慶州は母の呼び声―わが原郷(森崎和江) - 乱読大魔王日記
2010.12.14 Tue
本・雑誌ネタ
慶州は母の呼び声―わが原郷(森崎和江)
慶州は母の呼び声―わが原郷
(2006/12)
森崎 和江
商品詳細を見る
▼敗戦以来ずっと、いつの日かは訪問するにふさわしい日本人になっていたいと、そのことのために生きた。どうころんでも他民族を食い物にしてしまう弱肉強食の日本社会の体質がわたしにも流れていると感じられた。わたしはそのような日本ではない日本が欲しかった。そうではない日本人になりたかったし、その核を自分の中に見つけたかった。(p.221)
森崎和江は、植民地であった頃の朝鮮で生まれ、17年を朝鮮で暮らした。「私の原型は朝鮮によって作られた」(p.10)という植民二世。森崎が産まれた大邱(たいきゅう)府三笠町は、今日の韓国の大邱(テグ)市である。
▼三笠町という町名が生まれ、消え去ったように、他民族を侵しつつ暮らした日本人町は、いや、わたしの過ぎし日の町は今は地上にない。(p.13)
その今はない植民地の町で育った森崎が、自分の感受したものを書いたのがこの本。新版として出たこの本の巻末には、森崎と同じように植民地に生を受け、朝鮮半島からの引揚者である清水眞砂子の解説がおさめられている。
「ぼくにはふるさとがない」「どこにも結びつかない」と言って自死した森崎の弟のように、喜寿を迎えた清水の姉も「自分には故郷がない」と語るという。
森崎の五つ下だったという弟さんが新制高校一年のときに「敗戦の得物」という弁論をした、その原稿が残されている。
▼「諸君! 我々の自由は他を侵してはならないのであります。自分の我儘を通すために暴力に訴えたりするが如きは、自由の敵である。日本は、実に、堂々としてこれを行った過去を持つのであります。そうだ! 自由とは、かくあってはならない。自由の根底には、実に大きな、不動の一つの条件があるのであります。即ち人と人との相互の信頼であります。諸君! 祖国再建の第一歩は…」(p.237)
森崎和江といえば『まっくら』、『奈落の神々』、『湯かげんいかが』…私が思い出せるのはそれくらいで、いっぱい本があるんやなあと検索してみると、佐賀にわかの女座長を書いた『悲しすぎて笑う』もこの人の作だった。『からゆきさん』も、山崎朋子の作とごっちゃになっていたが、この人の作だった。
少女時代を植民地化の慶州道で生きてきた日本人の話。今私が住んでいる韓国嶺南地域の、親しみを感じ始めたいくつかの場所で、あの時日本人がどのようにして韓国人と接していたのか、幼い子供たちはそれをどのように見ていたのかが生々しい。最近読んだいくつかの本でも繰り返し思うのは、人は生まれや人種、国籍なんかで理解できるものではないということだ。生まれた環境やこれまでの経験をどのように飲み込んでいくかは、いつも自分次第。ただ、例えば国籍など自分と共通項を持つ者たちが過去に何をしたのか、それはよく知っている必要がある。
No comments:
Post a Comment