2020-09-28

倉山満『保守とネトウヨの近現代史』を読んだ - 日本が好きになる!歴史全授業(小6・中学)



倉山満『保守とネトウヨの近現代史』を読んだ - 日本が好きになる!歴史全授業(小6・中学)






日本が好きになる!歴史全授業(小6・中学)

倉山満『保守とネトウヨの近現代史』を読んだ
2020/09/27
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 チャンネルクララで『保守とネトウヨの近現代史』の特集があり藤岡先生が登場した。
ちょうど本書を読了した(Kindle版)ところだったので、新しい教科書をつくる会が歴史になり一つの時代が終わったのかという感慨をもった。


 自由社の『新しい歴史教科書』が検定不合格になり、正論編集長の田北真樹子氏や「日本の教育改革」有識者懇談会事務局長の勝岡寛次氏が相次いで「つくる会を批判し文科省の不正検定を擁護する」大論文を書くという奇妙な時代に本書が出版された意義はたいへん大きい。


 20年前に共産党系の学者言論人がやった「藤岡討伐命令」を、田北氏や勝岡氏という「保守」の代表みたいな人たちががやっているという奇妙な光景が私たちの目の前に広がっているわけだから。


分かる人にはわかり分からない人にはわからないだろうな。


2005年くらいだったが八木秀次という人がつくる会を分裂させて、扶桑社もそれについて育鵬社という教科書出版社を立ち上げた(つくる会教科書の編集者だったM氏)。このとき八木氏と行動を共にしたのがN氏、M氏などの理事だったが、勝岡寛次氏もこのときつくる会の理事で八木氏と行動を共にした有力者だった。扶桑社が反つくる会の行動に出たから産経新聞も反つくる会になった。自由主義史観研究会を育ててくれた教育出版の明治図書まで扶桑社についたのは驚いた。要するに商売優先であろう。


あのときも「つくる会つぶし」の大工作だった(シナのスパイが絡んでいたという説があり週刊誌を賑わした)が結局はそそれに失敗したので、十数年かけてつくる会の教科書が不合格になったのを歓迎して叩いているわけだ。


私はつくる会の当事者とはいえないが、応援団の一人として執筆者の皆さんが怒りをこらえて「育鵬社の教科書が少しでも多く採択されればいいなあ」とおっしゃっていたのを目撃している。


しかし彼等は違った。「溝に落ちた犬は叩け」という文化の持ち主だったわけだ。残念なことである。


とにかく本書は自分の立ち位置を理解するのにとても役だった。
そういうわけでこの20年ぼくはいわゆる「保守」ではなさそうだとわかっていたが、本書を読んで「ネトウヨ」でもなさそうだとわかった。
まあ何かのグループに所属しているという意識はなかったのでそれはそれでかまわない。1995以来基本的な立ち位置は変わっていないということもわかった。


おすすめです!
倉山満『保守とネトウヨの近現代史』(扶桑社新書)で来し方を振り返りこれからを思ってみましょう。
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特別番組「保守とネトウヨの近現代史 前編~歴史学界から藤岡信勝討伐命令」藤岡信勝 内藤陽介 倉山満【チャンネルくらら】
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•Sep 27, 2020





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9月25日新発売!『保守とネトウヨの近現代史』 (扶桑社新書) 倉山 満 https://www.amazon.co.jp/dp/459408552...
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著者について
倉山満
1973年、香川県生まれ。憲政史研究者。1996年、中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程を修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤研究員として、2015年まで同大学で日本国憲法を教える。2012年、希望日本研究所所長を務 める。同年、コンテンツ配信サービス「倉山塾」を開講、翌年には「チャンネルくらら」を開局し、大日本帝国憲法や日本近現代史、政治外交について積極的に言論活動を展開している。主著にベストセラーになった「嘘だらけシリーズ」八部作の『 嘘だらけの日米近現代史』『嘘だらけの日中近現代史』『嘘だらけの日韓近現代史』『嘘だらけの日露近現代史』『嘘だらけの日英近現代史』『嘘だらけの日仏近現代史』『嘘だらけの日独近現代史』、『保守の心得』『帝国憲法の真実』『日本一や さしい天皇の講座』『13歳からの「くにまもり」』(すべて小社)など
登録情報
発売日 : 2020/9/25

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上位レビュー、対象国: 日本
アマゾン太郎
5つ星のうち5.0 自分が裸であることがどうしても理解できないのが保守人士で、王様は裸だと最初に言ったのは著者
2020年9月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自分が庶民より知識があって偉いと思いこんている。
自分が無知であることに気づくことができない。(Socrates)
思考に広がりがないので面白くない。
こちらもゴキブリの議論には興味がないのでそんなところへは行かない。

戦後保守のcomplexの近現代史についても触れられている、
戦後保守って発言する場所もなかった。
internetができるまでの切ない気持ちが伝わってきます。
internet以降は感情が堰を切って流れ出る。
感情を押しとどめることができない。

譲位したいと天皇がvideo messageでおっしゃったことを庶民はたちどころに理解した。
驚いたことに共産党も反対しなかった。
有識者会議に呼ばれた保守系委員が天皇譲位について何を言ったか書かれています。
その描写が最高に面白かった。
最後に保守人士の実名が索引にして磔にしてあります。
その中でただ一人西尾幹二の最盛期については褒めてあった。
会費1000円で始めた倉山塾、これでは食っていけないと思った。
それでも7年8年と続けた。
今は2000人の塾生がいるから、人並みに食っていける。
生活に困って言説を曲げる心配はなくなったと著者は書いています。
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meow
5つ星のうち5.0 「保守とは?」を問う、歴史の本でもあり、記録でもある本。
2020年9月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者は、以前の書籍で大正時代を扱った時に、
「言論の歪みは政治を歪ませる」
と書いていました。
この本でも、その問題意識が背骨として貫かれているのだなと
読んでいて強く印象に残ります。

一読者である私は、保守的と言われる事柄─皇室や歴史、戦前の憲法など、
長く勉強をしている人たちの中ではうんと後発の人間です。
こうしたことを知り始めてすぐに
「なぜ保守と呼ばれる人たちは、あんまりメジャーじゃないの?」
「なぜ保守と呼ばれる人たちの主張は、世の中で受け入れられないの?」
という素朴な疑問を持ちました。
その疑問は、今でもずっと持ち続けています。

その「なぜ」を本書で改めて知ることができたのと同時に、
戦後の歴史の中で、ようやく得られた世間の認知が
あっという間に死にかけているという危機感も覚えます。

その危機感に対して本書から読み取れるひとつの答えは、
「一般常識で受け入れられないようなものは、広がりようがない」という当たり前のこと。
戦後日本が始まった時点から、大変なハンディキャップを負って保守言論は出発したのだという事実。
保守と右翼は別のものという線引き。
保守が鍵括弧付きの「保守」に変質したのは、いつ、なぜなのか。
今現在までの政治の流れの中で「ネトウヨ」と呼ばれる集団(あるいは現象)は、どのような位置づけができるのか。
せっかく「日本が好き」という当たり前のことが堂々と言えるようになって、
共感を得られるようになったのに、今一つ現実の力に繋がらないのはなぜか。
淡々と書かれた事実から、これからを考える糧にしようというメッセージが伝わってきます。

巻末に付された人物索引には、現在も論壇で活躍している人や
現役の政治家から、すでに歴史上の人物となっている人まで
色々な名前があります。
情報の流れの速い現代、この人はどんなことを言っていた人?という
振り返りに役に立ちます。
「なんか保守って怖そう…」という知り合いがいたら、
「どの保守?」と、そっと手渡せる良い本です。
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Simulated reality
5つ星のうち5.0 一部抜粋
2020年9月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
少しでも関心がある部分があれば購入を。

○現実の小泉は三十年に及ぶ過度な親中路線を修正した、むしろ「保守」政治家だったのだが。
○明らかに非「保守」的な親中政策が、最近四十五年間の主流
○自民党が行ってきた政策は一部を除いて「保守」ではないし、「保守」言論界にも背を向けている
○司馬の立ち位置は「保守」よりも左であり、「共産主義者でなければレベルが低くても歓迎される」とされた時代の作家
○「保守」と「右翼」は重なる部分もあり、時に同じ人物が双方にまたがって活動する場合もあるのでわかりにくいが、異なる存在
○保守と民族派は、毛色がかなり違う
○現在の「ネトウヨ」が、チャイナ・コリア・朝日新聞に対しては何をやっても許されるとの、宗教戦争の如き怨念を抱いている原点は、教科書問題
○中曽根は「保守」を一定の票田だと見做して、パフォーマンスを繰り広げていたにすぎない
○自民党が年を経るごとに「保守」と距離ができた
○自民党で親中派が勢力を伸ばすのと逆に、政界において「保守」の度合いを強めていったのが民社党であり、民社協会はその支持母体
○「拉致」問題は、最初は非自民系の運動として始まり、徐々に広がっていく
○結局、多くの「保守」の人たちにとって、拉致問題は活動を広げる素材に過ぎないのである
○小泉は、田中角栄以来の親中政権が長く続いた中で、久しぶりの親米派政権
○大半の「保守」は目の前の情報だけで判断する傾向が強く、歴史や証拠に基づいて検証する視点には乏しい
○チャンネル桜は確かに一時的に最大手だったが、今やとっくに全盛期をすぎた老舗としての扱い
○平成十九年(二〇〇七)年にチャンネル桜は、インターネット配信も開始した。これが若いファン層への拡大をもたらした。「ネトウヨ」の誕生
○「ネトウヨ」は必ずしもサイバー空間だけに生息しているのではない
○「ネトウヨ」と呼ばれた人たちは、自分たちを社会の多数派とは思っていない。むしろ昭和以来の少数派の意識を引きずり、多数派であるマスコミへの憎悪を駆り立てた
○民主党に投票した普通の人が、「保守」「ネトウヨ」に大量流入した
○二十一世紀になっても「保守」は単なるサイレントマイノリティーだったが、今や平成の「ネトウヨ」はノイジーマイノリティーにまで成長した。そして、かつての昭和の「保守」とは明らかに変質する
○事実関係にこだわらないのも、昭和の「保守」には見られなかった、「ネトウヨ」の特徴
○あまりにも無能な民主党政権が、チャンネル桜に代表される「ネトウヨ」を生み出した
○素人経済学を振りかざす人間が、「作家」「経済評論家」などと名乗れるのが、「ネトウヨ」の世界
○従来の「保守」にいかに経済の視点が欠けているか
○「正しい政策を実現するには、政治で勝たねばならない」
○日露戦争に勝利した桂と比較するまでもなく、安倍は何ひとつ実績を残せなかった
○私が「ご老人方は若者は憲法改正に興味がないから愛国心が無いなどと仰るが、デフレで生活が貧しくて憲法どころではない、オタクらの集会に行く電車賃もない若者に向かって愛国心が無いなどと言えるのか」などと反駁しても、概念として想像できない
○「皇室と国民の絆」とは、戦前日本の言葉では「国体」である
○この精神こそが、「」がつかない日本本来の保守である
○日本の歴史において、天皇陛下に弓を引いたものを「保守」と呼んだ事例はない。ところが、日ごろは「保守」を自称する者が、一斉に牙を剥いた
○現在の「保守」「ネトウヨ」に、「言論の正当性」という概念はない
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にょろぼん
5つ星のうち5.0 戦後保守の総括本。こんな本が欲しかった!
2020年9月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
多大なハンデを抱えた状態で戦後保守の歩み始まった。
言論空間では進歩派に負け続け、市井の人々からは恐れられ、無視され、謗られ続けた。
おまけに自民党は政権維持に汲々とするばかりでちっとも保守の側を向いてくれない。
このような状況があまりにも長く続いてしまったため、勝利条件すら見失ってしまった。
平成時代になりソ連邦の滅亡という
千載一遇のチャンスにあっても生かすことができず、リベラル的言論が衰退した令和の御代にあっても
なお保守の言論を浸透させることはできていない。
彼らは戦後保守は、闘うことを放棄し、仲間内でウケの良い価値観を共有しているだけで満足し、
市井の人々に訴えかけてこなかった。
自分の要求をひたすら主張し続けることが国益になると信じている。
そこに戦略はない。
だからせっかく貴重なチャンスが来ても待つことができず、
やれ教科書だ拉致だ憲法だといっぺんに主張を通そうとして台無しにしてしまう。
また、闘う敵も間違えている。
いつまで、衰退したリベラルを相手にして留飲を下げているつもりであろうか。
保守が本当に闘うべきは、保守を票田の1つとしか看做しておらず本音では戦後体制からの脱却など考えていない自民党であり、
日本国憲法の解釈を墨守しようとする内閣法制局であり、
権限拡大のため終わらない増税を強いる財務省ではないのか。
中国・韓国の悪口だけを言って一体何が変わるのだろうか。
いい加減自分たちの本当の敵を見据えて行動をしなければ、保守など永遠に消え去ってしまうだろう。
とはいえ、当面の敵は政権与党になる気はない癖に野党第一党に居座ることで自民党に代わる勢力の出現を阻止している自民党の犬・立憲民主党とその本体である自治労であろうか。
まずは55年体制(自民党・立憲の談合体制)を終わらせなければならない。
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RM
5つ星のうち5.0 事実だけ拾い上げて俯瞰した本
2020年9月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本の魅力は戦後のアメリカコンプレックスの「保守」から「チャンネル桜」や「虎ノ門ニュース」などのYouTubeの人気(?)番組まで取り上げ,存命の人物の批評を恐れることなく行っている点だと思います。
後半は倉山氏の私情(私見?)が入りこんでいて,客観的な印象を受けないのですが,
それ以外では妄想を排して事実だけを追求することに徹しており,そこから導き出される着地点は,私のような素人が「保守」の言論を眺めた時に抱く印象と一致していました。

デジタルネイティブ世代である私は2000年代からインターネットの言論を知り,テレビで全く取り上げられない「保守」的な議論があることを知りました。
テレビの「ポリコレな主張」に全く共感を覚えることができず,学のない私が一番妥当だと思ったのが「保守」でした。
しかし,疑問もありました。
それらの情報は正しいのだろうか?信じていいんだろうか?ついて行っていいんだろうか?と。

倉山氏の「保守とネトウヨの近現代史」では,「保守」と目される人々の主張に全く一貫性がないことを解説した本です。
読んでいて悲しくなりました。
「左翼は内ゲバが得意」なんてあざ笑ってる「保守」系言論人もいますが,「保守」だって十分内ゲバしてるじゃん。(さすがに人殺しには至りませんが)
プライドの問題なんでしょうか・・・?

私が抱いていた印象である,「レベルの低い眉唾話が公然と通っている実態」は事実なんだなと悲しくなった。
結局ほとんどの「保守」の人はお花畑でチヤホヤされることを喜んでいるだけなんじゃないのか?
そして全く話の通じないネトウヨ。
この本に書いてあることが事実なら「保守」の人たちはおそらく,この本を読んだところで,感情的に反発し,そして「なかったことにする」のではないかと思います。

”そうした事実を無視して意見が合わぬからと、敵と認定してすべてを否定するのは、あまりにも不当だろう。そのような「保守」の不当な体質は、昔も今も変わらない。”
(Kindle の位置No.1045-1047).

日本の進むべき道が保守であるべきと考えている人には一読をお勧めします。
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