2017-01-06

鶴見俊輔『戦時期日本の精神史』ノート(01) - Rechtsphilosophie des als ob



鶴見俊輔『戦時期日本の精神史』ノート(01) - Rechtsphilosophie des als ob




鶴見俊輔『戦時期日本の精神史』ノート(01)
2014-09-27 | 日記
 鶴見俊輔『戦時期日本の精神史 1931~1945年』ノート
 第01回 1931年から1945年にかけての日本への接近

 はじめに
 今日から15回にわたって鶴見俊輔『戦時期日本の精神史』と読んでいきたいと思います。今日は第1回目なので、この本の著者である鶴見俊輔さんについて簡単に紹介し、またこの本についても作られた経緯を見ておきたいと思います。
 鶴見俊輔さんの略歴と主要著書は、この本のカバーに記載されています。1922年に東京で生まれ、1942年にハーバード大学哲学科を卒業しています。1942年には日本とアメリカが戦争状態に入っていますので、鶴見さんは大学卒業後は帰国船に乗せられて、日本に送り返されます。日本は鶴見さんをどのように迎え入れたかは良く分かりませんが、大学卒のエリートであっても、敵国から来たので、歓迎されることはなかったと思います。鶴見さんについて、もう少し詳しく知りたいひとは、インターネットのウィキペディアで調べてください。哲学者・大衆文化論者としてだけでなく、平和運動家・政治運動家としての鶴見さんを知るきっかけになると思います。主要な著書は、紹介し始めると、その著書の名前を読み上げるだけで時間が無くなってしまいますので、止めておきます。『戦時期日本の精神史』は、戦争終結までの日本人の精神史を分析したもので、その後の戦後の日本人の精神史については、『戦後日本の大衆文化史』において分析されています。大学で行なわれた講義の前半は『精神史』として、後半は『大衆文化史』としてまとめられていますので、併せて読んでほしいと思います。
 この講義では、『戦時期日本の精神史』をテキストとして使いますが、この本では何が述べられているかというと、加藤典洋さんが「解説」で書いているように、それは現代日本思想史と呼ばれる広い視野の内容です。鶴見さんは、それをですカナダの大学において、カナダの学生に向けられて解説したようです。1931年以降、日本を支配したファシズのなかで、日本の知識人がどのように考え、どのように行動したのでしょうか。知識人がどのように考えなかったのでしょうか。どのように行動しなかったのでしょうか。鶴見さんは、その足取りをたどりながら、「転向」の事実と意味を問い治し、それが日本の精神史を貫く「文化の鎖国性」という特質と深いところで共通していることを明らかにしようとしたようです。知識と思想のあり方に反性を迫る独自の日本文化論でもあると加藤さんはこの本を紹介しています。
 私は、昨年の秋の講義で鶴見さんと久野収さんが書いた『現代日本の思想』という岩波新書をテキストとして使用しました。200頁ほどの本を15回にわたって読み砕いていくという作業を通じて、一冊の本を丹念に読み上げていくという貴重な経験をすることができました。それは講義を行なう私だけでなく、それを聞いている学生にとっても同じことだと思います。本を読むとはどういうことか。それは著者と対話することだと思います。著者は本を書くことによって、読者にメッセージを届けたいと思っています。読者はその本を読むことによって、著者からのメッセージを受け取ることができます。しかし、一方通行的な作業でしかなく、メッセージを受け取った読者が著者に質問を投げ返すことは予定されていません。私は、このような本の読み方に疑問を持っています。本を読むことは、著者と対話することであると考えているからです。この講義では、鶴見さんが書いたことを踏まえながら、なぜこのように書くのだろうか、ここからどのようなメッセージを受け取ればよいのだろうか、この本から自分が感じたことを鶴見さんはどのように受け止めてくれるだろうか、など思いを巡らしながら読み進めていきたいと思います。

(1)接近の前提
1.言語について
 では、まずは「1931年から1945年にかけての日本への接近」というところから読んでいきましょう。ここを第1章と番号づけをしておきます。そして、読みながら、読み方というか、理解の仕方について、私なりに解説したいと思います。
 鶴見さんが取り上げるテーマは、「1931年から1945年にかけての日本精神史」です。この問題を考える前にカナダの学生に対して、次のような話をしています。
 第1は、言語についてです。言語とは、自分の考えや意見、感想を相手に伝える手段です。音楽を聞いた時に感じた思いや、絵画を見たときに抱いた印象を他人に伝える場合、言語という手段を用います。音楽も絵画も言語を用いずに表現される芸術ですが、そえの受け止めや印象は言語を用いて表現されるわけです。主体は非言語的な対象を言語的に表現するわけです。ワーグナーの音楽を聞いた時、ヒトラーはその印象をドイツ語で話します。それと同じように日本人は日本語で話します。ドイツ語圏で生まれ育った人と日本語圏で生まれ育った人とでは、ワーグナーの音楽の受け止め方、感じ方に違いがあるかもしれませんが、非言語的な芸術を言語的に評論するという点では、ドイツ人も日本人も同じことを行なっているといえます。しかし、この本のテーマである日本精神史は日本の思想史であり、日本の文化史です。それは、日本人の学問的営為や日常生活において形成され蓄積されたものであり、その限りにおいて日本人が学問的に考えたこと、日常生活において感じたことは、彼が表現手段として用いる日本語によって考えたことであり、感じたことです。このようなものを体系化したのが日本精神史であるとするならば、ドイツ語圏で生まれ育った人が、それをドイツ語で理解し、その印象をドイツ語で表現するということができるでしょうか。鶴見さんは、日本精神史を英語を用いてカナダの学生に解説しようとしていますが、それは果たして可能でしょうか。日本語を用いる日本人が日本語によって考えた精神史の内容を日本語以外の言語によって解説することは可能でしょうか。その問いに対する答えとして、鶴見さんは「困難」ではないかと答えているように思います。鶴見さんがカナダ人にとって「英語を話す日本人は信頼できない」と語るのは、例えば日本人が使いこなす英語の表現方法は数が限られているので、単調になりがちで、情緒的な細かなことまで表せないので、大雑把になりがちだから、だから信頼できないというような意味ではないのです。英語しか使えない人が日本精神史の英語訳を読んでも、それだけでは日本精神史を理解することはできないのです。日本精神史は日本語によって表現されるテーマでしかなく、それを他の言語に置き換えるというのは、基本的に不可能だということです。
 それと同じことが、日本語のなかに取り入れられた英語の意味について言えます。英語圏の思想や文化は、英語で表現されます。その英語は戦後の日本語に数多く取り入れられました。例えば、「シックなドレスのファッションショー」。日本人ならば、この言葉で表現されているものが何であるかは、おおよそ検討がつきます。しかし、英語圏の人はどうでしょうか。例えば、「ヒット・アンド・ラン」という英語表現もそうです。日本人で野球が好きな人であれば、それがベンチからバッターとランナーに対して送ったサインであることは簡単に理解できます。しかし、アメリカ人の学者にはかいもく見当がつかないというのです。この言葉は、アメリカ野球の一つの戦術として日本野球に取り入れられたものですが、この言葉はもとは異なる脈絡で使われていた言葉です。それは、交通事故を引き起こしたドライバーがその場から逃走する「ひき逃げ」という意味です。英語が日本文化のなかに定着したとたん、その英語でさえ、元の言語圏では与えられなかった意味を獲得するのです。英語が取り入れられているからといって、そのような日本文化をアメリカ人が理解できるかというと、必ずしもそうではないのです。戦後の日本語に欧米の言葉が取り入れられたことによって、日本人の思考方法が欧米化したかというと、そうではありません。確かに、日本語に欧米の言葉が入ってきたために、それが記号として用いられるために、意味を考えることをしなくなって、現代の日本人が自分たち自身を正確に理解しにくくなったということはできます。現代の日本人が、日本人固有の思考方法や精神文化を自覚し、理解するという道すじを失いかけているということはいえます。しかし、そういう日本精神文化のようなものも「英語交じりの日本語」でしか表現し、解説することはできないのです。
2.「転向」の特殊性について
 鶴見さんが日本精神史を解説する前提としてカナダの学生に話した第2は、「転向」という思想現象が日本精神史において特殊性を有しているということです。私は、「特殊性」という言葉に対して注意を払う必要があると思います。それは二つの理由からです。特殊性は、一般性に対置される概念であり、普遍性に対する固有性と同じ意味を持っています。例えば、どのような社会においても、またいつの時代においても、どのような文化のものであれ、またいかなる宗教のもとでも、共通して話題になる問題、共通して遵守される規則には一般性・普遍性があるといえますが、そのような社会や時代、文化や宗教と対立関係がある場合においても、なおもそれらと自分の社会や文化との間に一般性・普遍性・共通性を認めることができるかというと、なかなかそうはいきません。そのときに、自分自身を表現するために持ち出されてくるのが、特殊性・固有性という概念です。このように「特殊性」という言葉は、言葉として本来的に持っている「違い」という意味で用いられます。それは、歴史や文化、風土などによって形成されることから、他のものとの間にある「ありのままの違い」を指し示します。日本文化や日本精神史を研究する外国人研究者が、この本来的な意味での日本の特殊性をどこまで理解できるかについて興味があるところですし、鶴見さんもまたカナダの学生に対して、同じきょうな関心を持っていたのではないかと思います。しかし、それは「もとより違っていて当然の性格」という意味で用いられますので、他者からの批判も受け入れませんし、他者と歩調を合すようなこともしません。場合によっては、特殊性は「独善性」という意味で用いられることもあります。
 特殊性は、「転向」という現象を説明するために用いられています。「転向」は、1920年代に政治運動において使われ始めた言葉です。しかも、日本社会を変革する社会主義者の運動とそれを抑圧する天皇制警察との間にあった政治的雰囲気のなかで用いられた言葉です。どこに国でも社会変革の運動とそれを抑圧する政治との間に対立と軋轢がありましたし、これからも同じだと思います。対立が激しく、抑圧が暴力的であればあるほど、社会変革の運動の路線の有り方が問題になります。このままの路線で果たして良いのだろうか。困難に直面して、その妥当性に関する議論はどこに国の運動においても起こりました。そして、運動の路線を見直そうとする人たちは、従来の路線から方向転換して、別の道を進みます。「転向」とは、この方向転換を意味します。従って、世界の精神史があるとすれば、世界の社会変革運動にも「転向」と呼ばれる現象はあると思います。そうすると、日本の社会変革運動における「転向」もまた、それと共通性があり、特殊といよりは、一般的・普遍的であるということができます。しかし、ここで問題になっている特殊性は、日本の「転向」の背景事情とか、その根拠とか、転換された方向性については、諸外国とは違った特徴があるように思います。鶴見さんは、そこに日本的な特徴がある、特殊性があると見ているようです。しかも、それには戦争中の15年間の知的・文化的な傾向があるといいます。
3.「転向」の偶然性と必然性について
 このように「転向」は、方向転換を意味します。それは、既存の路線からの方向転換であり、ここにあるモノとは違う別のモノになることでもあります。それは標準的な傾向からの逸脱であるために、その標準的なものとは何か、その標準的ではないものとは何かを考えると、なぜ標準的なものから逸脱して、標準的でないものになったのか、「転向」と呼ばれる現象を生み出した理由、社会の文化の特徴がよく理解できるように思います。それは「転向」にだけ限ったものではありません。1931年から1945年までの戦争の時期は、その前後の時代とどのような関係があるのかという問題です。大規模な戦争に突入する前の時代が標準的な時代であったとするならば、戦争の時代はその標準的な時代からの逸脱であるといえます。なぜ標準的な時代から標準的でない時代へと逸脱していったのでしょうか。
 このような問題を投げかけるとき、次のような答えが返ってくることが予想されます。1931年から1945年までの15年間は、明治初年以来の近代日本史のなかの一つの偶発的な出来事、偶然的な出来事である。近代日本史の大きな流れから見ると、何ものかが標準的ではない流れを作りだし、それを押し付けたのである。このような議論からは、近代日本史における標準的なものが平和の流れであり、標準的でないものが戦争の流れであり、戦争の流れは何ものかによって作り出された偶然の出来事として扱われることになります。しかし、そうでしょうか。それとは別の答えもあり得るのではないでしょうか。つまり、1931年から1945年までの15年間は、明治初年以来の近代日本史のなかの一つの偶然の出来事ではなく、必然的な出来事である。近代日本史の流れを大きく見ると、鎖国状態を解いて、国際社会に仲間入りしたので、平和と友好の国家関係を形成する流れがあったのは確かですが、アジアにおける欧米諸国、ロシアの進出は近代化したばかりの日本にとっては脅威であり、それとの緊張関係・対抗関係が生ずる流れも同時にあり、日清戦争・日露戦争からは、その傾向が強まっていったと見ることもできます。15年間の戦争は、決して偶然生じたものではないということです。鶴見さんは、そのような流れを押しとどめることができなかったのは、間違いであったと評価していますが、そのように評価するかどうかは別としても、15年間の戦争のなかに私たちが受け継ぐべき多くの事柄があり、そこから戦争へと向かった真理、回復すべき平和の価値を見出すことができるように思います。
4.歴史の区分について
 この本のなかですでに述べられていますし、また私の解説でも触れているように、この本は日本における戦争を15年戦争と呼んでいます。第二次世界大戦、太平洋戦争という名称が用いられえるのが普通ですし、大東亜戦争という名称を用いる人もいます。しかし、鶴見さんは、1931年の満州事変から日本が本格的に中国に対して戦争を仕掛けたというように認識しています。1931年、日本の陸軍指導者が中国の満州で戦闘を引き起こして、さらに進んでこの地域に日本軍が自由にできる政権を打ちたてたとき、この手法は世界にとって新しいものでした。それをイタリアのムッソリーニ、ドイツのヒトラーが真似をしました。ヨーロッパでは1939年に第二次世界大戦が始まり、アジアでは1941年に太平洋戦争が始まったという認識からは、1931年からの日中戦争という事実が抜け落ちています。満州事変のイタリア、ドイツに与えたインパクトは、日本がすでに世界大戦とつながってたことを意味しています。
5.歴史認識の空間的枠組と時間的枠組
 鶴見さんは、カナダの学生を対象に日本精神史を解説していますが、おそらくこの学生たちは様々な意味で日本の歴史や文化に興味を持っている人たちでしょう。日本に対する興味関心は様々でしょうが、それを入口にして、日本という問題対象の中に入っていくわけです。中に入っていくとどのようになるでしょうか。イギリス人の陶芸家のバーナード・リーチは、若いころから日本の文化に興味を持っていました。彼は、最初から最後まで日本に対して愛情を失わずに、失望しなかった数少ない1人だといいます。これはどういうことでしょうか。
 リーチは、日本に対する関心とともに、中国や朝鮮に対しても関心を持っていました。陶芸家なので、日本の焼物と同時に、中国や朝鮮の焼物にも目を向け、その違いと特徴について考えることができたのだと思います。つまり、全体のなかで個を捉える視点、個と個を関連づけて捉える視点を持っていたということです。ですから、美しく見えていた日本の文化が中国や朝鮮と関連づけられても醜く見えるようなことはなかったということです。
 日本を中国や朝鮮の側から見ると、日本の嫌な側面が浮き彫りになります。とくに1931年から1945年までの15年の戦争がそうです。もし日本の近代史を中国や朝鮮などのアジアの近代史の全体になかに位置付けて捉える視点を持たないならば、戦争をしかけた日本に失望するでしょうし、日本文化を美しい文化とは思えなくなるでしょう。アニメが好きだとか、フィギュアが好きだといった趣味と嗜好の話に限れば、そんなことはないと思いますが、お茶、俳句、文学など日本の精神文化に興味を持った人、そこに美しさを感じた人であれば、幻滅してしまう可能性があります。そうではなく、戦争という歴史的事実に直面しても、その背景にある要因を地理的・空間的に広げて捉える視点、歴史的・時間的なプロセスにおいて考える視点が必要だと思います。それは、失望や幻滅を避けるための方法という意味ではありません。物事を正確に捉えるための思考方法という意味で大切なことだと思います。
(2)歴史認識の多様性
 過去の歴史、日本の精神史を振り返りながら、そこから知識と思想のあり方について考えるヒントをつかみ出す。これが鶴見さんがこの本のなかで行なおうとしていることです。歴史を振り返るためには、過去の史料を読み返し、その時代の動きの中でそれを位置付けて、読み直すことが必要です。現代史の場合、数多くの史料があります。多くの証言も残されています。当時を生きた人からも直接話を聞くこともできます。1931年から1945年までの15年間の戦争の歴史、日本の精神史について、様々な解釈があります。当事者の体験があります。歴史に働きかけようとした思い、情熱があります。政治家の野望もあるでしょう。経済家の野心もあるでしょう。一個人の善意もあれば、悪意もあるでしょう。積極的に関わった人もいれば、消極的に関わった人もいるでしょう。自覚的な人もいれば、不本意だった人もいるでしょう。このような様々な人々によって過去の歴史が作られたわけですから、その解釈も様々です。あらかじめ立場を決めて、このような解釈が正統な解釈であると断定して、他の解釈を批判することはできません。従って、鶴見さんの解釈も見解も一つの可能性を示しているだけであって、それに右へならえをする必要はありません。鶴見さんの見解の解説をする私の意見もまた、同じ様に一つの可能性を示しているだけであって、絶対に正しいものではありません。歴史の見方、史料や史実の解釈には、多様性と可能性があるということをしっかりと認識してほしいと思います。
 しかし、だからといって確かなものなど何一つないのだとか、絶対的に正しい事柄などそもそも存在しないのだと勘違いしないでほしいと思います。今ここにいる時点においては、過去の歴史について様々な解釈が成り立つという意味では、私たちは絶対的な考えをしりぞけて、相対主義的な姿勢を貫くべきだと思いますが、長い歴史を振り返ったときに、やはりそこには一定の法則があると思います。多くの人たちが、これは正しいと共通認識を持てるものがあると思います。それは、一般的・抽象的な内容のものであるかもしれませんが、確かなものがあると思います。その一般的・抽象的な確からしさが、今日の時代と社会において、どのように特殊的・具体的な形態とともなって表現されるべきかを考えることが重要なことだと思います。
 「平和は大切ですか?」と質問されれば、ほとんどの人は「大切です」と答えるでしょう。ここには一般的・抽象的であっても「真理」があります。この「真理」は、人類が過去の歴史において見出してきたものです。戦争を繰り返し行なってきたことから体験した絶対的な真理です。しかし、「平和を維持するためには、どうすればよいと思いますか」という質問に対しては、答えは様々です。平和の探求の仕方、それを維持する方法をめぐっては、私たちは絶対的真理に到達する道程の途中にいるようです。だから議論しなければならないのです。政治家が勝手に決めるのではなく、私たち一人一人が主体となって、議論を起こし、それに関わり、仮説を提示して、意見交換をし続けなければならないのです。意見の対立は、議論を困難にさせるものです。多数の意見が正しく見えるようなことがあるため、少数意見を主張する勇気がなくなることがあります。言論には多数決原理は妥当しないはずであるにもかかわらず、多数の人々の意見が世論を形成して、その勢いが止まらずに、社会と時代をリードしていくようなこともあります。少数意見の人は、なんとなく置いてきぼりにされたような、取り残されたような気持ちになることがあります。そこに全体主義の危険があるわけですが、それは自分の意見が世論を形成し、多数派を形成している人には、どうもわかりにくいようです。
(3)本講義の目的
 この授業では、1931年から1945年にかけての日本精神史に関する鶴見俊輔さんの見解を参考にしながら勉強したいと思います。この授業を通じて、皆さんに学んでもらいたいことは、次の3つです。
 第1は、予習です。300頁近くの本を15回の授業で読んで行きます。1回20頁足らずなので、事前に呼んでください。私の話しを聞くためには、鶴見さんが何を言っているかを知ることが必要です。
 第2は、本の読み方です。この本はカナダの大学でカナダの学生を対象に英語で話された内容を日本語に書きなおしたものです。カナダの学生は、この授業を通じて鶴見さん竜の日本精神史の議論を学んだということです。日本の文化に興味はあっても、日本の精神を共有していないカナダの学生がこのようなテーマについて勉強しようとしているわけです。少なくとも、日本で生まれ育った人であれば、彼ら以上にこの問題について理解できるはずです。理解というのは、賛成の意見を持つということではありません。あえていうなら、反対の意見や疑問を持つことができるようになって、初めて理解できたといえるのではないかと思います。読めば読むほど、疑問がわいてくる。そのような読み方をしてください。
 第3は、日本文化や精神史だけでなく、幅広い問題関心を持って、それを考える方法を身につけることです。考え方というのは、最初に公式があって、それをあてはめていくという作業ではありません。全体を眺めるときだけでなく、細部を見極めるような場合でも、着眼点のような視点が必要です。しかも、それは人それぞれの視点なので、自分だけのオリジナルなものだと思います。そのような考え方の基本を身につけるように努力してください。
 次回は、第2章「転向につていて」を読んで行きます。
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소개
오늘부터 15 회에 걸쳐 츠 루미 슌스케 "전시기 일본의 정신사」라고 읽고 싶다고 생각합니다. 오늘 제 1 회이므로,이 책의 저자 인 츠 루미 슌스케 씨에 대해 간략하게 소개하고이 책에 대해서도 만들어진 경위를보고 싶은 생각합니다.
츠 루미 슌스케 씨의 약력 및 주요 저서는이 책 표지에 기재되어 있습니다. 1922 년 도쿄에서 태어나 1942 년 하버드 대학 철학과를 졸업하고 있습니다. 1942 년에는 일본과 미국이 전쟁 상태에 들어가 있기 때문에, 츠 루미 씨는 대학 졸업 후 귀국 선에 실려 일본에 반송됩니다. 일본은 츠 루미 씨가 어떻게 영입했는지는 잘 모르겠습니다 만, 대졸의 엘리트에도 적국에서 온 때문에 환영받는 것은 아니었다 고 생각합니다. 츠 루미 씨에 대해 좀 더 자세하게 알고 싶은 사람은 인터넷 위키 백과에서 확인하십시오. 철학자 · 대중 문화 론자뿐만 아니라 평화 운동가 · 정치 운동가로서의 츠 루미 씨 아는 계기가 될 것으로 생각합니다. 주요 저서는 소개하기 시작하면 그 책의 이름을 말하기 만 시간이 없어져 버리기 때문에, 멈추어 둡니다. "전시기 일본의 정신사」는 전쟁 종결까지의 일본의 정신사를 분석 한 것으로, 그 전후 일본인의 정신사 내용은"전후 일본의 대중 문화 역사」에서 분석되어 있습니다 . 대학에서 열린 강연의 전반은 "정신사"며 후반는 "대중 문화사」로 정리하고 있기 때문에, 함께 읽으면 좋겠다 생각합니다.
이 강의에서는 '전시기 일본의 정신사」를 텍스트로 사용하지만,이 책은 무엇이 언급 된인가하면, 카토 典洋 씨가 "주의"로 써있는 것, 그것은 현대 일본 사상사 라는 넓은 시야 내용입니다. 츠 루미 씨는 그것을입니다 캐나다 대학에서 캐나다 학생을 향한 해설 한 것 같습니다. 1931 년 이후 일본을 ​​지배 한 화시즈 속에서 일본의 지식인들이 어떻게 생각하고 어떻게 행동했을까요. 지식인이 어떻게 생각하지 않았다 있을까요. 어떻게 행동하지 않았습니까? 츠 루미 씨는 그 발걸음을 거치면서 '전향'의 사실과 의미를 묻지 치료, 그것이 일본의 정신사를 관통하는 '문화의 쇄국 성'이라는 특성과 깊은 곳에서 공통점을 밝혀하려고 한 것 같습니다. 지식과 사상의 본연의 자세에 반대 성을 강요하는 독자적인 일본 문화 이론도 있다고 카토 씨는이 책을 소개하고 있습니다.
나는 작년 가을 강의 츠 루미 씨와 구노 수입 씨가 쓴 「현대 일본의 사상 '이라는 이와 나미 신서를 텍스트로 사용했습니다. 200 페이지 정도의 책을 15 회에 걸쳐 읽어 깨뜨려 나가는 작업을 통해 한 권의 책을 열심히 읽어 내려 간다는 귀중한 경험을 할 수있었습니다. 그것은 강의를 나뿐만 아니라 그것을 듣고있는 학생에게도 같은 것이라고 생각합니다. 책을 읽는 것은 어떤 것인가? 그것은 저자와 대화하는 것이라고 생각합니다. 저자는 책을 써서 독자들에게 메시지를 보내고 싶다라고 생각합니다. 독자는 그 책을 읽어서 저자의 메시지를받을 수 있습니다. 그러나 일방 통행적인 작업에 지나지 않고 메시지를받은 독자가 저자에게 질문을 던져 돌려 줄 예정되어 있지 않습니다. 나는 이런 책을 읽는 방법에 의문을 가지고 있습니다. 책을 읽는 것은 저자와 상호 작용하는 것이라고 생각하고 있기 때문입니다. 이 강의에서는 츠 루미 씨가 쓴 것을 감안하면서 왜 이렇게 쓸 것인가, 여기에 어떤 메시지를 받으면된다 것일까이 책에서 자신이 느낀 것을 루미 씨는 어떤 같이 받아 줄까 등 생각을 돌렸다하면서 읽어 나가고 싶다고 생각합니다.
(1) 접근의 전제
1. 언어에 대해
그럼 우선 "1931 년부터 1945 년까지 일본에의 접근 '이라는 곳에서 읽어 보겠습니다. 여기에 제 1 장 및 번호 부여를 해 둡니다. 그리고 읽으면서 읽는 법이라고하는지, 이해의 방법에 대해 내 나름대로 설명하고자합니다.
츠 루미 씨가 다루는 주제는 "1931 년부터 1945 년까지 일본 정신사"입니다. 이 문제를 생각하기 전에 캐나다 학생들에게 다음과 같은 이야기를하고 있습니다.
제 1 언어에 대해서입니다. 언어는 자신의 생각과 의견, 감상을 상대에게 전달 수단입니다. 음악을 들었을 때 느낀 생각과 그림을봤을 때 느낀 인상을 남에게 말한다면 언어라는 수단을 이용합니다. 음악도 회화도 언어를 사용하지 않고 표현하는 예술이지만, 添野 받아이나 인상은 언어를 사용하여 표현하는 것입니다. 주체는 비언어적 인 대상을 언어 적으로 표현하는 것입니다. 바그너의 음악을 들었을 때 히틀러는 그 인상을 독일어로 이야기합니다. 이와 같이 일본인은 일본어로 이야기합니다. 독일어권에서 태어나 자란 사람과 일본어 권에서 태어나고 자란 사람은 바그너 음악의 해석 방법, 사고 방식에 차이가있을 수 있지만, 비언어적 인 예술을 언어 적으로 비판하는 라는 점에서, 독일인도 일본인도 같은 일을하고 있다고 말할 수 있습니다. 그러나이 책의 주제 인 일본 정신사 일본 사상사이며, 일본의 문화 역사입니다. 그것은 일본인의 학문적 영위와 일상 생활에서 형성되고 축적 된 것이며, 그 범위 내에서 일본인이 학문적으로 생각해 본 적이 일상 생활에서 느낀 것은 그가 표현 수단으로 사용 일본어 에 의해 생각한 것이며, 느낀 것입니다. 이러한 것을 체계화 한 것이 일본 정신사이라고한다면, 독일어권에서 태어나 자란 사람이 그것을 독일어로 이해하고 그 느낌을 독일어로 표현이라고 할 수있다 아닐까요. 츠 루미 씨는 일본 정신사 영어를 이용하여 캐나다 학생들에게 설명하려고하고 있습니다 만, 그것은 과연 가능할까요. 일본어를 사용하는 일본인이 일본어 의해 생각 정신사의 내용을 일본어 이외의 언어에 의해 설명 할 수 있습니까? 그 물음에 대한 대답으로 루미 씨는 "어려움"이 아닌가라고 대답하고 있다고 생각합니다. 츠 루미 씨가 캐나다인에게 "영어를 일본인은 신뢰할 수 없다 '라고 말하는 것은, 예를 들어 일본인이 능숙하게 영어 표현 방법은 제한된 수 있기 때문에 단조로운 경향이 정서적 섬세한 까지 표현할 수 없기 때문에, 대략적 경향이기 때문에 그래서 믿을 수 없다는 뜻은 아닙니다. 영어 밖에 사용할 수없는 사람이 일본 정신사의 영어 번역을 읽어도, 그것만으로는 일본 정신사를 이해 할 수 없습니다. 일본 정신사은 일본어로 표현되는 테마로 밖에없고, 그것을 다른 언어로 대체하는 것은 기본적으로 불가능하다는 것입니다.
이와 같은 일이 일본어 속에 받아 들여진 영어 의미에 대해 말할 수 있습니다. 영어권의 사상과 문화는 영어로 표현됩니다. 그 영어는 전후의 일본어에 많이 도입되었다. 예를 들어, "세련된 드레스 패션쇼" 일본인이라면이 말로 표현되는 것이 무엇인지는 대략 검토가 붙습니다. 그러나 영어권 사람은 어떨까요. 예를 들어, '히트 앤 런'라는 영어 표현도 그렇습니다. 일본인 야구를 좋아하는 사람이라면 그것이 벤치에서 타자와 주자에게 보낸 사인 인 것은 쉽게 이해할 수 있습니다. 그러나 미국인 학자는 도무지 모르겠어요 있다는 것입니다. 이 말은 미국 야구의 하나의 전술로 일본 야구에 도입 된 것이지만,이 말은 원래는 다른 맥락에서 사용 된 단어입니다. 그것은 교통 사고를 일으킨 운전자가 그 자리에서 도주하는 '뺑소니'라는 뜻입니다. 영어가 일본 문화 속에 정착하자마자 그 영어 만 원래 언어권에서는 주어지지 않았다 의미를 획득하는 것입니다. 영어가 받아 들여지고있다해서 그런 일본 문화를 미국인들이 이해할 수 있는가하면 반드시 그렇지는 않습니다. 전후 일본어로 서양 말이 받아 들여진하여 일본인의 사고 방식이 서구화 한인가하면, 그렇지는 않습니다. 물론, 일본어에 서양 말이 들어 왔기 때문에 그것이 상징으로 사용되기 위해서는 의미를 생각을하지 않게되어 현대의 일본인이 자신들을 정확하게 이해하기 어렵게 됐다는 수 있습니다. 현대의 일본인이 일본인 고유의 사고 방식과 정신 문화를 자각하고 이해하는 길을 잃어 가고 있다는 것은 말할 수 있습니다. 그러나 그런 일본 정신 문화 같은 것도 "영어 섞인 일본어」로 밖에 표현하고 설명 할 수 없다.
2. '전향'의 특수성에 대해
츠 루미 씨가 일본 정신사를 설명하는 전제로 캐나다 학생들에게 말했다 둘째는 '전향'이라는 사상 현상이 일본 정신사에서 특수성을 가지고 있다는 것입니다. 나는 '특수성'이라는 말에주의를 기울일 필요가 있다고 생각합니다. 그것은 두 가지 이유에서입니다. 특수성은 보편성에 대치되는 개념이며, 보편성에 대한 고유성과 같은 의미를 가지고 있습니다. 예를 들어, 어떤 사회에서도 또한 어느 시대에서도 어떤 문화의 것이 든, 또 어떤 종교 속에서도 공통적으로 화제가되는 문제 공통적으로 준수되는 규칙은 일반 성 · 보편성이 있다고 할 수 있지만, 그런 사회와 시대 문화와 종교와 대립 관계가있는 경우에도 여전히 그들 자신의 사회와 문화 사이에 일반성 · 보편성 · 일반 성을 인정할 수있다인가하면, 좀처럼 그렇게는 안됩니다. 그 때 자신을 표현하기 위해 꺼내 오는 것이 특수성 · 고유성 개념입니다. 이처럼 '특수성'이라는 말은 말로서 본래 적으로 가지고있는 '차이'라는 뜻으로 사용됩니다. 그것은 역사와 문화, 풍토 등에 의해 형성되기 때문에, 다른 것들 사이에 "있는 그대로의 차이"를 가리 킵니다. 일본 문화와 일본 정신사를 연구하는 외국인 연구자가이 본래적인 의미에서의 일본의 특수성을 어디까지 이해할 수 있는지에 대해 관심이있는 곳입니다, 츠 루미 씨 또한 캐나다 학생에 대해 같은 오늘 관심을 가지고 있었던 것이 아닐까 생각합니다. 하지만 "물론 차이가 당연히 성격"이라는 의미로 사용되고 있기 때문에 다른 사람의 비판도 받아들이지 않고, 타인과 보조를 맞추는 일도하지 않습니다. 경우에 따라서는 특수성은 "독선 성"이라는 의미로 사용되는 경우도 있습니다.
특수성은 '전향'이라는 현상을 설명하기 위해 사용되고 있습니다. '전향'은 1920 년대 정치 운동에서 사용되기 시작한 말이다. 게다가 일본 사회를 변혁하는 사회 주의자 운동과 그것을 억압하는 천황제 경찰 사이에 있었던 정치적 분위기 속에서 사용 된 단어입니다. 어디 나라에서도 사회 변혁 운동과 그것을 억압하는 정치 사이에 대립과 갈등이 있었고 앞으로도 마찬가지라고 생각합니다. 대립이 심하고 억압이 폭력적 일수록 사회 변혁 운동의 노선의 본연의 자세가 문제입니다. 이대로 노선에서 과연 좋은 것일까. 어려움에 직면하여 그 타당성에 대한 논의는 어디 나라 운동에서도 일어났습니다. 그리고 운동의 노선을 검토하려는 사람들은 기존의 노선에서 방향 전환하여 다른 길을 이동합니다. '전향'는이 방향 전환을 의미합니다. 따라서 세계의 정신사이 있다면 세계의 사회 변혁 운동에도 '전향'라는 현상은 있다고 생각합니다. 그렇다면 일본의 사회 변혁 운동의 '전향'도 또한 이와 동일한면이 특수이라는보다 일반적이고 보편적이다라고 할 수 있습니다. 그러나 여기에서 문제가되고있는 특수성은 일본의 '전향'의 배경 사정이나 그 근거 라든지, 전환 된 방향성은 외국과는 다른 특징이 있다고 생각합니다. 츠 루미 씨는 거기에 일본적인 특징이있는 특수성이 있다고보고있는 것 같습니다. 게다가 거기에는 전쟁중인 15 년의 지적 · 문화적 경향이 있다고합니다.

3. "전향"의 우연성과 필연성에 대해
이처럼 '전향'은 방향 전환을 의미합니다. 그것은 기존의 노선에서 방향 전환이며 여기에있는 것과는 달라 다른 것이되는 것도 있습니다. 그것은 표준적인 경향에서 벗어난이기 위하여 그 표준적인 것으로는 뭔가 그 표준은없는 것으로 뭔가를 생각하면, 왜 표준적인 것에서 벗어나, 비표준 것이 되었는가 '전향'이라는 현상을 만들어 낸 이유 사회의 문화의 특징이 잘 이해할 수 있도록 생각합니다. 그것은 '전향'에만 국한된 것은 아닙니다. 1931 년부터 1945 년까지의 전쟁의시기는 그 전후의 시대와 어떤 관계가 있는가하는 문제입니다. 대규모 전쟁에 돌입하기 전에의 시대가 표준 시대 였다고한다면, 전쟁의 시대는 표준 시대에서의 일탈이라고 할 수 있습니다. 왜 표준 시대에서 비표준 시대로 이탈 해 갔다 있을까요.
이 같은 문제를 제기 할 때, 다음과 같은 대답이 되돌아 올 것으로 예상됩니다. 1931 년부터 1945 년까지의 15 년간은 메이지 초기부터 근대 일본 역사 속의 하나의 우발적 인 사건 우연적인 사건이다. 근대 일본 역사의 큰 흐름에서 보면 무엇인지가 표준이 아닌 흐름을 만들어 그것을 떠 넘긴 것이다. 이러한 논의에서 근대 일본 역사에있어서 표준적인 것이 평화의 흐름이며, 표준 않은 것이 전쟁의 흐름이며, 전쟁의 흐름은 무엇인지에 의해 일어난 우연한 사건으로 취급 수 있습니다. 그러나 그럴까요. 그것과는 다른 답변도 얻을 것이 아닐까요. 즉, 1931 년부터 1945 년까지의 15 년간은 메이지 초기부터 근대 일본 역사 속의 하나의 우연이 아니라 필연적 인 일이다. 근대 일본 역사의 흐름을 크게 보면 쇄국 상태를 풀어 국제 사회에 동참했기 때문에 평화와 우호의 국가 관계를 형성하는 흐름이 있었던 것은 사실이지만 아시아에서 구미 제국 러시아 진출 근대화 방금 일본에게 위협이며, 그것과의 긴장 관계 · 대항 관계가 발생 흐름도 동시에 있고, 청일 전쟁 · 러일 전쟁에서 그 경향이 강해지고 갔다고 볼 수 있습니다. 15 년간의 전쟁은 결코 우연히 생긴 것이 아니다라는 것입니다. 츠 루미 씨는 그런 흐름을 눌러 세울 수 없었던 것은 실수 였다고 평가하고 있습니다 만, 그렇게 평가 여부는 제외하고도 15 년간의 전쟁 속에서 우리 이 계승 할 많은 일들이 있고 거기에서 전쟁으로 향했다 진리 회복 할 평화의 가치를 찾을 수있다 생각합니다.
4. 역사의 구분에
이 책 속에서 이미 언급되어 있으며, 또한 내 설명에서도 언급하고 있듯이,이 책은 일본의 전쟁을 15 년 전쟁이라고 부르고 있습니다. 제 2 차 세계 대전 태평양 전쟁이라는 명칭이 사용될 수있다 것이 보통이며, 대동아 전쟁이라는 명칭을 사용하는 사람도 있습니다. 그러나 루미 씨는 1931 년의 만주 사변에서 일본이 본격적으로 중국에 전쟁을 장치했다는 식으로 인식하고 있습니다. 1931 년 일본 육군 지도자가 중국 만주에서 전투를 초래, 더 나아가이 지역에 일본군이 자유롭게 할 수있는 정권을 세운 때이 기술은 세계에게 새로운 것이 었습니다. 그것은 이탈리아의 무솔리니, 독일의 히틀러가 흉내를했습니다. 유럽에서는 1939 년에 제 2 차 세계 대전이 시작되면서 아시아에서는 1941 년에 태평양 전쟁이 시작 됐다는 인식에서 1931 년의 중일 전쟁이라는 사실이 누락되어 있습니다. 만주 사변 이탈리아, 독일에 준 충격은 일본이 이미 세계 대전과 연결 있었던 것을 의미하고 있습니다.
5. 역사 인식의 공간적 틀과 시간적 틀
츠 루미 씨는 캐나다의 학생을 대상으로 일본 정신사를 해설하고 있습니다 만, 아마이 학생들은 다양한 의미에서 일본의 역사와 문화에 관심이있는 사람들 이지요. 일본에 대한 흥미와 관심은 다양한 겠지만, 그것을 문에 일본 문제 대상에 들어가는 것입니다. 안에 들어 가면 어떻게 될까요. 영국인 도예가 버나드 리치는 젊은 시절부터 일본 문화에 관심을 가지고있었습니다. 그는 처음부터 끝까지 일본에 대해 애정을 잃지 않고 실망하지 않았다 몇 안되는 1 명이라고합니다. 이것은 무엇을 의미할까요?
리치는 일본에 대한 관심과 함께 중국과 조선에 대해서도 관심을 가지고있었습니다. 도예가이므로 일본의 도자기와 동시에 중국과 조선의 도자기에도 눈을 돌려 그 차이와 특징에 대해 생각할 수 있었던 것이라고 생각합니다. 즉, 전체 속에서 개인을 파악 관점, 개인과 개인을 관련 지어 파악하는 관점을 가지고 있다는 것입니다. 그래서 아름답게 보였던 일본 문화가 중국이나 조선과 연관도 추악 보이는 것은 없었다는 것입니다.
일본을 중국과 조선의 측면에서 보면 일본의 나쁜 측면이 부각됩니다. 특히 1931 년부터 1945 년까지의 15 년 전쟁이 그렇습니다. 만약 일본의 근대사를 중국과 조선 등 아시아의 근대사 전체를 가운데에 위치하여 파악 관점을 가지지 않는다면 전쟁을 건 일본에 실망 할 것이고, 일본 문화를 아름다운 문화와 생각 없어지는 것입니다. 애니메이션을 좋아라고, 피겨가 좋아한다고 취미와 취향의 이야기에 한정하면, 그런 일은 없다고 생각 합니다만, 차 하이쿠 문학 등 일본의 정신 문화에 관심을 가진 사람, 거기에 아름다움 을 느낀 사람이라면 환멸 해 버릴 가능성이 있습니다. 그렇지 않고 전쟁이라는 역사적 사실에 직면하더라도 그 배경에있는 요인을 지리적 · 공간적으로 펼쳐 파악 관점, 역사적 · 시간적 과정에서 생각 관점이 필요하다고 생각합니다. 그것은 실망과 환멸을 피하기위한 방법이라는 의미는 아닙니다. 상황을 정확하게 파악하기 사고 방식이라는 의미에서 중요한 일이라고 생각합니다.
(2) 역사 인식의 다양성
과거의 역사 일본의 정신사를 돌아보며 거기에서 지식과 사상의 본연의 자세에 대해 생각 팁을 잡아낼. 이것이 츠 루미 씨가이 책 속에서 행하려고하는 것입니다. 역사를 되돌아 위해서는 과거의 사료를 검토하여 그 시대의 움직임 속에서 그것을 자리 매김하고 다시 읽는 것이 필요합니다. 현대사의 경우 수많은 사료가 있습니다. 많은 증언도 남아 있습니다. 당시를 살았던 사람들로부터 직접 이야기를들을 수 있습니다. 1931 년부터 1945 년까지의 15 년간의 전쟁의 역사 일본의 정신사에 대해 다양한 해석이 있습니다. 당사자의 경험이 있습니다. 역사에 働きかけよ려고 한 생각, 열정이 있습니다. 정치가의 야망도있을 것입니다. 경제가 야심도있을 것입니다. 개인의 선의도 있고, 악의도있을 것입니다. 적극적으로 참여하는 사람도 있고, 소극적으로 참여하는 사람도있을 것이다. 지각있는 사람도 있고, 내키지 사람도있을 것이다. 이러한 다양한 사람들이 과거의 역사가 만들어진 것이기 때문에 그 해석도 다양합니다. 미리 입장을 결정하고, 이러한 해석이 정통적인 해석이라고 단정하여 다른 해석을 비판 할 수 없습니다. 따라서, 츠 루미 씨의 해석도 견해도 하나의 가능성을 보여주고있다 뿐이지 그것에 오른쪽으로 배우를 할 필요가 없습니다. 츠 루미 씨의 견해의 설명을 내 의견 역시 같은 방식으로 하나의 가능성을 보여주고있다 뿐이지 절대적으로 옳은 것은 아닙니다. 역사의 견해 사료와 사실의 해석은 다양성과 가능성이 있다는 것을 제대로 인식 해 주었으면한다고 생각합니다.
하지만 그렇다고 보장 등 무엇 하나 없다 던가 절대적으로 옳은 일 등 원래 존재하지 않는 것이라고 착각하지 말아 달라는 것입니다. 지금 여기에있는 시점에서 과거의 역사에 대해 다양한 해석이 이루어진다는 의미에서, 우리는 절대적인 생각을 물리 치고 상대 주의적 입장을 관철한다고 생각 합니다만, 오랜 역사를 되돌아 때, 역시 거기에는 일정한 법칙이 있다고 생각합니다. 많은 사람들이이 옳다고 공통 인식을 가질 수있는 것이 있다고 생각합니다. 그것은 일반적 · 추상적 인 내용의 것일지도 모르지만, 확실한 것이 있다고 생각합니다. 그 일반적 · 추상적 인 확실성이 오늘의 시대와 사회에서 어떻게 특수적이고 구체적인 형태로함에 따라 표현되어야 할 것인가를 생각하는 것이 중요하다고 생각합니다.
"평화는 중요합니까?"라고 질문되면, 대부분의 사람들은 "중요합니다"라고 대답 할 것이다. 여기에는 일반적 · 추상적도 "진리"가 있습니다. 이 "진리"는 인류가 과거의 역사에서 제목 온 것입니다. 전쟁을 반복 행해 온에서 체험 한 절대적인 진리입니다. 그러나 "평화를 유지하기 위해서는 어떻게 생각하십니까 '라는 질문에 대한 대답은 다양합니다. 평화의 탐구 방법, 그것을 유지하는 방법을 둘러싸고, 우리는 절대적 진리에 도달하는 여정의 중간에있는 것 같습니다. 그래서 논의해야합니다. 정치인들이 마음대로 결정하는 것이 아니라 우리 개개인이 주체가되어 논란을 일으키고 그에 관계 가설을 제시하고 의견 교환을 계속해야합니다. 의견의 대립은 논의를 어렵게 만드는 것입니다. 다수의 의견이 제대로 보이는 것이 있기 때문에 소수 의견을 주장 할 용기가 없어 질 수 있습니다. 언론은 다수결 원리는 타당하지 말아야 임에도 불구하고 많은 사람들의 의견이 여론을 형성하여 그 기세가 멈추지 않고 사회와 시대를 이끌어 갈 일도 있습니다. 소수 의견의 사람은 어딘지 모르게 따돌림 된 같은 남겨진 것 같은 기분이 될 수 있습니다. 거기에 전체주의의 위험이있는 것입니다 만, 그것은 자신의 의견이 여론을 형성하고 다수파를 형성하고있는 사람은 아무래도 이해하기 어려운 것 같습니다.
(3) 본 강의의 목적
이 수업에서는 1931 년부터 1945 년까지 일본 정신사에 관한 쓰 루미 슌스케 씨의 견해를 참고로하면서 공부하고 싶습니다. 이 수업을 통해 여러분에게 배우게 싶은 것은 다음 세 가지입니다.
제 1은 예습입니다. 300 페이지 가까운 책을 15 회 수업으로 읽고갑니다. 1 회 20 페이지 미만이므로 미리 불러주세요. 내 이야기를 듣고는 츠 루미 씨가 무슨 말을하는지 알 수 있어야합니다.
둘째, 책 읽는입니다. 이 책은 캐나다 대학에서 캐나다 학생을 대상으로 영어로 이야기 된 내용을 일본어로 쓰고 다시 것입니다. 캐나다 학생들은이 수업을 통해 루미 씨 드래곤의 일본 정신사의 논의를 배운 것입니다. 일본 문화에 관심이 있어도 일본의 정신을 공유하지 않는 캐나다 학생이 같은 주제에 대해 공부하려고하는 것입니다. 적어도 일본에서 태어나 자란 사람이라면 그들이 이상이 문제에 대해 이해할 수 있습니다. 이해한다는 것은 찬성 의견을 가진다는 것은 아닙니다. 굳이 말한다면, 반대 의견이나 의문을 가질 수있게되어 처음으로 이해했다고 할 수있는 것은 아닐까 생각합니다. 읽으면 읽을수록 의문이 솟아 난다. 그런 읽는 법을하십시오.
제 3 일본 문화와 정신사뿐만 아니라 다양한 문제 관심을 가지고, 그것을 생각하는 방법을 익히는 것입니다. 생각이라고 먼저 공식이 있고, 그것을 적용시켜 나가는 일이 없습니다. 전체를 바라 볼 때뿐만 아니라 세부 사항을 파악 같은 경우에도 착안점과 같은 관점이 필요합니다. 게다가 그것은 각자의 관점이므로 자신 만의 독창적 인 것이라고 생각합니다. 그런 생각의 기본을 익힐 수 있도록 노력하십시오.
다음은 제 2 장 '전향에 하나있어 "를 읽고갑니다.




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