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2025-10-28

그녀의 진정한 이름은 무엇인가 | 우리 시대의 주변 횡단 총서 7 | 오카 마리 | 알라딘

그녀의 진정한 이름은 무엇인가 | 우리 시대의 주변 횡단 총서 7 | 오카 마리 | 알라딘


그녀의 진정한 이름은 무엇인가 | 우리 시대의 주변 횡단 총서 7
오카 마리 (지은이),이재봉,사이키 가쓰히로 (옮긴이)현암사2016-06-30
원제 : 彼女の「正しい」名前とは何か―第三世界フェミニズムの思想 (2000년)





Sales Point : 299

8.5 100자평(2)리뷰(2)

절판 판권 소멸 등으로 더 이상 제작, 유통 계획이 없습니다.



책소개
우리시대의 주변/횡단 총서 7권. 

여성 할례부터 '위안부'까지 서양 페미니즘의 차별적 시선을 폭로하는 책이다. 
소말리아나 아프리카에 대해, 그곳에서 살아가는 사람들에 대해, 그녀들이 무엇에 기뻐하고 슬퍼하고 괴로워하는지 우리는 얼마만큼이나 알고 있을까? 사실 우리는 아무것도 모른다. 이처럼 무지하면서 그 무지마저 망각한 채 '보편적 정의'라는 권위적 단어로 그녀들을 이끌고 해방시켜야 한다고 생각한다.

저자는 서양 페미니즘의 뒷면에 숨어 있는 이문화에 대한 차별 의식을 꼬집고, 같은 여성이라는 이유만으로 그녀를 대변할 수 있다고 생각하는 무신경함과 폭력성을 날카롭게 응시한다. 그리고 발화의 기회마저 박탈당한, 말과 이름을 빼앗긴 그녀들에게 진정으로 이르는 길을 조심스레 탐구한다. 그녀들의 한숨 같은 작은 소리에도 예민하게 응답할 수 있기를, 그래서 진정한 '자매애'에 이를 수 있기를 바라는 책이다.


목차


서장|그녀의 ‘진정한’ 이름은 무엇인가
서장 부기|타자의 ‘이름’을 부른다는 것

1부|‘제3세계 페미니즘’이란 무엇인가
1장|‘제3세계’와 ‘서양 페미니즘’
2장|커버링 우먼 혹은 여성 보도
3장|‘여성 할례’라는 함정, 혹은 프라이데이의 입
1부 부기|문화라는 저항, 혹은 저항이라는 문화

2부|발화 위치의 정치학
4장|‘문화’를 말하는 사람의 위치
5장|‘글로벌 페미니즘’의 무지
6장|옮겨진 여성들: 제3세계 여성의 에크리튀르
2부 부기|위치성

3부|책임=응답 가능성
7장|게의 텅 빈 눈빛 혹은 프라이데이의 선회
8장|목격-증인 되기: 사건의 분유와 ‘공감’의 정치학
9장|굴러가는 호박, 혹은 응답한다는 것
3부 부기|‘사건’의 공진

종장|‘타자’의 존재를 떠올린다는 것

후기
참고문헌

옮긴이 후기
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特別対談『ガザ地区で今起きていることと、私たちにできること』(『ガザとは何か』著者 岡真理×哲学者 永井玲衣)




特別対談『ガザ地区で今起きていることと、私たちにできること』
『ガザとは何か』著者 岡真理×哲学者 永井玲衣

オーディオブック配信audiobook.jp
23K subscribers
7,484 views  Jul 5, 2024
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<『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』オーディオブック化>
パレスチナ問題に長年携わる岡真理・早稲田大学教授による「パレスチナ問題の本質」についての緊急セミナーを書籍化。2023年10月7日に始まる、イスラエルによるガザに対するジェノサイド攻撃を受けて開催された講演を基に、歴史的文脈や現状の論点を平易かつ力強く解説。単なる解説にとどまらず、私たちの学びと行動の指針を提示する「いま、最初に手に取るべき」一冊。現在のガザ情勢を踏まえ、より多くの人々に届けるためオーディオブック化も実現。

オーディオブック版▼
https://audiobook.jp/product/270116

<特別対談:著者 岡真理×哲学者 永井玲衣>
オーディオブック化に際し、audiobook.jp配信のオーディオブック『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』の巻末にて公開。また、7月5日〜9月31日までaudiobook.jpのYouTubeチャンネルでも期間限定で無料公開いたします。

直近のガザの状況/ことの重大性に見合った報道がされていないというメディアへの問題提起/「超越的な立場」で俯瞰する姿勢をとり、「戦争反対」と言えない社会の問題/「スーパーマン症候群」に陥らず、今自分ができることから行動に移す重要性/「人間性」の側に立つということ

■岡真理プロフィール
1960年生まれ。東京外国語大学大学院修士課程修了。在モロッコ日本国大使館専門調査員、大阪女子大学人文社会学部講師、京都大学大学院人間・環境学研究科教授等を経て、早稲田大学文学学術院教授。専攻は現代アラブ文学・第三世界フェミニズム思想。

■永井玲衣プロフィール
人びとと考えあう場である哲学対話を行っている。エッセイの連載のほか、政治や社会についておずおずとでも語り出してみる場「おずおずダイアログ」、せんそうについて表現を通し対話する、写真家・八木咲とのユニット「せんそうってプロジェクト」、Gotch主催のムーブメントD2021などでも活動。著書に『水中の哲学者たち』(晶文社)。第17回「わたくし、つまりNobody賞」受賞。詩と植物園と念入りな散歩が好き。
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ガザとは 何かパレスチナを知るための緊急
講義オーディオBOOKJP特別 対談著者岡
ま哲学者長井
例今回はオーディオブックJP特別編と いうことでえガとは何かの著者様そして
特別企画として哲学者の長井レ様にお越し いただきましたよろしくお願いいたします えガとは何か著者のりですよろしくお願い
します哲学者の長井ですよろしくお願いし ますそしてえ僕は今回進行させていただき
ますオートバンクの山田と申します岡さん の著書であるガとは何かなんですけども あの帯に長井さんがコメントを寄せてらし
てご感想とかお聞してもいいですかはい あの本当に素晴らしい本であの今多くの人
が求めていることがここにまとまって書か れているなっていうのをまず思ったんです よねであの今まさに何が起こっていて何が
起きてきたかっていったことをあの極めて こう分かりやすく書かれているだけじゃ
なくってそのま元々公園が元でっていう ことだと思うんですけれどもその岡さんの
ま怒りだったり悲しみだったりとかそう いったものがこう滲み出るようなヒッチで
描かれているのもすごく印象的でしたで 私たちが今どのの地点からこの問題を見る
べきなのかっていったところの提示と そして何をすべきなのかといったところが 明らかになっているのにも勇気づけられる
すごく大事な本だと感じましたあ ありがとうございます今回対談という形で
お2人にお話をしていただきたいと思うん ですけどもあの今今日は6月20日でまだ
とガ地区の紛争は続いていてと日々 ものすごい大量の情報が流れてくるじゃ
ないですか直近だと僕は知ってるとこでは また支援車両が攻撃されたとかアメリカが
提示した低正案がまだ合意に至っていなく てどっちが反対してるのかもよくわから
ない結構状況は混沌としているので先生に こういった状況今どうなってるのかって
いうのをお話いただきたいというのと今回 の紛争って長井さんみたいな哲学というか
人の頭の中を専門にされている方にこう 話していただきたいテーマもたくさんある
んですよね例えばこの紛争どうやって見る べきなのかとか何を考えるべきなのかとか
そういうことも合わせてあのテーマとして 設定しておりますのでお二方に話して いただければと思いますえっとまずなん
ですけども今日6月20日の木曜日時点で えっとガ地区でどんなことになってるの
かっていうことについて岡先生にまずお話 をいただければと思っておりますはい昨年
の10月7日にイスラエルによるえマガに 対するま攻撃が始まってでもう今日で8
ヶ月と2週間8ヶ月半になりますで今ま
日々大量の情報があるという風に おっしゃったんですけれど もあの日本語で情報に触れてる限り私は
そのガザで起きていることのその重大さに 見合った質や量の報道がなされているとは
全く思えないんですねで今あのその8ヶ月 半のそのガの状況買つまんでご紹介いたし
ますとあのガザの保健所の発表によればあ まその遺体が確認されてえその死者が確認
されているものたちだけで
3万7千円それから負傷者は85523人
ですからもう あれ支障者だけでですねえま10数人
123人というようなあもうガザのガザの 人口って230万人ですからもうその5%
にあたるものたちが支障しているという ことになりますでえ育不明者がもう
1万1000全人いるんですねでこの行方 不明さというのはあのまイスラエル軍に
拉致されてイスラエルのま刑務省に 連れ去られたままあ消息不明のものたちも
含まれているんですが大半は攻撃されて 破壊されえ瓦礫となってしまったそこに
まだ遺体が埋まっていてえその遺体があ 収容されていない人たちですだからもう
実際には亡くなった人たちというのはもう 4万えま7000人を超える5万人近くに
え迫っているということになりますしかも ガザではあの若年人口がすごく多くてえ4
割が14歳以下の子供たちなんですねと いうことはもうあのもう1万数千人のその
子供たちが亡くなっているということに なりますさらに1万人以上が腕や足の切断
を余儀なくされていてあの1000人以上 の子供たちがあその腕や足をこれまでも
切断されているとえで1月7日の時点です けれどもCNNが発表したところでは毎日
10人以上の子供が片足か両足を失って いるね家族全員を殺されてでしかもあの
両足と片腕を失ってしまったというような 子供のえ報道もありますでさらにですね
あのええ住宅のもう半分ですねガの建物の
半分が全開に見舞われているえそしてえ イスラエルはえ大量に人を殺していると
いうだけではなくそのガザの歴史とかその
ガザという土地でえその何百年もあるいは あ1000年以上もそのパレスチナ人が
その土地に根ざして生きてきたというそう した歴史の記録であるとかあるいは記憶を
証言するえそのような場あつまりえその 中世から続くモスクであるとか教会である
とかあるいは博物館やあ図書館であるとか そういったあの記憶の場そのものを
ターゲットにして破壊することによって ですねパレスチナ人が自分たちはこの土地
にねざして生きてきたこの土地に対して 権利を持つパレスチナ人というそういう
歴史的存在なんだえそういう政治的え主体 性を持った存在なのだというその基盤自体
をま破壊していますですからそういった あの今本当にあのえ英語やアラビア語で
日々あの報道される伝えられてくる ニュースに接しているものとしてはあの
日本の主流メディアの記事報道というのは 全然その本質とかあの出来事の重大さに
見合った内容を伝えていないようにあの 思いますありがとうございますえっと今 報道の日本の報道の話があったんですけど
岡さんがおっしゃったように民間人の犠牲 者が増えているとそれってこちらからし
たらすごく分かりやすいじゃないですか 民間人が犠牲になっていてだからそれは イスラエルがひどいっていう風なそれは
すごく分かりやすいんですけどではこの 紛争の構図はどうなってるのかって言うと それはもうよくわかんないんですね多くの
日本人にとってでなんかそういう イスラエルが悪いっていう人もいるしま
ハマに原因があるって人も色々いる中で どんな風にこのガ式関連のニュースに
触れればいいのかっていうところについて あのちょっとお二方にお話をいただければ と思うんですけどもどんな風に意識して
触れてますかガ関連の報道ってそうですね やっぱりただその多くの人が分からないっ
ていう状況があると同時にあのこの岡さん の本のだったりとかそういったあのおかげ
でですねあのま市民がこう一斉にこう学習 し始めたっていったところもあると思うん
ですよねで私自身もこのガザとは何かを手 にてこうあまりに自分が無邪気にえ
あるいはむもうなんて言うんですかね 脳天気にと言ってもいいと思うんです けれども無責任に物事を俯瞰してみていた
かっていうことをま思い知ったわけですで ま多くあるその言説としてま10月7日
っていうものを起点としてハマスという テロ集団がテロを行いましたでなんだか
分からないけれどもどっちもどっちだよ ねっていうような見方っていうのが非常に 圧倒的だったわけですけれどもそうでは
ないとというまこうするような仕方で言葉 がどんどんどんどん今現れてきていると
思いますもちろんまだまだ足りないです けれどもそこはもっとメディアだったり 出版まだからこのあの大和書房さんはあの
すぐにこう出版されたのは私は本当に大事 なことだったなと思うんですけれどもあの こういった積み重ねがもっともっとなけれ
ばいけないと思いますしその際大事なのは やっぱりどこを起点に見るかっていう1つ の態度だと思うんですけどもこの点につい
ては是非こう岡さんにどの起点から見 るっていうことが大事なのかっていうのは 伺いなと思いますはいありがとうござい
ますあの日本の主流メディア新聞テレビ などの報道の問題点というのはその今起き
ているまさにジェノサイドの実態をその ジェノサイドであるということをしっかり
伝えていないという非常にその散発的断片 的なものであるということと同時に今長井
さんがおっしゃったようにえあの一体この 問題が何から生じているのかというこの
問題の本質は何なのかというえそこの ところをむしろあえて語ろうとしない
語ろうとしないところかあのその10月7 日のハマースによる鍵格好そのテロが起点
となっているというような語りをすること によって歴史的文脈を消し去ってしまって
いるという問題点がすごくあると思うん ですねですからあの新聞テレビの散発的
報道に触れるだけではガで起きていること の実際もですねそして問題の本質も知る
ことができないえできないどころか逆に 本質からこう理したうんえ非常に誤った
解釈をこう擦り込まれてしまう恐れがある でその誤った解釈というのがあそのハマス
のテロによってえでイスラエルがそのテロ に対する自衛の戦争としてこれをガザに
対する攻撃を行っていてでも自衛にしては それはやりすぎじゃないかということでえ
定戦即事生鮮を求める声があるというよう な部分もあの指摘できると思うんですえ
しかしですね日本の報道っっていうのは 10月7日のはか以前からそのガザ地区に
ついてえ言及する時にえそのイスラム組織 ハマスが実行支配するガザ地区でとか
あるいはハマスに言及する時はガザを実行 支配するイスラム組織ハマスがというよう
な言い方をしていてあかもそのハマスがあ isそのイスラム国を名乗るまあの武装
集団ですねえのようにそのミに反してえ ガザ地区を暴力によって制圧してえ統治し
ていてでそれがすごくその何かこう イスラム組織という言葉だけでえ反ユダヤ
主義であるかのようにでそのユダヤ人憎の ありイスラエルをに対してテロ攻撃をした
かのようなま設を振りまいていると思うん ですけれども実際はそうではなくてあの
むしろえそのイスラエルという国がえ 1948年にパレスチナを民族浄化すると
いう形そういう暴力の上に建国されたとで ですからあのガザにいる230万の住民
たちの7割が この時その元々住んでいた家や村を追われ
て難民となってガザにやってきた者たちと その子孫であるということやあですから
そのイスラエルという国家がそのま アメリカやカナダやオーストラリアや
ニュージーランドやあるいはあの満州国と 同じような入植者による植民地主義の国で
あるという歴史的な事実それから1967 年にこのガザ地区を軍事占領して以来その
占領が今に至るまで続いているそして 2007年にはあこのガザ地区をその完全
封鎖してでえそのガザに対してですね食料 であるとか医薬品であるとか燃料であると
かもうそうしたライフラインも初めとして 人間の出入りだけでなくその物資のえ画材
へのその搬入搬出というものをえ制限して きただえでこの10月7日の出来事が
起きるまでガザ地区というのは世界最大の 野外韓国であると言われていたそういう
そのそうした暴力積年のイスラエルによる 暴力でしかもあの封鎖されたガザに対して
この間10月7日以前に4度の大規模な その軍事攻撃というのがあってそのたびに
え戦争犯罪や人道に対する罪というものが もう重ねられてきたにも関わらずそれが人
たも国際法によってあるいはあの正しく 国際社会によってさかれてきたことが
なかったというその集積の果てにですねえ 10月7日のハマス主導によるガザの戦闘
員たちによるイスラエルへのま影響奇襲 攻撃があったという事実だからやっぱり
世界がこの間ずっとですねこのえ イスラエル建国から数えれば76年ガザの
ガザや星眼の占領から数えればもう間も なく60年になろうとしているえそして
違法長座の封鎖だけでも10月7日の時点 ではもうえ17年目に入ろうとしていた
それを世界がずっと放置してきたわけです からやはりあのその10月7日のその
ハマスその他によるその攻撃が起きたと いうそのことに対してもですねあのもう
私たち自身国際社会が私は大きな責任を
追っているという風に思います うんそうですよねそのニュースなどを見て
いるとま例えばそのイスラエルはこういう 決断をしましたイスラエルはこういう動き がありますでまパレスチナのことは描かれ
ないだったりとかあるいはそのパレスチナ でこんなことがありましたで何人死亡し
ましたというようなじゃ誰がその爆弾を 振らせたのかなぜ振らせているのかって いったところは切り取られた上でお母さん
がおっしゃったように断片的散発的まだ からこそそのニュースを見た時にまよく
あの知人が言ってるんですけれどもこう すごくこう漠然とした瓦礫みたいな印象は
あってもそこでどのように殺されているの かとかどんな虐殺がそこにあるのかって
いうのはま覆い隠されているしなんだっ たら見たくない辛いっていう風に距離を
取ってしまうまそういったニュースのあり 方がすごく増えているなというのは思い ますねそうですね私あのいつもその出勤の
電車の中でえあのパレスチナ情報サイトの その英語のん記事をあのチェックしている
んですけれどもであの今日も来る途中にえ
最新の記事の中でえそのもガザの子供たち があのそのイスラエルは木が上ですね上を
あのその戦争遂行の武器と利用していてで もうそのガの人たちの住民の半数がその
壊滅的祈願に品しているという中で その子供たちのがいかにその上栄養出張に
よってどういう状況に置かれているかと いう非常にあの詳しい具体的な記事を読ん
でも電車の中であの本当に涙出てきて しまって全然写真なんかないんですよ
うんうんうんうんただ本当その具体的なあ 状況が客観的に書かれているだけなんだ
けれどもあのすごくねガザって病気の人 たちが多いんですねうんでそれはそもそも
あの10月7日以前のその16年17年 続く完全封鎖の中でもう十分な栄養を取る
ことができないでいる6割の人たちが十分 な食料が取れないそういう食料難の状況に
置かれていて世帯の8割が国連などの国際 機関による小麦子だとか里だとかそういっ
た物資の配給によって過して命を支えてい たというのが10月うん以前の状況なん
ですでしかもその封鎖が続く中で下水処理 施設などが破壊されてもその建築資材も
入ってこないですし再建することができ なくてあるいは稼働させるための燃料も なくてということでもうその200万以上
の人口のその生活排水があそのずっとその
まま下水処理されないままあそのガの川
にんですねえ排水されていてでそれが地下 水を汚染してなのでもうそのガザの水道水
の95%が飲料に適さないとうんだけどお
もう8割が国連の国連その他の国際機関の 援助がなければ食いつげないというような
貧困状況ですでそういう中で体に悪いと 分かっていてもそういう水を飲むしかない
だからあの もうそのさんによるそもそもおそれによっ
て経済が破壊されてしまってえ失業率が 47で収入がないでえそして
あの食べるものもないで水も汚染されてい てでもその水を飲むしかないというそうし
たものが複合的に絡まりあってもうすでに あのガザの人たちの健康があの蝕まれてい
てでですからあのお腹に赤ちゃんのいる お母さん自うんがその妊娠期間中に十分な
栄養を取ることができないのでもうすでに 赤ん坊が生まれてきた時点でいろんな問題
を抱えているでその子たちが今この10月 7日以降のもうあのその食料ももう本当に
あのもう入ってこないという状況の中でえ 上に見舞われていて病気でその特別なその
例えばあのお母さん母乳が出ないえでも そのその子はあえその牛乳に対して
アレルギーがあるから粉ミルクしか飲め ないでもその粉ミルクがもう手に入らない
というような状況の中でえもうあの どんどんその体が悪化していってこの攻撃
のさ中に生まれて7ヶ月でもう骸骨のよう に痩せ細って体重7kmになってなくなっ
たというようなあの記事を今日読みました うんはいあのだからま最初の話にあの戻り
ますけれどもやっぱりそういう実態が今 あの英語だとそしてあのインターネット上
にはそういう記事があのたくさんあるにも 関わらずもう日本語ではあの私はほとんど
報じられていないというような気がします うんうんうんいやもうそういった実態を
もう聞けば聞くほどこう言葉を失っていく んですけれどもそのやはりこういったお話
を聞くとにもう手渡されてくるわけですよ ねそれをちゃんとこう受け取りたいと思っ
た時に私がすごく恐れるのはこういった 大きな暴力というのを前にした時に人は
すごくこう超越的な立場から物事をこう まるでスポーツ感染をしたりだとかゲーム
の駒をこう操作するようにあこれはこう いう風にしたらいいんじゃないとかこれは こうじゃんとかこれは何人でこっちは何人
でとかいう風にすごくなんでしょうねま それは1つの防衛反応なのかももしれない
ですけれどもただの数としてしか見なく なるでこれはこの危険性っていうことは
あの岡さんもすごく何度も言葉を重ね てらっしゃると思うんですけれども私も 同様にそれを恐れるんですよねまるで自分
が関係なくて外から何かを見ているような 感覚でもそのパレスチナの人たちには
1人1人の性があって言葉があってって いったところをから目を離さないっていっ
たところもすごく大事だなっていうのも 思いますねうんうんあのまどうしても日本
のあの報道の批判になってしまうんです けれどもあの結局今長井さんがおっしゃっ
たその超越的なあの認識あるいはその俯瞰 するような視点やっぱりあのそういう見方
を促すような報道だと思うんですつまり ガザで起きていることそれは中東イスラム
世界私たちからは遠いところで起きている んだというような形でのであのこれ非常に
特徴的だなと思ったのは2月29日の報道 あのまこれどこの報道番組もそうであった
と思うんですけれどもあのもう冒頭から 延々大谷翔平選手の結婚話だったんですよ
ねもうそれをあの20分以上やってで じゃあ次はと思ったらやっぱり次もなんか
別のゴルフ選手かなんかの話題ででそして スポーツででその番組終了間際に今日ガで
はえ死者が3万人を超えましたうんと一言 言ってでキャスターの方がいや世界では
色々なことが起こっていますねはいそれで は皆さんさよならまた明日みたいな感じで 番組が終わってでこれってうんあ私そんな
形であの伝えるんだったらむしろあの何も 言わない方がいいと思うんですねで翌日
しっかりとそのことをやるうんこの番組の 終了間にただ一言そうやって語ってって
いうのはそのガにおけノのその最新局面を
伝えたのではなくってガで死者が3万人 超えたことよりも私たちにとって大切なの
はあるいは私たちにがもっと関心を持つ べきなのは1スポーツ選手のその
プライベートな話そっちの方が私たちには 大切なんだということをメタメッセージと
して伝えていると思うんですうんだから あのそういう形であのこれえっと
え10月の末の時点だったかなあの グテレス国連事務総長がガザの悪夢はあ
その人道危機以上のものだとこれはあその ヒューマニティもう人類そのものの危機で
あるということを言っていてでそれはあの 日本の報道番組も伝えているんですけれど
もでもこれってあの人道危機であればねえ
中東のパレスチナのガ地区で今人道危機が 起き来ているということだけれどもうんで
も人類そのものの危機だっていうのはもう これはこのその起きてるのはガザかもしれ
ないけれどもそれはこの地上に生きてる者 たち全員に関わる危機であってでそれに
対してもうこの地上に生きる私たち 1人1人が応答する責務を負っているそう
いう危機だっていうことを訴えているわけ ですよねうんうんでも結局そのゼノサイド
がジェノサイドであるということを しっかり報じていなくてえそしてえその
具定列国連事務総長の言葉だけを今日事務 総長がこんなことを言いましたで結局それ
で聞き流されてしまうだからなんか伝えて いるようでその伝え方を通してですねでも
あのとルデレ事務総長は言ってるけれども までもあの関心のある人は関心を向けて
ください程度の話にんになってしまうとで そうした中でもですねだからむしろあのま
いろんなところであのこの間え我山につい てお話しさせていただいていて感じるのは
あの報道が今申し上げたようなあの非常に 不十分なもので場合によってはむしろその
本質を隠蔽しえ私たちがそれに真剣に 向き合うことをむしろ阻害するようなもの
であるにも関わらずですねあのむしろ多く の方がガザにあの関心を寄せてくださって
いるっていうことの方をあのすごく強く 感じますそしてあの本当に
えその自分にできること ををそれなりに皆さんそれぞれにやって
くださっていてあるいはあのも本当にその 心が痛んでとにかく何をしたらいいのか
それを知りたいというような思いの方とか あのそうした方たちが本当に全国に大勢
いらっしゃるんだっていうことをあの この間痛感していますうんうんありがとう ございますえっと次のテーマに行こうかと
思うんですけどもガ地区の紛争でもそうな んですけどウクライナの戦争でも同じこと
が起きていてそれ何かというとどっちも どっちみたいな風潮が出てくるんですよ
こうなぜそんな風になるのかっていうと 報道の問題もあると思うんですけどなんか その他の理由って何か心当たるってあり
ますかどっちも悪いそれがなぜか中立よう に思というそうですねま私は
あの全国いろんな場所で人々と対話する場 を開くということをしていてでそこであの
まあの色々な問を真ん中に置いてあの人々 と聞きあって考え合うということをするん
ですけれどもあのこれまではどんなにこう 安心できる場所を作ったとしても政治的な
問というのは出ないんですよねうんここに すごく限界も感じているんです
あのみんな皆さんここに参加するとすごく 安心できて本音で話せるとか普段言えない
ことま言えないっていうのはすごくそう いうなんでしょう押し込められた差別的な こととかではなくってあの言っちゃいけ
ないんじゃないかっていう風に隠していた ようなこともゆっくり語り出せるで聞いて もらえるっていう風にあの応答して
くださるんですけどもそれでもやはり政治 的な問いというのは出ませんでそれは
やっぱりどっちもどっちだっていうような 立場っていうのは自分はま政治的っていう のはこうある種の対立が生じていることを
政治的と言うと思いますけれどもその どちらにも組みしたくないっていうような
自分はさっきの話かもしれませんが超越的 な立場から物事を俯瞰していたい参加して
いたくないていうようなまある種の不安だ と私は思うんですけれどもだと思うんです
よねでそれはまあの色々な角度から見て みることも可能かと思っていてあダメじゃ
ないかそんなんみたいな風にあの 怒るっていうこともありると思いますし
ただ同時にその不安って何なのかっていっ たところがすごく私は気になるんですね
なぜ参加したくない参加が怖いと思って しまうのかである時ま今回はこう戦争と
言い方私はしませんけれども紛争と言い方 も私はしませんけれどもこのある他の場所
である方が自分は戦争反対なんて言葉も なんか言っちゃいけない気がするっていう
風に言っていた人がいてもうそんなこと さえも何かに反対するて自分の立場を表明
することで何かしらの方向に立つことです よねそれさえも表現できないという風に
思わせているのだとしたらじゃそれは どんな社会なんだろうっていったことが すごく気になって探し回っている過程だな
という風には思っていますまただ一方で さっきあの岡さんが声あげる人がすごく
多くなってきたっていうのは私もすごく 感じていて先ほど政治的な問が立ちづらい とは言いましたけれども私がパレスティナ
関連の発信をしているっていうもあるかも しれませんがパレスチナ関連の問いは出て くるようになったんですよねそれはすごく
大きな驚きでしたうん うんうん
あのま先ほどそのま歴史の話しました けれどもやっぱり歴史的な認識というもの
がかけているっていうことが1つあると 思いますそのしっかりとですねえそのこの
問題が何どこに期限があるのかというその 歴史的な背景を知ったならばあそのどっち
もどっちというような話にはならないと いう風に思うんですねでもう1つあのま
この間 え感じているのはその日本の人たって
かわいそうな人に対する気の毒だと思う かわいそうだと思う何かしてあげたいと
いうそういう同情心っていうのはすごく あるだけれどもその不正義にに対して怒
るっていううのがものすごく希薄なような 気がするんですでそれって先ほど長井さん
がおっしゃったこととすごく重なるんです けれどもうんあのそのかわいそうな人に
対する道場心っていうのはまそこ距離が あるわけですよねでもあの不正義に対する
怒りってその自分にはこんなことは絶対 起きてはいけないとでそれが多にの身に
起きている時にあの何ピであってもこんな 目に会うっていうことはいけないんだと
いうそうそういうむしろ怒りですよねで あのそうしたその不正義に対して私たちは
怒らなくてはいけないんだ声をあげなくて はいけないんだその不正義に対して声を あけないでいるっていうことはそれは
むしろその不正義に加担することになるん だというようなそうしたうんなんでしょう
ねというものが あそれこそ教育を通じてこう社会的にえ
むしろ共有されていないじゃないかという ような気がすごくしますうんうんうんうん
あのどっちもどっちとかあとよく聞くのは しょうがないっていう言葉もまよく聞く 言葉ででやはりどちらも距離を取るという
ような言葉遣いだと思うんですよねでそれ とこう退的になっているのが行動参加連帯
あるいうんはま自分の言葉あの自分がの 活動に照らせば対話だと思うんですで
先ほど言葉を失うような実態だっていう風 にお話ししたんですけれども私はあの作家
もしていて言葉を書く仕事をしてます けれどもあのこの実態を目にしてから本当
に書けなくなったんですよねあの連載が もうどんどん止まってしまってでこのこと
について書かなければいけないのにもう 書くことができない でもそこにま仲間たちがそれにでももがき
ながらやはり言葉を探すことが重要だと いう風にも言ってもらえてなんとか紡げて いるところもありますでそこで思うのは
こういったところに言葉を失ってそれでも さらにもくためにはやはり人々と一緒に
何かを試み続けること言葉を探し続ける ことだと思うんですよねぱ1人だけだと
しょうがないよねとかまどっちもどっちだ よねって言ってこう見ないふりをして市場 に戻っていくということがありえます
けれどもこ れって何が起きてるのとかこ
れってこの虐殺ってどういう体験なのかと かそういったどこから自分たちはどこに
立ってこれを見ればいいのかっていう問い がそこにあった時に問いというのは私は
あの他者をきあの切望するものだと思うん です分からないとか言葉を失うっていうの
はア然とすることでもありますけれども 分からないから一緒に探そうっていう風に
に他者を望するものだと思っていてから こそこう多くの人が声を上げていくあげ方
は本当に対応だと思いますけれどもそこに こう巻き込まれて巻き込んでいくっていう
ことをすごく重視したいなって思いますね うんどっちもどっちってよくよく考えると
中立でも公平でもなんでもなくて単に思考 停止をしてるだけだろうと僕は思っている んですけどもこの思考停止からこう我々
いかに抜け出すかっていうことについて ちょっとお話を伺ってもよろしいでしょう かそれはしたようなやはり対話の力だと
思います対話っていうのはあのもちろん 何か話し合うというような意味を持ちます
けれども同時に聞きあうということもあっ てで聞き合うっていうのだと随分呑気に
思えますけれどもでもこのことにこう するっていう構えを育てるすごく重要な
時間だと思うんですよねでそこでまあの 思考停止させない少しでもいいから他者の
力を借りて自分の頭を動かす対話っていう のは何か主張をあらかじめ持っていて
ぶつけ合う場ではありませんから誰かが 語り出したその言葉に引きずられ引きずら
れるように自分の言葉を見つけていくって いうことを重ねることによって停止させ
ないそやって進み続けるっていうことを私 は重視したいですねうんあとその中立って
いうことに関して言えばその中立という 立場を取った時点でもうあの無効の価値な
んですよねでこれこの間イスラエルが この間っていうのはもうもうかなりえもう
前からですけれどもその情報戦においてえ やっていることでで例えばそのイスラエル
軍兵士に殺害された子供であるとか あるいはジャーナリストであるとかこうい
た時にでその世界的にそれに対する避難が 高まるとでそうするとそのカウンター
インフォメーション対抗情報を流すわけ ですえそこの少女が殺されたのはの中に
爆弾を仕掛けていてそれをイスラエル兵に 投げようとしたからあその自閉のためにえ
その兵士は打ったのだとかえあるいはその 星眼でえ取材中に殺害されたあパレスチナ
系アメリカ人のジャーナリストの死に関し てはえこれはあの好戦に巻き込まれて
なくなったんだとでそのでも私たちはそれ がどちらの言分が正しいのかということを
その時点でその確かめる術はないですから そうするとパレスチナ側はこう言っている
でイスラエル側はこう言っているで 確かめる術がない以上その判断を留保する
しかないとでまこれで中立ですよねで結局 それでもうその中立の立場を取ったらもう
それでえあちらの思う壺というようなま そういう作戦なんですねでまその後にあの
実際にその時え戦闘は行われていなくてで 狙撃したイスラエル兵自身がそれを認めた
とかいうことが後から分かってももうその 時にはあのそのことを覚えている人はい ないとかいう形ではいなのでこの中立って
いうのも一体何なのかっていうえ一体誰誰 がその中立を求めているのかていうことを
やっぱり考えるべきだし例えば司法これ 英語でジャスティスですよね構成とか正義
これその司法においてじゃ裁判官って中立 なのかでそうではなくて不正というものが
存在する罪というものが存在するで不正は 立たされなければいけないというやぱその
立場に私たちは立つべきであってその不正 があってそれによる抑圧があって人間性が
否定されている時にそこにおいて中立で あるなんていうのはもうこの人間性の否定
抑圧に対する加担以外のもう何者でもない とま私は思いますうんうんそもそも中立で
あろうとすべきなのかみたいな話もあると 思うんですけどもなん中立であろうとする
としたらいい中立と悪い中立っていうの あるんですかっていうのをちょっとお話を お聞きしたいなといや私中立っていう言葉
って本当一体何なんだろうってすごい思う んですよね中立でなく公平だろうといつも
思うんですけれどもあのねメディアの方と 話してたりとかしてま自分は中立なんでえ
公平になってください公平の立場から語っ てくださいって思うんですけれどもなんか そういった時ま中立っていう言葉がでも
あの興味深いうんのはやはり立つという字 を書くんですねだからあのまるでも何度も
この繰り返しですけど超越的なこう空から こう下空から下を見ているかのような感覚
を覚えさせてくれる言葉ですけれども立っ てはいるんですよね地に足をつけているで
その立っている場所は決して真ん中などと いうものっていうのは存在しないわけです よね今のお話でももうすでに立っていて
中立っていう風に言ってまるでなん でしょうねこう中間地点にいるのようだ けれどもそれ自体がすでにどちらかに加担
しているということなのであの何かをなん でしょうねこうカバーしてくれたりとか
あのくるんでくれるような言葉には そもそもなり得ないと思ってますだから
いい中立悪い中立っていう言葉自体が すごくこう混乱するというかま何を思って
いいのかっていうのもあると思うんです けどあのすごくあわあわするなんていうか ぐるぐる混乱する言葉だなといつも思い
ますねはいあの私も同じですって何なん だろうと思いますであのこれって双方が
その言分なその対等なもの同士であれば
レフェリーは中立でなければいけないと 思いますがでもそうじゃないわけですよね
だからあのやっぱり歴史的な文脈がこう 抑圧されるというのはこれがそのなんか
対等なも同士のおその例えば宗教対立で あるとかこう領土を巡るその紛争であると
かなんかそういう話に還元してっていう ことになっちゃうと思うんですよでそう
じゃなくてその抑圧されているものがいる 時に抑圧者と非抑圧者に関してその中立で
あるなんていうことはそれはありえないと 思いますであのやっぱり人間性の側に立ち
たいなと思いますしでそうだとするとね そのまさにホロコーストそのヨーロッパに
おけるユダヤ人に対するそのジェノサイド あってはならないことだとその人間性の
否定というものそれをそれに えあってはならないことだと思うからこそ
そのガザでパレスチナでパレスチナ人に 対して起きていることもあってはならない
ことだと思うしで同様にもうあのその
イスラエルという国家のそのえ人たち
がそして国家のあり方侵略主義的でえ アパルトヘイトのその非常にそのえ人種
差別的なそのような国家のあり方の中でえ
そのパレスチナ人というパレスチナ人を その対等な自分たちと同じ人間とはみなさ
ないようなそのようなあ思考にこうさせ られてしまっているそしてそれ上に
あの戦場に駆り出され彼らもまたトラウマ
を追って傷ついてまた殺されているわけ ですよねやっぱそれもあってはならない ことだと思うしだからあまりなんかその
中立っていう言葉はこうした状況において なんかそんなに
あのうんむしろ本当にあの混乱させるうん
うんわけがわからなくさせてしまう うんありがとうございますとこちらで最後
なんですけども僕も日々このガ地区の報道 に触れていてま大変なことが起きていると
はもちろん思います思ってるんですけど ただその自分にじゃあ何ができるのかって
いうとちょっとしたこう無力感も感じて しまうんですんですよねでそういう人って 多分僕だけではないような気がしていて何
もできることがないからあえてニュースに も触れないとかそういう人もいるでしょう しという中でその
今自分に何ができるのかっていうところで 最後にお二方あのコメントをいただければ と思っておりますこの何ができるかていう
問をこのガザとは何かの最後でも投げかけ られていると思うんですけども私はあの
お母さんの公演もあのYouTubeで見 ていたんですねでその時のお母さんの応答
が忘れられなくてそれがいろんなことが できると思いますってはっきりおっしゃっ
たんですよねで私も雷に打たれたみたい みたいになんてこれがずっと支えになっ
てるというかなんかその折れないでね私が 折れるっていうのも何なんだってこんな 実態の前で私が心れちゃうとかそんなんな
んだとも思うんですけどもなんか歩み続け てこれた言葉だなと思っていてだからこの
ガのことに対してあの問をずっとどう立て ていいのかっていうのがこう空を掴むよう
な気持ちでいたんですけれどもまはっきり と私には何ができるかっていう問いから 離れたくないなといつも思うんですで本当
におっしゃる通り何でもできてでも私たち はついつい無力感に引き流されるような気
になっちゃうだから私に何ができるか会議 っていう対話の場を作ったりもしたんです ねそうすると例えばタイピングが得意です
とか実は翻訳が得意ですとかデザインが 得意ですとかそれぞれ皆さんの生活の中で
得意なこともしくは書類整理が得意ですと かあるんですよねでそれってガザあ
のガザをこうなんでしょうねと共に立つ あるいは人間の側に立つ人間性の側に立ち
たいっていう言葉もありましたけれども ために例えばガザの言葉をはもっと発信 するとかえーあるいは私は結構配信番組
やったりするんですけれどもそれの文字 起こしを手伝ってもらうとかデモに行くと かもう無数にあるんですよねでそれも
やっぱり対話で私たち自身が発見していっ たことでなんかついついないとか私がなん
か言ったところで爆弾が減るかなみたいな 風になっちゃうんですけれどもそれって すごく早計というかあのだなという風に
思いますだからこうこれを聞きの皆さんで 自分なんかと思ってる方がいたら是非一緒
に集まって探すっていうのもいいと思い ますしどんなことも繋がるんだっていう風 には私は思いますねはいあのよく自分1人
が何かしたところで何も変わらないとかね あの問題は解決しないとかこうあの言っ
たり書いたりする方いらっしゃるんだ けれども私はそれをスーパーマン症候群と
呼んでいてなんか自分1人が何かして 世界が平和になるとかねそんなことそれは
もちろんないけれどもでも あのその自分に何ができるのかこれ本当
純粋疑問でそれが本当に分かったらそれを やろうと思っている人とその何ができるの
か何をしたって変わらないじゃないか できることなんかないっていうなんかこう 自分が何もしないことのあのあるいはそこ
からその距離を取っている無関係である ことのなんか言い訳としてそれを言って いる人二通りあると思うんですがいや本当
にもうやるあのやれることいっぱいあり ますであのそのもう本当もう私やりたい
ことしたいことしなければならないこと いっぱいあってでも1人ではできないので
もう本当にそれを手伝ってくれる人がい たらもうあの本当に助かりますで
あの やっぱりその10月7日の今回のその
ジェノサイド攻撃が始まる以前にもうあの とりわけその10年前の2014年の51
日間戦争の直後からもうガザの人たち とりわけ若い人たちの自殺がとても多く
なっているんですねもうこれってもう絶望 しているからでもう明日に絶望してるから
ででも明日明日がもうこれは変わらないん だとその世界に絶望するっていうのはその
ガの状況に絶望するというよりもこれ世界 に対して私たちに対して絶望してい
るっていうことだと思うんですからあの 希望はどこにあるのかこやっぱ希望は
私たちだと思うんですねであのぱこれ 先ほどのあのま日本の教育とかその社会の
その私たちのあるそのメンタリティと 関わるんだけれどもその私たち自身が声を
上げることによって世界は変わるんだと あるいはその確実なのは声を上げなければ
行動しなければ絶対に変わらないうんその 声をあげたからじゃあ明日変わるかって
言ったら変わらないけれども声をあげない 限りは変わらないわけだから声を上げる そして歴史というものは確かにそうやって
声を上げて行動したきた行動してきた者 たちが大勢いたからこそそれによって世界
っていうのは少しずつ変わっていったん ですよねやっぱりこの声を上げることにに
よってで単に声を上げるだけじゃなくって その行動を起こすことによってで場合に
よっては血を流すことによってやっぱり 例えば植民地になった国というのは独立を
そういう形で勝ち取ってきたわけだしそう いう形で色んな色々なものが少しずつあの
よくいい方向へ向かってきたやっぱりそれ があの人間の歴史だと思うんですだから
あのそういう意味であの本当にええ声を 上げるそして行動するっていうのがすごく
大切なことなんだっていうことがやっぱり 日本の教育ではむしろそれを積極的に教え
てないような気がするんですよねであの そのまじゃ私自身に関して何ができる
かっていうとこれちょっと先ほど前の方の 話にま絡むんですけれども
あのその要するにガで起きてることが遠い そう自分のこととそう重ならないていうの
考えた時にあのえっとこのガザとは何かの
読書会が前あったんですでその時に参加さ れた方がまでもわざわざ参加費を払って
そういう読書会に参加される方だから関心 はあるわけですよねでもその方がま質問と
いう形でおっしゃったのがその自分は パレスチナ人で知ってる人もいないしだ
からそのどうしてもその傘で起きてること がねなんこう自分ががその取り組む積極的
に取り組むというような問題という風に 思えないんだとなんかその方は関心があっ
て参加されてるんだけれどもでもそこに今 1つのめり込むようなインセンティブと
いうかそのモチベーションがないという ことに葛藤しておられてそれであの思った
のはあの長井さんのご本の中でジンケ を引用されていてその死人間の死と
いうものをその分の死1人称の死それから なも名も知らぬも顔も知らない
えー3人章の死えそしてその身近な家族だ
とか友達だとかそういう顔を知っている人 たちの2人称の死という風にまあのジャン
ケルがそのように死をま分けている というまそその部分読んであの思ったん
ですけれどもそのこのまうんうん分類と
いうか定義というかそれはそれで一般論と してそういう風に言えると思うんですがで
もこの間あのすごく感じるのは先ほども 申し上げたようにただ数字でしか報道され
ていないのにつまり3人称の死なのにそこ に顔を感じるうん自分が応答すべきその他
の顔というものを感じとる人たちがいるん だということなんですで
あの思うの はその2人称家族とか友人であったとして
もその場になかったらその人は3人称です よねでこれ前に蓮見彦さんがエッセの中で
書いておられたんだけどその奥様フランス の方ででそうすると息子さんと奥様は
フランス語で会話をしているで自分のい ないところで自分のことを彼と呼んでいる
これ日本語の世界だったらないですよね目 の前にががお父さんはお父さんでていうで
そこでその言語の違いによるそのなんか そのえフランス語の世界ではその自分が
こう阻害されるようなねえまそういうあの ことを書いておられてででそうするとあの
顔を知っていてもその場になければ3人称 になるっていうあのことを考えると多分
その2人称と3人称の間に2.5人の死 っていうのもあるんじゃないかでそうする
と私はあのまえまあのま
文学に携わるものなのでその文学とか
あるいは映画などでえそうしたパレスチナ であるとかあるいはまどこでもいいんです
けれどもその世界のいろんなところの人 たちのその物語に触れるというのはその
ような形でえその遠い世界界の人だ人たち の存在が自分にとって2.5人称になると
いうことなのではないかあるいはあのえと まコロナでえそのオンラインで繋が
るっていうことがすごく一般的になって それでま10.7の前ですけれどもあの
パレスチナ関連の大学のゼミで学生たちが あのガザとか西岸地区のパレスチナ人の
大学生と繋がってそれであのゼミであの 交流授業をやったことがあるんですでそう
するともうそこであのオンラインで モニター越しではあるけれども顔と名前を
持った存在になるわけですよねでそこで そうした繋がりがあの生まれるとやはり
あのガザや星眼で亡くなっている人達て
あの全くの知らない他人ではなくてそこ から2.5人称になるあの例えばえっとね
あの最近お孫さんができておじいちゃんに なった方がもうあのもう本当その孫が
可愛くてでそうするとそのガザでもう子供 がっていうもうその言葉見た途端に涙が出
てきてしまうとかあとあのお家で犬を飼っ ている方がねその自分その犬を飼って
すごくその犬自宅で飼っている犬が家族 同様の存在だからこそ例えば保健所でえ
その毎月毎年もう何百何千何万引と殺さ れるということが他人ごではありえないの
と同じようになんかそういう形でえあの 単なるそれが名も知らない顔も知らない人
たちの死ではないというようなそういう 繋がり方をあの生み出すことってできると
思うんですよねだからま文学に携わるえ私 自身私がその文学を通してできることと
いうのはその3人称の存在を2.5人称に するっていうことなのかなと思います
===
8 Comments

@romenavi
1 year ago
とても分かりやすい対談です。 これを拡散し一人でも多くの方に伝えることも、私たちが出来ることの一つです

17


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@manieranutella12
1 year ago
「ガザで起きてることを戦争や紛争とは呼びません」と表明してくれる永井さんの言葉に涙が出ました。戦争や紛争と呼ばない、アパルトヘイトでありジェノサイドであると言い切ることも、日本人にはハードルが高いかもしれないけどできることのひとつだと思います。

8


Reply


@akimimura6765
4 months ago
私もこの司会者と同じくらいの認識だった上に低関心だったので、今とても恥ずかしいです。

これからもっと学んでいくけれど、その過程でしか生まれない無知なりの質問がスタート地点と思っています。
もう知らない自分には戻れないから、どんどん尋ねる、自分から最新の情報を調べる。
不正義に対して怒りを。

1


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@Ex-XG
1 year ago
テレビ局はまともな報道機関のふりをするのはやめて、我々は広告機関だから報道に期待しないでほしいと明言してくれ

11


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@謎の地球人よっちゃん
3 months ago
ガザ地区で起こっているのは
民衆を盾にする卑劣なテロ組織ハマスとの対テロ戦争です



Reply


@さっちゃん-t5z
1 year ago
司会者、もっと勉強して語ってほしい

5


Reply
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특별 대담 『가자 지구에서 지금 일어나고 있는 일과, 우리에게 할 수 있는 것』(『가자란 무엇인가』 저자 오카 마리×철학자 나가이 레이의)




특별 대담 『가자 지구에서 지금 일어나고 있는 일과 우리에게 할 수 있는 것』
( 『가자란 무엇인가』 저자 오카 마리×철학자 나가이 레이의 )

오디오북 배달 audiobook.jp
23K subscribers
7,484 조회  Jul 5, 2024
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<『가자란 무엇인가 팔레스타인을 알기 위한 긴급 강의』 오디오북화>
팔레스타인 문제에 오랜 세월 종사하는 오카 마리 · 와세다 대학 교수에 의한 「팔레스타인 문제의 본질」에 대한 긴급 세미나를 서적화. 2023년 10월 7일에 시작되는 이스라엘에 의한 가자에 대한 제노사이드 공격을 받고 개최된 강연을 바탕으로 역사적 맥락과 현재의 논점을 평이하고 강력하게 해설. 단순한 해설에 그치지 않고, 우리의 배움과 행동의 지침을 제시하는 「지금, 먼저 손에 잡아야 한다」1권. 현재의 가자 정세를 바탕으로 보다 많은 사람들에게 전달하기 위해 오디오북화도 실현.

오디오북판▼
https://audiobook.jp/product/270116

<특별 대담:저자 오카 마리×철학자 나가이 레이의>
오디오북화에 즈음해, audiobook.jp 전달의 오디오북 「가자란 무엇인가 팔레스타인을 알기 위한 긴급 강의」의 권말에서 공개. 또, 7월 5일~9월 31일까지 audiobook.jp의 YouTube 채널에서도 기간 한정으로 무료 공개합니다.

최근의 가자의 상황/일의 중대성에 맞는 보도가 되지 않는다는 미디어에의 문제 제기/「초월적인 입장」으로 부감하는 자세를 취해, 「전쟁 반대」라고 말할 수 없는 사회의 문제/「슈퍼맨 증후군」에 빠지지 않고, 지금 자신이 할 수 있는 것으로부터 행동으로 옮기는 중요성/「인간성」

■오카 마리 프로필
1960년생. 도쿄 외국어 대학 대학원 석사 과정 수료. 재 모로코 일본국 대사관 전문 조사원, 오사카 여자 대학 인문 사회 학부 강사, 교토 대학 대학원 인간·환경학 연구과 교수 등을 거쳐, 와세다 대학 문학 학술원 교수. 전공은 현대 아랍 문학·제3 세계 페미니즘 사상.

■나가이 레이의 프로필
사람들과 생각할 장소인 철학 대화를 하고 있다. 에세이의 연재 외에, 정치나 사회에 대해서 즈즈자즈에서도 말해 보는 장소 「오즈오즈 다이얼로그」, 센소에 대해 표현을 통해 대화하는, 사진가·야기사키와의 유닛 「센소라테 프로젝트」, Gotch 주최의 무브먼트 D2021등에서도 활동. 저서에 『수중의 철학자들』(아키후미샤). 제17회 「나, 즉 Nobody상」 수상. 시와 식물원과 정성스런 산책을 좋아합니다.
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Transcript
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가자란 무엇인가 팔레스타인을 알기 위한 긴급
강의 오디오 BOOKJP 특별 대담 저자 오카
마 철학자 나가이
예 이번은 오디오북JP특별편이라고 하는 것으로 에가란 무엇인가의 저자님 그리고
특별 기획으로서 철학자의 나가이 레님께 오셨습니다. 감사합니다.
철학자의 나가이입니다. 감사합니다.

오토 뱅크의 야마다라고합니다. 오카 씨의 저서 인 가란 무엇입니까?
그렇다고 생각해 봐도 괜찮습니까? 그 정말 멋진 책입니다.
내가 찾는 것이 여기에 정리되어 쓰여지고 있다는 것을 먼저 생각했습니다.
일어나고 싶다는 것을 그 극히 이렇게 알기 쉽게 쓰여져있을 뿐이야
그렇다고 해서 원래 공원이 원래라고 하는 것이라고 생각합니다만 그 오카씨의
화가 나 슬픔이라든가 그렇게 말한 것 같은 히치로
그려진 것도 굉장히 인상적이었고 우리가 지금 어떤 지점에서 이 문제를 본다
무엇을 했는지 제시하고 그리고 무엇을 해야 하는지 등이 밝혀져 있는데도 용감해진다
매우 중요한 책이라고 느꼈습니다. 감사합니다.

두 사람에게 이야기하고 싶습니다.하지만 오늘은  6 월 20 일입니다.
그리고 가 지구의 분쟁은 계속되고 있다고 매일 엄청난 대량의 정보가 흘러 온다.
그렇지 않습니까?
제시한 저정안이 아직 합의에 이르지 않고 어느 것이 반대하고 있는지 잘
괜찮은 상황은 혼란스럽기 때문에 선생님에게 이런 상황이 지금 어떻게되고 있는지
내가 말하는 것을 말하고 싶다는 것과 이번에 갈등은 나가이 씨와 같은 철학입니다.
사람의 머리 속을 전문으로 하는 분들에게 이렇게 말씀드리고 싶은 테마도 많이 있다
그렇습니다. 예를 들어,이 분쟁을 어떻게 보아야합니까?
그런 것도 맞추어 그 테마로 설정하고 있기 때문에 두 분에게 이야기 해 주시면 좋겠습니다.
그렇지만 오늘 6월 20일 목요일 시점에서 엣가가 지구에서 무슨 일이 되고 있는 거야
우리가 말하는 것에 대해 오카 선생님에게 먼저 이야기 할 수 있다고 생각합니다. 예 작년
10 월 7 일, 이스라엘의 마가에 대한 공격이 시작되고 오늘 8
개월과 2 주 동안 8 개월 반이 될 것입니다.
매일 많은 양의 정보가 있다는 바람에 말씀 드렸습니다.
그 가자에서 일어나고있는 것의 중요성에 맞는 질과 양의 보도가 이루어지고 있다고는
전혀 생각할 수 없어요. 지금 그 8 개월 반의 가의 상황을 살펴보고 소개했습니다.
그리고 그 가자 보건소의 발표에 따르면, 그 시체가 확인되고 그 죽은 사람이 확인됩니다.
하는 것들만으로
3만7천엔 그 다음 부상자는 85523명
그러니까 이미 지장자 뿐입니다.
123명이라는 듯 벌써 가자의 가자의 인구는 230만명이니까 이미 그 5%
에 해당하는 사람들이 지장을 받고 있습니다.
1 만 1,000 명의 전인이 있습니다.
납치되어 이스라엘의 감옥에 데려간 채 소식 불명의 것들도
포함되어 있습니다만 대부분은 공격되어 파괴되어 잔해가 되어 버린 거기에
아직 시신이 묻혀 있고 그 시체가 수용되지 않은 사람들이기 때문에 이미
실제로 죽은 사람들이라고 하는 것은 이미 4만 에마 7000명을 넘는 5만명 가까이에
네가 다가오고 있다는 것입니다.
할인이 14 세 이하의 아이들입니다.
아이들이 죽고 있다는 것입니다. 1 만명 이상이 팔과 다리의 절단
1000 명이 넘는 아이들이 그 팔과 다리를 지금까지
연결이 끊긴 경우에도 1 월 7 일 시점이지만 CNN이 발표 한 곳에서는 매일
10 명 이상의 어린이가 한쪽 다리 또는 양 다리를 잃고 있습니다. 모든 가족을 죽이고
양 다리와 한 팔을 잃어 버렸다는 아이의 보도도 있습니다.

그게 주택의 절반입니다.
절반이 완전히 개방되었고, 이스라엘은 대량으로 사람을 죽이고있다.
뿐만 아니라 그 가자의 역사
가자라는 땅에서 그 수백 년이나 1000 년 이상 팔레스타인
그 땅에 뿌리를두고 살아왔다는 역사의 기록이거나 기억
증언하라 그런 곳이 바로 그 중세부터 이어지는 모스크라든지 교회이다
혹은 박물관이나 도서관이라든가 그런 그 기억의 장소 그 자체를
대상으로 파괴함으로써 팔레스타인 사람들이 스스로
이 땅에 대해 권리를 가진 팔레스타인이라는 그런
역사적 존재인데 그런 정치적 주체성을 가진 존재라는 그 기반 자체
나는 파괴하고 있기 때문에 그렇게 말했다. 

지금은 정말로 영어와 아랍어로
매일 그 보도되는 전해지고있다 뉴스에 접하고있는 것으로서는 그
일본의 주류 미디어의 기사 보도라고 하는 것은 전혀 그 본질이나 그 사건의 중대함에
맞는 내용을 전하지 않기 때문에 그 생각합니다 감사합니다
오카 씨가 말했듯이 민간인의 희생자가 증가하고 있다면
그것은 매우 이해하기 쉽지 않습니까?
몹시 알기 쉽습니다만 그럼 이 분쟁의 구도는 어떻게 되어 있는지라고 하면(자) 
그것은 더 이상 잘 모르겠네요 많은
일본인에게는 뭔가 그런 이스라엘이 나쁘다고 말하는 사람도 있습니다.

하마에 원인이 있다고 사람도 여러가지 속에서 어떤 식으로이 가식 관련 뉴스에
만지면 좋을지 말하는 곳에 대해 그 조금 두 분에게 이야기를 주시면 생각합니다만 어떤 식으로 의식해
만지고 있습니까? 
관련 보도는 그렇습니다.
그런 상황이있는 동시에 그 노 오카 씨의 책이거나 같은 덕분에
그런데 그 시민이 이렇게 일제히 이렇게 학습하기 시작했다고 했던 곳도 있다고 생각합니다.
네, 나 자신도이 가자란 무엇인가를 손에 넣는다.
아니면 뭐라고 말할까요?
뭐라고 생각하는지 알게 된 것입니다.
라는 것을 기점으로 하마스라는 테러 집단이 테러를 했어요
모르겠지만 어느 쪽도 어딘지
그렇지 않다고 말하는 방식으로 말이 점점 점점 지금 나타나고 있다고
생각합니다. 물론 아직 부족합니다 만, 거기는 더 미디어이거나 출판 아직부터
곧 이렇게 출판된 것은 정말 중요한 일이었던 것 같지만 그런 스택이 더 많지 않다고 생각합니다.
그렇게 할 수 없다고 생각합니다. 그 때 중요한 것은 역시 어디를 기점으로 볼까라는 하나의 태도라고 생각합니다만 이 점에 대해서
어쨌든, 오카 씨에게 어떤 출발점에서 볼 수 있다는 것이 중요하다고 말하는 것이 좋다고 생각합니다.

2025-10-21

物語ることの反撃 パレスチナ・ガザ作品集 - リフアト・アルアライール/藤井光 - 小説・無料試し読みなら、電子書籍・コミックストア ブックライブ

物語ることの反撃 パレスチナ・ガザ作品集 - リフアト・アルアライール/藤井光 - 小説・無料試し読みなら、電子書籍・コミックストア ブックライブ




物語ることの反撃 パレスチナ・ガザ作品集
リフアト・アルアライール / 藤井光 / 岡真理
2,992円 (税込)





14pt

5.0


1件



現代パレスチナを代表する詩人が編み遺した、ガザの若き作家たちによる23篇。過酷な「日常」を書き留め、暴力と占領に物語ることで抵抗する、魂の作品集。

2023年12月、イスラエル軍の空爆によって命を落としたパレスチナの詩人、リフアト・アルアライール。忘却に抗うため、そして想像力によってあたらしい現実を立ち上げるため、彼が私たちに届けた、23の反撃の物語。
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物語ることの反撃 パレスチナ・ガザ作品集 のユーザーレビュー

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Posted by ブクログ








 2013年、ガザ・イスラーム大学の教員リフアト・アルアライールと彼の学生たちが、2008年12月~2009年1月にかけて行われたイスラエルの軍事侵攻「キャストレッド作戦」をガザの側から小説として記録した23篇の短篇とショートショートを収める。原著は2014年に米国で刊行、日本語訳は2024年刊行の新版にもとづく。編者のリフアト・アルアライールは2013年12月にイスラエルのミサイル攻撃で殺害され、新版の刊行時では本書の執筆者6名と連絡が取れていないという。
 
 原著の序文でアルアライールは、パレスチナの人々と物語の特別なつながりについて語っている。「物語は、人間その他すべての経験を超えて生き続けるのだと、書き手たちは知っている」「誰もが物語や物語る行為に触れてきたのだから、私たちすべてのなかに、あるパレスチナ、救い出すべきパレスチナが存在している」(25)と書いている。だから、まさに物語ること自体が抵抗となり、反撃となる。イスラエルの側もそれを理解しているからこそ、ジャーナリストや知識人を、大学や学校を、さらに物語そのものを淵源となるパレスチナの人々と土地のつながり自体を切断しようと躍起になっているのだ。
 このアンソロジーの小説はどれも読者を引き入れる力を持っているが、その伝で言うなら、アルアライール自身が寄稿した2つの短篇、「家」と「老人と石」は気が遠くなるほどの絶望に落とし込まれながら、その中にかすかな希望を掴み取ろうとするパレスチナの人々の苦闘が滲み出ていると思う。「家」では、イスラエルの分離壁のために自分が建てた家に戻れなくなった難民が、それが自分の家であることを示すためだけに危険を冒して爆破を企てようとする。「老人と石」では、自分の弟が持って来た石を「エルサレムの石」だと信じて大切にしてきた老人が、それが虚偽だという息子の話を信じられず惑乱する物語である。

 加えて忘れてならないのは、このアンソロジーの書き手たちが自分の第一言語ではない言語で書かなければ、自分たちが圧倒的な暴力に曝され続ける日々を聞き取ってもらえないという非対称的な状況である。岡真理が巻末の解説で書いている「ジェノサイドを止められない私たち」は、そのような構造を彼ら彼女らに強いているのだ。

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이야기의 반격 팔레스타인 가자 작품집
이야기의 반격 팔레스타인 가자 작품집
리후아토 알알라이르 / 후지이 미츠루 / 오카 마리
2,992엔 (부가세 포함)
14 pt
5.0
1건
현대 팔레스타인을 대표하는 시인이 편성한 가자의 젊은 작가들에 의한 23편. 가혹한 "일상"을 적어 폭력과 점령에 이야기하는 것으로 저항하는 영혼의 작품집.

2023년 12월 이스라엘 군대의 공폭에 의해 목숨을 잃은 팔레스타인 시인인 리후아토 알알라일. 망각에 대항하고 상상력을 통해 현실을 시작하기 위해 그가 우리에게 전달한 23개의 반격 이야기.

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#멋지다
Posted by 부쿠 로그

 2013년 가자 이슬람 대학의 교원 리후아토 알알라이르와 그의 학생들이 2008년 12월~2009년 1월에 걸쳐 행해진 이스라엘의 군사 침공 '캐스트 레드 작전'을 가자 측에서 소설로 기록한 23편의 단편과 쇼트 쇼트를 원저는 2014년에 미국에서 간행, 일본어 번역은 2024년 간행의 신판에 근거한다. 편자인 리후아토 알알라이르는 2013년 12월에 이스라엘의 미사일 공격으로 살해되어 신판의 간행 시에는 본서의 집필자 6명과 연락을 취하지 않았다고 한다.  원래의 서문에서 Al Alaire는 팔레스타인 사람들과 이야기의 특별한 연결에 대해 이야기합니다. “이야기는 인간 그 외 모든 경험을 넘어 계속 살아 있다고 쓰는 사람들은 알고 있다” “모두가 이야기나 이야기하는 행위에 접해 왔기 때문에, 우리 모두 속에, 어느 팔레스타인, 구출해야 할 팔레스타인이 존재하고 있다”(25)라고 썼다. 그러니 바로 이야기하는 것 자체가 저항이 되어 반격이 된다. 이스라엘의 측도 그것을 이해하고 있기 때문에, 저널리스트나 지식인을, 대학이나 학교를, 한층 더 이야기 그 자체를 연원이 되는 팔레스타인의 사람들과 토지의 연결 자체를 절단하려고 약기되고 있는 것이다.  이 앤솔로지의 소설은 아무도 독자를 끌어들이는 힘을 가지고 있지만, 그 전에서 말한다면, 알알라이르 자신이 기고한 2개의 단편, 「집」과 「노인과 돌」은 마음이 멀어질 정도의 절망에 빠져들면서, 그 중에 희미한 희망을 잡으려고 하는 팰리스. '집'에서는 이스라엘의 분리벽을 위해 자신이 지은 집으로 돌아갈 수 없게 된 난민이 그것이 자신의 집임을 나타내기 위해서만 위험을 감수하고 폭파를 추구하려고 한다. '노인과 돌'에서는 자신의 동생이 가져온 돌을 '예루살렘의 돌'이라고 믿고 소중히 해 온 노인이 그것이 허위라는 아들의 이야기를 믿을 수 없이 혼란스러워하는 이야기이다.  덧붙여 잊어서는 안 되는 것은, 이 앤솔로지의 필자들이 자신의 제1언어가 아닌 언어로 쓰지 않으면, 자신들이 압도적인 폭력에 계속 노출되는 나날을 듣지 못한다는 비대칭적인 상황이다. 오카 마리가 권말의 해설에서 쓰고 있는 '제노사이드를 멈출 수 없는 우리'는 그런 구조를 그들 그들에게 강하고 있다.
 





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가자에 지하철이 달리는 날 | 오카 마리 | ガザに地下鉄が走る日

가자에 지하철이 달리는 날 | 오카 마리 | 알라딘

가자에 지하철이 달리는 날
오카 마리 (지은이),박용준 (옮긴이)마르코폴로2025-07-21
원제 : ガザに地下鉄が走る日


책소개
신문이나 뉴스의 산발적인 보도에 접하는 것만으로는, 현재 가자에서 일어나는 사건들을 제대로 이해할 수 없을 것이다. 오랫동안 한국에서도 ‘하마스가 지배하는 가자 지구’, 하마스를 언급할 때는 마치 하마스를 IS(이슬람국)와 같은 무장집단으로 묘사한다. 마치 팔레스타인 사람들의 의사에 반하여 가자 지구를 폭력으로 통치하고 있는 것처럼 표현해 왔다.

그러나 문제의 뿌리는 이스라엘이라는 나라가 팔레스타인 사람들을 그들의 땅에서 내쫓고서 건국된 것이다. 그 이스라엘이 1967년에 가자 지구를 점령하고, 지금까지 이어지고 있다. 이러한 상황에서 가자 지구는 ‘세계 최대의 옥외 감옥’으로 불려 왔다. 이스라엘 건국으로부터 77년, 가자 지구와 요르단 강 서안의 점령으로부터는 58년, 가자 지구의 봉쇄로부터 18년이 지났다.

이 책은 팔레스타인 문제를 근본적으로 해결하는 방법을 이스라엘이 가자와 서쪽 해안의 봉쇄와 점령을 그만두고 팔레스타인에 의한 독립 국가를 인정하는 것이라고 주장한다. 역사적 진실로서 팔레스타인이란 무엇인가.

책 제목은 에드워드 사이드의 인터뷰에서 따온 것이다. “가자에 지하철이 달리는 날을 꿈꾼다.”라는 말은 사이드가 생전에 가진 마지막 인터뷰에서 나온 말로 그의 소망을 담았다. 이스라엘의 안하무인으로 현재 사이드의 꿈은 실현될 가능성이 점점 더 작아지고 있다.


기억·서사 | 교유서가 어제의책 | 오카 마리 | 알라딘

기억·서사 | 교유서가 어제의책 | 오카 마리 | 알라딘


기억·서사 | 교유서가 어제의책
오카 마리 (지은이),김병구 (옮긴이)교유서가2024-03-20


































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종이책전자책 12,150원
21세기 최고의 책 : 기억할 책, 함께할 책

Sales Point : 5,762

9.6 100자평(7)리뷰(4)


<기억 서사>의 개정판입니다.
174쪽
출판사 제공 카드리뷰








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시리즈
교유서가 어제의책 (총 8권 모두보기)




팔레스타인 종족 청소 - 이스라엘의 탄생과 팔레스타인의 눈물
기억·서사
단테 『신곡』 읽기 - 7가지 주제로 읽는 신곡의 세계
베난단티 - 16세기와 17세기의 마법과 농경 의식
인권의 발명


책소개
자신의 의지와 상관없이 도래하는 폭력적 사건의 기억 때문에 현재의 삶을 고통 속에서 살아가는 사람들의 문제를 크게 두 가지 주제로 집약하여 다루고 있다. 타자가 경험한 ‘사건’의 기억을 나누어 갖는다는 것은 어떤 것인가. 어떻게 하면 그것이 가능한가. 이 물음에 대한 실마리를 저자는 소설, 영화, 르포르타주 등 다양한 장르의 서사 비평을 통해 찾아보는 한편, 과거의 사건을 사회 속에서 어떻게 기억하고, 어떻게 사건의 기억을 함께 나누어 가질 것인가에 대한 질문을 던진다.

이 책을 관통하고 있는 핵심 논지는 과거 사건의 폭력성으로 인해 정신적 외상을 입고 ‘타자’의 삶을 사는 이들의 기억을 그들과 동시대를 살아가는 우리가 나누어 가져야 하고 상기해야 한다는 것이다. 하지만 ‘타자’가 겪은 폭력적 사건의 기억을 나누어 갖기란 쉽지 않다.

그 이유로 저자는 폭력적 사건 자체를 부정하는 역사수정주의와 타자를 부인하는 내셔널리즘, 폭력적 사건을 완벽하게 재현하고 표상하려는 리얼리즘적 욕망 등을 들고 있다. 그럼에도 불구하고 이 책은 다양한 ‘사건’을 둘러싸고 벌어지는 기억의 항쟁 한복판에 있는 현재, ‘사건’의 기억을 어떻게 이해하고 공유할 것인가에 대한 문제의 해법 모색을 시사한다.


목차


서문 : 기억을 나누어 갖기 위하여

제1부 기억의 표상과 서사의 한계

제1장 기억의 주체
도래하는 기억
잉여와 폭력

제2장 사건의 표상
소설이라는 이야기
표상할 수 있는 현실의 외부

제3장 서사의 함정
허구의 리얼리즘
사건의 현실
서사를 향한 욕망
서사의 기만/기만의 서사
부인당한 타자

제4장 기억의 정치학
상이병 사건
기억을 말한다는 것
부인의 공범자

제2부 표상의 불가능성을 넘어서

제1장 전이되는 기억
외부의 타자에게 이르는 길
헬 위드 베이브 루스

제2장 영유하는 것의 불가능성
봉인된 잉여
위장 플롯
단독성·흔적·타자

제3장 사건을 살아간다
사건의 귀속
난민적 삶의 생성

기본 문헌 안내
저자의 말
옮긴이의 말
접기


책속에서


P. 22 ‘사건’의 기억을 나누어 갖는 것은 어떻게 하면 가능한가. ‘사건’의 기억을 타자와 나누어 갖기 위해 ‘사건’은 먼저 이야기되어야만 한다. 전달되어야만 한다. ‘사건’의 기억을 타자와 공유해야만 한다. 그러나 ‘사건’의 기억을 타자와 진정으로 나누어 갖는 형태로 ‘사건’의 기억을 이야기한다는 것은 어떤 것인가. 그와 같은 서사는 과연 가능한가. 존재할 수 있는 것인가. 존재한다면 그것은 리얼리즘이 보여주는 정교함의 문제인 것일까. 하지만 리얼하다는 것은 어떤 것일까. 수많은 물음이 생겨난다. 접기
P. 29 ‘기억’이란 때때로 나에게는 통제 불가능한 것으로 내 의사와는 상관없이 나의 신체에 습격해오는 것이기도 하다는 사실이다. 그리고 사건은 기억 속에서 여전히 생생하게 현재를 살아간다. 그렇다면 기억의 회귀란 근원적인 폭력성을 숨기고 있는 것이 된다.
P. 34~35 폭력적인 사건에 대해 이야기할 수 없다는 점에서 그 사건이 지닌 폭력성의 핵심이 존재하는 것과 같은 ‘사건’에 대해 우리는 어떻게 하면 그 ‘사건’의 기억을 타자와 나누어 가질 수 있을까.
P. 50 무의식의 욕망에 의해 부인된 사람들, 리얼하게 완결된 서사에서 배제된 사람들이야말로 ‘타자’일 것이다. 그렇다면 「아듀」의 경우 그와 같은 타자는 젠더로서의 여성이다.
P. 58 ‘사건’을 받아들이고 정의롭지 못한 것을 올바르게 바로잡는 일이야말로 우리 모두의 과제로 부여된 바로 그때 ‘사건’ 자체를 부정하는 역사수정주의적 언설이 아무런 주저함도 없이 노골적으로 이야기되면서 ‘사건’의 폭력 속에서 살아온 이 여성들에게 다시 한번 폭력을 휘두른다. 우리는 그 폭력을 고발하고 규탄할 책임이 있다.
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추천글
이 책은 트라우마로 인해 아픈 사람들, 사랑하는 이의 죽음이 너무나 생생한 기억으로 살아남아 있어 아직도 고통받는 사람들에게 용기를 줄 것이다. 피해자의 고통스러운 기억은 반드시 살아남아 ‘진실’의 제단 위에 올려질 것이다. 우리가 기억을 잊지 않는 한, 기억을 ‘이야기’로 생생하게 복원하려는 단 한 명의 사람이라도 살아 있는 한, 아픈 트라우마의 기억은 결코 역사 저편으로 사라지지 않을 것이다. 이 책은 ‘기억’과 ‘이야기’의 본질, 트라우마와 스토리텔링의 본질에 대한 눈부신 통찰을 담은 최고의 안내서가 될 것이다.
- 정여울 (작가, 『데미안 프로젝트』 저자, KBS 〈정여울의 도서관〉 진행자)

기억한다는 것은 과거 사건들의 저장소에 보관되어 있던 ‘사실’을 꺼내오는 행위가 아니다. 기억의 재현은 불연속적인 장면들이 선별 혹은 배제되고 때론 억압·왜곡되는 과정의 역학관계를 수반한다. 『기억 · 서사』는 그 역학관계에 주목하여 내셔널리즘의 욕망이 작동하는 기억의 정치를 읽어내고, 타자가 겪은 폭력적 사건의 기억을 동시대를 살아가는 우리가 어떻게 나누어 가질지 질문을 던진다. 서양배 주스를 한 모금 넘긴 순간 15년 전 이집트 유학 시절의 햇볕과 자동차 경적소리와 향신료 내음과 석조 건축의 촉감이 일순간 형태와 견고함을 갖추며 펼쳐졌던 자신만의 ‘마들렌 체험’에서 출발하여, 저자는 다양한 장르의 서사 비평을 자유롭게 넘나들며 그 답을 찾아간다. 여정에 함께한 독자들은 기억을 나누어 갖는 삶으로 어느새 한 발 들여놓은 셈이다.
- 이소영 (제주대 사회교육학과 교수, 《별것 아닌 선의》 저자)




저자 및 역자소개
오카 마리 (지은이)
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1960년 출생. 와세다대학 문화학술원 교수. 전공은 현대 아랍문학, 팔레스타인 문제, 제3세계 페미니즘 사상. 저서로는 『기억·서사』(교유서가), 『그녀의 진정한 이름은 무엇인가』(현암사), 『가자란 무엇인가』(두번째테제), 『대추야자나무 그늘 아래에서』, 『아랍, 기도로서의 문학』 등이 있다. 역서로는 에드워드 사이드의 『이슬람 보도 증보판』 (공역), 사라 로이의 『홀로코스트에서 가자 지구로』 (공역), 타하르 벤 젤룬의 『불이 되어』, 아딜라 라이디의 『샤히드, 100개의 생명』, 사이드 압델와헤드의 『가자 통신』 외 다수가 있다. 2009년부터 평화를 지향하는 낭독집단 ‘국경 없는 낭독자들’을 주최하며 가자 지구를 주제로 한 낭독극을 계속 상연하고 있다. 접기

최근작 : <가자에 지하철이 달리는 날>,<가자란 무엇인가>,<기억·서사> … 총 6종 (모두보기)

김병구 (옮긴이)
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충북 영동에서 태어나 서울에서 성장했다. 서강대학교 국어국문학과에 진학하여 석사와 박사 학위를 받았고, 2005년 숙명여자대학교 기초교양대학에 교수로 임용되어 현재까지 학생들을 가르치고 있다. 저서로 『식민지 시대 민족 계몽 담론과 근대 장편소설의 탈식민성 연구』(2017)가 있고, 공저로 『현대소설 플롯의 시학』(1999), 『최서해 문학의 재조명』(2002), 『조선적인 것의 형성과 근대문화담론』(2007) 등이 있다.

최근작 : <식민지 시대 민족 계몽 담론과 근대 장편소설의 탈식민성 연구> … 총 4종 (모두보기)


출판사 소개
교유서가


최근작 : <언론의 자유>,<신화>,<스페이스 월드>등 총 292종
대표분야 : 역사 16위 (브랜드 지수 130,891점)

출판사 제공 책소개



왜 사건의 기억은
이야기되고 전달되어야 하는가

타자가 경험한 ‘사건’의 기억을
나누어 갖는다는 것은 어떤 의미인가

다양한 ‘사건’을 둘러싸고 벌어지는 기억 항쟁의 한복판,
현재 ‘사건’의 기억을 나누어 가지려면 어떻게 해야 하는가.
사건의 기억은 이야기되어야 하고 전달되어야만 한다.

‘기억’과 ‘이야기’의 본질,
트라우마와 스토리텔링의 본질에 대한
눈부신 통찰을 담은 최고의 안내서

이 책은 자신의 의지와 상관없이 도래하는 폭력적 사건의 기억 때문에 현재의 삶을 고통 속에서 살아가는 사람들의 문제를 크게 두 가지 주제로 집약하여 다루고 있다. 타자가 경험한 ‘사건’의 기억을 나누어 갖는다는 것은 어떤 것인가. 어떻게 하면 그것이 가능한가. 이 물음에 대한 실마리를 저자는 소설, 영화, 르포르타주 등 다양한 장르의 서사 비평을 통해 찾아보는 한편, 과거의 사건을 사회 속에서 어떻게 기억하고, 어떻게 사건의 기억을 함께 나누어 가질 것인가에 대한 질문을 던진다.
이 책을 관통하고 있는 핵심 논지는 과거 사건의 폭력성으로 인해 정신적 외상을 입고 ‘타자’의 삶을 사는 이들의 기억을 그들과 동시대를 살아가는 우리가 나누어 가져야 하고 상기해야 한다는 것이다. 하지만 ‘타자’가 겪은 폭력적 사건의 기억을 나누어 갖기란 쉽지 않다. 그 이유로 저자는 폭력적 사건 자체를 부정하는 역사수정주의와 타자를 부인하는 내셔널리즘, 폭력적 사건을 완벽하게 재현하고 표상하려는 리얼리즘적 욕망 등을 들고 있다. 그럼에도 불구하고 이 책은 다양한 ‘사건’을 둘러싸고 벌어지는 기억의 항쟁 한복판에 있는 현재, ‘사건’의 기억을 어떻게 이해하고 공유할 것인가에 대한 문제의 해법 모색을 시사한다.

사건의 기억과
폭력적 사건의 표상 불가능성

과거 폭력적 사건에 놓여 있었던 사람들의 기억은 여전히 명징한 언어로 표상되지 않았는데, 전쟁은 여전히 현재진행형이다. 저자는 사건을 “이 세계의 시공간에 새겨넣어진 상처일지도 모른다”라고 말한다. 기억 속에서 여전히 생생하게 현재를 살아가고 있기 때문이다. 사건은 본인의 의지와는 상관없이 통제 불가능하게 습격해온다. 따라서 사건의 회귀는 근원적인 폭력성을 숨기고 있다고 할 수 있다.
저자는 폭력적인 사건이 현재진행형으로 일어나고 있을 때 폭력의 한가운데에 있는 당사자는 이야기하지 못하고 사건 속에서 살아갈 뿐이라고 말한다. 우리가 이야기할 수 있는 사건은 ‘경험’이라는 말로 사건을 과거형으로 언어화한 것이기 때문이다. 사건을 언어화하는 일은 사람이 사건을 ‘과거’로 길들이는 것일 수도 있다. 하지만 사건을 언어화한 이면에는 “현재형으로, 폭력적으로 회귀하는 사건은 과거형으로 언어화될 수 없는 사건, 단순히 경험이라고 말할 수 없는 사건의 잉여가 있다.” 따라서 언어화한 사건은 사건의 잉여로 인해 언어로는 표상할 수 없다. 그럼에도 불구하고 저자는 그 불가능성의 가능성을 고민하고 타자와 기억을 나누어 가져야만 한다고 말한다.

말할 수 없는 사건에 대해 말하는 것
기억의 분유

작가는 표상 불가능한 폭력적 사건을 타자와 나누어 갖기 위해 이 사회와 그곳에서 살아가는 자들을 향해 일관되게 질문한다. 하지만 현재 다양한 방식으로 작동하는 망각의 정치학으로 인해 기억을 분유하기란 결코 쉽지 않다. 그럼에도 불구하고 저자는 왜 사건의 기억을 어떻게 해서든지 타자, 즉 사건 외부에 있는 사람들과 함께 나누어 갖지 않으면 안 된다고 말하는 것일까. ‘사건’을 경험하지 않은 살아남은 사람들과 기억을 공유하지 않으면 사건은 없었던 일, 일어나지 않았던 일이 되어버려 폭력적 사건을 경험한 사람들의 존재는 역사에서 잊히기 때문이다. 지금 존재하는 세계와는 다른 세계를 만들어 살아가기 위해 말할 수 없는 ‘사건’이라 하더라도 말해야만 한다.
‘사건’을 경험했고 그 ‘사건’ 내부에 있었기 때문에, 그래서 ‘사건’의 폭력을 지금도 계속 겪고 있기 때문에 그 사건에 대해 말할 수 없는 사람들을 위해 사건 외부에 있는 제3자가 증언해야만 한다. 사건의 폭력이 남긴 흔적을 상처로서 현재의 이야기에 기록함으로써 사건의 기억을 나누어 가질 수 있는 가능성을 엿볼 수 있다. 그러려면 기억을 나누어 가져야 한다.

* 이 책은 岡真理, 『記憶/物語』를 번역한, 『기억·서사』(소명출판, 2004)를 재출간한 것이다.

‘교유서가 어제의책 시리즈’
짧은 시간 동안 우리는 너무나 소중한 것들을 잊었고 잃어왔다.
이제는 사라진 것들을 복원할 시간이다.
세상의 모든 책은 어제의 책이다.
어제의 책은 오늘을 해석하고 내일을 비춘다.
그러므로 어제의 책은 오늘의 책이고, 내일의 책이며, 언제나 살아 있는 책이다.
〈교유서가 어제의책〉 시리즈는 절판된 비운의 도서를 찾아 독자에게 다시 선보인다. 접기



평점분포

9.6
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기억의 잉여, 그리고 서사의 횡령에 대해서


이 책의 주된 물음은 이것이다. 어떤 부조리한 폭력적 ‘사건’의 당사자 혹은 그 사건의 내부에 존재함으로써 정신적 외상이라는 고통을 입은 사람의 기억, 그 증언이 말로 완전하게 표현될 수 있는가와, 외부에 있는 사람이 그 ‘사건’을 표상하는데 어떤 결여도 없이 온전하게 모두를 재현할 수 있는가의 논의다. 그 답은 물론 불가능일 것이다. 그렇지만 사람과의 관계성에서 살아가는 사람들의 공동체인 이 세계의 사람들에게 말 되어지지 않는다면, 불의하거나 부조리한 ‘사건’ 외부에 있는 우리들은 타자에 이르는 길을, 그 회로를 영영 알 길이 없어지며, 지금 존재하는 세계와 다른 세계를 만들어내는 데 무관심할 것이기 때문이다. 다시 말해 불의와 부조리한 폭력이 반복되는 세계의 도래에 무능과 무력함만이 남는다는 것이다.

바로 이러한 ‘사건’을 둘러싸고 벌어지는 기억의 표상과 그 표상인 서사의 한계란 무엇인지를 사유하고, 말로 이야기 할 수 없는 ‘사건’의 잉여, 바로 이 말로 표상될 수 없는 잉여를 잉태하는 사건의 표상 불가능성을 넘어서 어떻게 이를 타자와 나누어 가질 수 있는가를 생각해 보는 것이다. 이 비평적 논설은 1982년 이스라엘군의 레바논 침공 때 베이루트 시내에 있던 팔레스타인 난민촌을 기습한 레바논기독교민병대의 남녀노소를 불문한 무차별 대학살 사건으로 시작된다. 유대인 군사조직의 이같은 팔레스타인 사람들의 학살은 반복되어 온 ‘사건’이지만, 이 사건은 세계에 전달되지 못한 망각된 과거였다. (나누어 갖지 못한 기억이 그 불의가 반복 실행 될 수 있도록 하는 것이다.)



이것은 팔레스타인 여성 작가 ‘리아나 바드르’의 1991년에 발표된 소설 『거울의 눈(The eye of the mirror)』을 통해 전해지는데, 이는 베이루트 난민촌인 ‘탈 자아타르’ 포위와 학살 사건에서 살아남은 팔레스타인 사람들을 7년에 걸친 인터뷰 끝에 얻어낸 증언들을 토대로 픽션으로 재구축한 작품이다. 소설의 서문에서 작가는 “사건의 기억을 나누어 갖기를 바라는 바람을 담아 썼”으며, “겪어 온 고난의 역사를 지속적으로 망각하고 있는 전 세계 사람들이 이 ‘사건’의 기억을 공유해주기를 바라는 절박한 요청”을 담아내려 했다고 말한다.



이 소설의 중요한 점은 ‘사건’을 재현하려는 것에 목적을 둔 것이 아니라는 점에 있다. 그것은 “뜨거운 물에 손을 넣고 있는 사람은 찬물에 손을 넣고 있는 사람과 똑같이 느낄 수 없다.”는 것, 즉 ‘사건’의 외부에 있는 사람은 내부에 있는 사람과 다르다는 것으로서, 사건의 참혹한 고통은 결코 말로, 글로 표현된 것을 넘쳐흐르는 잉여, 그것에 있다는 것을 말하고 있다는 점이다. 더욱이 "경험자의 증언을 바탕으로 한 리얼(real)하게 보이는 서술이라 하더라도 그것을 ‘사건’그 자체로 받아들여서는 안 된다는 ‘금지명령’을 텍스트에 써 넣은 작품"이라는 점에서 이 책의 주제의식을 대변한다. 책은 두 개의 장으로 구성되어 1장에서는 말 되어지기의 한계와 2장에서는 그럼에도 불구하고 사건의 기억을 나누어가지기 위한 서사를 사유한다.



1. 기억의 표상과 서사의 한계



일본군 위안부였던 김학순 할머니의 이야기인 듯한데, 탈출하다 붙잡혀 일본군 병사에 의해 태워지던 동료 위안부여성의 신체가 타는 냄새로 인해 고기 타는 냄새조차도, 그래서 고기조차 입에 대지 못한다는 증언을 통해 기억의 폭력성을 우선 문제시 한다. 잊어버리고 싶은 폭력적 ‘사건’이 자신의 의사와 상관없이 되살아와 폭력적 사건 전체가 그 오랜 세월이 지났음에도 ‘과거’로만 순치할 수 없는 생생한 폭력으로 그녀의 신체에 살아 일어나고 있기 때문이었음을 말한다. 이것은 “무언가 근원적일 경우, 먼저 느낄 수밖에 없는 사실은 인간의 언어가 완벽하게 자유롭지 못하다는 것이며, 우리가 가진 언어의 윤곽 속에 완전히 담기지 않은 채 흘러넘치는 사건의 조각, 잘려나간 부분에 많은 것”이 있다는 의미로 이해될 수 있다고 사유한다.



어쩌면 이 책의 백미(白眉)라 할 수 있는 부분인데, 1830년에 발표된 발자크의 소설 「아듀(Adieu)」를 통해 바로 이와 같은 신체에 세차게 흐르는 강물이 되어 회귀하는 기억 또는 그 기억이 매개하는 ‘사건’을 나누어 갖는 것의 불가능성을 탐사하는 여정이다. 혹독한 전쟁에서의 후퇴 길에 이별한 연인을 오랜 세월이 지난 후 만났지만 여인은 정신을 잃은 미치광이 여인이 되었다. 여자는 남자에게 ‘아듀’라는 낱말만을 반복한다. 남자는 여자를 지극정성으로 보살피지만 여인의 정신은 돌아오지 않는다. 남자는 여자의 기억을 되살리기 위해 최후의 방법으로 이별 당시의 장면을 그대로 재현하는데, 그 장면에 놓이자 여자는 기억을 되찾지만 ‘아듀’를 외친 그 순간 여자는 죽어버린다는 이야기다.



이것은 기억의 문제를 우리들에게 당혹스럽게 던지는데, 여자에게 과거 이별의 사건이 가하는 폭력에서 육체가 오랫동안 살아남게 하기 위해 그녀는 자신과 자신의 몸에 일어난 모두를 잊어버려야만 했던 것이고, 그래서 철저하게 망각했던 것이다. 그것이 충실하게 재현됨으로써 과거가 현실의 세계로 회귀했을 때 그 엄청난 폭력을 그녀는 감당할 수 없었던 것이다. 생각지도 않은 돌연 도래하는 ‘사건’의 기억은 곧 폭력이라는 말로, 표현될 수 없는 고통 그 자체인 것이다. (작품의 세부 내용은 후일 별도 논의할 기회로 미룬다.) 소설에서 ‘아듀’라는 말은 자신의 것으로 할 수 없는 말, 자신에게 들씌워져 놓아주지 않는 말, 기억 속에 자리 잡은 그 끝을 알 수 없는 ‘사건’의 흔적인 것이다. 이 소설의 위대성은 전쟁이라는 폭력적 사건을 완결시키지 않음으로써 작품 자체를 하나의 ‘사건’으로서 독자의 정신적 외상으로 전이(轉移)시킨다는 점에 있다. 그리고 또 하나 중대한 물음을 던지는데, 전쟁과 같은 폭력적 사건을 리얼하게 표상하려는 욕망의 불순함을 고발하고 있다는 것이다.



저자 ‘오카 마리’는 이 리얼리즘을 예리하게 비판하는데, 표상과 실제를 얼마나 정확하게 재현하고 있는가를 가늠하는 이 단어에 숨겨진 확신의 오만이다. 소설 「아듀」의 주인공 남자는 충실하게, 즉 리얼하게 장면을 재현한다. 그리고 ‘스티븐 스필버그’ 감독이 영화 <라이언 일병 구하기>에서 첫 장면에 전장의 리얼리티한 재현은 누구를 위한 것인가? 하고 묻는다. 아듀의 남자는 여자에게 연인이었던 자신을 인지시켜(즉 여자가 상실한 여성성의 복구) 자신의 나르시시즘적 욕망을 채우려는 것이며, 스필버그는 재현 불가능한 실제와 사건의 잉여, 타자의 존재를 부인하는 행위로써 전쟁이라는 폭력의 기억을 억압하기 위한 욕망으로서 과잉의 리얼한 재현을 사용한 것이라 비판한다. 즉 서사는 근원에서부터 ‘사건’의 폭력성을 부인하고 있기에 과잉으로 리얼리티하게 폭력을 재현하고 보충한 부인(否認)된 사건의 폭력성 자체라는 것이다.



<라이언 일병 구하기>나 <쉰들러 리스트>는 사건의 기억으로서 고통을 외면하고, “인간의 숭고한 사랑의 찬가”로 소비함으로써 ‘사건’의 폭력성을 그로테스크한 희화(戱畵)로 만들어버렸다는 것이다. 스필버그와는 그 접근방법에서는 다르지만 ‘고레에다 히로카즈’ 감독의 <원더풀 라이프(1998)> 또한 사자(死者)들의 기억이라는 영상을 통해 전쟁이나 위안부의 폭력적 ‘사건’에 도사린 무의미하게 죽어간 희생자들의 죽음이라는 ‘사건’ 자체에 자신들이 필요로 하는 의미를 채워 넣음으로써 사건 자체를 부인하는 기만, 즉 그것에 내셔널한(national;국수주의적) 욕망이 마치 없는 것인 양 부정하는 토대로 삼고 있는 “기억의 횡령”, “서사의 횡령”이라 비난하고 있다. 이처럼 사건의 충실한 재현들이 모두 기만이고 위선에 머물 수밖에 없다면, 다시 말해 이러한 ‘사건’의 폭력성들이라는 것이 원천적으로 표현되고 표상할 수 없는 ‘사건’과 ‘기억’이라면 대체 이것을 어떻게 타자와 나누어 가질 수 있을 것인가?










2. 표상 불가능을 넘어 - 어떻게 기억을 나누어 가질 수 있는가?



사실 이러한 사건으로서의 역사를 구성, 기술하는 존재는 ‘사건과 기억’을 경험하지 않은 살아남은 우리들, 곧 타자들이다. 때문에 비록 말로 표현할 수 없으며, 현실에 재현될 수 없는, 근원적으로 표상의 한계를 가진 ‘사건’을 이 외부에 있는 타자에게로 이르는 길을 만들어 낼 수 있는가는 중차대한 문제이다. 기억의 문제를 둘러싼 역사수정주의자들의 역사 왜곡이 수시로 사건을 부정하고 터무니없는 의미를 쑤셔 넣는 일이 다반사로 일어나는 현실을 볼 때 이는 결코 간과될 수 없는 논의이다.



이러한 역사 왜곡의 양상을 표현하는 말이 있다. 그것은 사건의 기억이 타자와 공유되지 않고 사건의 기억 속에서 살아가는 사람들의 존재가 외부 세계에 방치되어 온 그 자체와, 사건이 타자에 의해 일방적으로 자리매김 되고 서술되어 왔다는 것 자체로서 타자에 의한 일방적 표상이라는 폭력의 뜻으로서 “타자에 의한 표상의 폭력”이라고 말한다. 일본의 역사수정주의자들을 비롯한 이에 뇌동하는 오늘 한국사회의 역사 부정주의자들인 뉴라이트라 자처하는 친일집단들이 이러한 표상의 폭력을 대표한다고 할 수 있을 것이다. 이들 무리는 위안부 여성이었던 최후의 생존자였던 김학순 할머니의 증언을 모두 부정하고, 식민지 여성에 대한 그 어떤 폭력도 존재치 않았다고 주장한다. 그런데 이 증언이란 본성상 수동적이고 주체의 언설 무능성에서 나온다는 점이기에, 역사수정주의자들의 의혹은 의미를 상실한다.



저자는 매우 중요한 점을 지적하고 있는데, “사람이 사건을 영유하는 것이 아니라 사건이 사람을 영유한다.”는 것이다. 달리 표현하자면 폭력적 사건으로서의 기억은 당사자의 의사에 의해 떠올려지는 것이 아니라 불현 듯 심연에서 돌연 도래하는 것이라는 의미이다. 때문에 ‘사건’과 이의 ‘기억’은 그것이 억압된 존재를 통해 결코 말로 표현되지 못하고 항상 표현되지 않은 잉여를 지니고 있다는 말이다. 우리들은 이러한 폭력적 사건의 희생자들과 그 관련자들을 인물로 하는 서사를 아주 많이 접할 수 있다. 이들 작품들은 우리에게 이해와 감동을 주기는 하지만 결코 묘사되는 ‘사건’에 빠뜨려 불안이나 위협하는 일 없이 알 수 없는 끈으로 이어져있다는 공감과 실감을 준다. 그럼으로써 무자비하게 낯선 폭력의 사건을 보편성의 시각으로 안전하게 감상하게 한다. 그런데 지금까지 지적되어 온 사건의 잉여, 그 사건의 본질이라는 불가능한 진실을 영원히 막아버리는 봉인 행위가 되어, 한낱 지나간 과거의 일화로 휘발시켜 버리고 만다.



바로 이같이 인간이 영유할 수 없는 사건의 기억을 말하고자 의도적으로 써진 ‘하인리히 폰 클라이스트’의 소설 「칠레의 지진」은 ‘사건’과 ‘기억’이 소유하는 인간에 대해, 그리고 타자에 의한 표상으로서의 폭력의 서사로서 관동(關東)대지진으로 무참하게 학살되는 조선인 사건과 함께 인용되는데, ‘사건’의 ‘기억’을 마치 한 때의 추억으로 서사와 한께 과거로 매장시켜 그 어떤 흔적도 남기지 않으려는 행위에 내재된 폭력성을 들춰내는 것이다. 「칠레의 지진」은 1647년 칠레 산티아고에 발생한 대지진을 배경으로 하는 픽션이다. 수녀원에서 수녀가 임신함으로써 남자를 수녀원 정원에서 처형하려는 날 대지진이 발생한다. 이 엄청난 혼란으로 남자와 수녀인 여자는 수녀원을 벗어나 마을 주민의 도움으로 출산과 행복한 날을 보낸다. 그리고 지진이 끝나고 일상을 되찾아가던 어느 날 성당 미사에 참석하게 되지만, 사제는 대지진이 부도덕한 타락에 대한 신의 징벌이라며 수녀원 정원에서 일어난 신에 대한 모독행위 탓이라 비난한다. 이 규탄행위는 성난 폭력으로 발전하여 두 남녀는 맞아 죽고, 갓난아기는 교회기둥에 휘둘러 머리를 박살내 조각이 나도록 내려쳐진다. 뇌수가 흐르고 표현할 수 없는 고통을 온몸으로 느끼며 사람들은 현장을 물러난다는 내용이다.



이 소설은 우리를 견딜 수 없게 하는데, 바로 두 남녀와 갓난아기의 두개골을 박살내 죽인 바로 그 사람들이 자신들의 기억 속에 어떤 흔적도 남기지 않는다는 것이다. 소설은 정신적 외상이어야 하는 그 기억을 역설적이게도 ‘기쁨’이라 명명하고 있기 때문이다. 클라이스트는 사건에 위장 플롯을 부여함으로써 결코 매듭지을 수 없는 사건을 어긋나게 함으로써 우리들의 마음에 상처를 남긴다. 사건에 다른 서사를 부여함으로써 사건의 폭력을 망각하도록 하는 것인데, 작가는 이렇게 폭력의 기억을 부정하는 이야기를 만들어냄으로써 더욱 비장하게 ‘사건’에 사람들을 빠뜨려 신체화 한다. 반면에 관동대지진시 난무했던 일본인들의 기만적 플롯인 “조선인이 공격해 온다.”는 서사는 후일 일본의 방송기획 프로그램을 통해 한 여성의 “옛날 하나의 삽화로 추억을 완결하듯” 등장해 ‘사건’의 어떤 흔적도 남기지 않는다. 역사의 한 사건을 기억, 증언한다는 것은 타자와 서로 나누어 갖는 것이라 한다. 역사를 결정하는 저 높은 곳에 서 있는 것이 아니라 역사를 견뎌내고 있는 낮은 곳에 몸을 두는 것이라고.



소설 ‘칠레의 지진’과 일본 방송 프로그램 서사의 공통점은 인간을 영유한 대지진이라는 사건의 폭력에 대해 인간 스스로 그 압도적인 폭력을 행사함으로써 사건에서 부정된 자신들의 주체성을 회복하기 위해, 자신들의 주체성을 징벌한 기만적 플롯(신이나, 헛소문)이 행한 폭력으로서 사건 자체가 지닌 폭력의 기억을 부정한다는 것이다. 여기서 물음이 하나 떠오른다. 어떤 기억 서사도 그 ‘사건’의 당사자에 포함될 경우 그 서사를 자명한 것으로 읽거나 이해할 수 없다는 것이다. 자명한 것으로 향유하고 있던 것이 모두 내팽개쳐지고, 의미는 희미해져 이해 불가능한 것이 되고, ‘사건’이 된다는 것이다. 결국 그 어떤 서사에서 우리가 자명성을 읽을 수 있다면 그것은 ‘사건’의 나누어 가짐이 아니라 한낱 이야기의 소비로 멈추었다는 의미이기도 할 것이다. 이로서 우리는 하나의 결론에 도달하게 되는데, 표상 불가능한 사건을 표상하는 것, 말할 수 없는 사건에 대해 말하는 것은 “사건의 말할 수 없음 자체를 증언하는 것”이어야만 한다는 것이다.



이 책은 그 어떤 주체의 의사와 상관없이 통제 불가능한 것으로 신체에 습격해오는 폭력적 ‘사건’인 역사의 ‘기억’에 대한 우리 인간의 언어인 서사적 한계를 사유함으로써, 그 한계에도 불구하고 어떻게 이 세계의 사람들이 나누어가지는 서사로 말해지고 써질 수 있는가의 진지한 탐구이다. 대체 어떻게 ‘사건’에 있지 않은 외부자인 사람들이 그 ‘사건’의 기억과 증언의 표현과 표상을 함부로 재단하고 정의할 수 있다는 말인가. 더구나 리얼리티라는 그 터무니없는 재현의 온전함을 확신하는 신화적 기만은 역겨움이라 할 것이다. 역사의 기억과 그것의 재현을 위한 서사의 정의를 향한 긴요한 사유의 단서를 제공하는 저작이라 하겠다. 이 기억과 서사와 관련된 많은 논의가 이미 존재하지만 이 저술은 특히 그 ‘한계’를 냉정하고 날카롭게 파헤쳐 직시하고 있다는 점에서 탁월하다. 이 저술을 읽고 나면 아마도 여타 문학과 역사 읽기의 안목이 이전과는 결코 같을 수 없으리라 생각된다. (절판되었던 책을 이렇게 다시금 출간한 출판사에 고마움을 전한다.)



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필리아 2024-03-24 공감(15) 댓글(0)
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[마이리뷰] 기억·서사

일본의 비판적 지식인이 쓴 패권주의와 역사 왜곡에 대한 일갈. 피해자들의 기억을 글과 말로 경험하고 이해한다는 것에는 청자의 지난한 노력과 겸손, 사상적 준비(‘아직 오지 않은 조국을 기다리는 난민’)가 수반되어야 하며, 원초적인 이해 불가능성에 대한 인식이 있을 때 비로소 권력에 의한 서사와 기억을 넘어선 진정한 연대와 공감의 싹을 말할 수 있다고 본다. 팔레스타인, 이라크전쟁, ’위안부’, 관동대학살, 난징대학살 등의 전쟁 식민 폭력을 직시하는 용기 있는 책이다.
ENergy flow 2024-04-25 공감(11) 댓글(0)
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끔찍한 기억으로 인한 고통을 해결하는 방법



‘기억’은 제가 오랫동안 뒤쫓고 있는 화두입니다. 그 기억과 서사를 어떻게 구분하여 설명하고 있는지 궁금해서 읽게 되었습니다. 저자는 도쿄외국어대학 대학원 석사 과정을 수료하고, 현대아랍문학과 제3세계 페미니즘 사상을 전공하였다고 합니다.. 교토대학 대학원 인간·환경학연구과 교수이자 교토대학 명예교수라고 하는데, 일본은 우리나라와는 달리 교수의 자격이 그리 엄격하지 않은가 봅니다.




아랍어를 전공한만큼 ‘탈 자아타르’라는 단어를 소개하면서 이야기를 시작합니다. 아랍어로 탈(Tal)은 ‘언덕’ 자아타르(al-Za‘atar)는 향초의 시간을 뜻한다고 합니다. 그래서 우리말로 옮기면 ’시간의 초목이 무성하게 자라난 언덕’이라고 할 수 있는데 현실은 그렇지 못한가 봅니다. 탈 자아타르는 레바논의 베이루트 교외에 있는 지역의 이름으로 대량학살이 벌어진 비극의 장소이기 때문입니다.




기억이란 한 사람이 뇌에 받아들인 인상, 경험 등의 정보를 간직하며, 어떠한 계기에 이를 도로 떠올려내는 것을 말합니다. 그런가 하면 서사란 행동이나 사건의 흐름을 직접 보여주는 표현양식으로, 삶의 진실을 담고 있습니다. 호머의 <일리아드>와 <오디세이>가 대표적인 서사라고 할 수 있겠습니다. 그런 점에서 본다면 서사는 집단기억을 형성하게 하는 수단이 될 수도 있겠습니다. 과거에 글자가 발명되기 전에는 주로 서사의 방식으로 개인이 기억하는 바를 전하였으나, 문자가 발명된 이후로는 문자가 서사의 역할을 대신하게 되었습니다. 그런데 서사를 대치하게 된 소설이 서사와 다른 점으로 서사는 모어로 소통하게 되는 것과는 달리 소설은 번역을 통하여 다양한 언어로 전해진다는 차이가 있다고 합니다.




사실 개인의 기억이란 결코 정확할 수 없다고 알려졌습니다. 상황이 발생하여 시간이 오래 경과되면 기억 자체가 흐려지면서 제대로 회상할 수 없는 경우도 있고, 기억이 주는 부정적인 효과로 인하여 기억자체를 스스로 왜곡하는 경우도 있다는 것입니다. 홀로코스트를 겪은 유대민족이 이스라엘을 건국하면서 팔레스타인을 비롯한 아랍민족과 생존을 건 갈등을 빚는 과정에서 집단학살을 자행하고 있다는 점을 예로 들면서 나치의 홀로코스트와는 차별점이 있다고 이야기합니다.




저자는 발자크의 단편소설 「아듀」를 비롯하여 스필버그 감독의 영화 <라이언 일병 구하기>와 <쉰들러 리스트>, 일본군 위안부 사례, 이스라엘의 팔레스타인 탄압 등 다양한 사례들을 인용하여 서사의 본질을 논하였습니다. 사실 어떠한 명제를 논함에 있어 절대적 해석이 가능하지 않은 경우가 적지 않겠습니다만, 저자는 인용한 사례들을 해석함에 있어 명쾌한 입장을 유보하는 듯한 느낌이 들었습니다. 특히 과거 일본이 저지를 역사적 과오에 대해서는 더욱 그런 경향이 있는 것 같습니다. 그렇다고 해서 홀로코스트는 존재하지 않았다는 등의 수정주의 역사를 수용하는 것 같지는 않습니다.




이렇듯 모호한 점은 옮긴이의 설명에서 다소 이해할 수 있었던 것 같습니다. “<기억.서사>는 자신의 의지와 상관업시 도래하는 폭력적 사건의 기억 때문에 현재의 삶을 고통 속에서 살아가는 사람들의 문제를 다루고 있다. 그들은 왜 과거의 폭력적 사건의 수인이 된 채 사회 밖 ‘타자’로 고통스러운 삶을 영위할 수밖에 없는가, 그들을 고통스러운 기억의 감옥에서 놓여나게 하려면 어찌해야 하는가의 물음을 던지고, 이에 대한 해답의 실마리를 소설, 영화, 르포르타주 등 다양한 장르의 서사 비평을 통해 모색해보고자 하는 의도를 담고 있다.(167쪽)”라고 하였습니다.




하지만 타자가 가진 고통스러운 기억을 제3자가 분유(分有)해야 한다는 저자의 주장은 과연 옳은가 하는 생각을 가지게 됩니다. 제3자가 분유한다는 생각은 어쩌면 고통스러운 기억을 누군가에게 이야기하는 행위를 통해서 풀어낸다는 것으로 이해해도 될지 모르겠습니다.
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처음처럼 2025-09-05 공감(3) 댓글(0)
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망각의 폭력에 저항하는 삶.

이해를 하기보다는, 질문이 생기는 책들이다. 우리는 언어를 통해 구성된 현실을 기억한다. 오카 마리는 언어를 통해 기억된 현실이 본질을 잘못파악하게 할 수도 있다고 지적한다.

언어가 사건의 본질에 주목할 수도 있을 것 같다. 하지만, 우리가 주목하게 되는 것은 자극적인 이미지다. 우리가 언어를 통해 기억하고 있는 사건 전후의 맥락이 모조리 거세된채, 지극히 단편적인 기억만을 가지고 살 수도 있다.

"사건의 표상 불가능성이라는 문제, 즉 '사건'은 언어화될 수 없다는 문제였다. '사건'이 언어로 재현된다면 반드시 재현된 현실 외부에 누락된 사건의 잉여가 있다는 것. 사건이란 항상 그와 같은 어떤 과잉을 잉태하고 있으며 그 과잉이야말로 사건을 사건답게 만들고 있는 것일 터다."

"사람이 사건을 영유하는 것이 아니라 사건이 사람을 영유한다. 기억도 그러하다. 즉 사람이 사건의 기억을 소유하는 것이 아니라, 기억이 사람을 소유한다."

읽다보면, 솔직히 의문이 들기도 하다. 도대체 저자가 이야기한 사건의 본질이 무엇인지, 언어를 극복한 기억은 존재하는 지 반문하고 싶다. '기억, 서사'를 읽다보면, 우리는 영원히 기억하고 있는 사건의 본질에 다가설 수 없을 것 같다. 우리가 사건 속에 있을 때나, 사건 밖에 있을 때나...사건의 본질을 파악하는 것은 불가능하다고 느껴진다. '그럼 도대체 어쩌라고요?'라는 원망 섞인 생각이 들었다.

이런 원망이 떠오를 때, 이 책에서 주요하게 언급되었던 두 가지 사건이 떠올랐다.
팔레스타인에서 발생했던 '탈 자아타르'와 2차 대전 당시 일본의 종군위안부. 저자는 유태인들이 피해자였던 홀로코스트는 모두가 기억하지만, 유태인들이 가해자였던 탈 자아타르는 망각하는 것은 폭력이라고 여긴다. 종군위안부역시 마찬가지다. 일본에서는 외면하고 싶은 현실이다. 이것을 외면하는 것은 폭력이다.

오카 마리는 기억의 폭력에 저항하고 싶었던 것 같다. 우리가 익숙하게 받아들이는 기억과 사건을 의심하도록 말이다.
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따오싱 2024-11-14 공감(2) 댓글(0)
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