それゆえに異なる性格を持たざるを得ません。政治的・実践的な担い手のない思想は、いわば宙に浮いた存在、空中の楼閣のようなものです。

 日本資本主義の跛行(はこう)的で、不均等な発展ゆえに、その諸矛盾があらわになりました。それが認識されるに至った時代には、社会思想は、啓蒙主義運動と自由民権運動が挫折した時に、古き良き「日本への回帰」には向かいません。むしろ、悪しき忌まわしき「日本からの離反」が起こるのは当然である。しかし、それを自由民権運動、特にその左派のように、18世紀のイギリス・フランスの近代的な社会思想に依拠して、日本資本主義を批判的に乗り越えようとする政治的・実践的な性格は持ちえません。そこには政府による弾圧を警戒したという事情があったでしょうが、政治的な実践の熱狂が覚めた後には、冷ややかな内省へと落ち着き場所を求めるものです。矛盾に満ちた日本を拒否しながら、同時に政治と実践の場からも遠ざかるのです。その結果として、厳然として存在する日本国家との緊張・対立を回避し、自己の存在を確認することのできる20世紀の西洋、とくにドイツの観念論的哲学に活路を見出しました。それは、当時のヨーロッパの思想状況からは、ある意味で必然的なであったと思います。国家による弾圧を避けるために、政治的発言を控え、実践性の希薄な言論活動を行うしかなかった日本において、観念の世界から現実の世界を「批評」する哲学は脚光を浴び、またたく間に広がりを見せました。とりわけ19世紀末から勢いを増した新カント主義の哲学、とりわけ西南ドイツ学派の価値哲学は多くの文化人・知識人の心を捉えました。現実の国家を批評して、理念的な国家を対置させますが、それは内面的な自我と個人の文化性を確証するために行われるだけなので、自由で文化的な観念的世界への埋没以外の何ものでもありませんでした。文化人・知識人の安住できる場所は、残念ながら、そこにしかなかったのです。宮川さんが大正時代の「西洋世界への傾倒」を非政治的・非実践的な観照的な性格があったと指摘しているのは、このような意味であると思われます。

 大正時代の文化と思想は、全体として見れば開かれた「西欧世界への傾向」の志向を持ちながら、第2の「日本への回帰」の傾向をひそませていました。このような西洋世界への非政治的・非実践的な傾倒は、一方で教養主義、文化主義、世界市民主義という思想傾向を生みだし、他方でと人道的ヒューマニズム運動、農本主義運動、国家社会主義的国家改造運動という二つの様相を生みだしました。

 日本資本主義が不均等であっても発展したことによって、明治時代の段階で望まれていたもの(経済大国と軍事大国)が一応は実現されました。大正時代の社会認識は、そこから始まります。このような社会認識から始まる時代には、一方では、それまでの政治的な社会的実践性を基調とする儒教倫理は近代的(西洋的)に再編され、非政治的な美的観照性を基調とするエートスが生み出されます(それは、今風に表現するならば、政治的なものはダサくて、ネクラであると見なす「シラケ」のようなものでしょうか」)。そのように非政治的な立場から、社会を変革するなどとは考えずに、音楽や絵画を批評する審美主義的な物の見方・考え方が横行し、教養主義、文化主義、世界市民主義が台頭するようになりました。宮川さんは、あまり説明していませんが、教養主義とは文字通り西洋科学や思想を、その政治的・社会的な脈絡を除外して、進歩的なもの、見習うべきものとして取り入れる立場だと思います。本来は、その歴史性・社会性を知れば、日本の現状と課題を浮き彫りにすることができますが、いわば表面的に学ぶだけなので、そこから日本の課題は抽出されません。知識が「教養」に留まっています。文化主義は、宮川さんも指摘しているように、日本の文化的伝統への追憶と賛美の傾向です。日本資本主義の不均等ではあれ、発展しましたが、資本主義の矛盾が噴出し、それが様々な形で露呈し始めました。そのような日本の姿は望んでいませんでした。もっと文化的に繁栄した日本資本主義を夢見ていました。しかし、現実の日本は醜くなっていました。その日本を拒否しながら、西洋世界に観念的む向かう志向は、同時に過去のいにしえの日本にも向かいます。そこには、日本的な伝統美があります。これを追憶し、賛美し、その真・善・美を基準に現在の日本の偽・悪・醜を批判する文化主義は、このような日本の伝統美への回帰が基盤になっています。それを哲学的に補完したのが、ドイツの新カント主義哲学であり、それが第二の「日本への回帰」の傾向でもあたっと思います。ただし、それが日本主義を自覚しておらず、開かれた西洋世界を志向していたがゆえに、自らを「日本人」ではなく、「世界市民」と呼んでいたのだろうと思います。その西洋的世界の世界市民も、第1次世界大戦から第2次世界大戦へと向かい、虚像であることが明らかになれば、文化人にはもう居場所はありません。日本人であることを自覚するしかないのです。それが第2の「日本への回帰」の実感だろうと思います。

 大正時代には、明治時代に目指された資本主義の発展が不均等であっても実現されましたが、問題は其の不均等な発展の結果、もたらされたものです。国家と個人、都市と農村などの矛盾・葛藤が、赤裸々に露呈されてきます。第1次世界大戦の経済特需で経済的には相対的な安定期に入ったにもかかわらず、矛盾は収まりません。そこで大正デモクラシーの運動とともに、国民の自由と独立、生活の福利を要求するヒューマニズム運動が起こってきます。文学集団「白樺派」による「新しき村」の運動がそうです。また、資本主義が都市の発展に寄与するだけで、農村には矛盾しかもたらさないと批判して、「農本主義」運動や国家社会主義の国家改造運動が台頭します。これらは、必ずしも対立的なものではありません。前者がヒューマニズムであり、後者が国家主義であるので、一見すると両者は排斥し合うようにも見えます。実際にも運動の担い手は異なるので、一応は分類可能です。しかし、明治以降、急速に発達した日本資本主義の矛盾が露わになり、それを契機に台頭した運動であるという点、それを生みだした明治の日本に反発したという点では同じです。

 このような運動は、最終的には実を結びませんでした。その弱点を克服するために、新しい運動が起こります。それを支える思想研究が始まります。それが第2の「日本への回帰」とどのような関係があるのか。それを第3回目のテーマとして考察したいと思います。

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