2017-01-06

鶴見俊輔―『戦時期日本の精神史』を読む(11) - Rechtsphilosophie des als ob



鶴見俊輔との対話――『戦時期日本の精神史』を読む(11) - Rechtsphilosophie des als ob




鶴見俊輔との対話――『戦時期日本の精神史』を読む(11)
2015-11-15 | 日記
 鶴見俊輔『戦時期日本の精神史 1931~1945年』ノート
 第11回 原爆の被害者として

 はじめに
 鶴見さんは、この章で、遠隔霊媒通信という言葉を使っています。通信とは、ある人と他の人とのコミュニケーション、意思疎通です。それは、当事者間の対面で行なわれる場合もあれば、遠隔地から行なわれる場合もありますが、いずれにせよその間に第三者が介在することはありません。通訳などを介して行なう場合はともかく、通信・コミュニケーションとは、当事者間で行なわれます。しかし、霊媒通信となると、様相は異なります。

 霊媒とは、非肉体的・非物質的なものによって、意思を伝達するという意味です。霊魂や魂のような目に目ない形而上の「存在」が、遠く離れたところにいるある人と他に人との間に介在して、相方の意思を伝達するというのが、遠隔霊媒通信です。現世と来世、生きた人間の世界と死者の世界をつなぐ超人的な能力者が存在することを前提にしています。不可思議で理に合わない話ですが、あながちデタラメではありません。鶴見さんによれば、戦争の当事国が、相談もしていないのに、それぞれの国民から共通して隠したがっている事柄があります。戦争当事国は、遠隔地にあります。その指導者も対面で話しをするような機会はありません。しかし、何かを介して、相互の意見を交換し、1つの意見を共有しあうことができるのです。それは、国家の本質に起因するものでもあります。これが「遠隔霊媒通信」です。友人同士や友好関係にある国家間なら直接意見交換をしますが、敵対し戦争している人や国家ではそれができないので、相手の国家が何を考えているのかを、国家である自己の本質を考察してつかみ取る、相手の国家が自己と同一性のある国家であるがゆえに、その意思をつかみ取ることができるのでしょう。建前を述べているのは表向きであって、裏ではプライドやメンツなどがあれば、それを察して交渉するというのは、外交の場で良く見られる光景です。一見、強い高飛車な姿勢をとっても、それは交渉の糸口を探るサインであったりします。それも遠隔霊媒通信の一種だと思います。中国、韓国、北朝鮮、ロシアなど懸案事項の多い国との外交交渉などに、それが見られます。

 日本とアメリカは、太平洋戦争において、敵国として対立していました。アメリカは、ヒロシマ・ナガサキに2種類の原子爆弾を投下し、日本を戦争の終結へ追い込んでいきました。その悲惨さは、明らかにされ、多くの国々で核兵器反対の世論と運動を起こすきっかけになりました。しかし、鶴見さんによれば、日米が「遠隔霊媒通信」しながら、この被害をそれぞれの国民に隠そうとしているといいます。戦争の加害と被害が、単純な二項対立で論ずることができるならば、隠そうとしても隠し通せるものではありませんが、単純な二項対立では論じ尽くせないところに、戦争の本質があります。加害者は同時に被害者でもあり、被害者もまた同時に加害者になりうるからです。「遠隔霊媒通信」の様相を分析することによって、このような加害と被害の関係を冷静に見つめる目を持てるのではないかと思います。

(1)国家間の「遠隔霊媒通信」と原爆の悲劇
 1945年8月6日、広島にウラニウム235型の原子爆弾が投下され、3日後の9日、長崎にプルトニウム239型の原子爆弾が投下されました。新聞各紙は、広島・長崎にもたらされた原子爆弾の惨状を報道しましたが、その影響から身を守るためには、白っぽい着物を着たほうが効果的であると報道するだけで、その恐ろしい破壊力について、国民に正確に伝えなかったようです。

 日本が戦争に降伏したあと、日本とアメリカは、この型の異なる二個の原子爆弾の威力と効果を調査しました。広島の大人や子どもの健康診断を実施し、ウラニウムや放射能の人体に対する影響を調べたそうです。染色体や遺伝子のレベルで調査する技術が、その当時あったかどうかは知りませんが、かなり大掛かりな調査を行ない、その調査結果が集積されたようです。アメリカとしては、作った兵器の破壊力と影響を正確に調べ、改良する際のデータとして残しておこうと考えたのです。その調査結果が公表されたのは、戦争が終わってから7年後のことでした。占領状態が終わり、日本がサンフランシスコ講和条約を結んだ後です。日本が国家主権を回復し、一応の独立国として歩み始めたときのことです。この7年間のあいだにも、被爆した直接の被害者は、自らの被害の状況を知らされなかったのです。しかし、目の前にある惨事を多くの人に伝えるため、原爆の被害を告発する人々は、自費で出版物を出そうとしたそうですが、占領当局の検閲にあって、出版できなかったようです。また、2時間ほどの記録映画を撮影したそうですが、占領当局はそれをネガごと持っていったようです。

 1931年から15年間にわたった行われた日本の戦争は、中国と東南アジアに向けて、その領土と市場を拡大し、エネルギー資源を確保・収奪するための文字通りの帝国主義・侵略の戦争であったと告発されてきました。そこには、日本が戦争をしかけた加害国であるという認識、それに対して中国は日本による被害国であるという認識、中国や東南アジア諸国を植民地支配してきた欧米諸国は、日本による中国・東南アジア諸国への影響力の拡大を阻止する反ファシズムの連合国であるという認識があります。単純な二項対立の図式です。戦争勢力である日本とそれに反対する連合国という二項対立の構図からは、戦争国家と平和国家、戦争勢力と平和勢力、戦争のファシズム・全体主義と平和の民主主義・自由主義という対立構図が導き出されます。日本は戦争の側、アメリカは平和の側にいるという素朴な認識が疑われることなく、多くの国民の意識に浸透していったように思います。

 しかし、早期に戦争を終結させるため、軍事的・経済的に弱体化した日本にとどめをさすために、2個の原爆を投下したのは、連合国のアメリカです。たとえ悲惨なものであっても、戦争終結に貢献した以上、正当なものであるはずです。しかし、ファシズムに反対し、平和を求めたアメリカは、その被害に関する情報を隠蔽し、それを告発しようとする表現活動を検閲し、規制しました。このことは、どのようにすれば説明できるのでしょうか。そして、どのように正当化できるのでしょうか。同時に、戦争終結間際の日本の政府も、またメディアも、白い服を着れば有効などと、原爆の真相を報道しなかったのは何故なのでしょうか。ここに鶴見さんのいう「遠隔霊媒通信」が日米の双方にあったのです。

(2)戦争の加害と被爆の被害の実相
 鶴見さんは、ハーバート・フェイズの『原爆と第二次世界大戦の終わり』という文献から、次の文章を引用して、広島と長崎への原爆の投下の本当の理由、しかも型の異なる二種類の原爆が投下されたことの意味について述べています。

 フェイズによれば、広島・長崎の被爆の実態を調査した調査団は、1945年11月の末の時点で、たとえ原爆が投下されなくても、ソ連が参戦していなくても、アメリカの上陸作戦が展開されていなくても、日本は戦争の敗北を認め、降伏していたであろうと報告していたことを紹介しています。アメリカは、戦争中、国際的に情報収集活動に取り組んでいたはずです。日本の経済情況、軍事・エネルギーの状況などを調査していたに違いありません。すでに1941年12月の時点で、日本の状況を知っていた可能性があります。少なくとも、広島に原爆を投下する時点で、すでに知っていたはずです。戦争中に日本政府が発表した統計や数値、データは、おそらく誇張されたものであったでしょうし、経済力やエネルギー事情について、良好である、従って軍事力も強固であると装っていたかもしれませんが、戦争中にアメリカはその裏側を知っていたと思います。遠隔霊媒通信が行なわれていたはずです。

 15年戦争を開始したときの大義名分、アメリカを相手に全面戦争に突入したときの大義名分がありました。その大義名分が誤っていたから敗北したのではありません。戦争に敗北したのは、経済的・軍事的な問題があったからです。それだけではないとしても、それ抜きに考えることはできません。戦争の大義名分ゆえに敗北したというのではないと思います。日本が明治維新以降、続けてきた資本主義化・近代化の路線が誤っていたから敗北したというのでもありません。アメリカやヨーロッパ中心の世界支配とアジア支配に終止符を打とうとしたからではありません。ダイナミックに展開する世界史の流れのなかに、台頭し躍動する東アジアの勢いを注ぎ込む世界史的なプロジェクトが間違っていたからでもありません。経済事情、エネルギー事情、軍の事情を見れば、子どもが大人とケンカしても、勝てる見込みがないのと同じ理屈で、日本の敗北は必至だったのです。


 では、戦争当時、アメリカはアメリカ国民に対して、相手国の日本に関して、どのような情報を提供していたのでしょうか。また、戦後になるにつれて、原爆の悲惨な状況が明らかになるなかで、アメリカ国民に対して、原爆投下の理由について、どのように伝えたのでしょうか。戦中に、日本の経済・軍事状況を伝えたのでしょうか、遅かれ早かれ敗北するのは必死であったと公開したのでしょうか。戦後、フェイズが紹介している被爆調査団の報告を発表したのでしょうか。もし発表したならば、死に体になっている日本に対して、追い打ちをかけるように、2個の原爆を投下したことになりますが、どのように説明されたのでしょうか。戦争を早期に終結させる必要があったとしても、死にかかっている日本に2個も原爆を投下する必要があったことを合理的に説明することはできるのでしょうか。この点について、少なくともフェイズ自信は、次のように述べています。広島と長崎に原爆を投下するというアメリカ政府の決定は、非難されるべきではない。つまり、広島への原爆投下によって25万人の一般市民が殺され、15万人が傷を負わされ、長崎への原爆投下によって12万人が殺されたことは、非難されるべきではないというのです。なぜでしょうか。それは、原爆を用いずに戦争が終結した場合と比べて、それを用いて終結させた場合の方が、死ぬ人が少なくてすみ、多くの人の命が助かったからだといいます。本当にそうでしょうか。仮定的な事実を念頭において、現実の事実を正当化できるなら、その論証は科学的でなければなりません。情緒的であってはなりません。

 私は、それはアメリカが「ソ連」と行った「遠隔霊媒通信」の結果であると思います。アメリカ国民に対して、真実を覆い隠すためです。本当の理由は、始まりつつあったソ連との冷戦において、ソ連を牽制するため、ソ連に対して、「アメリカは強大な軍事力と兵器体系を保有している」ことを知らせるためであったと思います。1941年12月から太平洋戦争を戦ったアメリカだけが、「戦利品」をいただくことができるのであって、日ソ不可侵条約のようなものを日本政府とのあいだに結んで、太平洋戦争に実質的に参加しなかったソ連は、分け前にあずかることはできませんよ、というメッセージを伝え、ソ連が参戦する機会をあたえないために、原爆を投下して日本を先取りするためだったと思います。この時点で、「太平洋戦争」はすでに終結し、新たに「冷戦」が始まり、当事国はアメリカとソ連になっているかのようです。その後、ソ連が参戦したのは、長崎に原爆が投下された日のことです。アメリカが、ソ連と競争することに固執しなかったならば、おそらく日本はソ連の参戦を受けて、降伏したに違いありません。日本には、強大な二つの軍事大国と戦争を継続する力はなかったでしょうから、ソ連の参戦が決定打になり、日本が降伏の意思を表明した相手国にはソ連も入っていた可能性もあります。しかし、アメリカはソ連との競争に固執した。ソ連が参戦するまで待てなかった。どうしても、原爆を投下せざるをえなかったのです。しかも、型の異なる2個の原爆を投下することに固執したのです。

 鶴見さんは、リデルハートの『第二次世界大戦』から、次のような事情を明らかにしています。リーハイ海軍大将は、戦争中、日本に原爆を投下する必要ないとはっきりと認識し、そのようなことをしても日本との戦争において役には立たないと断言していたそうです。しかし、そのような意見は、政府に採用されることはありませんでした。なぜでしょうか。アメリカは、原爆を研究・開発・製造するために、政府は巨額の費用を費やした。当時の換算で2億ドル費やした。また、多くの研究者が労力をはらってきた。政府は、それだけの費用が必要であったことをどのようにして納税者に説明するのでしょうか。日夜、研究に没頭した科学者は、自分たちの研究の成果をどのようにして実証するのでしょうか。研究の必要性、費用の客観性、合理性、研究の成果、開発の精密さ、製造の正確さは、実験によってしか明らかにできません。実験こそ、科学者の確信とその後の一歩になるのです。実験が失敗すれば、研究・開発の責任者は責任を取らされます。実験が成功すれば、優秀な研究者として将来が約束されます。アメリカ政府は、ソ連の参戦を待つことができなかったのは、ソ連に分け前を持っていかれるのが不本意だったからでしょうが、原爆の研究と開発を正当化するために、広島と長崎で2個の原爆の性能を実験したというのが真実だと思います。日本がこの真実を国民に明らかにしていたならば、国民は連合国の占領政策に猛反発した可能性があります。それは、戦後処理を迅速に進めたい日本政府の望むところではありません。それを知らせないことが連合国にとってだけでなく、日本にとっても有益であると判断したかもしれません。アメリカも、日本も、「遠隔霊媒通信」によって、見えない協力関係のなかで、原爆の真実を隠し続けたのだと思います。

(3)原爆投下の引導としてのレイシズム・エスノセントリズム
 第二次世界大戦中、日本にジャーナリストとして来日していたフランス人ロベール・ギランは、フランスがドイツによって占領されたために、日本に抑留されていました。彼は、そのときのことを『日本人と戦争』という本の中で回想しています。その中から鶴見さんが引用する文章は、沈痛な面持ちで読まざるを得ません。

 アメリカ人、イギリス人、フランス人などの白人は、有色人種ではない人々に原爆を投下するだろうか。このように問いを立てて、ギラン自信は、そんなことはしないだろうと考えました。「有色人種ではない人々」とは、アフリカ系の黒人ではない人々のことです。ここでは、アジア系の黄色人、日本人のことを指しています。白人は日本人に原爆を投下するようなことはしないだろうと言っているわけです。それには、アフリカ系黒人に対する人種差別の裏返しともとれる微妙な意味合いがこめられていますが、少なくともアジア系の日本人をアフリカ系黒人と同じようには扱わず、差別しません、原爆は落とさないでしょうと言っているわけです。しかし、それは一人のフランス人としての感情であって、連合国、アメリカ政府はそのように判断しなかったわけです。有色人種ではない日本人に原爆を投下したわけです。鶴見さんは、ギランの回想から、そのような仮説を導き出しています。

 アメリカ政府が、白人やホワイトではない人種に対しては、何をやっても許されるのだと、考えていたというのであれば、それは人種差別主義であるとの批判を免れることはできません。世界は、欧米諸国を中心に形成されてきたし、形成されているのだ。従って、辺境にあるアジアの諸国の運命は、世界史のメインストリームに対して影響を与えるものではない。日本に原爆を落としたところで、欧米中心の世界史はこれまで通り進んでいくのだ。そのように考えていたとすれば、それはエスノセントリズム、自民族中心主義にほかなりません。鶴見さんが指摘し、告発するエスノセントリズムがアメリカ政府のなかにあったかどうかは、わかりません。彼らは、戦争を早期に終結させる目的という「公式の理由」を持っているので、それを疑うことはできませんが、ギランの回想を読むと、その理由のかげに「本音」が隠されているようにも思います。おそらく、欧米の白人の人々に対して、アメリカはなぜ日本に原爆を落としたのかとたずねるならば、戦争を早期に終わらせるためであったと答えるでしょう。それは、原爆投下は、人種差別感情に起因するものではなく、戦争の早期終結目的に裏づけられたものだと教えられ、自分自信もまた、そのように思い込んでいるからです。自分たちがアフリカ系黒人、アジア系黄色人に対して抱いている感情は、人種差別の感情ではない、平和を願いだと信じ込んでいるからです。ここにも、アメリカをはじめとする欧米諸国、とくに第二次世界大戦の戦勝国のあいだで遠隔霊媒通信が行なわれているように思われます。鶴見さんは、それを指摘しているようです。

 もう少しこの問題を検討したいと思います。歴史の事実としては、日本は唯一の被爆国ですが、かりに15年戦争中に日本がウラニウム型であれ、プルトニウム型であれ、原爆を数個保有していたならば、アメリカやイギリスに投下したでしょうか。鶴見さんは、日本はためらうことなく投下したであろうと述べています。その理由は、どのようなものでしょうか。鶴見さんは、15年戦争の初期段階において、日本が進めていた戦争の流儀、基本的な考え方、発想の基本スタイルから考えると、そのことを疑う余地はないといいます。その流儀、基本的な考え方とは何でしょうか。鶴見さんには、この点をクリアに書いて欲しいと思ったのですが、明らかではありません。私なりの意見をいわせてもらえるならば、日本は天皇を中心に、朝鮮半島、中国、東南アジア、インド、さらにはオーストラリアをも勢力圏内に収めようとしていました。それが大東亜です。大東亜は、ヨーロッパ連合やアセアンのような異なる国の連合体ではありません。まるごと日本です。日本という名前の大東亜です。日本には、このような世界史を大きく書き変える壮大なスケールの野望があったわけですから、それを阻む欧米諸国に原爆を投下することは、世界史を書き変えるためには必要なことであって、ためらうことではありません。ここにも白人の支配に抵抗するレイシズム、欧米中心の世界史に終止符を打ち、巨大な大東亜が世界史の流れを変え、それをリードするエスノセントリズムがあったことは明らかです。このような野望を持っていたから、同じ野望を持っていたアメリカに原爆を投下されても、「被害者」として告発することができなかったのです。要するに、戦争の勝ち負けは別としても、アメリカも日本も、相手の顔は鏡に映し出された自分の顔であったということです。ですから、相手の顔を見ながら、「醜い、野蛮だ」とは言えなかったわけです。少なくとも、日本はそうです。

 第二次世界大戦、太平洋戦争の結末は、大ざっぱに見るならば、広島と長崎への原爆の投下によって語られるでしょう。その経過を政治的・経済的・軍事力学的に分析することによって、日本の「大東亜建設」のプロジェクトが、なぜ実現できなかったのか、そのプロジェクトを実現する手段として行なわれた対外的な戦争が、なぜ敗北に終わったのかということを明らかにできると思います。欧米中心の世界支配と世界史の展開に終止符を打ち、アジアにおいて強大な国家を建設し、世界史の流れを変革しようとしたプロジェクトのどこに問題があったのかも明らかになるでしょう。一般的にいえば、日本の対外的な領土拡張政策は、帝国主義的な侵略戦争であると断罪されてきました。それに敵対していたアメリカ、イギリス、オランダ、中国は、はっきりとはしないのですが、反帝国主義的な平和勢力として日本に対置されてきたと思います。それは、日本の戦争犯罪やドイツの人道犯罪の研究などによって根拠づけられているので、あながち根拠のないことではありません。

 第二次世界大戦が終結へと向かい、日本が敗北を迎える過程は、日本と日本人の精神史の展開過程として捉えられます。この最後の局面が重要です。この精神史の過程から、自由と民主主義、平和と友好を築きあげるためのキッカケをつかむことができると思います。

(4)日本精神史における「日本を取り戻す」という思想
 第二次世界大戦と太平洋戦争を軍事力学の観点から捉え分析することは、そんなに難しいことではないと思いますが、精神史の問題として捉える場合には、先ほどギランが回想し、鶴見さんが批判した対立の軸を無視することはできないように思います。それには、欧米中心の世界観と大東亜の世界構想との対立、欧米のレイシズム・エスノセントリズムと万世一系の天皇制や国体思想との対立の軸があると思います。それは、軍事力が優っているから正しいと評価され、軍事力が劣っているから間違っていると判断されるようなものではありません。アメリカによる原爆投下が正当化できても、そのレイシズムとエスノセントリズムを正当化する根拠は、別のレベルの問題です。かりに日本が原爆をアメリカに投下し、太平洋戦争に勝利していたとしても、大東亜の世界構想の正当性は、全く別の問題だということです。

 このように考えてきて、実は自分でもキケンなことを述べていることを自覚しているのですが、一応の結論をまとめてみます。日本の歴史教育や平和教育は、第二次世界大戦・太平洋戦争の反省と教訓のうえにたって、再び戦争を招かないよう、日本が平和な国家となり、他国と友好な関係を築くことを目指してきたといってよいと思います。このような平和教育の理念は、日本が戦争に敗北したから生み出されたものであって、かりに日本が戦争に勝利していたならば、このような意味での理念は生まれなかったでしょう。

 平和の理念は、戦争を行なってはならない、反戦・非戦の理念ですが、日本はアメリカと同盟関係を結び、集団的自衛権を行使するところまできています。憲法9条の平和の理念に反するものだと批判されています。しかし、集団的自衛権の行使の容認の議論が起こるのはなぜでしょうか。また、個別的自衛権であれば、国土と国民を守るためには行使することもやむを得ないという議論が行なわれないのはなぜでしょうか。いまでは、欧米のレイシズム・エスノセントリズムのようなイデオロギーは影を潜め、また日本の皇国史観や国体思想、大東亜の理念のようなものは消え去っているので、対立軸は、アメリカやその同盟国の利益を犯す勢力との対立、かつてはソ連などの社会主義勢力との冷戦がありましたし、ソ連の崩壊以降の冷戦構造が変化・崩壊して以降は、イラン、イラク、シリア、北朝鮮などのアメリカに敵対する国家との対立関係が際立っています。しかし、そのような対立軸のなかで、日本は常にアメリカの側に立って、アメリカの同盟国として振舞ってきましたが、そのような状況にあっても、集団的自衛権が本気で語られるようなことはなかったのです。その意味では、もう一つ別の対立軸が意識され始めたことが背景事情としてあるのではないかと思われます。それはハッキリとしてこなかったのですが、やはり中国の台頭なのでしょう。この対立軸が、一方で日米同盟の強化、対米協調路線と対米従属政策を強化しながら、他方でその枠の中で日本的ナショナリズムの復興へと作用しているように思います。このナショナリズムは、最終的にはアメリカとの対抗関係をも表面化することになる可能性がありますが、それはまだ現実的ではありません。しかし、精神史のなかでは徐々に表れ始めています。

 私は、自由民主党のポスターに書かれた「日本を取り戻す」というスローガンが気になります。「日本を取り戻す」ということは、「日本はここにはない」ということを暗示しています。それは、奪われたままです。日本は誰に奪われたのでしょうか。それはアメリカをはじめとする西側諸国、すなわち第二次世界大戦の連合国であり、かつ国連の常任理事国です。日本は、かれらに奪われたままで、敗戦国として常任理事国の管理・統制・支配を受けているのです。そのような状態から脱出して、真の独立を勝ち取らなければならない。そして日本を取り戻さなければならない。自由民主党のポスターは、少なくとも安倍晋三さんのような若い保守政治家は、このように訴えているのだと思います。ここには、日本は軍事力の面においては連合国に敗北したが、それが掲げた戦争の理念はいぜんとして正しかった。物質的・軍事的な戦いにおいて敗北したが、精神的・文化的な戦いにおいては決して負けてはいない。このような堅い確信があるようです。中国の台頭を契機に、日米同盟が強化され、その過程において、このような日本的歴史認識が意識され始めているのではないかと思います。

 しかし、それはアメリカなど国連の常任理事国を敵に回して、対立・闘争して実現すべきだとはいいません。1933年、日本は、自らが常任理事国であった国際連盟から脱退し、国際社会を敵に回しましたが、そのようなことは現在では不可能です。世界を敵に回さずに、日本の精神的復権を目指す――ここが日本の歴史認識の複雑なところです。日本の保守政治家とそれを応援している資本家は、アメリカと協調関係を維持しながら、日本はその経済力に見合うだけの政治力と軍事力を世界に誇示すべきだと考えています。日本の科学技術・軍事技術にふさわしい経済活動を進め、相当の経済的な利益を得ようとしています。かつて栄光を勝ち取ったことのある国家。世界を制覇しようと世界史に躍り出たことのある国家。それを実現できずに辛酸をなめた国家。その国家の政策をリードしてきた資本家は、果たせなかった野望を忘れてはいないのです。原爆の悲劇のなかから、平和を希求する市民の動きとは全く別に、果たせなかった野望を実現するために第二ラウンドを戦おうとしているのではないかと思います。

 日本の名誉、日本の威信、日本のプライドなどの言葉が政治家の口から飛び出しています。他の国の政治指導者もまた同じ言葉を使うことがありますが、日本の政治家がその言葉を使うときの意味に注目しなければならないでしょう。この点は、引き続き意識的に考えたいと思います。

 次回は、第12章「戦争の終わり」を検討します。

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