2026-05-10

전쟁과 성폭력의 비교사 우에노 지즈코,아라라기 신조,히라이 가즈코

Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: 戦争と性暴力の比較史へ向けて




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5つ星のうち3.7
3.7/5
10 件のグローバル評価
星5つ

42%

星4つ

27%

星3つ

8%

星2つ

8%

星1つ

15%





戦争と性暴力の比較史へ向けて
上野 千鶴子
フォーマット: 単行本
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4件のカスタマーレビュー

日本から 正直、「一冊の本を読むとはこのようなことであったか」と久々の感慨をもたらされた。

 戦争と性暴力の比較史という、多くの人が「重苦しい」と思いがちなテーマの書でありながら、かつ実際に、それぞれの論者が研究の成果をきわめて堅牢に(この点について「実証を疎かにしている」「概念のお遊び」といった先入観に満ちたレビューは笑止千万だった……自ら恥じて削除したようだが)述べていながら、それでいてなお、この本にはそれだけには留まらない重層性がある。

 上野千鶴子はこの本について「2年間にわたって準備してきた」「社会学、歴史学、オーラルヒストリーのクロスオーバー」「この分野でのマイルストーンになればよい」と呟いている(https://twitter.com/ueno_wan/status/966688770278899712)。
 実際、同テーマをめぐるここ三十年の内外の動向について語る上野「序論」は熱気に満ちている。さまざまな研究者(我々は読書レベルに応じて、そのなかの幾人かを知っていたり、まったく知らなかったりするわけだが)の成果が理路に沿って紹介されるのだが、むろんただの網羅であるはずもなく、その手さばきは辣腕、かつどこか華麗さもある。

 こうして、序論では①戦争と性暴力、②比較史、③女性のエイジェンシー、④オーラルヒストリーといった論点が示される。いずれも一筋縄ではいかないが、とりわけ「語りを阻害するものと語りを可能にするもの」「歴史の一部でもある自らの体験を語るとはどのような行為であるか」「その時エイジェンシーはどのように生成し行為遂行するのか」といった問題は、私見ではきわめて重要な、いわば歴史とアカデミズムと人間理解の結び目である。重層性と述べたのは、歴史書でありながらこのような思想の書でもあるという本書の特徴ゆえだ。戦時性暴力被害者「ではない」私たちにとっても、この本によって得られるものが多いとすれば、そのためである。

 各論者は、自らの取材と研究の成果を述べると同時に、このような全体のテーマへの応答を要求される(それは必ずしもスムーズに接続されるようなものではなく、なかには悪戦苦闘もあったに違いない)。また例えば蘭論文(「戦時性暴力被害を聞き取るということ」)は、桜井厚の「モデル・ストーリ」と「マスター・ナラティヴ」概念を用いて、語りを阻害するものについて検討するなかで上野の「モデル被害者」論に触れ、「このようなモデル被害者像が日本軍慰安婦問題/日本軍性暴力に関する言説空間において具体的にどのように構築されていったのか」を真正面から論じたのはほとんど山下英愛のみであると指摘しているが(p.288)、その山下による2016年のシンポジウム報告というのは、他でもない本書に収録された山下論文(「韓国「慰安婦」証言聞き取り作業の歴史」)の下敷きとなったものである。このように序論との関係だけではなく、本書内外の研究者間での相互参照が活発に行われており、たんに「論文集としては統一感がある」といった具合ではなく、独特な知の練成の場といった感がある。

 各論文を読みつつ註を参照し、ときに「序論」や他の論文を読みかえし、別の本の関連箇所を確認し……と読書としてはかなり能動性を要求されたが(そうしなければ理解出来ないというわけではない。念のため)、そうするうちにふと、「一冊の本を読むとはこのようなことであったか」という、冒頭の感慨に至ったのだった。



サトぽん


5つ星のうち3.0 歴史学に「挑戦」するのは上野先生の勝手ではございますが2018年5月29日に日本でレビュー済み
フォーマット: 単行本
現在に至るまで、「戦争と性暴力」の「比較史」研究としては、秦郁彦氏が「慰安婦と戦場の性」の中で、一章を割いて簡単に各国の軍隊の「慰安婦」事情なるものを紹介している例があるのみであった。

この「比較研究」の部分は、その内容が他国を刺激するとして、「慰安婦と戦場の性」の政府肝いりの英訳プロジェクトがオジャンになったと言う、みっともないいわくつきのものなのだが、いまでもそれなりに影響力がある。産経新聞が「歴史戦」で展開している、戦争時はどこの国も似たようなことやってるのよと言う例のヤツである。韓国軍のベトナム戦争下の韓国軍「慰安所」例が、週刊文春と山口敬之によるでっち上げであったことが発覚しているが、もともとは、秦氏が論文の中で、ベトナム戦争でのアメリカ軍の「慰安所」の例(これもマユツバ)を紹介したことに端を発している。

なぜ、秦氏の「研究」くらいしか例がなかったのかと言う問題なのだが、戦時性暴力の研究の中で、日本軍の慰安所研究の蓄積が突出しており、他国には「比較」をするだけの研究の蓄積がなかったからである。例えば、ナチス・ドイツは、日本軍の慰安所と類似の施設を作った秦氏に主張されるのだが、それがどれだけの規模で、どのような命令系統によって作られたかと言うことになると、ほとんど明らかになっていない。日本軍の慰安所と同様の施設をナチが作ったことの論拠として、秦氏が使用しているのは、秦氏自身が日本に紹介したフランツ・ザイトラーの著作なのだが、いまだに邦訳すら出ていない。

だから、「戦争と性暴力の比較史」の研究が深められるというならば、何のモンクもない。どんどんやってくだはれと思うだけなのだが、ことはそう単純でもない。版元の岩波の内容紹介を読めば分かるように、大風呂敷の題名と裏腹に、至って地味な論文が並んでいるのである。

編者の一人、上野千鶴子氏は、朴裕河を擁護するために編まれた『対話のために 「帝国の慰安婦」という問いをひらく(2016)』の中で、以下のように書いている。
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歴史家にとっては、この「語りの複数性」という概念が気に入らないらしい。そもそも、「歴史」が「語り」と等値されること自体が、許しがたいもののようだ。なぜなら「真実」はたったひとつであり、それは「立場性」の如何を問わず、万人に認められるべきであり、その真実の真実性を裁定する審判者は、訓練を受けた歴史家であるべきだからだ。歴史家は、歴史の法廷の裁判官であるという特権的な地位を、手放したがらないように見える。

歴史学は大きく転換を迫られた「はずだった」と書くのは、期待に反して、歴史学が変化したようにはいっこうに見えないからである。九〇年代後半に「慰安婦」問題をめぐって構築主義vs.実証史学のあいだで「上野・吉見論争」が起きたことになっているが、そして一部の歴史家のあいだでは、「上野は反省した」ということになっているらしいが、わたしは少しも反省などしていない。それどころか、朴裕河の『帝国の慰安婦』『朴、二〇一四」をめぐる論争において、二〇年近く前の論争があたかもデジャビュのごとく繰り返される事態を見て、歴史家たちは何も学んでいないのか、と暗澹たる思いにとらわれる。

『帝国の慰安婦』が歴史書として読むに値しない、という批判は、主として「実証史学」の水準(事実の認否)で行われている。だが私の目からみれば、『帝国の慰安婦』がもたらした学問的なインパクトは、「実証」の水準にではなく、「語り」と「記憶の水準」にある。そしてそのことを見逃す『帝国の慰安婦』評価は、すべて的外れだといってもよい。『帝国の慰安婦』は、それと言上げしていないが、ポストコロニアリズム-「脱植民地化」と訳される-の課題をつきつけた。

出典:対話のために 「帝国の慰安婦」という問いをひらく
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本書の編者には蘭信三氏と平井和子氏が名を連ねているが、「はじめに」には、上野氏の考えが大きく反映されているのが分かる。似たようなことが書かれているからだ。

周知のように、上野氏は朴裕河氏の「帝国の慰安婦」に対する、傍目には奇妙としか言いようのない肩入れぶりをめぐって、いろいろと非難されている。『非難されている』という言い方が悪ければ、意味のないゴタゴタの発信源になっていると言うべきかもしれない。上記の文章を読んで、彼女が何を言わんとしているのか、説明できる人は本人以外にいないだろう。言語明瞭意味不明と言うやつである。

本書を読んでも、上野氏が自分で説明すりゃ済む話を、他人に説明させる形でゴマカしてしまおうとしてると言う疑念を拭えなかった。もちろん、彼女の「歴史学」への異様な「対抗意識」には、過去に吉見義明氏にワケのワカラン難癖をつけた末に自爆した逆恨みもあるのかと思う。プライドが許さないんでしょうな。

そういう人が編者の一人なのだから、収録されている論文もヒドイかと言うと、それほどでもない。上野氏の自己正当化の臭みに鼻をつまんで我慢すればの話ではあるが、各人、よくも悪くもマイペースで、上野氏の劣化ぶりとは無関係に、手堅くまとめられている。

山下英愛氏は『韓国の「慰安婦」証言聞き取り作業の歴史』で、元「慰安婦」女性の証言の聞き取りを巡る、安秉直と挺対協の間の「論争」について整理している。それなりに興味深いが、具体的な「証言」の中身については、ほとんど触れられない。私は彼女らの証言は実証的歴史学と補完しあうことによって、日本軍「慰安所」制度の例をみない過酷さを証明した極めて貴重なものだと考えている。「被害者女性の証言」については、本書の中でも繰り返して、その意義が強調されるのだが、関連論文はこの一本だけである。クチではどう言っていようと、いかに「被害者女性の証言」と「慰安婦問題」を編者(たぶん一人)が軽視しているかの表れであろう。戦地からの日本人「引き揚げ」女性のレイプの問題は、二本の論文で論じられているが、正直、新味があるわけではなかった。

岡田泰平氏の論文『日本軍「慰安婦」制度-強制性と合法性をめぐる葛藤』は、際立って奇妙な論文である。永井和氏の論文を引き合いに出して、「合法性」とやらを論じているのだが、何と何が「葛藤」しているのかすら分からない。吉見義明氏と永井和氏の論文が「葛藤」しているかのように、読めないこともないのだが、これでは本書がぶち上げる「歴史学への挑戦」など、夢のまた夢だろう。なんで本人がこの論文を書こうと思ったのか、なんで編者が岡田氏に書かせようと考えたのかも疑問であった。

編者の一人でもある平井和子氏の論文『兵士と男性性』は、予想に反してというか、非常に面白かった。日本軍「慰安所」制度に対する極めてオーソドックスな分析であるが、曽根一夫へのインタビューなど内容は非常に示唆に富む。私は本書を読む前に、曽根の本を集中的に読み返していたので、頷けるところが多かった。

姫岡とし子『ナチ・ドイツの性暴力はいかに不可視化されたか-強制収容所内売春施設を中心として』は、「ナチ・ドイツの性暴力」を扱っているのだが、あくまでも「強制収容所内売春施設」のことが中心である。姫岡氏はレギーナ・ミュールホイザー「戦場の性――独ソ戦下のドイツ兵と女性たち 」の訳者でもあり、ドイツの戦時性暴力に関する代表的研究者なのだが、ナチ・ドイツに、日本軍の慰安所と類似した、一般兵士用の施設があったか、どの程度の規模であったのかについては、詳しくは説明されていない。ナチは変態の集まりだから、慰安所くらいあっただろうと言うのは勝手な思い込みで、国防軍、SS、武装SSといった性格の違う組織が、どのように兵士の「性欲処理」、「性病予防」措置をとっていたかと言うのは、当たり前の話だが、調べなきゃ分からないのだ。

そのあたりが曖昧なのはもちろん残念なのだが、ベルリンのソ連兵による強姦についての指摘は興味深い。ソ連兵による強姦被害が、戦後すぐの段階で知れ渡った事情を、姫岡氏はナチスによる反ソ宣伝に求める。(ナチスからすれば)劣等民族の集まりであるソ連軍はそもそもが強姦をなんとも思わないようなやつらなのだから、集団強姦があっても不思議ではない。だから、ベルリンの女性たちは、一方的な性暴力被害者として、証言することができたのだということのようだ。原爆や大規模な空爆と同様の「災厄」として考えられたというわけである。ドイツの場合は、ナチの強制収容所での虐殺に、一般民衆が知らんぷりしていたことが、平行して暴露されているいるので、もちろん、このこととも関連があるのだろう。ソ連兵の日本人集団強姦の例や、南京事件の時の集団強姦の例もあるので、これは遠いドイツだけの話ではない。今まで以上に客観的に語られるべき問題と思う。

佐藤文香氏の『戦争と性暴力-語りの正統性をめぐって』も面白かった。佐藤文香氏は第二次大戦時のアメリカ軍のフランスでの「蛮行」を記述した「兵士とセックス」の監訳者である。題名の「語りの正統性」と言うと、上野先生の意味不明の屁理屈が思い浮かぶのだが、内容は穏当で至ってマトモである。私の現在の関心が「理屈」の部分にはないので、ここでは言及しないが、これなら納得という水準であった。橋下元大阪市長が「兵士とセックス」の日本への紹介に一役買ったという話は本書でも触れられているが、「兵士とセックス」の監訳者解題の方に詳細が書かれている。興味のある方は参照されたい。

なんだか、上野先生と他の執筆者との仲違いを煽っているような気持ちになってきたが、そういうつもりもありません。悪しからず。

点数は論文の平均点と言うところです。


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LILYLILY


5つ星のうち2.0 フェミニズム、じゃないかも。2018年4月6日に日本でレビュー済み
フォーマット: 単行本
戦時性暴力は日本だけで起きた問題ではない! 日本だけ責めるな! というようなネトウヨ的な言説に、それでは・・・と、フェミニストたちが「性暴力の比較史」にジェンダーの視線から取り組んだ挑戦的な本。日本軍「慰安婦」を私たちはどこまで「普遍」として語れるのか、または語るべきではないのか。ここまで解決できなかったこの問題を、次世代のフェミニストはどのように思考していくべきなのか・・・。ある程度は期待して手に取したのだけれど、残念ながら上野氏の衰えを感じる一冊となった。
特に「ナショナリズムかジェンダーか」という90年代的二項対立(その二項対立自体に、問題が孕んでいることもさんざん指摘されてきたにもかかわらず)からずれることなく韓国の支援運動を民族主義的である、ナショナリズムである、と偏見を助長する批判に固執している点は残念である。最初の告発者、金学順さんが遺族団と共に告発したことをもって初期の運動を民族主義的と断定するあたり乱暴さが際立ち、「慰安婦」問題を理解したい思いで手に取る若い読者への影響が気になる。上野氏は国家権力を批判するあまり、こと性表現、性暴力問題に関しては自己責任、新自由主義論と親和性が高くなっているようだ。
また山下英愛氏の論考は歴史的価値があると考えるが、相変わらず90年代前半で時間の止まった挺対協批判を繰り広げていることに、研究者としての怠慢を感じる。
他の論者の方のものも、いったいどこに着地しようとしているのか、何を主張しようとしているのか、分からないものが多かった。この問題に関する「語りにくさ」というのをそれぞれ抱えながら書かれているのが伝わるが、それでもなぜ「語りにくいのか」が、性暴力という問題に真摯に向き合っているからというよりは、誰かの顔を伺いながら・・・批判されないように慎重に書きたい・・・というのがそこはかとなく伝わってくるからかもしれない。これは本当に専門書、歴史書、ましてやフェミニズム本と言えるのだろうか。
それでも☆を二つつけたのは、おそらくこの論者たちが「慰安婦」問題でどのような立ち場でどのような言説を繰り広げられていたのかご存知ないのであろう樋口氏の真摯な寄稿に対する敬意を示すため。


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つくしん坊


5つ星のうち5.0 線引きが曖昧な戦時性暴力に対して、加害者・被害者双方の視点から比較する重要な試み2018年6月26日に日本でレビュー済み
フォーマット: 単行本
本書は、歴史学や社会学など広範囲な研究者12人が戦時性暴力を分析検討したものである。政治的・国際的にデリケートな本問題に対して真摯に研究を続けている研究者の皆さんに敬意を表したい。戦時性暴力は線引きが曖昧である。本書は、加害者・被害者双方の視点から比較する有益な試みであり、「政府や軍部による強制性の有無」という非常に狭い視点に囚われがちの「従軍慰安婦」問題にも、新たな視点と今後への示唆を提供している。

本書のバックボーンをなすのは上野千鶴子氏による社会学的な視点である。それは「強姦・売買春・取引・恋愛・結婚・出産」という当事者間の性的関係の連続性と、「敵味方・同盟国・占領地・植民地」という国家間の関係の連続性に着目し、加害者・被害者がどのように語り証言してきたか、を多くの事例をもとに分析するものである。本書の編著者らは何回も研究会を重ねて論考を執筆しているので、各論考の視点には一貫性がある。

本書によれば、戦時性暴力の研究はアジア発で、1991年の元「慰安婦」金学順さんの名乗りがスタートだったという。これをきっかけに日本や韓国などのアジア諸国はもちろん、欧米でも戦時性暴力の本格的な研究が開始された。日本や韓国などにおける研究は膨大な成果を生み出した。一方、欧米でも、ナチ・ドイツ、旧ソ連、ドイツ占領時のフランスなどにおける戦時性暴力の研究が始まり、多くの著作が刊行され始めた。また戦後だけ取り上げても、戦争や内戦時の性暴力は跡を絶たず、普遍的で現在進行中の問題であることが明らかである。

本書では序章で戦時性暴力の視座がまとめられた後、第I部では「慰安婦」の証言聞き取りと兵士側の証言、第II部では従来タブー視されてきた戦時・占領時の性暴力(アメリカ軍の占領時「慰安所」、満洲引揚時のソ連兵による性暴力、ナチ・ドイツ時代の強制収容所内性暴力など)、第III部では歴史学からのアプローチ(歴史学が性暴力を対象とするまで、歴史家による中国での戦時性暴力聞き取りなど)に関する論考がまとめられている。

本書を読み、戦争と性暴力との深い関係について改めて考えさせられた。同時にこの問題は、一見平和な現代社会における、家庭内暴力や社会におけるセクハラ・パワハラとも同根の(連続している)問題であることを痛感させられた。「従軍慰安婦」問題を広い視野から、また現代社会にも通ずる問題として分析している本として本書をお奨めする。


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5성급 중 3.7
3.7/5

4개의 고객 리뷰
일본에서

야스다 압타로
5성급 중 5.0 중후하고 스릴있는 호저
2018년 4월 10일에 확인됨
포맷: 단행본
 솔직히, 「한 권의 책을 읽는 것은 이런 일이었는가」라고 오랜만의 감개를 가져왔다.

 전쟁과 성폭력의 비교사라고 하는, 많은 사람이 「중고하다」라고 생각하기 쉬운 테마의 책이면서, 한편, 실제로, 각각의 논자가 연구의 성과를 매우 견고하게(이 점에 대해 「실증을 소홀히 하고 있다 「개념의 놀이」라고 하는 선입관으로 가득한 리뷰는 웃음 천만이었다…

 우에노 치즈코는 이 책에 대해 “2년간에 걸쳐 준비해 왔다” “사회학, 역사학, 오랄 히스토리의 크로스 오버” “이 분야에서의 이정표가 되면 좋다”고 중얼거리고 있다(https://twitter.com/ueno_wan/status/96668877027889972)
 실제로, 이 주제를 둘러싼 지난 30년의 내외의 동향에 대해 말하는 우에노 「서론」은 열기가 가득하다. 다양한 연구자(우리는 독서 레벨에 따라 그 중 몇몇을 알고 있거나 전혀 모르는 것인데)의 성과가 이로를 따라 소개되는데, 단지 망라일 것도 없고, 그 손바닥은 질완, 그리고 어딘가 화려함도 있다.

 이렇게 서론에서는 ①전쟁과 성폭력, ②비교사, ③여성의 에이전시, ④오랄 히스토리라는 논점이 제시된다. 모두 일근줄로는 가지 않지만, 특히 「말을 저해하는 것과 말을 가능하게 하는 것」 「역사의 일부이기도 한 스스로의 체험을 말한다고는 어떠한 행위인가」 「그 때 에이전시는 어떻게 생성해 행위 수행하는 것인가」라고 하는 문제는, 사견으로는 매우 중요한, 이른바 역사와. 중층성이라고 말한 것은 역사서이면서 이런 사상의 책이기도 하다는 본서의 특징 때문이다. 전시성 폭력 피해자 '아니오' 우리에게도 이 책에 의해 얻을 수 있는 것이 많다고 하면 그 때문이다.

 각 논자는, 자신의 취재와 연구의 성과를 말하는 것과 동시에, 이러한 전체의 테마에의 응답을 요구된다(그것은 반드시 부드럽게 접속되는 것 같지 않고, 그 중에는 악전 고투도 있었음에 틀림없다). 또 예를 들면 난초 논문(「전시성 폭력 피해를 듣는다고 하는 것」)는, 사쿠라이 아츠시의 「모델 스토리」와 「마스터 나라티브」개념을 이용해, 이야기를 저해하는 것에 대해 검토하는 가운데 우에노의 「모델 피해자」론에 접해, 「이런 모델 피해자상이 일본군 위안부 문제/일본 라고 구체적으로 어떻게 구축되어 갔는지”를 정면에서 논한 것은 거의 야마시타 영애만이라고 지적하고 있지만(p.288), 그 야마시타에 의한 2016년의 심포지엄 보고라고 하는 것은, 타도 아닌 본서에 수록된 야마시타 논문(「한국 '위안부')의 증언 듣기 작업이다. 이처럼 서론과의 관계뿐만 아니라 본서 내외의 연구자 간의 상호참조가 활발하게 이루어지고 있으며, '논문집으로서는 통일감이 있다'는 상태가 아니라 독특한 지식의 연성의 장이라는 느낌이 있다.

 각 논문을 읽으면서 註를 참조하고, 때로는 「서론」이나 다른 논문을 읽고, 다른 책의 관련 개소를 확인해… … 그렇다면 이해할 수 없다는 뜻은 아니다.
35명의 고객이 이것이 도움이 되었다고 생각합니다.
유용한
보고서

사토폰
5성급 중 3.0 역사학에 "도전"하는 것은 우에노 선생님의 마음입니다.
2018년 5월 29일에 확인됨
포맷: 단행본
현재에 이르기까지 '전쟁과 성폭력'의 '비교사' 연구로는 진이쿠히코씨가 '위안부와 전장의 성' 속에서 1장을 나누어 쉽게 각국의 군대의 '위안부' 사정적인 것을 소개하고 있는 예가 있을 뿐이었다.

이 '비교연구' 부분은 그 내용이 타국을 자극한다고 해서 '위안부와 전장의 성' 정부 간의 영역 프로젝트가 오장이 되었다고 하는 엄청난 이와쿠츠키의 것이지만, 지금도 그 나름대로 영향력이 있다. 산케이신문이 「역사전」에서 전개하고 있는, 전쟁시는 어느 나라도 비슷한 것 하고 있는 거라고 하는 예의 녀석이다. 한국군의 베트남 전쟁하의 한국군 「위안소」의 예가, 주간 문춘과 야마구치 케이유키에 의한 쭉 올렸던 것이 발각하고 있지만, 원래, 진씨가 논문 속에서, 베트남 전쟁에서의 미국군의 「위안소」의 예(이것도 마유츠바)를 소개

왜 진씨의 '연구' 정도밖에 예가 없었는가 하는 문제인데, 전시성 폭력 연구 속에서 일본군의 위안소 연구 축적이 돌출하고 있어 타국에는 '비교'를 할 뿐의 연구 축적이 없었기 때문이다. 예를 들어, 나치 독일은 일본군의 위안소와 유사한 시설을 만든 진씨에게 주장되지만, 그것이 얼마나 규모로 어떤 명령계통에 의해 만들어졌는가 하면 거의 밝혀지지 않았다. 일본군의 위안소와 같은 시설을 나치가 만든 것의 논거로서, 진씨가 사용하고 있는 것은, 진씨 자신이 일본에 소개한 프란츠 자이틀러의 저작이지만, 아직도 일본어역조차 나오지 않았다.

그러므로 '전쟁과 성폭력의 비교사' 연구가 깊어진다고 한다면 아무 몽크도 없다. 점점 더 해달라고 생각할 뿐이지만, 그건 그렇게 단순하지도 않다. 판원의 이와나미의 내용 소개를 읽으면 알 수 있듯이, 큰 보자기의 제목과 뒤집어, 지극히 수수한 논문이 줄지어 있는 것이다.

편자 중 한 명인 우에노 치즈코씨는 박유하를 옹호하기 위해 짠 '대화를 위해 '제국의 위안부'라는 질문을 펼친다(2016)'에서 다음과 같이 썼다.
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역사가에게 있어서는, 이 「말의 복수성」이라고 하는 개념이 마음에 들지 않는 것 같다. 원래 '역사'가 '말하기'로 등가되는 것 자체가 용서하기 어려운 것 같다. 왜냐하면 '진실'은 단 하나이며, 그것은 '입장성'의 여하를 불문하고 만인에게 인정받아야 하며, 그 진실의 진실성을 재정하는 심판자는 훈련받은 역사가이어야 하기 때문이다. 역사가는 역사의 법정의 재판관이라는 특권적인 지위를 놓치고 싶지 않은 것처럼 보인다.

역사학은 크게 전환을 강요받은 '이었다'라고 쓰는 것은 기대에 반하여 역사학이 변화한 것처럼 보이지 않기 때문이다. 90년대 후반에 「위안부」문제를 둘러싸고 구축주의 vs. 실증사학의 사이에서 「우에노·요시미 논쟁」이 일어난 것이 되고 있지만, 그리고 일부의 역사가의 사이에서는, 「우에노는 반성했다」라고 하는 것으로 되어 있는 것 같지만, 나는 조금도 반성 등하고 있다 오히려 박유하의 '제국의 위안부' '박, 2014'를 둘러싼 논쟁에서 20년 가까이 전의 논쟁이 마치 디자뷔처럼 반복되는 사태를 보고 역사가들은 아무것도 배우지 않았는지 암묵하는 생각에 사로잡힌다.

'제국의 위안부'가 역사서로 읽을 가치가 없다는 비판은 주로 '실증사학' 수준(사실인부)에서 이루어지고 있다. 하지만 내 눈에서 보면 '제국의 위안부'가 가져온 학문적인 임팩트는 '실증' 수준이 아니라 '말하기'와 '기억 수준'에 있다. 그리고 그것을 놓치는 '제국의 위안부' 평가는 모두 빗나간다고 해도 좋다. '제국의 위안부'는 그것이라고 말하지는 않았지만 포스트콜로니어 리듬 - '탈식민지화'로 번역된다-의 과제를 붙였다.

출처:대화를 위해 「제국의 위안부」라는 질문을 떠올린다
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본서의 편자에게는 란노부 산씨와 히라이 카즈코씨가 이름을 올리고 있지만, 「처음에」에는, 우에노씨의 생각이 크게 반영되고 있는 것을 알 수 있다. 비슷한 것이 쓰여 있기 때문이다.

주지와 같이, 우에노씨는 박유하씨의 「제국의 위안부」에 대한, 방목에는 기묘하다고 밖에 말할 수 없는 어깨 넣어상을 둘러싸고, 여러가지 비난되고 있다. '비난받고 있다'는 말이 나쁘면, 의미가 없는 고타고타의 발신원이 되고 있다고 말해야 할지도 모른다. 위의 문장을 읽고 그녀가 무슨 말을 하고 있는지 설명할 수 있는 사람은 본인 이외에 없을 것이다. 언어 명료 의미 불명이라고 하는 녀석이다.

본서를 읽어도 우에노 씨가 스스로 설명하면 끝나는 이야기를 타인에게 설명하게 하는 형태로 참깨해 버리려고 한다고 하는 의심을 닦지 않았다. 물론 그녀의 '역사학'에 대한 이상한 '대항의식'에는 과거에 요시미 요시아키 씨에게 이유의 와카란난버릇을 붙인 끝에 자폭한 역망도 있을까 생각한다. 자존심이 용서하지 않을 것입니다.

그런 사람이 편자의 한 사람이기 때문에, 수록되고 있는 논문도 히드이인가라고 하면, 그만큼도 아니다. 우에노씨의 자기 정당화의 냄새에 코를 집어 참으면의 이야기이지만, 각 사람, 자주(잘) 나쁘게도 마이 페이스로, 우에노씨의 열화만과는 무관하게, 견고하게 정리하고 있다.

야마시타 히데아이씨는 '한국의 '위안부' 증언 듣기 작업의 역사'에서 전 '위안부' 여성의 증언 듣기를 둘러싼 안조 나오와 정대협 사이의 '논쟁'에 대해 정리하고 있다. 나름대로 흥미롭지만, 구체적인 「증언」의 내용에 대해서는, 거의 접할 수 없다. 나는 그녀들의 증언은 실증적 역사학과 보완함으로써 일본군 '위안소' 제도의 예를 보지 못한 가혹함을 증명한 매우 귀중한 것이라고 생각하고 있다. 「피해자 여성의 증언」에 대해서는, 본서 중에서도 반복해, 그 의의가 강조되는 것이지만, 관련 논문은 이 한 개뿐이다. 구치에서는 어떻게 말하자면, 어떻게 '피해자 여성의 증언'과 '위안부 문제'를 편자(아마 한 명)가 경시하고 있는 것 같다. 전지로부터의 일본인 「인양」여성의 강간의 문제는, 2개의 논문으로 논해지고 있지만, 정직, 신맛이 있는 것은 아니었다.

오카다 타이헤이씨의 논문 '일본군 '위안부' 제도-강제성과 합법성을 둘러싼 갈등'은 돋보이는 기묘한 논문이다. 나가이 카즈토시씨의 논문을 끌어내고, 「합법성」이라고 하는 일을 논하고 있는데, 무엇과 무엇이 「갈등」하고 있는 것일지도 모른다. 요시미 요시아키씨와 나가이 카즈토시씨의 논문이 「갈등」하고 있는 것처럼, 읽을 수 없는 것도 없지만, 이것으로는 본서가 떠올리는 「역사학에의 도전」 등, 꿈의 또 꿈일 것이다. 왜 본인이 이 논문을 쓰려고 생각했는지, 왜 편자가 오카다 씨에게 쓰게 하려고 생각했는지도 의문이었다.

편자의 한사람이기도 한 히라이 카즈코씨의 논문 『병사와 남성성』은, 예상에 반해라고 할까, 매우 재미 있었다. 일본군 ‘위안소’ 제도에 대한 지극히 전통적인 분석이지만, 소네이치오와의 인터뷰 등 내용은 매우 시사가 풍부하다. 나는 이 책을 읽기 전에 소근의 책을 집중적으로 읽고 있었기 때문에 수긍하는 곳이 많았다.

히메오카 토시코 '나치·독일의 성폭력은 어떻게 불가시화됐는가 - 강제수용소 내 매춘시설을 중심으로'는 '나치·독일의 성폭력'을 다루고 있는데, 어디까지나 '강제수용소 내 매춘시설'이 중심이다. 히메오카 씨는 레기나 뮐호이저 「전장의 성――독소 전하의 독일병과 여성들」의 역이기도 하고, 독일의 전시성 폭력에 관한 대표적 연구자인데, 나치・독일에, 일본군의 위안소와 유사한, 일반 병사용의 시설이 있었는지, 어느 정도의 규모였는가. 나치는 변태의 모임이기 때문에 위안소 정도 있었을 것이라고 말하는 것은 제멋대로인 추억으로, 국방군, SS, 무장 SS라고 하는 성격이 다른 조직이, 어떻게 병사의 「성욕 처리」, 「성병 예방」조치를 취하고 있었는지 말하는 것은 당연한 이야기이지만, 조사하지 않으면.

그 근처가 모호한 것은 물론 유감인데, 베를린의 소련병에 의한 강간에 대한 지적은 흥미롭다. 소련병에 의한 강간 피해가 전후 바로 단계에서 알게 된 사정을 히메오카 씨는 나치에 의한 반소 선전에 요구한다. (나치에서 하면) 열등 민족의 모임인 소련군은 애초에 강간을 아무 생각도 하지 않는 녀석들 이니까, 집단 강간이 있어도 이상하지 않다. 그래서 베를린의 여성들은 일방적인 성폭력 피해자로서 증언할 수 있었던 것 같다. 원폭이나 대규모 공폭과 같은 '재앙'으로 생각되었다는 것이다. 독일의 경우 나치의 강제수용소에서의 학살에 일반 민중이 모르고 있던 것이 평행하게 노출되어 있기 때문에 물론 이와도 관련이 있을 것이다. 소련병의 일본인 집단 강간의 예나 난징 사건 때의 집단 강간의 예도 있기 때문에 이것은 먼 독일만의 이야기가 아니다. 지금까지 이상으로 객관적으로 말해야 할 문제라고 생각한다.

사토 후미카 씨의 '전쟁과 성폭력-말의 정통성을 둘러싸고'도 재미 있었다. 사토 후미카 씨는 제2차 대전시의 미군 프랑스에서의 「만행」을 기술한 「병사와 섹스」의 감역자이다. 제목의 「말의 정통성」이라고 하면, 우에노 선생님의 의미 불명의 편리굴이 떠오르는데, 내용은 온화하고 이어서 마토모이다. 나의 현재의 관심이 「리굴」의 부분에는 없기 때문에, 여기에서는 언급하지 않지만, 이것이라면 납득이라고 하는 수준이었다. 하시모토 모토 오사카 시장이 '병사와 섹스'의 일본에 소개에 한몫 샀다는 이야기는 본서에서도 언급되어 있지만, '병사와 섹스'의 감역자 해제 쪽에 자세한 내용이 적혀있다. 관심있는 사람은 참조하십시오.

왠지, 우에노 선생님과 다른 집필자와의 사이의 차이를 부추기고 있는 것 같은 기분이 되어 왔습니다만, 그런 생각도 없습니다. 나쁘지 않아.

점수는 논문의 평균점이라고 하는 곳입니다.
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LILYLILY
5성급 중 2.0 페미니즘이 아닐지도.
2018년 4월 6일에 확인됨
포맷: 단행본
전시성 폭력은 일본에서만 일어난 문제가 아니다! 일본만 비난하지 마라! 라고 하는 네트우요적인 언설에, 그럼···과 페미니스트들이 「성폭력의 비교사」에 젠더의 시선으로부터 임한 도전적인 책. 일본군 '위안부'를 우리는 어디까지 '보편'으로 말할 수 있는지 말하지 말아야 하는가. 여기까지 해결할 수 없었던 이 문제를, 차세대의 페미니스트는 어떻게 생각해 가야 할 것인가···. 어느 정도는 기대하고 손에 들었는데, 불행히도 우에노씨의 쇠퇴를 느끼는 한 권이 되었다.
특히 ‘내셔널리즘인가 젠더인가’라는 90년대적 이항대립(그 이항대립 자체에 문제가 가고 있는 것도 잔잔히 지적되어 왔음에도 불구하고)에서 어긋나지 않고 한국의 지원운동을 민족주의적인 내셔널리즘이다고 편견을 조장하는 비판. 최초의 고발자 김학순씨가 유족단과 함께 고발한 것으로 초기 운동을 민족주의적이라고 단정할 때 난폭함이 두드러지며 '위안부' 문제를 이해하고 싶은 마음으로 손에 든 젊은 독자에게의 영향이 궁금하다. 우에노씨는 국가권력을 비판하는 만큼, 성 표현, 성폭력 문제에 관해서는 자기책임, 신자유주의론과 친화성이 높아지고 있는 것 같다.
또 야마시타 히데아이씨의 논고는 역사적 가치가 있다고 생각하지만, 여전히 90년대 전반에 시간이 멈춘 정대협 비판을 벌이고 있는 것에, 연구자로서의 게으름을 느낀다.
다른 논자 쪽의 것도, 도대체 어디에 착지하려고 하고 있는지, 무엇을 주장하려고 하고 있는지, 모르는 것이 많았다. 이 문제에 관한 「말하기 어려움」이라고 하는 것을 각각 안고 쓰여지고 있는 것이 전해지지만, 그래도 왜 「말하기 어려운 것인가」가, 성폭력이라고 하는 문제에 진지하게 마주하고 있기 때문이라고 하기보다는, 누군가의 얼굴을 묻으면서・・・비판되지 않도록 신중하게 쓰고 싶다・・・라고 하는 것이 거기는 확실히 전해져. 이것은 정말로 전문서, 역사서, 하물며 페미니즘 책이라고 말할 수 있을까.
그래도 ☆를 2개 붙인 것은, 아마 이 논자들이 「위안부」문제로 어떤 입장에서 어떤 언설을 펼쳐지고 있었는지 알지 않을 것이다 히구치씨의 진지한 기고에 대한 경의를 나타내기 위해.
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쓰쿠신보
5성급 중 5.0 선 뽑기가 모호한 전시성 폭력에 대해, 가해자·피해자 쌍방의 관점에서 비교하는 중요한 시도
2018년 6월 26일에 확인됨
포맷: 단행본
본서는 역사학이나 사회학 등 광범위한 연구자 12명이 전시성 폭력을 분석 검토한 것이다. 정치적·국제적으로 섬세한 이 문제에 대해 진지하게 연구를 계속하고 있는 연구자 여러분에게 경의를 표하고 싶다. 전시성 폭력은 선발이 모호하다. 본서는 가해자·피해자 쌍방의 시점에서 비교하는 유익한 시도이며, “정부나 군부에 의한 강제성의 유무”라는 매우 좁은 시점에 사로잡혀 경향이 있는 “종군 위안부” 문제에도 새로운 시점과 앞으로의 시사를 제공하고 있다.

본서의 백본을 이루는 것은 우에노 치즈코씨에 의한 사회학적 시점이다. 그것은 「강간・매매춘・거래・연애・결혼・출산」이라고 하는 당사자간의 성적 관계의 연속성과, 「적 아군・동맹국・점령지・식민지」라고 하는 국가간의 관계의 연속성에 주목해, 가해자・피해자가 어떻게 말해 증언해 왔는지를, 많은 사례를 토대로 분석. 이 책의 편 저자들은 여러 번 연구회를 거듭하여 논고를 집필하고 있으므로 각 논고의 시점에는 일관성이 있다.

본서에 따르면 전시성 폭력 연구는 아시아발로 1991년 전 위안부 김학순씨의 명승이 시작되었다고 한다. 이를 계기로 일본이나 한국 등 아시아 국가들은 물론 서구에서도 전시성 폭력의 본격적인 연구가 시작됐다. 일본이나 한국 등에서의 연구는 방대한 성과를 낳았다. 한편 구미에서도 나치·독일, 구소련, 독일 점령시 프랑스 등에서 전시성 폭력 연구가 시작되어 많은 저작이 간행되기 시작했다. 또 전후에만 다루어도 전쟁이나 내전시 성폭력은 흔적을 끊이지 않고 보편적이고 현재 진행중인 문제임이 분명하다.

본서에서는 서장에서 전시성 폭력의 시좌가 정리된 후, 제I부에서는 「위안부」의 증언 청취와 병사측의 증언, 제II부에서는 종래 금기시되어 온 전시・점령시의 성폭력(미국군의 점령시 「위안소」, 만주 인양시의 소련병 에 의한 성폭력, 나치·독일 시대의 강제 수용소 내성 폭력 등), 제III부에서는 역사학으로부터의 어프로치(역사학이 성폭력을 대상으로 할 때까지, 역사가에 의한 중국에서의 전시성 폭력 듣기 등)에 관한 논고가 정리되어 있다.

이 책을 읽고 전쟁과 성폭력의 깊은 관계에 대해 다시 생각하게 했다. 동시에 이 문제는 일견 평화로운 현대사회에서의 가정폭력과 사회에서 성희롱·파와하라와도 동근의(연속하고 있는)문제임을 통감시켰다. 「종군위안부」문제를 넓은 시야에서, 또 현대사회에도 통하는 문제로 분석하고 있는 책으로서 본서를 추천한다.
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전쟁과 성폭력의 비교사 - 가려진 피해자들의 역사를 말하다 
우에노 지즈코,아라라기 신조,히라이 가즈코
(엮은이),서재길 (옮긴이)어문학사2020-08-28



























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전자책 12,420원

Sales Point : 228

10.0 100자평(1)




책소개
전쟁과 성폭력의 비교사라는 관점에서 점령군 '위안부'와 일본군 '위안부'의 위치를 살핀다. 또한 전쟁 상황에서의 비대칭적인 권력관계 속에서 연애, 매춘, 강간을 연속적인 것으로 간주하고 이를 여성의 에이전시(agency)와 관련지어 논의한다. 주의 깊은 공감적 청자(audience)가 위치하여 증언을 가능하게 하며 피해자의 에이전시에 대해서도 다루는, 인간과 인간이 만드는 복잡한 역사를 섬세하고 치밀하게 비교사의 관점에서 전쟁과 성폭력을 다룬다.


목차


들어가는 말 ― 전쟁과 성폭력의 비교사를 향하여

서장┃전쟁과 성폭력의 비교사의 관점
우에노 지즈코
머리말 ― ‘성폭력 연속체’
1. 성폭력의 이야기는 어떻게 가능한가
2. 전쟁이라는 문맥 아래
3. 구조적 폭력과 조선인 ‘위안부’의 위치
맺음말 ― ‘역사의 구멍’

제1부 ‘위안부’를 말하는 방식

제1장┃한국의 ‘위안부’ 증언 청취 작업의 역사: 기억과 재현을 둘러싼 노력
야마시타 영애
머리말
1. ‘위안부’ 문제의 진상규명을 요구하며 ― 증언집 1, 2
2. 생존자들과의 교류를 거듭하면서 ― 증언집 3
3. 증언과 구술사 사이에서 ― 증언집 4~6
맺음말

제2장┃‘강제연행’ 담론과 일본인 ‘위안부’의 불가시화
기노시타 나오코
머리말
1. ‘강제연행’ 담론 ― 일본의 가해를 고발하는 프레임
2. ‘위안부’ 문제의 담론 구성 ― 1990년대 초기 운동의 특징을 통해
맺음말

제3장┃일본군 ‘위안부’ 제도와 성폭력: 강제성과 합법성을 둘러싼 갈등
오카다 다이헤이
머리말
1. ‘위안부’ 강제성의 입증과정
2. ‘위안부’ 제도의 위법성을 둘러싸고
3. 지역 연구로의 전환
4. 불확실성과 사실 인정
맺음말

제4장┃병사와 남성성: ‘위안소’에 간 병사 / 가지 않은 병사
히라이 가즈코
머리말
1. 분석 대상과 방법
2. ‘위안소’를 만든 쪽의 계산=병사의 통제
3. 병사들에게 있어서 ‘위안소’ ― 왜 ‘위안소’에 갔던가
4. 병사는 ‘위안부’를 어떻게 바라보고 있었나
5. ‘위안소’에 가지 않았던 병사
6. 병사와 남성성
맺음말

제2부 이야기할 수 없는 기억

제5장┃섹스라고 하는 접촉지대: 일본 점령의 경험에서
챠조노 도시미
머리말
1. 점령군 위안시설 설치와 ‘방파제’로 선별된 여성들
2. 점령정책의 결과로서의 빵빵의 출현 ― 방파제에서 범죄자로
3. 본고의 분석개념과 분석방법에 대하여
4. 강간/매매춘/연애/결혼에 있어서의 생존전략
5. 성폭력 연속체로서의 강간/매매춘/연애/결혼
맺음말

제6장┃이야기를 꺼내기 시작한 성폭력 피해자: 만주 인양자의 희생자 담론을 독해하다
이노마타 유스케
머리말
1. 집단 자결
2. 소련군과의 ‘거래’
3. 전시 성폭력은 어떻게 이야기되기 시작했나
맺음말

제7장┃인양 여성의 ‘불법 임신’과 전후 일본의 ‘중절의 자유’
히구치 게이코
머리말
1. 인양 여성의 성피해
2. 일본 정부의 즉시 대응
3. 피해 여성과 지원자들
4. 전후 일본의 ‘중절의 자유’
맺음말

제8장┃나치 독일의 성폭력은 어떻게 불가시화되었나
히메오카 도시코
머리말
1. 종전 직후 ― 비교적 솔직하게 이야기되다
2. 동서분단부터 1980년대까지―성폭력의 터부화 및 불가시화의 진전
3. 1990년대 이후 ― 성폭력에 대한 주목
맺음말

제3부 역사학에 대한 도전

제9장┃성폭력과 일본 근대역사학: ‘만남’과 ‘만나지 못함’
나리타 류이치
머리말
1. 일본 근대역사학과 성/성폭력
2. 성폭력을 둘러싼 일본 근대역사학의 역사
3. 구술사와의 ‘만나지 못함’
4. ‘전회’를 둘러싸고

제10장┃전시 성폭력 피해를 듣는다는 것: 『황토 마을의 성폭력』을 단서로
아라라기 신조
머리말
1. 과제의 설정, 문제의 소재
2. 전시 성폭력/일본군 ‘위안부’ 문제와 증언
3. 전시 성폭력 피해를 듣는다는 것―이시다 요네코 등의 청취 실천
4. 이시다 팀의 청취 실천의 현재적 의의
맺음말

제11장┃전쟁과 성폭력: 이야기의 정통성을 둘러싸고
사토 후미카
머리말
1. 구축된 성폭력 이야기
2. 전시의 성적 관계의 연속성
맺음말 ― 성폭력 연속체 가운데에서

후기
한국어판 후기
역자 후기
참고문헌
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저자 및 역자소개
우에노 지즈코 (上野千鶴子) (엮은이)
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일본을 대표하는 페미니스트 사회학자. 교토대에서 사회학 박사학위를 받고, 도쿄대에서 가르쳤다. 현재 동 대학 명예교수이자 NPO 법인 여성행동네트워크WAN 이사장으로 있다. 1994년, 『근대 가족의 성립과 종언』으로 산토리학예상을, 2011년 『돌봄의 사회학』으로 아사히상을 수상했다. 그간 페미니즘적 관점에서 가부장적 사회를 날카롭게 분석하는 글들뿐만 아니라 늙음과 돌봄에 대한 성찰을 담은 글들을 꾸준히 발표했다. 노후에 대한 제안과 인생 상담, 도쿄대 신입생 축사 등 학문적 글쓰기에만 국한되지 않는 그녀의 글들은 대중적으로도 큰... 더보기

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아라라기 신조 (蘭信三) (엮은이)
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1954년생으로 조치上智 대학 총합글로벌학부 교수이다. 전공은 역사사회학, 전쟁사회학이다. 저서 및 논문으로는 『제국 이후의 사람의 이동―포스트콜로니얼리즘과 글로벌리즘의 교차점』(편저, 2013), 『구술사의 전개와 과제』(2015) 등이 있다.

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히라이 가즈코 (平井和子) (엮은이)
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1955년생으로 히토쓰바시一橋 대학 사회학연구과 강사이다. 전공은 근현대여성사, 젠더사이다. 저서 및 논문으로는 『일본 점령과 젠더―미군.매춘부와 일본여성들』(2014), 『미군 점령하 일본에서의 젠더 정치학』(2016) 등이 있다.

최근작 : <전쟁과 성폭력의 비교사> … 총 5종 (모두보기)

서재길 (옮긴이)
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1971년 울산 출신. 서울대 국어국문학과에서 박사 학위를 취득하고 현재 국민대학교 한국어문학부 교수로 재직 중이다. 식민지 시기 미디어와 대중문화를 주로 연구하고 있다.
『조선 사람의 세계여행』(편저, 2011) 등의 저서와 『사할린 잔류자들』(2019), 『전쟁과 성폭력의 비교사』(2020), 『제국의 소녀들』(공역, 2023) 등의 번역서를 출간했다.

최근작 : <처녀지>,<한국 현대 소설이 걸어온 길>,<한국방송 80년, 그 역사적 조명> … 총 12종 (모두보기)


출판사 제공 책소개
이 책은 전쟁과 성폭력의 비교사라는 관점에서 점령군 ‘위안부’와 일본군 ‘위안부’의 위치를 살핀다. 또한 전쟁 상황에서의 비대칭적인 권력관계 속에서 연애, 매춘, 강간을 연속적인 것으로 간주하고 이를 여성의 에이전시(agency)와 관련지어 논의한다. 『전쟁과 성폭력의 비교사』는 주의 깊은 공감적 청자(audience)가 위치하여 증언을 가능하게 하며 피해자의 에이전시에 대해서도 다루는, 인간과 인간이 만드는 복잡한 역사를 섬세하고 치밀하게 비교사의 관점에서 전쟁과 성폭력을 다룬다. 이 책은 ‘전쟁과 성폭력의 비교사’라는 시도로 전쟁과 성폭력 연구에 새로운 한 걸음을 내디딘다.

집필자
야마시타 영애山下英愛 분쿄文教 대학 문학부 교수
기노시타 나오코木下直子 특정비영리활동법인 사회이론・동태연구소 연구원
오카다 다이헤이岡田泰平 도쿄 대학 대학원 총합문화연구과 교수
챠조노 도시미茶園敏美 리쓰메이칸立命館 대학 산업사회학부 강사
이노마타 유스케猪股祐介 특정비영리활동법인 사회이론・동태연구소 연구원
히구치 게이코樋口恵子 도쿄 가정대학 여성미래연구소 소장, 동 대학 명예교수
히메오카 도시코姫岡とし子 도쿄 대학 대학원 인문사회계연구과 명예교수
나리타 류이치成田龍一 니혼日本 여자대학 인간학부 교수
사토 후미카佐藤文香 히토쓰바시 대학 대학원 사회학연구과 교수

이 책은 전쟁과 성폭력의 비교사라는 관점에서 점령군 ‘위안부’와 일본군 ‘위안부’의 위치를 살핀다. 또한 전쟁 상황에서의 비대칭적인 권력관계 속에서 연애, 매춘, 강간을 연속적인 것으로 간주하고 이를 여성의 에이전시와 관련지어 논의한다. 전쟁과 성폭력에 관한 연구는 1991년 일본군 ‘위안부’였던 김학순 할머니가 실명을 밝히면서 일본 정부를 상대로 손해배상을 청구하는 재판을 제소함으로서 시작되었다. 이로써 1991년부터 전시 성폭력은 역사학에서 다루는 대상으로 인식되었다.

세계 각지로 전시 성폭력 실태 연구가 진전되었으나, 전쟁과 성폭력 연구는 기억과 증언이라는 어려움이 있다. 성폭력은 가해자와 피해자 사이에 경험이 비대칭적이며, 가해자도 피해자도 기록을 사실로서 남기는 경우가 드물다. 『전쟁과 성폭력의 비교사』는 증언이 억압되어 침묵함으로써 가해 사실이 면책되지 않도록 비교사의 관점에서 기억과 증언을 다룬다.

성폭력 피해의 이야기는 어떻게 가능해지는가.
증언을 가능하게 하는 조건은 어떠하며, 무엇이 이야기되고 무엇이 이야기되지 못하는가.
여기에 이야기를 듣는 이는 어떻게 관여하며 이야기는 어떻게 다루어져야 하는가.
라는 물음을 던지며 한 권의 책으로 묶었다.

『전쟁과 성폭력의 비교사』는 아래의 세 가지 분야에 대해 정면으로 마주한다. 첫 번째로는 전쟁에 수반되는 성폭력에 대해서 “통제가 불가능한 전시하에서 일어나는 병사의 일탈 행위”가 아닌 강간이 전쟁에 수반되었음을 말한다. 두 번째로는 기억 속에서 말할 수 있는 경험과 끝내 말할 수 없는 경험으로서의 ‘선택적 망각’ 속에서 다음 세대로 국민적 기억을 어떻게 계승할 것인가 하는 과제에 직면한다. 세 번째로 비대칭적인 성 규범에 대해 묻는다. 가부장적 젠더 규범에서는 피해자가 ‘빈틈을 주었다’고 책망을 당하고 ‘유혹자’로 구축되어 도리어 ‘수치’를 의식하게 되기에 피해자가 침묵함으로써 역사적 사실로 기록되지 못한다.

『전쟁과 성폭력의 비교사』는 주의 깊은 공감적 청자(audience)가 위치하여 증언을 가능하게 하며 피해자의 에이전시(agency)에 대해서도 다루는, 인간과 인간이 만드는 복잡한 역사를 섬세하고 치밀하게 비교사의 관점에서 전쟁과 성폭력을 다룬다. 이 책은 제3부로 나눠진다. 제1부「‘위안부’를 이야기하는 방법」에서는 증언과 기억에 관련된 문제를 다루며 제2부 「이야기할 수 없는 기억」에서는 무엇이 이야기를 억압하고 있는 것인가 하는 그 이면을 드러낸다. 제3부 「역사학에 대한 도전」에서는 방법론적 과제와 정면으로 마주한다. 이 책은 ‘전쟁과 성폭력의 비교사’라는 시도로 전쟁과 성폭력 연구에 새로운 한 걸음을 내딛는다. 접기




위안부에 관한 논의에서 일본 정부의 책임 및 책임회피에 대한 비판만은 교묘히 비껴가는 우에노 치즈코의 입장은 예나 지금이나 속을 부글부글 끓게한다. 한국의 민족주의 위안부 담론이 가진 문제를 일본지식인이 지적할 일은 아니다. 일본인이라는 본인의 위치성조차 깨닫지못한다면 우매함일 따름.
초록비 2024-11-28 공감 (18) 댓글 (0)


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점령하의 여성들: 일본과 만주의 성폭력·성매매·'친밀한 교제' | 平井 和子 |本 | 通販 | Amazon

占領下の女性たち 日本と満洲の性暴力・性売買・「親密な交際」 | 平井 和子 |本 | 通販 | Amazon




占領下の女性たち 日本と満洲の性暴力・性売買・「親密な交際」 単行本 – 2023/7/1
平井 和子 (著)
4.1 5つ星のうち4.1 (15)

戦後性暴力の実態と構造を明るみに出し、黙殺されてきた女性たちの生きざまを浮かび上がらせる
日本本土・満洲で同時進行的に形成された「性の防波堤」。そこには国家や共同体によって多くの日本人女性が駆り出された。ジェンダー、セクシュアリティの視座から占領下の多様な性暴力の実態と構造を明るみに出すとともに、戦後史のなかに黙殺されてきた被害女性たちの生きざまを貴重な資料と証言に基づいて浮かび上がらせる。

■目次

序 章 女性たちの体験からとらえる敗戦・被占領

第一章 国家による「性接待」──「良き占領」のためのジェンダー・ポリティクス
 はじめに
 一、RAAの誕生と「意義」
 二、米軍兵士から見たRAA
 三、占領軍第一陣を迎えた神奈川県の対応
 四、占領軍からの「性接待」要求
 五、地方の「特殊慰安所」の女性たちの「声」
 六、RAAと「特殊慰安所」が占領軍兵士に与えた影響
 七、「フラタニゼーション」=「親密な交際」
 八、「女の特攻」から交渉する「パンパン」へ
 まとめ

第二章 守るべき女性、差し出されるべき女性──「満洲引揚げ」と性売買女性たち
 はじめに
 一、「引揚げ」女性をめぐる先行研究
 二、開拓団女性が強いられた性暴力
 三、関東軍兵士が目撃した性暴力
 四、ソ連兵の性暴力を退けるための主体的営為(エイジェンシー)
 五、性売買女性へのまなざし──「性接待所」「性の防波堤」の設置
 六、満洲国の首都・新京──「女の特攻」
 七、自ら「防波堤」になった女性たち
 八、当事者の語り
 まとめ

第三章 集団自決とジェンダー──開拓団少女の「引揚げ」体験
 はじめに
 一、大鹿村を後にして
 二、開拓団の生活
 三、敗戦──「玉砕」は男の思想
 四、「匪賊」は悪い連中ではない
 五、「子ども」たちのあっけらかんとした強さ
 六、「いけにえ」になった二人の女性へ
 七、達連河炭鉱へ、そして弟を中国人へ預ける
 八、母たちと離れて、兄と二人で「引揚げ」
 九、少女が一人で生きる力
 一〇、「出会った人がわたしの教科書」
 まとめ

第四章 「働く女」が支える街──熱海の住民と「パンパン」たち
 はじめに
 一、RAAと「赤線」が共生する街
 二、米兵受入れのスタート
 三、「パンパン」女性たちの姿──糸川地区の人々の証言
 四、基地の町と「パンパン」たち──御殿場の場合
 五、熱海の住民の「パンパン」への親密なまなざし
 六、「しんけん」な「仕事」
 七、「赤線」の灯が消える
 まとめ

第五章 少年の目に映る「ハニーさん」──朝霞に生きた「パンパン」たち
 はじめに
 一、キャンプ・ドレイクと朝霞の街の変貌
 二、「金ちゃん」こと田中利夫さん
 三、朝霞に集まってきた女性たち
 四、「オンリーさん」は出世頭
 五、「金ちゃん」の記憶に鮮明な「ハニーさん」たち
 六、「白百合会」のおんな親分
 七、闇屋のおじさんとポン引き男
 八、「マスコット・ボーイ」、「ハウスボーイ」
 九、ある老女「あぐりさん」の語り──「乞食パン助」の矜持

第六章 被占領と復員兵──敗戦を思い知らされる男たち
 はじめに
 一、敗残兵への冷たい視線
 二、「パンパン」の出現と復員兵
 三、自国女性を戦勝国兵士へ売る復員兵
 四、復員兵と「戦争責任」とジェンダー
 五、元志願兵のまなざし──増田博の場合
 まとめ

終 章 危機に際して女性を差し出す国に生きて
 一、日本と満洲で同時進行の「性接待」
 二、危機を乗り越えるための主体的営為(エイジェンシー)
 三、公的記憶と集合的記憶──「自発性神話」のつくられ方
 四、アメリカの占領──「良き占領」を攪乱する「パンパン」たち
 五、「パンパン」という存在
 六、復員兵の男性性
 七、忘却を許さず──自ら犠牲になった女性たち
 おわりに


 初出一覧
 あとがき
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342ページ

商品の説明

著者について

平井和子(ひらい・かずこ)
1955年広島市生まれ.立命館大学文学部卒業後,中学校,高等学校の教員を経て,1997年静岡大学教育学部社会科教育修士課程修了.2014年一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了(社会学博士).現在,一橋大学ジェンダー社会科学研究センター客員研究員.専門分野は,近現代日本女性史・ジェンダー史,ジェンダー論.
著書に『日本占領とジェンダー――米軍・売買春と日本女性たち』(有志舎,2014年,第34回山川菊栄賞受賞)など,共編著に『戦争と性暴力の比較史へ向けて』(岩波書店,2018年),共著に「日本兵たちの「慰安所」――回想録に見る現場」(吉田裕編『戦争と軍隊の政治社会史』大月書店、2022年)などがある.

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日本から

榎戸 誠
5つ星のうち5.0 あなたが「守るべき女性」でなく、「差し出されるべき女性」として指名されたら
2025年3月21日に日本でレビュー済み
フォーマット: 単行本
『占領下の女性たち――日本と満洲の性暴力・性売買・「親密は交際」』(平井和子著、岩波書店)で、とりわけ胸が痛むのは、敗戦という共同体の危機に際して、男性リーダーたちがとった発想――女性を「守るべき女性」と「差し出すべき女性」に二分化し、後者を「性の防波堤」にして自らの安泰を図る――が満洲で展開された事実です。

ソ連軍の進撃と地元民の襲撃にあった満洲開拓団の女性たちは、ソ連兵の「女狩り」という性暴力の危険に曝され続けたのです。

女性への危害を最小限にするための「性の防波堤」とすべく、あるいは共同体が生き延びるために、居留地の日本人会や開拓団の幹部によってソ連側・中国側へ女性たちが差し出された事例が多数あったことが明らかにされています。

「差し出すべき女性」として指名されたのは、未婚女性や集団の周辺部に位置する女性たち(他の団の出身者)でした。その一方、ソ連兵に連れ去られようとする女性の身代わりにと「自ら」名乗り出た性売買者(「慰安婦」、芸娼妓、「水商売の女」、「その筋の女性」)に関する見聞記憶も多く記録されています。

その具体例の一つが、満蒙開拓団である岐阜県送出の黒川分村開拓団の事例です。現地中国人の襲来から団を守るために、占領軍であるソ連側と交渉し、その見返りに15人の未婚女性と4人の元娼妓を「性接待」に出すという苦渋の決断をしました。

黒川開拓団の例は特異なものではなく、ソ連側に強いられて、あるいは「交渉」して、類似の苦渋の選択をした開拓団は他にも多数ありました。

さらに、引揚船が日本に着いた途端、それまで、「ご苦労かけました。誠に済まなかった。終生ご恩は忘れません」と言ってきた引揚団の幹部が、犠牲となった女性たちを見向きもしなくなったという証言も収録されています。

戦争と女性について、深く考えさせられる重い一冊です。
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大村皖伸
5つ星のうち4.0 男たちをもっと糾弾しなければならない
2025年12月6日に日本でレビュー済み
フォーマット: 単行本Amazonで購入
いかに男たちは振舞ったのか、同性として真に情けなく思う。
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レポート

hima
5つ星のうち5.0 極限状態でも「女・子ども」が生き延びようとする力に励まされました
2023年7月3日に日本でレビュー済み
フォーマット: 単行本
敗戦直後に日本政府が「性の防波堤」という名目で、国内に占領軍「慰安所」やRAAをつくったことは、ぼんやりと知っていましたが、それと同じようなことが「満洲」など(外地・占領地)でも同時進行でおこっていたことを初めて知りました。

本書は、政府が「慰安所」をつくるように全国へ呼びかける前に、いち早く(8月15日!)、「慰安所」開設に動き出した神奈川県の事例や、RAA幹部の回想録(占領軍「慰安婦」たちを民族の犠牲者と持ち上げつつ、「パンパン」たちを風紀を乱す者と蔑み、自分達の行為を免罪化する)を批判的に紹介しつつ、米兵と「パンパン」の「親密な交際」が、アメリカ側の描く「良き占領」の邪魔をする存在であった、を指摘しており、面白く、知らないことばかりでした。

また、筆者は「満洲引揚げ」に関する膨大な回想録を読み込み、「外地」で迎える敗戦とソ連軍による占領が
特に女性に深刻な被害を与えたとし、その具体例を列挙しています。ソ連兵へ「慰安婦」として真っ先に差し出されたのが、芸娼妓・元日本軍「慰安婦」などの女性たちであったことに胸がつまりました。これまで、その多くが第三者による伝聞でしかなく、当事者たちの声が歴史の闇の中に葬られてきましたが、わずかながらも当事者の声を「発見」し書き留めらた著者の並々ならぬ思いを感じました。

3章では敗戦時11歳だった少女のライフヒストリーが紹介されています。ソ連兵の「女狩り」や現地の人々の襲撃におびえる日々の中でも、子どもが「ロモーズの歌」(音声が聞けるようにURLが掲載されている)という替え歌をつくって遊んでいたというエピソードには仰天しました。いま現在、ロシアによる空爆にさらされながらウクライナの子どもたちも、ただ無力な犠牲者ではなく何かしらの楽しみを見つけて自ら生き延びようとしているのではないかと想像します。

第5章の「朝霞の紙芝居・金ちゃん」の絵と語りは、「パン助」などと、当時の社会から蔑まれた女性たちを、「パンパン屋の子ども」としての親密なまなざしの中で描き出しています。この章は、女性たちの明るさと同時に切なさ、彼女たちを取り巻く暴力的構造も逃がさず伝えてくれています。
日本側が用意したRAAなどが米兵一人ひとりにどのような影響を与えたのか、また第6章の「パンパン」に対する帰還兵の分析などは大変興味深く、著者が女性史というだけではなくジェンダー史研究者であるからこそ浮き彫りにされたのだと思いました。

本書からは、敗戦と性暴力という重たいテーマなのに、どこか救いや明るさ、ユーモアさえ行間から仄かに匂ってくる。筆者が膨大な手記の中から、人々の生き延びようとする知恵や力を見逃さなかったこと、そして、「パンパンのお姉さん」たちに可愛がられた「金ちゃん」の絵と語りが盛り込まれているからでしょう。貴重な資料の発見、熱海の人々への聞き取りも含めて大変な労作だと思いました。

歴史好きの人だけではなく、今、わたしたちの目の前で展開されている「戦争と占領」をリアルに感じ、わが身に引き付けて考えるためにも多くの人々へ薦めたい本です。
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에노토 마코토
5성급 중 5.0 '지켜야 할 여성'이 아니라 '내보낼 여성'으로 지명되면
2025년 3월 21일에 확인됨
포맷: 단행본
「점령하의 여성들――일본과 만주의 성폭력・성매매・「친밀은 교제」」(히라이 카즈코 저, 이와나미 서점)에서, 특히 가슴이 아프는 것은, 패전이라고 하는 공동체의 위기에 즈음해, 남성 리 ―더들이 취한 발상――여성을 「지켜야 할 여성」과 「내어야 할 여성」으로 이분화해, 후자를 「성의 방파제」로 해 스스로의 안태를 도모한다――가 만주로 전개된 사실입니다.

소련군의 진격과 지역민의 습격에 있던 만주개척단의 여성들은 소련병의 '여자사냥'이라는 성폭력의 위험에 계속 노출된 것입니다.

여성에 대한 해를 최소화하기 위한 「성의 방파제」라고 할 수 있도록, 혹은 공동체가 살아남기 위해서, 거류지의 일본인회나 개척단의 간부에 의해 소련 측·중국측에 여성들이 내민 사례가 다수 있었던 것이 밝혀지고 있습니다.

'내보낼 여성'으로 지명된 것은 미혼 여성과 집단 주변에 위치한 여성들(다른 단의 출신자)이었습니다. 한편, 소련병에 끌려가려고 하는 여성의 몸 대신에 '스스로' 유명한 성매매자('위안부', 예창, '물 장사의 여자', '그 근육의 여성')에 관한 견문 기억도 많이 기록되어 있습니다.

그 구체예의 하나가 만몽개척단인 기후현 송출의 구로카와 분무라 개척단의 사례입니다. 현지 중국인의 습격으로부터 단을 지키기 위해 점령군인 소련 측과 협상하여 그 보답에 15명의 미혼 여성과 4명의 원창을 '성접대'에 내놓겠다는 고통의 결단을 했습니다.

구로카와 개척단의 예는 특이한 것이 아니고, 소련 측에 강해지거나 혹은 '협상'하여 유사한 고통의 선택을 한 개척단은 그 밖에도 다수 있었습니다.

게다가 인양선이 일본에 도착한 순간 그때까지 “고생을 했습니다. 정말로 끝나지 않았다. 종생 은은 잊지 않습니다”라고 말해 온 인양단의 간부가, 희생이 된 여성들을 전망도 하지 않게 되었다고 하는 증언도 수록되고 있습니다.

전쟁과 여성에 대해 깊이 생각할 수 있는 무거운 한 권입니다.
고객 이미지
9명의 고객이 이것이 도움이 되었다고 생각합니다.
유용한
보고서

오무라 료신
5성급 중 4.0 남자들을 더 규탄해야 한다
2025년 12월 6일에 확인함
포맷: 단행본아마존에서 구매
어떻게 남자들은 행동했는지, 동성으로서 진정으로 한심하게 생각한다.
유용한
보고서

「この女性たちのことを歴史に書いておかずにいられるか」歴史学者・平井和子が語る、歴史に埋もれた占領下の女性たち | ラブリーラブリーライブラリー

「この女性たちのことを歴史に書いておかずにいられるか」歴史学者・平井和子が語る、歴史に埋もれた占領下の女性たち | ラブリーラブリーライブラリー



「この女性たちのことを歴史に書いておかずにいられるか」歴史学者・平井和子が語る、歴史に埋もれた占領下の女性たち平井和子


BY: takahashikazuna / 2025/05/18
FEATURES, 平井和子


第二次世界大戦で日本が敗戦後、約7年間に渡りアメリカの占領を受けていた、ということをご存知だろうか。日本政府は、米兵の性暴力から良家の子女を守るために、米兵専用の慰安所を設置する。慰安所に集められた女性は「お国のため」に厳しい労働環境に晒された。占領下の日本は、ほぼすべての出版物、レコード、ラジオ、手紙、電話までもがGHQの検閲を受け、十分な客観的資料が残っていない。だが、米兵専用の慰安所が日本政府主導で作られたこと、そして自殺者が出るほど厳しい性労働に晒された女性たちがいたことは事実である。
歴史学者・平井和子は、「お国のため」に差し出された女性たちの声を拾い上げようと慰安所のあった地域で聞き取り調査を重ね、これまでに5冊の本を出版。山川菊栄賞や青山なを賞を受賞するなど、これまでほとんど光が当たることがなかった占領期の性にようやく光が当たろうとしている。
戦後80年を迎え、占領期のことを知る人も歴史の舞台から去ろうとしているいま、なにを思うのか。どうしても話を聞きたいと思い静岡まで伺った。

文・インタビュー/高橋数菜



――本日は貴重なお時間ありがとうございます。僕が『パンパン』の方々の存在を知ったのが去年なんですね。ネットサーフィンをしていて、アメリカ兵と若い日本人女性が一緒に写っている写真があって。それに対して誰かが「こういう女性は『パンパン』っていうんだよ」みたいなコメントをしていて。『パンパン』ってすごい名前だなと思って。絶対に正式名称じゃないだろうと思って調べたんですけど、蔑称でもありほぼ正式名称で。

「差別用語なんですけど、もう歴史用語ですよね」

――だからすごい名前だなと思って。『パンパン』について書いてある本ないかなと思って行き着いたのが『占領と性: 政策・実態・表象』(インパクト出版会、2007年)だったんですね。この本を読んで非常に打ちのめされたといいますか。僕、 1986 年の生まれなんですけど、僕がいた小学校中学校では従軍慰安婦なんかなかったっていう教育を受けたんですね。

「はいはいはい」

――だから従軍慰安婦はいたんだっていう驚きと、終戦記念日は 8 月 15 日であると疑いようもなく思っていましたし、アメリカは日本を占領していたっていう意識もまったくなかったですし、日本のことをまったく知らないなあと思ったんですね。この本のまえがきやあとがきに「本書はまだ研究の途中である」と書かれていて、その後この研究がどうなったのかなって思って調べたんですけれども、ホームページの更新も止まっていたり、執筆された方の何名かは亡くなられていたりして、この研究がその後どうなったのかなっていうのをまずお聞きしたいなと。

「ありがとうございます。私もいま、話を聞いてびっくりしました。先生が教育の場で『従軍慰安婦はウソだ』ということをお話されたと。学校は公立?」

――公立です。

「でもそういう空気の時代もありましたよね。この『占領と性』をまとめた恵泉女学園大学平和文化研究所は代表者が荒井英子さんだったんですが、いちばん先に亡くなっちゃったんですよ。その後もずっと研究を続けていく予定だったんですけども、中心人物の荒井さんが亡くなったので、空中分解というか、そのあと続けて奥田暁子さん、加納実紀代さんが亡くなられたので、私だけが続けることになってしまいましたね」

――いつ頃に空中分解になったんですか?

「この本を出したあとすぐです。本を出したのち発病され、3年ほど療養されたのですが、残念ながら亡くなられて……」

――この本はどういった経緯でできたんでしょう?

「私は途中から参加したので、経緯はよく知らないんですけども、2000 年ぐらいから恵泉女学園大学でキリスト教界の人たちの戦争責任みたいなものに向き合っていこうみたいな話になったらしいんですよ。そのなかで占領期の慰安所に対してキリスト教界がどういう態度を取ったのかを知りたいね、っていう話になった。それで私は占領期のことを修士論文で書いていたので、加納さんに占領期の専門家にきてほしい、って言われて入っていったという感じですね」

――朝日新聞のインタビューで拝見したんですけど、結婚を機に静岡に引っ越されて教師のお仕事をお辞めになられたと書かれていて。



「はい、最初は東京に就職してたんですけど、夫が静岡の教員になったので、しかたなく辞めて伊豆に来たんですね。大学生の時の専攻は地理学だったので歴史をやるなんて思っていなかったんですよ」

――そこで「男性は仕事、女性は家庭」という固定観念に興味を持たれたと。

「そういう役割分担がいつできたのかなっていうか、自分自身への問いですよ。なんで私のほうが結婚の時に仕事を辞めるのかな、なんで私のほうは名前を変えなきゃいけないんだろうって。当時はそれに誰も答えてくれなかったんですね。女性学もでき始めた頃だったので、じゃあ自分で歴史に聞いてみようって」

――そこで静岡の人に調査をされて、『パンパン』の人たちのことも初めて知るんですか?

「いえ、その頃は占領期のことはまだ聞けなくて。静岡大学の修士課程に入った時に御殿場を調べて、御殿場にはたくさん『パンパン』が集まっていて、『パンパン』の名簿とかもあったんですね。それが 1997 年ぐらいですね」

――そこで衝撃を受けてこちらの道に進まれたと。

「うん。そうですね」

――教師は何歳くらいまで続けられたんですか?

「修士課程に入ったのが 1997年なのでその時に辞めたのかな。最初、東京で一般企業に勤めてたので。東京で教員の採用がなかったんですね。なので静岡にきて教員採用試験を受け直して教師になるっていう感じです」

――一般企業ではどういったお仕事をされていたんですか?

「地理学科の卒業だったので、地質検査の会社に入ってました。そこで3 年働いて、結婚で西伊豆にきて、そこで自分のモヤモヤを解決するために地元のおばあさんたちのライフヒストリーを聞いたり、女性史の本を読み漁ったり……みたいな感じですね」

――結婚の前まではそういったモヤモヤってなかったんですか?

「大学までは男女平等だったんでなかったですね。社会に出て初めて。だからお茶汲みがあることにびっくりして。お茶汲み拒否っていうのをやりましたね。で、組合の中に女性部を作りました」

――すごいですね。

「だから、もといた会社では伝説になってるらしいんですけど、こんな跳ねっ返りがいたとか(笑)。雇用機会均等法ができる前ですので、女性は夜 8 時以降は働いてはいけないっていう『母性保護規定』があったんです。なんですけども、忙しいから 夜10 時ぐらいまで働くんですよね。そうすると『おい、お前ここからは女じゃないからな』とか言われて毎夜働かされて。お風呂に行けないじゃないですか。当時、銭湯は夜 11 時ぐらいまでで。家に帰ったらもう銭湯が閉まってるの。それが悲しくて、会社のボックスにお風呂セット置いて、裏の銭湯に行ってきま~すとか言って、帰ってきて仕事してましたね」

――その後、教師になられるんですよね?

「そうですね、東京でも教員にすごくなりたかったです。だから採用がなくても毎年採用試験を受け続けてました。採用されなかった理由は女性だったからって自分では思ってます。社会科の女性教員はいらないっていう。静岡県にきても、社会科の女性教員は私だけでしたね。国語とか音楽は女性教員が多いんですけど、教科によってジェンダーの偏りがあって。うちの夫は同じ大学出身だったんですけども、社会科の教員の採用があるわけですよね。だからすごいジェンダーギャップを感じました」

――募集自体は男女を問わずだけど、受かるのは男性だけみたいな。

「そうですね。入口では男女平等をうたっているけど、採用や雇用の仕方ではジェンダーで振り分けている……」

――『占領と性』の筆を取らせたのは、性だったり、この本に書かれているように「良い占領なんて存在しない」という意思だったりなんでしょうか。



「私と加納さんはすごく議論しましたね。私は……この占領は、良い占領ではなかったっていうことを、女性の体験から捉え直したいという思いはあったんですが、加納さんたちは戦後の女性解放や民主主義、女性参政権獲得などあるので、占領体験は男性にとっては屈辱、女性には解放だったと捉えていました」

――そうだったんですね。この本は良い占領はなかった一色なのかなっていう印象を受けたんですけど。

「だからいつもみんなで議論しながら書いた本だなって思っています。毎回みんなでホットな議論をしていましたね」

――あと書きにはみんなで合宿に行ったと書かれていて、和気あいあいとしていたのかなと思ってたんですけど。

「合宿3回は、とても楽しかったけれども、常に喧々諤々やっていましたね。その厳しさのなかで、本書が生まれたし、一方、残念ですが途中で抜けたメンバーが何人かいらっしゃいます。」

――なるほど。僕はこの本を読んですごく衝撃を受けたんですけど、2014年の『日本占領とジェンダー : 米軍・売買春と日本女性たち』(有志舎)を読んで研究が進んでるって思ったんですね。さらに2023年の『占領下の女性たち 日本と満洲の性暴力・性売買・「親密な交際」』(岩波書店)を読んで、さらに研究が進んでいる、と感銘を受けまして。どうやって研究を深めていったのかなっていうのをお伺いしたくて。『占領下の女性たち』に公文書館で RAA開設の指令が残っていたって書かれてたんですね。実際に僕も検索してその文章を読んだんですけど、当たり前なんですがすべて手書きで、読むのすら大変で。しかもあの文書ってタイトルに慰安婦とか入っていないので、だからまず見つけるのが大変だなって思ったんです。



「大学院に行って、先生から資料の見つけかたを鍛えてもらったんだなと思います。敗戦直後に出されている内務省からの国民への注意とか、各都道府県に出された指令とかを丁寧に読めば、『一般女性』は保護しなければいけないとか、『性の防波堤』=『慰安所』のようなものを作れみたいなものがあるはずだからって。嗅覚を鍛えられたっていうか。恩師の吉田裕先生や荒川章二先生からは『歴史家は文書を探さなければ』って教わりました」

――僕が衝撃を受けたのが昔の公文書って手書きじゃないですか。あれをひとつひとつ解読していくわけですよね。

「慣れますよ(笑)。読んでれば慣れますし、関係するところがボわっと浮き上がって見えてくる。『慰安』という文字とかね」

――でもたぶん、平井さんの前にそれに気づかれた方がいないからこそ発見に繋がったんですよね。

「はい。御殿場の『風紀問題』(「パンパン」たちに対する住民調査など)に関する貴重な資料は、静岡県史編纂室で見つけたのですが、その前に他の先生の『閲覧しました』という付箋が付いていたのですが、スルーされていました。研究者によって何が重要か、その人の視点が問われると思います。その資料のもっと詳しいものが、現地・御殿場市に残されていて、そこで『パンパン』たちの『身上調査一覧』を見つけたときは、震えました。しかし、内務省の『進駐軍に関する注意』の文書は、先に国会議員の吉川春子さんがそれを使って国会で質問されたりするんですね。公文書館を見たりとか、GHQ 文書見たりとか。いろんな人たちの先行研究があって、その上に私の研究もあるなと思います」

――この本で蘭信三さんが、「孤独と不安に苛まれながら研究をされていた」とあるんですが、みなさんそういう心を抱えながら研究をされているんでしょうか。



「ほとんどみんなそうだと思います。いまも、若手の研究者の卵(院生)たちは、みんな孤独で、果たして自分の研究テーマはこれでいいのだろうか、と悩みながらやっていると思います。私自身もこういう研究をやる人は少なかったので、特に男性の偉い研究者からは『なんで性のことなんかをやるんだ』って。それはすごく差末なことであって、経済とか政治とか、そういう大文字の歴史が社会を動かしてきたと。占領期の御殿場の歴史に触れることに対して、なんでそんな地域の恥のようなことをほじくるのかみたいなことを言われました。だから修士論文にも自信がなかったです。メインストリームの女性研究者からも『私は性のことはやらない』って面と向かって言われましたので、孤独でしたね」

――ああ、そうなんですか……。

「関西で茶園敏美さんが『パンパン』のことをやってるっていうのが心の支えで。向こうも関東で平井さんが『パンパン』のことをやってるからっていう風に自分を励ましてたっておっしゃってました」

――平井さんが性に対して聞き取りをされる時に、なかなか語りたがらない方もいらっしゃると思うんですね。

「そうですね。性に関しては二面ありますよね。出産などのリプロダクティブなことは女性が行くと積極的に語ってくださるけれども、性暴力被害に関しては語りに抑圧がかかる。私は駆け出しのころ、伊豆にきて、片っ端からおばあさんたちに話を聞いてたんですよ。そうすると民俗学をやっている男の人たちが、どうして平井さんが行くと僕たちが聞いてこなかったような出産や生理とかを聞けるんだろうって言うんですよ。それは女性が女性に語りやすいからっていうジェンダーがあるとは思うんですよ。でも性暴力みたいなことに関しては、岐阜の黒川開拓団の佐藤ハルエさんが『性接待』について最初に語ったのは猪股祐介さんっていう、当時まだ院生だった男性です。だからジェンダーに関わりなく、一生懸命その人の証言を聞いてくれる人があれば、語りたかったんだと思うんですよね。性って人権のいちばん大切なところだと思っていて。それを男性本位のポルノグラフィーっぽく表してきたこと、消費していくことに対しては抵抗感があるんですよ。一方で、女性史・ジェンダー史をやるものは性的な快楽とか性的なエロスとかもタブー視しないで聞いていかなきゃいけないって思っています。その辺の線引きのところはすごく危ういところなのかもしれないんですよね。『赤線』の人に話を聞きに行くときにはすっごく気を使いました。手紙で申し込むのがいいのか、電話がいいのか、それとも誰か住んでる人のツテを頼って聞くのがいいのか、飛び込みで行く方がいいのか……電話をするだけでも 3 日ぐらい悩みましたね。何時頃に電話をすればとか。Hさんっていう方に行き当たったんですけども、ちょうど 2 時ぐらいに電話をしたら『いま、うちに誰もいないからすぐ来て』っておっしゃった。家族がいないときだったら、語れる。息子さんがいらっしゃらなかったりとか。相手にとっていちばん話しやすい時間とか場所っていうのはどこか、いつもいつもすっごく悩みますね。性売買に関してはタブーはまだまだ多いですね。熱海はいつも明るくて、すごく元気づけられるんですけども、あっけらかんと語れることでもないんですよね。Hさんも最初のうちは『自分のうちはボットル屋だった』っておっしゃってたんですけども、話をよくよく聞いていくとパンパン屋だったことがわかるとか。それから吉原の遊郭で働いてた人が熱海でお店を持たれていて。彼女にパンパン屋の経営者だったっていうことで話は聞いてもいいけども、ご自身が吉原で働いていたことは聞いちゃだめよって」

――……すごいですね。

「はい。この本も、校了して、岩波書店さんから『明日印刷に入ります』って電話をいただいた時に、私の手の届かないとこに行っちゃうと思って、3 週間ぐらい体が悪くなりました」

――もう引き返せないところまできてしまった、みたいな。

「はい。おひとりおひとりには原稿を見せて、書いてもいいですよって承諾書に署名もいただいてるんですけども、だけども気がつかないところで、傷つけたりする人があるんじゃないかとか思って怖かったですね」

――今年、戦後 80 年じゃないですか。ご存命のパンパンの方がいらっしゃる最後の時代だと思うんですよね。



「この本の第5章に出てくる朝霞の『パンパン屋』で育った『金ちゃん』が70年の時を経て偶然出会った元『パンパン』だった『あぐりさん』をゆくゆくは私に会わせてくれようと思ってたらしいんですけど、急に姿を消しちゃったんですよね。だからなんか感づいて、話すの嫌だなと思われたのかもしれない」

――この本では『あぐりさん』はコロナで亡くなられたと。

「そういう噂も金ちゃんは聞いてるらしいんですけど、途中から金ちゃんがメモを始めたんです。紙芝居にしようと思って。だから何かしら気が付かれたのかな、と思ったって」

――僕が想像してたよりも繊細なバランスの上に成り立ってる本なんだなって思いました。

「そうですね。私もほんと、軽く思ってた部分があるんですよね。私もおおらかでおっちょこちょいなもんですから。だけど、本を書く時に熱海の人から承諾書をいただいた時に、私の名前は間違いやすいから間違えないように書いてね、っておっしゃった方が、印刷所に入ったあとで電話を寄越されて。この SNS 時代に名前が広がると怖いからやめてって言われて。で、すぐ岩波さんに電話したらまだ間に合って。間一髪で匿名にしました」

――平井さんは 1955 年の生まれですけども、その当時って戦争の爪痕とか『パンパン』の方々がいらっしゃった空気とかはどのくらいあったんでしょう。

「『パンパン』って聞いたことなかったです。生まれは広島ですので、原爆の語りはたくさん聞いて育ちましたけど、米兵相手の性売買女性がいたっていうのは一言も聞かずに育ちましたね」

――平井さんのご両親は戦争を体験された世代だと思うんですけれども、家庭で戦争のことが話題になることってあったんでしょうか。

「父は広島の爆心地に住んでたんですけど、8月のちょっと前に招集されて東京にきてたんです。母は田舎の生まれですので、原爆被害の話は聞きましたけど、戦争自体はぜんぜん聞いてないんですよね」

――僕、 86 年の生まれですけど昔、道端に手とか足とかがない軍人さんがお金くださいってやっている光景をよく見た記憶があって。でもいつの間にか見なくなったなっていう感覚があって。戦争特番なんかも僕が子供の時は年中やってた気がするんですけど、いまだと終戦記念日くらいしかやらないようになっちゃったなって思っていて。いまの子たちにとって戦争ってより遠いものになってるんじゃないかなっていう感覚があるんですね。平井さんもいろんな生徒さんを教えてきてそういう感覚ってありますか?



「86年生まれの高橋さんの世代でも、まだ、道端に傷痍軍人さんが居られたとは、驚きました。夏に戦争物を放送するというのは、8月ジャーナリズムですよね。授業とかで、アジア・太平洋戦争や、軍『慰安婦』のことをやると『おじいちゃんやひいおじいちゃんに聞いておけばよかった』って生徒は必ず言いますね。中国戦線におじいちゃんが行ってたから『慰安所のことも聞いてみればよかった』とよく言いますね。ただ、アジア・太平洋戦争も彼らの世代には、もう歴史になってますよね。西南戦争とか、日清・日露戦争、満洲事変、太平洋戦争と暗記する、みたいな」

――それは教えていて寂しい気持ちを覚えたりしますか?

「戦後80 年経ってますからね。身近な人から聞くっていう貴重な体験はできないけども、その分、客観的に見れるようにもなるんじゃないかな。身近な人の体験談は、どうしても偏っちゃうじゃないですか。私は広島で育ったから、周囲の体験談は被害者意識ばっかりなんですよ。だけども、なぜ広島に原爆が落とされたのかっていうことを大学生ぐらいになって考えると、広島が近代以降軍都で発展してきて、日清戦争の時は大本営も置かれ、そしてアジア侵略に対して兵士を宇品港から送り出した場で。どうして被爆者に朝鮮の人やアジアの留学生が多かったのかとか、強制的に労働者として動員してきた人たちもいたって思うと、やっぱり近現代の日本帝国のありかたとかが広島を通じて浮き上がってくる。原爆を落とされるときには、軍都だったとこが狙われたんだな、だからその街の人たちの生き方とか盛業のあり方によって戦争の被害者になったりするんだなって、歴史が因果関係と繋がって見えてくる。被害者意識だけだとね、視野が狭くなりますよね。犠牲者主義ナショナリズムは、国家間の紛争の元になりやすい。まさに、現代のイスラエルがそうですよね」

――僕、岐阜の出身なんですけど、各務原にも『慰安所』があったってこの本で初めて知って。なんで各務原なんだろうって思ったら、あそこに自衛隊の基地があるんですよね。だから元々米軍基地があったんだろうなって。いまの各務原に米軍基地や『慰安所』のニオイがまったくないんですよ。だからめちゃくちゃ意外で。

「各務原は跡形がない感じですよね。福生とかだと残ってるんですけどね。地域によって違いますね。キャンプ・ドレイクがあった朝霞もみんなびっくりするんですよ。あんなに『パンパン』の人たち集まってたんですか、近くに住んでたのにぜんぜん知りませんでしたって。各務原と同じく朝霞も現在自衛隊の駐屯地になっています」

――いまでも『パンパン』の方がいらっしゃってそうな地域とかってあるんでしょうか。

「金ちゃんも大泉学園まで足を伸ばしたとか言ってますけど、きっとね、熱海だってね……私は熱海の住民にならないと本当のことは聞けないなと思いました。熱海のなかで暮らして、今日は暑いですね、とかおはようございます、とか言ってるうちにわかってくるんじゃないかって。『赤線』を取り締まっていた警察の人にも言われたのですが、『むかしパンパンをしていた人を今でも町で見るけど、あんたには言えないな』っておっしゃったから。出会えないんですよね。いや、もう出会ってるのかもしれないんですけども、本人は明かしてないかもしれないし」

――この元警察の方に代わりに聞き取りをお願いするのはダメなんですかね。

「もう亡くなってますね。この方にインタビューしてた時は 2004 年だったので。あと『占領と性』を書くときに間に合わなかったのが保健婦さんなんですよ。『コンタクトトレーシング』っていう、性病に罹った米兵が出たとしたら、その米兵の性病の感染源を日本側の女性だと決めつけて、米側は『接触者調査』というのを保健所に義務付けるのです。それで保健婦さんが、米兵の証言を頼りに女の人たちを訪ねていったら、『パンパン』たちがシングルマザーだったとか、重度の性病だったということを手記に書いてらっしゃるんですけど、その方々がちょうど亡くなってしまって、直接聞きたかったのに間に合わなかったなって」

――時間との戦いじゃないですけど。

「そうですね。熱海は大火で資料が焼けているので文書が残ってないから。人づてでやっていくしかなかったですね」

――平井さんが占領期のことを書くいちばんの衝動って「良い占領なんてなかった」ということを伝えるためですか。それとも歴史に埋もれた女性たちの声を浮かび上がらせるためですか。

「両方ありますけども、男性リーダーたちによって、守るべき良家の子女と、差し出してもいい女性とで女性が二分化されるじゃないですか。内務省警保局の秘密文書も営業に充てる女性は芸娼妓者っていっているでしょ。女性が家父長制によって二分化されてたまるか、みたいな。女性たちで連帯したい、という気持ちが強くあって。その、家父長制意識を女性も内面化させて、二分化されたほうの良家の子女は芸娼妓者たちを差別するんですよ。もうたまらないですよね。とくに満州の引き上げの時に、ソ連兵に女を出すように強要されて、『一般の女性』や母親が連れ去られようとするのを見かねて、性売買の女性たちが『私が行きます』っていうじゃないですか。それもたまらないですよね。その人たちのことを歴史に書いておかずにはいられない、って。それがありますね。あの人たちのことを絶対に歴史に刻むのが私の仕事だって。『占領下の女性たち』の2章を書いたときは……あの、私、性暴力被害なんかも淡々と書くタイプなんです。でも2章を書き終えた時はこみ上げてくるものがありましたね。満州のね、『一般女性』を見かねて、私が行くべきだみたいなことを性売買女性は思うわけですよ。『一般女性』は助けられたって思って、彼女たちをのことを拝んでいる。忘れないでいるんですけど、男性たちは不都合な歴史なので忘れてしまいたいとか。なので、どこにも彼女たちの声が残らない。だから、それはいけないなっていうのがありますね」

――『占領下の女性たち』の冒頭でも書かれた、コロナ禍で性風俗の人には給付金が出されないっていう決定に対しても平井さんにとっては。

「労働者から外すなよ、みたいな思いがあります。ずっと近代史のなかで労働者たちが連帯をする時に、性売買女性や芸娼妓の人たちを外してきたんですよね。ところが戦時になると、その人たちが国防婦人会に入れてもらったらすごい喜ぶんです。一般女性と同じように、私たちもお国のためにできることがあるって。差別を受け、疎外されてきた存在ゆえに、喜んで国策に協力させられていくメカニズム。性差別を受けた人たちだから、余計に国に協力することによって一般の人たちと同じになりたいみたいな、心理が働く。そういう差別構造をなくしていきたいっていうのがありますね」

――日本が占領されてRAAが作られたことに対してすごく怒っていますよね。

「RAAを作った人はね、あれのおかげであの性暴力減ったんだって言いますけど、私は逆に増えたと思っています。戦争に勝利したら敗戦国の女性を安く買えるんだ、自由にしていいんだっていうことを教えているみたいな気がして」

――近代の戦争で敗北した国が占領を受けなかったケースってあるんでしょうか。

「みんな占領されてますよね。軍事占領自体が、暴力性を伴いますよね。占領のあり方っていうものも、国際的にルールができないといけない。国連も戦勝国側が常任理事国ですので。第二次世界大戦後にそういうことが作れなかったっていうのは、私たちの民主主義の弱さですかね」

――平井さんがRA Aに反対とは承知なんですけど、でも日本が占領を受け入れた時点でバッドエンド確定だったんじゃないかなって思っていて。

「日本にペリーがきた時から唐人お吉を差し出すじゃないですか。そうやって性接待ばっかりするのをずっと伝統的に繰り返してる国だから……ポツダム宣言受諾の時に、占領においては絶対に暴力的行為、特に女性への性暴力は厳しく禁じてほしい、と確認してほしかったと思います。それどころか先回りしてね、『おもてなし』を準備しているっていうのは情けないな、って」

――近年、開拓団のサバイバー女性が声をあげたりとかっていうのは、社会が変わっていっている証しなんでしょうか?

「亡くなる前に語らずにはいられないっていう思いもあったでしょうし、韓国の慰安婦女性たちが発言し始めて、あの人たちがあんなことを言うんだったら私たちだって同じ体験だよね、っていう認識を、聞き取りに訪れた猪又さんにおっしゃったらしいんですけども、そのような韓国のサバイバーの名乗り出も背中を押したようです。性暴力を受けた人が恥ずかしいんじゃなくて、それは大きな大きな構造的な犯罪だったっていうのが共有されるようになりつつある。やっぱり時代が変わってきつつあるんでしょうね」

――お話を伺ってると、僕が教えられてきた教師の異常さというか、そういうのを改めて感じますね。当時はインターネットもないから正解にたどり着かないですし。

「90年代の慰安婦問題の時は国内外ですごい論争になりましたもんね。金学順さんの名乗り出以降、『慰安婦』否定派の人たちから、あの人たちは売春婦だって言われて、言われた方は公娼じゃないって、水掛け論みたいになってすごい不毛な、不幸な論争だったなと思いますね」

――平井さんの著書はさまざまな賞を受賞されていますけど、こういった賞は孤独な作業に対する、孤独を跳ね返すような要素になったりするんでしょうか。

「認められたと思いました。嬉しかったですね。選んでくださった先生がなんで選ばれたかっていうの言ってくださって。資料をよくぞ集めました、とか、視点のバランスがいいと評してくださいました。こういう面もあるし、こういう風にも見えるし、っていう。ひとつに決めつけないで、でも筋は構造的な性暴力っていうものはしっかり立てて、ブレない。で、“親密な交際”もあるっていう性暴力にグラデーションがあることも見逃していない、と言われました。この分野は研究者が少なかったので、孤独に苛まれつつ、自分はこんなんでいいのかな、みたいなことを思ってずっとやってきましたけど、いまは院生たちのなかに占領や性をやる学生が増えてきたんです。すごい嬉しい」

――こういった本に対して担当編集さんはどういったサポートをするのでしょうか。

「今回の岩波書店のおふたりの担当は知り合いだったので、自分で原稿を持ち込みました。それを受け取ってすごい悩まれたんですよ。この問題って地雷を踏むようなテーマが 3 つぐらいあって。『慰安婦』も『セックス・ワーク』も『満洲』も入っているので。下手にいい加減なことを書くと、どこからどんな批判の矢が飛んでくるか分からない。平井美帆さんっていう方ご存知ですか?」

――はい。

「平井美帆さんの『ソ連兵へ差し出された娘たち ―証言・満州黒川開拓団』の本は賞を取ったんですけども、実は倫理違反もありました。本人に許可なく実名を出していたので、ものすごい問題になって。遺族会の人たちが、もう語り部をやりたくない、とかおっしゃるぐらいダメージが強かったんですよ。開拓団のことは私の本にも入っているし。だから岩波さんは編集会議を通すまで1年近くかけて熟慮されたようです。それと岩波の鬼の校正、はじめて体験しましたね。すごいとは聞いてはいましたけど」

――岩波で企画が通らない間に、ほかの出版社へ持っていこうとは思わなかったですか?

「なかったですね。それでも早く出して欲しいなとは思いました。その間、ほかの出版社から2 冊ぐらいRAAに関する新書が出て、男性の方が何の痛みもなく書かれている気がして……焦る気持ちはありました」

――出版社側の人間からすると本当に出しづらいテーマの本ですよね。なので、本当に世に出てよかったなってすごい思います。最後に下世話な質問かもしれないですけど、『パンパン』の方に会えたらなにを聞きたいですか?

「つらかったのか、どういう思いでパンパン家業をしていたのか聞きたい。あぐりさんは夜の星を数えて我慢してたっておっしゃってますよね。あぐりさんの言葉しか聞いてないんで、本当はどうだったのか」

――でもたぶん人の数だけ答えがあるでしょうね。これも僕の話になっちゃうんですけど、風俗をされている女性に話を聞く機会があるんですね。彼氏から「風俗嬢をやめて」って言われるほうが嬉しい人もいるし、「風俗を続けて欲しい」って言われるほうが嬉しい人もいるんですよ。だから風俗嬢を好きでやってる人もいれば、やめたがっている人もいるんだなっていうのを聞いていて。だからたぶん、あぐりさんみたいな人もいれば、楽しいっていう人もつらいっていう人もいるんだろうなって。

「でも、それは彼氏に依存している、あるいは搾取されている、ということで決定権を彼氏に委ねてるということでは根っ子では同じでしょ。『パンパン』も『かわいそう言説』、『犠牲者言説』に回収されない人がいるんですよ。静岡新聞に載っていた1950年代の『夜の女』へのインタビューなんですが、『こんな女に誰がした』っていう歌が当時、流行っていたんです。でもそれは嘘だ、私はこの仕事を真剣にやっているって。その言葉もね、肯定的に受け止めたいと思うんです。だから犠牲者にも回収されないしっていうエージェンシーが感じられるような言葉を発揮してる人にも会いたい。いま学会では、セックスワーク論と、性売買は性暴力だっていう人たちとに別れて深い対立があって、それは悲しいことだからそこに橋をかけるような実態的な歴史学をやりたいと思いますね」
information

平井和子
1955年広島市生まれ。
一橋大学ジェンダー社会科学研究センター客員研究員
専門は、近現代日本女性史・ジェンダー史(社会学博士)

静岡県東部の中学校・高校の社会科教師を経て、静岡大学、大妻女子大学などで非常勤講師。一橋大学ジュニアフェローを経て、現職。
主著・共著書
恵泉女学園大学平和文化研究所『占領と性 政策・実態・表象』インパクト出版会、2007
『日本占領とジェンダー 米軍・売買春と日本女性たち』(山川菊栄賞受賞)有志舎、2014
上野千鶴子・蘭信三・平井和子『戦争と性暴力の比較史へ向けて』岩波書店、2018
『占領下の女性たち 日本と満洲の性暴力・性売買・”親密な交際“』(女性史 青山なを賞受賞)岩波書店、2023 など。
『占領下の女性たち 日本と満洲の性暴力・性売買・”親密な交際“』にも

「金ちゃん」の紙芝居上演会:1950年代、米軍基地・朝霞の街の「ハニーさん」たち
「パンパン」たちに部屋を貸す「貸席屋」で育った、「金ちゃん」(田中利夫さん、1941年生まれ)が、日記と抜群の記憶力をもとに描いた「紙芝居」の上演会が2025年6月7日に上智大学四ツ谷キャンパスで行われます!

2025年6月7日
東京都千代田区紀尾井町7−1
上智大学四ツ谷キャンパス 6号館3階305教室
参加無料 後日動画配信あり
https://kamishibai-kinchan0607.peatix.com/
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히라이 카즈코

BY: takahashikazuna / 2025/05/18
FEATURES , 히라이 카즈코
제2차 세계대전에서 일본이 패전 후 약 7년간에 걸쳐 미국의 점령을 받고 있었다는 것을 알고 있을까. 일본 정부는 미병의 성폭력으로부터 양가의 자녀를 지키기 위해 미병 전용 위안소를 설치한다. 위안소에 모인 여성은 '나라 때문에'에 어려운 노동환경에 노출됐다. 점령하의 일본은 거의 모든 출판물, 레코드, 라디오, 편지, 전화까지도 GHQ의 검열을 받아 충분한 객관적 자료가 남아 있지 않다. 하지만 미병 전용 위안소가 일본 정부 주도로 만들어진 것, 그리고 자살자가 나올 정도로 엄격한 성노동에 노출된 여성들이 있었던 것은 사실이다.
역사학자 히라이 카즈코는 '나라를 위해'에 내놓은 여성들의 목소리를 들려고 위안소가 있던 지역에서 듣고 조사를 거듭해 지금까지 5권의 책을 출판. 야마가와 키쿠에이상이나 아오야마나를 상을 수상하는 등, 지금까지 거의 빛이 닿지 않았던 점령기의 성에 드디어 빛이 맞추려고 하고 있다.
전후 80년을 맞아, 점령기를 아는 사람도 역사의 무대에서 떠나려고 하고 있는 지금, 무엇을 생각하는 것인가. 아무래도 이야기를 듣고 싶어 시즈오카까지 들었다.

글·인터뷰/타카하시 수나

 

――오늘은 귀중한 시간 감사합니다. 내가 『빵빵』 분들의 존재를 알게 된 것이 작년이군요. 넷 서핑을 하고 있고, 미국병과 젊은 일본인 여성이 함께 찍혀 있는 사진이 있어. 그에 대해 누군가가 「이런 여성은 『빵빵』이라고 하는 거야」같은 코멘트를 하고 있어. 『빵빵』은 대단한 이름이라고 생각해. 절대로 정식 명칭이 아닐까 생각해 조사했는데, 칭칭이기도 하고 거의 정식 명칭으로.

「차별 용어입니다만, 이미 역사 용어군요」

――그러니까 대단한 이름이라고 생각해. 『빵빵』에 대해 써 있는 책 없을까라고 생각해 다녀온 것이 『점령과 성: 정책·실태·표상』(임팩트 출판회, 2007년)이었지요. 이 책을 읽고 굉장히 칭찬받았다고 합니까? 나, 1986년의 태생입니다만, 제가 있던 초등학교 중학교에서는 종군 위안부 따위 없었다고 하는 교육을 받았습니다.

"예 예 예"

――그러니까 종군 위안부는 있었다고 하는 놀라움과, 종전 기념일은 8월 15일이라고 의심할 것 ​​없이 생각하고 있었고, 미국은 일본을 점령하고 있었다고 하는 의식도 전혀 없었고, 일본을 전혀 모르겠다고 생각했군요. 이 책의 머리말이나 뒤에 「본서는 아직 연구의 도중이다」라고 쓰여져 있고, 그 후 이 연구가 어떻게 된 것일까 하고 생각해 조사했습니다만, 홈페이지의 갱신도 멈추고 있거나, 집필된 쪽의 몇명인가는 죽어지고 있거나 하고, 이 연구가 그 후 어떻게 된 것일까라고.

"감사합니다. 저도 지금 이야기를 듣고 깜짝 놀랐습니다. 선생님이 교육의 장소에서 '종군 위안부는 거짓말이다'라는 것을 말씀하셨다고. 학교는 공립?"

――공립입니다.

「하지만 그런 공기의 시대도 있었습니다. 계속해 나갈 예정이었습니다만, 중심 인물의 아라이 씨가 죽었으므로, 공중 분해라고 할까, 그 후 계속해서 오쿠다 아츠코 씨, 카노 미키요 씨가 죽어졌으므로, 나만이 계속하게 되어 버렸네요」

――언제쯤에 공중분해가 되었습니까?

「이 책을 낸 직후입니다. 책을 낸 후 발병되어 3년 정도 요양되었습니다만, 불행히도 죽어서…

――이 책은 어떤 경위로 생겼을까요?

「나는 도중부터 참가했으므로, 경위는 잘 모르겠지만, 2000 년 정도부터 혜천여학원대학에서 그리스도교계 사람들의 전쟁책임같은 것에 마주보고 가는 것 같은 이야기가 된 것 같습니다. 도를 취했는지 알고 싶네, 라고 하는 이야기가 되었다. 그래서 저는 점령기를 석사 논문으로 쓰고 있었으므로, 카노 씨에게 점령기의 전문가에 와 주었으면 한다고 해서 들어갔다고 하는 느낌이군요」

――아사히신문의 인터뷰에서 배견했습니다만, 결혼을 계기로 시즈오카에 이사되어 교사의 일을 그만두게 되었다고 쓰여져 있어.


「네, 처음에는 도쿄에 취직했는데 남편이 시즈오카의 교원이 되었기 때문에 어쩔 수 없이 그만두고 이즈에 왔습니다.

――거기서 「남성은 일, 여성은 가정」이라고 하는 고정 관념에 흥미를 갖게 되었다고.

「그런 역할 분담이 언제 생겼는지 라고 할까, 자기 자신에 대한 질문이에요. 왜 내 쪽이 결혼할 때 일을 그만둘까, 왜 내 쪽은 이름을 바꾸지 않으면 안 되겠지. 당시에는 거기에 아무도 대답해 주지 않았어요.

――거기서 시즈오카의 사람에게 조사를 하고, 「빵빵」의 사람들도 처음 알고 있습니까?

「아니, 그 무렵은 점령기의 일은 아직 들을 수 없어서. 시즈오카 대학의 석사 과정에 들어갔을 때 고텐바를 조사해, 고텐바에는 많이 『빵빵』이 모여 있어, 『빵빵』의 명부라든지 있었군요. 그것이 1997년 정도군요」

――거기서 충격을 받고 이쪽의 길로 진행되었다고.

「응. 그렇네요」

――교사는 몇 살 정도까지 계속 되었습니까?

「석사과정에 들어간 것이 1997년이므로 그때 그만둔 것일까. 처음, 도쿄에서 일반 기업에 근무했기 때문에. 도쿄에서 교원의 채용이 없었군요. 그래서 시즈오카에 와서 교원 채용 시험을 받고 교사가 된다는 느낌입니다」

――일반 기업에서는 어떤 일을 하고 있었습니까?

「지리학과의 졸업이었기 때문에, 지질검사의 회사에 들어갔습니다. 거기서 3년 일하고, 결혼으로 니시이즈에 와, 거기서 자신의 모야모야를 해결하기 위해서 현지의 할머니들의 라이프 히스토리를 듣거나, 여성사의 책을 읽어 낚시거나……같은 느낌이군요」

――결혼 전까지는 그런 모야모야는 없었습니까?

「대학까지는 남녀 평등이었지 않았어요. 사회에 나와 처음. 그러니까 찻잔이 있는 것에 깜짝 놀랐어요.

――대단하네요.

「그러니까, 원래 회사에서는 전설이 되어 있는 것 같지만, 이런 튕기고 있었던가(웃음). 고용 기회 균등법이 생기기 전이므로, 여성은 밤 8시 이후에는 일해서는 안 된다는 『모성 보호 규정』이 있었어요. 하지만 때 정도까지 일하는군요 그렇게 하면 「어이, 너 여기에서는 여자가 아니니까」라고 말해져서 매일 밤 일해져서. 때 정도까지로. 집에 돌아오면 이제 목욕탕이 닫혀 있는 거야. 그것이 슬프고, 회사의 박스에 목욕 세트 놓고, 뒤의 목욕탕에 가 왔다~라고 말하고, 돌아와서 일하고 있었습니다」

――그 후, 교사가 될 수 있죠?

「그렇네요, 도쿄에서도 교사에게 몹시 되고 싶었습니다. 그래서 채용이 없어도 매년 채용 시험을 받고 있었습니다. 채용되지 않은 이유는 여성이었기 때문에 스스로 생각하고 있습니다. 사회과의 여성 교원은 필요 없다고 한다. 시즈오카현에 와도, 사회과의 여자 성교원은 나뿐이었습니다. 국어라든지 음악은 여성 교원이 많습니다만, 교과에 의해서 젠더의 치우침이 있어서.

――모집 자체는 남녀를 불문하고 있지만, 받는 것은 남성만 같다.

「그렇네요. 입구에서는 남녀 평등을 받고 있지만, 채용이나 고용 방법으로는 젠더로 나누고 있다…

――『점령과 성』의 붓을 잡은 것은, 성이거나, 이 책에 쓰여져 있는 것처럼 「좋은 점령은 존재하지 않는다」라고 하는 의사이었습니까.


"나와 카노 씨는 굉장히 논의했어요. 저는…

―― 그랬어요. 이 책은 좋은 점령은 없었던 일색인 것 같은 인상을 받았습니다만.

「그러니까 언제나 모두 논의하면서 쓴 책이라고 생각하고 있습니다. 매회 모두 핫한 논의를 하고 있었습니다」

――다음 쓰기에는 모두 합숙에 갔다고 쓰여져 있어, 화기애애하고 있었던 것일까라고 생각하고 있었습니다만.

「합숙 3회는, 매우 즐거웠지만, 항상 싸움 따로 하고 있었습니다. 그 어려움 속에서, 본서가 태어났고, 한편, 유감입니다만 도중에 빠진 멤버가 몇 명 계십니다.」

――과연. 저는 이 책을 읽고 매우 충격을 받았는데, 2014년의 『일본 점령과 젠더 : 미군·매매춘과 일본 여성들』(유시사)을 읽고 연구가 진행되고 있다고 생각했네요. 게다가 2023년의 「점령하의 여성들 일본과 만주의 성폭력・성매매・「친밀한 교제」」(이와나미 서점)를 읽고, 한층 더 연구가 진행되고 있다, 라고 감명을 받았습니다. 어떻게 연구를 깊게 해 갔는지 하는 것을 묻고 싶어서. 「점령하의 여성들」에 공문서관에서 RAA 개설의 지령이 남아 있었다고 쓰여졌네요. 실제로 저도 검색하고 그 문장을 읽었는데, 당연합니다만 모두 필기로, 읽는 것조차 힘들어요. 게다가 그 문서는 타이틀에 위안부라든지 들어 있지 않기 때문에, 그러니까 우선 찾아내는 것이 힘들다고 생각했습니다.


“대학원에 가서 선생님으로부터 자료를 찾는 방법을 단련해 주셨구나. 하지 않는다든가, 「성의 방파제」=「위안소」와 같은 것을 만들고 싶은 것이 있으니까.

――내가 충격을 받은 것이 옛날의 공문서는 필자가 아닌가요. 저것을 하나하나 해독해 가는 것이군요.

「익숙해져요(웃음). 읽으면 익숙해지고, 관계하는 곳이 짙어 떠올라 보인다. 『위안』이라고 하는 문자라든지」

――그래도 어쩌면, 히라이씨 앞에 그것에 눈치채는 분이 없기 때문에 발견에 연결되었겠지요.

「네. 고텐바의 「풍기 문제」(「빵빵」들에 대한 주민 조사 등)에 관한 귀중한 자료는, 시즈오카현 사편찬실에서 찾아냈습니다만, 그 전에 다른 선생님의 「열람했습니다」라고 하는 스티커 메모가 붙어 있었습니다만, 스루 되고 있었습니다. 연구자들은 무엇이 중요한지 그 사람의 관점을 묻는다고 생각합니다. 그 자료의 더 자세한 것이, 현지·고텐바시에 남겨져 있어, 거기서 “빵빵”들의 “신상 조사 일람”을 발견했을 때는, 떨렸습니다. 그러나 내무성의 『진주군에 관한 주의』의 문서는 먼저 국회의원 요시카와 하루코 씨가 그것을 사용하여 국회에서 질문을 받는군요. 공문서관을 보거나, GHQ 문서를 보거나. 여러 사람들의 선행 연구가 있고, 그 위에 내 연구도 있다고 생각합니다」

――이 책에서 란노부 산씨가, 「외로움과 불안에 시달리면서 연구를 하고 있었다」라고 있습니다만, 여러분 그런 마음을 안으면서 연구를 하고 있는 것입니까.


“거의 모두 그렇다고 생각합니다. 지금도 젊은 연구자의 계란(원생)들은 모두 외로워서, 과연 자신의 연구 테마는 이것으로 좋은 것일까, 라고 고민하면서 하고 있다 라고 생각합니다.나 자신도 이런 연구를 하는 사람은 적었기 때문에, 특히 남성의 위대한 연구자로부터는 「어째서 성의 것인가를 하는 거」라고. 라든지 정치라든가, 그러한 대문자의 역사가 사회를 움직여 왔다고. 그렇게 말했습니다. 그래서 석사 논문에도 자신이 없었습니다.

――아, 그렇습니까…

「간사이에서 차엔 토시미 씨가 『빵빵』을 하고 있다는 것이 마음의 지지로. 저쪽도 관동에서 히라이 씨가 『빵빵』을 하고 있다고 하는 바람에 자신을 격려하고 있다고 말씀하셨습니다」

――히라이씨가 성에 대해 듣기를 할 때, 좀처럼 말하고 싶지 않은 분도 계신다고 생각하네요.

「그렇네요. 성에 관해서는 이면 있어요. 출산 등의 리프로덕티브인 것은 여성이 가면 적극적으로 말해 주시지만, 성폭력 피해에 관해서는 말에 억압이 걸리는가 내가 달려올 무렵, 이즈에 와서 한쪽 끝에서 할머니들에게 이야기를 들었어요. 있어 오지 않았던 것 같은 출산이나 생리라든지를 들을 수 있을 것이라고 말해요. 일에 관해서는, 기후의 쿠로카와 개척단의 사토 하루에씨가 『성접대』에 대해서 처음으로 말한 것은 이노키 유스케씨라고 하는, 당시 아직 원생이었던 남성이니까 젠더에 관계되어 쿠, 열심히 그 사람의 증언을 들어주는 사람이 있으면, 말하고 싶었다고 생각합니다. 성은 인권의 가장 중요한 곳이라고 생각하고 있어. 이처럼 표현해 온 것, 소비해 가는 것에 대해서는 저항감이 있어요. 한편, 여성사·젠더사를 하는 것은 성적인 쾌락이라든지 성적인 에로스라든지 금기시하지 않는다 에서 물어보지 않으면 안 된다고 생각합니다. 를 사용했습니다. 편지로 신청하는 것이 좋은지, 전화가 좋은지, 아니면 누군가 사는 사람의 투테를 의지해 듣는 것이 좋은 것인가, 다이빙으로 가는 편이 좋은 것인가… … 전화를 하는 것만으로도 3 일 정도 고민했습니다. 때쯤에 전화를 했더니 『지금, 아무도 없으니까 곧 와서』라고 말씀하셨습니다. 굉장한 시간이라든지 장소라고 하는 것은 어딘가, 언제나 굉장히 고민하네요.성매매에 관해서는 금기가 아직 많네요. 그렇게 말할 수있는 것도 아니지요. 그리고 요시하라의 유곽에서 일하고 있던 사람이 아타미에서 가게를 갖고 있어.

――…… 대단하네요.

「네. 이 책도, 교료해, 이와나미 서점씨로부터 「내일 인쇄에 들어갑니다」라고 전화를 받았을 때, 내 손이 닿지 않는 곳에 가버릴 거라고 생각해, 3주일 정도 몸이 나빠졌습니다」

――이제 되돌릴 수 없는 곳까지 되어 버린, 같은.

「네. 혼자 한 사람에게는 원고를 보여주고, 써도 괜찮아요라고 승낙서에 서명도 받고 있습니다만, 하지만 깨달을 수 없는 곳에서, 상처를 입는 사람이 있잖아라고 생각해서 무서웠어요」

――올해, 전후 80년이 아닙니까. 생명의 빵빵이 계시는 마지막 시대라고 생각합니다.


「이 책의 제5장에 나오는 아사카의 『빵빵집』에서 자란 『김짱』이 70년의 시간을 거쳐 우연히 만난 전 『빵빵』이었던 『아구리씨』를 간다 는 나를 만나게 해 주려고 하고 있었던 것 같지만, 갑자기 모습을 지워버렸지요.

――이 책에서는 『아구리씨』는 코로나에서 사망했다고.

「그런 소문도 김짱은 듣고 있는 것 같습니다만, 도중부터 김쨩이 메모를 시작했습니다.종이 연극으로 하려고 생각하고.

――내가 상상했던 것보다 섬세한 밸런스 위에 이루어져 있는 책이구나라고 생각했습니다.

「그렇네요. 저도 정말, 가볍게 생각했던 부분이 있죠. 저도 대단히 좀 좀 걸리니까요. 하지만, 책을 쓸 때 아타미 사람으로부터 승낙서를 받았을 때, 내 이름은 틀리기 쉽기 때문에 실수하지 않게 써주세요. 시대에 이름이 퍼지면 무서워서 그만두고 말해.

――히라이씨는 1955년의 태생입니다만, 그 당시는 전쟁의 발톱이나 『빵빵』의 분들이 계셨던 공기등은 어느 정도 있었을까요.

「『빵빵』이라고 들은 적이 없었습니다. 태생은 히로시마이므로, 원폭의 이야기는 많이 듣고 자랐습니다만, 미병 상대의 성매매 여성이 있다고 하는 것은 한마디도 듣지 않고 자랐네요」

――히라이씨의 부모님은 전쟁을 체험된 세대라고 생각합니다만, 가정에서 전쟁이 화제가 되는 일은 있었습니까.

「아버지는 히로시마의 폭심지에 살았는데, 8월 얼마 전에 소집되어 도쿄에 왔습니다.

――나, 86년의 태생입니다만 옛날, 길가에 손이라든지 다리등이 없는 군인씨가 돈 주세요라고 하고 있는 광경을 잘 본 기억이 있어서. 하지만 어느새 보지 않게 되었다는 감각이 있어서. 전쟁특번이라도 제가 어렸을 때는 연중 하고 있었던 생각이 듭니다만, 아직도 종전 기념일 정도밖에 하지 않게 되어 버렸다고 생각하고 있어. 지금의 아이들에게 있어서 전쟁이 보다 먼 것이 되어 있지 않을까 하는 감각이 있네요. 히라이 씨도 여러 학생을 가르쳐 와서 그런 감각이 있습니까?


“86년생 타카하시 씨의 세대에서도 아직 길가에 상사 군인 씨가 있었다고는 놀랐습니다. 여름에 전쟁물을 방송한다는 것은 8월 저널리즘이군요. 」라고 학생은 반드시 말하네요. 중국 전선에 할아버지가 갔으니까 「위안소도 들어보면 좋았다」라고 자주 말하네요.

――그것은 가르치고 외로운 마음을 기억하거나 합니까?

"전후 80 나이가 들고 있으니까요. 하지만, 왜 히로시마에 원폭이 떨어졌다는 것을 대학생 정도가 되어 생각하면, 히로시마가 근대 이후 군도에서 발전해 와, 닛신 전쟁 때는 대본영도 놓여져, 아시아 침략에 대해서 군인을 우품항에서 송출한 장소에서. 의 유학생이 많았는지, 강제적으로 노동자로 동원해 온 사람들도 있었다고 생각하면, 역시 근현대의 일본제국의 존재라든지가 히로시마를 통해 떠올라 왔다. 라든지 성업의 본연의 방법에 의해 전쟁의 피해자가 되기도 하고, 역사가 인과 관계와 연결되어 보여 온다.

――나, 기후의 출신이지만, 각 무하라에도 「위안소」가 있었다고 이 책에서 처음으로 알고. 왜 각무하라일까라고 생각하면, 저기 자위대의 기지가 있죠. 그러니까 원래 미군 기지가 있었을 것이다. 지금의 각 무하라에 미군 기지나 「위안소」의 냄새가 전혀 없어요. 그러니까 엄청 의외로.

"각 무하라는 흔적이 없는 느낌이군요. 후쿠와라든지 남아 있는데요. 지역에 따라 다르네요. .그렇게 『빵빵』의 사람들 모여 있었습니까, 근처에 살았는데 전혀 몰랐다고.

――지금도 『빵빵』이 계시고 그런 지역이라든가 있나요.

「가네쨩도 오이즈미학원까지 다리를 뻗었다고 말하고 있습니다만, 분명히, 아타미라고 말이지… 『빨강선』을 단속하고 있던 경찰의 사람에게도 말씀하셨습니다만, 『무카시 빵빵을 하고 있던 사람을 지금도 마을에서 보지만, 너에게는 말할 수 없구나』라고 말씀하셨으니까.

――이 전 경찰에게 대신 듣기를 부탁하는 것은 안 되나요.

"이제 죽었어. 이쪽에 인터뷰했을 때는 년이었기 때문에.그리고 『점령과 성』을 쓸 때에 맞지 않았던 것이 보건부씨입니다. 그러니까 보건부씨가, 미병의 증언을 의지해 여자 사람들을 찾아가면, 「빵빵」들이 싱글 마더였다든가, 심각한 성병이었다고 하는 것을 수기에 써 버렸습니다만, 그 분들이 정확히 죽어 버려, 직접 듣고 싶었는데 사이에

――시간과의 싸움이 아니지만.

「그렇네요. 아타미는 큰 불로 자료가 태워서 문서가 남아 있지 않으니까.

――히라이씨가 점령기의 일을 쓰는 가장 충동은 「좋은 점령은 없었다」라는 것을 전하기 위해서입니까. 아니면 역사에 묻힌 여성들의 목소리를 띄우기 때문입니까?

“둘 다 있습니다만, 남성 리더들에 의해서, 지켜야 할 양가의 자녀와, 내밀어도 좋은 여성으로 여성이 이분화되지 않습니까. 내무성 경보국의 비밀 문서도 영업에 충당하는 여성은 예창자라고 하고 있을 것입니다. 가부장제 의식을 여성도 내면화시켜, 이분화된 쪽의 양가의 자녀는 예창자들을 차별하는 거에요. 에 여자를 내도록(듯이) 강요되어, 「일반의 여성」이나 어머니가 꺼내려고 하는 것을 보지 않고, 성매매의 여성들이 「내가 갑니다」라고 말하는 것이 아닐까요. 그렇군요. 그 사람을 역사에 쓰지 않고는 없어요, 그게 있군요. 성들』의 2장을 썼을 때는… '일반 여성'을 보지 않고, 내가 가야 할 것 같은 것을 성매매 여성은 생각하는 것입니다. 그렇습니다만, 남성들은 불편한 역사이므로 잊고 싶다든가. 그래서 어디에도 그녀들의 목소리가 남지 않는다.

――『점령하의 여성들』의 서두에서도 쓰여진, 코로나연으로 성풍속의 사람에게는 급부금이 나오지 않는다고 하는 결정에 대해서도 히라이씨에게 있어서는.

「노동자로부터 제외하지 말고, 같은 생각이 있습니다. 계속 근대사 속에서 노동자들이 연대를 할 때, 성매매 여성이나 연예인의 사람들을 제외해 왔습니다. 할 수 있는 일이 있다.

――일본이 점령되어 RAA가 만들어진 것에 대해 몹시 화내고 있군요.

「RAA를 만든 사람은, 그 덕분에 그 성폭력 줄었다고 합니다만, 나는 반대로 늘어났다고 생각합니다. 전쟁에 승리하면 패전국의 여성을 싸게 살 수 있다.

――근대의 전쟁으로 패배한 나라가 점령을 받지 않았던 케이스는 있을까요.

"모두 점령되고 있네요. 군사점령 자체가 폭력성을 동반하죠. 점령이 있는 법도 국제적으로 룰을 할 수 있어야 한다. 유엔도 전승국 측이 상임이사국이기 때문에. 제2차 세계대전 후에 그런 일을 만들 수 없었다는 것은 우리의 민주

――히라이씨가 RA A에 반대라고는 알고 있습니다만, 하지만 일본이 점령을 받아들인 시점에서 배드엔드 확정이었던 것이 아닐까라고 생각하고 있어.

"일본에 페리가 왔을 때부터 당인 길을 내보내지 않겠습니까. 쌍으로 폭력적 행위, 특히 여성에 대한 성폭력은 엄격히 금지해 주었으면 한다, 라고 확인해 주었으면 한다고 생각합니다.

――근래, 개척단의 서바이버 여성이 소리를 내거나 라고 하는 것은, 사회가 바뀌어 가고 있는 증거인가요?

"죽기 전에 말하지 않고는 있을 수 없다는 생각도 있었을 것이며, 한국의 위안부 여성들이 발언하기 시작하고, 그 사람들이 그런 말을 한다면 우리도 같은 체험이지, 라는 인식을, 청취에 방문한 이노마타씨에게 말씀하신 것 같습니다. 하지만 그런 한국 서바이버의 명승도 등을 밀어 낸 것 같습니다.

―― 이야기를 듣고 있으면, 내가 가르쳐 온 교사의 이상함이라고 할까, 그러한 것을 재차 느끼네요. 당시는 인터넷도 없기 때문에 정답에 도착하지 않습니다.

「90년대의 위안부 문제의 때는 국내외입니다 대단한 논쟁이 되었던 것 같네요. 김학순씨의 이름 나오기 이후, 「위안부」부정파의 사람들로부터, 그 사람들은 매춘부라고 말해져, 말씀하신 분은 공창이 아니라고, 물건 논란 같아서 대단한 불모

――히라이씨의 저서는 여러가지 상을 수상되고 있습니다만, 이런 상은 외로운 작업에 대한, 고독을 되돌아 보는 것 같은 요소가 되거나 합니까?

"인정 받았다고 생각했습니다. 기뻤습니다. 하지만 좋다고 평가해 주셨습니다. 라고, 흔들리지 않는다. 그리고, “친밀한 교제”도 있다고 하는 성폭력에 그라데이션이 있는 것도 놓치지 않았다, 라고 말해졌습니다. 하지만, 자신은 이렇게 좋을까, 같은 것을 생각해 계속 왔습니다만, 지금은 원생들 속에 점령이나 성을 하는 학생이 늘어 왔습니다.

――이런 책에 대해 담당 편집씨는 어떤 서포트를 하는 것입니까.

「이번 이와나미 서점의 두 사람의 담당은 알고 있었으므로, 스스로 원고를 반입했습니다. 그것을 받고 대단히 고민했습니다. 이 문제는 지뢰를 밟는 것 같은 테마가 3 쭉 있어. 『위안부』도 『섹스・워크』도 『만주』도 들어 있기 때문에.

――네.

"히라이 미호 씨의 "소련 병사에게 보내진 딸들 ―증언・만슈 구로카와 개척단』의 책은 상을 받았습니다만, 실은 윤리 위반도 있었습니다.본인에게 허가 없이 실명을 내고 있었으므로, 대단한 문제가 되어. -이 강했어요. 개척단은 나의 책에도 들어가 있고.

―― 이와나미에서 기획이 다니지 않는 사이에, 다른 출판사에 가지고 가려고 생각하지 않았습니까?

「없었군요. 그래도 빨리 내주었으면 좋겠다고 생각했습니다. 그동안 다른 출판사로부터 2권 정도 RAA에 관한 신서가 나오고, 남성 쪽이 아무런 고통도 없이 쓰여지고 있는 생각이 들고… … 초조한 기분은 있었습니다」

――출판사 측의 인간으로부터 하면 정말 내기 어려운 테마의 책이군요. 그래서 정말 세상에 나와서 좋았다고 합니다. 마지막으로 하세화적인 질문일지도 모릅니다만, 「빵빵」쪽을 만날 수 있으면 무엇을 듣고 싶습니까?

「힘들었는지, 어떤 생각으로 빵빵 가업을 하고 있었는지 듣고 싶다. 아구리 씨는 밤의 별을 세어 참고 있었다고 말하고 있군요. 아구리 씨의 말 밖에 듣고 있지 않아, 사실은 어땠어?」

――그래도 아마 사람의 수만큼 대답이 있겠지요. 이것도 나의 이야기가 되어 버립니다만, 풍속을 하고 있는 여성에게 이야기를 들을 기회가 있네요. 남자친구에게서 「풍속양을 그만두고」라고 말하는 쪽이 기쁜 사람도 있고, 「풍속을 계속해 주었으면 한다」라고 말해지는 쪽이 기쁜 사람도 있어요. 그러니까 풍속양을 좋아하고 하고 있는 사람도 있으면, 그만두고 싶은 사람도 있다고 하는 것을 듣고 있어. 그러니까 아마, 아구리씨 같은 사람도 있으면, 즐겁다고 하는 사람도 괴로워하는 사람도 있을 것이다.

"그러나 그것은 남자 친구에 의존하거나 착취되고 있다는 것으로 결정권을 남자 친구에게 맡기고 있다는 것은 뿌리가 같다. 회수되지 않는 사람이 있어요 시즈오카 신문에 실려 있던 1950년대의 「밤의 여자」에의 인터뷰입니다만, 「이런 여자에게 누가 했다」라고 하는 노래가 당시, 유행하고 있었습니다. 는 이 일을 진지하게 하고 있다고 그 말도 네, 긍정적으로 받아들이고 싶습니다. 싶다. 지금 학회에서는, 섹스 워크론과, 성매매는 성폭력이라고 하는 사람들과 헤어져 깊은 대립이 있어, 그것은 슬픈 일이기 때문에 거기에 다리를 걸는 것 같은 실태적인 역사학을 하고 싶네요」

정보
히라이 카즈코
1955년 히로시마시 출생.
이치바시 대학 젠더 사회 과학 연구 센터 객원 연구원
전문은, 근현대 일본 여성사·젠더사(사회학 박사)

시즈오카현 동부의 중학교·고등학교의 사회과 교사를 거쳐 시즈오카 대학, 대처 여자 대학 등에서 비상근 강사. 이치바시 대학 주니어 펠로우를 거쳐 현직.
주저·공저서
혜천여학원대학 평화문화연구소 '점령과 성 정책·실태·표상' 임팩트 출판회, 2007
'일본 점령과 성 미군·매매춘과 일본 여성들”(야마가와 키쿠에이상 수상)유시사, 2014
우에노 치즈코·란신조·히라이 카즈코 “전쟁과 성폭력의 비교사를 향해” 이와나미 서점, 2018
“점령하의 여성들 일본과 만주의 성폭력·성매매·” 아오야마 나를 상 수상) 이와나미 서점, 2023 등.
"점령하의 여성들 일본과 만주의 성폭력·성매매·"친밀한 교제"'에도

「김짱」의 종이연극상
연회 나카리오 씨, 1941년생)가, 일기와 발군의 기억력을 바탕으로 그린 ​​「종이 연극」의 상연회가 2025년 6월 7일에 카미치 대학 요츠야 캠퍼스에서 행해집니다!

2025년 6월 7일
도쿄도 지요다구 기오이초 7-1 가미
치 대학 요츠야 캠퍼스 6호관 3층 305 교실
참가 무료 후일 동영상 전달 있음
https://kamishibai-kinchan0607.peatix.com/

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전쟁과 성폭력의 비교사 -가려진 피해자들의 역사를 말하다

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전쟁과 성폭력의 비교사 -가려진 피해자들의 역사를 말하다


2020. 8. 11. 16:23

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우에노 지즈코 · 아라라기 신조 · 히라이 가즈코 옮김 Ⅰ 서재길 옮김 Ⅰ 456쪽 Ⅰ 23,000원 Ⅰ 어문학사


책 소개

이 책은 전쟁과 성폭력의 비교사라는 관점에서 점령군 ‘위안부’와 일본군 ‘위안부’의 위치를 살핀다. 또한 전쟁 상황에서의 비대칭적인 권력관계 속에서 연애, 매춘, 강간을 연속적인 것으로 간주하고 이를 여성의 에이전시(agency)와 관련지어 논의한다. 『전쟁과 성폭력의 비교사』는 주의 깊은 공감적 청자(audience)가 위치하여 증언을 가능하게 하며 피해자의 에이전시에 대해서도 다루는, 인간과 인간이 만드는 복잡한 역사를 섬세하고 치밀하게 비교사의 관점에서 전쟁과 성폭력을 다룬다. 이 책은 ‘전쟁과 성폭력의 비교사’라는 시도로 전쟁과 성폭력 연구에 새로운 한 걸음을 내디딘다.

지은이 소개

_엮은이

우에노 지즈코(上野千鶴子)

1948년생으로 도쿄 대학 명예교수이다. 인정NPO법인 위민스액션네트워크(WAN) 이사장이며 전공은 사회학, 젠더 연구이다. 저서로는 『내셔널리즘과 젠더』(1998, 개정신판 2012), 『케어의 사회학―당사자주권의 복지사회로』(2011) 등이 있다.

아라라기 신조(蘭信三)

1954년생으로 조치上智 대학 총합글로벌학부 교수이다. 전공은 역사사회학, 전쟁사회학이다. 저서 및 논문으로는 『제국 이후의 사람의 이동―포스트콜로니얼리즘과 글로벌리즘의 교차점』(편저, 2013), 『구술사의 전개와 과제』(2015) 등이 있다.

히라이 가즈코(平井和子)

1955년생으로 히토쓰바시一橋 대학 사회학연구과 강사이다. 전공은 근현대여성사, 젠더사이다. 저서 및 논문으로는 『일본 점령과 젠더―미군・매춘부와 일본여성들』(2014), 『미군 점령하 일본에서의 젠더 정치학』(2016) 등이 있다.

_집필자

야마시타 영애(山下英愛) 분쿄文教 대학 문학부 교수

기노시타 나오코(木下直子) 특정비영리활동법인 사회이론・동태연구소 연구원

오카다 다이헤이(岡田泰平) 도쿄 대학 대학원 총합문화연구과 교수

챠조노 도시미(茶園敏美) 리쓰메이칸立命館 대학 산업사회학부 강사

이노마타 유스케(猪股祐介) 특정비영리활동법인 사회이론・동태연구소 연구원

히구치 게이코(樋口恵子) 도쿄 가정대학 여성미래연구소 소장, 동 대학 명예교수

히메오카 도시코(姫岡とし子) 도쿄 대학 대학원 인문사회계연구과 명예교수

나리타 류이치(成田龍一) 니혼日本 여자대학 인간학부 교수

사토 후미카(佐藤文香) 히토쓰바시 대학 대학원 사회학연구과 교수

_옮긴이

서재길

국민대 한국어문학부 교수이다. 전공은 한국 근대문학이다. 저서 및 역서로는 『조선 사람의 세계여행』(편저, 2011), 『사할린 잔류자들』(역서, 2019), 『대학이란 무엇인가』(역서, 2014) 등이 있다.

목차

들어가는 말 ― 전쟁과 성폭력의 비교사를 향하여

서장┃전쟁과 성폭력의 비교사의 관점 (우에노 지즈코)

머리말 ― ‘성폭력 연속체’

1. 성폭력의 이야기는 어떻게 가능한가

2. 전쟁이라는 문맥 아래

3. 구조적 폭력과 조선인 ‘위안부’의 위치

맺음말 ― ‘역사의 구멍’

제1부 ‘위안부’를 말하는 방식

제1장┃한국의 ‘위안부’ 증언 청취 작업의 역사: 기억과 재현을 둘러싼 노력 (야마시타 영애)

머리말

1. ‘위안부’ 문제의 진상규명을 요구하며 ― 증언집 1, 2

2. 생존자들과의 교류를 거듭하면서 ― 증언집 3

3. 증언과 구술사 사이에서 ― 증언집 4~6

맺음말

제2장┃‘강제연행’ 담론과 일본인 ‘위안부’의 불가시화 (기노시타 나오코)

머리말

1. ‘강제연행’ 담론 ― 일본의 가해를 고발하는 프레임

2. ‘위안부’ 문제의 담론 구성 ― 1990년대 초기 운동의 특징을 통해

맺음말

제3장┃일본군 ‘위안부’ 제도와 성폭력: 강제성과 합법성을 둘러싼 갈등 (오카다 다이헤이)

머리말

1. ‘위안부’ 강제성의 입증과정

2. ‘위안부’ 제도의 위법성을 둘러싸고

3. 지역 연구로의 전환

4. 불확실성과 사실 인정

맺음말

제4장┃병사와 남성성: ‘위안소’에 간 병사 / 가지 않은 병사 (히라이 가즈코)

머리말

1. 분석 대상과 방법

2. ‘위안소’를 만든 쪽의 계산=병사의 통제

3. 병사들에게 있어서 ‘위안소’ ― 왜 ‘위안소’에 갔던가

4. 병사는 ‘위안부’를 어떻게 바라보고 있었나

5. ‘위안소’에 가지 않았던 병사

6. 병사와 남성성

맺음말

제2부 이야기할 수 없는 기억

제5장┃섹스라고 하는 접촉지대: 일본 점령의 경험에서 (챠조노 도시미)

머리말

1. 점령군 위안시설 설치와 ‘방파제’로 선별된 여성들

2. 점령정책의 결과로서의 빵빵의 출현 ― 방파제에서 범죄자로

3. 본고의 분석개념과 분석방법에 대하여

4. 강간/매매춘/연애/결혼에 있어서의 생존전략

5. 성폭력 연속체로서의 강간/매매춘/연애/결혼

맺음말

제6장┃이야기를 꺼내기 시작한 성폭력 피해자: 만주 인양자의 희생자 담론을 독해하다 (이노마타 유스케)

머리말

1. 집단 자결

2. 소련군과의 ‘거래’

3. 전시 성폭력은 어떻게 이야기되기 시작했나

맺음말

제7장┃인양 여성의 ‘불법 임신’과 전후 일본의 ‘중절의 자유’ (히구치 게이코)

머리말

1. 인양 여성의 성피해

2. 일본 정부의 즉시 대응

3. 피해 여성과 지원자들

4. 전후 일본의 ‘중절의 자유’

맺음말

제8장┃나치 독일의 성폭력은 어떻게 불가시화되었나 (히메오카 도시코)

머리말

1. 종전 직후 ― 비교적 솔직하게 이야기되다

2. 동서분단부터 1980년대까지―성폭력의 터부화 및 불가시화의 진전

3. 1990년대 이후 ― 성폭력에 대한 주목

맺음말

제3부 역사학에 대한 도전

제9장┃성폭력과 일본 근대역사학: ‘만남’과 ‘만나지 못함’ (나리타 류이치)

머리말

1. 일본 근대역사학과 성/성폭력

2. 성폭력을 둘러싼 일본 근대역사학의 역사

3. 구술사와의 ‘만나지 못함’

4. ‘전회’를 둘러싸고

제10장┃전시 성폭력 피해를 듣는다는 것: 『황토 마을의 성폭력』을 단서로 (아라라기 신조)

머리말

1. 과제의 설정, 문제의 소재

2. 전시 성폭력/일본군 ‘위안부’ 문제와 증언

3. 전시 성폭력 피해를 듣는다는 것―이시다 요네코 등의 청취 실천

4. 이시다 팀의 청취 실천의 현재적 의의

맺음말

제11장┃전쟁과 성폭력: 이야기의 정통성을 둘러싸고 (사토 후미카)

머리말

1. 구축된 성폭력 이야기

2. 전시의 성적 관계의 연속성

맺음말 ― 성폭력 연속체 가운데에서

후기

한국어판 후기

역자 후기

참고문헌

출판사 서평

이 책은 전쟁과 성폭력의 비교사라는 관점에서 점령군 ‘위안부’와 일본군 ‘위안부’의 위치를 살핀다. 또한 전쟁 상황에서의 비대칭적인 권력관계 속에서 연애, 매춘, 강간을 연속적인 것으로 간주하고 이를 여성의 에이전시와 관련지어 논의한다. 전쟁과 성폭력에 관한 연구는 1991년 일본군 ‘위안부’였던 김학순 할머니가 실명을 밝히면서 일본 정부를 상대로 손해배상을 청구하는 재판을 제소함으로서 시작되었다. 이로써 1991년부터 전시 성폭력은 역사학에서 다루는 대상으로 인식되었다.

세계 각지로 전시 성폭력 실태 연구가 진전되었으나, 전쟁과 성폭력 연구는 기억과 증언이라는 어려움이 있다. 성폭력은 가해자와 피해자 사이에 경험이 비대칭적이며, 가해자도 피해자도 기록을 사실로서 남기는 경우가 드물다. 『전쟁과 성폭력의 비교사』는 증언이 억압되어 침묵함으로써 가해 사실이 면책되지 않도록 비교사의 관점에서 기억과 증언을 다룬다.

“성폭력 피해의 이야기는 어떻게 가능해지는가.

증언을 가능하게 하는 조건은 어떠하며, 무엇이 이야기되고 무엇이 이야기되지 못하는가.

여기에 이야기를 듣는 이는 어떻게 관여하며 이야기는 어떻게 다루어져야 하는가.”

라는 물음을 던지며 한 권의 책으로 묶었다.

『전쟁과 성폭력의 비교사』는 아래의 세 가지 분야에 대해 정면으로 마주한다. 첫 번째로는 전쟁에 수반되는 성폭력에 대해서 “통제가 불가능한 전시하에서 일어나는 병사의 일탈 행위”가 아닌 강간이 전쟁에 수반되었음을 말한다. 두 번째로는 기억 속에서 말할 수 있는 경험과 끝내 말할 수 없는 경험으로서의 ‘선택적 망각’ 속에서 다음 세대로 국민적 기억을 어떻게 계승할 것인가 하는 과제에 직면한다. 세 번째로 비대칭적인 성 규범에 대해 묻는다. 가부장적 젠더 규범에서는 피해자가 ‘빈틈을 주었다’고 책망을 당하고 ‘유혹자’로 구축되어 도리어 ‘수치’를 의식하게 되기에 피해자가 침묵함으로써 역사적 사실로 기록되지 못한다.

『전쟁과 성폭력의 비교사』는 주의 깊은 공감적 청자(audience)가 위치하여 증언을 가능하게 하며 피해자의 에이전시(agency)에 대해서도 다루는, 인간과 인간이 만드는 복잡한 역사를 섬세하고 치밀하게 비교사의 관점에서 전쟁과 성폭력을 다룬다. 이 책은 제3부로 나눠진다. 제1부「‘위안부’를 이야기하는 방법」에서는 증언과 기억에 관련된 문제를 다루며 제2부 「이야기할 수 없는 기억」에서는 무엇이 이야기를 억압하고 있는 것인가 하는 그 이면을 드러낸다. 제3부 「역사학에 대한 도전」에서는 방법론적 과제와 정면으로 마주한다. 이 책은 ‘전쟁과 성폭력의 비교사’라는 시도로 전쟁과 성폭력 연구에 새로운 한 걸음을 내딛는다.