2017-11-04

〈日本現代史の闇を追いかけて〉詩人・石川逸子さん | 朝鮮新報






〈日本現代史の闇を追いかけて〉詩人・石川逸子さん | 朝鮮新報
2017.02.06 (17:27) │ 主要ニュース,文化 印刷
〈日本現代史の闇を追いかけて〉詩人・石川逸子さん

詩集「砕かれた花たちへのレイクレム」詩集「揺れる木槿花」(花神社)、「日本軍『慰安婦』にされた少女たち」(岩波ジュニア新書)「定本 千鳥ヶ淵へ行きましたか」(影書房)などの作者で日本軍性奴隷制の被害女性たちの想像を絶する苦難の数々を描いてきた詩人の石川逸子さん。少女像を詠んだ詩「少女」に思いが凝縮する。


詩人の石川逸子さん
「少女」を詠む


戸外の椅子に すわりつづける少女

秋の日も 真冬にも

さらさらと雪は降り

少女の黒髪に 膝のうえに 降りつもる

あなたは 故郷からはるかに遠い南の地で

爆撃に倒れたのか 飢え死んだのか

あるいは だまされて連行された 中国の「慰安所」で

日本軍兵士に逆らい 斬られたのか

うつされた性病で病み死んでいったのか

ーー「慰安婦」ではない 性奴隷でしたーー


辛くも生き残り 解放後も辛苦の生を送った

かつての少女たち 今 年老いたハルモニたちは

かつての自分のうら若い面影に

手をさしのべ 少女の髪の毛に降る雪を

そっと払いのける

韓国・ソウルの日本大使館前

ものいわず すわりつづける 少女

数万にもおよぶという 被害者たちの

悲憤を やわらかな胸に抱いて

すわりつづける 少女

なお 地球のあちこちで

起きつづける あまたの 少女たちへの陵辱にむかって

しっかと目を見開き

雪に濡れながら すわりつづける

少女の像

いま、2015年の12.28「日韓合意」に怒りを強める石川さん。「最終的かつ不可逆的な合意」だとうそぶき、「10億円」を支払ったと繰り返す安倍首相の一連の発言について「加害国の首相の発言とは思えない」「まるで、札束をポイと放り投げて、これをやるから、口をつぐめというひどい話」と憤る。そこには、被害者の人たちの気持ちに寄り添う誠実さがかけらもなく、だだ、「未来志向だから、もう忘れてなかったことにしよう」とする傲慢な態度しかないと。

なぜ、反省もなく、こうした妄言が繰り返されるのか。石川さんはナチスに時効なしと加害の追及と被害の救済を続け、戦争責任をしっかり果してきたドイツと比較しながら、「日本の政治も国民意識もそのことを恥ていない風潮がある」と指摘する。

「戦後、国民の多くが、米国の物量に『大和魂』が負けたのだと思い、モノの豊かさを求めて経済大国への道をまっしぐらに突き進んだ。戦前の日本はアジアを蔑視し、ヨーロッパの仲間入りに腐心した。文化ではなく、欧米の帝国主義的膨張政策を真似た。戦後もアジアの一員がアジアに攻め入った反省はなく、最高責任者の天皇の戦争責任は免責され、戦犯の岸信介は首相になり、いま、その孫が首相の座にある」と。
心で学び、胸に刻もう

石川さんの詩業は「日本現代史の闇を照らす清らかな光」(詩人・佐川亜紀さん)と高く評価されている。詩だけではない。石川さんは封印された史実を身を削るように熱心に調べ、記録してきた。「かつての戦争で失われたおびただしい命たち、非業の死者たちの無言の叫びに耳を傾けて、一人ひとりが自分のスタイルを持って『これではいけない』という思いを広げていかなければ」と発行してきたミニ通信「ヒロシマ ナガサキを考える」を100号発行し、惜しまれつつ2011年の末に終刊となった。しかし、その後も「風のたより」を不定期に発行しつづけ、歴史の暗部を丹念に掘り起こし、被害者に寄り添い、さまざまな声を広く紹介してきた。沖縄や被爆者を訪ね、話を聞き、詩をつくり、通信を編む……。1982年、49歳のときに、通信を発行して以来、35年の歳月が流れた。


ミニ通信「風のたより」

石川さんが、ミニ通信を発行するきっかけになったのは、長崎出身の被爆者であり、東京葛飾区・上平井中学校で「広島修学旅行」を始めた江口保さんとの出会いがきっかけだった。以来、石川さんは、在日朝鮮人、在南、在ブラジル被爆者、第五福竜丸、チェルノブイリのヒバクシャの声、また、日本のアジア侵略戦争に動員され、その大半が飢餓で悲惨に死んだ兵士、また彼らに殺害、略奪、強姦されたアジアの人々の声を聞き取っていった。

そこで出会った人々ーー。88年、東京で開かれた在韓被爆者問題シンポで出会った南・大邱に住む金分順さんについて、石川さんの記憶は生々しい。

金さんの父は19年の3.1運動(叔父は日本人にピストルで射殺された)に参加し、母とともに逃げて広島の知人のもとへ。両親は懸命に働き、6人の子どもが生まれる。金さんは日本の学校で学ぶ。挺身隊のうわさが流れ、18歳であわてて結婚させられる。夫は鋳物工場で昼夜働き、19歳で娘・和子ちゃんが誕生。生後5カ月のとき、母子で被爆。(家の下敷きになったのを、近所の中村タカシ君が助けてくれた)。被爆して6日目に親戚の家で娘死亡。重症の金さんは死にゆくわが子を抱くこともできなかった。父は会社からの勤労奉仕で集合のため県庁に出かけて以来、行方不明。(母は76歳で死ぬまで日暮れになると父を待ちわびた)。一家で引き揚げ。(母、広島駅で警官に靴で蹴られ、早く帰れ、チョウセンジンと罵声を浴びせられた)。

南の夫の実家に帰ったあとも地獄のような生活が待っていた。言葉が分からず、字も読めず、体重は27キロに。原爆症で左眼が開かず、腕がくっついたまま、家を追われ、死をさまよう。探しにきた夫も原爆症で寝込み、苦労の歳月を送った。子どもが成長した後、金さんは辛苦する南の被爆者のために奔走してきた。

「広島で自分を可愛がってくれた人たちは好きだが、日本政府はなぜ、賠償しないのか」と問う金さん。東京・江戸川滝野公園追悼碑には娘・和子ちゃんの名前が刻まれている。96年、その碑を訪れた金さんは碑の前で慟哭し続けた。なお、在韓被爆者については「引き裂かれながら私たちは書いたー在韓被爆者の手記」(御庄博実と共編、西田書店)に詳しい。

また、石川さんは敗戦から72年も経つのに、「最も迷惑をかけた朝鮮、その片側の国、朝鮮民主主義人民共和国と未だ国交が正常化していない日本の現状は情けない」ことだと指弾してやまない。

石川さんは明治以降、破滅に至るまで膨張・侵略を続けた近代・日本のありようと、福島第一原発事故に見られるようにその後の政府、東電、学者たちの対応は、全く重なる光景だと指摘。「慰安婦」問題をはじめ過去の侵略の事実を隠し、矮小化し、なかったことにし、責任をとろうとしない政府と官僚らの態度は同一だと厳しく批判する。「メディアと政府が一体となり、公教育の場や教科書から自分たちにとって都合の悪い事実を消してしまうやり方。だからこそ、私たちは、この状況を見て、考え、声をあげ、行動していかなければならない」と述べ、頭で学んだことは素通りしていくが、心で学んだことは胸に刻まれるとして、被害者の苦しみをこれからも「語り継ぎ部」として伝えていかなければと語った。

(朴日粉)

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